物事には終わりがあり、その破滅と凋落が見る者の心を打つ。
古今東西賭けに負けて全てを失った者達がおり、ドラマが生まれました。
自分が書きたかったのは、そういうものだと思っています。
暗闇の中、俺は意識を取り戻した。
ココが何処で、俺自身がどうなったのかも解らない。
何とか身体を起こすと、俺は足を滑らせながら床がある場所なのかどうかを確認した。
『素晴らしい戦いを見せてもらった』
エントランスで聞いたのと同じ声が聞こえ、振り返った視線の先に青白く光る人間が立っていた。
だが人間の様な形をしているだけで、見た目はどう見ても人間には見えない。
滑らかな肌は金属の様な輝きを放ち、顔もまるで人形の様に窪みがあるだけだ。
『今、君は視力を失っている。
だがココまで辿り着いた事に敬意を表し、私は君の目を『人間だけ』見える様に変えた。
いや、正確に言うなれば目は完全に潰れているから『脳で見ている』と言う事になるのかな』
暗闇の中に浮かび上がって見えるのは確かにその男だけで、俺の視界には奴しか映っていない。
身構えた俺に対して、男は両手を広げて高らかな笑い声を発した。
『君の様な戦士が私の相手になってくれる事、それ自体が望外の喜びと言えるだろう。
私を倒す事が出来たならば、何でも1つ願いを叶える。
その約束を違えたりはしない』
ゆっくりと間合いを詰めてくる男に対して、俺は構えたまま微動だにしない。
少しでも隙を見せれば命取りになる様な相手だと言う事は解っていた。
俺は視覚だけで無く、肌でその圧倒的な脅威を感じ取っていたのだ。
『まずは小手調べと行こう』
その男が言ったか言わないかと言う程のスピードで出してきた凄まじい速度の突きを、俺は跳躍で避ける。
もし少しでも地面を蹴るのが遅れていたら、その突きで身体ごと心臓を貫かれていただろう。
『そう簡単には倒れてくれないか』
またその男が喋ったのと同時に今度は空中にいる俺の真正面に跳躍し、腹に蹴りを入れて俺を地面に叩き付けた。
「グッ……」
土や草では無い。
大理石の様な床……口から少量の血を吐きながらよろめくと、背後の壁に触れた。
『そうだよ、君に見えているのは私だけだ。
つまり、この部屋にある柱や壁は全て君には見えない』
避けられない。
咄嗟の判断で俺は蹴りを出し、急所に打ち込んできた拳を弾いた。
『なかなかの速さじゃないか。
多少は健闘してくれないと面白くない。
何しろ君は生き残ったたった1人の選ばれし者なんだからね』
男はまるで息を切らしていない。
遊んでいるかの様な朗らかな声を出して俺のもとへ近付いてくる。
『さぁ、もっと私を楽しませてくれ。
逃げるのは無しだ。
君の心の底に芽生えた私への恐怖を感じるよ。
今度はどう来るか、解らないだろう?
その『理解出来ない』事こそが人間が感じる恐怖そのものだ』
男の姿が3つに分かれ、俺の周囲を回りながら近付いてきた。
「俺は、お前に対して諦めたり恐怖したりはしない!
俺はヴァルーの誇り高き戦士だ!」
見えているものに惑わされてはいけない。
俺は周囲の匂いを嗅いだ。
もしこの男に本体があるとするならば、分身には『匂い』が付いているハズが無い。
(これは……まさか!?)
『そろそろ終わりにしよう!』
3体の男が一斉に俺の方に飛び掛かってくる。
俺はそれを屈んだまま下をくぐる形で避けると、一直線に『匂いのする方』へと向かった。
『なッ、貴様!』
男は1人に戻ると驚異的なスピードで俺に追いすがり、羽交い絞めにする。
『残念……私のトリックを見破ったのは称賛に値するが、どうやらココで君の戦いは終わりを告げる様だ』
凄まじい力によって片腕が折られ、気を失いかける程の激痛が走った。
『今度はもう片方の腕にしようか。
それとも両足かな?』
男が笑いながら俺のもう片方の腕に力を込めようとしたその瞬間、俺は男の首に噛み付いていた。
『グッ!!』
偽りの身体でも痛みは感じるらしい。
俺の身体を縛っていた男の力が僅かに緩んだ瞬間を見逃さず、さらに走る。
『させるか!それだけはッ!!』
男がもう1度俺を捕まえようと腕を伸ばす。
だが折れている方の腕を掴まれた時には、もう片方の腕がそれを貫いていた。
鋭い爪が生温かい人間の臓器を捕らえる。
その瞬間に青白く光っていた男の姿が消えた。
『フフ……何故、私がココにいると解ったのですか』
ひゅうひゅうと喉を震わせながら、俺が爪を突き立てた胸の主はそう尋ねてきた。
「お前のいる場所から匂いがした。
それだけの事だ」
『成程、ヴァルーの獣人の身体能力を甘く見過ぎた様ですな。
いや全く情けない限り』
血を吐く様な咳をしながら、男はそんな言葉を発する。
その声は俺を城に誘い、エントランスに連れてきたあの老人の声と全く同じだった。
『私の名はラスト。
ラスト・N・アーヴィング……そして本当の名前はZERO。
特異点を作り出し、時代と場所を変え、何度も余興を楽しんできました……』
見えなかった男の姿がだんだんと姿形を成してくる。
それは老人の様にも見え、若者の様にも、いや時には少年や少女の様にさえ見えた。
『私に、年齢や性別の概念はありません。
何にでもなれる。何処へでも行ける。
それが生まれた時から私に備わっていた力でした。
偽りの身体を作り出す能力も……』
男の顔が次々に入れ替わる。
俺の仲間や、戦ってきた相手、敵……妹の顔にすら変化した。
『貴方も私と言う存在の一部なんですよ。
ヴォルフ・ムーンリファード。
この様な結果に終わったとしても、私がこの世界から消えるだけ。
また私は別の世界で転生し、この遊戯を続ける事でしょう。
さぁ、私がこの世界から消えてしまう前に願いを言いなさい。
どんな願いでも1つだけ叶えて差し上げます』
ゆっくりと形が崩れていく『ZERO』に対して、俺は願いを言った。
「アダムとイブからやり直したい。
永遠の平和、誰も争ったり殺し合ったりしない世界が欲しい」
ヴァルーの民達を生き返らせる。
その願いは戦いの中で虚しいものへと変わっていた。
結局、スカイロンで生きる『人間』とヴァルーの『獣人』との争いが終わる事は無い。
ヴァルーの民が戻ってきても、結局生き残ったスカイロンの者達との戦争が続くのだろう。
そしてそれは虐殺に近いものに変わっていくに違いない。
「ヴァルーとスカイロンの血で血を洗う争いはもう嫌だ……
俺は、争わずに暮らしたい。
それは贅沢な望みなんだろうか」
『いいえ、贅沢な望みなんかじゃありませんよ。
誰もが願う、普遍的な望みです。
貴方が戦わなくても済む世界……
そんな世界を、私が作ってあげましょう』
ZEROはふっと笑みを見せると、俺の前から姿を消した。
暗闇の中、男は意識を取り戻した。
彼にはココがどんな場所で、己がどうなったかも判然としていない。
時間が経過すると、目隠しをされて身体を鉄製の椅子に縛り付けられているのが解った。
『目を覚ました様だね。
君の部下達は夢の世界に行っている間に全員楽にしてあげたよ。
ZEROドームに侵入してきた紅虎明命のメンバーは君しか残っていない』
椅子に拘束された紅虎は、小さな部屋の中に閉じ込められていた。
椅子以外には何も無い部屋。
この部屋では多くの拷問を行える様になっており、この部屋の中の酸素濃度を変えたり肌に激痛を与えるガスを充満させたりする事が出来る。
地下にあるこの拷問部屋の存在を知っているのは総理大臣とごく一部の側近だけに限られていた。
『彼も意識を取り戻した様だし、そろそろ始めようか。
丹羽君』
『はい、総理』
隣の部屋はコントロールルームとなっており、機械を操作する事で多種多様な苦痛を相手に与える事が可能になっている。
この地下拷問部屋に隣接する部屋には首席秘書官の丹羽律、SPリーダーの有馬弥助以外には織田総理しかいなかった。
『まずは、軽く行こうか。
聞きたい事は沢山ある』
織田信虎がそう言った瞬間、彼を縛り付けている鎖に電気が流れ、断続的に激痛を与える。
『君達のバックに協力者がいる事は既に把握している。
だが、君の口からハッキリと聞いておきたい。
今回の事件は君達だけでやれたものでは無い事は明白だ。
誰の指図でこんな事をしたんだね?』
「知るかッ!偉大なる紅虎明命を甘く見るな。
俺達だけで出来た事だ。
それに万が一協力者がいたとして、それを売る程俺は腐っていない。
貴様ら卑劣な倭冠とは違ってな」
『成程。君が痛みに強いのはよく解った。
じゃあもっと強くしても問題は無い様だ。
丹羽君、彼がいる部屋の酸素をうんと薄くしてやってくれ。
高度4000m辺りの酸素濃度だ』
『了解致しました』
部屋の中の酸素濃度を薄めると、それに応じて気温も下げる。
丹羽の操作により日本で一番高い山よりも高い高度と同じ酸素量となった。
『その服ではマイナスの気温はさぞかし厳しく感じる事だろう。
早い所楽になったらどうだね。
どうせ協力者は『天武日本の人間』なのだろう?』
「こんな事をして勝ったつもりか!
万が一そうであったとしても、諸悪の根源である貴様に教える事など何も無い。
解るか?俺達が受けた痛みや苦しみが!
侵略され、名誉も尊厳も奪われた民の怨嗟の声が!
我々の恨みは1000年続くぞ。
貴様ら倭冠をこの世から1匹残らず駆逐するまでこの恨みは消えない!」
肌に痛みを感じる程の寒さの中でも、紅虎は耐え続けていた。
国を守る誇りが彼を支えていたのだ。
敵国を滅ぼすと言う大義名分だけが彼のプライドを保つ為に役立っていた。
『私は、天武日本の代表とも言うべき総理大臣だ。
相手が誰であれ、天武日本に住む人々の安寧を脅かす者を許しはしない。
合衆国はH2O爆弾を投下しようとしていた信国を見捨て、大都市の殆どを消滅させた。
今生き残っているのは農村地帯にいた貧しい民達だけだ。
君達は負けたのだよ。
潔く負けを認めて何もかも喋ってしまった方が、君の為にもなると思うがね』
「鬼畜がッ……!!」
紅虎は目から涙を流し、憤怒の表情を浮かべる。
だが信虎はその涙を気にもせず、律に次の指示を出した。
『自白剤入りのガスが流せる様になっていただろう。
それを部屋内に充満させてくれ』
『了解致しました』
白いガスが部屋中を覆っていく。それと同時に紅虎の思考能力も徐々に奪われていく。
『君達は合衆国を滅ぼそうとし、それを防ぐ為に合衆国が信国を滅ぼした。
天武日本だけならそこまで厳しい仕置きを受ける事は無かっただろう。
君達は求め過ぎたんだ。
全てを手に入れようとして、全てを失ってしまったんだよ』
靄がかかっていく意識の中で、紅虎は呪いの声を発し続けていた。
新しい一年の始まりは、陰鬱なテロ事件と言う悪夢から人々の目を覚ましたかの様だった。
それでも人々は、まるで白昼夢の様に消え去った『悪人達』の行方を噂し合っている。
『あの事件、現場にいた奴の話だと目が覚めた時には会場にいた一般人しかいなかったらしい』
『マスコミも事件の事を報道してないし、テロリスト達は恐らく闇に葬られたんじゃないか?』
『怖いわ。
どんなに科学が進歩しても、この国は情報規制を行う人治国家から変わっていないんですもの』
様々な憶測が飛び交ったが、政府を批判する声はあまり出なかった。
天武日本人で死亡した者が極めて少なかった事と、迅速に事態を収束に導いた事で政府の手腕を褒める声が大多数を占めていた。
勿論恐怖の声が全く無かったワケでは無い。
だが、表に出る事は無かった。
その怯えを発する事自体が恐怖だったからだ。
政府の闇を叫べば、即座にテロリスト達と同じ運命を辿る事になりかねない。
だから、人々は何も言えなかった。
事件の事を公に話す事はいつしかタブーとされ、人々は夢としてそれを忘れようと懸命になる。
だが、忘れたくても忘れられない被害者がいる事もまた事実であった。
天武日本の首都、東京。
その中心にある天武日本総合病院。
最先端の医療設備、最高の医師、清潔で美しい部屋……
何もかもが揃っている病院である。
だが、いかに最高の病院であったとしても、心と脳に負ったダメージを修復すると言うのはなかなか難しい。
3人の患者は病院に運ばれた後すぐに治療室に入ったが、良い結果を期待しても無駄と言う状況だった。
「零の容体は?」
「視力以外は大丈夫みたいよ……視力以外は。
あの赤い光を目に浴びると修復不可能な程に網膜が破壊されてしまうらしいの。
もう一生視力が戻る事は無いらしいわ。
瞳ちゃんにとってはあまりに厳しい宣告よね」
待合室には豊やあかり、涼介や比呂子と言った何時ものメンバーに加え零を慕う多くの人々が集まっていた。
同じ様に九龍拓巳と日向剛の容態を心配したギルドZEROのメンバーも、東京に滞在し続けている。
「拓巳さんと剛さんのいる病室に、黒い服を着た人達が沢山いたのが気になります」
「恐らく、政府が送り込んだSP達でしょう。
拓巳さんや剛さんは大事な証人ですからね。
綾小路財閥の『不正』を起こした人間が本当に下っ端の部下だったのかどうか確認したがっているのだと思いますよ」
拓巳や剛と特に仲が良かった海野亜津子は座ったまま声を震わせ、涙を流す。
兎川真紀は彼女の隣に座り、亜津子を慰めていた。
「ココにいたのか」
狩谷優は真紀の姿を認めると、そのまま歩いて彼女の隣の椅子に座る。
「古都に一旦帰ったらどうだ。
向こうも心配してるだろう」
「それは解っているけど、このまま何も無かった様に帰るワケにはいかないわ。
拓巳君と剛君にはギルドZEROの立ち上げからずっとお世話になってる……
私も力になりたいの」
「俺だって力になってやりたい。
だが現実を見ろ。何も出来ないのが実情だろ?
俺達は俺達に出来る事をするべきだ。
病院で何も出来ずにオロオロしている場合じゃない」
その言葉を聞き、亜津子は自分の無力さを呪いながら顔を覆った。
非情とも言える優の言葉に対して、真紀は声を荒げる。
「そういう言い方しないでよ!
玖留美ちゃんの気持ちになって考えて」
「非情になれって言ってるんじゃない。
別にやれる事で貢献出来る事があるハズだって言ってるんだ。
俺だって玖留美さんが苦しんでいるのは解る。
その為にしてやれる事を探すべきだろう」
苦しい状況に立たされた時、人はいがみ合い、笑えなくなる。
結婚を誓い合った2人の仲ですら険悪になる状況の中、重苦しい雰囲気だけが病院全体を覆っていた。
壁もベッドも枕も、純白に彩られ塵1つ落ちていない病室。
ベッドの上で意識を取り戻した零の目は、その光景を全く映し出す事は無かった。
黒一色の暗闇の中で、瞳の声だけが聞こえてくる。
「兄さん……!」
手が自分の胸に覆い被さってくる感触。
妹の嗚咽だけが耳に生々しく響いた。
「僕は……目が見えなくなってしまったのか」
こみ上げる感情。
頬を伝う涙の感触から、涙腺までは壊れていない事が解る。
絶望だけが心を覆い尽くしたが、妹の事が心配だった。
もし自分が自殺してしまったら、妹も後を追うかもしれない。
妹の命だけは守らなければならない。
そんな気持ちのまま、零は泣き崩れる瞳の声を聞いている事しか出来なかった。
九龍玖留美は、目を覚ます事無く眠り続けている拓巳の側で呆然としたまま座り込んでいた。
涙も流し疲れたと言う様にもう乾いてしまっている。
彼女はかなり憔悴していた。
『脳に電気か電波の類を受け続けた影響で、意識が失われてしまっています。
端的に言うと、貴方のお兄さんは植物状態と化してしまったのです』
『この状態から元に戻る可能性はあるんでしょうか?』
医者との会話が、玖留美の脳裏に蘇っていた。
『我々も出来る限りの処置は施しますが、正直それに関しては判然としないと言うのが実情です。
明日目が覚めるかもしれませんし、一生目が覚めないかもしれない。
医師として貴方のお兄さんに出来る事は、意識が完全に消えない様に延命措置を取り続ける事だけなんですよ』
呼吸困難に陥らない様に酸素を供給され、横たわり覚めない悪夢を見続けるだけの存在。
そんな状態になってしまった兄に対して、自分に出来る事は何も無い。
その厳しい現実が彼女を追い詰めていた。
隣の病室にいる日向剛も同じ状態にあるとも聞いている。
「兄さん……戻ってきて、お願い」
発したこの声は、果たして拓巳の耳に届いているのだろうか。
それも玖留美には解らなかった。
『それと、これは非常に申し上げにくい事なのですが……
貴方のお兄さんが意識を取り戻したとしても脳に受けたダメージを回復させる事は難しい。
何らかの精神的障害が残る事はほぼ確実です。
そこも覚悟しておいて頂きたい』
さらに心が抉られる。
兄はどれだけ重荷を背負えば許されるのか。
兄が何をしたと言うのだろう。
「どうしてこんな事に……」
玖留美はどうする事も出来ない悔しさとさらなる試練を思い、拓巳に駆け寄ったまま動く事が出来なかった。
『次のニュースです。
合衆国は信国の主要都市にH2O爆弾を投下した事件について、『国家を守る為の正当防衛であり、合衆国を狙う反米国家への牽制』の為に行ったと言う声明を発表しました。
ジェイソン・オズワルド大統領は『天武日本との取り決めであった『セーフティアタック』を発動しただけだ』とも述べており、今後世界の情勢が極めて不安定な状況になる事は避けられないと思われます。
信国の総理大臣である斎藤善龍氏は会見にて『主要都市が悉く崩壊してしまった以上、これからは同盟国と言うより、天武日本の隷属国家として生き延びていく以外に道は無い』と発言しました。
この発言によって、生き残った信国人との軋轢はさらに深まるとの見方も……』
テレビを消した黒沢輝は、重苦しい空気が漂っている会議室にいた。
重役達とこれからの動きについて話を行う事になっていたのだ。
「我々の完全敗北だ。
それを認めない限り先には進めない」
その敗北と言う言葉が余計に重く感じられる。
この一件での失敗は財閥そのものを失ってしまう危険性を秘めていたからだ。
「唯一の救いは、警備が厳重になってはいるものの九龍拓巳と日向剛の意識が現在も全く戻っていないと言う事。
だが紅虎明命はあの会場から姿を消した。
恐らく身柄を政府に拘束されたものだと思われる。
我々の関与が明るみに出るのは時間の問題かもしれない」
「使えない信国の屑共が!
奴等のせいで我々の計画が滅茶苦茶になってしまった。
さっさと信虎を殺しておけば良かったものを」
染井は危機的状況の中でも苛立ちを隠せなかった。
爪を噛みながら神経質に机を指で叩いている。
「たらればは無意味ですよ染井さん。
今後の課題は我々に襲い掛かってくる巨大な損失をどれだけ食い止められるかと言う事です。
財閥の解体を宣告されるかもしれませんが、条件次第ではプラナスの命は保証される事になるでしょう」
プラナスは財閥の心臓とも言っていい根幹部分を成す巨大銀行。
ココを潰される事は全ての終わりを意味している。
だがプラナスを潰すと言う事は天武日本の国民が大量に預けている金を無効化してしまう事と同義であった。
預金者がパニックを起こす様な事態を政府が起こすとは考えにくい。
だが、何の咎めも無く許されるとも思っていなかった。
(プラナスの存在を許すかどうかは、信虎暗殺未遂事件に関与した者の命を差し出すかどうかで決まるだろう。
信虎はそういう男だ。
つまり、私と染井さんは間違いなく『生贄』の対象になる)
この場でそれを発言する事は無かったが、染井も薄々感付いている事は明白だった。
だからこそ彼は苛立っていたのだ。
「今の内に出来る限り子会社から財閥の影響を取り除き、独立させるべきです。
それが生き残ったプラナスの力になります。
綾小路財閥がたとえこの世から消滅する事態に陥ったとしても、血と誇りだけは残していかなければなりません」
進まぬ議論が続いたが、この会議に参加するべき者の姿は無かった。
この会議は桜華不在で話が進んでいたのだ。
鍵のかかった自室。
会議から締め出された感があった桜華だったが、彼女自身としてはその方が良かったのかもしれない。
桜華の心を覆っていたのは『不信感』だった。
今までの彼女の努力を無にしかねない、あまりにも大きな不信。
(人間を洗脳して玩具の様に弄び、財閥の為に利用した……
それが組織ぐるみで無いと言う方がおかしな話ですわ。
それにあの時、私が会場から半ば無理やりに連れ出された理由……
これから起きる事件の事を予め知っていたから?)
そう思っただけで背筋が凍りつく様だった。
血を吐く様な努力を続けてきた理由。
それは全て財閥の栄光の為では無かったのか。
勿論彼女自身が成功したいと言う思いもあった。
バイオリニストとして人々から称賛の拍手を浴びたいと言う思いで頑張ってこれた。
格闘ゲームをやっていた時も不信はあった。
その時は忙しさで無理やり誤魔化していたが、ココまで来ると己の心を誤魔化せるレベルでは無い。
(もし、あのテロ事件に財閥が関与していたとしたら……)
考えれば考える程に心が冷たくなっていった。
暖房が効いている部屋の中にいるにも関わらず、寒気がした。
「私は、今まで一体何の為に……」
それが真実であったとするならば、自分は何も知らされず蚊帳の外だった事になる。
答えは1つ。
自分は財閥の『お飾り』に過ぎなかったのだ。
財閥を外からよく見せようとする為のトリックの一部に過ぎなかった。
見せかけの虚飾にされていた事実。
桜華はそれに気付く事が出来なかった。
いや、今思えば薄々気付いていたのかもしれない。
だがそう考える事が恐ろしかったのだ。
自分の努力を全て否定してしまう真実に辿り着く事が。
(私に残っているものは……何だと言うんですの?)
桜華は自分の人生を振り返り、自分の意志でやってきた事が何も無かった事を悟った。
自分のやりたい事が出来なかった16年間。
だがその間に夢を育んできたのではなかったか。
無理やりやらされていた事だったとしても、彼女には取り戻したい誇りがあった。
「勝つ事……
私には勝つ事だけしか残っていませんわ」
桜華は自分に言い聞かせる様に何度も何度もその言葉を繰り返した。
操り人形の糸が切れた今、今まで人形だった彼女は自分の足で歩きたいと願っていたのだ。
1月下旬。
外は乾いた冷たい風が吹いていたが、ゲームセンターの中は暖房が効いていた。
暖かい部屋の中で、零は瞳と共に来店し、椅子に座って『音』を聞いている。
「目が見えなくなってから、音に対して敏感になってね。
色々な音に対して拘りが出てくる様になったよ。
こうしてエターナルナイトの喧騒が耳に入ってくるだけで、嬉しくなるんだ」
付き添いとして共に来店していた瞳は、その言葉を聞き思わず目頭を押さえた。
零に話しかけるプレイヤーは豊やあかり等ごく親しい者達だけで、気軽に話しかける顔見知り程度のプレイヤーはいない。
だが、そうやって腫れ物に触る様な扱いをされるのも無理は無かった。
絶望の真っ只中にいる人間に何を話せばいいと言うのだろう。
触らぬ神に崇り無しと言わんばかりに、他のプレイヤーは知らぬふりをしてZEROの野試合を続けていた。
「退院出来たんだな」
豊の声が聞こえ、零は顔を上げた。
必死に声が聞こえた方向を探り当て、そちらに身体を向ける。
「……まぁ、退院出来ない方がおかしいよ。
目が完全にやられている以外は、健康そのものなんだからね。
拓巳君や剛君の苦しみからすれば、僕はまだ恵まれている方だと自覚しなきゃいけない」
氷室零の耳にも、九龍拓巳と日向剛の意識がまだ戻っていない事は届いていた。
そうやって自分よりも厳しい立場に置かれた者の不幸を思いながら、結局は暗い絶望の中にいる事に零は気付かされる。
目が見えないと言う事実が、格闘ゲームプレイヤーにとってどれ程重い事か。
「もう何も見えないんだ。
手に入れたメダルもトロフィーも、居慣れたこの空間も、妹の顔も。
これから何を目標に生きればいいのか、僕には解らない……
解らないんだよ」
親しい者に毒を吐く事が、どれ程相手に不快感をもたらすか解らないワケでは無かったが、自然と口から出てしまった。
俯き、豊の顔が何処にあるのか必死に先程の声から判断し、顔を背ける。
「すまない」
「謝るなよ。
誰かに言いたい気持ちは俺も解るからさ」
豊の頬にも涙が伝っていた。
隣にいた瞳も思わず顔を覆う。
顔を背けたつもりが、零は豊の目の前に顔を合わせていたのだ。
もう、単純な動作すらも不自然になってしまう。
その現実に、その場にいた者全員が言葉を失った。
「零、ココにいると思っていましたわ」
不意に桜華の声が聞こえ、俯いていた零は思わず顔を上げた。
「お前、よくこの場所に堂々と来れたな。
恥ってもんを知らねぇのか?」
豊は声を荒げて桜華に近付こうとしたが、零は腕を掴んでそれを止めた。
「……どうしてこの場所に来たんだい、桜華」
親しそうに喋る反面、その奥に潜む底無しの冷たさを感じ豊は後ろに下がる。
「不正の事に関しては心から謝りますわ。
私、知らなかったんですの。
あんな非人道的な事が平気で行われていたなんて……
万が一、財閥がテロに関与していたとしてもそれも私は関わっていませんわ。
信じてくださいまし」
涙を流しながら訴える桜華。
何時もの豪華なドレスでは無く、比較的質素な洋服を着ていた。
だが彼女がどんなに真実を口にしようとも、店の中にいる者達にその言葉は伝わらない。
「謝る為にココに来たと言うのなら、そんなものにもう意味は無いよ。
2人の人間が植物状態になり、僕だって……」
桜華は零の言葉を遮り、彼の肩に両手をかけて懇願した。
「いいえ。謝る為だけにココに来たのではありませんわ。
私は……私は、取り戻したいんですの。
自分を。今まで見失っていた自分の姿をもう1度確認したい。
私と、もう1度戦ってくださいまし」
既に冷えていた室内の温度がさらに下がった様な感覚を、そこにいた者達全員が感じていた。
(ああ……桜華は知らないのか。
僕の目が潰れている事を。
あの時にさっさと避難したからだ。
黒沢に連れられて……何も知らなかった?
知らなかったくせに会場から出る事を同意したと言うのか?)
零は黒いサングラスをかけていた。
そのサングラスも、桜華にしてみれば少し気分を変える為の装飾品としか映っていないのだろう。
静かな怒りがこみあげていた。
桜華が己を再び辱めようとしている。
そうとしか零には思えなかった。
(この涙もこの懇願も、全ては虚像に過ぎない。
そもそも、僕が視力を失っている事を知らない方が不自然じゃないか。
僕が戦えない事を知っていて、嘲笑っているだけに過ぎない。
君がその気なら、とことんやってやる)
「アンタねぇ、自分が何を言ってるのか解ってるの!?零は……」
流石に我慢出来ずに声をあげようとしたあかりを手で制し、零は瞳に言葉をかける。
「僕を筐体の前まで案内してくれ。
そして、僕の目になってほしい」
「に、兄さん……本気なの?」
「売られた喧嘩は買うさ。全力で戦うよ」
零の顔にもう迷いは無かった。
桜華は零の気持ちを知らず、涙混じりの笑顔を見せる。
「零、有難う……感謝致しますわ」
「どういたしまして。さっさと始めよう。
僕もそこまで気が長い方じゃ無いからね」
零は瞳の手を握りながら、ゆっくりと歩き筐体の前へと辿り着く。
桜華が椅子に座った時、再び自動ドアが開いて一人の女性が中へと入ってきた。
「御嬢様!探しましたよ。
すぐに屋敷にお戻りください。
今はまだ会議中なので気付かれていませんが、もし露見したら大変な事になります。
屋敷を抜け出してきた事が染井様の耳に入ればどんな罰を受けるか解ったものではありません。
私と一緒に……」
血相を変えて飛び込んできたのは五十神妖だった。
荒い息を吐きながら、両手を膝の上に乗せて苦しそうな表情を浮かべている。
余程辺りを探し回ったのだろうと素人目にも解る状態だった。
「いいえ、それは出来ませんわ」
桜華は筐体の前の椅子に座ったまま微動だにしなかった。
「私の人生が、正しかったのか間違っていたのかを決める戦い。
妖であろうとも、この試合を止める資格はありませんわよ」
妖は呆然としたまま、その場から動けなかった。
「早くやろう。
それとも、今になって怖気づいたのかい?」
普段とは全く違う、好戦的で喧嘩腰の零。
そんな彼の姿を見るのは瞳ですら初めての事だった。
次から次へと湧き出てくる様な怒りを零は最早抑える事が出来なかった。
絶望を怒りに変え、その怒りを全て彼女にぶつけようとしている。
「やりますわよ、勿論」
妖は何とか桜華を止めようと近付こうとしたが、豊がその前に立ち塞がった。
「ココで止めたら、零がどうなるか解らない。
帰ってくれ。アンタにもテロ関与の疑いがかかってるんだ」
豊の言葉に、フロアにいた客の殆どが同意した。
そして憎悪の目を妖に向ける。
(……ごめんなさい。私は逆らえなかった。
逆らえば命が無くなる。仕方が無かったんです)
妖は桜華と違って、財閥がやろうとしていた事の全容をほぼ把握していた。
その為に協力もしていた。
洗脳を施すプレイヤーを選び出し、テロの事を桜華の耳に絶対に入れない様に常に心掛け、そして桜華と共に会場からいなくなった。
正直、彼女が真相を知っていたと言う確たる証拠は何処にも無い。
だが彼女自身の心は嘘をつけなかった。
「御嬢様、夜までには帰ってきてください。約束ですよ」
そう言い残して妖はエターナルナイトを後にする。
この状況を見ながら、比呂子は身体の震えが止まらなかった。
(私には、桜華さんがそんな極悪な人だったなんてとても思えない。
あの屈託の無い笑顔、夢を語った時の真剣な眼差し……
あれが全部演技だったとは信じられないんです。
いえ、絶対そうじゃない。桜華さんは良い人なんです。
とっても良い人なんです)
そう心の中では思いながらも、この張りつめた雰囲気の中でそんな言葉を発する事が出来ない。
零と同じ空間にいるだけで息苦しい。
彼から漂ってくる負のオーラが確かに感じ取れ、暖房がついている部屋の中であるにも関わらず底冷えとした寒さが生々しかった。
一方、同じ日の同じ時間。
綾小路財閥の所有する屋敷の大広間において、革新党の陣営と財閥の陣営の話し合いが行われていた。
「紅虎は拷問の末、綾小路財閥と革新党の官房長官、竹中醍醐が協力者であった事を自白しました。
この事実をどうお考えになりますか?
納得の行く答えを教えて頂きたいと思っております」
丹羽律の発言に対して、竹中はその質問自体が馬鹿げているとでも言いたげに邪悪な笑みを浮かべる。
「納得も何も、ちゃんちゃらおかしいとしか言い様がありませんな。
紅虎、つまりテロリストのリーダーを拷問にかけて聞き出した『答え』に信憑性は欠片も無い。
拷問の果てに苦しみから逃れたい。
その一心でついたその場限りの嘘と捉えればそれまで。
そんな証言に有効性は全く無いのです。
寧ろ、そんな『答え』を世に出そうものなら、立場が悪くなるのは総理の方なのではありませんか?」
織田信虎は手を机の上で組んだまま、じっと竹中の顔を見つめた。
「確かにテロは許し難い。
そこに対して私も異論はありません。
ですが、テロリスト達を全員皆殺しにして拷問にかけたと言う事実を公表すれば、国民は激しく動揺する事でしょう。
支持率は下落し、革新党は日本を引っ張っていくと言うリーダーシップを発揮出来なくなる。
その事についてはどうお考えなのか、逆にこちらが聞きたい位だ」
顔には出さなかったが、染井も黒沢も竹中の詭弁に感心し、拍手したい気持ちだった。
(論点をすり替え、すかさず織田政権を批判する。
集中砲火を行い向こうに反論を全く言わせない見事な弁論だ。
ココで名誉棄損として訴えるとなれば、話は全く変わってくる。
そのゴタゴタの間にあの2人を闇に葬る事も出来るだろう)
「私は断固としてテロ等と言う卑劣な企てには加担していない。
この場で私を糾弾するのならば、徹底的に争おうではありませんか。
国民に審判を仰ぐ事にしましょう。
この際、どちらがこの国のリーダーに相応しいのか、ハッキリ決めるべきです」
間髪入れずに喋りまくる竹中。
その勢いはその場にいた沢山のSP達もたじろぐ程だった。
だが織田信虎はその迫力にも全く動じる事無く、丹羽律に指示を出す。
「丹羽君。例の映像のコピーを」
「かしこまりました」
何時の間にか部屋の中にDVD再生用の機械とテレビが置いてあるキャスター付きの台が運び込まれていた。
律は何も言わずにバッグの中から取り出したDVDをセットし、テレビと再生デッキ両方の電源を入れる。
「百聞は一見に如かずと言うからね。
君達にも見てもらった方が早いだろう」
やがて現れた映像の内容に対して、その場にいた者達から血の気がすっと消えていった。
『既に知っていると思うが、革新党の方針は神谷財閥との相互協力だ。
君としては綾小路財閥がないがしろにされ、当然不満が出てきている事だろう』
『仰る通りです』
『我々3名は立場こそ違えど、共通している点が1つだけある。
即ち、織田信虎総理大臣の存在が疎ましく、排除してしまいたいと思っている点だ』
料亭の一室で、竹中醍醐と黒沢輝、そして紅虎の3名が向かい合って話をしている。
(ば、馬鹿な……!
この料亭で密会をしていた事は秘中の秘!
いくら私の身辺を探った所で、容易に知れるものでは無い!!)
愕然とする竹中を尻目に、映像の中の竹中は言葉を続ける。
『私は織田信虎を殺したい。
私怨もあるし、総理大臣になると言う私の野心を現実のものとする為にはあの男が邪魔だ。
私が総理大臣になれば信国の政策は君達の得になる法案が可決する様になり、黒沢君がいる綾小路財閥を重用するだろう。
織田信虎が死ねばここにいる3人全員が幸せになるし、潤う事になる。違うかね?』
黒沢の顔は真っ青になり、染井の顔は怒りで真っ赤に染まっていた。
「こッこんなもの、貴様が作り上げた偽の映像だ!
国民がこんなものを見て納得すると思っているのか!」
染井は居直ってそう叫んだが、信虎はそれに対して怒る事も無く微笑んだ。
「この映像は最新鋭のピンホールカメラを使って撮られた映像だ。
君達が話をしていると言う部屋に、女将の了承のもとで設置させてもらった。
凄く綺麗に撮れる割に、針の穴程の小さい穴さえ開いていれば撮影する事が出来る。
この映像データはコピーで、本物はしっかりと保管しているよ。
そしてこの映像の一部始終は、たった今全国のニュース番組において放映されている。
国民は果たしてこれを偽の映像と思うかね?」
染井の方を向いて話す信虎に一瞬の隙が生まれたと感じた竹中は、反射的に懐から拳銃を取り出し彼を撃とうとした。
だが引き金に指をかける前に肩を撃たれ、拳銃を落としてしまう。
一歩も動かぬ様にと有馬弥助は彼の頭蓋を狙っていた。
「……そんなに、私が憎いかね」
「ああ、憎いねェ!
貴様の先祖のせいで、俺は勝利の人生から遠ざかった!
あの時信長が死んでいれば、俺が総理になっていたハズ!
なのに貴様は、貴様の一族はのうのうと生きている!
それが許されるとでも思っているのか!」
邪悪な本性を剥き出しにして叫ぶ竹中を見ながら、信虎は彼に対して憐憫の情を感じずにはいられなかった。
「君は幼い頃からきっと、私を憎めと教わってきたんだろう。
織田一族を憎め。根絶やしにしろと何度も言い聞かされていたんじゃないのかい?
君の一族は信長に根絶やしにされてはいなかった。
竹中半兵衛の一族、つまり竹中家の内部に潜り込んで苗字を変え、ずっと機会を伺ってきた。
君の本当の名前は明智(あけち)醍醐(だいご)なんだね?」
「それがどうしたァ!!」
竹中……本性を現した明智醍醐は落とした拳銃を全力で拾おうとしたが、額を撃ち抜かれてその場に倒れる。
企てが失敗に終わり、最後は信虎を殺す事だけに拘った男の最後だった。
頭から血を流してぴくりとも動かない男の死体を見ながら、黒沢はこの状況に対して危機感を持たなければならないと自分に何度も言い聞かせていた。
「さて……君達も私に拳銃を向けるのかね?
もしそうするのならば、君達の積み上げてきたものは全てこの世から消え去る事になる。
だが、ここで頭を下げて許しを請うのならば、一部は特例として見逃してあげよう。
どちらでも好きな方を選びたまえ」
染井は怒り心頭と言う様子であったが、その暴走を食い止める為に黒沢は恥を捨てて土下座を行う。
なりふり構わぬ黒沢の行動を見て流石の染井も驚愕し、怒りが何処かへ消えてしまった。
「全て、我々が悪いのです。
どうか、どうか寛大な処置をお願い致します!」
必死になって絨毯に何度も額を擦り付ける黒沢を見ながら、信虎は顔を上げる様に言った。
「では竹中君もこの世からいなくなってしまった事だし、事後処理の条件を提示して帰るとしよう。
丹羽君」
「はい。ではココからは僭越ながらこの私が」
丹羽律はバッグの中から書類を取り出し、そこに書かれている文章を読み上げる。
「綾小路財閥は責任者主導で解体してもらう事。
プラナスの存続を認める代わりとして、テロ事件に深く関与した全ての社員の命を差し出す事。
綾小路桜華と黒沢美香の無事を保証する代わりとして、黒沢輝と染井義政の命を差し出す事。
条件は以上です」
「すぐにと言うワケにはいかないだろうから、ある程度の猶予をあげよう。
2月の終わりまでにこの事後処理を終えたまえ。
もしそれが済んでいなかったらプラナスの無事も保証する事は出来ない。
君達には拒否権は無いんだ。いいね?」
恫喝にも等しい信虎の言葉に対して、黒沢は土下座をしたままその場から一歩も動けなかった。
「私にもやるべき事が山ほどある。
竹中君の親族は連座制で全員死刑。
信国が反乱を計画しているという情報もあるから、自衛軍を送り込んで鎮圧するしか無い。
これほどの大規模なテロ行為が行われた以上、今まで以上に厳しい態度で敵陣営に挑まなければ。
では行くとしようか」
敵意が無くなった事を確認すると有馬弥助は拳銃をしまい、丹羽律は書類をバッグの中に入れ立ち上がる。
「先程の件は頼んだよ。
君達のためでもあるんだ。
お互いに有意義な時間だったんじゃないかな」
去っていく織田政権の者達を、染井は呆然としたまま見送っていた。
エターナルナイトでは、零と桜華の3回目の戦いが始まっていた。
「兄さん、今兄さんは左にいてユファールは右端にいながら中央付近に罠を設置したわ」
「ビームで動きを止めてくるだろう。
迂闊に動かない方が良いな」
隣にいる瞳が、そっと耳元でキャラクターの場所を教える。
零は空間認識能力と想像力を駆使し、頭の中にゲーム画面を映し出していた。
今まで何十回何百回と戦ってきた零だからこそ、脳内で映像を作り出す事が出来たのだ。
(やはり強いですわ。
何も変わっていないですわね……だからこそ、ココで勝たなければ)
桜華は零の事情に気付かず、勝ちに行く。
相手の動きを牽制しながらダメージを受けない戦い方を徹底していた。
(嘘だろ。目が見えないのにほぼ互角の戦いをしてるなんて。
俺が目隠ししてやろうものならすぐにダウンするハズなのに)
豊は零の天才的な才能に心を奪われていた。
驚異的な記憶力と先読みする力が無ければ到底そんな事は出来ない。
あかりも比呂子も涼介も、店にいた全ての者達が食い入る様にモニターを見つめていた。
「相手が2キャラ分前に動いたわ。
兄さんのキャラクターのいる場所は解る?」
「ああ。大体把握しているよ。
解らなくなったら瞳に聞くから」
敢えて前に進み、ビームを斜め上に放つ事で相手の動きを制限し、着地した所で閃光設置罠を発動させる。
零にも桜華のプランが読めていた。
閃光設置罠が発動する直前に衝撃波を放ち、そのダメージを無効化。
即座に相手の懐に潜り込もうとする。
だがタイムアップとなり、HPを4分の1程削られていたヴォルフがダウンした。
(ああ、駄目だ。
流石に位置関係を必死に脳内で再現していたら、残りの秒数までは正確に把握出来ない。
瞳に残り時間を聞いておくべきだった。
いや、それでも残り数秒の攻防を制する事は出来ないだろう)
幾ら零が天才だったとしても、視力を失っている以上限界がある。
零自身も、ココまでやれるとは思っていなかった。
だが脳内で秒数をカウントする事までは出来ない。
目まぐるしく攻守が入れ替わる格闘ゲームにおいて、映像を見ずに全てを把握するのは至難の業だ。
「やっぱり駄目か……」
「当たり前でしょ。
そもそも、目が見えない状態で戦えていた事が奇跡みたいなものだったのよ。
でも、奇跡がずっと続くワケが無い。
桜華と同じ条件で戦っていないんだから、いずれは負けてしまうわ」
第2ラウンドが始まった瞬間から、明らかにヴォルフの動きが鈍っているのが解った。
(兄さん、勝負を捨てるのね)
零の心は既に折れている。
完璧である事を望み、頂点を掴む事に拘った男にとって奇跡が起こせない事が解った時点で試合を続ける事は無意味だった。
(そもそも、常に瞳を側においてプレイする事自体が無理なんだ。
僕のZEROでの戦いは終わった)
零は自分が妙に吹っ切れて、清々しい気持ちになっている事に気付いた。
諦める事を決めた時、少し楽になったのだ。
(僕はずっと、勝たねばならないと自分に言い聞かせてきた。
目指すなら、常に最強の頂。そしてそれを維持する事。
そうやって自分を追い込んでしまっていたのかもしれない。
でも、それが無理だと解った瞬間に嬉しくなった。
もう肩の力を抜いてもいいんだと思えた……
勿論、それと同じ位に哀しくもあるけれど)
ノーガードで殴られ続けるヴォルフ。
試合はユファールの圧勝で幕を閉じた。
「どうして、勝負を捨てたんですの!?
私へのあてつけ?」
悔しさで涙を滲ませながら叫ぶ桜華に対して、零はサングラスを取り、窪んだ両目を見せた。
吸い込まれそうな2つの闇。
桜華の足が竦み、身体全体が震えだす。
「僕はあの事件で視力を完全に失ってしまった。
さっきまで瞳に頼って何とかしていたけれど、それも限界だと思ったんだ。
もう僕は戦えない。君は僕を既に超えている。
『目が見える』と言う大きなアドバンテージがあるからね」
眼前でその底知れぬ闇を見せ付けられ、桜華の恐怖と絶望は極限に達していた。
(私がやったのと同じと思っているんですわね、零……
いえ、その通りですわ。
私がとんでもない事をしてしまった……)
桜華は何も知らなかった。
だが綾小路財閥の総帥である以上、言い逃れる事は出来ない。
「おめでとう、君の勝ちだ。
君は僕を見事に陥れた。もう僕は誰にも勝てない」
桜華は心臓に重いものが突き刺さる様な感覚に襲われた。
息が苦しくなり、涙が止まらない。
この場にいる事が耐えられなくなり、弾かれた様に立ち上がると全速力で走り出し店の外へと消えていく。
「もう、2度と来ないだろうよ。
やったな、零。見ていて痛快だったぜ」
豊が駆け寄り手を握ったが、零自身はやりきれない気持ちを抱えていた。
(これで良かったんだろうか。
僕は、怒りに任せてやってはいけない事をしてしまったんじゃ……)
店にいた者達が拍手を送る中、零は不吉な何かの前兆を感じずにはいられなかった。
「御嬢様?大丈夫ですか?」
部屋のドアを叩きそう聞いてくる妖に対して、桜華は言葉を返す。
「少し落ち着いたら、そちらに行きますわ」
「解りました。
幸いにも御嬢様が外に出ていた事は露見していない様です。
あと30分で夕食の支度が整いますので」
妖の声が聞こえなくなった後、桜華は枕に顔を押し付け、声を殺して涙を流した。
(どうして、こんな事に!
私は、何の為に生きていたと言うんですの!?)
心が押し潰されそうだった。
店にいた者の自分の対する冷たい眼差しや、零の態度の意味を彼女はようやく理解した。
だが理解した事で深い絶望に包まれる。
こんな事を自分は望んではいなかった。
友情を、人の温かさを求めていたと言うのに全てを失ってしまった。
人生の理不尽さに桜華は戦慄するばかりだった。
「私は、比呂子とお友達になりたかった!
比呂子だけじゃない。零に勝って、零とも気軽に話せる間柄になれたら……!
私に残ったのは、テロの黒幕と言う不名誉な称号。
そして財閥も消えてしまう。
もう私には何も残っていませんわ!!」
沢山の人々の顔が浮かんだ。
決勝トーナメントで戦った選手の顔。
あかりや豊を始めとする零の仲間の顔。
常に冷たい瞳で自分を見つめていた父親の顔。
狂気に満ちた目で自分の顔を覗き込んできた母親の顔。
壊れない様に必死に抗ってきた。
未来はきっと良くなると信じてきたからだ。
だが桜華の夢は全て壊れて失われた。桜華は生きる気力を失っていた。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい!!」
大声で3度謝罪の言葉を叫んだ。
だが、もう彼等の眼前でその言葉を伝える事は出来ないだろう。
彼女は拒絶された。
大勢の人々だけでなく、ニュースで流れた映像によって社会全体から拒絶される事になったのだ。
生きる意味が全く無かった。
生きていても、世間から非難され続けるだろう。
例え逮捕されなかったとしても、生涯汚物を見る様な目で見下されるだけだ。
彼女は精神的に追い詰められていた。
「綾小路財閥は、この1ヶ月の間に解体しなければならなくなりました」
数人だけで行われた夕食会は、重苦しい空気に満ちていた。
事情をある程度察していた妖はそこまで驚いてはいなかったが、美香は呆然としたまま何も言葉にする事が出来なかった。
「事実上の消滅です。
ですが、財閥の要であったプラナスの命だけは救われる事になりました。
桜華御嬢様にはこれから身を隠していただきます。
最悪の場合、海外へ逃亡する事も視野に入れなければならないでしょう」
黒沢の発言に対して、涙でぐしゃぐしゃになった顔のままの桜華は疑問を呈した。
「……どうして、こんな事に?」
「我々は賭けに出たのです。
財閥を飛躍的に躍進させる為の賭けでした。
しかし、賭けの読みは外れ、我々は負けました。
大きな賭けであった以上、その代償はあまりにも大きい。
しかし受け入れなければ我々の未来はありません」
「御父様がしくじったんじゃない!
どうして姉様までその代償を払わなくちゃいけないの!?」
美香が泣きながら叫んだが、黒沢はそれに対して怒りもせず、美香の頭を撫でた。
「私も苦渋の決断だった。
先代も乗り気だったし、その賭けを選ぶしか無かったんだ。
当たればでかいが外れれば破滅。
だが幸運な事に全ての破滅からは逃れる事は出来た。
これからは美香、お前がプラナスの社員達を支えていくんだ」
美香ははっと顔を上げ、黒沢の方を見た。
染井は黙って首を縦に振る。
「既に金を払い、外部から優秀なブレーンを雇う準備が出来ている。
お前はそのブレーンの助けを借りながらプラナスの新社長に就任するんだ。
お前に重荷を背負わせるのは辛いが、もうそうするしか道は残っていないんだ。
許してほしい」
涙を流しながら美香を抱き締める黒沢。
天武日本を破滅に導こうとした男でも、実の娘に対する愛情は深い。
彼等には賊軍としての試練が待ち構えていた。
かつて戦で勝敗が決まった時代にも、多くの哀しい破滅の物語が生まれている。
そしてこの世界においては、天武日本を代表する巨大企業の集合体がその姿を消そうとしていた。
「総理、黒沢輝からメールが届いております。
五十神妖の処遇について、寛大な処置を願うと」
「一応滝川君の部下の調べによると、『テロ事件に関与していた可能性は薄い』そうだ。
全国大会での不正行為に関わっていた可能性は高いそうだがね」
PCでメールをチェックしながら、凄まじい速度で書類の山を片付けていく律の姿を見ながら信虎は手を組み椅子に腰をかける。
国会の中にある総理の為に用意された部屋。
プライベートを尊重し、防音構造だけで無く壁は追尾ミサイルの直撃にも耐える様になっていた。
「彼女がテロ事件に関わっていない事は調べられるが、テロ事件が起こる事を知っていたか否かは解らないからね。
勿論妖君を嘘発見器にかけると言う方法もあるにはあるが、紅虎明命の処刑の件もあって相当世論が五月蠅くなっている。
そこまで追い込むと我々の政権も痛手を負いかねない。
まぁ、妥協するべきだろう」
「かしこまりました。
綾小路桜華や黒沢美香と同じ様に、見逃すと言う事で宜しいですね?」
「ああ。そういう返事を送ってくれ。
黒沢君が聞き分けの良い男で助かったよ。
本気で来られたら我々もある程度の犠牲を覚悟しなければならなかった。
あの映像で世論が味方するだろうから勝つのは我々の方だろうが……」
外は粉雪が舞い始めていたが、壁に囲まれた部屋にいる2人には関係の無い話だった。
ただ、やるべき事は1つ。
何が起こっても『天武日本を守る』と言う事。
信虎にとってそれが全てであり、他の些細な事にはあまり関心を持っていない。
負けた者達には終わりが、そして勝った者達には新たな始まりが近付きつつあった。