エロシーンはありません。
「斎姫、僕には君が必要だ。だけど、多輝や、要さんも必要だと思っているんだ」
そう言って優一郎は斎姫に向き直った。斎姫が気配に気付いて驚きに目を見張る。
「もしかしたら、必要だと想う女性はこれからも増えるかもしれない」
苦笑を浮かべて優一郎が告げると斎姫は複雑な面持ちになった。だが斎姫は覚悟を決めたように小さく頷いて優一郎に向き直る。互いに向き合ったところで優一郎は斎姫の手をそっと取った。
「正直、凄く卑怯だと自覚してる。だけど、君なら受け止めてくれると思ったから」
静かに告げて優一郎は斎姫の目を真っ直ぐに見た。
「誰かの代わりでなく、君が欲しい。君の全てを支配したい」
ゆっくりと優一郎は言った。斎姫がじっと優一郎を見つめて目を潤ませる。涙が斎姫の頬を伝う。優一郎は黙ってそれを見つめていた。
「あなたが何者でもわたしはかまいせん。わたしの全てを貰っていただけますか?」
震える声で斎姫が告げる。優一郎はそれを聞いて目を見張った。そこには純粋で透明な力がこもっている。何者にも染まらない、まるで婚礼衣装のように真っ白な心がそこにはあった。
優一郎は手を伸ばして斎姫の頬をそっと捕えた。斎姫が静かに目を閉じる。どちらともなく顔を近づけ、二人の唇が触れようとしていた時、唐突にその音が鳴った。小さな電子音がキッチンに響く。音に驚き硬直していた優一郎は慌てて白衣のポケットを探った。音を立てている電話を取り上げる。
『あー、もしもし。池田水輝と申しますが、優一郎くんはいらっしゃいますかね』
間延びした声に優一郎はがっくりと肩を落とした。立城の屋敷の番号を見た時にぴんとは来た。だが何故、このタイミングでかけてくるのだろう。
「水輝さん、こんにちは。ちょうど噂してたところだったので、ちょっとびっくりしました」
にっこりと笑って言いながら優一郎は頬をひきつらせた。斎姫は真っ赤になって俯いてしまっている。だがちょうど良かったのかも知れない。あのまま流されていたらまた斎姫を壊してしまっていただろう。
『噂だあ? おいおい、人に聞こえないと思って妙なこと言ってたんじゃないだろうな』
笑い混じりの水輝に声に優一郎はそんなことはありませんよ、とさらりと答えた。残っていた冷めたコーヒーを飲んでから水輝に何の用件か訊ねる。優一郎は空になったカップを斎姫に差し出した。慌てたように斎姫がカップを取ってコーヒーサーバーのある棚に向かう。
『いや、ちょっと訊いてみるんだけどさ。立城、そっちに行ってないか?』
「いえ。立城さんは今、ここにはいません」
優一郎は迷いなく即答した。すると水輝が僅かの間、黙る。その後、水輝はあー、と力ない声を漏らして告げた。
『じゃあ、言い方を変える。……紫、行ってないか?』
「紫さんならいらっしゃいます。電話、代わりましょうか?」
笑顔で告げて優一郎はスツールを降りた。だが優一郎が歩き出す前に水輝がいや、と答える。優一郎は不思議に思って首を傾げた。どうやら水輝は立城に直接用事がある訳ではないようだ。
『実はさ。あいつ、仕事を全部放り出していっちまっててな。……催促の電話がさっきから』
そこまで水輝が告げたところで遠くで電話の鳴る音が優一郎の耳にも聞こえてきた。ちょっと待て、と水輝が言う。優一郎は大人しく判りましたと返事してしばし待った。水輝は電話を二本同時に耳にあてがっているのだろう。慣れない丁寧な言葉遣いで詫びているのが聞こえてくる。そうかと思うと電話の向こうでは微かに奈月の声もする。どうやら聞こえる範囲だけでも三本の電話が鳴り続けているらしい。優一郎はさすがに眉を寄せた。
『あー、もううっとうしい!』
唐突に水輝が怒鳴る。優一郎はやれやれと肩を竦めてため息をついた。
『こっちに来てるメールを転送するから、立城にそっちで仕事をさせてくれ。それと転送先のアドレスを教えてくれないか?』
どうやら水輝の用件はそれだったらしい。
「わかりました。僕のアドレスに転送してください。あと、電話についてもこちらで受けれるように早急に体制を整えます」
『悪いな。わがまま言っちまって』
そう言って水輝は疲れたように笑った。
『ああ、そうだ。あと、蒼に伝言頼んでもいいか?』
「なんでしょう? なんでしたら直接そちらに伺うように伝えましょうか?」
もしかしたら多輝の身に何かあったのだろうか。そんな不安を押し隠して優一郎は穏やかな声でそう訊ねた。
『いや、伝えてくれればいい。……くそがきが街で女を食ってるみたいだから、への78番は解放するな。以上』
それを聞いた優一郎はしばし無言で考えを巡らせた。くそがきというのは多輝のことだ。その後に続いていた番号は恐らく蒼が握る、多輝を抑制する鍵のことだろう。なるほど、と呟いて優一郎はとりあえずは頷いておいた。
「への78番の開放を禁止と伝えればよろしいですね。了解しました」
『あ、それと』
用件を繰り返した優一郎にまた水輝が告げる。今度はなんだろう。優一郎は不思議に思いながら首を傾げた。斎姫が差し出したコーヒーを受け取ってスツールに腰を下ろす。
『紫のこと、頼むな』
そう告げた水輝の声は少し低い。優一郎は目を細めて微かに笑った。水輝は立城のことをかなり心配しているらしい。そのことが声から伝わってくる。
「母上については任せてください。きっちりリハビリさせて返しますから」
『うわ、ばればれ』
優一郎の言葉に水輝が笑って答える。優一郎は肩を竦めて笑ってみせた。どうして気付かないと思うのだ。その意味をこめた質問を投げてみる。すると水輝はそうだよな、と笑った。
『あんま、気にしてるようなら言ってやれ。おれが相手が望まない妊娠させるようなヘマする筈がないだろって』
「わかりました。お伝えします」
『……どうでもいいが、妙な技、仕込むなよ』
笑い混じりに告げて水輝がじゃあな、と電話を切る。優一郎はやれやれとため息をついて電話を白衣に戻した。
甲斐性ってなんだろう、と時々思います……。