アンダーカバー(大人悪魔ほむら×大人さやかシリーズ) 作:さんかく@
白い病室――入り込む朝の陽ざしは温かく、全ては輝いている、しかしそこにいる女はもうずいぶん長い間闇に囚われていた。晴れることの無い闇に。
「智美ちゃん、お友達が見舞いに来てくれたわよ」
だがしかし、智美と呼ばれた女性は返事をしない、ただ虚ろに窓の外を眺めるだけ。看護師は申し訳なさそうに友人達を見上げるが、友人の一人は人が好さそうに微笑むと「大丈夫です」と囁いた。一礼をして病室を去る看護師。
「こんにちは」
穏やかな声が聞こえた。その聞きなれない声に虚ろに外を眺めていた智美はとうとう反応を示した。
「…誰?」
声の主は智美と同じ年ごろのスーツ姿をした蒼い髪の女性だった。ただこちらを見つめ、穏やかに微笑んでいる。首をかしげる智美。
「…どこかで会った?」
声は発せず、頷く女性。猫の様に智美はその女性を凝視して。そうして、何かを思い出したのか、驚愕の表情を浮かべた。
「大丈夫、大丈夫よ」
智美の肩を優しく抱くと、女性は優しく囁く。
「あなたは…」
記憶が激流の様に智美の頭に流れてくる。おぞましい地下室、おぞましい出来事。そしてそこに現れた少女――
「あの時の」
智美は見ていたのだ、薄れてゆく意識の中、あのケダモノ――屈強な男達を信じられない力で退治してくれた少女を。
頭蓋骨が割れる音、
血、
壁に叩きつけられる男、
怒りに満ちた少女の顔。
少女の制服にこびりついた血。
その少女の顔と今自分を抱きしめてくれている蒼い髪の女性の顔が重なる。
「見ていたの」
こくり、と智美は頷いた。
「そっか…もうあの嫌な奴らはどこにもいない、だから君は何も怖がる必要もないし、苦しむ必要もない」
智美は何も言わず、ただ女性に縋るだけ。その智美の頭にそっと手が置かれた。温かさに思わず智美は目を瞑る。
「もっと前にこうしていれば良かったのに、ごめんね」
その意図を知ってか知らずか、智美は首を振った。そうして小さい声で呟いた。
「ありがとう…」
一瞬、頭がすごく熱くなったがすぐに収まり、今度は心地よい感覚が身体の中を駆け巡る。気持ちよさそうに智美は女性の胸の中で意識を失った――。
「智美ちゃん、智美ちゃん」
看護師に名前を呼ばれ、智美は目を覚ます。
日差しの眩しさに思わず目を細めて。
「綺麗…」
「え?」
智美の呟きに看護師は戸惑う。智美はゆっくりとベッドから降りると窓の外を眺めた。
「外はこんなに明るくて綺麗なのに、どうして今まで気づかなかったのかしら」
そうして看護師に微笑みかける智美。看護師の表情は驚愕から嬉しそうなそれに変わる。
「智美ちゃん…元気になったのね」
頷く智美。再び窓の外へと視線を向ける。病院の花壇の傍に佇むスーツ姿の女性を認めると、不思議そうに首をかしげた。
「…智美ちゃんのお友達?」
看護師の問いに首を振る智美。
「ううん…でも、どこかで会ったような気がする、どこかで――」
去っていく女性の背中をしばらく眺めた後、智美は空を見上げた。
澄み渡った青い空。
智美の心にあった闇は消え去っていた、そして今はあの空と同じように――
****
ここ数か月足を遠ざけていた病院を牧は訪れた。
見慣れた受付のフロント、白い廊下、妻がここに入院してからもう6年になる。
「あら、おはようございます」
通り過ぎていく看護師が牧に挨拶した。笑顔を向けられたのは、無骨な牧が似合わない花を持っているからだろう。とても色鮮やかな花だ。廊下の突き当りにある個室の前に辿り着くと、牧は一呼吸置いてからドアを開けた。
「おはよう」
病室には明るい陽射しが差し込んでいた。ベッドで上体を起こし窓の外を眺めている女性を見つめ、牧の渋み切った表情が少しだけ緩んだ。
「…元気か」
無骨故優しい言葉をかけるのは困難らしい、だがそれでも精一杯の優しさを示し、牧は女性の元へと歩み寄る。反応が無いのはいつものことなのだろう、しばらく妻を見つめた後、牧はベッド脇の花瓶に花を生けた。静寂な時間、娘を失ってから得ることのできた僅かだが一息つけるひと時。
「あなた」
牧の手が止まる。静寂な時間が消えた。信じられない、という様な表情で牧は妻の方へ振りかえる。初老の女性が穏やかな顔でこちらを見ていた。
「お前――」
牧は感じた、今までとは違う何かを。夢の世界の住人となっていた妻は今、しっかりと夫を見つめていて。見開かれる牧の目。
「あの子に会ったわ」
優しく微笑む女性。
「あの子…今は幸せな国に住んでいるって笑ってた…だから安心してって」
「……」
揺らぐ瞳、震える手、牧はようやくの思いで妻の肩に触れた。
「…戻ってきてくれたのか」
こくりと妻は頷いて。
「苦労をかけてごめんなさいね」
牧は何も言わず妻を抱きしめた。
「いや、そんなことはない、俺の方こそ――」
言葉を詰まらせる牧。娘を見つけきれなかった後悔、やるせなさ、全ての悲しみが溢れてきて。
――娘さんは永遠に穏やかな世界で幸せに暮らしていると――
蒼い髪の女性の言葉を牧は思い出す。本当にそうだったのだ。娘は今幸せの中にいる。根拠はないが絶対の確信。妻を抱きしめながら、牧は窓の外を見上げた。
とても澄み切った青い空がそこにはあって。
「ありがとう」
牧はそう呟くと、妻の肩を優しく叩いた。
穏やかな光が夫婦を優しく照らして――