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分厚い結界を越えて水輝は大きく息をついた。相変わらず総一郎は曲者らしい。確かにこのレベルの結界なら他者の侵入を拒むことが出来る。意識の糸を伸ばそうとしても無駄だろう。水輝はやれやれと肩を竦めて胸ポケットを探った。
咥え煙草で歩き出す。左腕にしっかりと奈月の肩を抱き、水輝は用心深く周囲の気配を読んだ。幸い、傷ついた自分を狙った連中は来てはいないらしい。そのことにほっとしながら水輝は何気なく奈月の髪に唇を落とした。
「あの、水輝さん! そういえば千佳さんという方が、いらしてたんです」
慌てたように奈月が告げる。らしいな、と呟いて水輝は顔を上げた。空を仰ぐ。するとまるでタイミングを測ったかのように水輝の視線の先から急速にそれが近付いてきた。
「水輝様ぁぁぁ!」
泣きじゃくりながら千佳が滑空してくる。水輝は目を細めてさりげなく千佳を避けた。すると全力で滑空してきた千佳が情けない声を上げて地面に激突する。
「いたぁい!」
べそをかきながら千佳が身を起こす。鼻血を出した千佳を水輝は呆れた目で見つめた。
「阿呆か、お前は。全力で飛んでくるやつがあるか」
無碍に言って水輝は千佳に背を向けようとした。するといきなり奈月の声が飛んでくる。
「水輝さん! なんでそんな意地悪をなさるんですか?」
予測しない方向から叱られて水輝は戸惑いながら千佳と奈月を見比べた。千佳はべそをかきながらちらちらと水輝を上目遣いに見ている。
「いや、なんでって言われても」
困惑しながら水輝は腕の中の奈月を見下ろした。奈月は本気で怒っているらしい。目を吊り上げて水輝を睨んでいる。
「千佳さんは、水輝さんの、そのえっと、恋人なのでしょう? 水輝さんの元に向かおうとバリヤーに突っ込んだほど、水輝さんを愛してらっしゃるんですよ!」
「恋人じゃねえ!」
即座に言い返して水輝は地面にへたり込む千佳の頭を足でどついた。
「おらおら、とっとと羽根しまえ! お前、奈月になに吹き込んだ!」
怒鳴りながら水輝はげしげしと何度も千佳の頭を踏んだ。うぇぇん、と大声で泣きながら千佳が羽根を身体の内側にしまいこむ。それを見届けてから水輝はふん、と鼻を鳴らした。
「水輝さん!」
奈月が険のある声を張り上げる。水輝は慌てて奈月を見た。
「何か誤解してると思うんだが。そもそも千佳は淫魔だぞ? ただの」
そう言いながら水輝は千佳を指差した。千佳は鼻血と涙とに顔を汚しながらまだ泣いている。水輝はため息をついてポケットからハンカチを取り出して千佳に放り投げた。千佳がぱっと顔を輝かせて嬉しそうにハンカチで顔を拭う。
「ストレンジャーと鴉。そして、歪みのかけら」
ぴくりと水輝は眉を上げた。奈月は静かに語っている。
「水輝さんの力で結びつけてありますよね? 歪んでしかるべきはずなのに、この方に歪みはありません」
纏ってはいますけど、祓えますし。あっさりと続けて奈月がじっと千佳を見る。千佳は何を言われているのか理解出来ないのだろう。不思議そうに奈月と水輝とを見比べる。水輝は口の中で小さく舌打ちをした。どうやら奈月はほぼ完璧に覚醒してしまったらしい。
「その方が手っ取り早い。乱暴な方法だが、確実に澱みを消去できる」
低い声で告げてから水輝はため息をついた。鼻血と涙に塗れたハンカチを千佳がおずおずと水輝に返そうと差し出す。それをすげなく要らん、と言ってから水輝は奈月に笑みかけた。
「でも千佳は淫魔だ」
「千佳さん、少し熱いかもしれませんけど、我慢してください」
奈月は水輝には答えず、千佳に手をかざした。へ、と間抜けな声を上げる千佳に浄化の光を放つ。あー、と力なく言って水輝は目元を覆って天を仰いだ。しばしの後、千佳が嬉しそうに笑って立ち上がる。
「すっごーい! 治っちゃった!」
「あー……まあ……その……なんだ」
水輝は引きつりながら奈月の肩から腕を放した。千佳がありがとありがとと繰り返しながら奈月の手を取って上下に振り回す。
やばい。このままでは邪魔が二名に増える。水輝は真剣に悩みながら頭を抱えて地面にしゃがみ込んだ。
「水輝さん、わたし、邪魔ですか?」
静かな声で問われて水輝は慌てて顔を上げた。奈月が真剣な目でじっと水輝を見つめている。
「いや! あの! そういう意味でなくて!」
どう言ったらいいのだろう。考えを巡らせながら水輝は立ち上がろうとした。
意識を何かが叩く。水輝はぴたりと動きを止めて息を潜めた。それから天を仰ぐ。翠に言われた時間より少し早い。水輝はじっと空を見上げたまま、しばし空気の動きを読んだ。
「水輝さん。わたし、謝らなければならないことがあります」
「あー?」
空気を読みながら水輝は奈月に声を返した。何だ、と目で訊ねる。
「水輝さんの傍を離れないと決めたのに、守らなかったから」
「いいや。あれはおれがわざと離しておいたんだ。おかげで巻き込まれずに済んだだろ?」
感情のこもらない声で言いながら水輝は再度、空を見た。遠くに影が落ちている。水輝はそれを読み取って顔を戻した。不思議そうに首を傾げる千佳と真剣な顔をしている奈月とを見比べる。
「わたしの専門は、お料理だけではないみたいなんです」
「ま、そうだな。魔法も使えるし力も使えるし、おれの相手も出来るしな」
そう言いながら水輝は右手を左の胸にあてがった。
「清らかに流れ行く青龍王よ! 我、浄化を司るものとして、越権行為を禁ず」
「げ」
水輝はまともに引きつった。言葉そのものが力となって水輝を拘束する。まじかよ、と呟きながら水輝はため息をついた。
このすれ違いがトラブルを生んだりします……。