龍見が目を覚ますと、そこには雲一つない青空が広がっていた。少なくとも自分の部屋ではないのは分かった。周囲を見回すと多少岩山がある程度の荒野が広がっている。日本にこんな場所があったかと首をかしげていると、遠くから何かが砂煙を上げて走ってくるのが見えた。
「あれは…………馬か。日本らしくはねぇよなぁ。こっちに来るし、勘弁してくれよ」
「そこのあんたー! 逃げなさーい!!」
「逃げろって、向かってくるのはそっちだろ。ってか子供じゃないか」
いくつかは分からないが、眼鏡を掛けた緑髪の少女と頭からローブを被った少女が一頭の馬に乗って走る姿は世界を巡ってもお目にかかれるものではないだろう。よくよく見るとその後ろから更に馬に乗った武装した人々のが見える。どうやら何者かに追われていたようだ。
特に付き合う必要もないと判断した龍見はさっさとその場を去ろうとしたが、少女達の乗った馬が龍見の前で止まった。
「ちょっとこの阿呆! 何止まってるのよ!」
「あー、昔から動物に好かれる体質だったが、こんなところでデメリットになるなんて」
「詠(えい)ちゃん、もう来ちゃうよ」
「そこのお前! ボク達の邪魔をしたんだから何とかしなさい!!」
「んな理不尽な」
「やっと追い付いたぜ、董卓さんよ」
追ってきた男の言葉に龍見は目を丸くした。董卓といえば三国志に出てくる有名な登場人物の名だ。そして董卓は少なくともこんな子供ではないし、ましてや少女などではない。
「あんた人違いしてるぜ」
「なんだお前は。邪魔しないでもらおうか」
「いや邪魔とかじゃなくて」
「者共やれ! 董卓は傷付けるな! 他は殺せ!!」
『オォォォォッ!!!』
「マジか。どうしてこんな事に……」
完全に巻き込まれる形となってしまった龍見は頭を抱えながらも呪文を唱え始めた。この少女達がどうなろうと知った事ではないが、少なくとも自分の命は惜しい。そのついでに守ってやろうという考えらしい。あくまで自分優先なのだ。
「死ねぇ!」
「やだよ。ミラージュミスト」
一人の兵士が剣を龍見の脳天目掛けて振り下ろしたが、剣は龍見の体をすり抜けた。否、すり抜けたのは龍見の姿の幻影であった。いつの間にか周囲は深い霧に包まれ、そこには何人もの龍見の幻影が闊歩していた。
「な、なんだこれは!?」
「妖術だ! あいつ妖術使いだったんだ!」
「西洋魔術だ。間違えるな。さあ何とかしてやったぞ少女達。さっさと逃げよう」
「逃がすな! 追え!!」
「し、しかしどこに居るか分かりません」
「くっ、このような誤算が起こるとは」
霧の中で追手達が騒いでいるうちに、龍見は少女達を担いで馬に乗って逃げていた。
「どこ触ってるのよ! 離しなさい!」
「ミラージュミストの効果時間は短い。逃げたいならつべこべ言わずに大人しくしてろ。こっちの少女は大人しいぞ。それでどっちに行けばいい?」
「ぐぬぬ、真っ直ぐよ」
「OK。頼むぞ馬」
「ブルルッ」
ーーーーーーーーーーーー
なんとか街らしき場所に到着した龍見は少女達を下ろし、初めての乗馬で痛めた尻を魔術で治癒していた。
「もう…………馬には乗らねぇ」
「あの、ありがとうございます。貴方のお陰で助かりました」
「こいつが居なかったら逃げ切れてたかもしれないけどね」
「詠ちゃん!」
「ま、正論だわな。それでさっき董卓とか言われてたけど、あれ何?」
「董卓は私ですよ?」
ローブの少女がそう言ってローブを取る。薄紫で肩まであるウェーブした髪、白い肌、大人しく上品な顔立ち。術のために様々な文献を読まされてきた龍見だが、こんな董卓の情報は一切なかった。
「詠ちゃんも自己紹介とお礼言おう。ね?」
「…………ボクは賈詡。字は文和。一応礼は言っておくよ」
「賈詡ぅ? お前が? ジョークも大概にしろよ」
「じょーく? 訳の分からない事を言わないで」
「訳分からないのはこっちのセリフだ」
「ねぇ詠ちゃん、もしかしたらこの人、天の御使い様かも」
「月(ゆえ)、それ本気で言ってる? 第一御使いはもう曹操のところに出現したって」
「御使い様は一人とは占い師さんは言わなかったよね。それにさっきの術や今の分からない言葉は天のものなんじゃないかな?」
「確かにそう考えると辻褄が合うけど…………」
突然こそこそ話を始めた二人を龍見はのんびりと眺めていた。よく分からない単語が飛び交っているが、どうやら龍見がこの世界の住民ではないのではないかという話をしているようだ。
「あの、お名前を伺ってもいいですか?」
「馬淵龍見だ」
「どこからが姓で、どこからが名で、どこからが字ですか?」
「姓は馬淵で名が龍見だ。字はねぇよ」
「…………もし機嫌を損ねてしまったら申し訳ないんですが、真名(まな)はありますか?」
「何それ。あっ、もしかしてさっきから君達が呼び合ってたやつ? あれニックネームじゃねぇの?」
「やっぱり! 御使い様には真名は無いって本当だったんだよ詠ちゃん! 服も変だし」
「嘘、真名が無いなんて…………」
「よく分からんな。しかしスーツが変か…………」
彼女達が互いに呼び合っていた詠や月という名は相当重要なものなのが二人の反応から窺える。そして龍見がとんでもないものにされそうな事も簡単に分かった。
「すまん、一から説明してくれ」
「えっ、御使い様は全てご理解しているんじゃ」
「ほら月、やっぱり違うんだよ」
「でもあの術は凄かったよね。もし手を貸してもらえたらこの先きっと楽になるよ」
「うーん、それは否定しないけど」
「なんだ、オレに協力してほしいのか。オレとしては早く元の場所に帰りたいんだが」
「元の場所って天の国ですか?」
「東京都だ。OK?」
「どこよそれ。っていうかおーけーって何?」
董卓や賈詡という名、日本の首都を聞いた事もなく、誰でも知っているような簡単な英語すら知らない。先程の兵士達も時代錯誤な鎧や武器を使っていた。龍見の中で、あまり考えたくなかった予想が確信になろうとしていた。
「ただの転移じゃない。時代すらも超越したのか? これじゃ帰るのすら…………いや帰らなくても」
帰ればあの課長のパワハラが待っている。いっその事この世界で暫く過ごすのもいいかもしれないと龍見は考えていた。そんな彼に董卓と名乗った少女が再び話し掛ける。
「馬淵さん、私達と戦って下さい」
「ちょっ、月!?」
「やっぱり協力してほしいのか。でもさっきも言ったけど説明してくれ。まずはそれからだ」
「分かりました」
董卓の説明はこうだ。少し前、どこかである占い師が天より御使いが現れ、乱世を鎮めると預言した。その数日後に曹操の元へ天の御使いらしき男が現れ、更に龍見も現れたのだ。董卓は乱世を終わらせ、平和な世が作りたい。そのために龍見の力を借りたいというわけだ。
「オレが天の御使いと決まった訳じゃねぇぞ」
「でも私達の知らない服や言葉を知っていますし、きっと天から来たんだと思います。ね、詠ちゃん」
「ボクに振らないでよ。でも偶像としては役立つんじゃないかな。あの妖術だって十分使える」
「さっきまで否定的な態度だったのにどうした?」
「こうなった月は止められないの。だったら出来る限り有効活用するしかないじゃない」
「なるほど、苦労してるな」
「それで、どうでしょう?」
「いいぞ」
「随分と決めるの早いじゃない」
「まあな」
この先情報も拠点もなく、元の場所に戻るのは難しいと判断した龍見は彼女達と行動を共にする事にしたようだ。
「ありがとうございます! 」
「よろしく頼むぞ董卓」
「これからはお仲間ですから月って呼んで下さい」
「月! 真名まで呼ばせる必要はないよ!」
「えっ、でも」
「真名はそんな重要なのか?」
「真名ってのは親しい相手にしか呼ばせない名よ。だからあんたが月の真名を呼ぶなんてあっちゃ駄目なのよ」
「私はいいよ? それに馬淵さんに真名が無いって事は、さっき教えてもらった名前が真名みたいなものだよね。だったら私達が真名を名乗らないのは不公平じゃないかな?」
「な、なんだか今日の月は強気ね。分かったわよ。ボクの真名は詠。あんまり気安く呼ばないでよね」
「あいよ。まあそんな大層なもん教えられて何もないってのもなんだし、オレも龍見って名前で呼んでくれ。どっちかってとこっちが真名に近いしな」
「分かりました龍見さん! じゃあまだ紹介したい仲間が居ますから来て下さい!」
「とと、引っ張るなよ」
これから待ち受けているものがどのようになるのか。課長の相手をして父親の荷物を受け取り続けるよりは楽だろう。そう楽観視している龍見であった。
ミラージュミスト
幻覚を見せる霧を作る魔法。効果時間は約10分。範囲は半径50mほど。