2人は救われたいんですよね。互いに救われたいけど
救い方が解らない。2人で共に流れていく事を望んでいる。
柳瀬が何かを失って恵が特に何も失わないのは理不尽な部分を
感じる人もいるかと思いますが、それは恐らく
柳瀬が持っていて、恵はそれほど守るものを持っていないと言う
違いだと思ってます。
【2012年2月12日 午前7時 東京都豊島区池袋 ラブホテル『FIG』部屋内】
「どう、これで良い?」
ラブホテルの一室でこんな事が行われているのを誰かが見たとしたら、滑稽や奇妙と言った感覚を抱くかもしれない。
柳瀬がデジタルカメラで恵にポーズを撮らせ、全裸の状態を撮影しているのだから。
柳瀬も股間を隠さず全裸のまま、カメラを構えていた。
「良いよ、今度はダブルピースしてもらえるかな。
思いっきり笑って。
ベッドの端に座っている所も撮りたいね」
昨日の夜にも行っていた行為。
今日と言う大切な日を残したいと柳瀬が懇願し、恵はそれを快く受け入れていた。
本来ならば、こんな写真が存在する事自体喜ばしくない。
第三者に発見されればその瞬間に柳瀬も恵も全てを失うだろうからだ。
だが昨日と全く同じで、柳瀬はそういったリスクを背負ってでも裸の写真を残したかった。
(記憶と言うものがいかにあてにならず、風化するものであるか。
俺は恵を抱いた。
その証がどうしても欲しいんだ。
この美しさを残しておきたい。
俺の人生の宝物にする為に)
繋がったまま撮影したり、膣内の奥ですら器具を用いて写真に残す。
そうやって生まれたままの彼女を撮影していると、妙な高揚感が生まれてくる。
きっと自分は裸の恵が好きなのだ。
何も身に付けていない、そのままの彼女を愛している。
そんな事を考えながら、最後の撮影が終了した。
「奥さんの裸も撮影したの?」
「まさか。
頼む勇気も無いよ。
家では彼女が女王様で、俺はその召使。
彼女の機嫌を損ねる事は彼女の父親の機嫌を損ねる事と同じだからね」
柳瀬の妻は一流製薬会社の社長の娘で、医学界においても絶大な権力を持っている。
一流病院の医師と結婚するのにも難色を示した程、『もっと上』との結婚すら考えていた。
コネクションに至っては妻の叔父が天武日本医師会の会長を務めている程だ。
息子を『最高傑作』に育て上げる事が出来れば、柳瀬が次期会長の椅子に座る事すら可能だった。
「一番星を目指したけれど、その星取り競争には終わりが無いんだよ。
万が一ゴールに辿り着けたとしても、その椅子を奪い合う熾烈なゲームが会長を退くまで続く。
退いた後だって相談役として常に気張っていなければならない。
本当は一抜けしたいんだけど、なかなか周りが許してくれなくてね」
家庭も仕事もストレスが溜まる事ばかりで、そういったレースから離脱したい。
本音はそうだったが、妻と結婚した以上そこから降りる事は許されなかった。
柳瀬が現在の地位を得ているのは自身の努力もあるが、妻との結婚による影響も大きい。
天武日本総合病院の医師として働けている主な要因の1つと言っても過言では無いだろう。
「がんじがらめに縛られて、医者と言う仕事を自由にこなす事が出来ない。
俺は病院の中で出世レースに挑まされている囚人みたいなものだよ。
息子が医者になる事に難色を示したら、それだけで即家族会議だ。
辛いけど、俺が自分の意思で決めたんだから自業自得だな」
柳瀬は救われたかったのかもしれない。
そういった家庭も仕事も荒れている毎日の中で、癒されたかった。
それが恵とのセックスであり、写真撮影だったのだろう。
東郷恵もまた、柳瀬とのセックスによって救われたかった者の1人だ。
「私は今日、柳瀬君とセックスする事で何かが変わるんじゃないかと思ったんだ。
何が変わるって、具体的には解らないけど……
お客さんとするのと、私をずっと愛してくれていた幼馴染とするのとは違うからね。
結果として気持ちを切り替えてもうちょっと頑張れるって思えた。
柳瀬君も今日何かが変わってくれたのなら最高だよね~」
どんなに愚痴をこぼされても、最高の笑顔を見せてくれる女性。
彼女の方が余程辛い道を歩いていると言うのに。
「ああ、俺も確実に何かが変わったよ。
少なくとも良い方向には変わったと思う」
色々あるけれど、それでも人生から逃げたくない。
ならば茨の道を歩き続けるしかない。
そんな濁った水の様な気持ちに、相手が潤いを与えてくれる。
東郷恵と言う存在がいるから、もう一度頑張ってみようと思える。
恵もまた、柳瀬繁と言う存在に勇気を貰っていたのだろう。
「柳瀬君、私を抱いてくれて本当に有難う」
「お礼を言うのはこっちの方だ。
俺の方がよっぽど有難かった」
生まれたままの姿でキスを交わす2人。
性行為の時とは異なる、大人しめな軽いものだった。
どんなものにも、始まりがあれば終わりがある。
服を身に付けて現実へと戻っていく恵の姿は少々寂しくもあった。
「引退したら、真っ先に俺の所へ来てくれ。
俺は1回合格してるから、色々教えてやれる事があると思う」
靴下と下着を身に付けた所でそう言われ、恵は思わず柳瀬の方を見る。
「奥さんや息子さんとか、大丈夫なの?」
「俺とお前は特A時代の幼馴染だろ。
赤の他人じゃあるまいし、嘘をつかずにそう言えば解ってくれるさ。
疑われた所で、決定的証拠さえ掴まれなければ大した事は無い」
恵の東京群青大学に合格する為の挑戦に関しては、柳瀬がサポートすると事前に約束してくれていた。
他の3人も出来る事があれば何でもするから気軽に相談してほしいと言ってくれている。
持つべきものは友達だと思う反面、些細な事で自分が迷惑をかけてしまったら申し訳ないと言う気持ちもあった。
「私が風俗嬢だなんて事、調べればすぐに解っちゃうよ。
奥さんだって、私を家に招くのは露骨に嫌がるんじゃない?」
「無理やりにでも説得させてみせるさ。
嫌々やらされている事が多いのに、やりたい事まで阻まれてたまるか。
お前に勉強を教えるのだけは絶対に譲れない」
柳瀬は必要とあらば『過去』を引っ張り出してでも妻を説き伏せるつもりだった。
幸せに生きるはずだった女性の転落とそこから復活させたいと願う熱い思い。
医者としての自分でも、父親としての自分でも無い。
幼馴染の恵に恋していた頃の自分として彼女を助けてやりたかった。
「これからどうなるか私にも柳瀬君にも解らないけど、お互いに約束しよう。
最善を尽くそうね。
どんな時もこれで良かったんだって納得出来る様な選択をするって」
柳瀬はそう言ってきた恵の言葉に対して、どう答えるべきか迷った。
本当に自分は『正しい選択』が出来るのだろうか。
既に世間的には許されない選択をした自分が成功出来るのだろうか。
俯き、顎に手を当てて悩む様子を見せる彼の横顔を見ながら恵はさらに言葉を続ける。
「深く考えなくても良いんだよ~。
大切なのは、その選択に迫られた時に自分が納得出来るかどうか。
正しいとか正しくないで決まるんだったら、私は風俗嬢になってない。
流されて、翻弄されてそれでも最善を得ようとした。
そういうものだと思って人生の荒波を乗り越えていかなきゃね」
恵の笑顔の裏に、どれだけ多くの悲劇があったのだろうか。
柳瀬は胸が押し潰されそうになった。
彼女の様に自分で自分を騙して幸せになろうとした人間はそう多くはいない。
そんな彼女が、並の人間よりは恵まれた人生を歩んできた自分を応援してくれている。
目頭が熱くなり、彼の目から涙が流れ落ちた。
「俺に出来るだろうか」
「出来るよ。
私だって大変な目に遭いながら何とかやってこれたんだから」
恵が放つ一言一言が、柳瀬にとっては本当に有難かった。
もし彼女が常に隣にいてくれたら、どんなに心強かった事だろう。
彼女なら、自分が悩み苦しんでいる時に的確なアドバイスを与えてくれるに違いない。
だがそれは決して叶わない夢物語なのだ。
恵との生活が現実にならないのもまた柳瀬にとっては辛い事実だった。
涙の跡やキスの跡が残らない様に水で洗い流し、何度も互いに確認。
服装の乱れが無いか姿見で確認した後、2人はドアの前に立った。
この部屋を一歩出た時から赤の他人の様に振る舞いそれぞれの日々へと戻っていく。
それが解っているからこそ柳瀬は別れが寂しかった。
「大丈夫。
永遠のお別れじゃないんだよ。
こういう形で会う事はもう無いかもしれないけど、私達はずっと友達だからね」
「ああ、そうだな……」
『二度目』を望んでいない事は、恵の態度から薄々感じ取れていた。
教える者と教わる者と言う立場や、幼馴染と言う関係で関わる事は今後もあるだろう。
だが、性欲のままに身体を預けて繋がり1つになるのはこれが最初で最後。
柳瀬は恵がそうしたいと思っているのが何となく理解出来たし、彼自身もそれに納得していた。
そして、それがお互いの人生の為に一番良い選択だとも思った。
(恵が全裸での写真撮影に応じてくれたのも、もう肌を見せる機会は無いと思ったからなのかもな……
今までの事はある意味白昼夢みたいなものだったんだ。
起きながら見ていた長い夢。
そして俺達はこれから現実に戻ってそれぞれの道を進んでいく。
恵も、俺も、他の皆も)
恵も柳瀬も何処かで何かを変えなければならないと思っていた。
『このままではいけない』と言う漠然とした感情を抱えて悩んでいたのだ。
2人にとってセックスする事こそがその変化でありリスタート。
気持ちを切り替えてもう一度しっかりと生きていく為に必要な行動だったのだろう。
「じゃあ、またね。
私がお金を払っておくから、柳瀬君は先にホテルを出て。
2人で一緒にホテルの入り口から出てくる所を誰かに見られたら困るでしょ」
「そんなの、見られていたら時間差で出ても一緒だよ。
……恵、今日の事は忘れないから」
「私も忘れない。
柳瀬君への思いはずっと残り続ける」
柳瀬はドアを開け、一瞬振り返ろうかとも考えた。
だが考え直し、そのままドアを閉めて廊下を歩き始める。
(名残惜しいと思うと、ふんぎりがつかなくなるからな)
一生の思い出となるイベントが終わったと言う寂しさと、これから始まる日々への淡い期待。
当然、良い事ばかりでは無い。
だがどんな時にも最善を尽くすと愛する女性に誓ったのだ。
その誓いだけで彼は強く生きていけそうな気がしていた。
「先生、昨日は何処へ行ってらっしゃったんですか?
病院に搬送されてきた患者さん、緊急の手術が必要だったんですよ。
スマートフォンにかけても全く連絡が取れなくて……」
「すまない。
近くのビジネスホテルで休んでいたんだが爆睡してしまってね。
スマートフォンに関しては電池切れになっていたんだろう」
我ながら、疑われそうな嘘をついたと柳瀬は思った。
部下に怪しまれるのは必然で、急患の患者を診なかったとなれば出世にも響く。
もし自分の不在が原因でその患者が死亡した場合はもっと酷い結果が待っているだろう。
「それで、その患者は……?」
「非番だった副島(そえじま)先生が駆け付けてくださって事なきを得ました。
後で先生にお礼を言っておいてください。
私達も大変だったんですよ」
柳瀬と比較的仲の良いナースですら明らかに不機嫌な態度を見せている。
必ず何処かで埋め合わせをしなければと思っていた時ドアを叩く音が聞こえた。
「どうぞ」
部屋の中に入ってきたのは同期の医師、副島だった。
柳瀬が通常通院患者を診ている部屋は汚れが無く落ち着いた雰囲気を漂わせている。
部屋の隅に置かれている観葉植物は偽物だったがそうとは思えない程の完成度だった。
「私は君が昨日何処にいたのか、何をしていたのかと詮索するつもりは毛頭無い」
威厳を見せたいのか柳瀬とは違って口髭を生やし、常に不満そうな表情を浮かべている。
「ただ今回の件で『柳瀬が副島に助けられた』と言う事実は既に院内にいる者全てが把握している。
この事は忘れないでくれたまえよ」
つまり副島は『お前はさらなる出世コースからは脱落したのだ』と告げに来たのだ。
普段の柳瀬なら文句を言う所だったが、彼はその発言に対して素直に頷いた。
「それは当然の事だ。
患者を助けてくれて本当に有難う」
予想していなかった返答に、副島は怪訝な顔をする。
「驚いたな。
出世に対して貪欲になっていた君がこれ程あっさり負けを認めるとは思わなかった」
柳瀬が出世して天武日本総合病院の院長、最終的には天武日本医師会の会長を狙っている事は誰の目にも明らかだった。
そんな彼が出世コースからの脱落を素直に認めるとはとても信じられなかったのだ。
「私は『やり遂げなくてはならない』と思い詰め過ぎて、周りが見えなくなっていたのかもしれない。
だけど、出世や権力闘争より大事なものがあると気付かせてくれた人がいたんだ。
目の前にいる患者を大切にして、『医者として生きる』事が大切なのだと。
神経が磨り減る様な地位は喜んで君に譲る事にするよ」
柳瀬が色々なものを諦めた。
副島にはその一面しか見る事が出来なかった。
彼は恵に色々なものを貰い、貰ったものを返していく為に諦めたのだ。
勿論、野心家である副島としては彼の態度はむしろ望む所である。
「君が何を見たのか、何を感じたのかは解らんが……
私にとっては好都合だ。
君が諦めるのなら、私は君が諦めたものを貰うだけ。
私は君の様にまだ枯れてはいないからな」
勝利宣言をしながら部屋から退出する副島。
ナース達は憔悴した様な柳瀬の姿を見て慌て、次々に駆け寄る。
「大丈夫ですか、先生」
「何があったんです?
今までの先生とはまるで別人ですよ」
「これで良かったんだ」
目を瞑り、椅子に深く腰掛ける柳瀬。
この後妻や義理の父親と揉める事は解り切っている。
最悪の場合、『息子の親権』すら議題になり得るだろう。
『貴方が後悔しない道を選んでね』
脳裏に浮かぶ、恵の姿。
(俺はお前を抱いたんだ。
それで失うんだったら喜んで差し出すよ。
俺はお前と繋がれて幸せだった)
ナースの言葉も彼の耳には届いていない。
彼の意識は既に遠い所にあった。
頂上に立つ事は出来なかったが、自分は幸せだ。
何が最も幸福なのか、それは人それぞれなのかもしれない。
しかし、彼自身が幸福なのは確かな事だった。
「寒かったでしょう。
コートこちらにおかけしますね」
一方恵の方は高級風俗店『パラダイス』に戻り働いていた。
何時もと同じ様に客が訪れ彼女がその相手をする。
変わらない日常だったが、少しだけ幸せな気分で仕事に取り組めていた。
「私も色々な風俗店に足を運んできたが、吉原のナンバーワン風俗店に足を運ぶのは初めてだ。
しかもナンバーワン風俗嬢が相手をしてくれるなんてね。
今日は宜しく頼むよ」
年配の男性はそう言うと恵に対して微笑んでみせる。
服も高級で、何処かの会社社長であろうと思われた。
「満足してもらえる様、頑張らせてもらいます」
お辞儀をしながら自分の名前が書かれた名刺を差し出す恵。
普段と何も変わらない日々が戻ってきた。
客を満足させて金を貰う。
それでも柳瀬との情事が彼女の人生に光を与えていた。
(やっぱり柳瀬君とセックスしておいて良かった。
あの時の事だけで私はこれから頑張っていける。
柳瀬君にとってもそうなっていると良いな~)
客の服を優しく脱がしながら、恵はさらなる飛躍を心に誓った。
現状に甘えるのでは無く、ナンバーワン風俗嬢としてさらに輝きたいと思ったのだ。
彼女はこれからも大勢の男性を相手にする事だろう。
だが彼女の心に深く入り込み核となっている男性は1人しかいない。
どれだけ身体を汚しても、心だけは綺麗なままでいたかった。
贅沢な望みだったが、恵ならばきっとそんな心を守っていけるだろう。
2人の心は一度1つになり、そしてまた離れた。
だが離れていても互いを思い続け、何時の日かまた出会う事を望んでいる。
柳瀬と恵にとっての人生は始まったばかり。
これからも互いに影響を与えながら、2人の関係は続いていくだろう。