だがこの結果を千佳が望んでいた訳ではない。あくまでも千佳は力に蹂躙されたに過ぎないのだ。水輝はやれやれと肩を落として紅の宝珠を胸に納めた。その手を無造作に横に伸ばし、千佳の頭を軽くぽん、と叩く。千佳は目を丸くして水輝を凝視した。
「どしたの? 水輝様。お腹空いたの?」
不思議そうに目を丸くして千佳が首を傾げる。水輝は黙って腰を上げた。腕にしがみついていた千佳がつられて立ち上がる。
「どうせ暇だし、やるか。相手しろ」
「えっ」
目を見張って千佳が息を飲む。水輝は不機嫌に顔をしかめて何だと、と低く告げた。すると千佳が首を慌てて横に振る。
「嫌ならいいぞ。別に」
すげなく言って水輝は歩き出した。道のあちこちに散ったコンクリートの瓦礫を避けながら歩く。以前はきちんと舗装されていたらしい道も、今は至るところでアスファルトがめくれ上がっている。道路に逆さまの格好で斜めに刺さったビルもあれば、根元から崩れて瓦礫のみ残っているビルもある。以前は賑やかだったのだろう車道に車は一台も通ってはいない。
傾いた壊れた信号機の支柱が途中で不自然に捻られ、信号が明後日の方を向いている。へしゃげた車が幾つも連なったその上には崩れた高架が乗っている。まるでアイロンでもかけているようだ。
ぼんやりと周囲を見回しながら水輝はゆっくりと歩いた。時折、どこからともなく鳥が飛んできては廃墟の上を行き過ぎる。好き放題に枝を伸ばした街路樹を住処にしているものもあるようだ。
壊れ、誰もいなくなった街を人々は直す余裕がないのだろうか。それとも別にこの場所がなくとも暮らせているからいいのだろうか。多分、前者だな。そう見当をつけながら水輝は歩き続けた。千佳は珍しく文句を言う事なくついてくる。
この世界の人々は今、龍神と同様に出生率が下がっている。動きを見せ始めた魔に対する動揺も重なったこともあるのだろうか。次の時代を生きてくれと子供に望みを託す人々が少なくなったのか。だがどのみち、人々が生めよ増やせよと励んだところでそう簡単は子は出来ないだろう。一見、人は己の意志で子を作っているように見えるが、それはある意味では正しくはない。子供はどんなに望まなくても必要であれば世に生まれるものであり、またどんなに願っても生まれない子供は生まれない。それが世の摂理というものだ。
遠くで重い音が鳴る。どこかでまたビルがバランスを崩して沈んだらしい。水輝は足を止め、何気なく音のした方を見た。遠くに土煙が上がっているのが見える。
「ねぇ……水輝様ぁ……。何か怖いし、帰ろうよぉ」
するんなら普通のトコでも出来るじゃん。恐々と告げた千佳に水輝は意地の悪い嗤いを向けた。
「鴉。お前は普通ってのはどういうことだと思う?」
「へ?」
唐突な水輝の質問に千佳が間の抜けた声を上げる。期待したおれがばかだったか。そうため息をついて水輝は前を向いて再び歩き始めた。
「世界から受ける恩恵の量は実は変化していない。本質的には昔と今、何も変わっていないんだ」
全てはバランスの上に成り立っている。水輝は千佳が理解していないことを承知で淡々と語った。
「龍神が生まれ、人が生まれ、ハンターが生まれた。やがて人の中から誓約者が生まれ、ハンターからストレンジャーと呼ばれる者が生まれた。そして今は魔と呼ばれる者が多く生まれようとしている」
だが表面的な変化とは裏腹に世界のバランス自体は変わっていない。力が分かれたりくっついたり、動いたりしているだけなのだ。
人が多くの知識を得たように、龍神やハンターたちも時と共に知を得た。そして誓約者たちもまた同じだ。そして為すべき事は時と共に変遷した。だがそれでもなお、世界から受ける恩恵の分量は広い視野で見ると変わってはいない。
変わったのは受け取る器だ。そこまで言ってから水輝は訝りを覚えて千佳を見た。千佳は唇を引き結んで難しい顔をしている。
「アタシ、あんまし難しいこと判んないけど」
小声で言ってから千佳がにっこりと笑う。水輝は吸い込まれるように千佳の表情に見入った。
「アタシは水輝様がいて、みんながいて、楽しいのが好きだな。あっ、美味しいもの食べたりとかも必須」
そう言って屈託なく千佳が笑う。だからそれがきっとアタシの普通なの、とためらいもなく言い切った千佳をしばし絶句して見つめ、次いで水輝は苦笑した。そうか、と答えて千佳の頭に優しく触れる。まるで子犬のようにじゃれつく千佳の頭を水輝はしばし撫で続けた。
廃ビルの前で水輝は足を止めた。壊れた自動ドアの前に立ち、腕に絡み付いていた千佳を引きはがす。むー、と眉を寄せて唇を尖らせた千佳に待ってろと告げ、水輝は自動ドアに手を向けた。
生まれた力が一気に激しい水流になり、自動ドアをけたたましい勢いで砕いていく。水輝の生み出した激しい水流はビル内を一階から最上階までほこりやごみを強引に押し流していった。最後のフロアを舐めた後、ビルの最上階の窓硝子がけたたましい音を立てて全て内側から粉砕される。
「行くぞ」
窓から降って来た洪水を避けて水輝はさっさとビルの中に入った。慌てた千佳が後から駆け寄ってくる。水輝は千佳の肩に腕を伸ばし、黙々とビルの奥に進んでいった。
水輝は意外と千佳を気に入ってますw