「よくわからないけど、呪いなら解けるんじゃないの?」
解こうと思えば解けそうに見えるんだけど。莢花が続けた言葉に明音はああ、と苦笑した。そういえばすっかり忘れていたが、莢花の前世は夜叉だ。きっとこの歪んだ気配を読み取ったのだろう。
「ま、必要だから集めてあるってトコじゃないのかなー。オレも詳しいことは知らないけどね」
そう言いながら明音は道を折れた。誰もいない車道の真ん中を悠々と歩く。後ろからついて歩く莢花が不服そうな声で言う。
「必用ってどうして?」
明音は小さく笑って肩越しに莢花を見た。唇に咥えていた煙草を引き剥がし、煙を吐き出しながら答える。
「オレもその辺はさっぱりでねー。出来れば教えて欲しいもんだけど」
そこまで言って明音はおっ、と声を上げて足を止めた。つられて莢花が足を止める。明音は天を仰いで口許に嘲るような笑みを浮かべた。
「青龍神のご帰還だねぇ。さすが、足が速いよ。あっという間に往復だもんなぁ」
暗くなってきた空を仰ぎながら明音はくすくすと笑った。すると慌てたように莢花が空を見上げる。
「おにい、ちゃん……?」
愕然と目を見張って莢花が呟く。明音は空をしばし見つめてからまた歩き出した。どんどん空は暗くなっている。空を行く水輝が雲を呼んでいるのだ。あー、傘忘れちゃったなあ、と呑気に言いながら明音は咥えていた煙草を道に放り捨てた。
「あたし、お兄ちゃんに、謝らなきゃいけないの」
少し離れたところで莢花がぽつりと呟く。明音は足を止めて苦笑しながら振り返った。空を覆った雲の狭間には青い龍体が見え隠れしている。が、すぐにそれも消えるだろう。
「直に会うんしょ? 早くこないと置いてくよん」
そう莢花に声をかけて明音は片手を上げた。歩き出した明音を慌てたように莢花が追ってくる。
「怖いのよ。お兄ちゃん、あたしに会ってくれないかもしれない」
「だーいじょぶっしょ、それは。何でそんなこと思うの?」
苦笑して明音は横に並んだ莢花を見た。だが莢花は俯いている。おや、と眉を上げて明音は唇を引き結んだ。
「だって、あたしは卑怯者だもの。あたしなんか、お兄ちゃんにとってどうでもいい存在だったのに」
呟くように莢花が言う。明音は顔をしかめて頭をかいた。
「まあ、キミらの関係性についてはオレには口を挟む権利ないからねぇ。落ち込むなら落ち込めばー? 悩むのも勝手にすればいいしー」
そう言いながら明音は足を止めた莢花を放って歩き出した。
「とにかくオレはちょっと水輝ちゃんに用があるからいくねー。そんじゃ、ばいばーい」
背後に立ち止まったままの莢花に片手を上げつつ明音は進んだ。すぐに慌ただしい足音がして莢花が明音に追いつく。
「待って、ごめんなさい。会うわ。もし拒絶されても、文句は言えないけど」
「何だかなあ……。キミ、割と消極的? 好きならガツンと突っ込めば?」
半ば呆れて明音はそう言った。別に莢花を煽るつもりはないが、こんな風に落ち込まれるのも正直、鬱陶しい。明音は横目に莢花を見ながらショルダーバッグを探った。煙草を引っ張り出して唇に挟む。明音が煙草に火を点けたところで莢花が少しだけ笑った。
「そうね。ありがと」
「うむ。オンナノコは元気な方がカワイイよん」
そう言って明音は莢花に笑みかけた。莢花はつられたのか困ったように笑う。
二人はしばし他愛のない話をしながら歩き続けた。やがてオフィス街を抜けて住宅地に入る。その辺りになると次第に莢花の口数が減り始めた。恐らく莢花には何となくは見覚えがあるだろう。時が経ってかなり変わってはいるかも知れないが、この辺りは莢花も通ったことがある筈なのだ。
「あたしにとって、お兄ちゃんは全てだったの。物心ついたときには、もう虜になってた」
「へえ」
余計な口を挟まず明音はそう合鎚を打った。そうしながらしみじみと莢花を見る。しっかし、中身が変わればこんなに雰囲気違うもんかね。奈月の雰囲気といまの莢花の雰囲気はまるで違う。入れ物が同じでも中身が違えばそれは全くの別人とも言えるのかも知れない。
ま、都子もそうだったしな。明音は内心で呟いてからそれで、と莢花を促した。
「ずっと一緒に育ったわ。お兄ちゃんが傍に居るのが当然だと思ってた。あの頃のあたしは、お兄ちゃんは、あたしのためにいるとさえ思っていたかもしれないわね」
言いながら莢花がそっとため息を吐く。なるほど、と明音は呟いた。確かに莢花の当時の認識は間違いではない。水輝は夜叉の生まれ変わりを守るために莢花と共に居た。かつての記憶を封じ、赤子からヒトの振りをして育ったのだ。
路地を曲がる。壊れた家が連なる前の道を行きながら明音はちらりと莢花を伺った。莢花の顔は緊張に強張っている。どこに向かっているか察しがついているのだろう。
「お兄ちゃんは、どんな我儘を言っても笑って聞いてくれたわ。お兄ちゃんはあたしのものだって、疑いもしなかった」
バカみたいにずうずうしいわよね。自嘲気味に笑って莢花が立ち止まる。明音も無言で足を止めた。
一軒の壊れかけた家が目の前に建っている。家を囲むブロック塀はあちこちが割れ、崩れている。小さな猫の額ほどの庭に残っているのは錆ついたブランコだ。だがそのブランコは無残に倒れている。広々とした窓の向こうに荒れた家の中の様子が見える。明音はしばし無言でその家をぼんやりと眺めた。
莢花がそっと手を伸ばしてブロック塀の一部を手で撫でる。白い指に撫でられたその部分には古びた表札がかかっていた。池田。そう、表札には書かれている。この家はかつて水輝や莢花、そしてもう一人の姉が暮らしていた家なのだ。
ぽつり、と冷たいものが落ちてくる。明音は雫に濡れた頬を押さえて天を仰いだ。真っ黒な雲が張り出している。いまは小雨でもすぐに豪雨に変わりそうな天気だ。明音はぼんやりと佇んでいる莢花の背をぽんと叩いた。
「ま、考えても仕方ないじゃない? 会っておいでよ」
そう言って明音は笑みを浮かべた。戸惑ったように振り返る莢花に手を振る。
「そうね。行ってくるわ。あかねちゃん、ありがと」
頷いて莢花が家に入っていく。笑顔でそれを見送ってから明音は少し俯いた。口許に嘲りの笑みを浮かべて天を仰ぐ。
暗い空の一角に紅の光が現れている。
「さあてと。オレは安全なところで見物させてもらうかな。さすがにキレた水輝ちゃんの相手は遠慮したいからね」
そう呟いて明音はその家から歩いて離れた。ここで下手に力を使ったら幾らいまの水輝でも勘付くだろう。明音は注意深く周囲を伺いながら出来るだけ家の様子が見え易い位置を選んでその場所を陣取った。よじ登った桜の木の枝に腰を下ろす。にやにやと人の悪い笑みを浮かべて明音は離れた場所に建つ家を見た。
2人の旅はとりあえず終了です。
ちなみに明音は順なので、兄妹という関係の莢花と水輝の話を聞くと、身につまされるところがあったりします。