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――寒蝉鳴
8月中旬――
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真っ白な入道雲が沸き立つ烈々とした空。
二十四節気で言うならば処暑近づく今日この頃。
舞白は一日と次の一日との間の相違が日毎に希薄になっていくような毎日を送っていた。
「…………」
リビングのソファに寝転び、分厚い本を抱きしめながら天井を見上げる。ぼんやりとした瞳はまるで人形のように動くことなく、瞬きもすること無ければ呼吸することも忘れてしまいそうな程だ。
「((暇だなあ……つまんない。))」
毎日決まった時間に起きて、決まった時間に朝食を食べ――決まった時間に眠る日々。
週に2回の空手の稽古。夏休みの課題は遠の昔にやり終えた。シビュラシステムの職能適性のために毎日勉学に励む。このままいけば兄と同じく全国トップの700ポイント越えも余裕だろう。兄の喜ぶ顔が目に浮かぶ――
だけど……窮屈で退屈だ。
「…………」
ふとソファから起き上がると傍らのローテーブルに置いていたデバイスに手を伸ばす。
「((美佳ちゃんとは1週間前に出掛けたっきり……連絡はとってるけど美佳ちゃんも忙しいんだろうな。))」
もともと友人関係も希薄な舞白にとって夏休みのような長期休暇は地獄のような日々だ。というよりも、なかなか兄の目もあり自由がないというのか正直なところだ。
以前、兄に内緒で縢と家を飛び出してからというもの。舞白自身も外に出ることに引き目を感じていた。さすがに同性の霜月相手に無いとは思うが何しろあの"兄"だ。万が一、自分が兄の気に触れて霜月が嫌な思いをしたら――――考えすぎかもしれないがそれが恐ろしかった。
それに
"自分が従順であれば"何も起こらない。
……そう。自分が我慢をすればいい。
きっと兄も様々なことで悩みを抱えているのだ。
だからあんな事――
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"お前は永遠に、兄貴の都合のいい人形になるつもりなワケ?"
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「……ッ!」
何故か急に縢に言われた言葉が脳裏で再生された。彼のあっけらかんとした声色がまるで警告するように流れる。
「ひゃっ!!!」
そして連鎖するように今度はデバイスが着信を知らせる通知音を鳴らす。驚きのあまりデバイスを手元から落とすと画面に映し出された相手の名前に舞白は心音を高鳴らせた。
「……しゅ……秀星……」
通話の相手は縢だった。
実は夏休みに入ってから1度も連絡は取り合っておらず、何となく気まずい空気を感じていた。この前霜月に会った時も"アイツ、連絡しても一切返答なくて本当にムカつく――"なんて零していたのだが……
「…………」
舞白はゴクリと息を飲み応答ボタンをタップした。
『うぃーーす。久しぶり〜』
気が抜けるような呑気な声。そんな相手に反射的に舞白の表情が柔らかく解れていく。
「久しぶり秀星。連絡ないから心配してた。」
『つーかお前、俺に連絡なんてしてねーじゃん。』
「……うん、ごめんね。」
『…そんな通夜みたいな暗い声すんなよ。それに、お前が俺に連絡してこねぇのは想定の範囲内だっての。』
「……うん。」
『はあぁぁぁあああああ……』
声の調子に力を感じない。
どこか自分に対して本音をはっきりと言えないような沈んだ相手の声色に縢は深いため息を吐くと直ぐに空気を切り替え、話しを転換させた。
『――あのさー、明日の夜暇?』
「え?あ、……明日?」
『そ、明日の夜。……てかお前、このワード言ってピンとこねぇなんてマジで夏休み何してるワケ?』
「どういうこと?……明日の夜……?」
リビングの一角に置かれた卓上カレンダーに視線を向ける。しかし明日は何も無い。祝日でも、何も――
『"八王子の花火大会"。ニュースでも話題になってんだろうよ?雨天、雨天で開催日が延期になりまくって明日決行になったヤツ。』
「花火大会……」
『その様子だとお前何もしてねぇだろ?夏休み。』
「そんなことないよ!……美佳ちゃんとこの前カフェに行ったし。お兄ちゃんとも――」
『かーーーっ!つまんねぇ!何が夏休みだぁ?』
「べっ、別につまんなくなんて――」
縢の言葉は図星だった。
実際、つい先程まで"暇だ、つまらない"なんて考えていたのだから。
『で?明日の夜空いてんのって聞いてんだけど。』
「……何も無いけど……けど……」
『"兄貴の目があるから無理"だろ?』
「…そんな言い方……。ていうか、分かってるなら聞かないでよ。」
ズキっと胸が痛む。分かっているならハナから誘ってなんて欲しくない。舞白は心の底からそう思った。
しかしその次に放たれる彼の台詞に、舞白の表情が少しずつ変化していく。
『俺さーちょっと色々あって。この数日間。』
「…………」
『こんな呑気な感じでもよ?俺ココロがズタボロでさー??』
「…………」
『って……少しは相槌打つなり気遣えよ……冷てー』
「……もう、分かったよ。……それで……?」
沈黙が流れる数秒間。
相槌を打てなどと文句を言った癖に聞き返したところで何も応答がない。聞こえるのは僅かな外の環境音。人々のざわめきや、車の音がひとつに入り混じって、都会特有の開放的な音のみがデバイスから漏れていた。
舞白も以降言葉を発さない。
相手の言葉を待ち続ける。
『――無性に会いたいんだわ。舞白に。』
いつものひょうきんな声ではなかった。
心の奥底から、彼の体の奥底から出てきたような芯のある声に舞白の心臓が妙に脈打つ。
『……2人っきりじゃなくていい。ほんの一瞬でもいいからさ。お前の顔だけでも見せてよ?』
「秀星?」
『霜月にも連絡しとくから。アイツ、なんか忙しいとかどーとか言ってたけど何だかんだ俺の事好きだからお願いしたら来てくれるっしょ?』
「ねえ……何があって……」
『無理強いはしねえ。ただの俺のワガママだ。……マジで"ごめん"。』
らしくない彼の言葉。弱々しい声がやけに耳に残る。街の騒がしい音と対象的な彼の沈んだ音に何故か不安が込み上げる。
いつもの縢ではない。明らかに違う――
『んじゃ。そんだけ。』
「ちょ……秀星!まっ……」
一方的に切られる通話。
そんなことはいつもの事なのだが、全てが投げやりにも感じてしまう彼の言動に胸がさわぐ。
「秀星――」
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「――花火大会?」
その日の夜。
仕事を終え、帰宅した狡噛との食事中。舞白は明日行われる花火大会に行きたいという旨を口にした。
「うん。八王子の花火大会。」
「あんな人ごみに行って何が良い?あの付近はエリアストレスも上昇傾向だ。それに都心からも離れてる、俺も明日の夜は勤務で何かあっても直ぐに迎えには行けない。」
「……そっか……、そうだよね……」
手に持っていた箸の動きを止め、微かに視線を下に移す。やはり兄を目の前にして否定的な言葉に肯定意見を述べることが出来ない。それは恐怖からなのか、忠誠心なのか、反射的に自分自身の体が逆らうような事をするなと警告を出しているのか。理由は分からない。
「……ッ……」
無意識に唇を噛み締める。
脳裏に浮かぶのは昼間の縢の声だった。
耳から離れない感傷的な声。泣き出しそうに切実な声。遠い星の瞬きのような、寂しげに震える声――
まるで助けて欲しいと言われているような雰囲気だった。
「((……秀星は…私を連れ出してくれた。結果はどうあれ、私に意志を持てって……言ってくれた。))」
あの日の夜、浜辺で話した内容を思い出す。そしてあの呑気なヘラヘラとした笑顔で微笑みかけてくれたこと。忘れられなかった。
「……でも、私行きたい。」
「…ん?」
「絶対にお兄ちゃんには迷惑かけないし、遅くなりすぎないようにちゃんと帰る。こまめに連絡も入れる。」
「…………」
「それにね?美佳ちゃんも一緒だから大丈夫。美佳ちゃんのお父さんが送迎してくれるって言ってくれてて――」
刹那、狡噛の箸を持つ手が止まった。その光景を目の前に僅かに肩を揺らす舞白。そこに和やかな雰囲気はなく、緊張感が漂う。
恐る恐る視線を上げる舞白。兄と目が合ったその時、意外な反応を見せる相手に舞白はパッと呆気に取られた顔をした。
「それなら安心だな。霜月さんの親御さんには俺からも連絡しておく。」
「えっ……いいの?」
「"いいの?"って……別に行くなとは言ってないだろうが。」
「でも…夜だし……エリアストレスもどーのって……ダメかなって……」
意外すぎる。別に怒ってもいなければ怪しまれている様子もない。
「この休みの間、お前はやる事はやってるし前の模擬試験も高ポイントだった。」
「……うん。」
「前、お前は確かに俺との約束を破ったが……"2度も同じ過ちを犯すような馬鹿じゃない"。」
「…はい。」
舞白はこくりと頷き、真剣に前を見据える。
すると朗らかな目をしていた狡噛の顔が一瞬で鋭い目付きへと変化した。
「――お前は俺を裏切らない。……"裏切れない"。」
腹の底から湧き出たような、ゾッとするような低い声。
まるで烙印を押されるような感覚に陥る。
「他に誰も来ないのか?」
「他に……って?」
「"縢秀星"。アイツは?」
「……そもそも連絡もとってないし……美佳ちゃんから聞いた話だと何か忙しいとかで音信不通みたいだよ。」
「デバイス」
「へ?」
「デバイス、貸してみろ。」
「……う、うん。」
大きな手がこちらへ伸びる。
舞白は言われるがままポケットからデバイスを取り出すと抵抗来ることなく狡噛へと手渡す。
「…………」
「…………」
無言でデバイスを操作する狡噛。
その圧が、見えない矢のように体のそここに突き刺さる。胃がキリキリと無意識に痛むと必死に顔に出ないようにと取り繕う。
「……本当に連絡は無いみたいだな。」
「お兄ちゃんとの約束だから…。"彼"とは連絡を取らないって。」
「……」
デバイスを返されるとほっと胸を撫で下ろす。狡噛は着信の履歴やメッセージのやり取りを確認したのだろう。そして、まるで縢とは一線を引いたと感じさせる呼び方にどこか満足気な様子だった。
「((……よかった。念の為履歴を消しておいて……))」
耳が心臓になったと錯覚するほどに激しく心拍音が脳内に響く。
「((やっぱり秀星の事は話せない。……秀星も花火大会に行くって知ったら……どうなるか……))」
手に持っていたデバイスを再びポケットへと戻す。動揺が表に出ないように何とか表情と声色を保ち、優しい表情へと戻った狡噛に視線を戻した。
「お前は賢い。」
「……っ」
「な、舞白――」
大きな掌が舞白の頬を優しく撫でる。
咄嗟に瞼を閉じ、体を敏感に反応させた。
「舞白。……舞白――」
「ッ……おに……」
食事を摂る手を完全に止め、狡噛は椅子から立ち上がると舞白に詰め寄った。まるで逃げ場を失った子兎が獰猛な狼に追い詰められるように――
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唯一の"ほんとうの愛"などない。ただ、さまざまな愛があるだけである。醜悪な愛、欺瞞的な愛、暴力的な愛、功利的な愛、愚かな愛、肉欲に支配された愛、相手に奴隷のように仕える愛……これらもみな風貌の異なった正真正銘の愛なのだ。
哲学者 中島義道
――"ひとを愛することができない"
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