あの日、水輝の記憶が戻った直後、立城は組織を解体しようとした。が、それは大きな損失だと言い出したのがこの学だ。以降、立城に代わり学が組織のトップに立つことになった。特異な能力を持つ者ばかりを集められていたこの集団は、今でも地道に裏稼業を営んでいる。
やれやれと学が肩を竦める。
「あんたたちはどうしてそう、昔っから意地の張り合いをしてばかりなのかしらねー……」
どこか遠くを見つめて学が呟く。水輝はだがそれには答えなかった。学が短くなった煙草を灰皿に押し付ける。水輝はそれを見て何気なく硝子の灰皿を持ち上げた。難しそうに身を折っていた学がありがと、と呟く。
「別に意地なんて張ってないだろ」
「正直なトコ、アタシは奈月ちゃんが水輝君のところに来た時、安心したのよ」
これでこいつら少しはマシになるってね。そう言いながら学が笑う。水輝は顔をしかめて手にしていた灰皿に煙草を押し付けた。立て続けに二本目を咥えて火を点ける。
「学は奈月一筋で生きろみたいなこと、おれに言ってなかったか?」
「だって他にどう言うのよ。まさか奈月ちゃんを悲しませない程度に紫とやっちゃえって言うの? まあ、水輝君はどうせ、紫以外の女はほいほい抱いてそうだけど」
学がけらけらと笑う。相変わらず遠慮のないやつ。そう呟いて水輝は頭をかいた。だが学は一切、悪びれることもなくどっちがよと切り返す。
学は他のメンバーのように空間を跳んだり、手を使わずに物を動かせると言った、所謂目に見える超能力は持っていない。学が持っているのは恐ろしいまでの情報収集能力だ。ありとあらゆるこねを使い、学は知りたいと思った情報を瞬く間に知ることが出来る。それ故に口には出さないまでも、水輝や立城の正体に薄々は気付いているのだ。
だが学は絶対に自分からは言わないだろう。水輝ももちろん、言うつもりはない。それ故に今のような関係が維持できているのだ。
「しっかし、水輝君も何でいきなり金策に走ってるの? 金なら紫から幾らでも引き出せるでしょうが」
そう言いながら学が立ち上がる。水輝は灰皿を片手に歩き出した学の後を追った。学が大きな机に歩み寄る。
「それに金なら貸してもいいのよ? 後から返してくれれば」
「お前に借りは作りたくない」
ぶっきらぼうに答えて水輝は手にしていた灰皿を机にのせた。もー、と呆れたような声を漏らしながら学が引き出しから札束を出す。束は全て新札で出来ており、束をまとめる細い紙の上にはどこぞの銀行印がつかれている。それを机に乗せて学は水輝の方へ押し出した。
「ぴったり百万。十五万はアタシからの餞別ってことにしとくわ」
「お!」
水輝は喜びに顔をほころばせて札束に手を伸ばした。だがその手をぴしゃりと学が叩く。水輝は眉を寄せて叩かれた手を反対側の手で撫でた。
「誰がタダでやるって言ったのよ」
「餞別っつったら普通はただだろうが」
「バカねっ! タダより高いものはないって知らないの!?」
どうも論点がずれている気がする。水輝は煙草を咥えた唇を窄め、学をじろりと睨んだ。唇に挟んでいた煙草を指に挟んで引き剥がす。
「要するに金を用立てる代わりに何かしろ、と」
「いやぁん。よく判ってるじゃないのぉ」
嬉しそうに言って学が意味もなく身をくねらせる。それを見た水輝はまさか、と引きつった。額を押さえて呻いてから力なく俯く。それから水輝は目だけを上げて学を見た。
「おれ、ノーマルだから」
「ちっ」
あからさまに学が舌打ちをする。おいおい、と低い声で言ってから水輝はうろんな目で学を見た。だが学はけろりとして冗談よ、と告げる。
こいつの場合、どこからどこまでが本気だかなー。出来るだけ学の思惟を力を使って読まないよう気をつけつつ水輝は思った。その気になれば相手の思惟は簡単に読める。だが必要ないのに力を使うこともないだろう。もっとも、強烈な思惟は放っておいても見えるものだから、実は学は口ではちゃらけていても心の中はかなり冷静なのだ。
「アタシが頼みたいのはね。……あんた、いいかげんちゃんとしなさい」
「は?」
唐突に言われた意味を理解出来ず、水輝は素でそう返した。学が水輝を睨みながら腕組みをする。
「あんたたちが背負ってるものの大きさなんてアタシには判んないし、考えたくもないわ。アタマ、パンクしそうだし」
そう言いながら学は深々とため息をついた。
「……でもね。紫はね。背負ってるものうんぬんとか言ってる場合じゃなく、人間側の吉良瀬当主って事情でこの国を左右しちゃうのよ。吉良瀬財閥ってのはそういうもんなの。下手すると世界があっけなく傾くの」
水輝は無言で学の言うことに耳を傾けていた。
「あんた、紫に何かしたでしょう? この間から大騒ぎになってるのよ?」
「……知ってる」
低い声で水輝はぼそりと答えた。煙草を吸いながら視線を少し下げる。宝石を握った学の手が震えている。水輝たちに真実により近いことを言うことにより、何らかの代償を支払わなければならないことを学は知っているのだ。
「学。おれたちのことに首を突っ込むな。下手に触ると火傷じゃすまな」
「判ってるわよ、そんなこと!」
水輝の言葉を遮って学が大声を張る。その瞬間、ほんの僅かだけ学の思惟が流れてきた。水輝は驚きに目を見張り、次いで俯いた。阿呆、と呟く。
しばしの沈黙が二人の間に横たわる。
「いつ死んだんだ」
「……一昨年よ。作戦が大幅に狂ってね。一瞬だったそうだから痛みなんて感じるヒマ、なかったと思うわ」
静かに告げる学の声は微かに揺れている。水輝は目を細めて舌打ちをした。
「だから木村には手を出すなって言ったんだ」
苦しさに顔をしかめて水輝は告げた。だが学はそれには答えなかった。
「その事件をきっかけに組織編成を大きく変えたの。今はもう、水輝君みたいに一人で仕事する子はいないわ。必ず三人以上のチームで任務にあたるの」
そう言いながら学が鼻を啜る。水輝はため息をついてポケットを探った。奈月がアイロンをかけてくれたハンカチを学に差し出す。だが学はいいわ、持ってるからと水輝のハンカチを受け取らなかった。
目尻を拭った学が咳払いをする。水輝は黙って顔を上げた。
「アタシたちはあんたたちみたいに長生きじゃない。だけど、命の価値はみんな一緒じゃないかしら? あんたたちも必死かも知れないけど、アタシたちも必死よ。だっていつ死ぬかなんて誰にも判らないもの」
水輝はしばらく黙っていた。学が椅子を引いて座り、宝石を机に乗せる。
「こっち側に流れてきたヤバイことの尻拭いはアタシがしてあげる。だけど出来ることには限界があるし、過剰な期待をされても困るわ。精々が裏で騒いでるヤツラを黙らせるくらい。でも、何もしないよりはマシでしょ?」
「ああ」
そう答えて水輝は頷いた。学がそれに頷きで返してシガレットケースを取り出す。それはかつて、立城が誕生日のプレゼントにと学に贈った物だ。シルバーのケースの表面の片隅には学の名前がアルファベットで入れられている。
「それから、情報探る程度のことならアタシにも出来るから頼ってくれていいわ」
そう言って学がにっこりと笑って片目を閉じる。水輝は肩を竦めて苦笑した。どうやら全て見抜かれているらしい。今は立城をあてには出来ない。そうなると細かい情報をどこかから入手する必要があるのだ。
「だから、ちゃちゃっと極めなさい。ちんたらしてるオトコなんてカッコ悪すぎて笑えないわ」
「好きでちんたらしてる訳じゃねんだけどなあ……」
そうぼやきつつも水輝は苦笑した。がるる、と学が水輝を威嚇する。水輝はありがたく金をポケットに納めながら小さく笑った。
「やっぱ、お前っていい女だよ」
水輝がそう言った途端、学が目を見張って絶句する。驚きに硬直する学に素早く身を寄せ、水輝は赤く口紅の塗られた唇を奪った。ほんの一瞬、触れるだけの口づけをしてじゃあな、と片手を上げる。呆れたような怒ったような声で学がばか、と呟く。水輝は笑ってその場から姿を消した。
女装はしていますが、かなり常識人な学です。