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「立城さんに引き取って頂きたいのは紫翠の誓約に紐付けられた情報と力です。誓約の本質は僕が預かります」
それは僕の、役目、ですからね。そう続けて優一郎が苦笑する。立城はぴくりと眉を動かした。緩やかに手を動かしてカップをテーブルに乗せる。
「……空の標は君を選んだのか」
立城は殆ど声にならない声で呟いた。どう足掻いても結局のところは紫翠の誓約からは逃れられない。立城も水輝もそして凪もまた、そういう意味では誓約に振り回されているに過ぎないのだ。
あの三日間。だが三日間の真実は誰にも判らない。凪はある程度の情報は得ているかも知れないが、それが全てではないだろう。水輝に至っては恐らく紫翠に封じられている。そして立城にもその記憶はない。
「あっと、すいません。説明を忘れてましたね。なぎささんは僕の物になりました」
悔しそうな表情で優一郎が告げる。ふうん、と立城は呟いた。順当なところだ。そうも思う。恐らく栄子は優一郎に凪を預けたかったに違いない。そうでなければあんなに面倒な手順を踏んで優一郎を煽ったりはしなかっただろう。
そして凪は大切なものを守るため、優一郎に傅いた。それも予測範囲内ではある。立城は腕を組み合わせてじっと優一郎を見つめた。そして顎をしゃくる。
「それ、どこで引っ掛けてきたの?」
感情のない冷ややかな声で立城は告げた。すると優一郎が不思議そうな顔になる。立城はため息を吐いて足を組んだ。
「すいません。僕には見えないので、教えていただければ」
言われれば、なにかが存在するのはわかるんですけど。戸惑ったように言いながら優一郎が自身を見下ろす。立城はじっと優一郎を見つめて呟くように言った。
「歪み」
不気味な影はまだ優一郎に纏わりついている。向かってきた歪みを結界で跳ね返しながら立城は唇を引き結んだ。なにをしているんだ。そう胸中で呟く。
「これが、そうなのか」
水輝さんのところに満ちていたから。小さな声で優一郎が続ける。立城は深々とため息を吐いて優一郎に手のひらを向けた。
「応急処置はしよう。でも僕に出来るのは可能な限り、抑えることだけだ。早い内に奈月さんを起こして浄化してもらう方がいい。そのままだと水輝に引きずられてしまうよ」
言いながら立城は力を放った。広がっていた歪みが立城の力を受けて急速に縮んでいく。ある程度まで歪みを畳んでから立城は強引にそれを優一郎から引き剥がした。立城の伸ばした手の先で歪みが凝って黒い濁った珠を形成する。固めたそれを立城は優一郎に放った。
「ありがとうございます。すいません。これからも、歪みを抜いていただけませんか?」
「僕は構わないよ。……ただ、それでは根本的な解決にはならないとだけ言っておくよ」
手の中に黒い珠を握った優一郎に立城は淡々と答えた。それとね、と言葉を継ぐ。優一郎は両手の中に黒い珠を包んで頷いた。
「凪さん……いや、今はなぎささんなのか。とにかく彼女の持つ誓約に関する力と情報を引き剥がすには鍵が必要だ。……この意味が判るかな?」
言いながら立城は腕を伸ばしてテーブルからカップを取り上げた。半分ほど残っていた紅茶を静かに口に含む。柔らかな香りを味わってから立城は紅茶を飲んだ。
「これを使うつもりです」
優一郎が白衣のポケットから何かを取り出す。テーブルに置かれたそれを見た立城はぴくりと眉を上げた。濁った赤い宝石がテーブルに乗せられている。立城はじっと宝石を見て呟いた。
「……相変わらず無茶をする人だ」
それが水輝の力で形成されていることは一目で判った。が、歪みの分量を見ると水輝はこれをかなりぎりぎりの状態で作り上げた筈だ。
「だから急がなければならないんです。立城さん。あの人を止めるのはあなたの役目でしょう?」
「君に言われなくても止める時は止める。ただ、これは……」
立城は眉を寄せて宝石にこめられた力を読んだ。注意深く少しずつ探る。そうでなければこめられた力そのものにあてられてしまう。
赤い宝石には水輝の想いがこもっている。だがそれは歪みの影響を受けている。立城はため息をついて目を上げた。優一郎は真剣な表情で立城を見つめている。
「鍵としては充分でしょう? 歪みについては」
囁くように言って優一郎が嗤いを浮かべる。その表情を見止めて立城は僅かに目を細めた。
「今回の目的には逆におあつらえ向きと言うべきでしょう」
そう続けて優一郎が手の中の黒い珠をもてあそぶ。なるほどね。そう心の底で立城は呟いた。確かにこれを鍵にすればある程度の情報は引き出せる。が、それは同時に水輝そのものを呼び寄せることにもなる。鍵の性質を持つ水輝は否応なく凪に引き寄せられるだろう。
立城はしばし黙して考えを巡らせた。
「一つだけ訊かせてもらおう」
宝石をじっと見つめたまま立城は低い声で言った。なんでしょう。そう優一郎が答える。立城は深く息を吐いてから告げた。
「君に死ぬ覚悟はあるか?」
そう言いながら立城は鋭い目で優一郎を見た。
「覚悟はありますよ。ただ、そんなはめに陥るつもりはさらさらありませんが」
あっさりと優一郎が答える。それを聞いた立城は口許に薄い笑みを浮かべた。そう。あの時の自分も確かに死を覚悟はしていた。だが結局のところはこうして生き残っている。
出来れば巻き込みたくないな。そう思いながら立城はカップを傾けた。今はもう、水輝のまとう歪みが濃すぎてどこにいるかすら判別出来ない。
「それでは、僕の部屋にいきましょう」
そう言って優一郎が腰を上げる。立城は黙ってそれに従った。
無茶をする気になってはいるんですけども!
九章の冒頭でいきなり死んだりはしませんのでご安心を。