信長と1人の女性の出会いは何を生み出し何を変えていくのでしょうか?
【西暦1549年 8月 尾張国愛知郡那古野 那古野城周辺の河原】
応仁の乱が終わった後、室町幕府が弱体化した事で日本は戦国時代へと突入していた。
各地の守護大名や強い地盤を持つ権力者が『戦国大名』となり、多くの者達が『天下』を目指して戦い続ける。
その戦乱の中、京都に上洛を果たす一番乗りになるであろうと噂されていたのが今川(いまがわ)義元(よしもと)だった。
『海道一の弓取り』と言われる程策謀に長けていた今川義元は、駿河(するが)・遠江(とおとうみ)・三河(みかわ)の三国を支配する程の大大名である。
自身の武勇に加え、太原(たいげん)雪斎(せっさい)と言う超一流の戦略家を部下に持ち、周辺の国で彼を知らぬ者などいなかった。
あの『甲斐の虎』と呼ばれた武田信玄でさえ、今川義元の直接対決を避け同盟を結ぶ程だったのだ。
今川・武田・北条の三国同盟が成った今、幕府に縛られずとも上洛する事は可能と踏んだ今川であったが1つだけ小さな障害が残っていた。
その京都への通り道に、今川と同盟を結んでいない尾張の織田家が存在していたからである。
「明日、河原で石合戦をしよう。お前はとびきり腕っ節の強い奴を集めてこい。
俺はお前達にこき使われている奴等だけで勝ってやるから」
石ばかり落ちている河原で、奇妙な格好をした少年が豪族の子供に話しかけていた。
虎柄の湯帷子(ゆかたびら)に身を包み、酒の入った大きな瓢箪(ひょうたん)をぶら下げている。
髪は髷を結っているもののボサボサで、身体中が土と泥で汚れていた。
「本当に良いんだな。俺が勝ったら1つ、何でも言う事を聞いてもらうぞ」
「ああ。その代わり、俺が勝った時はもうこいつ等を虐めないと俺に約束しろよ」
河原に集まっていた農民の子供達とは違いとても体格が良く、喧嘩では負けた事が無い少年は強気な態度を崩さない『虎の子』を嘲笑う。
「喧嘩だろうが石合戦だろうが、そんな弱っちい連中で何をするつもりなんだ。
力の差も解らないうつけ殿相手なら、楽勝だぜ」
笑いながらその場を後にする少年に対して、彼に虐げられていた少年達は不安を隠せなかった。
「吉法師(きっぽうし)様。
本当に僕達だけで勝てるのでしょうか?ある程度強い人を連れてきた方が……」
「心配すんなって。勝つ為の計画は既に出来上がっている。
俺の言う事を聞けば絶対に勝てるさ」
吉法師と呼ばれた少年を含めても、河原に残っている少年の数は20名程しかいない。
対する乱暴者の少年は同じ様な乱暴者達と仲が良く、その倍以上の人数を引き連れて来る事は予想出来ていた。
「石合戦も本当の合戦も勝敗の決め手になるのは数じゃ無ぇ。
地理と状況、そして戦略さ。
あんな脳味噌まで筋肉で出来てそうな奴等じゃ俺達には勝てねぇよ。信じろって」
農民の子供達は彼に何も教えてもらえずに解散する事になった。
河原に1人残った彼はその辺りにあった石を拾い、川に向かって放り投げる。
軽い気持ちで石投げを行った少年であったが、石は水面をかなり長く飛び跳ね続けた。
「なかなか上手いじゃないか」
背後から声をかけられた少年が振り向くと、農民の恰好をした女性が立っていた。
透き通る程の白い肌、漆黒の黒髪、硝子の様な水色の瞳……
その美しさは、少年も一瞬我を忘れかける程だった。
歳は少年よりも何歳か上に見える。
少年を上から見下ろせる程に背も高かった。
「アンタは誰だ。この辺りじゃ見かけない顔だな」
「私の名は『たつ』だ。
見聞を広める為に旅をしている。お前の恰好が気になってな」
たつと名乗った少女は彼に近付くと握手を求め、少年もそれに応じた。
「俺は吉法師。少し前に元服して『織田信長』と言う名になったが、地元の奴等には前の名前で通っている」
たつは彼をじっと見つめていた為、吉法師は照れ臭そうに頭を掻く。
「そんなに変に見えるか?」
「少なくとも、尾張国の守護大名、織田(おだ)信秀(のぶひで)の嫡男には見えないだろう」
たつはそう言うと、自分が事前に得ていた知識を脳裏に浮かべた。
今川義元が弱小大名と呼ばれていた織田家を簡単に潰す事が出来なかったのは、その領土に見合わぬ豊富な資金を織田家が持っていた為である。
信長の父信秀は海運業で財を成し、現在の価格にして6億円もの資金を朝廷に献上する事が出来る程の財力を誇っていた。
さらに信長の側室であった吉乃(きつの)の実家である生駒(いこま)家は馬借業で成功を収めており、その財産はどんどんと膨れ上がっていく。
義元はその勢いを危険視した為、大規模な侵攻作戦に出る事が出来なかったのだ。
しかし織田家も決して安泰では無かった。
今川の脅威だけで無く政略結婚をしたとは言え油断のならぬ斎藤家や、尾張の豪族達との戦いに身を削っていたからである。
この時点で信秀は尾張国守護代でありながら尾張の半分程しか領地を治める事が出来ていなかった。
「俺の事を色々と聞いているんだな」
「それだけでは無い。
お前が周辺の者達に『うつけ殿』と呼ばれている事も知っている。
天下を治め、日本に住む者達全てを幸せにすると吹聴して回っている事もな」
悪口の様な言葉の返され方をしても、彼は気分を害する事も無くにんまりと笑って見せた。
「絵空事だと思っている様だが嘘じゃ無いぜ。
俺にはそれを実現する為のしっかりとした計画があるんだ。知りたいか?」
たつはその言葉に対して頷き、吉法師が口を開きかけた刹那彼は突然彼女の手を取り走り出した。
「な、何をする!?」
少年はそれには答えず、近くにあった茂みの中に飛び込むと、人差し指を口の前に立て静かにする様に頼んだ。
「若様、若様~!!」
位の高そうな武士の着物を付けた4名の男達が、河原の方へと走ってきた。
その中でも特に歳を取っていそうな老齢の男性は、走りがこたえたのか荒い息を吐いている。
「全く、若様は何処へ行ってしまわれたのか。
何時も我々の不意を突いて姿をくらましてしまう」
「儂はこの河原を調べる。お前達は城下町の方へ行け」
総白髪に口髭を蓄えた背の低い男性は他の3人の男達にそう命じ、自身は川の近くへと足を運んだ。
「流石爺。俺の行動をしっかりと把握している」
吉法師は嬉しそうにそう呟き、たつの方を向いて無邪気な笑顔を見せた。
(中身も子供だな。だが……面白い男だ)
「この辺りで遊んでおられた事があったが……まさか川の中に身を隠しているのでは」
川の方に目をやり、茂みの側から視線を外した瞬間を少年は見逃さなかった。
再びたつの手を握り、そのまま相手の追跡を振り切る為走る速度を上げる。
「わ、若様!お戻りくだされ!上様が若様の事を心配しておいでですぞ!」
「爺、俺の事は心配するな!夕刻までには帰る!!」
15歳の少年と57歳の老人では、老人の方が追い付けないのは明らかだった。
そのまま2人は森林地帯へ向かう。
追手が来ない事を確認した吉法師は安堵の溜息をついた。
「あの男はお前の事を探していた様だったが」
「爺の事か。平手(ひらて)政秀(まさひで)だ。
何時もお小言ばかりで気が滅入る。
父上を越える大人物になってくれと二言目にはそればかりだからな」
平手政秀は吉法師の父親である信秀の代から織田家に仕える重鎮である。
吉法師が生まれてからは彼の傅役を務めているが、常に彼の奇行に振り回され、困り果てていた。
「だが、それもお前の事を心配しているからこそではないか?
お前の行動を見れば、大名の息子とはとても思えまい。
子供と遊んでばかりではないか」
「今しか出来ない事をするのさ」
真面目な表情で話す吉法師の態度に、たつは面食らった。
「農民の子供はこの世の誰よりも世間についてよく知っている。
彼等の願いこそが、この国の目指す理想になるんだ。
戦の無い平和な国、誰もが笑って幸せに暮らせる国、誰にも脅かされる事の無い平穏を彼等は望んでいる」
歩きながらそう話す吉法師の背中に、ただならぬ気配を感じ、たつは戸惑う。
「そういう国にする為には何が必要なのかと言う事を、お前に教えたいと思うんだ」
吉法師の言葉に嘘や冗談めいたものは感じられなかった。
彼の歩みにたつはついていく。
やがて、丸太で作られた掘立小屋が見えてきた。
森の中に現れた掘立小屋の中は意外と広く、中にはたつが見た事も無い様な調度品が並んでいた。
「俺の秘密基地って所かな。
凄いだろ、海運業をやってる親父が手に入れたものだ。
親父が興味を示さなかったものだけ貰ったんだが、見る目が無いと言うか何と言うか……」
西洋では既に一般的になっていた絨毯が敷かれ、西洋の書物が何冊か床に置かれている。
火の付いていない燭台、木で出来たテーブルや椅子、まだ開けられていないワインのボトルまであった。
驚きの連続で呆気に取られていたたつであったが、最も目を引いたのは壁に貼られていた巨大な地図だった。
「これは世界地図だ。
正確なものじゃあ無いが、それでも俺達が住んでいる国との大きさの違いは解るだろう」
その地図の中に豆粒の様に描かれている細い線の様な島、それがその地図に描かれていた日本だった。
「これが、日本……?
小さいな、他の国と比べるまでも無い程小さい」
「そうだ。日本は小さい。
こんな小さな国を統一する為に多くの大名が躍起になってるんだ」
吉法師はそう言うと、床に座り、持っていた瓢箪の蓋を取り中の酒を飲んだ。
「たつ。どうすれば日本は平和になり、人々が平穏無事な毎日を暮らせる様になると思う」
少年と向き合う形で床に座ったたつは、言葉を選びながら己の意見を語る。
「私は、物心ついた頃から『正義』を貫きたいと思って生きてきた。
人をなるべく傷付けず、殺さず、平和な日本を取り戻したい。
そういう意味で言うならば、長尾(ながお)景虎(かげとら)殿の標榜する『室町幕府の再生』こそが平和への近道なのではないだろうか」
越後の龍と呼ばれた長尾景虎は、足利家に恩義を感じている事もあり『室町幕府の再興』に尽力していた。
室町幕府が権力を維持していた頃は確かに一定の秩序が保たれ、平和な世が存在していた事は間違いない。
だが吉法師は時計の針を逆に回す事は、日本の崩壊に繋がりかねない事を知っていた。
「世界の国が日本だけならば、それでも良いんだろう。だが、そうじゃない。
俺達が南蛮と呼んでいる国々の者達は次々と他国を侵略し、植民地化を推し進めている。
現体制にしがみつく室町幕府ではその勢いに勝てず、国そのものが滅んでしまう事は確実だ」
「ならば、お前はどうすれば日本を救えると言うのだ」
たつの問いに対して、吉法師が出した答えは突拍子も無いものだった。
「南蛮国に対抗する手段はたった1つ。
近くの国を1つにまとめ、舐められない国力を手に入れる事。
日本の今の領土だけではとても足りない。
朝鮮半島、そして明を侵略し、植民地化する」
それまで冷静さを保とうとしていたたつであったが、その言葉に対しては流石に我を失った。
「馬鹿げている!!」
「そうか?俺は、極めて現実的な話をしているつもりなんだが」
吉法師はそう言うと、世界地図の貼られた壁の方に移動し、日本に指を合わせる。
「この日本の近くにあるのが朝鮮半島及び明だ。
明の国土は広大だが、昔から血を多く流す国として知られている。
指導者が代わる度に一族郎党皆殺し。
幼い子供や女性も全て殺す……この国を日本のものにしなければならない」
彼の瞳には信念の光が宿っていた。
「南蛮国の格付け序列は明確だ。
肌の白い者が一番偉く、次に肌の黒い者、最後に俺達黄色い肌の者と位置付けられている。
つまり南蛮人にとって俺達は最下層の者で、奴隷以下の扱いをしても全く心は痛まないと言う事だ」
たつは怒りを抑え、彼の話に耳を傾ける努力をする。
「そんな奴等が大挙して押し寄せてきたらどうなる。
結集していない3つの国は順次南蛮国に吸収され、待っているのは奴隷同然の恐ろしい暮らしだ」
吉法師は指で3つの国を囲み、南蛮の国々を指差した。
「3つの国が1つになれば、対抗出来る。
俺は朝鮮半島と明を『信国』に変え、日本の為に働かせるつもりだ。
大きな国家が誕生すれば、南蛮国と対等に話し合う事が出来る。
平穏な生活を続ける事が出来る」
「だがその為に朝鮮半島と明に奴隷同然の暮らしを押し付けるのでは、その野蛮な南蛮国と何が違うと言うのだ」
「綺麗事は言わねぇよ。何も変わらないさ。
犠牲無しに幸せを得ようだなんて馬鹿な理想論を考えちゃいない」
彼は再びたつの眼前に座り、諭す様に話し始めた。
「俺は日本の民が全て平和になる世の中を実現してみせると言った。
その言葉に何ら嘘は無い。
同じ事を武田も言っているが、奴等の言葉には無理がある。
日本の領土だけでは、それはとても実現出来ないからだ」
たつは何時しか怒りも消え、ただ彼の話に興味を示している自分を認識していた。
「誰かが不幸にならなければ、幸せになる事は出来ない。
日本の民全てが幸せになる為には他の国の民が不幸にならなければならない。
俺の言っている事が間違っているか?」
「……お前のやろうとしている事を考えると、室町幕府や朝廷を滅ぼすつもりなんだな。
朝鮮半島や明と大戦をしようだなどと言う大望を、公方様や貴族が受け入れるハズが無い」
少年はしっかりと頷き、たつは彼の野望が本気である事を悟った。
「たつ。勘違いしないでもらいたい事が1つだけある。
俺は、世界征服を狙う悪の首領でも無ければ人々に苦痛を強いる私利私欲の塊でも無い。
俺の夢はあくまで日本の民を幸せにする為の、俺が思い描く『正義』の為にやろうとしている事なんだ」
たつは『私利私欲の塊』と言う言葉を聞いて、彼の最大の難敵であろう今川義元の顔を思い浮かべた。
「今川義元は私利私欲の塊だ。
公方様を無視して上洛を果たし、日本を私物化しようと企んでいる。
だがそんな男でも武田信玄が恐れる程の権力と強さを持っている。
お前は奴に勝てるのか?」
たつは吉法師に問いかけた。
それ程の大望を持つならば、難敵を倒す程の実力が無ければ話にならない。
お前にその力があるのかと詰め寄ったのだ。
だが彼はその問いに対して全く動じなかった。
「数で戦の勝敗が決まるのなら、戦をする必要が無い。
必要なのは知恵と、地形を利用した戦略だ。
明日石合戦がある。俺は敢えて不利な方に付いて大勝するつもりだ。
お前もあそこに来て見学すれば良い」
瓢箪の中の酒が空になった事が解ると、少しだけ赤い顔をした吉法師はたつに対して片方の手を差し出した。
「……俺には夢がある。
日本の民がにこやかに笑い、幸せに暮らす世を作ると言う夢が。
少なからず血は流れるだろう。
朝鮮半島や明を侵略する中で、犠牲はさらに多くなるかもしれない。
だが、最後には恒久的な平和を目指す。
お前も俺も、皆がもう武器を持たずに済む世界を作りたいんだ。
力を貸してくれないか?
お前からはただならぬ気配を感じる。お前の様な奴と一緒に歩いていきたい」
少年が差し出した手を、たつは握る事が出来なかった。
「今は無理だ。私は古き世の平和を取り戻したいと思っている。
……だが一方で、それだけでは駄目だとも思っているのだ。
お前がこれからどう生きていくか、その動き次第で私の運命も変わる事になるだろう」
この後織田信長は足利義昭を立てて京都に上洛するものの、足利義昭の私利私欲に満ちた政策に見切りを付け、最終的に彼を京都から追放する事になる。
上杉謙信は初めの内は足利義昭を将軍に戻した織田信長の味方をしたが信長が野心を持ったと断じ、第二次織田包囲網の核を担った。
『史実』ではそうなった。
だがこの世界では上杉謙信は違った選択をする事になる。
たつと別れ、那古野城に戻った信長は、父信秀の前に立っていた。
「お前も少しは大人になるべきだとは思わんか。
婚姻をしたとは言え、我が織田家は斎藤家とは元々敵同士。
さらに今川家が領地を狙い、何度も侵略の危機に晒されているのだ。
お前が皆の手本にならんでどうする」
「今しか出来ない事をしているだけですよ父上。
それにそういう態度を見せておけば、敵も油断する。
こいつは厄介だ、さっさと片付けよう……とはならない」
対面中も信長は赤ら顔のまま、柔らかい餅をほおばっていた。
恰好や仕草からはとても大名の子息に相応しい貫禄は感じられない。
(あれでは織田家は滅んでしまう。
信秀様亡き後、尾張を統一出来る人物で無ければ……)
「兄上も人の上に立つ自覚を持っていただかねばなりませんよ」
弟の信勝は公の場では常に正装で姿を現し、この時も綺麗な羽織や袴で家来達を感心させた。
だが一方で嫌味たらしく高慢、嫉妬深いと言う醜悪な内面を隠し持っており2人は対照的な兄弟だと言えるだろう。
「兄上は野山に出でて遊び呆ける毎日。
書物を読んで勉強をする事もしない。
濃姫様との御婚礼の後もそれを続けていては、父上が苦心した政略結婚も泡と消えてしまいますぞ」
そう言って兄を嘲笑う信勝に対して、何時もならば意に介さぬ信長であったが、今日は違った。
「学問と言うのは、机の上で書物を読んでいるだけの事なのか?
外に出れば様々なものを見る事が出来る。
そうやって潔癖に生きて何が得られると言うんだ。
俺は走り続ける。『皆』と一緒に」
兄を一瞬睨み付けた信勝は、すぐに薄笑いの表情に戻ると、捨て台詞を吐きながら外へ出ていった。
「泥と土に塗れ、『皆』と共に生きる。
崇高な理念だ。崇高過ぎて我々凡人には到底理解出来ませぬなぁ。
そんな人物が誰から尊敬を受けると言うのです。
誰が褒めそやすと言うのです。兄上は残念な御方だ」
信勝を立てようとする者は多く、信長を排そうとする動きは数年後に活発化する。
信勝は謀反の首謀者として処刑される事になるのだが、まだ彼はその未来を知る由も無かった。
たつは夜の城下町を歩きながら、信長の言葉を思い返していた。
『正義と平和。それは誰にでもそう思えるものじゃない。
戦ってのは互いの正義の押し付け合いだ。
戦を続けたその先に、平和な未来があるとは限らない。
だが俺は、必ず日本を平和な国にする。
平和な国にする為に侵略するなんて矛盾してるかもしれないが、人間の世なんてそんなものさ』
(平和な国作りの為の侵略、か……
常人にはとても理解出来ない発想だな)
たつは周辺の国に出向き、様々な人々の話を聞いた。
『この国で義元様を悪く言う者などおらんさ。
そんな輩がいたらそいつはとうの昔にこの世からいなくなってる』
『甲斐の御館様なら、きっとこの国を良くしてくださるさ。
父親を追放したのもこの国の為さね』
恐怖で国を支配する者、己の正義を貫く為に犠牲を生む者……
信長は義元の恐ろしいカリスマ性と、信玄の国を愛する心の両方を持っている。
信長には苛烈さと愛国心があり、彼を1つの方向から評価する事は全く出来ない。
乱世の革命児か。はたまた亡国の第六天魔王なのか。
(だが私は、少なくともあいつが嘘を付かなかった事だけは解る。
私に全ての思いを打ち明けた男だ)
彼女に語った『壮大な夢』はたつに大きな衝撃を与えた。
彼女も国を本気で愛しており、己の『正義』を大切にして生きてきた。
だからこそ、信長の『正義』に賛同するべきか迷っていたのだった。
翌日の昼、たつは河原へ向かい、集まっている者達の数を数えた。
信長の『軍』は20名程。
その殆どが痩せ、背が低い者も多い。
一方尾張の豪族の息子と思われる少年達は体格が良く、力も強そうな者が揃っていた。
(55名か。まともに戦ったらまず勝ち目は無い)
「ハハッ、勝ったな!
大名の息子と言えどそんな小勢で何が出来る。すぐに潰してやるぜ」
「たつ、どうせならお前もこっちに来いよ。ただ見ているだけじゃつまらないだろ」
突然信長に呼ばれたたつは激しく動揺した。
「な、何故私が……
私はお前に肩入れするつもりは無かったのだぞ」
「良いから良いから。
俺の『戦術』は見ているだけよりやった方が楽しいんだぜ?」
信長はそういうと、リーダー格の少年に向けて提案をした。
「この女性も俺達の仲間に入れる。
それと、少しだけ作戦会議を開かせてくれ」
「ま、良いだろ。
女1人入った所で変わるもんでも無し、その人数で作戦も糞も無いだろうしな」
敵のリーダーが承諾すると、信長は仲間を集めて小声で喋った。
「昨日作戦を話さなかったのは、万が一を考えての事だ。許してくれ。
この御時世、何処から情報が漏れるか解ったもんじゃないからな」
(この者達の中に間者がいれば、間違いなく相手方に知られてしまう。
そうでなくとも、事前に情報を漏らせば誰かが聞きつける可能性がある。
成程、戦と言うものを心得ている様だ)
たつは感心しながら、信長の『戦術』を聞いた。
「俺が考えた作戦通りにやれば必ず勝てる。
戦は数や力だけじゃ無いって事を奴等に教えてやろう」
先程乗り気で無かった少年達の顔が明るくなり、自信に満ちた表情へと変わっていった。
石合戦が始まった瞬間、信長擁する『農民軍』が『豪族軍』よりも先に動いた。
10人ずつ分かれ、豪族軍を囲む様に並んで距離を取る。
「フン、弱い奴がさらに弱くなったか。
20人ずつで潰せ!」
合計40名が農民軍に向かってくる。
リーダーが『戦力の出し惜しみ』をするであろう事を信長は見抜いていた。
(人間は必ず保険を取っておきたがるもの。
一気に55人で来れば囲んでも強引に押し潰せるが、20名ずつなら戦術で充分対処する事が出来る)
力が強いものは戦う時も自らの力の強さを誇示したくなるものだ。
河原の大きい石を拾い投げようとするが、彼等の膝に小石が命中する方が早かった。
「痛ッ!」
バランスを崩し、痛みで石を遠くまで投げられなかった少年達は、大量の小石を投げつけられて悶絶した。
(背の低い奴は相手の膝を狙い易い。
当たって相手が怯んだら数撃てば当たる小石投げ戦法だ。
特に俺は事前の用意として小石を大量に袋に詰めておいたから、それが効いている)
たつは豪族の少年達よりも背が高く、コントロールが抜群に良かった為的確に相手を撃破していった。
「馬鹿野郎!弱い奴等相手に苦戦しやがって」
リーダーの少年は残りの部隊も差し向けたが、最早手遅れと言う状態だった。
大きな円陣で囲まれた豪族軍は相手に近付く度石で撃破されると言う状態に陥っており、最早農民軍の優勢が揺るぎないものとなっていたからである。
「な、何で俺達が負けるんだ。何で……」
「お前の敗因は俺達を舐めきっていた事だ。
それと数が多ければ何とかなると思っていた所もな。
力任せで相手を倒す事が出来るのは1対1の殴り合いの時だけだ。
数が増えれば戦になり、戦術が有効になる。
力でどうにでもなると言う考えを捨てるべきだったな」
「く、クソーッ!」
やぶれかぶれで石を投げようとしたリーダーの少年の手に石が当たり、彼は痛みでその場にしゃがみ込む。
「もう弱いからってこいつ等を虐めるなよ。
もし約束を破ったらこの石合戦の結果を言いふらすぞ」
「わ、解った……約束する」
圧倒的な自信は何処へ消えたのか、涙を流しながらか細い声で呟いた少年の姿に肩を落とす仲間は1人もいなかった。
誰1人としてそんな余裕は何処にも無く、ただ痛みに呻いていたからである。
河原に残った少年達は、自分達が己より強いと思われた者達に勝てた事で有頂天になっていた。
「今の戦の勝敗を分けた項目は3つ。
俺達が協力し合い、一致団結して敵に立ち向かえたと言う事。
相手の油断を突いて、的確な攻撃が出来た事。
そして……戦の要になる重要な『鍵』がいた事だな」
信長はたつの方を向いてそう言い、突然そう言われたたつは頬を赤らめた。
「私は……お前の言う事を聞いて忠実にその戦術に従ったまでだ。
一番の功はお前にあるだろう」
「いや、戦の勝敗は現場で決まる。
だからこそ、忍の育成は不可欠だ。
俺の所には『饗談』と呼ばれる集団がいるが、彼等がいずれ大戦の鍵になってくれると俺は信じている」
信長は自分の味方になってくれる者には優しかったし、大きく評価した。
逆を言えば敵対する者や裏切った者には容赦しなかったが、それが彼の後の躍進へと繋がったのだろう。
農民の子供達に感謝され、はしゃぐ信長を見ながら、たつはその輪に混じり笑顔を見せていた。
後に起こる『桶狭間の戦い』はこの石合戦をスケールアップしたものとも言えるだろう。
饗談の報告により今川軍の本陣がある場所を突き止めた6000名程の織田軍は、数で遥かに優る今川軍25000を退ける為、分断工作に走る。
4つの砦に籠城したかの様に見せかけ、今川軍の戦力を削ぐと、主戦力を正面から本陣へと突撃させ、勝利したのだった。
雨が降っていた為鉄砲が使えなかった事、その雨のせいで正面から突撃してくる織田軍の姿が見え辛かった事等、勝因は多々ある。
戦術を直前まで漏らさず、忍と言う『鍵』を使う事で勝利した織田軍は、一気に名を知られる事になるのだ。
夕刻、たつは信長と別れを告げ、自分のいる国へと帰る事にした。
「お前の『正義』……
私の『正義』とは違うが、民と共に生きたいと願う部分は共通している。
お互いに妥協点を見出して、一緒に歩いていけたらいいな」
「歩いていけるさ。俺達は同じ国の人間なんだぜ?
本当は、そうやって皆と解り合えれば嬉しいんだが、現実は非情だ」
信長の意見に賛同する者は少ないかもしれない。
だが賛同しない者を消すとしても、それはその国の為政者が殆どだ。
『民を傷付けたくない』思いがある信長であったが、結局それは実現する事は無かった。
後に本願寺と加賀一向一揆衆が信長に激しく抵抗し、民衆を皆殺しにしなければならなくなる程織田軍が追い詰められてしまうからである。
「また会おう、尾張の大殿よ」
そう言って背を向けたたつに対して、信長が声をかけた。
「ああ、またな。『越後の龍』……
戦の世で凛々しく生きる御姫様」
その言葉に対して振り向いたたつは肯定も否定もせず、ただ僅かに笑って踵を返した。
(私の正体まで見抜いていたか……
まぁ、あいつを欺くのは難しかったかもしれないな。
常識に囚われない大胆な発想。
私が『女である』と言う事実を踏まえて、真実に辿り着くとは)
長尾景虎、即ち後の上杉謙信が女性だったのではないかと言う説は、信憑性が全く無いわけでは無い。
謙信が1ヶ月毎に決まったペースで休んだり、『男も及ばぬ』と謳われたり、『景勝の伯母』と書かれたり……
実際に女性だったとすれば、その事実を隠していた可能性は充分ある。
謙信の自画像は江戸時代に描かれたものが殆どで、当時戦国大名を女性が務める事はまず無かった事だからだ。
(不出来な兄でさえ無ければ、妹の私が男の様に育てられ越後の守護大名になる事は無かっただろう。
長尾の家名を汚したくない……
その為にこうして広い世界を見てみようと思い立ったわけだが、勉強になったな)
1549年当時、長尾景虎と名乗っていた少女は上杉謙信を名乗り、織田信長と関わっていく事になる。
そしてこの世界では彼女は織田と手を結び、共に戦う道を選んだのだった。