※この作品はR-18です。

ZERO ~格闘ゲームに翻弄される者達~   作:夜月光介

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意外と鶴野椿は戦場希望と似ているのかもしれません。
自分の欲望を実現させる為に手段は選ばない。
これと決めたら後先考えず一直線。
勿論、お互いに似ていると指摘したら滅茶苦茶否定するでしょうけどね。


最終章 約束の場所 中編2

【2012年2月6日 千葉県宮本市本郷 南屋朋美の自宅 午前9時】

 

 滅多に無い、特別な日。

 大晦日に行われる全国大会と2月に開催される世界大会は誰もがテレビの前に釘付けになる日だ。

 必然的に、この日を『同窓会』代わりにして楽しむ者達も多くなる。

 エターナルナイトの従業員達と同じ様に、南屋朋美も昔の仲間と再会を果たしていた。

 

「食べ物や飲み物は沢山用意してますから、慌てないでくださいね」

「凄ぇな。

 滅茶苦茶でかいテレビが置いてある家なんてそうそう無ぇだろ」

 

「朋美さんの家、お金持ってるからね~。

 前に御邪魔した事があるから解るんだ」

「リーダー、飲料はこのテーブルに置いても宜しいですか?」

 

 強化ガラスで出来ている丸テーブルが並んだ広間。

 来客の為に用意された場所であり、ココで軽食をとりながら会議を行う事も出来る。

 造船会社を経営している父親は朋美を溺愛しており、『友達を呼ぶ』と娘が言った時は常にこの広間を貸していた。

 

「御父様とその幹部は今カダル連合王国で製造している豪華客船の視察に出向いています。

 一緒に世界大会の映像を見る事が出来ないのは寂しいですが、貴方達がいればその寂しさも大分薄れるでしょう」

 数十名は入れると思われる広い部屋に集まったのはたったの6人。

 朋美にとって高校生の頃共に戦った5人はかけがえの無い宝物だった。

 

「飲み物は栞に買ってきてもらいましたが、食べ物はこの日に備えて私と栞で調理したものです。

 皆さんにとっても『たまの休み』でしょうから、存分に羽根を伸ばしていってくださいね」

 鶏肉と馬鈴薯の煮物、牛ヒレ肉のソテー、炒飯と焼きそば……

 料理もそつなくこなす朋美であったが、自分以外の為に料理を作る事は滅多に無い。

 仕事に追われる事が常になっている彼女にとっては前日の準備も幸せな時間だった。

 

 夢を追うか、それとも地に足がついた人生を送るのか。

 今の道を選んだ事に関して全く葛藤が無かったワケでは無い。

 だが2005年の全国大会で彼女は挫折を経験した。

 

 (あれ程事前対策を行っていたのに、零さんに負けた。

 当たる可能性を考慮して万全と言える準備を整えていたにも関わらず。

 そして、あの決勝戦は私が割って入れる様なレベルでは無かった……

 あの煌めきは今でも忘れられない)

 

 誇りを粉砕され、優勝に至るまでの壁の高さを思い知らされる朋美。

 伊達静香の様にゲーマーとして食い下がる道もあったが、彼女は『経営者』として生きる道を選んだ。

 

 (人は言う。

 貴方は成功者だと。

 一からファンシーショップを伝手無しで立ち上げ、チェーン展開するなど尋常では無い。

 父親の援助があったとしても今は自力で稼いでいるのだし、将来は安泰。

 とても羨ましいと……

 でも私自身は、『逃げた』事を知っている。

 勝てないから他の道へ行ったと言う事を。

 本当は玖留美さんや新二さんの様になりたかった。

 自らの強さを誇りたかった)

 

 今更ゲーマーとして復帰しようとは思わないし、ブランクがある自分が戦える場所だとは思っていない。

 だが完璧でありたいと考えている朋美にとって、受けた傷のダメージは大きかった。

 そして朋美の傍らにいる堀北栞も、打ちのめされてZEROから離れたゲーマーの1人だった。

 対戦環境はプレイヤーの実力が僅か数年で様変わりした為、しがみつく事すら出来ない。

 証券会社の経理担当として上司から重宝されるものの、心の中はざわついていた。

 

 (リーダーも決して口には出さないけれど、背中が小さくなっているのを感じる。

 私達はテレビの前で応援する事しか出来なくなってしまった。

 だからこそ、リーダーは玖留美さんに夢を託しているのよ)

 

 九龍玖留美が発地ミアと来栖泪のシフトを見直してくれないかと相談に来た際、朋美は快諾した。

 それをする事で彼女の優勝の可能性が高まるなら、喜んで協力しよう。

 私の分まで頑張って。

 その励ましすらも玖留美の背中にかける事が出来なかった。

 

 (つまらないプライドですよ。

 昔の輝きが忘れられなくて、今も心の何処かでそれが燻り続けている。

 どんなに足掻いても、栄光の日々は戻らないと言うのに。

 千葉県認定ZEROゲーマーだった頃が懐かしいです)

 

 異なる道で結果をしっかり出している彼女達を責める人間など何処にもいない。

 朋美は羨望の眼差しで、画面に映る九龍玖留美の姿を見つめていた。

 

 朋美達に比べれば、中澤久緒は理想と現実のすり合わせが出来ていた。

 合衆国で開催された五輪の女子柔道で優勝。

 その後二足の草鞋を履く事無く柔道家としては引退。

 昨年開催された全国大会で決勝トーナメント進出を決めるなど、ZEROゲーマーとしての才能を発揮していた。

 

 (電脳皇帝やエターナルナイトでやってる『講習』に参加しながら、火村あかりに色々な技術を教わった。

 大切なのは、効率的な練習をする事だ。

 それは格闘技だろうがゲームだろうが変わらねぇ)

 

 私生活においても中澤(なかざわ)安央(やすお)と結婚。

 安央は久緒の柔道や合気道を後進に伝える為練習施設の館長に就任。

 2人は何不自由無い理想的な人生を歩んでいる様に見えた。

 

 だが、何の問題も発生しなかったかと言えばそうでは無い。

 人の目には映らない、しかし久緒本人にとっては重要な問題。

 それは安央が2年前から患ってしまった『勃起不全』だった。

 

 若年層に多く見られると言う『心因性勃起不全』。

 精神的ストレスが溜まり、セックスに対する嫌気等が重なると男性は勃起する事が出来なくなる。

 安央からすれば、『不釣り合いなカップル』とも言える久緒との結婚生活はかなり精神を削られるものだった。

 柔道でも格闘ゲームでも結果を出し、観客から拍手を浴びて輝いている久緒。

 

 その輝きに対して、自分は小判鮫の様に名声を利用して食いつないでいるだけ。

 己がスポットライトを浴びたくてもそんな機会は巡ってこない。

 さらには『肉食系』とでも言うべき久緒のセックスに対する『がっつきぶり』は相当のもので、安央は精神・肉体共に疲れ果てていた。

 

 誰かが、彼女の強過ぎる性欲の面倒を見なければならない。

 とは言え、久緒も別の男性と性行為を行う事に対しては拒否感があった。

 (そういう時に、都合よく『チンポ付きの女』なんてのがいてくれたんだから、有難い話だよな)

 不倫では無い。

 あくまで性欲を互いに貪り合う相手であって、そこに恋愛感情は無かった。

 

 安央も久緒が自分以外の誰かとしている事に薄々気付いていたが、黙認する。

 自分が彼女の相手をしてやる事が出来ないのに、自分に責める権利があるのか。

 そのままだらだらと、遠藤咲とのセックスは不定期に行われ今も続いていた。

 

 (昔は火村あかりと衝突した時もあったが、知り合いになっておいて正解だった。

 遠藤咲を紹介してもらって、電脳皇帝とエターナルナイトで鍛える機会を与えてもらって……

 井島豊に初めてを捧げる事になっちまったのは誤算だったけどよ)

 だがそれも今は、初めから決まっていた『運命』の様に感じられる。

 あれは我儘で意地っ張りだった久緒に神が下した『天罰』だったのだ。

 

 彼女はよくも知らない男と初体験してしまった直後からそう思っていたし、その思いが変わる事も無かった。

 遠藤咲とセックスする事が、安央に対して不義理なのか今でも久緒は解らずにいる。

 向こうはそれとなく『相手』が出来た事を察知している様だが、特に何か言ってくる事は無かった。

 自分が不能であると言う事実を追及されるのを拒んでいるのだろう。

 彼もまた、悩める男の1人であり自分の性的能力が失われた事を認められず悩んでいた。

 

 (フフッ……

 まぁしゃあねぇって。

 お互いによ)

 見せかけの幸せでも構わない。

 久緒はその幸せを守る為に全力を尽くすつもりだった。

 

『俺達と一緒に、もう一度東京群青大学を目指さないか?』

 柳瀬(やなせ)繁(しげる)からかけられた言葉が、東郷恵の耳から離れなかった。

 

『お前だって、ずっと風俗で生きていこうとは思っていないんだろ。

 老後の蓄えが出来たら引退。

 そう考えているのは知ってる。

 なら、時間は空くハズだ。

 原点に立ち返って、また一から歩き始めよう』

 

 何故今になってそんな事を?と彼女は聞いた。

『壊れてしまった人生を、正しい方向に直す為だよ。

 お前だって、あいつらのせいで『負けた』のは癪だと思ってるんじゃないか?』

 

 あのクズ男4人組のせいで、全てが壊れてしまった事は恵が一番よく解っている。

 だが、今からでも取り返せるものがあるのではないか。

 繁はそう言いたいのだろうと思った。

 

『でも、どっぷり風俗嬢としてその道に浸かってきた私が今更頑張ってもね~。

 どんな箔が付こうと、もう手遅れでしょ』

 

『そんな事は無い。

 肩書は全てを吹き飛ばす無敵の看板だ。

 東大出身と名乗るだけで誰もが頭を下げる。

 一握りの頭脳明晰な人間しか入れない大学を卒業するだけで、人生は大きく変わるんだ。

 元風俗嬢と言う肩書があろうが何だろうが、東大は全てを打ち消してくれるんだよ』

 

 医者として皆から尊敬され、羨望の眼差しで見つめられている繁には『東大』の偉大さが解っている。

 天武日本もまた『学歴社会』の側面があり、東大は人生における1つの『勲章』の様なものだ。

 それを手に入れるだけで周囲からの評価が激変し、何もかもが上手く運ぶ様になる。

 勿論魔法では無いが、そういう力が東大にある事は繁も肌で実感していた。

 

『俺達が側にいて、何時でもサポートしてやる。

 俺達は仲間だ。

 一旦、脇道に逸れてしまったかもしれないが、正しい道に戻る時が来たんだよ』

 

 きっと、繁以外の元特Aのメンバーも同じ事を考えているのだろう。

 恵が東大に入れなかった事が他の幼馴染達にとっても『痛み』となって残っている。

 あれ程頭が良く、自分達より優れていた恵が堕ちてしまった事が哀しいし悔しい。

 何とか立ち上がって、頑張ってもらいたい。

 そう思っているのだ。

 

 (……私だって本当は、気にはなってたよ。

 あの『災難』が起こらなければどうなっていたのかと言う『もしも』は夢に見ていたからね。

 でももし東大に受かったとしても、政治の道は目指さないだろうな。

 肩書を活かしてどう生きるかって言う明確なプランがあるワケじゃないし……)

 

 それでも、恵は風俗嬢を辞めた後彼等と共に東京群青大学の受験に挑む事を承諾した。

 何故頷いたのか、あまり意味の無い受験に臨もうとしているのか自分でもよく解らない。

 

 きっと、奴等に対して『自分はこれだけの事が出来る』と示したいのだろう。

 恵の人生を滅茶苦茶にした強姦魔達に『お前よりずっと優れている』と言ってやりたい。

 一度立ち上がれなくなる程殴られても、歯を食いしばってまた人は立ち上がれる。

 言葉で無く、行動で体現したい。

 恵はそう思っていた。

 

 (良いじゃない。

 やるだけならそこまで高くないんだからさ。

 あと数年風俗の世界で稼げるだけ稼いで、その後は勉強するってのも悪くないよ)

 

 金髪褐色の派手な衣装を身に纏った自分が、東京群青大学の門をくぐる所を想像すると笑いが込み上げてくる。

 確実に鈍っている自分が、また光り輝く存在になれるのかどうか。

 だがかつて自分が格闘ゲームに惚れて打ち込んでいた様に、勉強に集中すれば叶えられない夢など無い。

 敗北からの一発逆転を目指す。

 恵の挑戦は静かに始まろうとしていた。

 

 新しい道を模索する者がいる一方で、与えられた道を一途に歩き続ける者もいる。

 柊(ひいらぎ)佳苗(かなえ)は頭の回転が速くエターナルナイトのプレイヤーをよく知っていると言う理由から黒沢美香の護衛の1人となった。

 五十神妖が実質的な右腕だが、彼女が外に出る時は大抵佳苗が秘書兼ボディーガードを務めている。

 

 (高校時代に久緒先輩に憧れて、合気道と柔道をやってたのがこんな形で役に立つとは思わなかったわ)

 美香から『鵺』と言う名前を与えられ、重用される。

 最初はプラナスから貰える高給に魅力を感じて飛び込んだ佳苗であったが、今は違う思いを抱く様になった。

 

 (美香様は心に傷を負って、その怒りと哀しみを上手く人にぶつけられず苦しんでいる。

 高圧的な態度で人と接するのも、時折狂った様に怒鳴り出すのもその為。

 美香様は優秀だから皆ついてきてるけど、実際はその殆どが金目当て。

 私はただ美香様の近くにいるのでは無く、親身になって支えてあげたい)

 

 自分の力の限界を感じ、スランプに陥っていた時期もある久緒。

 そんな尊敬する先輩を間近で見ていた佳苗は、人の心に寄り添い癒やしたいと考える様になっていた。

 自分が潤滑油となって、黒沢零と黒沢美香の間に入り少しでもいざこざを減らしたい。

 

 上手くいっているかどうかはいまいち自信が無いのだが、少しずつ2人のわだかまりは解消されている様な気がする。

 2人が仲良くなる事が、かつて自分も通ったエターナルナイトの人々の幸せになるのなら。

 佳苗は美香と零の両方から信頼されている事を利用して、2人の関係が壊れない様奔走していた。

 

 万場知里は佳苗の幼馴染であり、やる事なす事その殆どがよく似ていて馬が合った。

 身体を動かす事が大好きで、クマッタシリーズに惚れ込んでおり中澤久緒を心から尊敬している。

 進んだ道こそ違っていたが、今でも2人は頻繁に連絡を取り合っていた。

 

『美香様も最近、クマッタグッズの良さを頑張って知ろうとしているみたいで……

 桜華御嬢様が好きだったと言う事があったからね。

 後で店に寄るから用意しておいて』

 

『限定クマッタのセットでしょ?

 了解。

 何時でも渡せる様にしておくから』

 

 そんなやり取りは常態化しており、佳苗がサウスハウスに足を運ぶ回数も増えていた。

 雨宮比呂子に譲渡した大量のクマッタグッズと保管の為の倉庫は、手狭になる度に増えている。

 比呂子自身が管理する事が難しい為、専用のスタッフを雇って修繕を行わせる程だった。

 美香が崇拝する桜華が気に入っていた『クマッタ』を買い続ける事が、彼女への供養になる。

 そんな考えを抱いた美香が桜華の為に続けている事で、それは同時に比呂子を信頼している証ともなった。

 

 比呂子が桜華との間に築いた友情は、かけがえの無いもの。

 美香はそう信じているからこそ、比呂子にクマッタグッズに関する全ての権利を譲っていた。

 雨宮比呂子と中澤久緒と言う2人の尊敬すべき先輩を持って、自分達は幸せだ。

 佳苗と知里は本気でそう思っており、今も彼女達への敬意を忘れてはいない。

 

「久緒先輩があの舞台に立っている所、見たかったです」

「俺だってココで沈んでいくつもりは無ぇよ。

 いずれは這い上がって必ず栄冠を掴んでやる。

 その為にも、奴等がどう戦うのかじっくり見ておかねぇとな」

 

 久緒は彼女達が単なる自分を尊敬してくれる取り巻きだとは思っていない。

 人生の要所要所で悩んでいたり落ち込んでいたりした時に励ましてくれたり、的確なアドバイスを与えてくれたりした。

 久緒にとってもまた、佳苗と知里は替えがきかない大切な存在である。

 朋美達の様にずっと仲良くして、この関係をずっと継続していきたいと久緒は考えていた。

 

 それは励まし合ってココまで大きくなってきたNEWSZEROも同じである。

 3年間の高校生活の中で育まれた友情は今も変わる事無く眩い光を放ち続けていた。

 

「久緒さんが立つと言うなら、私も負けてはいられませんね」

「アンタが立つ時はその隣に俺もいるさ。

 優勝を譲る気は無ぇけどな」

 

「その時はリーダーが勝つって私は信じています」

「私は遠くから旗振っててあげるよ~。

 どっちにも活躍してほしいからねぇ」

 

 九龍拓巳や日向剛の離脱によって半壊してしまったギルドZEROとは違い、NEWSZEROの絆は健在だ。

 彼女達が様々な場所で再び日の光を浴びる日が来るのは、それ程先の話でも無いだろう。

 

【2012年2月6日 東京都新宿区某所 羽生晃の自宅 午前9時】

 

 歌舞伎町から少し離れた場所に存在する羽生晃の邸宅は、『屋敷』と呼ぶに相応しい威容を備えていた。

 古くからある瓦屋根の家には庭園があり、錦鯉が泳ぐ池もある。

 そこに信国の文化を匂わせる石灯籠や球体の照明等が置かれ独特な雰囲気を醸し出していた。

 

「これだけの家を持ち、多くの美女を思いのままにし敵対する者を容赦無く葬ってきた。

 我ながら好き放題やり尽くした人生だ。

 普通の奴よりかは恵まれた人生だったろう」

 

 掛け軸がかけられた床の間に、羽生が心を許している者達が集まり座っている。

 羽生は布団の中で時折風が吹いている様な声を発しながら、何とか笑顔を作ってみせた。

「思えば楽しい人生だった。

 信国人として迫害され、殴る蹴るの暴行を受けても反撃すら出来なかった俺がこの国の裏社会を牛耳ったんだからな。

 表の政治と結託し、国民を裏から自在に操る感覚は快感だったぜ」

 

 誰にも縛られず、悪事の限りを尽くした男。

 それが黙認されていたのも、全ては織田政権と強固な同盟を結んできたからだ。

 紅虎明命とは違い、金と欲望の為に天武日本と手を結ぶ強かさがあったからこそ、組織を天武日本一にする事が出来た。

 黒沢グループと裏で繋がり、国民から金を吸い上げる。

 そのシステムは完璧に近いものであり、羽生が消えても継続される事が決まっていた。

 

「大蛇……

 血生会の大看板は暫くの間お前に任せる。

 雨宮が組織を継げる立派な男になるまで、育ててやってくれ」

 

「承知致しました」

 羽生に絶対の忠誠を誓っている大蛇だからこそ、今までのやり方を踏襲し間違いは犯さない。

 周囲をイエスマンで固めていた羽生であったが、無能な人材はことごとく切り捨てていた。

 

「雨宮、お前はこの俺がこれだと見込んだ男だ。

 血生会の会長を、お前ならしっかりとこなしていけると信じているぞ。

 紅蠍と雲雀の事はお前が好きにして構わねぇ。

 ただし、路頭に迷わせる様な事だけはするな」

 

「はい。

 よく解っています」

 毒蝮雲雀も血生会のバックアップを受ける為に紅蠍と同じ様に何度か抱かれた事がある。

 会長を引き継ぐと言う事は、血生会の場合愛人まで引き継ぐ事を意味していた。

 

 (大蛇さんの会長就任日から、政権移譲の為に紅蠍さんと雲雀さんが俺の『夜の相手』をすると言う。

 あの3人組は使えるだけ使って『処分』するべきか。

 いずれ、俺の精液をあいつ等に放つ余裕も無くなってくるだろうし)

 眉一つ動かさず人を殺せる男にならなくてはならない。

 血生会の鉄の掟を守り抜き、雨宮健太郎は羽生が望む性格・人物になりつつある。

 

 女性と金に対して貪欲で、自らの利益の為ならどんな事でも出来る男。

 そういう人間になっても尚、姉への愛情を消す事は出来なかった。

 (お姉ちゃん。

 こんな駄目な僕を許してね。

 もう僕にはどうする事も出来ないんだ)

 

 何度心の中で懺悔しただろう。

 姉への秘めたる性欲を何度解き放ちたいと思った事だろう。

 雨宮健太郎は羽生晃の様にはなれなかった。

 金を儲け、どんなに美しい女性を抱いていても幸福な気持ちになれない。

 そしてその陰鬱な心の内も、羽生を目の前にしている時には隠し通さなければならなかった。

 

「蜂須賀、お前は土田を超えるボクサーになるんだ。

 俺は信じているぞ。

 お前が高々とベルトを掲げる日が来る事を。

 お前が栄光を掴む所を向こうで見ていてやる。

 怠けたら承知しねぇからな」

 

「勿体無い御言葉です。

 どんなに時間がかかっても、必ず成し遂げてみせます」

 

 土田守と言う絶対的存在が幅をきかせているミドル級と言う魔境で、戦えるのか。

 蜂須賀大樹もまた金と名誉の為に戦う事を諦めたりはしなかった。

 自由に生き、己を救ってくれた会長の様に自分も自由に舞ってみせる。

 蜂須賀はハードパンチャーとしてのスタイルにさらなる磨きをかけ、王座を獲得すると決心していた。

 

「確か今……

 ZEROの世界大会が開催されているんだったな。

 いいか、誰が優勝しようともそいつに接近して利用するだけ利用しろ。

 俺達が一枚噛んでいる2020年東京五輪の象徴として使うんだ。

 あくまでもスマートにな。

 織田政権に目を付けられたらたまったもんじゃねぇ」

 

 企業も、政治も、有名人も全て血生会の手足。

 良い形で使って私腹を肥やし、組織を盤石なものへと育てていく。

 羽生は『拡大』よりも『組織の足元を固める』事に重きを置いており、全国に散っている幹部も精鋭を採用しろと指示していた。

 

 (俺は自由になる時が来るんだろうか。

 自由になる時が来たとしても、きっとそれは俺が会長と同じ位の歳になってからだろう。

 それまで生きる事が出来るかどうか……

 いや、絶対に生きるんだ。

 姉貴にもう一度会って直接詫びる為に)

 

 自由を貫いた男と、自由に生きている様に見えながら実は縛られている青年。

 この後雨宮健太郎は正式に血生会の会長となり、補佐に回った大蛇と共に血生会をさらなる繁栄へと導く事になる。

 羽生はこの半年後に息を引き取る事になるが、それはまだ先の話だった。

 

 (なぁ、冴子……

 俺は勝っただろ。

 お前の全てを奪って、出涸らしになった所でお前を捨ててやった。

 お前は俺を殺したい程憎んでいるだろうが、お前に消えない傷を付けた時点で俺は勝っているんだ。

 俺が地獄に落ちようとも、俺は現世でやれる事は全てやった。

 俺は勝ったんだ)

 

 邪悪な笑みを浮かべている羽生の顔を見ながら、大蛇は1人心の中で頷いていた。

 (貴方は、いえ血生会の会長はそうでなければいけません。

 人を人とも思わぬその冷酷さが、裏社会のトップには必要なのです。

 俺は雨宮健太郎を、貴方以上の『最高傑作』に仕上げてみせましょう)

 

 天武日本の闇は深く、簡単に消えるものでは無い。

 織田政権と血生会が手を取り合って天武日本を引っ張っていく限り、『天武日本人』は幸せに暮らす事が出来るだろう。

 これからさらに辛い仕打ちを受けるであろう真国人の受難はまだ始まったばかりだった。

 

【2012年2月6日 東京都 『電脳皇帝』店内 午前9時】

 

「これから起こる全ての事を、目に焼き付けておけ。

 脳味噌に叩き込め。

 君達が次の『世界大会優勝者』になる為には、彼等の強さをしっかりと認識する必要がある」

 店の前に『本日休業』と書いた紙が貼られている店内。

 そこには鏑木修吾と月山桃子、そして彼等が育成している『金の卵』達の姿があった。

 

「彼等が使うテクニックを、まずは盗め。

 模倣でも良いから完全に使える様にしろ。

 だがコピーでは常に勝つ事は出来ない。

 格闘ゲームも勝負事である以上不測の事態は必ず生じる。

 そういった予想外の状況に陥った時に立て直せるのが本物のゲーマーだ」

 

 世界の猛者と呼ばれたプレイヤーの戦い方を見せ、指をどう動かしているのか学ばせる。

 最初は意識してコマンドを入力していた者達も、今では無意識に指を動かす様になっていた。

 

「私達は次の世代の『トップ』が貴方達の中から出てくる事を心から望んでいるわ。

 半端な覚悟は要らない。

 本当に勝ちたいと思う人だけがついてきて頂戴。

 高い受講料を貴方達に払わせているんだから、私達2人が持っている技術を全て授けてあげましょう」

 

 月山新二・瀬川美奈子と言った今合衆国にいる最強クラスのゲーマーを講師に招いて指導を行う。

 受講料を捻出する為にアルバイトを掛け持ちしながら戦う者もおり、この場所自体もまた戦場と化していた。

 誰もがライバルであり、熾烈な競争はこの『強化講習』の中でも始まっているのだ。

 全員が生き残る為に鎬を削るこの環境を作り上げた修吾は、この結果にもまだ満足していなかった。

 

 (俺はあいつの様にはなれなかった。

 勝てなかった。

 壁を乗り越える事が出来なかった。

 だからこそ、俺に出来る事をやり遂げなくてはならない。

 勿論金を儲けたいと言う側面もあるが、一番大事なのは俺達に匹敵する実力のプレイヤーを輩出する事だ)

 

 敗北と挫折を経験した者の、敗者復活劇。

 ありふれた展開ではあったが、修吾は己が足りない事を認め、新二の友として支える事を誓った。

 芽の出ないプレイヤーは例え受講料を払えていても『落第』として追い出す程の厳しさ。

 それは新二のどんな時でも諦めない不屈の心と、友でも戦う時は容赦せず勝つストイックさを参考にしている。

 

「どんな植物でも大輪の花を咲かせる為には種を蒔いて水をやり、精魂込めて大切に育てなければならない。

 君達は今種を蒔いている状態だ。

 芽が出ていないからこそ、水があればどんどん伸びていける。

 俺と桃子さんが面倒を見れば、必ず結果を出せると信じているぞ」

 大勢の生徒達の気合の入った返事を聞きながら、修吾は自分達のプロジェクトが成功する事を信じて疑わなかった。

 

 元々月山新二が『やろう』と決めた事だからこそ、最高の練習環境を提供する事が出来る。

 そして月山桃子もまた、彼の『夢』に付き合ってその夢を実現させようと奮闘している人間の1人だった。

 

 (彼が凄いのは、金儲けと叩かれる事も覚悟してこの育成プログラムを立ち上げた事。

 当然生きていく為にはお金が必要だし、教えるからには対価が必要なのだからそれは批判されても構わない。

 でも普通出来ないわ。

 世間の悪評に耐えた先に待っているのは自分より強くなった弟子の強襲。

 プロゲーマーのトップに君臨していたいハズの新二が、敢えて人を育てようとしている。

 並大抵の覚悟では出来ない事。

 だからこそ、私も本気で彼等に様々なテクニックを教えているのよ)

 

 心無い者達からの罵詈雑言。

 自分の地位を脅かされるかもしれないと言うリスク。

 それを無視してまで『ZEROをプレイする者達の人口拡大』に拘った新二の輝きに桃子は惚れた。

 

 ずっと王様でいたい。

 普通の人間なら誰もが思う私利私欲を排除して新二は次世代の強者を作り出そうとしている。

 最終的には、それが自分の為であり格闘ゲーム界の為になると理解したうえでの行動だった。

 諦める者が続出すれば、界隈全体が先細りして衰退していく。

 

 人気を保ち続ける為にはヒーローを生み出し続けなければならない。

 それが新二の考え方であり理念だったのだ。

 

「翌年の大会、その次の大会、その次……

 チャンスがある限り、足を止めてはいけない。

 決して楽な道のりじゃ無いわ。

 連戦連敗で心が折れかけたり、レバーとボタンを触る事が苦痛に感じる時があるかもしれない。

 でもその先に、必ず自分の努力が報われ結果が出る未来がある。

 車を買える程のお金を筐体に突っ込んで、貴方達はようやくスタートラインに立てるのよ」

 

 世界大会が開催される様になってから、天武日本のみならず全世界のプレイヤーの求められる実力が急に跳ね上がった。

 情報を強いプレイヤー同士で共有したり、強いプレイヤーだけが集まるネット環境が構築されたのも大きい。

 桃子達もまた、仲間内だけで戦い合うのでは無く世界のプレイヤーと切磋琢磨する事を推奨していた。

 

 (新二君がヒーローだからこそ、皆がついてきてくれる。

 この大会でも優勝して、生徒達のモチベーションを上げてほしいの。

 私と新二君の間に生まれてくる子供に、ZEROへの強い興味を持ってもらう為にも)

 

 桃子はこの時既に妊娠していた。

 生まれてきた男の子は『月山優一』と言う名前を与えられ、この世界に飛び込んでいく事になる。

 勿論、この時点ではお腹の中にいたが、桃子は自分の子供にも同じ様な教育をしたいと考えていた。

 

 (男の子でも女の子でも、生まれてくる子には新二と同じ道を歩いてもらいたい。

 ビクトリーロードを歩めるかどうかは別として、彼の様に楽しんで格闘ゲームをプレイしてもらいたいの。

 新二が、とても良い笑顔で筐体の前にいるのを見ていれば自然とそうなっていくかしら……)

 

 羨望の眼差しで月山新二を見つめる者もいれば、ぎらついた目で彼から王座を奪ってやろうと鼻息を荒くしている者もいる。

 そういう人々が多くいればいる程ZEROは盛り上がっていき、結果として天武日本の繁栄に繋がるのだ。

 新二は純粋な思いでこの育成プロジェクトを立ち上げたが、そこには様々な思惑が渦巻いていた。

 

 (これからどうなっていくかは、私にも解らない。

 大切なのは新二の理想を現実に変える事。

 そしてその夢を私が叶える事。

 簡単な道のりじゃないし、トラブルや世間からのバッシングがあるかもしれない。

 新二がやろうと決めた事だから、私も最後までついていくわ)

 

 鏑木修吾も月山桃子も、新二の思想に共鳴して賛同している『理想論者』だ。

 生徒達を導いていくにはまだまだ経験が足りない。

 2人はそう思っていたが若さ故の情熱で補えると思っていた。

 

「旧パキスタン地区のプレイヤーの躍進は、ZEROのグローバル化が急速に進んでいる事を意味している。

 君達もその流れに乗って、世界で戦っていけるプレイヤーを目指すんだ。

 明日からまた、練習を始めるぞ!」

 

 生徒達にそう呼びかけている修吾の顔にはやる気が満ち溢れている。

 (貴方がやろうとしている事は、きっと実を結ぶわ)

 フロア全体を見渡し、再び画面に映る月山新二の顔を見つめながら、桃子は心の中でそう呟いた。

 これから歩を進めていく世界は、きっと美しく輝いている。

 自分の子供がそれ以上に輝く事を願いながら、桃子は祈る様に両手を合わせた。

 

【2012年2月6日 東京都大田区 会員制銭湯『天女の湯』社長室 午前9時】

 

 憧れて、心から惚れ込んでいる相手は既に結婚している。

 鶴野椿にはその2人の間に割って入ったり、関係を壊す様な事は出来なかった。

 でも、何もしないで指を咥えて見ているのは嫌。

 そんな思いから、彼女は特大の地雷を地面に埋め込んでしまったのだ。

「赤ちゃん、元気に生まれてくると良いですね」

 

「あの人の子供だもの。

 男の子でも女の子でも、きっと良い子に育つわ」

 月山新二と身体を重ねたあの日から、毎日毎日妊娠しているか調べ続けた。

 そして妊娠を確信した直後に偽装結婚を行い、鶴野椿は妊娠していても怪しまれない状況を作り出したのだ。

 結婚した相手は『黒薔薇館』で働いていたスタッフの1人で、雲雀から紹介された人物だった。

 

 (お金が必要で秘密を守ってくれて、かつ勤勉で私の仕事を手伝ってくれる男の人が必要だった。

 私が両性具有だろうが何だろうが気にせず結婚してくれて、自分が父親では無い子供が生まれてきても許してくれる人。

 黒薔薇で男娼として働いていた人なら、全ての条件を満たしていたわ)

 女性に対して誠実で、同じ様に後ろめたい秘密を抱えているので暴露される心配が無い。

 銭湯を経営する椿の夫として裏から彼女を支えると言う約束も取り付けたので、計画は全て順調だった。

 

 自分が口を滑らしさえしなければ、月山新二の隠し子が世に生まれると言う事実は隠し通せる。

 椿は何があろうとも、墓場までこの秘密を持っていくつもりだった。

「そう言えば旦那さん、今日こっちには来ていないんですね」

「北海道の店でお湯が出ないって言うトラブルがあって、対応してもらう為に現地に飛んでいるわ。

 私が行くべきなんだけど、一番儲けが出ているこの店から離れるのはちょっと怖くて」

 

 あれこれ理由を付けて側に置いていないのも、自分を好いてもいない夫を束縛しない様にする為だ。

 他所で風俗店に行こうが何だろうが、度の過ぎた散財さえしなければある程度の自由は黙認していた。

 (勤務態度が抜群に良い男性スタッフを雲雀さんの所から引き抜くのは相当にお金を使ったけれど、それで良かったのよ。

 問題がある人を夫にしても遊び呆けるだけだし、結果的には安い『買い物』だったわ)

 愛情の一切無い、結婚と言う名の雇用契約。

 

 全ては優秀な人材と自分の妊娠を自然な形に出来る都合の良い相手を手に入れる為。

 椿の周りにいる者達もその不自然さに何かを感じてはいたが、敢えて疑問を口にする様な事はしなかった。

 (私達だって元々秘密を抱えているのに、人の秘密に干渉する様な余裕は無いわ)

 月山新二や火村あかりと『乱交』を楽しんだ直後に鶴野椿が妊娠したという事実は覆らない。

 その直後に突然書類上の結婚だけ済ませており、偽装工作の杜撰さは拭えなかった。

 

「それにしても、本当に月山新二が好きなんだな。

 世界大会を時間を作ってまで見るなんて。

 ラッキーだったんじゃねぇか?

 あの時の事は」

 

「幸運でしたね……

 でも、それだけでしょう。

 あんな事、頻繁に出来るワケが無い。

 私はまた、彼を遠くから見つめて応援するだけの日々に戻るんです」

 

 戦場希望は『真相』に気付いている人間の1人ではあったが、それを世間にぶちまけるつもりは無かった。

 確証が無いのと、長崎蛍や唐沢妙子との性行為が楽しめなくなるからだ。

 

 (アタシに何のメリットも無ぇからな。

 そうだろうと思っているだけだしよ。

 でも、何もしないで終わらせるつもりも無いぜ。

 ちょっとは楽しませてもらわねぇとな)

 

 希望は元々性格が悪い人間なので、蛍に嫌われる事無く椿を苦しめる方法を考え付いていた。

 月山新二の隠し子と思われるその子供を、月山新二と桃子の間に生まれた子供とくっつける。

 鶴野椿が新二に惚れている以上、子供が新二に対して同じ様な憧れを抱く可能性は高い。

 その感情を利用して子供同士を仲良くさせれば、当人達も知らない間に『近親相姦』が成立するだろう。

 

 (性別が違っていれば良いんだがなぁ。

 椿の子供が女なら高確率で同じ両性具有者だ。

 男・男だとちょっと厳しいか。

 桃子・新二の子供が女で、椿の子供が男ってのが一番楽だな)

 

 彼女の悪しき企みは成功し、鶴野椿の娘である『鶴野響』は『月山優一』に恋心を抱く様になる。

 今はまだその未来を知らない椿であったが、彼女自身もその可能性は考慮していた。

 

 (桃子さんが妊娠していると言う話は、人から聞いて知っている。

 確率は低いかもしれないけど、可能性はあるわ。

 その子供同士がくっつくと言う可能性は……

 もしそうなっても私は一切口をつぐんで子供にも本当の事は喋らない。

 子供の口からだって真実が漏れてしまう可能性があるのだから、私は何があっても黙っているわ)

 

 きっと自分は天国には行けないだろう。

 だからどんな恐ろしい結末が待っていたとしても、運命だと思って受け入れる。

 椿は身体の秘密を隠してきたのと同じ様に、全てを闇に葬る決意を固めていた。

 

 長崎蛍、唐沢妙子、周防幸枝。

 火村あかりが企画した『乱交パーティ』によって急速に距離が近付き、仲が良くなった3人だった。

 戦場希望が社長室に入ってくるのを受け入れるのは前からの事だったが、今はこの3人も招く事が増えている。

 

「どんなジャンルであっても、『決勝戦』は燃えるよな。

 アタシも経験した事があるから解るぜ。

 今から見るのが楽しみだな」

 

「新二さん、優勝出来ると良いわね。

 連覇は難しいと思うけど、私達も肌を重ねた相手ですもの。

 一番応援しなきゃいけないのは彼だけよ」

 

「天武日本の殆どの人がこの大会をテレビで見ているんですよね……

 どれ程の精神的重圧があるんでしょう。

 私ならとても耐えられないと思います」

 

 以前の椿なら、自分の店に通っている客とここまで距離を縮める事は考えられなかった。

 公私混同だし、店を利用している客と親しくなるのは好きな客と嫌いな客を分けてしまっている様な気がするからだ。

 だが、最大の罪を犯してしまった自分がそんな事を今更考えて何になると言うのか。

 不誠実であったとしても椿は月山新二に対して嘘をついている為既に誠実さの欠片も無い。

 椿は自分に綺麗な心を求める事を放棄し、自分が思った通りに生きようとしていた。

 

 (全部私個人の我儘。

 辛い人生を送ってきたからと、私は自分から禁忌に触れてしまった。

 どんな罰でも甘んじて受ける。

 だから神様、この子供を無事に産ませてください)

 

 かつて自分の不運を呪い、神に悪態をついていた自分が何を言っているのだろう。

 椿は己の浅はかさと身勝手さを心の中で笑ったが、もう引き返せない事も解っていた。

 

「……生まれてくる子供が女の子だったら、『響』と言う名前にしようと思っているの。

 人と共感する、音の様に響き合って高めていく様な子供になってほしい。

 私の仕事をいずれは継がせたいけれど、その前にZEROにも触れてもらいたいわ」

 

 鶴野椿は生まれてくる子供を自分から底無しの闇に放り込もうとしている。

 希望はそれを察し、彼女の複雑な胸中を心の中で推し量った。

 

 (自分の子供だけ幸せになるのはズルイってか。

 一見幸せの中にいる様で実は地獄であったという体験を子供にさせても悔いは無ぇんだな。

 思いっきり後押ししてやるよ。

 アンタもそれを望んでいるんだろ?)

 

 子供がZEROに興味を持てば、『禁断の恋』が成立する可能性はますます高まる。

 椿はそれを理解していながらそうしたいと言う気持ちを抑える事が出来なかった。

 それがどういった感情なのか、椿自身にもよく解らない。

 自分が憧れ、愛した男が愛した世界を体験してほしいと言う感情もある。

 その一方で、自分も含めて完全な幸せを手に入れるのは似合わないと言う思いもあった。

 

「椿さんの子供が格闘ゲームをやったら、きっと上手くなるわ。

 頭が良くてこれだけ才能がある椿さんの血を引くなら、どんな道でも成功出来るわよ」

 妙子の言葉に裏があるのかそうでないのか、椿には解らない。

 所詮この世は騙し合い、化かし合いなのだ。

 

 風俗店での仕事や『天女の湯』を経営する時に、彼女はそれを嫌と言う程経験している。

 どんな人間にも絶対に人には話せない秘密があるのだ。

 自分もその当たり前を抱えている人間の1人でしか無い。

 椿はそう思った。

「ええ、そうね」

 

 お腹を優しく撫でながら、椿は画面に映る『お腹の中にいる子供の父親』を見つめる。

 貴方の御父さんは立派に戦っているのよ。

 私はこの人の子供である貴方を産む事が出来るのがとても嬉しいの。

 そんな事を考えながら、彼女は満足そうな表情を浮かべていた。

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