※この作品はR-18です。

ZERO ~格闘ゲームに翻弄される者達~   作:夜月光介

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燻り続ける思いと言うのも人間が持つ大きな感情の1つです。
自分はこうなりたかった。でも出来なかった。
理想と現実とのギャップに苦しみつつも、明日を信じて
生きるしか無い。成功者は一握りで後は燻る者達ばかりです。
でもそれこそが人間らしいとも思います。


最終章 約束の場所 中編

【2012年2月5日 合衆国ネバダ州ラスベガス ZEROアリーナ 現地時間午後4時】

 

 欲望の街。

 合衆国の人間はラスベガスをこう呼ぶ。

 運で大金を掴んで一生左団扇。

 沈む者がいれば浮かぶ者もいる狂気の街だ。

 この日行われていたZERO SECONDの世界大会もある意味それと同じだった。

 

「ディフェンディングチャンピオンの重圧は、俺達には到底計り知れないな」

「私達は頂点に立った事が無いものね。

 頂点を目指していた事があるだけ。

 夢を現実に変える事が出来なかった。

 端的に言えば敗北者だわ」

 

 会場の片隅でベンチに座り、今大会の全てを自分の目で見届ける。

 狩谷優と真紀の夫婦はその決意を胸に合衆国へと渡り、現地で美子を応援していた。

 

 自分達には分不相応な目標だった。

 2人はそう思い込もうとしていた。

 古都の酒屋を継いで、子供を育てて平凡な人生を送る。

 

 穏やかな日々を思い描いていた2人の前に、洪(ホン)美子(ミジャ)が姿を現したのだ。

 政府命令と言う逆らえない状況であったが、2人は寧ろ彼女を育てる事に夢中になった。

 磨けば光るダイヤの原石が、こんな所に眠っていたなんて。

 

 彼女を一流のZEROゲーマーに育て上げる事が、自分達にとって『最後の仕事』になる。

 そして美子が勝つ事は、大成出来なかった2人の『リベンジ』の様な気さえしていた。

「未知(みち)、あそこで美奈子さんが戦っているんだよ。

 全部覚えてはいられないかもしれないが、この景色を目に焼き付けておいてほしい」

「うん」

 

 優と真紀の間に、小さな少女が座っている。

 僅か5歳とは思えない、大人びた見た目と雰囲気。

 冷静に、フィルターを通す事無く『起こったありのまま』を見ようとしていた。

 (俺達の子供も、出来ればこの道に進んでもらいたい)

 (我儘かもしれないけど、私達には託したいものがあるの)

 

 真紀と優が懸命に登ろうとして、途中で滑り落ちてしまった巨大な壁。

 世界一になるのは、これ程過酷で厳しい道のりを歩まなければならないのか。

 親としての身勝手で、娘をその道に進ませる事に罪悪感が無いワケでは無い。

 それでも2人は、子供に自分達が出来なかった理想を現実に変えてほしいと言う思いを捨て切れなかった。

 

 10年後、15年後……

 自分の娘にはどんな景色が見えているのだろう。

 観客席の傍らで応援しているのか、それともあの『舞台』の上に立っているのか。

 もしかしたら、全く別の道を選んでいるかもしれない。

 

「未知の夢は俺達の夢だ。

 だから、決して強制はしない。

 でももし俺達の夢を継いでくれるのなら、俺達が知っている事は全てお前に教えるよ」

 

「あそこに立つ事が、私の夢だった。

 優の夢だった。

 もし貴方があの場所に立ってくれたら、私が思い残す事は何も無いわ」

 

 両親の挫折と、這い上がる事が出来なかった後悔と無念。

 未知が背負うにはあまりにも重く、軽々と受ける事は出来ない仕事だ。

 可能だと思っても、口に出せない。

 

「お母さん、お父さん。

 もう少し待ってて。

 全部見ておきたいから」

 答える前に、目の前に広がる煌びやかな光景を眺めよう。

 未知はスポットライトを浴びて輝く自分の姿を想像しながら、視線を前方に移した。

 

【2012年2月6日 東京都 都内某所 ラブホテル『RENDEZ-VOUS』内 午前9時】

 

 この歳にして、自分が犯罪行為に手を染める事になるなんて。

 長尾涼介はやるせない思いを抱えていたが、今自分がしている事を止める事は出来なかった。

 

 黒沢グループの驚異的な躍進と、それに伴う長尾財閥の衰退。

 あれもこれもと節操無く最先端の技術やサービスを導入する美香の事を笑っていた長尾家であったが、何時の間にか笑われる側になっていた。

 商売に対して保守的で冒険を好まない長尾財閥は黒沢グループに追い抜かれ、このままでは潰れてしまうかもしれないと言う危機感を抱く。

 そんな中、長尾涼介と長尾遼子を財閥の中枢に据えて立て直そうと主張する若手の派閥が現れた。

 

 正直、涼介は自分が長尾財閥を背負う存在になれるとは思っていなかった。

 格闘ゲームで良い所まで行った程度の男が、利発で聡明な遼子が隣にいたとしても崩れかけた城を元に戻せるとは思えない。

 しかし、遼子と結婚したと言う事実は重く、そのまま無関心を貫く事は出来なかった。

 

『やっと始まったわね。

 再開するのに随分時間をかけちゃって……

 もっと手際良く進められないものなの?

 私ならこんな熱が冷める様な時間は作らないわ』

 

『君が主催してみたらどうだい?

 僕も君がZEROの大会を主催するのなら見てみたいな。

 面白い大会になりそうだ』

 財閥に恩恵をもたらし、かつ中央からは離れていられる唯一の方法。

 それが『プラナス』本社内社長室、会議室の盗聴及び状況報告だった。

 

 (黒沢グループと急速に接近し、関係を深めている『血生会』。

 その会長の右腕は僕と仲が良かった雨宮健太郎だった。

 エターナルナイトで鎬を削っていたかつての仲間が暴力団の中枢にいるなんて驚いたけど、それが幸いした)

 金さえ払えば何でも行い、自分達に不利益が無ければ殺しでも誘拐でも平気で請け負う組織。

 頻繁にプラナスに出入りしている雨宮健太郎に、盗聴器の設置を頼むのは容易だった。

 

 勿論盗聴器の存在が発覚した場合は財閥側が全ての責任を負うと言う条件付き。

 涼介はプラナス本社の近くにあるラブホテルに常駐し、盗聴で得た情報を長尾財閥に送っていた。

 (僕にしてみれば、これ以上無い仕事ではある。

 僕の強過ぎる性欲は努力を重ねて膣を拡張してくれた遼子が引き受けてくれるし、人目に付かない生活を送れる。

 コレが露呈すれば僕を含め財閥そのものが吹っ飛ぶと言う事実から目を背ければ、だけど)

 

 敵がどういった戦略を取ろうとしているのかが解れば、防御や先手を取った行動が可能になる。

 相手が怪しまない程度に情報を使っていた為今の所美香が長尾財閥の抵抗に疑問を抱いている様子は無かったが、ギリギリの綱渡りは続いていた。

「今日は会議の予定は無いみたい。

 社長室で世界大会を見ているだけで1日が終わると思うわ。

 そう報告しておいたけど、大丈夫よね?」

 

「ああ。

 それで問題無いと思うよ」

 誰もいない無音の会議室。

 ヘッドフォンを外した遼子は涼介の隣に座った。

 

 ラブホテルの一室を大金を払って常時貸し切りの状態とし、自宅に帰るのは月に数回。

 1ヶ月間の『流れ』を把握してからは定例会議が行われない日も解る様になっていた。

 (たまにあかりさんとのセックスがあって、遼子ともその気になればこの場所でする。

 自堕落な生活だけど、とんでもない責任を背負うよりは遥かにマシだ)

 

 腐っても鯛。

 かつて栄華を誇った東北の一大帝国をまとめ上げる程の剛腕。

 涼介にはそんな大層な力は無かった。

 

 少々頭が良くて機転が利く程度の人間が、数百万もの人間の人生を左右する場所へ向かう。

 考えただけで吐きそうだった。

 そして遼子も彼にその器が無い事は解っていた。

 

 (涼君にはそんな力は無いし、私だってそういうのが嫌だから兄に任せて家を飛び出している。

 この仕事か継ぐかと迫られたら、断る選択肢は無かった。

 どす黒い泥の中に沈んでいく道しか……)

 

 財閥の諜報員。

 今の涼介と遼子の肩書はそれ以上でも以下でも無い。

 人から唾を吐かれたとしても文句は言えない卑劣な仕事だ。

 かつて光輝く夢の舞台に立っていた男は、今自分の保身の為に清らかな魂まで売り渡していた。

 

「玖留美さんや新二さんの姿が、とても眩しく見えるわね」

「僕も行きたかったよ。

 頂点を目指していた時期は僕達にもあったんだから」

 

 もう、過去には戻れない。

 楽な方に流された結果、自分達は今ココにいる。

 涼介は裸で股間部分にバスタオル、遼子は生まれたままの姿と言うのが自分達の堕落を如実に示していた。

 ベッドの端に座りながらヘッドフォンを装着し、備え付けられているテレビを眺める涼介。

 遼子が肩を寄せてきた為欲望は瞬く間に膨れ上がり、バスタオルを突き破りそうな程硬くなる。

 

「今日は報告をしなくても良い日になりそうだから、沢山しようね……

 涼君」

 巨大な肉棒を鎮めるのは自分の役目。

 そう思いながら遼子はその先端に舌を這わせた。

 2人の間に子供を作る事も昔は考えたが、今の状況ではとてもそんな気にはなれない。

 

 (子供に、僕達の十字架を背負わせるワケにはいかないんだ。

 ただ、快楽に流されながら与えられた仕事をこなすだけで良い。

 疑問を持ったとしても、もう逆らえないんだ。

 遼子も覚悟を決めている)

 

 頬に流れる涙を拭いもせず、遼子にモノを咥え込まれていると言う現実に身を委ねる涼介。

 かつて大きな志を胸に戦っていた2人は、先の見えない霧の中へと足を踏み入れてしまっていた。

 

【2012年2月6日 東京都豊島区池袋 ラブホテル『FIG』内 午前9時】

 

 1ヶ月に1度だけ許されている一時退院。

 世界大会をテレビで見たいと言ってきた拓巳の要望に応え、ミアは2月6日を退院日と定めていた。

 病院側からも承諾を得て、午前8時に天武日本総合病院を出てからラブホテルに直行。

 大画面のテレビに映る現地の映像は迫力満点だった。

 

「天武日本人が2人、真国人が1人。

 皆頑張ってるねぇ」

 ワクワクしながら一部始終を見届けようとしている拓巳。

 決勝トーナメントに妹が残ったと言う報告を受けて喜んでいた彼の興奮は頂点に達している。

 

「玖留美さんがベスト8まで残ってますけど、優勝すると良いですね」

「出来るよ!

 ココまで頑張ってきたんだもん。

 不可能なんて言葉は無いんだ。

 去年の柏ソレイユだって絶対無理だって言われてたけど優勝したんだし」

 

 優勝するハズが無い。

 優勝経験の無いクラブは途中で必ず重圧に負けて失速する。

 2011シーズンの柏ソレイユの優勝は『持たざる者達』に大きな希望を与えた。

 リーグ優勝経験の無い中規模のクラブが、金満クラブを軒並み倒しての優勝。

 弱者が強者を倒して優勝する事があると言う事実が、拓巳に『妹に優勝する可能性がある』事を示唆していた。

 

「TN1で最多優勝経験を持ってるミラマーレ舞網を上回っての優勝。

 価値があったよ。

 玖留美だってきっとやれる。

 直接見てはいないけど、それだけ多くの努力を積み重ねてきたんでしょ?」

 あらゆる事をサッカーに絡めてはしゃいでいる拓巳の姿を見ながら、ミアはテレビに映る玖留美の横顔に視線を移す。

 

 (玖留美さんは、今日と言う日を迎えるまでどれだけの苦労をしてきたんだろう?

 実の兄である拓巳さんを切り捨てて、使える時間を全てZEROの練習に費やしてきたハズ。

 彼女自身の為にも、拓巳さんの為にも報われてほしい。

 コレで負けたらその苦労が全て水の泡になってしまう)

 

 心の痛みは、ミアが思っている以上にあるだろう。

 格闘ゲームで最高の結果を出す為にあらゆるものを犠牲にして、玖留美はあの場所に立っている。

 拓巳は妹に会えない苦しさを何度もミアに語り、その度に涙を流してきた。

 

 (神様、お願いです。

 どうか残酷な結末だけは拓巳さんに見せないであげてください。

 玖留美さんの覚悟は並大抵のものじゃない。

 負けたら何の為に拓巳さんが我慢してきたのか、解らなくなってしまうんですよ)

 

 正直、胃が痛かった。

 拓巳が絶望して号泣する姿だけは見たくなかった。

 それでもミアに出来るのはただ祈る事だけだ。

「新二さん、昨年のチャンピオンだし相当やるでしょ。

 多分玖留美さんが決勝まで進んだら、対戦相手は新二さんになると思うよ~」

 

 ベッドの上で寝そべり、頬杖をつきながら世界大会の映像を見つめる泪。

 彼女自身は玖留美が優勝する可能性が高いとは思っていない。

 その為拓巳が落胆した時に備え、何時でも身を起こせる様な態勢を取っていた。

 (もう、誰かの泣く姿は見たくない。

 玖留美さんの涙も、勿論拓巳さんの涙も)

 

 母親がタリスマンに虐げられ涙を流す姿を何度見てきた事か。

 シャワーを浴びていた時に涙を流していた拓巳の寂しげな表情は昨日の事の様に思い出せる。

 母親がショックで何に対しても興味を抱かなくなってしまったと言う事実があるからこそ、拓巳が同じ様になってしまう事態だけは避けたかった。

 

 (万が一の事があったら、私と泪が強く抱き締めて全部受け入れよう。

 セックスに溺れても構わない。

 拓巳さんが廃人の様になってしまう事だけは絶対に阻止するわ)

 ミアは自分の身体を使ってでも、いざという時は拓巳を救うと心に誓っていた。

 

「ミア、ココがラブホテルで良かったねぇ」

 泪はそっとミアに対して小声でそう言い、ミアもその言葉を聞いて頷く。

 (私はどんな事があっても拓巳さんの側にいて守らなくちゃいけない。

 それが玖留美さんとの約束だから……)

 

 自分の出来る事全てで、拓巳の心と身体を守り切ってみせる。

 無邪気な笑顔を見せる拓巳の横顔を見つめながら、ミアは玖留美の勝利を心から願っていた。

 

【2012年2月6日 東京都 天武日本総合病院内特別療養室 午前9時】

 

 天武日本には、ごく当たり前の日常を謳歌している者には解らない『暗部』が存在する。

 天武日本総合病院の地下2階最深部。

 廊下の最も奥にある扉からしか入れない『特別療養室』もその1つだった。

 

 そもそも地下2階があると言う事自体ごく一部の病院関係者にしか知られておらず、特殊なカードキーが無ければ廊下の途中にある赤外線センサーを突破出来ない。

 自衛軍の精鋭部隊が常時数名待機しており、カードキー無しでセンサーを通った者がいれば無条件で射殺せよと言う命令を受けている。

 病院食も『検問』の際に毒味役を用意しておく程の徹底ぶりで、部屋の中にいるVIPを保護していた。

 

「……こうなる事は前々から解っていたんだ」

 特別療養室のベッドに横たわり、テレビから聞こえてくる歓声に耳を傾ける男。

 その傍らには丹羽律と有馬弥助の姿があった。

 

「紅虎明命が崩壊したとは言え、天武日本内にはその生き残りがいて常に私の命を虎視眈々と狙っている。

 彼等は天武日本を滅ぼすと言う『夢』を決して諦めていない。

 奴等との戦いを、私以外の者に託さなければならないのが悔やまれるよ」

 壊滅状態に陥った紅虎明命は信虎を憎み、少数精鋭のテロ組織になる事で生き残りを図る。

 真っ先に行わなければならないとされたのが信虎の暗殺だったが、失敗に終わった。

 

 自宅で本を読んでいた信虎は狙撃され、銃弾が胸を貫通する。

 急所は外れていた為奇跡的に一命をとりとめた信虎であったが、暗殺を恐れ地下に身を潜めるしか道は無かった。

 

「彼等にしてみれば、私を殺すかココに一生閉じ込めておくかの二択だろう。

 出て来るのならば殺す。

 出てこないのならばそれで良し。

 私の力を無力化する事が出来るからね。

 息子が立ち直れず、弟の信照に総理大臣の座を渡す事が出来たのは本当に幸運だった」

 

 元総理大臣の暗殺未遂事件と言う事もあり、現職の総理となった信照は天武日本にいる元信国人にさらなる圧力をかけると宣言した。

『これ以上天武日本を混乱に陥れると言うのならば、我々は毅然とした態度で立ち向かわなければならない』

 

 信国人が犯した罪に対しての罰則強化。

 強盗・殺人は信国人が犯せば即死刑。

 テロ行為を行った者の家族は『連座制の死刑適用』を定める刑法を新たに可決する等、苛烈さを増していた。

「正直、信照は優し過ぎる。

 私が現役だったら、見せしめに生放送で信国人の犯罪者を公開処刑していただろう」

 

 信虎は弟の政権運営に不安を抱いていたが、現役を退いた後表舞台には戻らないと決めていた為後悔はしていなかった。

「奴等は獰猛な獣だ。

 相手が少しでも弱腰になっていると思えば容赦なく牙を剥いてくる。

 そういう手合いは何度も何度も棒で殴って逆らっても無駄だと言う事を身体で理解させなければならない」

 

 信虎は何度も政府関係者にそう明言していたが、信虎の様にそれを躊躇せず実行出来る人物の方が稀だ。

 慈愛や情けは国の為にならない。

 信虎はこれからますます深刻な事態になるであろう自国の未来を憂いていた。

 

「私は何があろうとも、最後まで信虎様にお仕え致します」

「私も同じ気持ちです」

 歴代の天武日本総理大臣には最後まで人生を捧げる『従者』が自然と生まれている。

 丹羽律も有馬弥助も、有事の際は自らの命を犠牲にしても信虎を守ると心に誓っていた。

 

「有難う。

 私の代で紅虎明命を完全に潰す事が出来なかったのは痛恨であり、私が犯した大きな過ちだ。

 だが、最早私自身が問題の解決にあたる事は出来ない。

 これからは私以外の誰かが解決してくれるのを心待ちにするだけだ……」

 

 信国そのものを浄化する事は出来ても、天武日本国に住んでいる信国人を全て消すと言うのは無理な話だった。

 隠れて反撃の機会を伺っている者達がいると言うのに、効果的な対策が取れない。

 過激な思想を持つ信虎にすら出来なかった仕事が他の誰かにこなせるのだろうか。

 彼自身はこの戦いが数年、いや十数年は続くであろうと考えていた。

 

「何時までも湿っぽい話をしていても仕方が無い。

 楽しい話をしよう。

 世界大会は順調の様だね。

 月山新二君、九龍玖留美君、瀬川美奈子君がベスト8へと駒を進めている」

 

「瀬川美奈子は真国人としての優勝、そして彼女自身が天武日本と真国との懸け橋になる事を目指している様です」

 天武日本人に対して敵対心を持たず、祖国への誇りを失っていない瀬川美奈子は信虎が放った『最後の矢』でもあった。

 

「彼女は村井が見つけた『金の卵』だよ。

 ZEROの普及だけで無く、両国の和平に関わっている。

 瀬川美奈子が努力すれば努力する程、奴等の溜飲は下がり敵対し続ける事への疑問も沸いてくると言うワケだ」

 

「考えたものですね。

 紅虎明命は彼女の存在を疎ましく思っているでしょうが、彼女を暗殺する事も出来ない。

 同胞殺しが禁じられている以上、瀬川美奈子の命は守られると言う事ですか」

 

 政治とは一見無関係に見える場所で輝く元信国人。

 悲惨な境遇でありながらさほど天武日本人に敵意を抱いていない人物。

 難しい条件だったが、瀬川美奈子はその条件を全て満たしていた。

 

「紅虎明命が仕掛けた『クーデター』は、天武日本に在住している信国人の手引きが無ければ実行する事は出来なかっただろう。

 彼等は私が処分している。

 恐らく、今天武日本に潜んでいる紅虎明命の『古株』は多くても数十名と言った所かな」

 

 勿論、たかが数十名と侮ってはならない。

 紅虎明命は過激な犯罪と人道を無視した人材集めを行う事で知られている。

 狐狸(フーリー)の様に天武日本人の赤ん坊を誘拐し、洗脳教育すると言う方法は彼等の十八番だ。

 ただ迫害を受けながら怯えて暮らしている一般の元信国人を脅迫し、破壊活動に加担させると言う方法も充分考えられる。

 手段を選ばず常に自爆テロの様な攻撃を仕掛けてくる組織に対して、受け身でいる事は許されなかった。

 

「膣の中に高性能な手榴弾を隠して突撃してくる女性戦闘員すらいる組織。

 奴等を瓦解させるには、内と外の両方から追い詰めていく必要があるんだ。

 暴力で黙らせ、精神的に揺さぶる。

 その精神面を担当しているのが瀬川美奈子と言うワケさ」

 

 瀬川美奈子自身が事前にそういった意図を説明されているワケでは無い。

 彼女はあくまで自発的に信虎が望む行動を取っているだけだ。

 純粋無垢な願いであるからこそ、紅虎明命の者達は困惑し自分達の行動に迷いが生まれるのではないかと彼は思っていた。

 

「瀬川美奈子自身が平穏な日々を送っていたとしても、周りにいる者達に被害が及ぶかもしれません」

 有馬弥助は当然とも言える懸念事項を指摘したが、信虎はそれも前々から考慮していた。

 

「黒沢グループの総裁、黒沢美香と血生会の幹部、雨宮健太郎に彼女の周囲にいる者達を保護する様に頼んでいる。

 特に雨宮健太郎は姉の雨宮比呂子が瀬川美奈子と親しくしている事もあり、私の提案を快諾してくれた。

 血生会は金儲けを第一として考えている組織。

 真国人が創立しているが血腥い事件を望んではいない。

 彼等が睨みをきかせている限り、紅虎明命もおいそれと手を出す事は出来ないだろう」

 

 現役中に置き土産は残した。

 自分が実行出来る事は全て実行した。

 信虎は自分がこの部屋に閉じ込められる事が解っているからこそ、『人事を尽くして天命を待つ』つもりだった。

 

「私は自分が『正義』であると思った事は一度も無い。

 私だって、紅虎明命と何ら変わりは無いんだよ。

 自分が考える理想の世界を作る為ならば、人殺しも民族浄化も進んで行う。

 絶対に手段は選ばない。

 ココから先は、どちらの陣営が勝つのかと言う話でしか無いからね」

 

 危ういバランスの上で成り立っている見せかけの平和の中で、その平和を維持する為にあらゆる手を尽くす。

 信虎が死去した後も、信虎の意志を継ぐ者達が戦い続ける事になるだろう。

 

【2012年2月6日 千葉県宮本市本郷 ゲームセンター『エターナルナイト』店内 午前9時】

 

 日曜日は休日であり、ゲームセンターにとっては営業しているのが望ましい日。

 しかし世界大会が催されているこの日だけは『休業』の看板を表に出しておくしか無かった。

 格闘ゲームプレイヤーは皆家で大会の行方を見守っている。

 そしてどんな結果になったとしても呆然として1日中何も手につかない。

 スタッフ側である笹森冬司と笹森加奈も全く同じ気持ちだった。

 

「乾杯!」

 缶ビールの蓋を開け、缶を軽くぶつける様に当てた後中身を喉に流し込む冬司と加奈。

 そこから少し離れた所で土田守は『マイボトル』を上に掲げ、蓋を開けると同じ様に中身を飲む。

「たまの『休日』でもプロテインか。

 相変わらず真面目だな」

 

「馬鹿を言え。

 大会を見終わった後は走り込みと何時ものメニューをこなす。

 丸1日休む様な事をしたら身体が怠ける事を覚えちまうだろ」

 

 丸いテーブルの上には鳥ササミのソテー。

 皿にはブロッコリーとレタスが添えられている。

 徹底した食事管理と毎日の鍛錬が、彼の頑強な肉体を維持していた。

 

「まずは、おめでとうを言わせて頂戴。

 6回目のミドル級王座防衛戦、テレビで見ていたわ。

 誰もが認める『完璧な王者』ね。

 今年の夏にも7回目があるらしいけど、頑張って」

 

「嬉しい言葉だが、まだまだ。

 全然完璧には足りねぇさ。

 10回はベルトを守りてぇよ。

 今度の相手は『最強の挑戦者』とも言われているし、全く油断は出来ねぇな……」

 

 世界で最も層が厚く、今まで日本人選手が獲れるハズも無いとされてきたミドル級。

 6回もベルトを守ったと言う時点で驚異的であったが、7回目の防衛戦の相手を倒せばもう敵はいないだろうとさえ言われていた。

 

「黒人のサフィア・J・ボーグか。

 引き締まった筋肉から繰り出される攻撃の強さから『人間戦車』・『ブラック・ダイヤモンド』と言う異名を持っている。

 合衆国のミドル級ボクサーとしては最高クラスの戦闘力を誇り世界ランクは2位。

 黒いサイボーグだの何だの異名だらけだな。

 それだけ強いって事なんだろうが」

 

 スマートフォンで相手の戦績等を確認している冬司の方を見ながら、土田は唇の端だけで笑ってみせる。

 

「間違いなく俺が今まで戦ってきたボクサーの中で最強の挑戦者だよ。

 天武日本にもやばいやつはいたが今回はそんなレベルじゃない。

 ライオン同士の食い合いだ。

 勝ったとしても負けたとしても何らかのダメージは残るだろう。

 いずれはそういう奴ともぶつかるだろうと思っていたがそれが今回来たって事さ」

 

 二桁の防衛回数を最低の目標と考えている土田にとって、最大の試練。

 乗り越えたとしても次の3回は残った力を全て吐き出す総力戦になる。

 身体がボロボロになったとしても、土田は記録に対して異常な拘りを持っていた。

 

「天武日本人のボクサー、ミドル級で10回防衛。

 もしこんな記録を打ち立てる事が出来たら、今後数十年は俺に並ぶ奴なんて出てこない。

 日本じゃない。

 世界でも稀な記録なんだ。

 ボクシングが出来なくなったとしても……

 いや俺のボクシング人生を犠牲にしてでも達成したいんだ。

 それが出来たら即座に引退を勧告されても悔いは無ぇさ」

 

 叶えたい夢の為に様々なものを犠牲にしてきた。

 全ては自分を救ってくれた蔵崎源三に報いる為。

 ボクシング界に金字塔を打ち立てる為。

 自分の身体が動かなくなるリスクすら、土田は甘んじて受け入れようとしていた。

 

「お前達とこうして直接会って話すのも数年ぶりか。

 もしどうにもならなくなって引退する事になったら、俺を受け入れてくれるかい」

「勿論よ。

 歓迎するわ。

 ねぇ冬司君」

 

「お前の席は何時でも用意してあるよ。

 俺達2人で何とか店を回しているのも、お前がスムーズに復帰出来る様にと言う心配りだ」

 

 エターナルナイトでもう一度店員として働くと言う『リタイア後』の人生設計。

 ボクサーの選手生命は決して長く無い。

 40代になってまで動ける人間は稀だ。

 当たり前の様に自分を受け入れてくれると言う2人の言葉は、土田の心を熱くさせる。

 

「俺は果報者だな。

 こんなに良い仲間が側にいてくれるんだから」

「俺と加奈とお前はこの場所でずっと一緒に、オーナーを信じてやってきただろ。

 お前がエターナルナイトの存続に対して並々ならぬ思いがある事だって知ってる。

 万が一車椅子になったって、ココで働いてもらいたいよ」

 

 土田は孤独な戦いをずっと続けてきた。

 勿論ジムのトレーナーやセコンドと言った仲間はいるが、最後に頼れるのは己自身。

 自分だけが信じられる世界にいた彼も、少し視野を広げれば支えてくれる友がいるのだ。

 

「私も『早く帰ってきて』とは言えないけど、貴方が帰ってくる日を心待ちにしているわ。

 昔みたいに3人で、オーナーが作ってくれた大切な場所を守っていきたい。

 やっぱり、土田君がいないと店の中が寂しくてね」

 

 思いが溢れ、手で流れ落ちる涙を拭う土田。

 ボクサーとしても、この場所でも常に誇り高く生きたい。

 彼は改めてその思いを強くした。

 

「俺達の今までとこれからも大事だけど、あの画面の向こうも気になるな」

 にこやかな笑みを浮かべながら、冬司は視線をテレビへと移した。

 普段は筐体の画面を映し出す薄型液晶テレビに、世界大会の様子がハッキリと映っている。

 

「玖留美さんも新二君も、悔い無く戦ってほしいわ。

 美奈子さんも。

 今年は昨年以上にバチバチしていて、モチベーションの高さが伺えるわね」

 

「連覇はちょっと無理じゃねぇかな。

 俺の予想が正しければ瀬川美奈子か九龍玖留美か……

 1人の相手を長い間研究すれば良いこっちと違って誰と当たるかも解らない世界だしよ」

 

 土田守の『戦い』は続いているが、同時に終わりも見えてきている。

 どんな形で彼がエターナルナイトに戻ってくるのかは解らない。

 冬司と加奈は彼と共に笑いながら、彼が五体満足で凱旋してくる事を祈っていた。

 

【2012年2月6日 東京都新宿区 大出みゆるの自宅兼仕事場 午前9時】

 

 世界大会が放映されている間と言うのは、一種の『無礼講』・『休息時間』でもある。

 人の家でのんびりしながらテレビを見ていても誰にも怒られない貴重な時間。

 普段仕事でピリピリしている大出みゆるも、この時ばかりは椅子に座って漠然と画面を眺めていた。

「みぃやん、冷凍の餃子何処やったっけ」

 

「冷凍室の一番下に入ってると思うわ……

 それで、どういう事になってるのか説明してくれない?

 私、格闘ゲームには疎くてね」

 何処かで休まなければ潰れてしまうと思っているのに、いざ休むとなると何もしないでいる事に対する不安が増す。

 つくづく自分は仕事人間なのだなと思いながらみゆるは初めて会う女性に質問した。

 

「準々決勝の対戦カードがもうすぐ発表されます。

 その後はトーナメント形式で決勝までほぼノンストップですね。

 簡単に言えば勝ち続けた人が優勝して10億円を獲得するってだけですよ」

 褐色肌の女性がそう言い、隣にいた黒髪、白い肌の女性がその言葉に反応する。

 

「亜津子、簡単に言うけど10億円って大金よ?

 人生が変わってしまう程の。

 私にもっと実力があればって思うわ。

 こんな所で燻ってないでさ」

 

 伊達静香は長尾遼子と違い家を継ぐ継がないと言った問題からは解放されていた。

 逆を言えば遊び回っている彼女を伊達家側が放り出したとも言える。

 

「静香さんも電脳皇帝の人材育成プログラムに参加して、やるべき事はやっている様に見えるんですけどね。

 努力は大事ですけど、選ばれた才能って言うのはあると思うんです。

 あくまで私の願望ですが……

 やっぱりリーダーにはあの場所で輝いていてほしかった」

 

 世の中には一番を目指す人間と、一番を目指す人間を支える人間の2種類がいる。

 海野亜津子はそう思っており、自分は支える側の人間だとも思っていた。

 

 香川県から古都府に足を踏み入れ、兎川真紀の実力に舌を巻いた。

 この人なら私よりも、いや誰よりも強くなれる。

 自分の直感を信じて支え続けた。

 だが彼女は事実上のリタイアを発表した。

 

 (悔しかった……

 リーダーが諦めてしまった事に対するものじゃない。

 真紀さんですら弾き返してしまう壁の高さに私も打ちのめされた。

 こっちに出てきて、プールの監視員をしているのもそれが理由……

 私も壁を感じてしまった。

 新二さんや玖留美さんは本当に凄い)

 

 判断力も技術も指捌きも、無印の頃とはレベルが違う。

 ネットの普及により強い若手が激増した事も亜津子が敗北を重ねる要因となった。

 篩にかけられ、残った僅かな実力者だけが優勝を目指せる過酷な時代。

 完全に諦めきれた者もいれば諦めきれなかった者もいる。

 亜津子や静香は未練を断ち切れずに悶々とした日々を過ごしていた。

 

 (もう全国大会の優勝も厳しい。

 静香さんが優勝出来た頃とは違う。

 瞬く間に周囲の景色が変わっていってしまった。

 辛いけどこれが紛う事無き現実)

 

 静香は『遊び人』であったが全国大会の優勝経験もありそれなりの知名度がある。

 小島(こじま)宏弥(ひろや)はまっとうな職に就いて彼女を養う為の金を稼いでいたが彼が文句を言う事は無かった。

 

「皆そう思っていても勝てないんだけどね。

 私はヒロ君に期待されているだけよ。

 僕より実力が上で、全国大会の優勝経験がある君ならZEROを続ける価値がある。

 僕の代わりに輝いてほしいって言われたわ。

 勿論、そう言われた時は嬉しかったけどね」

 

 昔付き合っていた男、登坂順也は今頃どうしているのだろう。

 静香はそんな事を考えながら、今の自分と彼はそう違いは無いと心の中で愚痴を零す。

 

 (私だって返り咲きたい。

 もう一度、表彰台の一番上で観客に向けて手を振ってみたい。

 努力はしてるのよ。

 でも、ついていけなくなってしまってね……)

 

 心の中に靄がかかっているのは彼女達だけでは無かった。

 遠藤咲も誰かに話す事は死ぬまで無いだろうが、アイドルとしてちやほやされていた頃の喜びは忘れられない。

 あの日、全てが崩れ去ってしまった。

 

 突然殺人者の妹となり、アイドルどころか日を浴びて生きる事も許されなくなった咲。

 ZEROの表舞台から身を引かなければならないと言う苦しみも同時に味わう。

 何故、そこまでしなければならなかったのか。

 殺さずに済む道は無かったのか?

 心の中で叫び続けていたが、大出みゆるにそれを訴える事は出来なかった。

 

 (葵はんとか、最近の若い子を見てると……

 ああなりたかったと言う気持ちが強くなるんよ。

 東京でのデビューも近かったし、余計にな。

 きっとウチは出しゃばりなんや)

 

 皆の前で笑顔を見せて拍手を浴びる。

 無名の頃から地道に積み上げていって、もう少しで大輪の花が咲く所だった。

 その未練を叫ぶ事すら出来ないと言う事実も、咲の苦痛を深めていた。

 

「私は大勢の人の前に立つって言うのがあまり好きじゃないからこういう世界に興味は無いけど……

 でも、面白いんでしょうね。

 この場所まで来た人にとっては。

 自分の力で人生を変えてやろうと意気込んでいる人達の熱意が伝わってくる。

 観客席にいる人達も、彼等の一挙一動に目を光らせているみたい」

 

 みゆるはそう言ってテレビ画面に映っている観客に指を向ける。

 そこに映っている人々の中に、亜津子がよく知っている人物の姿があった。

「リーダー……!!

 優さんも、未知ちゃんも。

 わざわざ現地に行って観戦してるなんて、凄いです」

 

「本当。

 真紀さんだわ。

 まさか合衆国に行ってるとは思わなかった」

 亜津子は思わず胸が熱くなった。

 

 狩谷真紀のZEROに対する情熱は、完全には消えていない。

 新世代の勝者を見届けようとしているのだ。

 それと同時に、また次の世代に託そうとしている様にも感じられた。

「自分の娘に、自分よりも大きゅうなってほしいと思っとるんちゃうかな。

 もし何か心を動かしたものが未知はんにあったら、真紀はんの跡を継ぐかもしれんで」

 

 親のエゴ、我儘。

 悪い言い方をすればそうなのかもしれない。

 だが、自分の遺伝子を受け継いでいる人間に夢の続きを願う事を放棄しろと言うのも酷な話だった。

 

 (ウチも、葵はんに期待するしか無いんかな……

 ウチと同じ身体やし、頑張ってほしいわ。

 人々の記憶に残るアイドルになってや)

 

 直接は言えないが、遠くで思う分には良いだろう。

 咲は芹沢葵の躍進を祈った。

 誰からも愛され、慕われるアイドルになる様に。

 それはかつて、彼女自身が望んだ事でもある。

 

「私達が応援する事で何かが変わるワケじゃないけど、天武日本勢の優勝を祈りましょう」

「せやな。

 静香はんの言う通りやわ」

 

 本気になって物事に取り組んでいる人間は美しい。

 人はそういう人間から活力を貰った気分になるのだ。

 それぞれの明日があまり変わらないものであったとしても、生きている限りより良いものにしたい。

 亜津子達はそう思いながら、テレビに映る『挑戦者達』を見続けていた。

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