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視界が開けた瞬間、奇声が聞こえる。
「うおあ!?」
素っ頓狂な声をあげた呉羽が慌てたように優一郎から飛び離れる。呉羽の格好を見た優一郎はああ、と納得して頷いた。呉羽は手術のための前掛けをつけ、ゴム手袋とマスクをつけている。その手に握られているのは鋭いメスだ。髪は落ちないように全て透明な帽子に覆われている。
「驚かせてすいません」
にっこりと笑って優一郎は詫びた。呉羽が胸を押さえてその場にしゃがみ込む。
「お、驚いたわ、本気で」
すみません、と再度詫びて優一郎は振り返った。多輝が刀を手にしたまま天井を見上げている。優一郎は多輝の様子を見てからその部屋を見回した。誰もいない狭いその部屋にはベッドが一つ、置かれている。そこに横たわるのは見知らぬ女性だ。その女性の頭は既に切開され、脳が摘出されている。優一郎は多輝と同じく部屋の天井を見上げた。
虚空が開いている。
「ちょうど良かった。来るよ! 多輝!」
多輝は刀を逆手に握り直し、軽く跳躍した。虚空から降りてきた闇色の不気味な珠を多輝が一つ残らず刀で虚空へと弾き返す。その素早い動きに優一郎は内心、舌を巻いた。要との演習の時より格段に動きが速い。
宙返りした多輝がベッドの縁を蹴って再度、飛び上がる。その瞬間、ベッドは多輝に押されて壁に向かってぐらりと揺れた。慌てた声をあげて呉羽が走り出したベッドに飛びついて押さえる。
「ちょっ、な、なにしてるの!」
いつもは冷静な呉羽が珍しく声を荒らげる。だが多輝はそれに構わず刀を咥えて腕を伸ばし、床を強く蹴った。閉じかけた虚空の端を片手でつかみ、身体を引き上げる。片方の手を伸ばされた優一郎は一瞬、躊躇してから腕を伸ばした。
「呉羽さん、説明はまた今度!」
「えええええ!? ちょっとぉ!?」
多輝に右手をつかまれ、引き上げられる。呉羽の悲鳴があっという間に遠くなる。閉じかけた虚空に身を躍らせたところで優一郎は強く手を捕まれた。闇の中でぼんやりと多輝の身体が光っている。
「はぐれると帰れなくなる」
感情のない声で言われ、優一郎は頷いた。何も見えないのに周囲から恐ろしいまでの圧力を感じる。何かがいる。優一郎は息を潜めて黙って多輝について歩いた。
しばらく歩いたところで多輝が唐突に足を止め、振り返る。多輝はしばし黙って優一郎を見てからため息をついた。手にしていた刀を優一郎に押し付ける。
「持ってろ」
「多輝、何が先に?」
訊ねた優一郎には答えず、多輝が背を向ける。その後、多輝は自分の胸に手をいきなり突っ込んだ。呻きながら身を折り、歯を食いしばる。その様を見ながら優一郎は注意深く周囲を見回した。先に何かがあるのではない。今まさに自分たちは何かに囲まれているのだ。
多輝が黒い宝珠を右手でつかみだす。荒い息を吐きながら多輝は呻くように言った。
「合図、したら、走れ」
そう言った後、多輝は右手を強く真横に振った。一振りで黒宝珠が闇色の鎌に変じる。その瞬間、多輝は目を見張ってその場に片方の膝をついた。この役立たず、と口の中で呟いている。それを聞いた優一郎は眉を寄せた。今のは一体、誰に向けた言葉だろう。
肩で息をしながら多輝が身体を起こす。両手に握った鎌を多輝は右から左に大きく揮った。虚空に向かって青白い雷が飛んでいく。その光に照らされた者たちを見て優一郎は息を飲んだ。黄色い濁った目をした獣たちが多輝の打ち出した力に引き裂かれ、断末魔の声をあげる。
「走れ!」
鋭い多輝の声に我に返り、優一郎は言われるままに走った。少し先を行く多輝が怒声を上げて鎌を立て続けに揮う。走る二人を撃ち損なった獣が追う。
「あれは? 何?」
全力で駆けながら優一郎は訊ねた。すると多輝が鎌を揮いながら答える。
「冥界の、怨嗟だ」
つまり、あれがあの時にみた黒い不気味な珠の正体か。だが数が尋常ではない。一体、どれだけの数がいるのかわからない。
不意に何かに手を捕まれる。優一郎が息を飲んだ瞬間、多輝は優一郎の手をつかんだまま跳躍した。左手に優一郎をぶら下げたまま、右腕一本で鎌を眼下に向けて揮う。雷に獣たちが倒れた場所に多輝は降り立ち、再度走り始めた。
どれだけ走っただろう。優一郎の息が切れ、足がもつれ始めた頃、ようやく多輝は走るのをやめた。いつの間にか視界も僅かにだが明るくなっている。多輝は手にしていた鎌を宝珠に戻し、胸に納めた。その手は血にべっとりと濡れている。どうやらあの黒い鎌は使う際にかなりのダメージを使用者に与えるらしい。多輝は身を折って激しく咳き込んでから口許を拭って顔を上げた。
「多輝!」
優一郎は駆け寄って多輝の背に手をあてがった。ゆっくりと力を注ぐ。すると多輝が優一郎を見返って微かに笑った。
「すまないな」
そう言ってから多輝が屈めていた身を起こす。優一郎はにっこりと笑ってから改めて周囲を見回した。先ほどの闇色にうっすらと白い色を混ぜたような色に満ちている。全てが灰色でどこからどこまでが床で、どこまでが天井なのかも判らない。いや、そもそもそんなものは最初からないのかも知れない。灰色の空間を見回してから優一郎は瞬きをした。
「多輝、ひとつ確認したいんだけど」
また多輝に手を引かれながら優一郎はそう訊ねた。多輝が無言で振り返る。
「さっき、役立たずって言ったよね? あれは誰に対して言ったの? 僕に対して?」
にっこりと笑いながら優一郎は訊ねた。多輝が虚ろな眼差しのまますらりと言い返す。
「龍宝珠だ」
それだけ言って多輝はまた前を向いてしまった。黙ったまま歩いている。
「違う。対象は人物だった。僕に嘘は吐かないほうがいいよ」
多輝の背中を見つめ、優一郎はひと言ずつをしっかりと発音した。すると多輝がまた振り返る。
「龍宝珠に枷を付けた者、または鍵をかけた者」
それだけ答えて多輝がくるりと前を向く。実に無駄のない答えに思える。が、優一郎は納得出来ないものを覚えて眉を寄せた。
徐々に周囲に白さが増していく。黒寄りのグレーから白寄りのそれへと徐々に周囲の様子が変化する。優一郎は微かにため息をついて呟くように告げた。
「ごめん。ちょっと気が立ってた」
使わなかった多輝の青い刀をぶら下げたまま、優一郎はそう言って俯いた。するとほんの僅かだけ多輝の優一郎の手を握る手に力がこもる。
「ここは筒抜けだ。迂闊なことは口走らない方が無難だ」
低い声でそれだけ言って多輝はまた黙り込んだ。優一郎も黙ったままその言葉に頷いた。確かにこの空間は自分たちの普段いる場所とは異なっている。時の流れも何もかもが酷く緩やかに感じられる。それに足元もあるのかないのかはっきりしない。ただ言えるのは、多輝が間違いなく向かっている方に近付くにつれて圧迫感が増しているということだ。優一郎は自然と額に滲んだ汗を何度か白衣の袖で拭った。暑い訳ではない。温度もなにもよく判らないのだ。なのに不思議と汗だけが滲んでくる。
多輝の中身は……?w