アンダーカバー(大人悪魔ほむら×大人さやかシリーズ) 作:さんかく@
愚者は審判を待っている
『四枚目は――0 「THE FOOL」』
『「愚者」って…「馬鹿」ってこと?』
『貴方にぴったりね』
『ちょっと!』
『落ち着きなさい…冗談よ、「愚者」はただ馬鹿っていう意味ではないの』
――ボロボロの服を着た男が小さな荷物を持ち崖に向かって歩いている(あるいは飛び降りようとしている)絵。輝ける太陽と、足元にはその先は危ないと警告している犬。それなのに、男は清々しい謎の笑みを浮かべ崖に向かっている。
『いや、危険に向かっている、やっぱ馬鹿じゃないのこれ』
――正に昔の自分。ほむらが何度時間を巻き戻しても同じことを繰り返す愚か者。
『違うわ、このカードには「自由」「型にはまらない」「束縛されない人生」の意味があるの。それと――』
『それと?』
『「大きな可能性」「人生における重要な岐路」を表すわ…元々このカードはかなり意味が深いのよ』
『…そうなの?』
『何も持たない故の聖性さや、それと、このまま崖から落ちるのか、それとも空を飛んで次のカードの「魔術師」に移行するのか、未知の可能性も表すわ…裏表のない貴方らしいカードよ』
『なんだか褒めすぎだけど…あんたがそう言うならいいわ』
『馬鹿ねぇ、私がこのカードを出したわけではないのよ?』
『フフ、まあね、だけど…これでいい』
――そう、これでいい
後は、これから私が崖にまっさかさまに落ちていくのか、それとも、私とこいつも知らない、まだ見ぬ世界へと移行するのか、それだけだ。
愚者は審判を待っている。
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その老人は、ひどく薄汚れた格好で見滝原の繁華街を徘徊していた。カーキ色の作業服に、くたびれた野球帽。手にはいつから持っていたのかピーナッツの入った袋。疲れ果てた瞳に伸びた白いひげはまるで仙人のようだ。
――力が欲しくないかい?
ある日、川原にいた猫に老人がピーナッツをあげた時、そう猫が喋ったのだ。白い、変わった風貌の猫だった。同じテントに住んでいた友人は信じなかったが、老人はその時信じたのだ、この猫が自分にそう語りかけているのだと。
――ああ、欲しいねぇ
どうせこの先ももう長くない。遠い昔に子を成し、人並みな生活を送っていたはずだが、すでに「背景」なんてものは捨ててきた。だとしたら最後に若々しい力を宿して胸を張ってその時を迎えてみたい。――そう老人は望んだのだ。
――そうかい?それじゃあ契約は成立だ
白い猫の瞳は血の色の様に真っ赤に光る。老人の目の前に無数の光が現れ、そうして彼は光りに包まれ消えた。――気がつけば老人はこの繁華街を彷徨い続けていた。空腹になるわけでもなく、疲労を感じるわけでもなく。不思議と意識は冴えわたり、力が漲っている。何かを探しているのだが、それがなんなのかわからないとでもいう様に、彼は街を何度も往復する。もし「白い猫」がこの老人を観察していたならば、微かだが意識を保つことのできた「レアケース」だと呟くのだろうが、今はその猫もいない。何かに引き寄せられるように、老人は再び繁華街の奥へ向かって歩き出した。
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――やはり気が滅いる。
グラスの中の黒い液体を見つめながら、美樹さやかは心で呟いた。
今日から配属された公安の任務とはいえ、自身が通報者であった事件現場に潜るというのは、精神的な負担が大きい。右腕をゆっくりとあげ、さやかはグラスをライトに当てる様に軽く持ち上げる。黒い液体に店内が映し出される。
――店内はおおよそ50㎡、カウンターとテーブル席、客は私以外に5人…
昼だというのに薄暗いのは、表向き「喫茶店」とされているこの時間帯でも場合によっては「営業」を行うためだろう。赤を基調とした店内はやけにけばけばしく、ノイズに近い洋楽が鳴り響いている。さやかは今度は視線を入り口に向けた。そこには暴力団員のケツ持ちはいない。ケツ持ちとは要は用心棒のことだが、暴力団は大抵風俗店にケツ持ちを置き、代わりに店からみかじめ料として金を要求する。1日数万円という金額を要求される場合もあり、支払いを断り暴行を受けた経営者をさやかは何人も見てきた。昼はなりを潜め、活動は夜からなのだろう。「あの頃」と比べ店自体の「価値」がだいぶ薄れたのか――
価値――
さやかの顔が曇る。暴力団員と思考が同一化していく己に対しての嫌悪感で。そうして、視線を店の入り口のすぐそばにあるドアに向ける。あのドアの向こうには階段があった。地下に続く階段が。さやかの脳裏に8年前地下で繰り広げられた光景が浮かび上がった。
『おい、お前誰だ、何してる?』
上半身裸で中途半端にズボンを付けた男が二人、さやかを誰何する。手には鋭利な刃物。だがさやかの目に二人の男は映っていなかった、捉えていたのは、その奥に倒れている少女。一糸まとわぬ姿でコンクリートの上にあおむけに倒れている少女、その白い肌にはうっすらとした無数の切創。虚ろな瞳。
マグマが熱くゆっくりと地表に現われて行く様に、さやかから生まれた怒りが血管をつたい全身を駆け巡る。まるで自分が別の生物に生まれ変わる様な、久しぶりの感覚。怒りの声をあげながらさやかは力を解放した。
カタン、とさやかはグラスをやや乱暴に置いて、深呼吸をする。右手がアルコール中毒者の様に震えていた。
――だめだ、抑えなければ
目を瞑り、さやかは全く別の事へ想いを馳せようとした。彼女なりの怒りのコントロールだ。『アンガーマネジメントは不要だ』と新しい上司に言われたが、それは嘘だと思った。思い出すだけでも怒りでどうにかなりそうなのだ。
――いや~、ほんと女は人間扱いしちゃダメっすね。犬かなんかだと思って躾ないとね
遠い昔、魔女と化した頃のことをさやかは思い出した。ふ、とその口元が自嘲気味に歪む。別の事へ想いを馳せようとして行きつく先が同じ「怒り」の記憶だったからだ。
――何かのカルマだろうか、これは?
以前から薄々感じていたことだが、この身に宿っている「憎しみ」や「怒り」の負の感情は、常軌を逸していると美樹さやかは考えていた。まるで獣の様だと。かつて仲間だった魔法少女達も、そして現在も行動を共にしている美しい悪魔もこの様に破滅的なほど強い負の感情は持ち合わせていないはずだ。目を細め、さやかは黒い液体を覗き込む。店内のBGMが脳内で反響する。どこかで女の嬌声がした。
――もしかしたら、私の行きつく先は、「彼ら」と同じかもしれない。
憎悪に満ちた表情を浮かべる暴力団員、魔獣に憑依された男の顔を思い出し、さやかは目を瞑る。遠い過去、魔女と化す前に体験した、憎悪に溢れ、闇に落ちた記憶が蘇る。他の魔法少女の誰よりも、人間社会の闇の部分を一足早く見てきたのは、美樹さやかだ。もしかしたら自分のもつカルマの結果かもしれない、とさやかは考えていた。魔女化したのも、そして今成長して警察官となったことも。何か――地球外生命体が生み出したシステムに巻き込まれる以前、それ以前のさやか自身が持つ運命…。
「ちょっとあんた、何アタシを無視してんのさ」
背中に軽い衝撃、そして耳元で甘ったれたような甲高い声が聞え、さやかは思わず目を見開き、振り向いた。