エロシーンはありません。
ハンガーからコートをひったくって大股で部屋を横切る。立城は執務室を出ると怒りに任せてドアを叩きつけるように閉めた。
コートを着込みながら慌ただしく廊下を過ぎる。通りすがった水輝の部屋のドアにばか、と声を投げてから立城は急いで階段を降りた。誰もいない屋敷の中を駆けて玄関に向かう。
玄関を出ると急に冷たい風が身に染みる。立城はコートの前を合わせながら急いで庭の隅にある地下への入り口に向かった。滅多に使うことのない暗い階段を駆け下りる。
折り返して階段を降り切ったところで立城は一度、足を止めた。背伸びをしてスイッチボックスに手を伸ばす。だがいつもなら簡単に操作出来るスイッチボックスにどうしても手が届かない。立城は苛々しながらほんの少しだけ力を使った。ふわりと身体が浮いてスイッチボックスに手が触れる。立城が蓋を開けて中のスイッチを操作すると暗かったその場に次々と明かりが灯っていった。ごとん、という音がしてエスカレーターが動き始める。立城は横目にそれを確認してから床に降り立った。細いエスカレーターを駆け下りる。
罪穢ごと砕けた真也はもうどこにもいない。冥界にすらその魂はなくなってしまった。それを境に立城には誓約が重く圧し掛かっている。死にたくても死ねない。お前はお前の道を行け、という真也の誓約は今も有効だ。
誰もいない駅の改札を抜けて更に地下に続くエスカレーターに乗る。ホームに辿り着いた立城を待っていたかのようなタイミングで電車が滑り込んでくる。無人の電車に立城は一人で乗り込んだ。自動運転になっているため、この電車に運転席はない。立城が個人で利用するために敷かれた地下鉄なのだ。
ゆっくりと電車が動き出す。立城は窓の外に流れるホームを見送って椅子に腰を下ろした。
真也と血を分けた肉の器は消えた。望みが消えた後に立城に遺されたのは真也との思い出と誓約だけだ。他には何もない。
身体が疼く。立城は自分の身体を強く抱きしめて背を丸めた。電車は無人の駅に停まっては再び動き出す。録音された女性の声が次の駅を知らせる。立城はそれを聞いて椅子から飛び降りた。
ゆっくりとドアが開く。立城は目的の駅のホームに駆け下りた。慌ただしく改札を抜ける。誰もいない駅の中を立城は夢中で駆けた。駅の奥に一つのドアが設えられている。立城はドア前に辿り着いて呼吸を整えた。
急に訪ねたら不快に思うかも知れない。その不安はある。だが立城は覚悟を決めてドア横の呼び鈴に手を伸ばした。だが今度もまた背丈が足りなくて手が届かない。立城は背伸びをして懸命に手を伸ばした。そう頻繁に力を使う訳にはいかないのだ。今はこの器を維持するのが精一杯だ。
「あと……ちょっと……」
ドアノブを片手に握り、身体を支える。立城は目をかたく閉じて左腕を伸ばした。だがあと少しのところを手が何度も空振りする。このドアの向こうには優一郎の研究施設に続く通路があるのだ。
不意にドアの向こうで音がする。立城は目を見張って緊張に身を強張らせた。
「ようこそ、いらっしゃいませ。今、開けますね」
かちりと音がしてドアの鍵が内側から開く。立城は慌ててドアノブから手を放し、服装の乱れがないか素早くチェックした。静かにドアが開く。立城は現れた優一郎にこんにちは、と声をかけた。
「ごめんね。急に訪ねてきたりして」
そう言って立城は素直に頭を下げた。優一郎は白衣に身を包んでいる。もしかしたら仕事中だったのかも知れない。
「いえ、ちょっといろいろ煮詰まってましたので」
どことなく優一郎は疲れて見える。立城はそう、と頷いて告げた。
「お邪魔していいかな?」
「もちろん。歓迎します」
にっこりと笑って優一郎がドアの中に立城を促す。立城はありがとうと頷いてドアをくぐった。優一郎がドアを閉めて鍵をかける。それから二人は一緒に歩き出した。 立城の私用の地下鉄は要所要所に駅が設けられている。この清陵高校の地下の駅もそのうちの一つだ。廊下の先にはエスカレーターがある。二人はそれに乗って駅を出た。
案内されたのは優一郎の研究施設の地下二階だった。不思議なことに誰もいない。立城は辺りを見回しながら優一郎の勧めに従って廊下を進んだ。
「この区域には限られた者しか出入りできないように制限しています」
そう説明した優一郎の顔に薄い嗤いが浮かぶ。それを見つめて立城はなるほど、と呟いた。どうやら優一郎は龍神などの力を持つ者が勝手にここに出入り出来ないようにしているらしい。そう言えば試したことはなかったな。そう内心で呟いて立城は告げた。
「多輝はいないの?」
「今は出かけているみたいです。あと、要さんは今は家に戻ってらっしゃるので、今この区域に居るのは斎姫だけですね」
すらりと優一郎が答える。立城は目を伏せてそう、と答えた。
キッチンに案内される。立城は言われるままにカウンターにつこうとした。が、スツールが高すぎて座ることが出来ない。立城は仕方なく優一郎に座れない旨を告げた。すると優一郎が手を伸ばして立城を軽々と抱え上げる。椅子に座らせてもらってから立城は礼を言った。
「ありがとう。そういえば斎姫さんには挨拶をした方がいいのかな」
そう言って立城は背を伸ばしてカウンターから顔を覗かせた。どうやら茶を用意してくれているらしい。優一郎はやかんに水を入れている。
「ええ、故障して修理中だったんですけど意識はありますし、立城さんが望まれるなら」
「じゃあ、後で寄らせてもらうね」
笑顔で答えてから立城はカウンターテーブルから手を離した。そろえた膝を手でしっかりとつかむ。立城はこみ上げる欲求を必死で殺していた。
僕はここに来てどうするつもりだったんだろう。ぼんやりと考えながら立城は苦笑した。どういう訳か判らないが無性に優一郎に会いたくなったのだ。今はもう、優一郎に誓約をどうにかしてもらいたいとは思ってはいない。なのに何故だろう。立城は一人、そう呟いた。
「ああ、それから」
不意に優一郎が告げる。立城は慌てて伏せていた顔を上げた。なに、と笑顔で問う。
「ここでは、僕自身が関わる誓約以外は機能しません。ですから、大丈夫ですよ。紫さん」
言われて立城は目を見開いた。驚きに息を飲んで優一郎を見る。優一郎は微笑みを浮かべて立城を見つめていた。こんろにかけたやかんがちりちりと音を立てている。
「でも……そんなことをしたら……」
口ごもりながら立城は再び目を伏せた。この身体ですらこれだけの性欲にさらされているのだ。もしも性別を変えてしまったらどうなるか判らない。今の立城には自分の器がどうなってしまうのか予測不能なのだ。
本当は何も知らない。全てを知り得ているのだろうと他者に言われるが、本当は僕は何も知らないんだ。そう胸中で呟いて立城は恐る恐る顔を上げた。
「実は僕も斎姫が故障して困ってるんです。要さんは家に戻ってらっしゃるし、多輝は何時の間にか居なくなっているし」
そう言って優一郎がため息をつく。立城は優一郎を見つめた。笛を鳴らしたやかんを火から下ろし、優一郎が慣れた手つきで二つのカップに紅茶を入れる。
「斎姫さんは故障しているの?」
そう訊ねた立城の声は本人も気付かないうちに震えていた。
「ええ。後ほどと仰ってましたがお見せしましょう。百聞は一見に如かずと言いますしね」
斎姫は意識はあると言っていた。立城はそうだね、と静かな声で答えて優一郎から目を逸らした。そもそも無理な話なのだ。そう、胸中で呟く。何で一瞬でもそんなことを考えたのだろう。欲求不満をどうにかしてください、などと言える筈がない。これまで自分のしてきたことを考えれば明白だったのに。
短かったり長かったりしますが……。すみません。