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誰もいないリビングに入ったところで奈月は首を傾げた。総一郎にメンテナンスを頼みたいのだが、肝心の総一郎がどこにいるか判らない。
「お留守なのかしら」
そう言いながら奈月は家の中の探索を始めた。あの頃、奈月が作られた時と比べると家の構造は大分変わってしまっている。奈月はおっかなびっくりで家の中を歩き回った。リビングからキッチン、バスルーム等を探して回る。そうして歩いている内に奈月は奇妙なことに気がついた。客室を巡って再度、リビングに戻ろうとしたところで足が止まる。いつの間にか奈月はリビングの天井を歩いていた。あれ、と首を傾げて上を見る。だが確かにそこにはさっき歩いたリビングの床がある。
「もしかして迷ったのかしら」
半泣きになりながら奈月は踵を返した。出来るだけ歩いていたところを思い出しながら元のリビングに戻ろうと試みる。だが奈月はどうしてもリビングの床には戻れなかった。気がつくと何故かキッチンの天井だったりバスルームの壁に立っていたりする。
「誰かいませんかー」
泣き声で言いながら奈月は廊下の壁にへたり込んだ。すると不意に天井のスピーカーから物音が聞こえてくる。
『うむ。散歩は楽しいかね?』
しばしの後、スピーカーから総一郎の声が響いた。奈月はぱっと顔を上げて周囲を見回した。だが見える範囲には総一郎はいない。
『うむ。書斎の天井のドアから、廊下の右壁を通って、左に曲がった先のドアを開けるのだ』
奈月は慌てて腰を上げて書斎を目指した。だが真っ直ぐに向かうと書斎の壁に出てしまう。奈月はしばし考えて一度、キッチンを経由してから何とか書斎の天井に辿り着くことが出来た。言われた通りに書斎の天井のドアを開ける。ドアからえいっ、と飛び降りた奈月は総一郎に言われた通り、廊下の右壁を通って左に折れた。その先に他とは少し違った雰囲気の扉がある。
丸い小窓のたくさんついたドアを奈月はノックした。沢山あるにも関わらず、そのドアの窓には何も映っていない。
『うむ。入りたまえ』
スピーカーからの声に促され、奈月はドアを開けた。
急に視界が開ける。奈月は目の前に広がった景色に息を飲んだ。柔らかな下草の揺れる草原が視界いっぱいに広がっている。そよ風が吹き、草原をじゅうたんのように揺らす。奈月は唖然として背後を振り返った。だが何故か奈月が入ってきたドアは消失してしまっている。
呆気に取られたまま、奈月はふらりと歩き出した。右手には小高い丘が見える。その向こうには緑の森が見える。もしかしたら地平線の向こうにずっと森は広がっているのだろうか。よろけながら奈月はしばし前に進んだ。
草原の中に小さな道を見つける。奈月は何気なくその道を歩いた。ふと、後ろから小さな音が聞こえてくる。振り返ると細い土の道を一台の車が近付いてくるのが見えた。ぱこぱこという愛らしい音を立てながら近付いてくる車は無人だ。ブリキで出来た車はゆっくりと減速し、奈月の目の前で停まった。
「あの、あなたは??」
混乱しつつ奈月は車にそう呼びかけた。幼児が乗って遊ぶような小さな車のボンネット部についていた三体のブリキの人形がかたかたと動く。
「クルマダゾー」
「クルマダゾー」
「クルマダゾー」
三体のブリキの人形が口を揃えてそう言う。奈月は何度か瞬きをしてその車を凝視した。
「くるまだ象さん?」
真面目な面持ちで奈月はそう言った。するとブリキの人形の三体が互いに身を寄せてひそひそと話し合う。
「ゾウッテナンダ?」
「キットオレタチトハチガウクルマダナ」
「ソレハトモダチダナ」
しばし話し合ってからブリキの人形たちは奈月に向かっていった。
「オレタチハブリキノクルマ!」
「オマエヲオクルゾ!」
「ノルノダノルノダ!」
口々にブリキ人形が言う。
「ごめんなさい。車さんなのね。ありがとう、おねがいします」
そう言って奈月はブリキの車に向かって頭を下げた。それから車の脇に回ってオープン型のそれに何とか乗り込む。小さな椅子に奈月が腰掛けたところでブリキの車は再びぱこぱこと音を立てながら動き始めた。
「ラララ、オレタチャハタラククルマー」
「ネンリョウハオヒサマサー」
「ヤホホ、キョウモオキャクヲノセテツッパシレー」
不思議なメロディで歌いながらブリキの人形がボンネットの上で踊る。奈月はそれを見てつい微笑みを浮かべた。何だかお伽噺の世界にでも紛れてしまった気がする。車はゆっくりと道を進み、やがて奈月の目に大きな屋根が見え始めた。
「あの建物に総一郎さんがいるの?」
なだらかな坂を下り始めたところで奈月はそう問い掛けた。すると三体のブリキ人形がくるくると踊りながら答える。
「ハカセガイルゾー」
「オマエヲマッテルゾー」
「イッパイナカマイルゾー」
ブリキ人形が口々に答える。そうしている間にも車はその建物に近付いていった。大きな硝子のような屋根を持つそれは一見すると温室のようにも見える。硝子の屋根、硝子の壁、そして硝子の扉。近付くにつれて段々と中の様子も見えてくる。不思議な光景に奈月はしばし見とれていた。
ぱこぱこと音を立てて車が建物の入り口の前で停まる。奈月が降りて礼を言うと車はまたぱこぱこと音を立てながら道の向こうに進んでいった。奈月はしばしそれを見送ってから入り口に向き直った。ノックしようとして思い止まる。
「総一郎さん、奈月です」
奈月は入り口に向かって直に声をかけた。すると硝子で出来た扉が空気が漏れるような音を立ててスライドする。硝子越しに見える建物の内部の様子はまるで植物園の温室に見えた。
「奈月くん、良く来た。久しいな」
入り口から顔を覗かせた総一郎を見た奈月はしばし考え込んだ。何故、総一郎の外見はまるで変わっていないのだろう。確か、最後に見た時から考えるともう十年以上は軽く過ぎている筈だ。総一郎は以前と同じく表情の読み取れない面持ちで建物に奈月を招きいれる。
奈月を作ったのは総一郎さんであったりするのですが……色々あるんですよ、色々……。