あれからというものの、俺とティオナの関係は大きく変わることはなかった。ダンジョン探索をして、たまに一緒に出かけて、ティオナにせがまれて買い物につき合わされたりして……今まで通りの日常を過ごしていた。
勿論ティオナとの関係も変わらないままで、俺は兄のように、彼女は妹のように、お互いに接し続けていた。それが今の俺たちの関係で、それ以上でもそれ以下でもないのだ。
しかし、俺はどこか違和感を感じていた。あの日から、ずっと心に引っかかっているものがあるのだ。それがなんなのか自分でもわからないが、ただ漠然とした不安感だけが心の中に居座っていて、落ち着かない気分になる。
そのせいか、ティオナと顔を合わせる度に、妙な既視感を覚えるようになっていた。最近も似たようなことがあった気がするのだが、どうにも思い出せない。何処かピースが欠けたパズルのように、気持ちの悪い感覚が胸につっかえているような、そんな感じだった。
「ケイ、どうかした?」
隣に座っているアイズに声をかけられ、思考の海から現実に引き戻される。そうだ、今は【ロキ・ファミリア】の遠征前日ということで、幹部数名が集まって会議を行っていたのだった。明日の予定について話していたはずだが、途中から完全に上の空になっていたようだ。
「いや、なんでもない」
「そう? ならいいけど」
そう言ってアイズは視線を手元の資料に戻し、俺もそれに倣って資料に目を通した。室内にはピリピリとした空気が流れており、皆真剣な表情を浮かべている。それも当然だろう。明日、目指す場所は未到達階層であり、これまで以上に危険な場所なのだ。
いくら都市最強と名高い【ロキ・ファミリア】と言えど決して油断はできない。レベル4は愚か、レベル5、6の幹部クラスでさえ命を落とす可能性だって十二分ある。それだけ危険度が高いということだ。この場にいる誰もがそのことを理解しているのか、自然と口数も少なくなるのも必然と言えるだろう。
「……よし、これで大体は話し終えたかな。他に何かあるかい?」
フィンの言葉を皮切りに、会議室内に静寂が訪れる。全員が首を横に振ったことを確認したフィンは満足げに微笑むと席を立った。
「無いみたいだし、今日はこれで解散しよう。みんな明日に備えてゆっくり休んでくれ」
その言葉と共に、張り詰めていた空気が弛緩していくのを感じる。椅子を引いて立ち上がる者、伸びをする者など様々だったが、各々明日に備えて部屋に戻っていった。俺も席を立ち上がろうとしたところで、背後から名前を呼ばれる。
「少し話があるんだけど、時間もらえる?」
振り返るとそこにはティオネの姿があり、真剣な眼差しを向けてくる。このタイミングでの誘いと言うことは恐らくティオナのことだろうと察しがつく。流石に姉として妹の様子がおかしいことに薄々勘づいているのかもしれない。俺としても、ティオネには一度話をしたいと思ってたところだった為都合が良い。
「ああ、構わない」
俺の言葉を聞いたティオネは小さく息をつくと、ついて来いと言わんばかりに踵を返して歩き出した。その後ろ姿を追いかけるように俺も足を踏み出す。
「アンタの部屋で良いわよね?」
こちらを振り返りもせずにティオネが尋ねてくる。異論はなかった俺は「問題ない」とだけ返した。ティオネは何も喋らないまま、俺の部屋に向かって歩みを進める。その背中からは、普段とは違う雰囲気を感じ取れた。
やがて、自室の前まで辿り着いた俺はティオネを招き入れる。ティオネは勝手知ったるとでもいうように、ずかずかと中に入るとソファへと腰掛けた。俺もその向かい側に座りながら尋ねる。
「それで、話っていうのは何なんだ?」
「愚問ね」
ティオネは腕を組みながら短く吐き捨てると、射抜くような鋭い眼差しを向け、睨め付けるかのようにじっと見据えてきた。思わず気圧されそうになるが、俺はそれを悟らせないように真っ直ぐ見返す。数秒の間、お互いの目線が交差した後、ティオネが小さく嘆息した。
「単刀直入に聞くけど、ティオナと何かあった?」
やはりというべきか、姉であるティオネから見ても最近のティオナはどこかおかしく見えたらしい。しかし、具体的に何があったのか聞かれても答えられないのが現状だ。俺自身、何が原因なのか分からないのだが、それでも何かしらの変化があったことだけは確かだった。
「……まあ、何もなかったと言えば嘘になる」
自分でもまだ整理できていない為、曖昧な言い方になってしまったのは許して欲しい。しかし、俺の返事を聞いてティオネは何かを悟ったのか、「やっぱり」と呟くと大きくため息をついた。そして、呆れた表情を浮かべる。
「どうせまた喧嘩したとかそういうことなんでしょうけど、今回は何をしたのよ?」
「別に喧嘩をしたわけじゃないんだが……」
「じゃあ、一体どういう経緯でああなったのよ」
彼女特有の剣幕に押されて、俺は事の経緯を説明した。最初は不満そうな表情を浮かべて聞いていたティオネだったが、次第に表情が険しくなっていく。話を聞き終えたティオネは額に手を当てて、再度大きな溜息を漏らす。
「はぁ……。つまり気づいていたのにも関わらず放置していたって訳ね」
「……」
ぐうの音も出ないとはこの事を言うのだろう。確かにティオナの不調に気がついていたにもかかわらず、俺がしたことといえば、いつも通りに振る舞っていただけだ。これではティオナも不満に思うのは当然だと言える。
「明日から遠征なのにあんな状態だと困るんだけど?」
「フォローはする。約束するさ」
「……ふぅん」
ティオネがジト目を向ける。疑っているのか、それとも信用されていないのか。どちらにせよ、ティオナのことを本気で心配しているというのは伝わった。だからこそ、俺も真剣に向き合わなければならないだろう。
「……分かった。これ以上は何も言わないし、後はケイの裁量に任せるわ」
「心配かけてすまない」
「本当よ。全く」
ティオネは疲れたように肩を落とすと、背もたれに身を預けた。
「ティオナがあんたのことを兄のように慕っているのはよく知ってるわ。私にとっても大事な妹だし、そんなあの子が元気がないのを見るのはとても辛いの」
「ああ」
「……ティオナの事頼んだわよ」
「勿論だ」
俺の言葉を聞いたティオネは小さく笑みを浮かべると、そのまま立ち上がる。
「そろそろ戻るわ。明日も早いしね」
「ああ、そうだな。お休み」
「えぇ、お休みなさい」
そう言ってティオネは部屋を出て行き、一人になった部屋の中で俺は天井を見上げる。ティオネと話したことで幾分か気分は楽になったが、根本的な解決には至っていない。これからどうしたものかと考えを巡らせるも、一向に名案は浮かんでこない。俺は諦めるように思考を放棄し、明日に備えて寝ることにした。
阿鼻叫喚、地獄絵図。今、目の前に広がる光景を一言で表すならこの言葉が相応しいだろう。最早何階層にいるのかさえ分からなくなるほど、俺達はモンスターによる猛攻を受けていた。右を見ても左を向いても怪物、怪物、怪物。視界に映るもの全てが敵と言っても過言ではない状況だった。
既に俺達は満身創痍の状態で、いつ全滅してもおかしくないような状態だった。それでも俺達が生き残っているのは、ひとえにフィンの指揮とリヴェリアを筆頭にした魔法職の支援のおかげだろう。
しかし、それももう限界に近い。前衛で戦う者達の顔にも疲労の色が濃く出ており、体力的にも精神的にも追い詰められている。このままではいずれ力尽きてしまうのは目に見えていた。
「皆! あと少しだ!! もう少し耐えてくれ!!」
声を張り上げながら、必死の形相で指揮をとるフィンだが、その顔色は決して良いとは言えない。恐らく本人も相当無理をしているのだろう。それでも彼は弱音を吐かず、仲間を鼓舞し続けた。その姿はまさしく【勇者】と呼ぶに相応しい姿であった。
その姿を見た団員は、自分も負けていられないと奮起し、懸命に立ち向かう。この場において誰よりも強く在り続けているのは間違いなく団長であるフィン・ディムナ、その人だった。この人がいる限り大丈夫だ、必ず勝てる、そう思わせるだけのカリスマ性を持ち合わせていた。
しかし、いくら士気が高まったところで現実は残酷なもので、状況は好転しないどころか悪化の一途を辿っていた。何とか戦線を維持してはいるが、もはや長くは持たないことは全員が理解していた。
「クソッ! 次から次に湧いてきやがって!」
悪態をつくベートの言う通り、この階層に入ってからかなりの時間が経つが、未だに終わりが見えない。いや、正確には終わりはあるのかもしれないが、それを認識できないのだ。まるで永遠に続くかのような錯覚に陥る。
「はぁ……はぁ……」
荒くなった呼吸を整えようと深呼吸をする。しかし、それで収まるどころか、逆に息苦しくなってきた。全身が酸素を求めているのか、心臓が激しく脈打っている。
視界が霞む。足が震える。頭が割れるように痛い。それでも倒れるわけにはいかない。倒れてしまったら、そこで全て終わってしまう。
意識が途切れそうになるのを、唇を強く噛んで何とか堪える。鉄の味が口の中に広がっていくが、それでも噛み続けた。痛みによって辛うじて繋ぎ止められた意識を総動員して、剣を握る手に力を込める。
―――その時だった。
「ガッ!?」
「ティオナっ!!」
均衡が崩れた。それはほんの一瞬の出来事で、誰もが予想していなかったことだろう。今までなんとか保たれていた戦線が、たった一人の少女が壁に叩きつけられたことによって崩壊した。そして、そこから先はまさに雪崩のような勢いだった。次々と押し寄せてくるモンスターの波に飲み込まれ、瞬く間に陣形は崩壊していく。
ティオナは地面に伏したまま、ピクリとも動かなくなり、そこに好機とばかりに飛び掛かって行くモンスター達。俺は無意識の内に駆け出そうとするが、それを阻むようにモンスターが群がってくる。その間にもティオナへと迫る凶牙。
「邪魔だァアアッ!!!」
怒号と共に俺は地面を蹴った。斬って、斬って、斬りまくって、俺は前へ突き進む。肉が裂けようが、血反吐を吐こうが、骨が砕けようが、関係ない。ただひたすらに、ティオナを助けるために斬り続けるが、一向に減る気配がない。
それどころか徐々に数が増えていく始末だ。一体どれだけいるのか知る由もないが、これだけの数を相手にしていてはキリが無い。どうすればいい、考えろ。考えることを止めればその時点で死ぬ。思考を止めるな。脳味噌が焼き切れそうなほど回転させ続けろ。
『……ティオナの事頼んだわよ』
不意にティオネの言葉が脳裏に蘇る。彼女は俺に任せると、ティオナのことを頼むと言った。ならば、ここで諦める訳にはいかない。だから邪魔をするな。俺の前に立ちはだかるな。
「手を出すんじゃねぇええ!!!」
裂帛の気合いを込めて叫ぶと同時に、モンスターの群れ突っ込む。一心不乱に、無我夢中で、目の前の敵を屠っていく。一体、また一体と倒していく度に、徐々に視界がクリアになってくると同時に、頭の中のモヤが晴れていくような感覚を覚える。
まるで世界から音が消えてなくなったかのように静寂に包まれ、その瞬間、俺の世界は広がった。目の前にいるモンスターの動きがはっきりと見える。相手の攻撃の軌道が分かる。体が羽のように軽くなり、自分の体ではないような、不思議な感覚に陥った。
それから先のことは、正直よく覚えていない。気づいた時には全てのモンスターが灰と化し、俺の周りには大量の魔石だけが転がっていた。
「…終わ……り?」
呆然と呟いた直後、膝から崩れ落ち、それと同時に体に激痛が走り抜けた。どうやら限界まで酷使した体は、もう動くことすら許さないらしい。そんな状態でも何とか視線を動かすと、そこには壁にもたれ掛かるようにして座っているティオナの姿があった。良かった、無事だったようだ。
「ティオナッ!!」
「……ケ……イ?」
俺の声に反応してティオナが顔を上げる。しかし、そこにはいつもの快活とした笑顔はなく、苦痛と恐怖で歪んだ表情をしていた。その体は傷だらけで、服は破れ、肌が見え隠れしている。そのあまりの痛々しさに俺は思わず目を背けたくなる。
しかし、今はそんなことを気にかけている場合ではない。激痛が走る体に鞭を打ちつつ、ティオナの元へと向かう。そして彼女の体を優しく抱き上げる。
「待ってろ、今リヴェリア達の所まで連れて行く。もう少し踏ん張ってくれ」
「ん……」
ティオナは小さく返事をすると、体を預けてきた。俺はそれを確認すると、全速力で走る。何度も痛みで意識が飛びそうになるが、その度に唇を噛んで耐える。少しでも速度が落ちれば、それだけティオナの生存率が低くなる。
そうして走っていると、前方にリヴェリア達の姿を見つけた。俺はティオナを抱き抱えたまま、勢い良く地面を蹴る。そのまま一気に距離を詰め、彼女達の元へ辿り着いた。
「リヴェリア、治療を頼む」
「ああ」
リヴェリアは短く答えると、すぐさま魔法を発動させる。淡い光が俺とティオナの体に降り注ぐと、瞬く間に傷が癒えていった。これでとりあえずは大丈夫だろう。
そう思って安心した瞬間、激痛と疲れが押し寄せて来たが、休んでいる暇はない。フィン達が食い止めてくれている間に少しでも早く加勢しなければ。
「リヴェリア、悪いけど俺は行く。後は任せたぞ」
「おい、ケイ!」
リヴェリアの制止を振り切り、再び駆け出す。友を、仲間を、恋人を、家族を守るために、雷鳴の如く疾走する。そして速く、何よりも速く、俺は戦場を駆け抜けた―――
「……ケイ」
彼は今も戦っている。大切なものを守るため、自分の命を賭けて、剣を振るい続けている。その姿はとても勇敢で美しく、とても眩しかった。だが同時に、恐ろしくもあった。このままではいずれ彼が壊れてしまうのではないかと思ってしまうほどに。
それほどまでに今の彼からは鬼気迫るものがあったが、このままではいずれ押し切られてしまうかもしれない。それが分かっていても、今の自分には何も出来ない。自分の非力さが嫌になる。何も守れない自分が憎い。
だが、それでも諦めたくはなかった。だから、せめて祈る。彼を信じ、彼と共に戦う皆の勝利を。どうか無事に戻ってきますようにと。
そうだ、無事に帰ってきたら、彼に抱きついてたくさん甘えてやろう。きっと面倒くさそうにしながらも、優しく頭を撫でてくれるはずだ。それを想像してみると、自然と笑みが溢れる。
そしてケイに伝えたい。あの時はっきりと言えなかった言葉を。ずっと前から抱いていたこの想いを……
「ねぇ……リヴェリア?」
「ん?」
「皆、生きて帰って来れるよね?」
私の問いに、リヴェリアは少し驚いたような顔をしたが、すぐに真剣な表情になり、真っ直ぐに私を見つめる。
「……ああ、勿論だ。あいつらはこんな所で死ぬほど弱くない。必ず戻ってくるさ」
リヴェリアはそう言って私の頭の上に手を置く。彼女の手はとても温かく、とても優しかった。それは、まるで母親の手のようだった。
「うん……そうだね」
私は小さく微笑むと、次に目覚めた時にケイが隣にいることを願って、静かに目を閉じた。
2話連続エロなしってマジ?
次回はガッツリエロがありますのでご心配なく。