あの頃から水輝は次第に凪ではなく、妹にまとわりつくようになった。そして凪は仲良く戯れる二人を少し遠くから眺めるようになったのだ。
凪は中空をぼんやりと見つめ、唇を動かした。懐かしいあの頃の歌を歌い続ける。だがどんなに歌っても今は水輝はいない。
Tally-ho! Tally-ho!
A-hunting we will go,
We will catch a fox
And put him in a box,
And never let him go.
水輝は恐らくある時期を境に自分が何者であるかを少しずつ思い出し始めたのだろう。そして夜叉であると判らないままに、妹を捕まえようとしていたのだ。妹を見つめ、誰も害を為さないよう、箱に入れて守る。だが妹自身はそんな水輝の偏愛振りにはまるで気付かず、毎日を明るく過ごしていた。
小学校高学年になったある日、凪はクラスメイトの男の子から好きだと言われた。凪はどうしていいか判らず、とりあえずは答えを保留にして急いで家に帰った。友達の誰にも相談出来ず、凪は結局、家で水輝と妹に相談をした。
すると妹は恥ずかしそうに顔を赤くして言った。お姉ちゃん、すごぉい! もてるんだね! その言葉はだが、凪にとって誉め言葉にはとても思えなかった。子供部屋ではしゃぐ妹にこらこらと水輝が笑いかける。凪に遠慮のない賞賛の言葉を浴びせる妹の頭を優しく撫でながら水輝は言った。
いいんじゃない? 付き合ってみれば?
それを聞いた時、凪は初めて気付いた。水輝と妹が凪に感じている思いは自分のそれとは違う。そして凪はその日を境に両親に個室をねだるようになった。これ以上、仲良くしている二人を見ていられなかったからだ。
かくて凪は一人だけの部屋を手に入れることが出来た。隣の部屋で楽しそうに話す二人を余所に、凪は一人で考え続けた。これからもずっとずっと三人で一緒に居られると思っていた。でも、それは間違いなのではないか。だって現に水輝はああして妹をとても大切に思っているけれど、自分にはその感情は向けられていない。
そんな凪の思いはある日を境に一層、酷くなる。成長する凪に初潮が訪れたのだ。不思議そうにする二人に隠れるようにして凪は部屋にこもって泣いた。水輝と妹は嘆く凪の思いが理解出来なかったのだろう。無邪気に母親に凪はどうしたのかと訊ねる。すると母親は困ったように水輝と妹とを見比べ、口を濁すのだ。
凪はどんな男の子に告白されても誰とも付き合わなかった。告白された直後に必ず断った。見た目には造作はそれなりに整っていたし、凪は大抵のことは難なくこなすことが出来たのでクラスでも目立っていたのだ。だが凪はそんな自分をとても嫌だと思っていた。どうしたら誰も声をかけてこなくなるだろう。凪は学校にいる間、暇さえあればそのことを考えていた。
段々と凪の口数が少なくなる。友達は一人減り、二人減り、やがて凪の周囲には誰もいなくなった。それでも凪は構わなかった。誰も寄ってこなければ面倒は減る。告白されるたびに自分の浅ましい気持ちを思い知らされずに済む。
小学校を卒業した凪は順当に中学生になった。一足先に中学校に上がった凪を水輝と妹は羨ましがった。特に水輝は本気で凪が羨ましかったらしい。水輝は小学校の勉強に飽きていたのだ。
そんな顔をしないで。私が帰ったら学校で教えてもらったことを伝えるから。凪はふて腐れる水輝にそう約束をした。すると水輝はぱっと明るい顔になって凪の手を嬉しそうに握って言う。
ありがと、なぎ!
その笑顔を見つめる凪の胸にちくりとした痛みが生まれた。水輝の隣ではまだ妹が拗ねている。凪は戸惑いながら水輝と妹とを見比べ、そして弱々しく笑って水輝の手を解いた。
たぶん、あの時にはもう引き返せないところまで来ていた。凪は胸中で呟いて声を紡いだ。
Ten little nigger boys went out to dine; One choked his little self, and then there were nine.
Nine little nigger boys sat up very late; One overslept himself, and then there were eight.
Eight little nigger boys traveling in Devon; One said he'd stay there, and then there were seven.
Seven little nigger boys chopping up sticks; One chopped himself in half, and then there were six.
Six little nigger boys playing with a hive; A bumble-bee stung one, and then there were five.
Five little nigger boys going in for law; One got in chancery, and then there were four.
Four little nigger boys going out to sea; A red herring swallowed one, and then there were three.
Three little nigger boys walking in the zoo; A big bear hugged one, and then there were two.
Two little nigger boys sitting in the sun; One got frizzled up, and then there was one.
One little nigger boys living all alone; He got married, and then there were none.
こんな歌があるんだ、とかつて水輝は凪に教えてくれた。水輝に教えられるままに凪は疑うことなくその歌を歌った。が、中学にあがり、英語の授業を受け始めた凪はその歌の意味を知って呆然となった。そして誰もいなくなる。単純な数え歌だと思っていたその歌にはシュールな意味もこめられていたのだ。
そして誰もいなくなる。凪は歌いながら苦笑した。まるであの時の自分を歌は言い表しているようだった。大勢いた友達は一人、また一人といなくなり、終には周囲には誰もいなくなった。水輝はもしかしたら凪のそんな状態を皮肉ったのかも知れない。
昔の水輝との暮らしですが……。
実はこの話、元ネタがあるのですが、そっちではほぼ描写のなかった家族の話です。