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冥界の門を撫で回してみる
膝に伏せていた顔を上げて順はため息を吐いた。目の前の大きな扉はびくとも動かない。何度繰り返したか知れない呼びかけを順は再び口にしてみた。
「ねー。クロチャンってばー。ここ、開けてよー」
そう言いながら腰に手をあてがって立ち上がる。大きく伸びをして首を鳴らしてから順は扉を振り返った。だが扉は頑として開こうとしない。やれやれと肩を竦めて順は扉に背を持たせかけた。
随分と長い夢を見ていた気がする。気がついたらこの冥界の扉の前に順は座っていた。夢のことを思い出しながら順は何気なくシャツの胸ポケットに手を伸ばした。だが指が空しく空振りする。あー、と悲しい目で呻いてから順は深くため息をついた。
遠くから低く間延びした妙な音が聞こえてくる。順はまたか、とうんざりした顔をして頭をかいた。聞きようによっては人の声にも聞こえるあの音に起こされたのだ。
「ねえ、クロチャンってば。いいかげんに開けてよ」
順はすっかり紅に染まり変わった髪を指でかきながら眉を寄せた。音もなく順の脇から闇色の力が虚空に向かってすっ飛んでいく。順は唇を尖らせて力の放出された扉の部分を手で撫でた。
「もう。相変わらず意固地なんだから」
「妙な手つきで撫でるな! 気持ち悪い!」
唐突に声が降って来る。順はにやにやと笑いながら声のした方を仰いだ。空気が揺らぎ、闇色を纏った男が静かに降りてくる。大きな黒い鎌を担いだ男は黒妖牙と呼ばれる冥界の王だ。
「扉なんだかクロチャンなんだか」
「誰がクロチャンだ!」
以前と少しも変わりなく、黒妖牙が順にそうがなる。まあまあ、と笑って順は背後の灰色の空間を指差した。まだあの奇妙な声は続いている。
「アレ、討たなきゃまずいしょ。……相変わらずいいかげんな仕事してんねー」
呆れながら言って順は真っ直ぐに声の響いてくる方向を見つめた。言われなくても、と憎々しそうに黒妖牙が呟く。そして黒妖牙は順の横に降り立って大きな鎌を一閃した。闇色の力が一気に声の元に飛んでいく。すると奇妙な声は断末魔の叫びとなって冥界を揺らした。
長い尾を引いて声が消える。鎌を担ぎ直して大きくため息を吐いた黒妖牙を順はちらりと横目で見た。ずっと以前、見た時のままの姿で黒妖牙は立っている。こうしているとまるであの時と少しも変わっていないようだ。が、実際には時は流れ、黒妖牙は殆ど現界には姿を現さなくなった。そして同時に順もまた、以前とは異なる属性を帯びてここに立っている。
「んねー。煙草持ってない?」
「……相変わらず図々しい奴だ」
嫌そうに顔をしかめて黒妖牙が吐き捨てる。いいじゃん、と笑って順は無断で黒妖牙の胸ポケットに手を伸ばした。やっぱり同じところに煙草が納まっている。器用に箱から一本だけ抜いて順は口許に人の悪い笑みを浮かべた。
「そいえば今度会ったら殺していいかって訊いたんだっけ。オレ」
「やれるもんならやってみろ」
順にライターの火を差し出しながら黒妖牙が低い声で言う。だが順は肩を竦めて笑ってみせた。ありがたく火を貰って一息つく。黒妖牙も自分の唇に煙草を挟み、火を点けた。
「あれから何年? けっこ、世の中って変わったよね」
「まあな」
さして感慨も覚えない様子で黒妖牙が答える。順は淡白だねえ、と笑って唇に煙草を挟みなおした。黒妖牙が鎌を担いだまま扉に寄りかかる。この黒妖牙の形をとっている器も、そして背後の巨大な扉も黒妖牙自身だ。順は首を伸ばして扉を見上げてみた。どこか果てかわからないくらい、扉は大きい。
「あいつには……会えたのか?」
しばし黙して煙草を吸っていた黒妖牙がぽつりと告げる。どうだろねえ、と順は曖昧に笑った。
「思うに、水輝ちゃんって割と苦労性っていうか」
「あのばかは死んでも治らんな」
順の言葉に黒妖牙が淡々と返す。相変わらずだねえ、と苦笑して順は上に向かって煙を吐いた。あの時とは違い、煙草を吸い込んだからといって咳き込むようなこともない。もう、あの頃の時間はずっと遠くに過ぎ去ってしまっているのだ。
全くもう、と順は胸の中で呟いた。夢の中で久しぶりにあった男のことを思い出してみる。姿は随分と変わっていたが、やっぱり男はあの頃と同じように傲慢で強気なままだった。だが順は火龍神として覚醒することが出来なかった直接の原因を作った男には恨みは抱いていない。結局のところ、どう足掻いてもあの時はああなっていたし、誰かが例え防ごうとしても無理だっただろう。
「もー、何でオレは男にばっかモテるかなー。たまには可愛いオンナノコともらぶらぶになってみたいよ」
ため息と共に呟きながら順は頭をかいた。すると横に立っていた黒妖牙がそれを笑い飛ばす。
「貴様、変態の癖にそんな些細なことに拘るのか」
「ちょっとお。ヒトのこと変態変態ってみんなして」
もー、と順は唇を尖らせた。わざと拗ねた顔をした順を横目に見た黒妖牙がけっ、と喉の奥で嗤う。それを受けた順は堪えきれずに吹き出した。落ちそうになった煙草を指につまんで声を殺して笑う。
しばらく笑ってから順は目尻に浮かんだ涙を指で拭った。あー、可笑しい。そう呟いて乱れた呼吸を整える。扉に寄りかかって深呼吸してから順はふと、前方を見つめた。灰色の何もなかった空間に光の小さな珠が浮かび上がっている。ああ、と呟いて順は扉から背中を引き剥がした。漂っている光の珠は複数だ。それが黒い衣装をまとった女に連れられ、一列になってこちらに向かっている。恐らく死んだばかりの魂なのだろう。中にはふらふらと列を外れそうになる光もある。そのたびに列の先頭を行く女が振り返ってたしなめている。
「商売繁盛。いいことじゃない」
そう言いながら順は黒妖牙に笑みかけた。阿呆、と黒妖牙がしかめ面で吐く。
「貴様らが次から次に死にやがるから、こっちは大忙しだ。見ろ。後回しにされた人間なんざ、自分が誰だったかも忘れてる始末だ」
黒妖牙が光の珠の列に向かって顎をしゃくる。どうやら列をたまに外れそうになるのが該当者らしい。ふうん、と呟いて順は扉を振り返った。
扉がゆっくりと開いていく。順と黒妖牙が見守る中、光の列は女に連れられて扉の向こうへと消えていった。最後の珠が見えなくなると扉が再び動き、ゆっくりと閉じる。
「龍神の魂は桁違いにでかいんだよ。この扉はそのためにあつらえてあるんだからな」
「……あ、あんま想像したくないな」
この扉のサイズの光の珠を思い浮かべ、順は眉間に皺を寄せて呻いた。ふん、と嗤って黒妖牙が扉に手をあてがう。
「だから早々死んでくれるな。仕事が増えてかなわん。ここを通すだけでも一仕事だ。おまけにその後は沙汰だ何だと続きやがる」
流れるように告げて黒妖牙が横目に順を睨む。順は肩を竦めて苦笑した。要するに黒妖牙は順に簡単に死ぬなと言っているつもりらしい。やれやれと笑って順は扉にもたれかかった。
「ま、転んでもタダで起きるつもりはないからね。とーぶんは死にませんよ、オレは」
少なくとも事の成り行きを見届けるまではね。そう付け足して順は短くなった煙草を手の中で握り潰した。嫌な音を立てて煙草が一瞬で消し炭になる。図々しく次の煙草を黒妖牙のポケットから抜き取り、順は軽く指を鳴らした。指先に赤い火が灯る。それを煙草の先に触れさせてから順は灯った炎を消した。
折角、火藍ちゃんが繋いでくれた命だからね。そう胸中で呟いて順は胸に手を当てた。火藍の龍宝珠は順の中でしっかりと息づいている。本来は火藍が断罪された時点で龍宝珠界に戻すのが正しいのだろうが、あの場では仕方なかった。火藍は他の選択肢を取れなかったのだ。そしてまた、順も拒絶することは出来なかった。
「ねえ、クロチャン」
「だから、誰がクロチャンだ! 貴様、いいかげんに」
「悪いんだけどさあ。ちょおっと横流しして欲しいモノがあるんだけど」
黒妖牙の憤りの言葉を強引に遮り、順は告げた。すると黒妖牙が眉を寄せて嫌そうな顔になる。
「……貴様自身が裁かれる羽目になっても知らんぞ」
「まあ、そん時はそん時でいいよ」
軽く笑って順は黒妖牙を見つめた。どうやら黒妖牙は順の言いたいことをよく判っていたらしい。うんざりした顔をして額を覆う。順は黒妖牙の唇にぶら下がっていた短くなった煙草をつまみあげた。手の中で握り潰してから、自分の咥えていた煙草を黒妖牙の唇に挟む。
「全く……何でオレが」
嫌そうに言いながら黒妖牙が宙に手を差し伸べる。手の上に現れた黒く四角いカードを黒妖牙が順に向かって放る。順は指先でそれを受け止め、カードの表面を読んだ。真っ黒なカードに灰色の文字が浮き出してくる。
「貴様は肉の器は捨てないのか? 力で構成する方が何かと融通が利くぞ」
「残念ながらあの身体には愛着あるんでねぇ。使えなくなってから考えるよ」
でも、忠告ありがとう。にっこりと笑って言ってから順はカードを胸のポケットに納めた。扉に寄りかかって煙草をふかしながら黒妖牙がしっしっ、と順に手を振る。どうやらさっさと去れという意味らしい。はいはいと苦笑して順は手の中に力を呼んだ。
漆黒の宝珠を手の中に呼び、軽く振る。すると黒宝珠は鎌の形に変わった。それに呼応するかのように冥界に低い怨嗟の声が響く。順は数歩ほど扉から離れて振り返った。
「じゃあね、クロチャン。また遊んでね」
「誰がクロチャンだ!」
毎度ながらの返事をする黒妖牙に片手を上げ、順は鎌を揮った。灰色の空間に黒い裂け目が生じる。順は迷う事なく、裂け目に身を躍らせた。
この辺りにも『冥界への案内人』の内容が反映されてますw