二人の意見というか、言い分が完全に食い違ってるのは仕方ないというかー。
莢花はよろりと動いて水輝を押し退けた。水輝が不思議そうな顔で莢花の前から退く。莢花は大きく息を吸って、硝子の窓に向かって腕を振った。
「莢花! 何してるんだ!」
蒼白になった水輝が慌てて莢花の腕を押さえる。酷く打ちつけた肘が痛い。だが莢花は羽交い絞めする水輝の腕を懸命に振り解こうとした。
「落ち着け! こら、莢花!」
そう言いながら水輝がじりじりと後ずさりする。強引に窓から引き剥がされて莢花は嫌がって首を振った。
「真面目に相手してくれないなら、このひとも壊しちゃうんだから」
「この人?」
不思議そうに言って水輝が腕の力を緩める。莢花はもがいて水輝を振り解いた。水輝に向き直って莢花は自分の胸に手をあてがった。
「莢花……。いい加減に訳の判らないことを言うのは止めろ。ふざけてると怒るぞ」
そう言って水輝が顔をしかめる。莢花は怒りに目を吊り上げて言った。
「怒りなさいよ。お兄ちゃんの大切な夜叉を殺してやったみたいに、このひとも殺してやるわ」
莢花が喚いた瞬間、水輝が凍り付く。目を見張って息を飲んだ水輝は額を押さえて小さく呻いた。やっと真面目に相手をしてくれる気になったのだ。水輝の様子を見て取った莢花はそう思った。
「お兄ちゃん、さあ、言いたいことがあるなら言ってよ」
「莢花。お前、どこまで気付いたんだ?」
苦しそうに顔を歪めて水輝が言う。莢花は訝りに眉を寄せて水輝を見つめた。水輝がよろけながら顔を上げる。その目には酷く傷ついたものが宿っていた。
「まず、お兄ちゃんが大事にしてるのはあたしじゃないってこと」
「何を……言って」
愕然と目を見張って水輝が呟くように言う。だが莢花は容赦なく畳み掛けた。
「お兄ちゃんが大事にしてるのは約束よ! そうでしょ?」
ぴくりと水輝が眉を上げる。それから水輝は悲しそうな顔をして首を横に振った。違う、と力ない声で呟く。水輝はしばし黙してから諦めたようにため息を吐いた。
「おれ、駄目な兄貴だな。お前に結局、そんな顔させてるんだもんな」
ごめん、と水輝が呟く。
「無理しなくていいのよ。お兄ちゃんが、あたしのことなんかどうとも思ってないことは知ってるから」
「何でそんなこと、言うんだ。おれは本気で……莢花を……護って」
辛そうに顔を歪めて水輝が呻くように告げる。水輝はふらりとよろけてその場に座り込んだ。すれた畳に座って俯く。
「護ろうとしたのは、あたしでなくて砂夜さんでしょう? そして砂夜さんを護ろうとしたのはそう約束したからでしょう?」
「おれは……砂夜を護ってはいない」
ぽつりと水輝が呟く。莢花は怪訝に思いながら水輝を見下ろした。水輝の記憶が混濁しているということは何となく判る。だが何故、水輝は夜叉である莢花の前身の砂夜を護っていないというのだろう。
「どっちでもいいわ。お兄ちゃんが護ろうとしたのはあくまで約束であってあたしじゃない。そうでしょ?」
「そうか……」
小声で呟いて水輝が腰を上げる。顔を上げた水輝は寂しそうな笑みを浮かべていた。
「ごめんな。不愉快な思いをさせて。おれ、そんなに莢花に嫌われてると思わなかったから」
そう言って水輝が手を莢花の頭に伸ばしかける。だがその手を水輝はためらいがちに引っ込めた。ごめん、と呟きながらコートのポケットに手を納める。
「好きよ! あたしはお兄ちゃんが好き! だけど、お兄ちゃんは、あたしを好きなふりをしていただけ、そうなんでしょう?」
莢花は想いをこめて叫ぶように言った。すると水輝が目を見張る。その直後、水輝の顔は真っ赤になった。ええと、と困ったように視線を泳がせて頭をかく。そのうろたえ方はこれまでに莢花が見たことのないものだった。
「いや、あの、その」
意味のない言葉を重ねて水輝が頭をかく。
「お兄ちゃんが好きなのは……お姉ちゃんでしょう?」
伺うように水輝を見ながら莢花は訊ねた。するとそれまでうろたえていた水輝が不思議そうに目を見張る。
「なに言ってるんだ? おれたちは二人兄妹だろ?」
衒いもなく水輝が言い切る。莢花はその答えに絶句した。水輝はさっきのことを思い出したのか、再び顔を赤くして照れ始める。
「もういい。さよなら、お兄ちゃん」
そう言って莢花はにっこりと笑った。莢花は部屋を大股で横切って襖を開けた。慌てたように後ろから水輝が追いかけてくる。
「ちょ、ちょっと待て、莢花! って、うわ!」
階段の残り三段を水輝が踏み外す。莢花はそんな水輝を尻目に玄関を出た。玄関を駆け出した水輝が莢花に走り寄る。
「待て、莢花! 変だぞ、お前!」
そう言いながら水輝が莢花の肩を強く引く。莢花はそれにつられて足を止めた。
「どこまでも……どこまでも、あたしとまともに向き合う気はないのね?」
「だから何が! おれはちゃんと話をしてるだろ!?」
声を荒らげて水輝が言う。だが恐らく水輝には周辺の荒れた様子は見えていないのだ。無人で荒廃したこの町の様子も、そして誰もいない寂しい家のことも、何も見てはいない。
「ごめんなさいね。あたしは卑怯で醜いから、あなたを道連れにするわ」
莢花はそう囁いて再び歩き出した。すると後ろからいきなり水輝が莢花を抱きすくめる。莢花は水輝の腕の中で懸命にもがいた。
「離して!」
「行くな、莢花。気に入らないならおれが消えるから、だから頼むからどこにも行くな」
莢花を抱きしめながら水輝が震える声で告げる。莢花は唇を噛んで俯いた。
あの時、莢花を抱きしめた血だらけの手がそこにある。あの部屋で後ろから急に莢花を抱きしめたのは水輝だったのだ。
「お兄ちゃんは生きるのよ。いつまでもどこまでも、狂ってでも生きるの」
そう言って莢花は口許に暗い嗤いを浮かべた。水輝が莢花の肩に顔を埋める。
「もう……嫌だ。もう、なくすのは嫌だ。そんなことになるくらいなら、おれは」
莢花は水輝の呟きをじっと聞いていた。ふと天を見上げる。曇った空からは小さな雨が降り注いでいる。その天の一角に不気味な紅の光が浮かんでいる。
「なら、まともに相手してよ! 誤魔化すのはやめて!!」
莢花は声を張り上げた。すると真後ろで水輝が喚き返す。
「おれにどうしろって言うんだ!」
そう叫ぶなり、水輝は力任せに莢花の身体を回し、向き合った。その直後、莢花は水輝の腕に強く抱きしめられた。莢花の肩に顔を埋めた水輝が嫌がるように小さく首を振る。
……これ、前の話がないとわかんないのでは……。
なんかすみません(遠い目