自分が大切だと思っている人の為に今まで自分が
考えてもいなかった道に進む。
そういう人が現実世界でどれだけいるかは解りませんが、
少なくともZERO世界においては結構いる様です。
【2003年 12月28日 午後8時5分 茨城県水戸市 旅館喜楽屋 宴会場】
人が客観的に『舞踊』を美しいと感じるのは、1つ1つの所作にメリハリがあるからだ。
足を上に伸ばす時の動きも、一瞬一番上で静止し水が流れているかの様な滑らかな動きで元へと戻す。
椿は手を自分の顔よりやや上に掲げ、相手を誘惑する様に指を手前側へ動かした。
(この場所にはポールが無いから、ポールを使う事無く華麗さや艶めかしさを表現しないといけない。
私がこれまで教わってきた踊りの基礎知識を上手く応用して、納得してもらえる様な演技をするのよ)
遠くに投げ捨てたバスローブの隣に、薄い紫色の布が置かれている。
予め用意していた布を自然な形で拾うと、彼女はその布を用いた踊りを披露した。
「マントみたいに羽織ったり、両手に持って闘牛士みたいに揺らしてみたり……か。
芸が細かいな。
まるで天女が地上に舞い降りてきたみたいだ」
「余計なモノが付いてなければなぁ。
常に勃起して脈打ってるのを見ると、そこに気を取られて踊りを見るどころじゃなくなるよ」
身も蓋も無い話ではあるが、確かに一連の踊りは『普通の女性』でも出来る事ばかりだ。
股間の肉棒の滾りを気にする事無く踊っているその精神力は尋常では無いが、それが客に伝わるかはまた別の話である。
彼女が『両性具有の踊り子』として、どんな違いを見せるのか。
彼等の興味は徐々にそういった方向へと移っていった。
薄い布を口に咥え、両手に持った布を左右に広げたまま優雅なターンを決める。
ポールによる回転が出来ないのであれば、自分が回ればいい。
誰でも思い付く発想ではあるが、実際に観客を満足させる動きを行う必要があった。
布によって上半身が隠れ股間を含めた下半身だけが見える様にしているのも、そこに視線を向けさせる様にする椿のアイディアである。
(あんなに硬くなって……
もし、私の中に入ってきたらどんな感じなんだろう)
(俺のよりでけぇ……
太さも長さも。
顔も身体も一級品だが、抱くのには抵抗があるだろうな)
若い社員は、自然と顔を赤らめ淫らな己を想像してしまった。
ほんの一瞬ではあるが彼女と自分が舞台の上で性行為をしている光景を思い浮かべ、恥ずかしくなってしまう。
彼等の心がそういった方向へと引っ張られた瞬間こそ、フィナーレを迎える為の合図であった。
間違いなくその美貌と妖艶さ、そして踊りの技術は素晴らしいの一言に尽きる。
その全てが彼女が観客の前で行う自慰行為の『前戯』であり、彼等を椿が作り出したフィールドに引き込む為の準備であった。
マジックショーで言えば、マジシャンがシルクハットを観客に見せ何も入っていない事を確認させる段階。
彼女はシルクハットの中から兎や鳩を取り出し、皆の度肝を抜こうとしていた。
(大劇場で見た時と基本的には何も変わっていないんだ。
彼女がスポットライトを浴びながら行っていた事は全てこの『メイン』を見せる為の手段に過ぎない。
客の目を釘付けにした後で、瞬きさせない内に熱気を高めていく。
興奮が最高潮に達する瞬間を見極め、見栄えが良くなる様全力を尽くしていた)
諸田も舞台から少し離れた場所で見守っていたが、BGMが変わった瞬間近くにいたスタッフにライトの色を変更する様命じる。
淡い水色のライトが桃色のライトに変わり、観ている者にも『別の何かが始まるのだ』と言う事が伝わった。
椿は薄い布を床の上に落とし、観客に向かって御辞儀を行う。
その後少しだけ腰を下げ、勃起している肉棒を見せ付ける様なポーズを取り淫らな笑みを浮かべた。
(おいおい、冗談だろ……
まさかこの場所でするつもりなのか)
(えッ、そんな事するの?
それってもう踊りでも何でも無いじゃない)
彼女が右手で肉棒を握った瞬間、会場全体がざわつく。
文句は言えないが、納得出来ない。
そんな雰囲気が漂っているのが椿にも伝わってきた。
『皆さん、静粛に!
彼女の『舞踊』はまだ続いています。
最後の一瞬まで目を離さない様にしてください!』
諸田は拡声器を用いて噴出しつつある不満を宥め、彼女の演技を見る様命じる。
彼女は既に腹を括っていたが、その言葉で完遂すると言う気持ちを新たにした。
(諸田さんが感動した様に、例え淫らな行為であっても完璧な動きであれば人の心を揺さぶれるのだと証明したい。
私は場末のストリッパーでは無く、卓越した技量を持つショーダンサーであると信じてやってきたのよ)
どんな所作であっても決して手を抜くな。
自分自身を誇れる一流であれ。
先輩の風俗嬢から教わった数々のテクニックは、今も椿が舞台の上で輝きを放つ為に使用されている。
そして誇りを捨ててはならないと言う言葉もまた、諦めかけていた彼女を奮い立たせた。
(汚れ仕事だと蔑まれようが、私は自分に与えられた役割を果たすだけ)
評価を下すのは人では無い。
自分自身が努力してこれ以上出来ないと思う様な演技を成し遂げた時、己を褒めるべきだ。
リズミカルな動きで右手が肉棒を扱き始めた瞬間から、そのざわめきも止まった。
観客の前で自慰行為をする。
黒薔薇館で何十回と披露してきた『フィナーレ』であったが、事情を知らない一般人の前で行うのは相当の覚悟が必要だった。
(手全体と言うより、指を撫でつける様に動かして肉棒をなるべく隠さない様にする。
左手は右肩に添え、観客をその気にさせる様な表情を……)
行っている事の全ては、事前に与えられた教科書通りの動きでしか無い。
だがそれをどんな時でも完璧に行うのが困難である事もまた事実である。
(凄ぇ……
動かしている手の動きが常に一定で、喘ぎ声が一切聞こえてこないなんて)
(しなやかな指の動き、上目遣いで私を見つめているかの様な表情。
引き込まれてしまいそうだわ)
桃色に染められた舞台が、彼女の『世界』と化していた。
そこは椿が支配する領域であり、誰もそれを侵す事は出来ない。
機械の様に一定のリズムで指が肉棒に絡み付き、彼女を絶頂へと導いていった。
他人に見られていると言う意識を常に持ち、快感よりも観客を満足させる事に重きを置く。
初演の時は獣の様な『素』が顔を出してしまう事があったが、椿は訓練を重ね快楽すらもコントロール出来る様になっていた。
(襲い掛かる性欲に対して、耐える時間と解放する時間を自分の意思で持てる様になった。
スイッチを切り替える様に、絶頂や射精を迎えるタイミングすら操る事が出来る……)
客に対して披露する時間が決まっている以上、早く射精したり制限時間をオーバーしてしまう事は許されない。
BGMが終わる寸前に欲望を放つ。
彼女はそこだけに意識を集中させていた。
(音楽のラスト部分でスパートをかけ、終了と同時に射精)
扱く手の動きを誰にでも解る様に早くするのでは無く、徐々に速度を上げていく。
何時の間にかかなりのスピードで右手を動かしている事に観客が気付いた直後、彼女は一切声を漏らさずに射精した。
荒い息遣いすら観客に聞かせる事なく、BGMの終了と同時に透明な粘液を放つ椿。
何かをねだっているかの様な甘い表情を崩す事無く、射精している最中であっても扱いている手を止めはしない。
ホースから噴射した水の様に弧を描いて床に落ちていく精液。
射精が終わった後、僅かな時間で息を整え椿は観客に向かって再度深々と頭を下げた。
誰かが、息を呑む声が聞こえた。
今この瞬間に見たものが現実であったのかと思う者までいた。
驚愕の後に、観客の心の中に今まで体験した事の無い感情が押し寄せる。
(ふたなりの女性がモノを扱いて射精しただけなのに、何故俺はこんなにも心を揺さぶられているんだ。
美しい絵画を見て感動しているかの様な気持ちだ。
まるで彼女が女神の様に見える)
(1つ1つの動きが洗練されていて、芸術作品を鑑賞していたかの様な錯覚に囚われてしまう。
これが、彼女の本気……
自慰行為にすら意味を与え、私達を圧倒してみせた)
先程まで彼女が両性具有である事を『勿体無い』と思っていた者達を黙らせるかの様な完璧な演技。
観客の中には椿の演技を見て思わず目に涙を滲ませる者までいた。
射精した直後であるにも関わらず、肉棒は一切萎える事無く隆起し存在を主張し続けている。
かつて運命を呪い、そういった身体である事を憎みもした椿であったがこの身体を受け入れて生きていく道を選んだ。
(せめて舞台の上で演技を行っている間だけは、この身体と向き合って生きていこう。
私自身がふたなりである事を認めて、私にしか出来ない事を成し遂げるんだ)
こうして良い意味で開き直る前に数々の葛藤や苦悩があった事は事実だ。
肉棒を晒し、客の前で自慰行為を行う事に対して『惨めだ』と思った事もある。
だが、誇りを胸に徹頭徹尾自信を持ってやり遂げれば人の心を動かせる事を椿はたった今証明してみせた。
言葉では説明出来ない、心を激しく突き動かされる時というものがある。
そういう時、人の心は裸になり剥き出しの感情を思い切り発露するものだ。
何故泣いているのかワケも解らぬまま、自発的に拍手をし始める観客達。
座っているのは失礼だと感じたのか立ち上がり、労いの言葉を送る者もいる。
「素晴らしいショーを見せてもらった!
有難う!」
低俗な行為を、努力と言う魔法により魅せるショーへと変えてみせた椿。
拍手をする者は爆発的に増え、その音は全て彼女への偽りの無い称賛である事を示していた。
「有難うございました」
その一言に、万感の思いが凝縮される。
黒薔薇館にやってくる『目の肥えた客』とは異なる一般人を実力で捻じ伏せてみせた。
彼女がストリッパーとしてもダンサーとしても優れており、客を沸かす事が出来るカリスマ性があると言う証拠だろう。
(彼女が経営者になれば、誰もが本気で彼女を慕い最後まで付き従う。
離反しようと考える者は出ないだろう。
彼女は太陽の如く輝いている。
彼女に手を貸し、面倒を見るのは我が社にとっても1つの賭けだったがコレで私も決断出来た)
諸田もまた巨大な客船の船長として、クルーを守らねばならない義務がある。
社員を路頭に迷わせる事は出来ない立場だからこそ、彼女の真価が見立て通りなのか確かめる必要があった。
そして彼はこの日確信した。
間違いなく、彼女は成功への階段を登るであろうと言う事を。
彼女が舞台から去り、舞台の上が清掃され片付けられた後も観客となった社員達は夢の中を漂っているかの様だった。
(今目にしたもの全てが現実であった事は確かなのに、脳がそれを認めるのを拒絶している。
それだけ、信じられないものを見た。
出来るものなら、永遠に頭の中に残しておきたい)
(あの人が『女性』であるかどうかは、色々意見があるかもしれないけれど……
気高い人だった。
プロフェッショナルだった。
きっとそれだけは、誰もが感じるものだと思うわ)
社員達の心の奥に彼女の演技が、そして実際には口に出していないが励ましの言葉が刻まれた。
どんな人間でも努力すれば望んだ姿になれる。
いや、例えなれなかったとしても相手を納得させる事が出来る。
貴方はプロとして何が出来るの?と問いかけられている様な気分になっていたのだ。
これもまた、諸田が社員達に求めた『理想の体現』に他ならなかった。
【2004年 1月12日 午後10時30分 茨城県水戸市 CERISE本社内社長室】
様々な戦いに勝利した椿であったが、全てにおいて上手くいったワケでは無かった。
社員達や諸田を感動させ1000万で東京の一等地を、500万で茨城県の土地を購入する事は出来たが仕事を辞める事は出来なかったのだ。
『はいそうですかと認めるワケにはいかないんだよ。
コッチも商売でやってる事だからね。
この1年、大劇場でのショーを含めアタシに相応の儲けを渡す。
それが条件だ』
雲雀もまた、『金の卵』を手放したくなかった。
彼女が経営者になれば別の形で甘い汁を吸えるかもしれないと言う思いもあっただろうが、まずは恩義を果たすのが最優先。
勿論、雲雀は経営者として最善を尽くしているのであり椿も無理をしてまで黒薔薇館を出て行きたくは無かった。
「この1年の間に、空白期間が生まれてしまうのはとても残念です」
契約書にサインをし、溜息をつく椿であったが、社長の諸田はココで攻めの姿勢を見せる。
「いや、私はこの1年間こそ重要だと思っている。
返せない期間が長引けば借金が増えるだけだから、銀行から金を借りるのは後で構わない。
私がポケットマネーから建設費用を出そう。
オープンの為の準備を済ませておくに越した事は無いからね」
諸田の言葉に、椿は驚いたが同時にそう言ってもらえた事を喜んだ。
「宜しいんですか?」
「上物を完成させておかないと、借金が返せなくなってしまうだろう?
それは私だって困る。
迅速に儲けを出して、安心させてもらいたいからね。
君のダンスを見て、私も覚悟を決めた。
君と一緒に最後まで突き進んでいくよ」
諸田はこの商売の成功を確信していたのだ。
両性具有者専用と言うニッチな客層を狙った商売はこの天武日本において誰も手を付けていない。
先駆者になれば利益を独占する事が出来る。
夢は全国展開であり、その全ての建物と土地にCERISEが関わると言う壮大な野望であった。
「……天武日本には、君の様な両性具有者が5000人はいるとされている。
詳しく調べたワケではないからそれより実際の数は増えているかもしれない。
彼女達を全て『ターゲット』にして呼び込む事が出来れば、無敵のビジネスモデルが完成する。
後に続くものが猿真似をしようとしても、容易には追い付けないだろう。
君自身が両性具有者であると言う事実はこの経営においては強力な『武器』になる」
諸田は様々なアイディアを提案し、椿と共にこの事業を拡大していく決意を固めていた。
椿にとっては上客兼ビジネスパートナーであり、不利になる面は見当たらない。
手を取り合って、共に夢と金を掴む。
2人はこの日、互いを利用して大空に飛躍する事を誓った。
鶴野椿にとって、中身の濃い1年間だった。
諸田や水戸CERISEの幹部との長きに渡る話し合いの中で、どういった施設を作れば客が満足するのかを突き詰めていく。
そこで両者の意見が合致したのは、『入浴施設とヤリ部屋をしっかり分断し、建物内の治安を守る』と言う点だった。
日頃の疲れを癒やし、両性具有者同士の親交を深める為に作られた銭湯や娯楽部屋では和気藹々とした会話を楽しんでもらいたい。
ただそういった場所で性欲を剥き出しにすると会員同士の和が乱れてしまう。
その為『サウナ部屋』と言う体で作った『ヤリ部屋』に会員達を隔離し、その場所で思う存分セックスを堪能するべきだ。
目的を見失わない施設作りに重点が置かれ、施設内の娯楽にもなるべくお金をかけない工夫が施される事になった。
「ビリヤード等の遊戯施設、ゲームの筐体等を設置するとなるとお金がいくらあっても足りない。
それでも、施設の設備が充実していると思わせる事が肝心だ。
仮眠室は部屋を広く使って照明を落としても文句を言う客はいないだろうから採用すべき。
娯楽室には大量に購入してもそこまでの出費にはならない漫画の単行本や各種雑誌を置く。
コミュニケーションの為のツールは客も欲しがるだろうから、ボードゲームで手を打とう。
将棋・囲碁・ダイヤモンドゲーム、その他沢山のボードゲームは潰れた店から手に入れる事が出来る。
軽食が欲しいと言う客も出てくるだろうが厨房を作ると場所を取るし予算もオーバーしてしまうから、自販機を使おう」
乾いた喉を潤す為の飲料自販機しか椿は知らなかったが、自販機で軽食を提供する事は可能だった。
たこ焼きや焼きおにぎり等の冷凍食品を解凍して500円程度で客に出すと言う代物で、これならば調理スペースに場所を取られる心配が無い。
諸田は不動産の運用だけでは無く、一流のプランナーからアドバイスを受けており予算内で最高の結果を出す方法を心得ていた。
使用する木材・コンクリート・釘の量に至るまで、詳細に書かれた『天女の湯』の見取り図。
部屋の間取りを考え、第1号店は2階建てに。
1階に銭湯とヤリ部屋となる低温のサウナ室。
2階に仮眠室・娯楽部屋・飲食スペースを設け、万全の体制で客を迎える。
「大事なのは金をかける事では無く、どうやって金をかけている様に見せるかだ。
室内の装飾品の1つ1つを、お手頃価格かつ高級そうに見えるものにする。
特に照明。
シャンデリアの様な成金趣味に走るのでは無く、竹筒を使った和風なライトで勝負しよう。
最近、LEDも低価格・高品質なものが増えてきたから維持費や電気代も抑えられる」
諸田の息がかかっている建設会社の面々は、『節約のプロフェッショナル』だった。
金をかけるべき部分とかけなくても済む部分を的確に見抜き、予算内で完璧な仕事を行う。
椿も経営者としての勉強を続けていたが、正直彼等がいなければオープンにこぎつける事すら出来なかっただろう。
外装と内装の図面もまとまり、2月から『天女の湯』1号店の建築がスタートした。
椿も毎日『仕事』をこなしている身の為多忙だったが、それでも何とか時間を作って何度か進捗状況を確認しに行く。
ポールダンスとセックスにより身体は疲弊していたが、心は自分の店を成功させてみせると言う夢を求め熱く燃えていた。
「大分出来てきましたね。
驚く程早いんじゃないですか?」
「付近に民家が殆ど無い場所だからね。
朝から夜まで工事をしても『五月蠅い』と怒鳴りこんでくる者がいない。
こういうのは大勢の人間を呼んで内装と外装を同時に作ってしまった方が安くなるもんなんだよ。
来年の秋には間違いなく完成するだろうから、楽しみにしていてくれ」
仕事が始まる前の朝、夜明けを迎えた直後の工事現場に椿は足を運ぶ。
水戸の市街地から離れたこの地は、夏になると何処からか沢山の蝉の鳴き声が聞こえてくる事で知られていた。
「最寄りの駅から車で40分もかかるとは……」
「15分おきに駅と店を往復するバスを出した方が良いと思うよ。
ウチは観光業にも伝手があるからある程度の数は揃えられる」
諸田の運転する車に乗って、外装を見たらすぐに東京へ帰ると言う弾丸ツアーの様な視察。
それでも社長自ら時間を作り、椿に付き合ってくれるので彼女にとっては有難い話だった。
「何から何まで揃えて頂き、本当に感謝しています」
「君にとっては『至れり尽くせり』なのかもしれないが、私もそれだけこの事業の成功を祈っていると言う事だよ。
ここまで首を突っ込んだからには、私と君は運命共同体だ。
君が失敗すれば我が社の評判にも傷が付く。
だからこそ慎重にならなければならない」
舞台を作り、舞台へと向かう足も確保しターゲットも見据えた。
最後の成功への鍵は、両性具有者への『宣伝』である。
そしてこれが一番の難関である事は椿にもよく解っていた。
【2005年 12月4日 午後8時 東京都千代田区 黒薔薇館 玄関ロビー】
振り返れば、あっと言う間の濃い体験だった。
何度己の股間に生えた肉棒を掴んで踊り、客の前で自慰行為をしたのだろう。
客と寝たのと同じで、もう数え切れない。
椿の相手となっていた諸田や希望も、彼女の『卒業』を残念がっていた。
「兄貴もアタシも『卒業』だよ。
信虎が大規模な暴走族の解体作業に乗り出して、金剛仁王隊は強制的に解散させられた。
兄貴がどういう道を選ぶかは解らないんだけど、アタシはどっかで働こうと思ってる。
何時か必ず、アンタの店に挨拶しに行くよ。
顔見せる位良いだろ?」
「建物の中に入る事は出来ないので、そのつもりでいてくださいね」
希望の膣に、何回挿して射精したのか。
諸田の肉棒を何回受け入れたのか。
勿論その他にも大勢の客の相手をした。
だが彼女の相手となった全ての客が品行方正な者達では無かった。
(膣に玩具を突っ込んでくる客もいた。
私を物の様に乱暴に扱う客もいた。
この店では、それに対して文句を言う事は許されない。
客が帰るのをただひたすら待つだけ。
望んで飛び込んだ世界だけれど、楽しい時間はあまり無かった。
そして今日やっと終わる)
12月に借り入れを済ませ、1月に『天女の湯』をオープン。
今まで稼いだ2000万の金も、オープンを無事に迎える為半分は使った。
そこには、『宣伝費』も多分に含まれている。
「アタシを利用しようってのかい?
随分アンタも強かになったもんだね」
「雲雀オーナーの情報発信力は確かなものだと信じています。
タダでとは言いません。
大勢の両性具有者に、『天女の湯』の存在を知ってもらいたいんです」
数日前、椿は雲雀と直談判を行い、『血生会』の全面的なバックアップを取り付ける事に成功した。
宣伝代と危険な輩が乗り込んでこない様にする為の用心棒代で合計500万。
これからチェーン展開していくにあたり、それぞれの店で要求されるであろう『みかじめ料』を払わずとも良くなった。
「難癖付けてくる奴がいたら、アタシに直接電話しな。
アタシの名前は裏社会において絶大な影響力を持っている。
銭湯って事になっているが、実質風俗店なんだろう?
それはアタシの領分でもあるからねぇ」
雲雀がバックに付けば、今後どんな揉め事が起こったとしても解決出来る。
暴力団が警備員を務める様なもので、椿にしてみればどんな組織よりも心強かった。
「無理なお願いを聞いてもらい、オーナーには本当に感謝しています」
「なぁに、アンタには稼がせてもらったからね。
500万で承諾したのも餞別代わりだと思っておくれ。
もうアタシとアンタが直接顔を合わせる事は無いだろうからね」
着物姿で煙管をふかす雲雀は、何時もと全く変わらなかった。
この姿も、何時も不満そうな表情も見納めかと思うと、少し寂しい気もする。
そう思いつつ、椿は今まで聞けなかった疑問を彼女にぶつけた。
「……オーナーは、どうして『黒薔薇館』において両性具有者を受け入れているんですか?
ただ高級な風俗店を作るだけなら、両性具有者は不要のハズです」
「稼げるからだよ。
それ以外の理由は無いさ。
元々『黒薔薇館』自体が、金持ちの政治家や大企業の社長を呼び込んで金を落とさせる為に作った施設だ。
血生会に上納はしてるが、アタシの懐にも大金が入ってくる。
贅沢をするチャンスがあるのなら、それをみすみす逃す馬鹿はいないだろう?」
そうなのだろうか。
椿はさらなる疑問を口にしたかったが、それ以上は言えなかった。
両性具有者を『化け物』として扱う人間の方が圧倒的に多いこの天武日本において、両性具有者を抱え込む事は相当リスクを背負う行為のハズだ。
最悪、店の信用に関わる。
それ程のリスクと儲けを天秤にかけた場合、普通はその道を選択しない。
(……オーナー、貴方も私と同じ身体なんじゃないですか?
同じ身体だからこそ、両性具有者の痛みを解して救おうとしたのでは……)
そんな疑問を実際に口にしたとして、それが万が一真実だったとしても彼女は否定するだろう。
真相は永遠に闇の中だ。
だが椿は、そうであった方が良いとも思っていた。
(世の中には、知らなくて良い事も沢山ある。
そうですよね、雲雀さん)
秘密を暴露され、どん底から這い上がってきた椿には、それが痛い程解る。
謎は謎のまま終わった方が綺麗な事もあるのだ。
彼女はそう思いつつ笑顔を見せた。
「有難うございました。
私はこの店で、様々な事を学ぶ事が出来ました」
「これからは商売敵だ。
ウチの店の客を奪うんじゃないよ。
アタシは何時も目を光らせているからね」
一瞬鋭い眼光を見せた雲雀であったが、気を許したかの様に口元を緩ませる。
「思えばアンタとアタシは似た者同士だ。
金の為に必死になって働き、飛躍しようと躍起になっている。
アンタが何処まで大きくなるのか楽しみにしているよ。
5000人の客の為、精々頑張りな」
乱暴な言い方ではあったがそれが彼女なりの送り出し方、発破の掛け方だったのだろう。
行く道は異なっているかもしれないが、雲雀もまた己のプライドを持ち懸命に戦い続けている。
「今まで、お世話になりました」
深く頭を下げる椿の姿を、雲雀は何処か満足気な表情をしながら見つめていた。
【2006年 1月9日 午後8時50分 茨城県水戸市 天女の湯1号店駐車場】
天女の湯1号店、オープン当日。
寒空の下、椿は雇った従業員の女性達と共に駐車場で客の到着を待っていた。
「そろそろ最初のバスが帰ってくる頃ですが……
御客さん、いますかね」
諸田の提案により、オーナーである椿以外の従業員は全て『ノーマル』の女性を雇っている。
5000人と言う限られた客層をさらに減らすワケにはいかないと言う理由からだった。
初日の出迎えと言う事もあり、従業員全員が待機。
オーナーである椿も一列に並ぶ従業員達の前に出て、バスの到着を待っていた。
「待つしかありません。
待ちましょう」
退路は全て断ったのだ。
従業員を雇うのにもかなりの額を使っている。
客が来なければ、全ての努力が水泡に帰すのだ。
(雲雀さんにお願いして、裏サイトへ向かう方法をネットの海にばらまいてもらった。
私の同僚だった両性具有の嬢にも口コミで出来る限り伝えてもらえる様にお願いしている。
やれる事は全てやった。
後は祈るだけだわ)
天武日本にいる両性具有者を水戸の奥地へと誘う。
そう簡単に足を運べる場所では無い。
だがココでしか出来ない事、やれない事を武器にすれば客が必ず来てくれるハズだ。
そう信じていたからこそ椿は今日まで一生懸命準備を進めてきていた。
(緊張で、気持ちが悪くなりそう……
吐き気がしてきた)
当然、『大失敗』の可能性は充分にある。
そうなっても、助けてくれる者はいない。
椿の不安が頂点に達した時、バスがこちらに向かってくるのが確認出来た。
「何台か車も来てます。
御客様でしょうか……?」
バスの後ろで走る乗用車も、駐車場に停まる。
やがて大型バスから大勢の客が降りるのを確認すると、やっと椿は安堵の溜息をついた。
(勝った……)
その場にへたり込みそうになる身体を何とか奮い立たせ、従業員達と共に深々と頭を下げる。
「ようこそ、天女の湯へ!」
バスに乗っていた乗客も、車から出てきた客も全員サングラスにマスクと言う異様な出で立ちをしていた。
勿論、同じ身体を持つ者であっても身元が割れない様にする為の策である。
受付の為何名かの従業員を館内に入れ、椿は丁寧な挨拶を入口で繰り返した。
「どうぞ、ごゆっくりお過ごしください」
涙を懸命に堪えながら頭を下げる椿の肩に、女性の手が触れる。
「無理言って、遊びに来ちゃった。
今日は宜しくね」
椿は思わず顔を上げ、彼女の顔を覗き込んだ。
(わざわざオープン当日に来てくれたの?
黒薔薇の仕事を投げてまで……)
元同僚の風俗嬢である両性具有の女性が店に足を運んでくれたのだ。
しかも3人も。
椿は流石に我慢が出来なくなり、大粒の涙を流した。
「わざわざゴメン。
本当に有難う」
「感謝してよ~?
この日の為に宣伝しまくったんだから。
次のバスも沢山乗ってくると思うから、今度からはバスを増車した方がいいかもね」
両性具有者が集う『裏掲示板』での書き込み。
関東でひっそりと暮らしていた女性達がその書き込みに反応し、一斉に集まってきたのだ。
椿は自分が賭けに勝利した事を確信し、さらなる飛躍を誓った。
【2011年2月27日 午前10時 東京都大田区 北馬篭駅改札口】
『お姉ちゃん、どうしても会って話したい事があるの。
時間取れない?』
スマートフォンの会話アプリで連絡を取っていた岬からそんな話を切り出された直後、椿は店を従業員に任せる決意を固めた。
元々他のチェーン店はそれぞれの店長にある程度の裁量を与えており、自分がおらずとも回る様にはなっている。
そういった体制が完成するまでに多くの試練と困難が待ち構えていたが、全て自分の力で乗り切ってきた。
(勿論、諸田さんや雲雀オーナーの力を借りた時もある。
この高級銭湯を軌道に乗せるまでずっと戦ってきた。
そして今も戦い続けている)
全国に12店舗を構える『グループの社長』と言う肩書は、重荷でもあった。
それを全て自分と同じ様に苦しんでいる両性具有者を救済する為と思い耐え続ける。
そしてようやく、少しは自分の時間が取れる様になってきていた。
(元々、客となる人間の数に限りがある商売。
これ以上店舗を増やしても客が増えないのだから意味が無い。
ココからは店の機能を充実させてリピーターの増加、そして掴んだ客の維持が何よりも重要になる。
膨張では無く進化。
もっともっと皆様に愛される店を経営する事に全力を尽くす)
彼女の挑戦はまだ終わっていない。
後継者の事も含め、これからの事もいずれは本気で考えなければならない時が来るだろう。
目指すは『老舗』と呼ばれる様な超長期経営である。
両性具有の女性達にとっての憩いの場所、日常を少しの間忘れられる場所となる事を願って。
それが椿の偽りの無い本音であり、この状況が続く事を心から祈っていた。
岬と別れ闇風俗の世界に飛び込み、風俗店のオーナーになるまでの間椿は岬と直接会っていない。
自前のスマートフォンを岬と椿が共に購入し、2年前からやり取りが始まった。
お互いに抱えているものが大き過ぎたのか、その内容は殆ど他愛も無い話となる。
今日は何を食べたとか虹が綺麗だったとか、雪が降ったね等のちょっとした会話。
だが岬と繋がり、少しでも情報を共有していると言う事実がどれだけ椿の励みになったことか。
特に『引退したいのなら今以上に稼げ』と言われ、タイトなスケジュールをこなしていた頃はその会話が彼女の救いとなっていた。
(挫けそうになった時、岬を心配させてはならない。
頑張ろうと己を奮い立たせる事が出来た。
岬がいてくれなければ私は今ココに立っていられたか、生きている事が出来たかどうかも解らない。
だから今日は、会って直接感謝の言葉を伝えたい。
これからの私が、もっと強く生きていける様にする為にも)
妹と両親の仲が険悪になっているのは、岬が両親の事について一切触れない事からも伝わってくる。
もしもの時は、私が支える。
そんな事を考えながら、椿は駅の改札口近くで岬の到着を待っていた。
「お姉ちゃん!」
声をかけながら近寄ってくる女性の姿は、椿が予想していたよりもずっと大人びていた。
人懐っこそうな雰囲気は昔と変わっていないが、子供の頃よりも体ががっしりしているのが解る。
「久しぶりね、岬」
「ずっと、お姉ちゃんと会って話がしたかった。
今まで忙しくて、その暇が無かったから……
喫茶店で話そう。
お姉ちゃんに会わせたい人もいるし」
腕を絡ませ、椿を連れて行こうと引っ張っていく岬。
その頼もしさと力強さが、椿にはとても眩しく映った。
(昔は臆病で自信が無さそうな所もあったけど、立派になったわね)
あの時とは全てが変わってしまったが、妹の変化は良い変化だと思う。
そんな事を考えつつ、椿は岬と共に駅前の喫茶店へと足を運んだ。
駅前にあるのが今では当たり前になっているチェーン店『カフェ北野大茶』。
昼前と言う事もあり客はまばらで、静かな時間が淡々と流れている。
一人の中年男性が座っている席に岬が椿を案内すると、彼女はその人物の顔を見て思わず目が点になった。
「先生……」
高校時代の恩師である千輪(ちわ)孝駿(たかとし)が、椿の目の前にいる。
椿が両性具有である事が露呈した後、彼女を庇おうにも庇いきれず責任を感じて虹見高校から去った男。
その後の消息は椿も知らなかったが、まさか再会する事になるとは思ってもいなかった。
「本格焙煎珈琲3つとショートケーキ2つ、お待たせいたしました」
店員が注文したものを持ってきて一礼し、その場から去った後岬は全てを語り始める。
「私はお姉ちゃんが自分の夢を叶えられず消えてしまったと言う事実がずっと心残りだった。
このまま、全部終わりにしていいのかって……
そうじゃない。
私がお姉ちゃんの代わりに走る事は出来る。
そう思ったの」
己にもきっと、姉と同じアスリートとしての才能がある。
姉の夢を、自分が実現してみせよう。そう思い奮起した岬であったが、先立つものが何も無かった。
練習方法、目指すべき到達点、様々なものを買い揃える為の資金。
心に誓いはしたもののどう動けばいいのか解らず途方に暮れている中、千輪が声をかけてきたのだ。
「千輪さんは、私を羽ばたかせる為に惜しみない情熱を注いでくれた。
私の才能を見抜いて、どういった適性があるのかを判断しそれに見合った練習メニューを考えてくれた。
自腹を切ってシューズやウェアの用意も……
千輪さんがいなかったら、今の私は無いわ」
キャップを目深に被り、サングラスをかけ無精ひげが目立つ中年男性。
自分が堕落した人間であると言う自虐なのか、変わり果てた見た目をしている千輪。
だが落ちぶれた様に見えても、その熱い情熱と心は一切変わっていなかった。
「……償いたかったんだ。
椿の才能は、私が潰してしまった様なものだったから」
「いいえ、それは違います。
先生のせいなんかじゃありません」
椿は寧ろ、最後まで自分の味方をしてくれた千輪にずっと感謝の気持ちを伝えたかったのだ。
周りの人間の目が変わっていく中、千輪だけは一切考えを曲げる事無く戦い抜いた。
その結果負けてしまったが、彼が間違っているとは思わない。
椿はそう言ったが、千輪は彼女が思っている以上に精神的ダメージを負っていた。
「私は、自分が思っている以上に無力な人間だった。
お前には無限の才能があると言うのに、守ってやれなかった。
この才能を潰してしまう事は陸上界の損失だと訴えたが、多勢に無勢だ。
私もまた、鶴野岬と同じ様に何をするべきか途方に暮れていたが彼女に会ってから道が見えた」
贖罪として、鶴野岬を一流のアスリートに育て上げる。
これしか自分には残っていないのだと自ら退路を断ち、教師として貯めていた金を全て彼女の育成につぎ込んだ。
岬も椿と同じ様にランナーとしての適性があった。
ただ、椿と同じ『スプリンター』では無く、『ステイヤー』として輝ける才能を持っていたのだ。
「岬は、足腰の強さと持久力に優れていた。
瞬発力には難があるので、お前と同じ400mハードルでは不利になる。
マラソン、それもかなりの距離があるマラソンでならば勝機がある。
そう思った」
千輪の思った通り、彼女はマラソンランナーとしての頭角を現していった。
目指したのは琵琶湖の周りを一周すると言う素人だけが参加可能な『琵琶湖マラソン』での優勝。
コースの全長は200kmと、通常のフルマラソンよりも過酷な条件での勝負。
優勝を逃しても逃しても岬は諦めずに挑み続けた。
そして遂にその努力が実ったのだ。
「お姉ちゃん、優勝メダルだよ。
私、自分の力で成し遂げてみせたんだよ」
2010年に行われた第55回琵琶湖マラソンにて初優勝。
4256名が参加し、うち半数近くが途中で脱落すると言う波乱の大会だった。
ほぼ鉄人レースに近い競技内容での優勝。
テーブルの上で、岬の努力を讃える金メダルと小さなガラスのトロフィーが燦然と輝いている。
「色々あったよ……
お父さんやお母さんと大喧嘩して、今は事実上親子の縁を切ってる様な状態だし。
千輪さん以外で励ましてくれる人は殆どいなくて、諦めようかと思った事が何度もあった。
でも最後はお姉ちゃんの顔が心の中に浮かんできたから、絶対やってやるって思えたの」
両親は岬がアスリートを目指す事に反対し、勘当に近い状態で岬を自宅から放り出した。
そんな、明日も見えない毎日を岬は懸命に生き抜き、最高の結果を出したのだ。
自分と同じ様に苦難の道のりを歩んできたのだと思うと、椿は涙が止まらなかった。
「私の為に、色々なものを犠牲にして……
私が失ったものを背負わせてしまってゴメンね」
「大丈夫だよ。
私が好きでやった事だもん。
私はこの世で一番お姉ちゃんの事が大好きだから」
その優しい言葉に耐えられなくなり、額を手で押さえながら涙を流し続ける椿。
岬はそんな姉の姿を目にしながら、自分の選択は間違っていなかったと言う思いをより一層強くした。