あちゃー。明音は内心で言いながら額を押さえた。車を運転する男は上機嫌に鼻歌を歌いながらちらちらと助手席に目をやっている。そこに納まっているのはかちこちに緊張した莢花だ。明音は後部座席から窓の外をじっと見つめていた。
「ねーねー。あんなこわーいとこ行かずにさあ。俺とイイコトしようよ」
鼻の下を伸ばした男が横目に莢花を見る。ヒッチハイクで車を捕まえたのはいいが、あんなところに向かう車など滅多に居ない。明音は莢花に言って男にコースを変更しろと頼ませたのだ。
先の分断されている高速を通るより、在来を行った方が速い。そんな明音の読みは当たっていた。この先にあるのは廃墟だ。そんなところに向かう車はいない。それゆえ、道路は異様なほど空いている。
「あたし、ホラーが好きなの」
きっぱり言って莢花がにっこりと笑う。そんな二人を横目に眺めてから明音は窓の外に目をやった。
空は急に曇っている。黒い雲の狭間に見え隠れしているのは巨大な青い蛇を思わせる龍神の身体だ。幸い、この辺りには人通りは殆どない。運悪く見止める者もいないだろう。
なーにやってんだか。明音は内心で呟きながら会話をする前の席の二人の間に身体を割り込ませた。
「アイス食べたい」
そう言って明音はにっこりと笑って運転席に座る男を見上げた。男が明音を睨んで舌打ちをする。どうやらこの男は子供があまり好きではないらしい。
「この辺にそんなもん売ってるとこなんて」
「あっ! おみせあるー! ねえねえ、おにいちゃん! アイス買ってぇ!」
黄色い声で言いながら明音ははしゃいで男の首筋に飛びついた。買って買ってと駄々をこねながら男の首を細い腕で締める。ぐえ、と情けない呻きを漏らした男が力任せに明音を振り解く。憎々しそうに明音をミラー越しに睨み、男は仕方なさそうに車を路肩に寄せた。男が舌打ちと共に一枚の紙幣を明音に放る。
「いこ! おねーちゃん!」
明音は助手席に座る莢花に声をかけて後部座席を降りた。男はふて腐れて運転席で煙草を吸い始めている。莢花はそんな男と明音とを交互に見てから助手席を降りた。
「こっちでいいの?」
小声で問われて明音は頷いた。小さな駄菓子屋に明るく挨拶しながら入る。中から出てきた老婆にお辞儀をし、明音は菓子を物色する振りをして小声で莢花に言った。
「水輝ちゃんが移動してる。戻ってくるとは思うけど、今なら力が使えるから」
口早に言って明音はアイスクリームの入った冷凍庫から一本のアイスキャンデーを取り上げた。
「わかったわ」
そう返事して莢花が頷く。それに頷き返して明音は老婆に代金を支払うついでに言った。
「おばあちゃん。アタシ、あの……」
そう言ってもじもじとスカートの裾を指でもてあそぶ。真っ赤になった明音の様子にぴんときたのか、傍に駆け寄った莢花が口添えする。老婆は笑って莢花と明音を家の中に案内してくれた。トイレの位置を教えられた二人は老婆に礼を言って頭を下げた。
「んじゃ、移動するね。オレに捕まって」
老婆の姿が見えなくなったところで明音は莢花に耳打ちした。莢花が頷いて明音の手をしっかりとつかむ。明音は額に指をあてがってその場から転移した。
視界が開けた瞬間、不気味な匂いが鼻をつく。明音は目を細めて正面を見つめた。まるでそこから先が別世界であるかのように明音の足元から先に廃墟が広がっている。明音と共に隣に現れた莢花が激しく咳き込む。匂いにあてられたのだろう。
明音は大丈夫? と莢花に声をかけながら空を仰いだ。暗い雲はかなり遠くまで流れている。
「なに? ここ?」
「夕崎町だよ」
そう言って明音はショルダーバッグの中を探った。隣に立っていた莢花がその場にへたり込む。それを横目に明音は煙草を咥えた。
「なんで、どうして?」
呆然と呟く莢花を余所に明音はゆっくりと歩き始めた。壊れたアスファルトの裂け目からは雑草が生えている。遠くに見えるビルは斜めに傾ぎ、地面のあちこちからはでたらめに鉄柱が伸びている。元々は信号機や標識だった筈のものが、鉄柱だけになってしまっているのだ。
ゆらりと莢花が立ち上がって明音に追いつく。明音は煙草をふかしながら小さく笑った。
「何も驚くことじゃないよん。いま、この世界にはこーんな町がいっぱいあるんだし」
そう言いながら明音は大きなコンクリートの破片をひらりと避けた。莢花もゆっくりと破片を避ける。
壊れた水道管からはもう水は噴き上がっていない。乾ききった路面を砂混じりの風が吹き抜けて行く。
「戦争でもあったの?」
恐々と莢花が言う。それを受けた明音はくすくすと笑った。
「この国は戦争はしてないよ。ま、それどころじゃないってのが正しいかなあ。何しろこんな風に町を幾つも捨ててるんだし」
人々の町を襲うのは戦争ではない。魔と呼ばれる者たちだ。龍神でもなく、ハンターでもない。ましてや誓約者ではありえない。だが力はある。そんな者達がいま、人々の暮らしを脅かしているのだ。
「災害? ならなんで復興しないの?」
眉を寄せて莢花が言う。明音はそんな莢花を振り返って笑ってみせた。
「ヒトは何度もそれを願ったんだよ。だけどねぇ。やっぱね、汚れがきつすぎるトコにはヒトも手をつけらんなくてさ」
何度、試してみても町を修復することが出来ない。工事をしようとすると必ず新しいトラブルに見舞われる。そのことを明音はかいつまんで説明した。
ゆっくりと歩きながら町を眺める。この町に満ちた瘴気は尋常じゃない。恐らくこれではヒトどころではなく、力のない龍神ですら入れないだろう。
「環境汚染? それとも呪われてるとか?」
「面白いね、キミ」
くすくすと笑いながら明音は振り向いた。莢花は明音の評価が不満だったのか顔をしかめている。明音は広々とした道路を後ろ向きに進みながら言った。
「どちらもイエスだ」
莢花が眉を寄せて首を傾げる。明音はまた前を向いた。
きっとこの辺りはかつては大きなオフィス街だったのだろう。沢山のビルだったものが並んでいる。中途から折れたもの、崩れたもの、斜めになったもの。どのビルも到底、まともには使えそうにない。車が通っていただろう高架は半ばで分断され、地面に向かってまるで舌を出しているようにも見える。
明音と莢花の2人旅ですw