静まり返った廊下を五人で歩く。凪は注意深く周囲を伺いながら彼らについて歩いた。確かにこの結界では水輝も容易に潜り込めないだろう。先手を打って思惟を飛ばしたのは必要だったからなのだ。そのことを理解しながら凪は広い廊下を進んだ。途中、優一郎が立ち止まって一つの部屋のドアを開ける。三人が優一郎に促されるままにその部屋に入っていく。ドアが閉じたところで優一郎は再び歩き出した。凪も黙ってそれに従う。
やがて廊下が行き詰まる。右手のドアを優一郎が開ける。凪は頷いてその部屋に入った。広い部屋だ。柔らかな照明に包まれる部屋の中を横切り、凪はベッドに向かった。腕に抱えていた立城をそっと下ろして毛布をかける。そこで凪は顔を上げてドアのところに立つ優一郎を見た。
「失礼ですが、用心のために結界を張っても宜しいですか」
「そんなにここの結界が信用なりませんか?」
困ったように優一郎が笑う。凪はいえ、と囁くように答えて告げた。
「念のためです」
そう言って凪は真っ直ぐに優一郎を見た。しばし黙してから優一郎が苦笑する。
「いいでしょう。その前に、ちょっと仕事を言いつけてきてよろしいですか?」
にこやかな優一郎の笑みを見ながら凪は内心でだけ苦笑した。用心深いのはお互い様らしい。どうぞ、と答えると優一郎が会釈をして部屋を出て行く。凪は優一郎を見送ってから再びベッドに目を落とした。
ごめんなさい。胸の中で詫びて凪は立城の傍に跪いた。毛布の中に隠れていた小さな手を取る。本当はもっと早く来れば立城はこれほど痛い思いをしなくて済んだのかも知れない。が、時が来るまで待てと栄子に厳命をされていたのだ。水輝と会うまで動くことすら叶わなかった。
しばらく後、優一郎が戻ってくる。
「さあ、結界をどうぞ」
笑みを絶やさず優一郎が告げる。凪はありがとうございます、と答えて立城の手をそっと両手に包み、目を閉じた。ゆっくりと床から壁伝いに強固な結界がせりあがる。凪は注意深く結界を編み、床と壁、天井の内側を覆った。隙間のないように編み終わりを結わえる。
いつ使っても慣れない。凪は結界を展開してから小さく息を吐いた。立城の手を毛布にそっとしまいこんで立ち上がる。
「風龍神の御方からの伝言です」
静かに立城の傍らに立ち、凪は優一郎の方を向いた。ある程度の予測をしていたのか、優一郎の表情に変化はない。
「お待ちください」
穏やかな声に遮られて凪は口を閉ざした。
「さて、先ほど僕が述べたのは最大限の譲歩案だったわけですが、それを受け入れて頂けなかった以上、今後は建前論で話させていただきます」
ドアのところで佇んだまま、優一郎が淡々と語る。凪は僅かに目を細め、黙って優一郎を見つめた。
「まず、僕がこの城に受け入れを決めたのは水輝さん、あるいは水輝さんの使者であってそれ以外のどんな存在でもありません」
なるほど、と凪は小さな声で返した。確かに優一郎に直に繋ぎをつけたのは水輝だ。
「あなたは、立城さんの保護について、水輝さんから命、あるいは依頼を受けていらっしゃるのですか?」
優一郎の声には澱みはない。が、優しい声に似合わない強い響きがある。凪は静かに息を吐いて頷いた。
「ありていに言えばそうです」
命と願いは多くの部分が重なっている。が、唯一、水輝にだけ言われた願いがある。それを果たさない限り、自分は立城の傍を離れる訳にはいかない。凪は口にしないことに思いを馳せた。
「それでは、あくまで立城さんの保護については、水輝さんの依頼に基いたかたちでお願いします」
「つまり、私に風龍神の御方の命より、青龍王の依頼を優先せよ、と。そう仰っているのですか?」
相手の思惟は窺い知ることが出来ない。が、恐らく優一郎も凪の真意は読めないのだろう。
「どちらの立場を取られるかは、あなたの自由です」
にっこりと笑って優一郎が告げる。なるほど、と答えて凪は口許に浮かべていた笑みをすっと消した。
「それでは言い方を変えます。如月のご婦人からの伝言があるのですが、お伝えしてもよろしいですか」
そう言って凪は真っ直ぐに優一郎を見た。
「青龍王の使者よ、承りましょう」
笑顔のまま告げられた凪は微かに眉を寄せた。つまり、この場にいる間は自分は水輝の使い魔同様に扱われるということか。凪はそう理解して言葉を継いだ。
「『娘を預かって頂いてどうもありがとうございます。不束者ですが、これからもなにとぞ宜しくお願いいたしますね』……以上です」
静かな声で言ってから凪はゆっくりと膝を落とした。再び立城の傍に跪く。立城は穏やかな表情で眠りについている。
「それでは要さんの母君にお伝えください。『娘さんは必ず幸せにします』と」
どこまでも笑顔のままで優一郎が告げる。承知いたしました、と頷いて凪は再度、立城を見た。とりあえず主からの言伝は出来た。後は立城の回復に尽力すればいい。ただ、急に回復させるのは無理だ。ここまで力を削がれていては時をかけなければ回復は難しいだろう。
凪は静かに立ち上がって優一郎に笑みかけた。
「お茶などおいれいたしましょうか?」
「お願いします。正直、冷や汗をかきましたよ。あくまで風龍神の使いだと述べられたら、結界から弾くしかありませんでしたから。詐術と判断されかけていたんですよ」
砕けた口調で言いながら優一郎がソファセットに歩み寄る。まあ、と笑って凪は優一郎に並んで歩いた。
「そうですわね。打診したのはあくまでも青龍王ですものね」
小さく笑いながら凪はソファの背もたれにかかっていたカバーを外した。白いカバーを手の中で畳んで別のソファに置く。それから凪は優一郎に会釈をして小さなキッチンに向かった。
手早く茶をいれて優一郎の元に戻る。茶を出してから凪は優一郎の正面のソファを目で示してみせた。すると優一郎が頷く。ありがたく凪はそのソファに腰を下ろした。
「風龍神の、立城さんの治療に関する、要望、について、もしよろしければお聞かせ願えますか? あなたの行動の枷にあわせて柔軟に対処したいと思います」
穏やかな声で訊ねられる。凪は周囲を注意深く見回してから判りました、と頷いた。立城の力を借りて作り上げた結界は、その力の属性通りに働いている。
「地上の王の一刻も早い回復のため尽力するように。目的のためであれば、力を使うことを許可する。あらゆる妨害を排除し、王に尽せ。……要約するとこうなります」
「了解しました。もう少しゆっくりできるかと思っていましたが、猶予は無いようですね。立城さんの治療についてはあなたに一任しましょう」
僅かに顔に緊張の色を浮かべて優一郎が告げる。凪はそれを聞いてため息をついた。白磁のカップを取り上げて緑茶を啜る。乾ききった唇を湿らせてから凪は小さく笑った。
「風の貴婦人は停滞を嫌うから……。私はもう少しゆっくり休ませてあげたいのだけれどね」
呟くように言ってから凪はちらりと立城を見た。これまでどれだけの勢いで走ってきたのだろう。結局、走りすぎた立城は水輝に止められるという格好で休むことを余儀なくされている。
凪もなぁ……という感じで眺めてます(汗)
かなり無責任な作者ですみません。