その日、凪は決心した。
「例え何があっても私は水輝を守るわ。それが神に逆らうことになっても」
歌うのをやめて凪は呟いた。そのためにならどんな罰を受けてもいい。凪はそう続けてドアを見つめた。いつの間にかドアのところに優一郎が立っている。
「こんにちは、凪さん。ははう……立城さんのほうはなんとかケリが付きました」
「そう」
それは良かったわね。感情のない声で凪は答えた。優一郎が静かに近付いてくる。だが凪は身動き一つせず、じっと優一郎を見つめていた。床に膝を抱えて座る凪の目の前で優一郎が足を止める。
「凪さん、あらかじめ告知するのを忘れていましたが、この部屋の状況はずっとカメラで監視しています。お話するのを忘れて申し訳有りませんでした」
そう言って優一郎が軽く頭を下げる。凪は僅かに目を細めた。
「構わないわ」
やはり感情の失せた声で凪は答えた。どのみち、ここは優一郎の城だ。どこにいようとその行動は監視されているだろう。凪は深く息を吐いて立ち上がった。よじれていたスカートを手で払う。
「凪さんに、いくつか質問したいことがあります。よろしいですか?」
歩き出した凪に優一郎が訊ねる。凪は肩越しに優一郎を見返ってどうぞ、と答えた。よろける足を奮い立たせ、出来るだけゆっくりと進む。ソファにたどり着いて凪は静かに腰を下ろした。
「返答したくない場合は、そのむね伝えてください。無理強いするわけではありませんから」
そう言いながら優一郎が凪の正面に腰を下ろす。判ったわ、と凪は頷いた。どのみち自分が知っていることなどささやかで、優一郎の益になることはないだろう。そう思いながら凪は質問をどうぞ、と促した。
「空の標とは、なんですか?」
静かな声で優一郎が訊ねる。やっぱりね。凪は内心で呟いた。あの時、立城がわざわざここを訪ねてまでその名を口にしたのは、恐らく優一郎に聞かせるためだったのだろう。
「空の標とは導であり、また遮る者の意よ」
凪はすらりとそう答えた。すると優一郎が考えるようにしばし黙る。それからまた優一郎は口を開いた。
「誰を導き、誰を遮るのですか?」
「いえないわ」
凪は即答した。優一郎がなるほど、と口の中で呟く。凪は静かな眼差しでじっと優一郎を見つめた。
「それでは次の質問です。凪さんは渚さんの転生された姿だという理解でよろしいのですね? 渚さんとしての過去生において水輝さんとは恋愛関係にあったという理解でよろしいのでしょうか?」
「いいえ」
凪はまた即答した。優一郎が眉を寄せて黙り込む。どうやら納得出来なかったらしい。凪はため息を吐いて説明を付け足した。
「私は転生はしていないわ」
殆ど声にならない声で凪は告げた。すると優一郎がぴくりと眉を跳ね上げる。
「なるほど……だからこそその身体が必要だったわけですね」
「そう。死に逝きかけた私を凍らせたのは彼。そして蘇らせたのはあなたのお父上。……尤も、その関係は仮のものとされているのでしょうけど」
あの混乱の中、凪の元々の身体をさらうのは容易だったのだろう。そして凪は身体ごと意識を凍らされた。そして散りゆく筈だった命は死にかけたままで維持されることになったのだ。
「では、次の質問です。凪さんはヒューマノイド化に際して、ヒューマノイドの特性などについて説明を受けていますか? 受けているなら内容を教えていただけますか?」
ゆっくりと優一郎が言う。凪は少し考えてから答えた。
「説明は大体は受けたわ。でもカリキュラムの途中で私はこちらに戻ったから、全ては知らないかも知れないわね」
そう前置きしてから凪は言葉を継いだ。
「一つ目はヒューマノイドにはマスターの登録が不可欠だということ。そしてヒューマノイドには性的な快楽が必要であること」
感情のこもらない声で凪はそう告げた。そんな凪を優一郎は静かに見つめたままだ。きっとその程度のことは既に思惟を読んでいて知っているのではないの? 凪は心の底で優一郎に問い掛けてみた。が、答えはない。優一郎はじっと凪を見つめたまま告げた。
「凪さんはマスター登録はお済みですか?」
「いいえ」
凪は首を横に振って答えた。マスター登録をしなければそう長くは機体と精神を維持出来ないことも知っている。だが凪は平然としていた。
「マスター登録用のスティックを含めて、メンテナンス拠点を離れた状態で自己メンテを行ったりするための器具や工具キットはお持ちですか?」
荷物を改めるのも悪いと思いまして調べていませんので。そう続けた優一郎に凪は首を横に振った。
「いいえ。持ち合わせていないわ」
そう答えて凪は微かに笑みを浮かべた。だって必要ないもの。そう胸の中で呟く。空の標は踏みしめられて壊れるもの。力が通った後に残る必要のないものを指す。壊れることが前提であれば、機体や精神を長く維持する必要はないのだ。
「ここには短期間の逗留になると考えてらしたのですね。しかし、あなたはここを離れられない状態になってしまいましたから、取り寄せる必用がありますね。また、あなたの新たな主が決まったらマスター登録の必要もあります。それも含めてこちらに届けていただけるように、栄子さんにご連絡願えますか?」
「必要はないわ。私はもうすぐ、ここから離れるから」
そう言って凪は静かに腰を上げた。ゆっくりとソファを離れる。頼りない足取りで部屋の中ほどまで歩き、驚いたような顔をする優一郎を振り返る。
凪のモノローグから現実? に戻りました。