腕の中に眠る奈月を見つめ、水輝はほっと息を吐いた。あどけない顔で奈月は眠っている。その顔にはほんの僅かにだが笑みが浮かんでいる。どうやら楽しい夢を見ているようだ。そのことを理解して水輝は壊れもののようにそっと奈月を抱きしめた。
結局、死ねなかったか。そう呟いて水輝はため息を吐いた。とにかく奈月をこのままにしてはおけない。水輝はその場から一気に立城の屋敷に転移した。ついでに転がっていた自分と奈月の服も一緒に転移させる。
水輝は屋敷の一室、奈月の寝室に割り当てられている部屋に姿を現した。まだ裸のままでいる奈月をそっとベッドに横たえる。毛布をかけたところで水輝は力なくその場に座り込んだ。まだ奇妙な感覚は残っている。気付いた時には腕の中に奈月がいて、だがその精神はかつて妹として育っていた莢花のものと入れ替わっていた。結局、水輝が溜め込んだ歪みは莢花が全て吸い出したらしい。水輝は床に胡座をかいて座り、頭をかいた。
どこまで行っても紫翠の誓約はついて回る。それならいっそ、自分が自分でなくなれば無効になるのではないか。そう思って試してはみたが、結局はこの方法も駄目だったらしい。
莢花に悪いことしちまったな。そう呟いて水輝は深々と息を吐いた。それから更に深く息を吐いて振り返る。
「何でお前がここに居る」
不機嫌に眉を寄せて水輝は背後に現れた人影に先に声を投げた。人影がやがてはっきりとした姿になる。現れた女性を見止めて水輝は頭を押さえた。
「あなたとセックスしなければならないそうよ」
淡々と語るのを聞いて水輝は本格的に顔をしかめた。左手に何やら紙の束を持った凪が部屋の隅に突っ立っている。いや、今はもう名前は違うのだろう。水輝は思惟を探って新しい名前を読もうとした。
慌てて顔を上げる。水輝は絶句して目を見張った。
「私の新しい名前は汀というらしいわ。さあ、私とセックスしましょう」
「あ、阿呆か! 何でおれが」
冗談じゃない、と呟いて水輝は床に散らかっていた服を取り上げた。慌ただしく服を着込む水輝に汀がすう、と近付く。
「しろと命じられたの。使い魔である私は逆らえないわ」
「だから! 何で!」
動揺しながら水輝は声だけを汀に返した。すると汀が首を傾げる。
「さあ。忘れたわ」
そう言いながら汀はゆらりと動いてベッドに寄った。寝息を立てる奈月の顔を見つめて少しだけ笑う。
「元気だった?」
主語も何もなしで汀が言う。水輝は肩を竦めてああ、と答えた。すると汀がそう、と微笑む。だが相変わらず汀の思惟は静かだ。どうやら汀は感情に完全に蓋をしているらしい。相変わらず強情な女だ。水輝は顔をしかめてそうぼやいた。
ベルトを締めてコートを羽織る。そこで水輝は舌打ちをした。何で家の中でコートを着なければならないのだ。水輝はため息を吐いてコートを脱いでソファに放った。
「私だけというのはフェアではないものね。良かったわ」
「お前ら姉妹はろくなことしやがらねえな。翠に後で詫びいれとけ」
汀の言葉にそう返しながら水輝はソファにどっかりと腰を下ろした。その傍に汀が足音もなく近付いてくる。
「セックス」
「だー!」
ぽつりと言われて水輝は頭をかきむしった。それからはっと我に返って慌ててベッドを見返る。だが、奈月が水輝のわめき声に気付いた様子はない。穏やかな顔で眠っている。
「あのな。おれは残念ながらこの通り疲れて」
「セックス」
水輝の声を遮って汀がまた呟く。水輝は歯を食いしばって俯き、肘当てに乗せた手を小刻みに震わせた。相変わらず静かな思惟からは何も読み取れない。水輝はぎりぎりと歯軋りして汀を睨みつけた。
「お前な。おれがどれだけ我慢してると」
「だからセックスしましょう。水輝のことだから簡単でしょう? 女を抱くのは」
さらりと汀が言う。水輝は片頬を引きつらせて呻いた。汀は水輝の傍にじっと立っている。こうしていても疼いてくるものはあるのだ。これが他の何でもない女ならさっさと押し倒している。
「いいか? お前はしす」
そこまで言った水輝の唇に汀が指を当てる。黙って汀が首を横に振る。それを見た水輝は僅かに目を細めた。確かに汀が優一郎の使い魔になったなら、情報が筒抜けになっている恐れがある。関係のない者をこれ以上巻き込むのは得策ではないだろう。
「とにかく、だ。今のお前は優一郎のなんだから、やりたきゃ奴にしてもらえ」
そう言って水輝は頭をかいた。すると傍に立っていた汀が小さく笑う。
「私の意志は関係ないそうよ」
「だからそれが気にいらねえっつってるんだ。何が悲しくて嫌がる女を抱かなきゃならんのだ」
そうぼやきながら水輝はため息を吐いた。困ったわね、と汀もため息を吐く。水輝はとりあえず汀にソファを勧めてから屋敷内を意識のみで探った。庭先に見慣れた気配を見つけて苦笑する。なるほどね、と呟いて水輝は茶をいれるためにキッチンに向かおうとした。それを汀が制す。
「お茶なら私がいれるわ。その間にセックスが出来る状況にしておいてちょうだい」
「無茶言うな!」
部屋を出て行く汀に喚いてから水輝はソファに沈んだ。そこで思い直す。とりあえずこの部屋からは出よう。大声で騒いでいては奈月も落ち着いて眠っていられないだろう。そう思いながら部屋を出る。水輝は自分に割り当てられた隣の部屋に入って深々とため息を吐いた。
水輝の反応を判ってて言ってる節があるというかー。