エロシーンはありません。
電柱の上に座っていた明音は小さく笑って息を吐いた。
「これで一件落着っと。……みんないいねえ、らぶらぶで。オレもちょっと寂しくなっちゃったなー」
天に現れていた紅の光は消えている。軽く掛け声をかけて明音は腰を上げた。電柱の上に立って周囲を見回す。
この清陵という地には立城の施した結界がある。目には見えないその力は地面を介して張られているのだ。だがこの結界はかつて立城が暴走して作った物とはまるで質が違う。この結界には優しい力しかこめられてはいない。
対する木村の地と呼ばれるところには対照的な力がこめられた結界が張られている。暗い、闇の力のこもったその結界とここにあるそれとはまるで性質が違っている。木村の地が滅びに向かう場所なら、ここは新しい命が誕生する地だ。そして二者は互いがなければ力を維持することができない。
まあね、敵対関係って訳じゃないけど天秤の両端みたいなもんでさ。明音はなんとはなくそう呟いてから苦笑した。今はもう、語るべき相手もいない。莢花は結局、翠の手を離れて冥界に旅立ってしまった。
奈月の身体に宿っていた莢花はかつて死んだあの瞬間に時を越えた。そして今のこの世に一時的に蘇ったのだ。奈月の身体がなければ出来なかった芸当だ。が、受け入れ側の奈月にしても、少し前の状態では到底莢花を迎え入れるのは無理だった。あの時、水輝が風龍神に奈月を抱かせなければ恐らく今回の一件は実現しなかっただろう。
結局のところ、水輝が幕を開け、自身の手で幕を引いたようなものだ。もちろん間には様々な力の仲介があった。まずは莢花の魂に時を越えさせた翠。そして水輝を救おうと尽力した優一郎。それに助力した立城。そして最後に時を凍らせて蘇った渚。彼らのどの力が欠けても水輝は恐らく元には戻れなかっただろう。
まあ、オレも少しは役に立てたかなあ。そう呟きながら明音はショルダーバッグを探った。だが生憎と煙草の箱は空っぽになっている。むー、と唸って明音は電柱の上に胡座をかいて座った。手にした鎌の柄を肩に乗せる。運悪く明音を見止めた人が顔を真っ青にして足早に遠ざかる。彼らの目には明音はどうやら死神にでも見えるらしい。駆けていく人間にひらひらと手を振りながら明音はくすくすと笑った。
ただ、問題は水輝の受け取った渚の持っていた記憶だ。恐らく水輝はそれをまだ開封はしていない。立城が土壇場で強引に記憶を塊にしてしまったからだ。多分、あの時の立城ではあれが精一杯だっただろう。とんでもないものの依代になってしまった上での行為だ。そのことを思い出して明音は身震いした。やはり地上の王の名は伊達ではない。
だがそのことは同時に水輝の精神を壊すことに一役買ってしまった。結局のところ、水輝はあの立城が固めた記憶を受け取ったためにああなってしまったのだ。
やれやれとため息を吐いて明音は頭をかいた。火龍神の記憶は既に火藍の緋宝珠からもらい受けている。ある程度の話は見えているし、これまで知らなかったことも随分と判った。だがやはり明音にも判らないことがある。
紫翠の誓約の全貌だ。恐らくそれは誓約の管理者である優一郎も知らないのではないだろうか。あのかつて水輝の姉であった渚には紫翠の魂の一部がこめられていた。それ故に渚は同じ年頃の女性よりかなり成長が早く、しかも莢花がコンプレックスを感じる程度には見目も整っていたのだ。そして水輝はそんな渚に惹かれていた。彼らが当時、恋仲にならなかったのは紫翠の誓約があったからだろう。
「むー。やっぱりよくわかんないなぁ。ここはやっぱ一発、あのヒト呼んでみるかなー」
そう言いながら明音は天を見上げた。口元に手をあてがって声を飛ばす。
「おーい、翠サーン」
明音が呼んだ瞬間、傍の空間が僅かに揺らぐ。明音はお、と感嘆の声を漏らして揺らぎを見つめた。ほどなくその場に一人の青年が現れる。
かつて翠は一度だけ呼ぶことを許すと言っていた。それに従って現れたのだろう。明音の傍の空間に翠は佇んでいた。
「何の用だ」
相変わらずの仏頂面で翠が告げる。明音はショルダーバッグから取り出した小銭入れを翠に差し出した。少し眉を寄せた翠が大人しくそれを取る。
「わっるいんだけどさー。煙草、買ってきてくんない? このカッコで買うのってけっこー気を遣うんだよね」
「貴様、そのためにわたしを呼んだのではあるまいな」
だが文句を言いつつも翠がその場からかき消える。しばしの後、翠はきっちりセブンスターを一箱手にしていた。好みを伝えたつもりはないから、最初から全てお見通しということだろう。明音はありがたくそれを受け取り、ついでに小銭入れをバッグに納めた。
「んじゃ、河岸変えよっか。ここは目立つしね」
言うなり明音はその場から転移した。
ここまでご覧くださった方、ありがとうございました。
気合いがあったら登場人物紹介などを後で追加します。