時刻は昼過ぎ。太陽はすっかり真上まで昇っている のだが、龍見は全く部屋から出てこない。昨日のように部屋に閉じ籠って作業しているのかと思えば中からは寝息が聞こえてくる。だが寝ているにしてはあまりに長すぎた。
「おとーさーん! お昼だよー!!」
扉は完全に施錠されており、開けようにも何か術を掛けてあるようでピクリともしない。今璃々がやっているように扉を叩いても何の反応もない。更に時間は過ぎていき、遂には日が傾き夕方になってしまった。ここでやっと龍見が部屋から顔を覗かせた。
「龍見! 寝過ぎよ。みんな心配したんだから」
「すまん蓮華。明日に向けて体を休めておきたくてな。飯はあるか?」
「もう夕食の時間を過ぎてみんな食べ終わったわよ。」
「うっ、ごめんなさい……」
過剰な睡眠を取った割には健康そうな姿に蓮華はほっとした。何せ昨日は龍見が無理をしていたのに気が付かなかったのだ。今日はどうしても龍見の体調を注意深く見てしまう。
そんな事に気付いていないのか、龍見は夕食を取るためにさっさと歩いていく。その様子はまさに健康そのものだ。
「あっ! 龍見さんやっと起きたんですか? 寝過ぎは体に毒ですよ」
「休めるのが今しかないんでな。それより流琉、飯くれ。とびきり精のつくのがいい」
「はい、すぐに作りますからね」
料理が完成するまでの間、龍見は何かを考えるかのようにずっと宙を眺めていた。時折頭を振ってはまた宙を眺める。その頬には汗が伝っていた。
(うーむ、これまでの情報を纏めた上で最悪のパターンを考えると勝利のイメージが微塵も湧かん。更には左慈がどれだけ成長しているかなんて未知数だ。今イメージしている最悪を越えてくる可能性も考慮しないとな。それに、この状況は初めてじゃない)
何度も何度もシミュレートを繰り返しても覆らない状況だが、過去にも何度もあった事だ。この世界の武将達と真正面から対峙した時には勝利のイメージよりも先に死のイメージが付きまとった。現代世界においても戦闘においては勝てない相手など複数いた。何よりも神々がいる。彼らがもし手足を縛られ身動きが取れなかったとしても、龍見は絶対に勝つことは不可能だろう。いや、事実不可能だった。
かつて龍見はアテナへ今後一切の性的干渉を禁ずる事を条件とした勝負をした事があった。下らない理由による争いだったが、その時初めて神の本気というものを見せ付けられた。約一時間あらゆる攻撃を行ったところでその全てが無意味だった。対してアテナは持てる全ての力で防御をした龍見をただの拳骨一発で沈めてみせた。あの時と違い、成長したとはいえ今同じ事をやっても結果は変わらないだろう。
これが左慈相手ならどうだ。全力の攻撃を一時間続けて無傷でいられるか。ただの一撃で防御に回った龍見を殺せるか。まずあり得ない。何十万という魂を吸収していたとしても、人間をベースに造り上げられた存在だ。それが神を越えるはずがない。
(最悪のパターンでの勝率は確かにゼロ。だが今のオレは万全。僅かな時間だが更に伸ばす事も可能だ。まだオレの敗けが確定したわけじゃねぇ)
「龍見さん、ご飯出来ましたよ」
「おっ、悪いな流琉。これは鰻丼か? 一刀君から教わったのか?」
「教わったというよりも頼まれたという形ですね。兄様が食べたがっていたのを再現してみました。それより龍見さん、考えすぎはよくありませんよ。皆さん話し掛けづらそうでしたよ」
「それは、悪い事をしてしまったな」
「皆さんも龍見さんが明日には大変な戦に臨むのは知っています。だからこそ今のうちに皆さんと触れ合って下さいね」
「おいおい、それじゃあオレが死ぬみたいじゃないか。勘弁してくれよ」
「あ、はは、そうでしたね……ごめんなさい。さぁ、熱いうちに召し上がって下さい」
「ああ、頂きます」
戦場に出るというのは常に死と隣り合わせという事だ。龍見とてそれを理解していないわけではないし、流琉の言う事も分かっている。死ぬかもしれないのならば今を目一杯楽しむのもいいだろう。それでも龍見が見据えるのは明日だけだ。明日を越えなくてはこの世界に未来はない。
結局龍見はまた考え込みながら鰻丼を貪る。そして食後に五つの小瓶を取り出すとそれを一気に飲み干した。
「あの、すみません龍見さん。少し大丈夫ですか?」
「何か用かな一刀君」
「貂蝉が頼まれたものの準備が終わったから来て欲しいと言っていました」
「来たか!」
「まさかあんなものを頼んでいたなんて驚きましたよ。それよりさっき飲んでいたのは?」
「薬だよ」
意気揚々と頼んでいたものを取りに向かう龍見。先程飲んだものを簡単に薬と言い切ったが、薬は薬でも劇薬の類いだ。一本飲めば肉体は強化される。だが常人ならば三日間は悶え苦しみ、最悪死に至るような毒に蝕まれる事となる。それを五本だ。しかし龍見はその苦しみを感じさせるような事はなかった。
ーーーーーーーーー
龍見が一刀と一緒に貂蝉の元へ向かうと、真桜が龍見の頼んだ目的物を弄り回そうとし、沙和がそれを引っ張りながら止めていた。
「はーなーせー!! うちの血が騒ぐんやー!!!」
「だーめーなーのー!!! それは龍見さんのなのー!!!」
「案の定か。まあオフロードバイクなんてもの見たら真桜は暴走するわな」
龍見が貂蝉に頼んだものとはオフロードバイクだ。速く、自在に動かせ、尚且つ敵の攻撃に対して動物のように怯まない。そんな足が欲しかったのだ。
「あっ! 龍見の旦那!! これ触らせて!!」
「駄目だ。壊れたらどうする」
「ご希望に沿えたかしら、龍見ちゃん」
「完璧だよ。試運転は、まあいいか」
「あらいいの?」
「お前の事だ。チューニングは完璧だろ。オレはみんなに挨拶してくるよ」
物だけ確認すれば十分なのか、龍見は誰も近付けないように貂蝉に頼んでから決戦前最後の挨拶をするために妻達の元へと向かった。始めは炎蓮、蓮華、美羽だ。
「いよっ、失礼するぞ。蓮華、さっきは起こしてもらって悪かったな」
「龍見、ご飯は食べたの?」
「腹一杯食ったさ。三人とも、明日は必ず帰ってくる。待っていてくれるか?」
突然そんな事を言われた三人はきょとんとしていたが、まずは炎蓮が大声で笑った。
「あーはっはっはっ!! 何言ってんだい!! 待つよ。当然だろ」
「そうよ。貴方の妻ですもの。絶対帰ってきてね」
「妾が待っておるのじゃから帰ってくるのは当然じゃ!」
「くく、そう言ってくると思ったさ。ありがとう、元気が出た。んじゃ、他のとこに挨拶してくる」
気を使ってくれたのか素なのか分からないが、元気の良い返事を貰った龍見は笑顔で凪と稟へと会いに行った。
「凪、稟、邪魔するぞ」
「旦那様……」
「凪、シャキッとなさい。ごめんなさいご主人様。凪ったらずっとこの調子で」
「……凪も稟もよく聞いてくれ。オレは必ず帰ってくる。だから待っていてくれ。いいな?」
龍見が明日死地へ向かうというのが心苦しいのか凪はその瞳に涙を浮かべていた。稟とて気持ちは同じだろうが、気丈に振る舞っていた。
「旦那様……いか、な」
「凪!!!」
「!」
「それ以上口にしてみなさい。貴方をご主人様の妻として認めないわ……私達は信じて見送るしかないのよ」
「……ぐすっ、ごめんなさい旦那様、稟。旦那様、お帰り、心よりお待ちしております」
「必ず、必ず帰ってくる。だからもう泣くなよ」
「は、い」
「オレはまだ挨拶があるから行くが、稟は凪を頼んだ。ただ無理はしすぎるなよ。お前も辛かったら誰かを頼っていいんだ」
「ありがとうございます」
これ以上凪を泣かせないため、必ず戻ってくると誓った龍見は紫苑、雛里、焔耶に会いに向かう。
「貴方、いらっしゃい」
「おとうさん! 起きるのおそーい!」
「すまんな璃々。みんな、聞いてもらいたい。明日は必ず帰ってくる」
「ふっ、そんな事は当然だろう。まだお前の子を孕んですらいないのだぞ。子が出来る前に未亡人にするつもりか貴様」
「焔耶さんの言う通りです。私だって龍見さんの子供が欲しいんです」
「産まれてくる璃々の妹か弟が父親の顔を知らないなんて事、嫌ですよ?」
「ああ、子供のためにも帰ってくるさ」
「おとうさん! 約束!」
「約束するよ璃々。さ、まだ挨拶があるんだ。もう行くな」
次で最後。恋と地和の元へ向かう。
「恋、地和、話があるんだ」
「ん、恋も話がある」
「何だ? 先に聞こうか」
「明日何を食べたい?」
「……へっ?」
突拍子もない普通の質問。いや明日が決戦であり、龍見の生死がどうなるか分からない状況では普通とは言えないだろう。だが恋はさも龍見が帰る事が当たり前のように質問をしてきた。
「恋ったら明日龍見が帰ってきてからの事ばっかり考えてるのよ」
「な、なら、肉が食いたいな」
「いやそうじゃないでしょ」
「肉。分かった」
「恋、あんたね……もういいわ。それで龍見は何の用?」
「……明日は生きて帰ってくると宣言しようと思ったんだが」
「そんな当たり前な宣言いらないわよ!」
「うんうん、帰ってくるのは当たり前。だから龍見、今日は休んで帰ってきたから何をしてもらいたいか考えておいて」
「わ、分かった」
「ほらさっさと寝に行く」
二人に押されるように部屋を出た龍見は思わず笑ってしまった。みんな帰りを待っている。その期待に応えなくてはならない。龍見は最後の休息を取るために自室でゆっくりと眠った。
決戦は明日。
次で遂に左慈との決戦になりますね。結果はどうなる事やら。
ではたぶん最後の裏組織紹介です。
世界魔法管理会
本部は日本。魔法や妖術といった世界中の裏の技術を管理、及びそれらによる犯罪を防ぎ、裁くための組織。世界中の力ある裏の人間が所属している。
会長は馬淵龍見。本作主人公である。なお本人はやる気がないため、他の会員が週代わりで仮会長として働いている。他の会員が会長にならないのは、やる気がなくても龍見が一番犯罪の検挙数が高いためである。