※この作品はR-18です。

ZERO ~格闘ゲームに翻弄される者達~   作:夜月光介

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求めたのは、悲惨でどうしようも無い物語とその結末。
そして、その絶望の中にある一筋の光です。
全てが終わったのでは無い。それでも生きていかなければならない。
時は戻らない。だから精一杯生き抜いていく。
両性具有者の悲哀と苦しみ、そして同じ人間として
平穏に生きていきたいと言う願い。

ファンタジーな設定でも、その思いは誰でも持っている
普遍的なものなのです。


番外編 蜘蛛の網 中編

 【1999年 7月 帝北坂区郊外 古橋幸吉の実家】

 

 それは、かなり暑い日の夜の事だった。

 うだる様な暑さでも、座敷牢の中にはエアコン等備わっていない。

 粗末な勉強机と、ベッドと本棚しか無い殺風景な部屋。

 その部屋の中で横田秀行はベッドに腰を下ろしていた。

「秀行様。風呂の時間だと旦那様が仰せです」

 

 階段を降りてきた世話係の絹がそう言うと、秀行はベッドから立ち上がる。

「絹、少しだけ話をさせてくれ。

 5分もあれば充分だ」

 ベッドから立ち上がった秀行は、勉強机の横に置いてあったランドセルの中に手を伸ばし緑色の薬瓶を取り出した。

「秀行様……それは一体何なのです?」

 

「もう限界なんだ。

 俺はこのままだとあの爺に殺されてしまう。

 やられる前にやるしかない。

 解るだろ、俺の言っている事が」

 

 秀行はそう言って座敷牢の隙間から手を伸ばし、絹の着物を掴む。

 その目には大粒の涙が浮かんでいた。

 

「だが、奴に毒を盛る事は俺には出来ない。

 お前の力がどうしても必要だ。

 毎日、この薬をスプーン一杯分だけ奴の食事に混ぜてくれ。

 味噌汁でも茶でも良い。

 無味無臭だから飲んで気付かれる事は無いハズだ。

 順調に行けば奴は1ヶ月でくたばる」

 

 秀行は歯を食いしばり、鬼気迫る表情で絹の顔を覗き込む。

 絹はその顔を見て秀行の『本気』を感じ取った。

「私がこの謀を漏らせば、秀行様は即座に死ぬ事になるのですよ。

 私にその様な企てを申して良いのですか?」

 俯き、困った様な表情で視線を逸らそうとする絹の袖を秀行は激しく揺さぶる。

 

「お前がそんな薄情な女では無い事はこの数年間で充分過ぎる程解っている。

 お前は優しい女だ。

 陰ながら何時も俺の味方をしてくれた。

 だから、俺のこの願いもきっと聞いてくれると思ったんだ」

 

「……人を殺めると言う業を背負う事になります。

 その覚悟はおありですか?」

 絹の真剣な表情を見ても、秀行は彼女から絶対に視線を逸らすまいとしていた。

 

「お前が漏らすのなら俺はそれまで。

 運が悪かったとして諦める。

 殺される覚悟があるんだ。

 殺す覚悟だって当然持ってるさ」

 

「殺される覚悟と殺す覚悟は別のものでございます。

 人を殺めれば、生きている間ずっとその後悔に苦しむ事になる。

 私は秀行様にその様な業を背負ってほしくは無いのです。

 ですが……」

 言葉を濁しながら、絹は座敷牢の隙間から出てきた緑色の瓶を受け取った。

 

「私は秀行様を死なせたくはないのです。

 例え旦那様の命令に逆らう事になろうとも。

 秀行様、私がその業を背負いましょう。

 私はどうせ朽ち果てそうになっていた所を旦那様に拾って頂いた身、生の執着もそれ程ございませぬ故」

 着物の中にその瓶を隠すと、絹は南京錠の鍵を外し、秀行を外に連れ出した。

 

「さぁ、風呂に参りましょう。

 旦那様が不審に思う前に」

 

 秀行はこの殺人計画を賭けだとしか思っていなかった。

 賭けに勝てばこちらの勝ち。

 負ければそれまで。

 そして絹に協力を願ったものの、彼女だけは幸吉の魔の手から守りたいと思っていた。

 

 それからと言うもの、毎日少量ずつ古橋幸吉の食事に毒が混ざる事になった。

 スプーン一杯分しか量が増えないので看破するのは至難の業。

 幸吉もまさか絹が裏切るとは思っていなかった為、何の躊躇いも無く味噌汁をすすったり茶を飲んだりした。

「くそッ。儂も歳なんか。

 鞭を数回振るっただけで息切れしてまうわ」

 

 最初の効果は僅か数日で現れた。

 心臓に関わる神経が弱る為、激しい運動を少しの間行っただけで疲労が蓄積してしまう。

 鞭を振るう手が1週間で違和感を覚える様になり、2週間経つと手が震える様になった。

 

 しかし、幸吉は老齢。

 肉体の見た目は頑健でも、歳のせいだと思ってしまう。

 幸吉が不審に思っている間にも毒は盛られ続け、ついに貴弘からリミットだと聞かされていた1ヶ月が経過した。

 

 8月の朝、幸吉は激しい動悸と息苦しさで目を覚ました。

 (何や、これは……)

 全身の力が抜け、非常にだるい。

 胸に手を当てると、心臓が早鐘を打つ様に激しく脈を打っていた。

 

「くそッ、こんなハズがあるワケがあらへん。

 あの糞餓鬼が何かしおったんやな」

 胸を抑えながら布団の横に置いてあった日本刀に手を伸ばす。

 片方の手で胸を抑えながら渾身の力を込めて立ち上がると、足を引き摺りながら座敷牢へ向かった。

 

 (恐らく今日か明日辺りが奴の最期だ。

 上手く死んでくれていると良いんだが)

 まだ学校へ向かう準備をしていた秀行は、幸吉が階段を降りてくるのを見て思わず立ち竦む。

「お前が、何かした事は解っとるんや。

 殺す……殺したるッ!」

 

 普通ならば致死量となる程の薬を投与されていた幸吉であったが、元の肉体が丈夫な事もあり何とか死を免れていた。

 ギラギラと光る日本刀を片手に迫る幸吉の姿が、かつて自分にフラフラと近付いてきた父親の姿と重なる。

「う……うわッ」

 逃げようにも逃げられない。

 鍵が開き、荒い息を吐きながら幸吉が座敷牢の中へと足を踏み入れた。

 

「よくも儂に一杯喰わせおったな。

 死んで詫びろや!」

 全身の力を両手に集めた幸吉は日本刀を振りかぶる。

 秀行は死を覚悟して目を瞑った。

「が……があッ」

 

 だが、幸吉は日本刀を手から落とした。

 背後から近付いていた絹が、彼の胸を別の小刀で貫いたのだ。

 

「おのれ、絹……

 う、裏切ったんか、儂の事を……」

「旦那様、お許しください。

 全ては秀行様を守る為でございます」

 

 普段の幸吉であれば背後からの接近も見破る事が出来た。

 そして絹を蹴り飛ばす事も出来たハズだった。

 だが、心臓に深刻なダメージを負っていた幸吉はその攻撃を避けられず、床に倒れ伏す。

 とどめとばかりに何度か小刀で心臓に近い部分を刺すと、座敷牢の中に血しぶきが飛んだ。

 

「これで、秀行様の願いも叶いましたね。

 後は私が自害すれば、全て終わります」

「馬鹿!死ぬな絹!

 お前にはこれからも俺の側にいてもらいたい。

 糞爺に殺されそうになっていた俺を後ろから刺し殺したんだ。

 どう見ても正当防衛だろう!」

 

「いえ、警察も無能ではございませぬ。

 遺体が解剖されれば、毒の事が露見するのは自明の理。

 誰が盛ったのかと言う話になり、最悪秀行様が逮捕される事になるでしょう。

 その前に、私が全ての罪を被って死ななければ。

 それに……旦那様を殺してしまった私にはもう、生きる理由がありません」

 

 そう言うと絹は自分で自分の首に小刀を刺し貫き、幸吉と重なる様にして倒れ込んだ。

「そ、そんな……」

 自分を庇ってくれていた絹の死は、秀行の心をさらに暗くさせた。

 それを忘れるかの様に、秀行はこの後遠藤和枝と大出みゆるをさらに凌辱し続ける事になる。

 

 【2000年 2月 大阪府法王寺区 北里ニュータウン 菊池貴弘の自宅】

 

 横田秀行は、座敷牢から抜け出る事は出来なかったものの、幸吉の体罰からは逃れる事が出来た。

 幸吉の妻であった妙子はこの事件によりすっかり怯えてしまい、秀行に近付く事すら無くなったのだ。

 秀行の心は明るく晴れ渡った。

 秀行自身はそう思い込もうとしていたが、絹が自分の為に死んだと言う事実は重く彼の精神を徐々に蝕んでいく。

 

「フハハハ、もうすぐ卒業だな!

 お前等は充分犯し尽くしたし、次の女に鞍替えだ!」

「そうだね。中学校に入ったら次の標的を探そう。

 幸い、僕も横田君も灘海(だんかい)中学校に通う事が決定してるからね」

 

 拷問部屋と化した実験室の中で、全裸のまま虚ろな瞳を漂わせていた和枝とみゆるは互いに顔を見合わせた。

「……私は父さんと母さんの仕事の都合もあって、引っ越す事になったわ。

 卒業と同時にね」

「そうなんか……

 ウチと咲は前から灘海以外の所に行きたいってお父んとお母んを説得しとったから、大丈夫やで」

 

 膣からだらだらと精液が垂れ、和枝に至ってはそれ程射精をしていなかったせいか陰茎が勃起した状態のままだった。

「成程。僕達から逃げる準備はバッチリってワケかぁ。

 でも、忘れないでね。

 僕達の邪魔をすれば結局は同じ事になる。

 これまでの事を警察に話せば、君達はバッドエンド確定だよ」

 

 貴弘は彼女達を嘲笑いながらビニール製の手袋をはめた手でみゆるの肩に手を乗せる。

「そんな事、言われなくても解ってるわ。

 汚い手で触らないで!」

 みゆるは嫌そうな顔をしながら貴弘の手を払いのけようとしたが、貴弘は彼女の膣に指を入れ、精液を掻き出す。

 

「こーんな事になっちゃってるのに、まだ僕達に抗おうっての?

 健気だねー」

「女のくせに勃起してやがる変態と仲良くしやがって!

 化け物なんざ裸足で逃げ出すレベルの姿だってのによ」

 勃起したペニスを秀行が思い切り蹴ると、和枝は悲鳴を上げてペニスを手で押さえ床を転げ回った。

 

「ちょ、ちょっと!

 和枝ちゃんに何するのよ!」

「お前も馬鹿だぜ。

 テメェの処女膜をぶち破ったのはそこにいるチンポ女だって事は解り切ってんだろ。

 そいつを庇うなんてなぁ。

 馬鹿を通り越して記憶喪失にでもなってるんじゃねぇか?」

 

 あの時、秀行は笑われた。

 『汚い』と言う言葉、『息が臭い』と言う言葉が今でも忘れられなかった。

 だから彼はひたすらに彼女達を罵倒し続けた。

 それが己にとっての救いだとでも言わんばかりに……

 

「アンタ達が、和枝ちゃんを追い込んだんでしょうが!

 そのせいで私も和枝ちゃんも一生消えない十字架を背負わされたのよ!

 絶対に許さない!

 今は見逃してあげるけど、見ていなさい。

 アンタ達の命を握り潰してやるわ!」

 

 憎しみが頂点に達している事を物語る顔は、かつて幸吉に虐げられていた秀行がしていた顔と同じものであった。

「いいねぇ、その表情……ゾクゾクするぜ。

 お前にそんな顔をさせたくてなぁ。

 かつての俺の顔みてぇに」

 秀行はみゆるの顎に手を添え、ニヤニヤ笑いをしながら彼女の目の奥にある『絶望』を探した。

 

 心の奥に眠る底無しの闇。

 秀行と同じ様な闇を彼女達の心の中に作り出すと言う目標は確かに達成されたのだ。

「壊されたんだ、何もかも。

 だから、今度はお前達を壊す番だ。不満か?」

 そしてみゆるもまた、覗き込んでくる秀行の目の奥に底無しの闇を感じ取り恐怖を感じて身体を震わせる。

 

 笑っていたハズの秀行の顔が歪み、涙が頬を伝い流れ落ちた。

 和枝は秀行の涙を見て驚いた表情を浮かべている。

「戻れねぇんだよ。お前も、俺も。

 崖から落ちるまで突っ走るしかねぇんだ」

 

 秀行の心は壊れかけていた。

 咲が秀行の側から離れ、絹が自分を庇って死んでしまったのだ。

 その事実だけで胸が張り裂けそうな程に苦しかった。

 そしてその思いを、みゆる達が理解する事は無かったのである。

 

 【2001年 5月 大阪府法王寺区 灘海中学校教室】

 

 横田秀行と菊池貴弘は小学校卒業後、1年と言う月日を費やして獲物の品定めを行った。

 遠藤和枝と大出みゆるに対する脅迫はたまたま上手くいったと言う事実があり、脅迫の材料を今度は自分達で作り出そうと言う貴弘の提案だった。

 学校の女子トイレに忍び込んで盗聴や盗撮の為の装置を設置し、獲物である女子生徒を選定する。

 中学校2年生になった時、貴弘は秀行を自宅に呼び出すと何枚もの写真を机の引き出しから取り出した。

 

「とりあえず、何名かに絞ったよ。

 結構条件が厳しかったからね。

 開き直って脅迫に屈しない女は駄目だし、容姿が美しくない女は面白くない。

 脅迫されると困る様な権力と地位を親が持っていると尚更堕ち易いんじゃないかな?」

 

 写真の女性は5名。

 全員が女性も羨む程の美貌を備えており、育ちも良い。

 さらにトイレにこもって自慰行為を行っていた女子生徒が2名いた為、そちらの方が脅迫の材料は揃っていた。

 

「この、四条明穂って女性……良いんじゃねぇか。

 親が古橋コーポレーションの幹部だそうだ。

 躾もしっかりしてるし顔も申し分無い。

 間接的にあの爺に対する復讐にもなるだろ」

 

 写真の女性の中で最も美しい女。

 そして、その顔はどことなく遠藤咲の顔に似ていた。

「えー?なんか胸も小さいし弄りにくくない?

 前が貧乳だったんだから今度は巨乳にしようよ」

「いや、こいつに決めた」

 

 睨み付ける様に貴弘の顔を見た秀行に対し、貴弘は参ったと言わんばかりに両手を上げた。

「まぁ、別に僕は面白いものが見れれば何でも良いよ。

 君が選んだ人で遊んでくれれば構わない。

 君が彼女を犯している所を間近で見れると思うとドキドキしちゃうねぇ」

 ニヤけた顔でそう言う貴弘の事を見て、ふと秀行の脳裏に疑問が生まれた。

 

 (そういや、どうしてコイツは強姦に全く参加しないんだ?

 相手に触る時も必ずビニールの手袋をはめる。

 まるで女の裸に触るのが嫌でしょうがないみてぇな感じだ。

 まさか、女の身体に恐怖を感じてる同性愛者じゃねぇだろうな……)

 ふと秀行の脳裏に浮かんだ疑問は、結局解決する事は無かった。

 

 些細な事だと疑問を頭の中から追い出し、改めて写真に映っている女性を見つめる。

 (俺は、結局咲に自分の思いを伝える事が出来なかった。

 本当は、咲と繋がりたかったんだ……

 だが、どうしても汚せなかった。だから代わりにこの女を……)

 

 秀行は半ば自暴自棄になっていた。

 自分がどれだけ犯罪を重ねようが構わない。

 そんな投げやりな態度のまま彼は日々を過ごしていた。

 手に入れたかったものが手に入らず、守りたかったものを守れなかったと言う事実が彼を狂わせていたのかもしれない。

 

 横田秀行にとって、四条明穂と言う女性は自分の欲望を満たす為の道具に過ぎなかった。

 自分が激しい恋心を抱いている相手の身代わり。

 彼にとってはそれ以外の何者でも無い。

「この録音テープの内容と、写真をばらまかれたくなかったら……

 大人しく俺と一緒に来てもらおうか」

 

 ある日の放課後、自分とは別のクラスに在籍していた明穂を人気の無い校舎の裏手に呼び出すと秀行は彼女を脅迫した。

 最初は渋っていた明穂も、己の不利を悟ったのか秀行の後についていく。

 そのまま菊池貴弘の自宅に到着すると、貴弘が秀行と明穂を出迎えた。

 

「やぁ、いらっしゃい。

 初めまして、僕の名前は菊池貴弘。

 横田君の仲間だよ。

 横田君から聞いていると思うけど、録音の内容はちゃんと音声ファイルにしてあるんだ。

 写真も画像ファイルにして保存してるよ。

 僕達に反抗したら、それをぜーんぶネットの海にばら撒いちゃうからね」

 

 くだけた口調でさらっと脅迫を行う菊池の態度に、明穂は流石に恐怖を感じた様だった。

「……私に、何をしろと?」

 怯えているのは肩の震えから伝わってくるが、明穂はそれでも毅然とした態度で対応する。

 

「簡単だよ。

 ここにいる横田君と、セックスをしてくれればいいんだ。

 勿論、僕達としては拒まれたって仕方がない。

 代わりに君の人生を破滅させるだけだからね。

 君が女子トイレで自慰行為に及ぶ程恋い焦がれている、陸上部の先輩と付き合いたいんでしょ?

 純潔を失っちゃうのはしょうがないかもしれないけど、ココで断れば転校しなくちゃならないだろうし」

 

 怯えが怒りに代わり、明穂は思わず貴弘の首もとを掴んでいた。

「卑怯な真似を……!」

「おっと、暴力はいけないなぁ。

 横田君にもデータをばらまく方法は教えてあるからねぇ。

 殴りでもしたら即座に君の人生を終了させちゃうよ。

 それでもいいの?」

 

 ニヤニヤ笑いを浮かべながらペロリと舌を出す貴弘。

 明穂は暫く相手を睨み付けていたが、やがて舌打ちと同時に彼から手を離した。

 

「いやぁ、かなり気の強い女性を選んじゃったみたいだけど大丈夫?」

「そういう気の強い奴を屈服させるのが面白いんじゃねぇか。

 しっかりした幹を持ってる奴ほど、折れる時は呆気ないモンさ。

 とにかく、アンタがこれからも平穏無事に日々を過ごしたいと言うのなら、服を全部脱ぐ所から始めてもらおうか」

 秀行は彼女の肩を触りながら、中学生とは思えない程の凶悪な面構えとドスの効いた声で相手を脅す。

 

 かつて自分が虐げられていた時に何度もされた顔と声だった為、彼は何時の間にか完璧に真似する事が出来る様になっていた。

「……逆らうだけ、無駄と言う事ですか」

 少しの間躊躇していたが、やがて俯いたまま服を脱ぎ始める明穂。

 口は真一文字に結ばれ、その瞳には既に絶望の影が忍び寄ってきている。

 秀行はその姿を見ながら、『悦に入る喜び』と『自分は何をしているのかと嘆く哀しみ』と言う相反する思いを感じていた。

 

 秀行は己が直接口に出す事は生きている限り無いと考えている1つの事実を、心の中で思い返していた。

 それは、凌辱した女性達……遠藤和枝と大出みゆるが完璧に近い美しさを持っていた事である。

 胸は平らで股間には毛も生えていないと言う未成熟な身体ではあったが、若さの象徴とも言える滑らかな肌と髪。

 特に肌に関しては2人とも色白で、まるで人形の様だとすら思えた。

 遠藤和枝には余計なものが付いてはいたが、美しい肉体に対して醜い陰茎があるそのアンバランスさが興奮を高めるのに一役買っている。

 

 そして、目の前で生まれたままの姿になった四条明穂は、その2人よりもさらに美しい肉体を秀行の前に晒していた。

「綺麗だ……」

 思わず相手に聞こえない程度の小声で呟いてしまう程に、彼女の身体は完璧だった。

 和枝やみゆるよりも高い身長、主張しない程度に膨らんだ胸、雪の様に白い柔肌。

 そして艶のある肩まで長く伸びた黒髪。

 

 当時の秀行よりも身長が高かった為、明穂は秀行を見下ろしながら言葉を発した。

「これで満足ですか?」

「地下室に行こうか。

 そこに手足を拘束する事が出来る台があってねぇ、そこに寝そべってもらう必要があるんだ」

 

 四条明穂は自分がこれから何をされるのかと言う事を理解していたハズだったが、毅然とした態度を崩さなかった。

 プライドが高いと言う点で比べてみれば、泣き喚き相手を罵倒する事しか出来なかった遠藤和枝や大出みゆるとは全く違う。

 見た目や立ち居振る舞いは既に、彼女が和枝やみゆるの様な一般人とは別の次元に到達している様にも感じられた。

「先に言っておきますが、こんな事をした所で私が屈すると思ったら大間違いですよ」

 冷たい手術台の様な場所に寝そべり、悪人に対して諭す様な口調で話す明穂。

 

 貴弘は意に介さず台に備え付けられている手枷と足枷をはめ、鍵をかける事で彼女の動きを完全に封じた。

「じゃ、始めちゃって。

 カタクナールΩは事前に飲んでもらってたよね。

 僕も彼女が苦しんでいる姿を見たいんだ」

 秀行は貴弘の言葉に対して返事をする事無く、無言のままズボンを脱いだ。

 

 小学生から中学生へと着実に成長を遂げている肉体は、薬を飲んだ時の陰茎をより大きくさせている。

 存在を主張する様にトランクスの中で膨らんだ股間。

 秀行はトランクスも脱ぎ、完全に勃起した肉棒を明穂に見せ付けた。

「これが、今から濡れてもいねぇテメェの中に入るんだぜ。

 さぞ痛いだろうな……」

 

 秀行はそう言いながら、剥けた亀頭の先端を彼女の膣口にあてがい、ほんの少しだけ沈ませる。

 狂気じみた硬さと熱さを持つ肉棒を何時でも突き入れる事が出来ると言う征服感に酔いしれながら、彼は明穂の胸に触れた。

「白状しちまえよ。

 本当は怖いんだろ?能面みてぇなツラしやがって。

 そうやって必死に冷静さを取り繕おうとしてもな、俺にレイプされるって言う現実の前では全てが無意味だ」

 

 僅かに膨らんだ胸を揉みながら、相手を恐怖と絶望の底へと落としてやりたいと願う秀行。

「貴方が例え私を凌辱しようとも、私が貴方に屈する事はありません。

 ……寧ろ貴方の方が、極悪人を演じようとして無理をしているのではありませんか?」

 明穂の肩は震え、その表情からは僅かに怯えも感じられる。

 

 だが彼女は常に己を高い所に置いている様だった。

 常に気高く、誇りに満ちた態度を何時いかなる時でも貫く。

 その様な類の女性を堕とさなければならないと言う挑戦は、秀行をますます興奮させた。

「お前のその分厚い面の皮、マンコを血塗れにしてやれば少しは剥がれるのか?」

 舌を出し、胸を片手で握り締めながら相手の首筋を舐める。

 

 秀行は狂気に彩られた目を明穂に向けながら腰を前に突き出した。

 膜が破れる音など聞こえるハズも無かったが、膣内に肉棒を入れていくと膣壁が突然侵入してきた異物を排除しようとする様な動きを感じる。

 その『無理やり膣を広げていく』感覚を味わいながら根元まで挿入すると、一筋の赤い血が膣から零れ落ちてきた。

「痛いか?

 おい、処女膜ぶち破られて痛いかって聞いてるんだよ!」

 

 相手を屈服させた、絶望させてやったと思い秀行は勝利を確信する。

 明穂は痛みには耐え切れずに歯を食いしばりながら涙を流していたが、それでも人間としての尊厳は捨てていなかった。

「……貴方は、痛くないのですか?」

「は?何を言ってるんだお前。

 俺は気持ちいいだけだろうが。

 マンコの痛みで頭がおかしくなっちまったのか?」

 

 痛みに耐えながら絞り出す様な声が秀行の耳に届いたが、秀行は構う事無く腰を突き入れる。

「貴方は確かに、身体の痛みは感じていないでしょう。

 しかし、貴方の心は悲鳴を上げている。

 こんな事はしたくない。

 自分はこんな事をやりたいんじゃない。

 そう思っているのではありませんか?」

 

 明穂は秀行が今まで犯してきた女性とは人間のレベルが違っていた。

 まるで天上から下界を眺める神の様に冷静だった。

 自分を犯している相手の瞳の奥をじっと見つめながら、決して目を逸らす事無く秀行の目を覗き込む。

 

「……五月蠅えよ」

「貴方の瞳からは怯えを感じます。

 自分の弱い部分を知られたくないと思う心の弱さを隠している様に見えるのです。

 貴方が本当に求めているものは性欲では無く、寧ろ愛情なのでは……」

 

「五月蠅えって言ってるだろ!

 『全て御見通しだ』みてぇな事を言いやがって!

 テメェに俺の何が解る!

 俺はもう引き返せねぇんだよ。

 俺は楽しい事をするだけだ。黙ってやがれ!」

 

 秀行は背後にいた貴弘から猿轡を受け取ると、相手の口にはめ激しく肉棒を出し入れし始めた。

 口を塞がれた明穂は何も言わなくなったが、今度はただじっと秀行の目を見つめる。

 

 (ああ、痛ぇよ。

 とんでもなく心が痛ぇよ。張り裂けそうだよ。

 何で俺はこんな事をしてるんだ。

 もし世界が少しでも俺に優しかったなら、両親が死ぬ事も無かった。

 俺の母親の様に優しかった咲と恋仲になっていたかもしれねぇんだ。

 何で俺の思う通りに上手くいかねぇんだよ!

 皆、離れていく!俺が望んだもの全てが!

 だから、目の前にいるお前も俺と同じ様にしてやるんだ。

 少しでも俺と同じ様な絶望を……)

 

 秀行の心は、母親が死んだあの時から半分壊れてしまっていたのかもしれない。

 そして、遠藤和枝と大出みゆるが残っていた彼の人間らしい心を粉々に砕いてしまった。

 だが、粉々に砕かれても、欠片は残っている。

 秀行の頬を伝う涙が、彼に人間らしい感情が残っている事を示していた。

 

「オラ、出すぞ。出すぞ!

 たっぷり受け取りやがれ、その澄ました面を歪ませてやるぜ!」

 哀しみで潰れそうな心を抱えていたのは、果たしてどちらだったのだろうか。

 何時の間にか自分の意志とは無関係に流れ落ちていた涙を無視しながら、秀行は射精した。

 

 膣の奥に入っていた陰茎の先端が、白い粘液を彼女の中に注ぎ込んでいく。

 肉棒の全身が震えながら精液を何度も吐き出し、やがて射精自体は終わったが滾りはまだ続いていた。

「戸棚の所に避妊薬があるから、後で飲ませてあげてね。

 それと、まだおさまらないだろうから空っぽになるまで彼女を使えばいいよ」

 貴弘は彼女とのセックスにはまるで興味が無いと言わんばかりの態度だった。

 

 事務的に言うべき事を伝えた後、椅子に座り動画の編集作業に移る。

 彼の唇の端は僅かに上がっていた。

「ああ、そのつもりだ。

 テメェもその方が良いだろう?

 俺の子供なんざ孕まれると後が面倒だからな」

 

 勝ち誇った様な声で相手を嘲笑う秀行。

 明穂はまだ、何も言葉を発する事無く秀行を見つめている。

 睨み付けているのでは無く、静かに、何かを伝える様な目。

 その瞳の奥から言葉が聞こえてきそうだった。

 

『そうやって必死に冷静さを取り繕おうとしても、貴方が涙を流している現実の前では全てが無意味です』

 秀行の頭の中で勝手に彼女の声が再生される。

 それは彼女の声と言うより、自分の心の中に眠るもう1人の自分が放っている心の叫びの様にも聞こえた。

 

『貴方は愛を欲しているのでしょう?

 私に、貴方が求める相手の愛を与える事は出来ないのかもしれません。

 でも、私にしか与えられない愛もまたあるハズです。

 私が貴方を救います』

「黙れ!俺を見るな、見るんじゃねぇよ!」

 

 秀行の脳内で聞こえてくる彼女の声を遮る為に、秀行はアイマスクで明穂の目を覆った。

 だが、一旦聞こえ始めた彼女の『声』は、頭の中で何度も繰り返される。

『貴方の欲しているものは、こんな事では無いハズです』

 背後から声が聞こえ、秀行が振り向くとそこに裸の明穂が立っていた。

 秀行の肩に手を乗せ、諭す様に耳元で囁く。

 

『目を覚ましてください』

「ヒッ!?」

 ゾッとし、その手を振り払おうとするが手は秀行の眼前で消えた。

 秀行は幻影を見ていたのだ。

 怯えたまま視線を元に戻すと、アイマスクと猿轡を付けた明穂の姿が見える。

 

 (クソッ、テメェを犯し抜いてこの恐怖を消し去ってやる!)

 秀行は萎えはしなかった陰茎を再び彼女の膣に潜り込ませると、腰を振る動作を再開した。

 

 秀行の目の前に現れた幻影の恐怖を振り払う様に、秀行は何度も彼女の膣内に射精した。

 強精剤によって無理やり勃起させられた肉棒が、相当量の精液を放出した事でやっと硬さを失い股間にぶら下がる。

 (ハァ……ハァ……何だったんだ、さっきのは)

 頭の中に響いてきた彼女の声も、いるハズの無い背後に立っていた彼女の姿も、全てが秀行にとっては妙に生々しく感じられた。

 

「終わったの?御苦労様。

 動画もバッチリ撮れたし、今日はもう帰ってもらおうよ」

「あ、ああ、そうだな……」

 貴弘の意見に賛同した秀行は、明穂の猿轡とアイマスクを外し、手枷と足枷を外す。

 股間を何度も乱暴に突き上げられた痛みからか、明穂は床に足をつくとよろめき、秀行にしがみついた。

 

「……貴方は私に、痛みを与えようとしたのでしょう?

 貴方自身の痛みを忘れる為に。

 でも、痛みを忘れようと足掻けば足掻く程、その痛みは強くなります。

 痛みを止めるには、その痛みと向き合って消す努力をしなければならないのです」

「説教がしてぇんなら、学校で他の生徒相手にでもやってろ。

 さっさと帰れ」

 

 秀行は彼女に対する怯えをまだ僅かに感じていた為、明穂の事が薄気味悪くて仕方が無かった。

 彼女が来ていた衣服を投げ渡すと、明穂はそれを持ったまま真剣な顔で秀行の方を見る。

「……貴方の目は、相当な覚悟が無ければ覚めない様ですね。

 私は、貴方を必ず救って差し上げます。

 貴方が底無しの闇に堕ちて、這い上がれなくなる前に」

 

 そう言うと明穂は衣服を全て着込み、避妊薬を飲んだ後足早にその場を去っていった。

「変な子だったねぇ。

 犯されたって言うのに平然としてるなんてさ。

 ま、これから君がどう壊していくのか……

 お手並み拝見って所かな」

 

 貴弘はそう言いながら、先程の『動画』を見てその完成度に目を細める。

 秀行はただ、何も言わずに彼女が出て行った地下室の入口を見つめていた。

 

 土曜日に四条明穂を呼び出し、彼女を強姦。

 日曜日を何もせずに家で過ごした秀行は、月曜日には普段通りに登校していた。

「ねぇ、あの話知ってる?」

「聞いた聞いた。原因もまだ解ってないんでしょ?

 何があったのかしら……」

 

 クラスメイトの女子生徒が話す内容に耳を傾けながら、秀行は隣にいた女生徒に質問する。

「ありゃ、何の話だ?」

「知らないの?

 ネクラヒデって、やっぱり根暗だから周りの事には疎いのね」

 

 秀行は中学校でも周りの生徒から良い扱いを受けていなかった。

 秀行は相手を睨み付ける。

「そんな事はどうでもいい。何があったんだ」

「詳しい話は知らないけど、他のクラスの四条明穂って名前の生徒がビルの屋上から飛び降り自殺したんですって。

 遺書とかは全然見つかってなくて、御嬢様だったから相当噂になってるらしいわ」

 

 (自殺……!?

 四条明穂が、自殺しただと!?)

 秀行は明穂が自殺したと言う事実が素直には受け入れられなかった。

 彼女は誰よりも高いプライドを持ち、誇りは絶対に失わないと言う己の矜持を貫いている様に見えたからだ。

 そういった強靭な精神力を備えていた彼女が凌辱されたと言う理由で自殺するとは思えなかった。

 

「アンタ、随分驚いてるみたいだけど……

 何か知ってるの?」

「いや、ウチの学校の生徒が自殺したんだ。

 驚くのが当たり前だろ。何も知らねぇよ」

 秀行は心を落ち着かせようと何度も深呼吸を繰り返す。

 

 自分の中の何かがさらに壊れようとしていた。

 気を少しでも紛らわせようと秀行は何でもない行為を悪戯に行う。

 机の中にしまっていたノートを開き、パラパラとめくった。

 すると丁度ページの真ん中程に1枚の真っ白な紙が挟まっていた。

 

『目を覚ましてください』

 

 2つに折られたその紙には、綺麗な文字でその言葉だけが記されている。

 秀行はその文字を目にした瞬間、明穂が自殺した理由を理解した。

 (アイツは……俺を救い出す為に死んだんだ。

 死んで、俺の行為を止める様に諭したんだ。

 俺を救う為に命を投げ出した絹と同じ様に、ただ純粋な気持ちで……)

 

 明穂は、己を犯した相手を救う道を選択した。

 誇りやプライドを捨て、秀行の為にその命を使ったのだ。

 秀行の心に後悔と、自己嫌悪が生まれる。

 自分は何をしていたのかと自問自答を繰り返した。

 (俺は……俺を救おうとした人間を2人も殺してしまった……)

 

 机にしがみつきながら、周りの人間に見えない様に涙を流し聞こえない様に嗚咽を漏らす。

『目は覚めましたか?』

 不意に頭の中に響いた声に反応して顔を上げた秀行の眼前に、裸の明穂が立っていた。

 透き通った身体は水色の光を纏い、僅かに後ろの風景が透けて見える。

 

『私の犠牲を、無駄にしないでください。

 そして……強く生きてください。

 どんなに辛い事があったとしても、決して自殺しないと約束してくださいね』

 最早この幻影は、秀行の脳内で作り出されたものとは思えなかった。

 

「……解った。解ったよ。

 俺は……変わらなければいけないんだな」

『そうです』

 秀行に向かって微笑んだ明穂の姿が、ゆっくりと消えていく。

 やがてその姿が完全に消えた時、秀行の顔は大量の涙で濡れていた。

 

「アンタ、何ぶつぶつ言いながら泣いてるの?

 気持ち悪い」

 隣にいた女生徒が嫌悪感を露わにしながら秀行の事を汚物を見る様な目で睨む。

 今までの秀行ならば激昂して喚き散らしていただろうが、この時ばかりは違う行動を取った。

 

「気持ち悪くたっていい。

 男にだって泣きたい時位あるんだ」

 絶望と怒りに染まっていた目が、子供の頃の愛情を求めていた頃の目に戻る。

「へぇ、そんな顔する時もあるんだ。

 意外……子供っぽい表情とは無縁だと思ってたのに」

 

 人を睨み殺そうとする様な目しかしてこなかった秀行は、周囲の人間から避けられていた。

 女子生徒の殆どがそうだったが、隣にいた彼女は少しだけ秀行の印象が変わった様だった。

 

 秀行は、自分が行ってきた事を見つめ直した。

 それは、自分で自分の腸を抉る様な行為だった。

 思い出したくない記憶、おぞましい光景を思い出して吐きそうになった。

 この数年間、怒りと苦しみのせいで秀行の心は泥酔状態に陥っていたのだ。

 

 だが、彼は確かに『目を覚ます』事が出来た。

 そして、これから自分がしなければならない事も理解していた。

 (終わらせよう。全てを……

 俺がやってきた事は、アイツがやってきた事でもある)

 その日の放課後、秀行はすぐに菊池貴弘の自宅に向かった。

 

 過去の自分との決別を果たす為には、どうしても貴弘との縁を切らなければならなかったのだ。

 

「やぁ、どうしたの?

 なんか彼女が自殺したって言って大変な騒ぎになってるみたいだけど」

「死んだ女の事などどうでもいい……

 新しい獲物が必要になったんでな。

 面倒だからお前の改造スタンガンで気絶させて拉致してくる。貸してくれ」

 

 貴弘に悟られない様に、秀行は悪に染まったままの『横田秀行』を演じた。

「良いけど、ちゃんと返してよ?

 あれ元も高かったし、改造するのに結構お金がかかってるんだからね」

 貴弘は秀行の態度に何ら不審な点が見当たらないと判断し、普段通りに接する。

 遠藤和枝と大出みゆるに痛みを与える為にスタンガンを借りた事は1度や2度の事では無かった。

 

 当時は裸の状態で四つん這いになった和枝とみゆるに首輪と紐を付け、夜の公園で電撃を浴びせていたのだ。

「ついてきてよ、渡すから」

 貴弘は秀行を地下室に案内し、秀行も何時も通りその後についていく。

 地下室の扉を開けた後、貴弘は机の上に置かれているスタンガンを指差した。

 

「あれだよ。

 使い終わったらちゃんと返してよね」

「解ってるって。

 何時も返してるだろ。信用ねぇな」

 秀行はスタンガンを手に取ると、完全に油断している貴弘の背後に回り背中にスタンガンを押し当てた。

 

「ぐうッ!?」

 自分が攻撃されるとも思っていなかった貴弘は、呻き声をあげながら倒れ気絶する。

 秀行は気絶した貴弘を手術台の上に乗せると、手枷と足枷をはめ鍵をかけた。

 念の為に彼の衣服を探り、入口を開閉する為のカードキーを奪う。

 やがて貴弘は目を覚まし、自分が拘束されている事を悟った。

 

「お前と俺とで始めた事だ。

 終わりにするなら、俺が決着を付けるべきだからな」

「僕を消すつもりかい?

 それで、今までの事が全て無かった事になるとでも……?

 幼稚だねぇ。単純な赤ん坊の考えそのものだ。

 やっぱり、汚れた血が半分入っている人間は考える事が違う」

 

 貴弘は自分が拘束されていると言う不利な立場であるにも関わらず、強気な態度を崩さなかった。

 秀行を貶しながら、普段通りにへらへら笑っている。

 その姿は非常に不気味だった。

 

「汚れた血……絹も俺が爺に虐待されている理由が『血』だと言っていた。

 お前は何か知ってるのか?

 答えろ。お前は何を知ってるんだ」

「……半分だよ。

 君は中途半端な出来損ないさ。

 だから、最後までやり遂げる勇気が無い。

 そうやって途中で怖気づいて止まってしまう。

 薄汚い天武日本人の血が入っているからねぇ」

 

 細く吊り上がった目をさらに細め、貴弘は笑顔のまま秀行に対してそう言い放つ。

 秀行は和枝とみゆるに対して見せていた暗く冷たい表情のまま、スタンガンを貴弘の胸に押し当てた。

 

「薄汚い天武日本人の血、だと……?

 じゃあお前は何者なんだ」

「決まってるじゃないか、誇り高き信国人さ。

 鬼畜の権化である君達の先祖に虐げられながらも、復讐の機会を虎視眈々と狙っていた明の民の子孫だよ」

 

 パワーを最大に設定してスイッチを入れれば、相手を死に至らしめる程が出来る程強力な電撃を放つ改造スタンガン。

 それを胸に押し付けられている状態であるにも関わらず、貴弘はニヤニヤ笑っているままだった。

 

「お前が知っている事を、全部話せ」

「ああ、いいとも。

 この際だから君に全ての秘密を教えてあげよう。

 君の父親は僕の父さんと同じ組織、『紅虎明命』に所属していた。

 天武日本人のフリをして天武日本人である君の母親と結婚。

 君を産ませて隠れ蓑にしたんだ。

 その目的は天武日本人にしか入れない企業の内部データを盗み出す事。

 成功すれば天武日本自衛軍の防衛網を破る事が出来る。

 超重要な任務だったんだけど、君の父親はしくじってしまった。

 会社を解雇され、紅虎明命から見捨てられると言う憂き目に遭ったのさ」

 

 おかしくてたまらないと言う風に喋る貴弘。

 秀行は黙ったまま話を聞いていた。

 

「君の父親は紅虎明命から除名された事で絶望し、おかしくなってしまった。

 君の母親を殺し、天武日本人を何人か殺して自殺。

 最後に少しは僕達の役に立ってくれたよね。

 君が虐待されていた理由は明白だよ。

 君を引き取った人は、君が『純粋な天武日本人では無い』事に気付いていたんだ。

 だから君を苦しめた。

 勿論、娘を殺した憎い相手の息子だからと言う部分もあったんだろうけど」

 

 (そういう事だったのか……)

 秀行は心の何処かで、自分と周囲の者達の違いに気付いていた。

 母親が死ぬ前から、違和感を覚えていたのだ。

 何故か上手く馴染めない、人と仲良く出来ない。

 その理由が今まで解らなかった。

 

 だが、その理由をやっと理解する事が出来た。

 『血』が違えば、考え方や性格も当然人とは違ってくる。

 涙を流しながら、秀行は片方の拳を強く握り締めた。

 それは、秀行に与えられた残酷な運命だったのだ。

 

「僕の父さんは信国人で、母さんも信国人さ。

 君の父親と違って元から頭が良かったから、2人共天武日本人のフリをする事が出来た。

 偽造と嘘で固められた履歴書でも、天武日本総合病院の院長になれるんだから笑える話だよねぇ。

 間抜けな天武日本人のお偉方は、僕達の企みをまるで見抜けなかった。

 もうすぐ終わりの時がやってくると言うのに!」

 

 高笑いを続ける貴弘の態度に我慢が出来なくなった秀行は、相手の胸倉を掴み泣きながら叫んだ。

「終わりの時とはなんだ!」

 

「毒ガスだよ。

 僕の父さんが開発した高性能な毒ガス兵器が、数日後にばら撒かれる事になっている。

 吸ったら死ぬ様なちゃちな代物じゃない。

 皮膚にガスが触れた瞬間に全身がただれて即座に死ぬ程強力なものだ。

 首都東京を含めた全ての大都市でガスを撒く。

 天武日本国はそれでおしまいさ。

 信国の人の中には天武日本国にいる信国人を犠牲にするべきでは無いとか綺麗事を言ってるけど、そんなつまらない事を言ってたら敵を滅ぼす事なんか出来ないからねぇ」

 

 秀行は背筋が寒くなるのを感じた。

 貴弘は天武日本国を滅ぼそうとしているのだ。

 当然、毒ガスがばら撒かれれば咲も死ぬ事になる。

 自分が恋い焦がれている相手を絶対に失いたくないと秀行は思った。

 

「もっと面白い事を教えてあげようか。

 天武日本国を滅ぼしたら、次は信国の番だ。

 信国の中枢に同じガスをばら撒いて、政治家を皆殺しにして国を乗っ取る。

 父さんは前から『紅虎明命はやり方が手ぬるい』って言ってたけど、僕もそう思うね。

 だから父さんが信国の新しいリーダーになって、国を変えるのさ。

 もっと過激な方向へ!

 天武日本国の奴等を奴隷にして、合衆国を火の海にする。

 カダル連合王国との密約も進んでいるらしいからねぇ」

 

 貴弘は邪悪な本性を露わにすると、狂気の瞳を秀行の方へ向けたまま笑い続けた。

「ココで君が僕を殺したとしても、何も変わらないし何も止められない!

 せいぜいこの地下室に隠れて震えている事位しか出来ないだろうね。

 輝かしい信国と、僕の父さんの勝利だ!

 汚れた天武日本国は消毒され、新しい歴史が始まるのさ!ヒャハハハハハ……」

 

 故障しているラジオの様に高笑いを続ける貴弘。

 秀行は貴弘の胸にスタンガンの先端をもう一度押し当てると、最大電圧の状態でスイッチを入れた。

 飛び散る火花。

 その後に訪れた突然の静寂に秀行は驚きを隠せない。

 スタンガンから放たれた電流は貴弘の心臓の鼓動を即座に停止させ、悲鳴を上げる事すら許さなかったのだ。

 

 身体はまだ生きているかの様に痙攣を繰り返していたが、光を完全に失った瞳が相手の『死』を物語っていた。

「こんなにあっけないものなのか、人間ってのは」

 秀行の口から自然とそんな言葉が漏れた。

 幼い頃母親の命が理不尽に奪われ、虐待を繰り返した育ての親の命を自分が奪った。

 同時に様々な人を失ってきた。

 

 まるで宙を舞う虫が火に誘われて燃える様に、命とは儚いものである事を彼は噛み締めていた。

「……だが、まだ俺は生きている。

 俺がしなければならない事がまだ残っているハズだ」

 秀行は己の行ってきた罪を振り返り、自分が極悪人である事を理解していた。

 そしてその一方で、今自分が走れば救える命が数限りなくあると言う事実も理解していた。

 

 彼にとって、罪を償えるのかどうかと言う点に関してはどうでも良かった。

 愛する者の命を救いたかったのだ。

「まだ間に合うかもしれない。急ごう」

 己に言い聞かせる様にそう言うと、秀行はカードキーを使って地下室の扉を閉めると、玄関へ向かう。

 階段を駆け上がり、玄関の扉を開けて外へ出ようとした。

 

「菊池貴弘君だね?

 少し、君と話したい事があるんだが」

 だが扉を開けた瞬間、玄関から若い男2人が家の中に入ってくる。

 その手には警察手帳が握られていた。

 

「……菊池貴弘は俺が殺しました。

 俺の名前は横田秀行です。

 俺も警察の方に話したい事があります」

 秀行はそう言うと、憔悴しきった状態で無理やり乾いた笑みを浮かべる。

 疲れて動けない秀行の腕を握った男達は、すぐ側に置いていたパトカーへと秀行を連れていった。

 

 パトカーで警察署に移送された秀行は、事情聴取を受ける事も無く即座に拘置所に放り込まれた。

 秀行は必死な思いで刑事達に毒ガスの事を訴えたのだが、聞いているのかいないのか解らない様子だった。

 

 (クソッ。俺がまだ幼いから信用してもらえねぇのか。

 警察が信じているのは俺が菊池貴弘を殺したと言う事実のみ。

 このままじゃ天武日本全体が毒ガスに汚染される。

 奴は、こうなる事を予見していたのか……)

 

 秀行の脳裏に、高笑いを続ける貴弘の顔が浮かんだ。

 事実が把握される前にガスが撒かれれば全ては手遅れとなる。

 それが解っているからこそ訴え続けた秀行だったが、誰かと話す事も無く拘置所の中で1日が過ぎた。

 

「君が、横田秀行君だね?」

 翌日、拘置所の中に備え付けられているベッドに腰を下ろしていた秀行は突然の来訪者に対して顔を上げる。

 黒いスーツを着て赤紫色のネクタイを付けた髭面の男の隣には、眼鏡をかけた女性が立っていた。

「……アンタは誰なんだ」

「まさか、天武日本国の総理大臣の顔も解らないと言うのですか?貴方は」

 

 濃い灰色のスーツとスカートを着用し、淡い緑色のネクタイを付けている女性はそう言うと不機嫌そうな顔をする。

「いいじゃないか丹羽君。

 全ての人間が政治に詳しいと思ってはいけないよ。

 特に彼の様な『恵まれていない人生』を送ってきた人間ならば尚更だ」

 そう言うと男は女性が鞄の中から取り出した資料を受け取り、秀行の方を見た。

 

「私の名は織田信虎。

 天武日本国総理大臣を務めている。

 君が警察の者達に訴えていた『毒ガス』の件だが、それに関しては既に解決済みだ。

 菊池賢雄は我々の方で『処理』した。

 この国に毒ガスがばら撒かれる危険は去ったんだよ」

 

 秀行は拘置所の鉄格子を掴みながら、唖然とした表情で信虎の事を見つめる。

 信虎は渡された資料を読みながら、何度も視線を往復させた。

 

「横田秀行。

 二等臣民である信国人の父親と天武日本国民の母親の間に生まれる。

 父親は国籍を偽り、天武日本国民であるかの様に装いながらこの国でスパイ活動を行っていた。

 だが機密情報を盗み出す事に失敗し、君の母親を殺害。

 他に5人もの天武日本国民の尊い命を奪った」

 

 信虎は死んでしまった国民に哀悼の意を捧げるかの様に天を仰ぐ。

 丹羽律も俯きながら目を閉じた。

 

「君を育てた古橋幸吉は地元の資産家だったが、謎の死を遂げている。

 殺害したのは松永絹と言う女性だとされているが、はっきりした証拠も無く捜査は進まなかった。

 君の父親の事件もだ。

 途中で捜査は打ち切られた……

 表向きはそういう事になっているんだよ」

 

 信虎は律に資料を返す。

 律は鞄の中に資料を戻しながらその言葉の後を続けた。

「我々は紅虎明命と一時的な裏取引を行い、貴方の御父上が信国人であると言う事実を隠蔽したのです。

 古橋幸吉の死に関しても同様の処置が取られました。

 全ては天武日本国民の命を守る為に」

 

 秀行は何も言わずに、全ての真相を知りたいと言う一心で彼等の言葉に耳を傾けていた。

 

 紅虎明命によって送り込まれた2人の男、横田秀樹と菊池賢雄。

 彼等は当初こそ天武日本を裏から潰す存在として期待されていたが、次第に疎ましい存在へと変わっていった。

 横田秀樹は計画を遂行出来なかった為に組織から見放され、菊池賢雄は尊大な発言を繰り返し組織を軽視した為上層部の頭を悩ませたのだ。

 

「紅虎明命は菊池賢雄の野望に気付いていた。

 天武日本国のみならず、信国すら滅ぼして2つの国のトップに立つと言う彼の邪な野望に。

 その為ならば少々の同胞は犠牲にしても構わないと言う彼の思想は、紅虎明命の高邁な理想とはかけ離れていたのだ」

 紅虎明命のリーダーであった尹昌浩は、最早組織にとって不要な存在となり果てた菊池賢雄の処理を政府に押し付けようとした。

 

「紅虎(ホンフゥ)は、電話で私達と取引がしたいと申し出てきました。

 菊池賢雄の動きを探って逐一こちらに報告する代わりとして、横田秀樹の事件を闇に葬ってもらいたいと言う内容だったのです」

 織田政権はテロ組織と一時的に組んで裏取引を行う。

 毒ガスの事を教える見返りとして、横田秀樹が『信国人』である事実を伏せたのだ。

 

「菊池賢雄を我々の方で処理する事は認めるが、信国人であると言う事実を隠してほしいと彼等は申し出てきた。

 政府としても、起こりもしなかった『毒ガスによる天武日本人殺戮事件』が世に出る事は避けたい。

 何故ならば、その事実が国民に伝われば恐怖が恐怖を呼び国民全体がパニックを起こしかねなかったからだ」

 敵対する関係でありながら部分的に利害が一致した為、政府はテロ組織と結んで事態を収拾する事を優先した。

 秀行は政府の思惑に振り回され、その一連の動きが自分の人生までも狂わせてしまった事を実感していた。

 

 (真実が解っていたのなら、俺はあの爺の折檻を受け入れていたのだろうか……

 少なくとも俺の心の中で理解し、あの状況を納得する事は出来ただろう。

 ただやられていたかどうかは別だが。

 俺はずっと、人の思惑に付き合っていたんだな)

 秀行は自分ではどうする事も出来なかった悲運の人生を心の中で呪った。

 

 そして嘆いても、事態が進展しない事も理解していた。

 彼は心を入れ替えなければならないと思っていたのだ。

「丹羽君、あの紙を出してくれたまえ」

「はい、総理」

 拘置所の棒を両手で掴み、打ちひしがれる様に頭を下げていた秀行は信虎の声を半ば夢見心地の様な状態で聞いていた。

 

 律が鞄の中から取り出した紙を受け取ると、信虎は秀行の眼前にその紙を突き出す。

 

「私がココにやってきた理由はただ1つ。

 君とも取引を行う為だ。

 君は菊池貴弘が信国人であると言う事実を知っている。

 公の場でそれを話せば我々の隠蔽工作が全て水泡に帰してしまうからね。

 黙っていてもらいたいんだ。

 勿論、ただでとは言わない。丹羽君」

 

「貴方が天武日本人と信国人のハーフであると言う事実はまだ公には広まっていません。

 もしその事実が明るみに出れば、この国で生きる事が相当難しくなるのは明白です。

 二等臣民に認定されれば、生活の大部分が制限される事になりますから……そこで」

 丹羽律は鞄から別の書類を取り出し、秀行に見せた。

 

「我々は虚偽のDNA鑑定書を作成致しました。

 貴方が『純粋な天武日本人』である事を証明するものです。

 これがあれば貴方は『一等国民』として晴れて何の制約も無い自由な人生を送る事が出来るでしょう。

 ただ、菊池貴弘が『天武日本人』となる為刑期は伸びる事になりますが……

 長い目で見ればこちらの方が得になると思われます」

 

 秀行個人としては、もうどうでも良かった。

 ただ、毒ガスによって遠藤咲が死なずに済んだと言う安堵の思いしか無かった。

 

「……俺の得になると言うのならそれで良い。

 黙ってくれと言われれば黙りますよ」

「では、契約書にサインを。

 この鑑定書は警察の方々に必ず渡しますので」

 律が渡したペンと判子を使い、秀行は契約書に自分の名前を書いた後判を押した。

 

「君が物分かりの良い人間で助かったよ。

 これから君は政府の施設で数年間過ごす事になる。

 天武日本人として何をすべきか。

 社会にどう貢献すべきかと言う事を学ぶ為にね」

 契約書を鞄の中にしまい、去っていこうとする織田信虎と丹羽律の背中に向かって秀行は呼びかける。

 

「俺は、貴方達の嘘に翻弄された。

 他にもその嘘で不幸になった者達がいるかもしれない。

 それでも、嘘をつき続ける事が正義だと言うんですか?」

 信虎は立ち止まり、秀行に背中を向けた状態のまま言葉を発した。

 

「私は、常に国民の大多数を優先している。

 その嘘で国民が幸せになるのならば、少々の犠牲は致し方無い。

 嘘も方便と言うだろう。

 君だって嘘で絶望の人生を変えるチャンスが生まれたじゃないか。

 確かに嘘は正義では無いかもしれない。

 悪かもしれない。だが、必要悪なのだよ」

 

 彼等が部屋を出て行った後、秀行は床に両手をつくと涙を流した。

 声を殺した状態でただ泣き続けた。

 

 (俺の人生は一体何だったんだ。

 父親や政府の嘘に付き合わされ、全てを失ってしまった。

 嘘が憎いハズなのに、俺もまた嘘をつこうとしている。

 遠藤和枝と大出みゆるを犯した事実を隠そうとしているんだ。

 そうだ。俺も、他の奴等も自分が可愛いから嘘をつくんだ。

 全ては自分を守る為に……)

 

 秀行は自分の存在すらも嘘で塗り固める事を決意した。

 そうすれば、天武日本人でいられると思ったからだ。

 自分が恋い焦がれた遠藤咲と同じ立場でありたかった。

 今の秀行にとって、それだけが心の支えになっていた。

 

 それぞれの思惑があった。

 紅虎明命は毒ガス事件を天武日本側にリークする事で恩を売り、なおかつ油断させる事で本命の計画を隠し通そうとした。

 織田政権は本命の計画があるであろう事を既に見抜いており、彼等の提案に乗る事で国民を守ろうとした。

 そして秀行は自分が安穏とした生活を送りたいが為に全てを隠す事を決めた。

 

 国籍も、自分の行った犯罪も、遠藤咲への思いも全て嘘で塗り潰したのだ。

 彼は全てを受け入れようとしていた。

 

 (嘘を利用して、新しい人生を歩もう。

 リセットボタンを押して最初からやり直すんだ。

 勿論最初からやり直せるワケじゃ無い事は解っている。

 罪の意識は俺の中で残り続けるだろう。

 だからこそ、真面目な人間になって社会に貢献するんだ。

 別の形で罪を償うしか方法が無い)

 

 秀行は黙秘を貫き、結局菊池貴弘と言う『天武日本人1名』を殺害した罪に問われる。

 判決が下され、未成年と言う事もあり懲役刑こそ受けなかったものの政府の運営する施設に送られる事が決定した。

 

 天武日本未成年更生施設。

 別名、少年院と呼ばれている施設。

 この施設では外界の情報は殆ど遮断され、本も政府が用意しているものしか置かれていない。

 所謂『道徳』を養う為の本や、天武日本人としての知識をつける為の本ばかりが並ぶ。

 秀行は未成年とは言え人を殺害していた為、施設内での読書が義務付けられていた。

 

 更生官と呼ばれる施設の職員に毎日必ず感想文を提出する。

 そして毎週必ず机と椅子しか無い部屋で、更生官と対話する時間が設けられた。

「死刑判決を受けると言う事は、更生の見込みが全く無いと判断されていると言う事と同じだ」

 緑色の制服を着た男性……更生官は寝間着の様な服を着ている秀行に対して話しかける。

 

「死刑には、死をもって償うと言う概念がある。

 だが君は数年後にはこの施設から外に出れるのだ。

 この施設で人を救う術を学び、社会に貢献する事の素晴らしさを学び、慈愛の大切さを学んだ後にな」

 毎週毎週、同じ日に同じ事を繰り返し言われる。

 それは相手にとって苦痛であり、一種の洗脳効果も期待されていた。

 

「人はやり直せる。

 どんな罪を犯した者でも、償う道は平等に用意されているのだ。

 そして君には、社会に出て償うと言う道が用意された。

 我々は君がその道を踏み外してしまう事を良しとしない。

 だからこそ私は何度でも言うのだ。

 人は、1度罪を犯したとしても挽回する機会があると言う事を」

 

 熱を込めて力説する更生官の姿を、秀行は黙って見つめていた。

 彼に言われるまでも無く、秀行はやり直したいと思っていた。

 四条明穂が死をもって彼を諭そうとしたその瞬間から、秀行の意識は正しい方向へと向かっていたのだ。

 人を助ける事で自分が許されるのならば、出来るだけ多く助けたい。

 秀行はそう思っていた。

 

 【2009年 7月 大阪府法王寺区 北里ニュータウン】

 

 ある日の夕方、双葉沙織は姉に頼まれていた買い物を終え自宅へと向かっていた。

 (とうとう、ウチと姉やんの努力が実を結ぶ時が来たんやな)

 双葉姉妹として世に出てから、双葉沙織と双葉香織は長く苦しい道を歩んできた。

 決して平坦な道のりでは無かった。

 下積みを重ね、多くの苦難を甘んじて受け入れてきた。

 

 その苦労が今報われようとしている。

 沙織は姉が久しぶりに笑顔を見せた事を喜んでいた。

 

 (年末の東京公演。

 初めてのウチ等だけのライブ。

 これを成功させれば全国区デビューは間違いない。

 関西の人気者だけや無い。

 関東の人気も獲得して、誰もが知るゲーマーアイドルになれる。

 一歩一歩着実に歩いてきた。

 あかりはん達にも協力してもろうた。遂に大空へと羽ばたくんや)

 

 大阪で生まれた驚異的な熱狂は東京へも飛び火し、今や双葉姉妹の名前を知らない者は殆どいなかった。

 だが、まだ2人の『実力』は認められていない。

 東京公演さえ上手くこなせば、実力も認められると沙織は思っていた。

 

 (ZERO SECONDのアニメ版の声優、ZEROのイベントがあればそこでアイドル活動。

 アイドルを集めた舞台のオファーも舞い込んどる。

 大きな花火を上げて、皆に喜んでもらわんとな)

 嬉しさが爆発しそうだった。

 鼻歌を歌いたい気分だった。

 

 沙織が何よりも嬉しかったのは、姉が喜んでくれる事。

 そして自分達が社会に認められる事に他ならない。

 今では街を歩くにも変装しなければならなかった。

 ファンが押し寄せてサインをねだられる事態に陥ってしまうからだ。

「最高やな、ホンマに」

 

 沙織にとって、今この時が人生の絶頂だった。

 人には言えない秘密を持つ彼女達が、それをひた隠しにしながらもアイドルとして成功の階段を駆け上がっている。

 痛快な気分だった。

 冬が待ち遠しいと思っていた。

 2人で手を繋いで、高らかに歌う光景が脳裏に浮かぶ。

 

 (あはは……何か恥ずかしいわなぁ。

 今まで何百回とやってきた事やのに)

 そんな気分のまま歩いていた沙織であったが、道端に倒れている男性を見た途端顔色が変わった。

「アンタ、大丈夫なんか?」

 

 沙織はボロボロの服を着た男性を両手で抱える。

 沙織が軽いと感じる程に痩せ細った体格で、山男の様に髭が伸び放題になっていた。

「……死なせてくれ」

 男は沙織の耳元でそう呟く。

 全てを諦めた様な表情で、沙織に無理やり笑顔を見せた。

 

「俺はどうせ生きていても仕方の無い人間なんだ。

 ココで死ぬのが世の為だ。

 救急車も呼ばなくていい」

「アホか!生きる価値の無い人間なんかおるワケ無いやろ。

 ホラ、背中におぶさるんや。

 まずはそのやつれた身体を何とかせんと」

 

 沙織は身体が動かない男を無理やり背負うと、自宅へと向かう。

 身体を激しく動かす職業を続けていた為、沙織にとって痩せた男の重さ等気にもならなかった。

 

 沙織は自宅に戻った後、姉である香織が帰宅していない事を確認し安堵の溜息をついた。

「助かった……姉やん、男を家にあげる事を禁止しとるからなぁ。

 緊急事態やし、隠せば大丈夫やろ」

 男を背負ったまま、沙織は使っていない布団等が置かれている屋根裏部屋に辿り着くと布団を敷き男を寝かせた。

 

「姉やんは結構キツイ人やから、大人しゅうしてるんやで。

 帰ってくる前に粥でも作ったるわ」

 微笑む沙織の顔を見て、男は彼女の腕を握り涙を流す。

 

「どうして、見ず知らずの人間である俺を助けてくれるんだ……?」

「人を助ける事に理由なんか要らへんよ。

 目の前に困っとる人がいれば手を差し伸べる。

 お母んが教えてくれたんや。

 それが人として大切な事なんやでってな」

 

 顔の下半分が髭に覆われているとは言え、沙織から見て男は大分若い様に見えた。

「アンタ、何であんな所に倒れてたんや」

 

「……俺は中学生の頃、人を殺した。

 数年間少年院に入っていたんだ。

 罪こそ償ったが、結局人を殺したと言う事実は変えられない。

 娑婆に出てきたが、仕事をしようとしても全て断られた。

 だから、あそこで死んでおくべきだったんだ」

 

 沙織の質問に対して、男は掠れた声で言葉を発する。

 その目は宙を泳いでいる様に見えた。

 

「人殺しって言うても、罪は償ったんやろ?

 せやったら、そこまで卑屈にならんでもええやん。

 ウチは結構顔が広くてなぁ。

 コネを使ってアンタの仕事を探したるわ。

 ウチの名前は双葉沙織って言うんや。

 ゲーマーアイドルをしとってな……」

 

 沙織の名前を聞き、男は僅かにホッとした様な素振りを見せる。

 屋根裏部屋から下に降りていく沙織の後ろ姿を、男は寝たままの状態でじっと見つめていた。

 

 柔らかい粥に少しだけ塩をまぶしただけの質素な飯。

 だが男は長い間まともな食事をとっていなかった為、粥も御馳走だった。

「美味い……」

 久しぶりに米を食べた喜びだったのか、男は一言そう呟くと、涙を流しながら顔をほろこばせる。

 ゆっくりと、だが粥をこぼす事無くしっかりと口に運ぶ男の姿を見て沙織は男がそこまで重篤な状態では無い事を理解した。

 

「喜んでくれるとウチも作った甲斐があるわ。

 早く元気になるんやで。

 この家から出ても生きていける様に、道筋を付けんとな」

「何から何まで本当にすまない。

 地獄で仏とはまさにこの事だ」

 

 感謝してもしきれないと言った表情で男は頭を下げる。

 

「いややわぁ。そんな大袈裟な……

 ウチは当たり前の事をしただけやて。

 それより、アンタの名前を聞いとらんかったな。

 何て名前なんや?」

「横田……横田秀行だ」

 

 男がそう言った瞬間、沙織は少しの間だけ目を丸くしていたがやがて微笑むと男の目を見ながらぎゅっと手を握り締めた。

「横田?横田なんか?久しぶりやなぁ!

 小学校以来やん。そうか、横田やったんか!」

 その人懐っこい仕草と狐の様に細い目を、横田は記憶の片隅に追いやっていた。

 忘れようとしていたのだ。

 

 だが、その忘却していた記憶は現実として目の前に突き付けられていた。

「……咲か?」

「そうや、ウチの本名を知っとるんやもん。

 横田に間違いないわ。

 あれからずっと会ってなかったけど、また会えて嬉しいで、ホンマに」

 

 満面の笑みを見せる沙織の顔に、憎悪の表情を浮かべていた彼女の姉の顔が被さる。

 横田は自嘲気味に笑い、そして遠くを見る様な目をして呟いた。

「……運命だな」

「え、何か言ったん?横田」

 沙織が聞き返そうとした瞬間、インターホンの音が響く。

 

 沙織は慌てて梯子を掴むと、顔だけ部屋の中に出して横田に告げた。

「とにかくじっとしとるんやで。

 絶対に大きな音を立てたらアカン。

 姉やんは男の人が家の中にいるのを極端に嫌っとるんや。

 ウチが隠し通すから、それには協力してもらうで」

 

 扉が閉まった後、横田は粥を食べた後の茶碗と盆に視線を注いでいた。

 

 何食わぬ顔で沙織は玄関に向かい、扉を開けて香織を迎え入れる。

「姉やん、おかえり!

 買い物袋は台所の横に置いてあるで。

 今丁度風呂を沸かそうと思っとった所なんや」

 変化を悟られぬ様に饒舌になる沙織に対して、香織は彼女を睨み付けた。

 

「咲……何かウチに隠し事をしとるやろ」

「え!?な、何も隠す事なんてあらへんやんか」

 詰め寄られ、しどろもどろになる沙織の腕を掴むと、香織は歯を食いしばる。

 

「ウチはな、妹の癖に関してはよう知っとるんや。

 ずっと一緒に暮らしてきたんやからな。

 嘘をついとる時、必ず咲は早口になって目を合わせようとすると視線を逸らす。

 ウチとの間に隠し事は無しや。

 ちゃんと話してもらおか。何があったんや」

 

 胸ぐらを掴みそうな程に怒りを露わにする香織に対して、沙織は怯える事しか出来なかった。

「姉やん。

 もうすぐウチらも全国デビューやし、色々あって話せない事も出てくるんと違うんか?

 そもそも、姉やんかてウチに話せへん事位あるやろ。

 あるんやったらお互い様やん」

 

「それは……」

 香織は言葉を詰まらせた。

 今まで彼女は妹に対してどれだけ嘘をついてきたか解らない。

 全ては妹を邪悪な欲望を持つ男から守る為だった。

 そして、自分がされてきた事を妹に話す勇気が無かった。

 

「とにかく、一旦風呂にでも入って落ち着こうや姉やん。

 この所多忙で疲れとるやろ?

 年末に向けて営業もこなす必要があるんやし、もうひと踏ん張りやで」

 沙織はこの場を何とか誤魔化す事で横田の存在を隠そうとしていた。

 

 香織が沙織を問い詰める事を諦めかけたその時、屋根裏部屋から物音が聞こえてきた。

「なんや、あの音は」

 何かと何かがぶつかった様な音を聞いた香織は、2階へと上がっていく。

 (ああもう。横田……

 音を立てるなってあれだけ言うたのに)

 

 最早隠しきれないと思った沙織は、何も言わずに黙って香織の後を追った。

「誰かいるんか?」

 香織は設置されている梯子を登り、閉まっている扉を上に開けて中の様子を見る。

 そこには布団を被り、目をつぶっている髭面の男の姿があった。

 

「咲、誰なんやこいつは」

「横田や。横田秀行。

 行き倒れになっとった所を連れてきて、看病しとったんよ」

 その名前を聞いた瞬間、香織は唖然とした表情をしていたがやがて自嘲気味な笑みを浮かべる。

「……しゃあないわな」

 

 香織が為さねばならない事は、今まで必死になって築き上げてきたものを全て失う覚悟が無ければ出来ない事だった。

 だが香織が大出みゆると交わした『約束』は彼女にとって絶対的な拘束力を持っていたのだ。

 約束を破ると言う選択肢は香織の中に無かった。

 破る位なら死ぬと自らに言い聞かせていた。

 

「ウチが男嫌いなの、咲も知っとるやろ?

 元気になったらすぐに叩き出すんやで。

 例えどんな事情があったとしてもや。ええな」

 きつい口調で釘を刺すと、沙織は哀しそうな顔を浮かべたまま頷いた。

 

 その日の夜中、日付が変わるか変わらないかと言う頃に香織は屋根裏部屋へと向かう。

 彼女の手には大きな出刃包丁が握られていた。

 

 (最近寝付けんから、睡眠薬を買ってたんやが……

 上手く眠ってくれたわ。

 咲は何も知らん。

 血相を変えて部屋に飛び込まれてきても困るからなぁ)

 

 液状の睡眠薬を咲の飲んでいたジュースに混ぜ、妹が深い眠りに落ちている事を確認する。

 万が一相手が襲い掛かってきた際に対処出来る様、香織は厚手の服を身に着けていた。

 

 (咲は偶然遭遇したとか言うとったが、その可能性は無いわ。

 何かを企んどるのは間違いあらへん。

 金欲しさの脅迫か、咲に手を出そうとしとるのか……

 どちらにせよ、奴が動き出す前に全てを終わらせたる)

 

 相手が刃物を持っているかもしれないと思った香織は、腹部に幾重にも包帯を巻いていた。

 だが、強盗の襲撃等を今まで想定した事が無かった彼女にとって、準備出来る事はそれ位しか無い。

 (ただ、あの痩せ細った身体までもが嘘とは考えにくい……

 相手を舐めるのは危険やけど、過度に怯える必要も無いわ)

 様々な思いが、香織の脳裏をよぎっていた。

 

 血を吐く様な努力があった。

 人と違う身体を持つ自分と妹を世間に認めさせたい。

 身体の秘密を隠しながらアイドルとして頂上付近まで登り詰めた。

 そして頂上に着けば、今までとは違う景色を見る事が出来るのではないか。

 香織は心からそう思っていた。

 

 しかし、その全てを放棄してでもやらなければならない障害が突然目の前に現れたのだ。

 香織も、ゲーマーアイドルになると言う夢だけを見ていたワケでは無かった。

 中学生の時に横田秀行が逮捕された事を知ったが、少年院から出てきた後の足取りがどうしても掴めなかったのだ。

 警察は秘密主義を貫き、彼が出所する日取りを一般人には教えなかった。

 何度かその場所に足を運んでいた香織であったが、3回目に少年院を訪れた時秀行は既にそこを出た後だった。

 

 そして完全に彼の行方を見失った。

 何処で何をしているのか全く解らず、諦めかけていたのだ。

 少しだけ言い訳したい気持ちもあった。

 この夢を掴む為に一度秀行の事は忘れようと己に言い聞かせていた。

 

 だが、運命の悪戯かそれとも相手が自分の意思でココへ来たのかは解らないが秀行は今香織の家にいる。

 そこまで条件が揃ってしまっては、約束を反故にする事は香織にはどうしても出来なかった。

 

 屋根裏部屋の扉を開け、頭を出すと横田秀行が上半身を起こした状態で佇んでいた。

 両手で掛布団の端を掴み、僅かに俯いたまま唇の端を歪ませている。

「……その恰好は、咲じゃ無さそうだな」

「解っとるんなら話が早いわ。

 アンタには死んでもらう。絶対に逃がさへんで」

 

 万が一に備え香織は隙を見せぬ様秀行の動きを見ながら部屋の中に入り、包丁をしっかりと握り締めた。

 

「信じてもらえないかもしれないが、この家に来たのは偶然だ。

 咲はお前と違って優しいから、倒れていた俺を見つけて家に連れて行き看病してくれた。

 お前が帰ってくる事を知ったから、ワザと大きな音を出したんだ。

 自殺するより、お前に殺された方が『終わり方』としては最高だと思ったんだよ。

 お前もそう思わないか」

 

「最後の最後までウチを苦しめるのが本当に上手い奴や。

 まぁ……こうなってしもうたからには遠慮はせんけどな。

 全部終わりにしよか」

 香織は秀行を睨み付けたまま、両手で包丁を握ったままの状態で少しずつ間合いを詰めていく。

 秀行は抵抗を試みるつもりも無い事を示す為に、ゆっくりと両手を上げた。

 

「親父に殺された御袋も、こんな気持ちだったのかねぇ。

 殺されるけれど、仕方が無いと思っていたのか……

 虐待されて、菊池を殺して、社会から拒絶されて終着地点に辿り着いた。

 思い残す事は何1つ無い」

 

 両手を上げる秀行の姿は、昔の悪意に満ちていたものとはかけ離れていた。

 まるで魂の抜け殻の様になり、人生に疲れている弱々しい人物にしか見えない。

 

「虐待って何の事や」

 香織は秀行の過去を調べてはいたが、秀行が幸吉に虐待されていた事までは知らなかった。

 小学生の頃秀行の母親が父親に殺害されていた事を知らず、香織はそれが判明した時に少しだけ胸が痛くなった事を記憶している。

 

「育ての親に鞭で打たれてたんだ。

 お前や大出をレイプしていた頃も虐待は続いていた。

 お前が俺に気持ち悪いと言ったり、咲を俺から遠ざけたりした事で俺は壊れてしまったんだよ。

 俺は咲の事が好きだった。

 密かに長い間恋い焦がれていた。今だってそうだ。

 あんなに優しい女はいないと思っている。

 素直で献身的で……お前とは大違いだな」

 

 香織は秀行の言葉が癇に障り、声を荒げた。

「ふざけんなや!咲に惚れてたやと?

 お前が咲に近付こうとしたら刺してでも止めとったわ!

 ウチはお前の事が怖かった。

 お前が腐った魚みたいな目でこっちを見てくるのが怖かったんや!

 ウチは普通の身体やない。

 常にふたなりである事が露見するのを恐れとった。

 その気持ちも解らんと……」

 

 涙を流しながら怒りを露わにする香織を見ながら、秀行は溜息をついた。

 

「じゃあお前は、俺の気持ちを理解しようとしたのか?

 そういう目をする様になってしまった俺の心を見ようとしたのは咲だけだった。

 あの時クラスの連中の中で、俺を慰めてくれたのはお前の妹しかいなかったんだぞ」

 秀行の頬にも涙が伝う。

 あの時話せなかった互いの思いを2人は吐き出し合っていた。

 

「覚えているか?

 俺が涙を流しながら咲と話をしていた時、お前は血相を変えて咲を俺から引き離した。

 まさにあの瞬間、俺は救いを求めていたんだ。

 お前によってその救いを断ち切られた。

 お前にそんな権利があったのか!?

 俺はあの時やましい気持ち等全く持っていなかったと言うのに!

 俺はお前が心底憎い。

 お前のせいで菊池とつるむ事になり人生が狂ってしまった。

 お前さえいなければ!」

 

 感情を爆発させ、思いのたけを全て香織にぶつける秀行。

 そして香織は目の前にいる相手が自分を激しく憎み、自分もまた相手を激しく憎んでいると言う事実を知った。

 (ウチがこいつに犯され、こいつはウチに対して思う所があったんか……

 どちらが悪いとかそういう話は面倒くさいわ。

 もう、ウチも横田も終わるんやから)

 

 悪いと断じる事が出来るものは何も無い様な気がしていた。

 香織も秀行も運命に翻弄され、絶望を味わった。

 そして運命によって再び出会い、香織は秀行を殺そうとしている。

 

「楽になればええ。

 お前も、ウチも……ただ、咲だけには幸せになってほしいんや」

「それについては俺も同感だ。

 咲が不幸になる事だけは避けたい。

 だからこそお前が俺を殺そうとしているんだ。

 そうすれば、お前の妹は助かる」

 

「咲もウチと同じ様に多くのものを失う事になるやろ。

 それでも生きていく事は出来るハズや。

 きっとみぃやんが咲の事を救ってくれるわ。

 一緒に苦難を乗り越えた仲やからな。

 ウチはその絆を信じとる……」

 

 香織は秀行の眼前に立つと、包丁を両手で持ったまま振り上げた。

「言い残す事があるんやったら、最後に聞いたろうやないか」

「……俺はお前の事が大嫌いだ。

 お前も俺の事が嫌いだろうがな。

 もしかしたら、俺はお前に殺される為にお前を犯していたのかもしれない。

 そう考えると、我ながら面白い人生だったのかもしれないな。ハハハ……」

 

 秀行は嬉しくも無さそうな顔で笑ってみせた。

 彼の人生において、心から笑う事が出来たのはそう何度も無い。

 秀行が視線を横に移すと、香織の背後に四条明穂の姿が見えた。

 その顔は『ざまあみろ』と言う様な勝ち誇った顔では無く、寂しそうに唇を結んでいるものだった。

「ああ。ウチも大っ嫌いや」

 

 躊躇う事無く、激情に支配された腕が振り下ろされる。

 包丁は秀行の腹に刺さり、僅かに呻く声が聞こえた。

「本当にすまなかった。許してくれ」

 互いの頬に涙が伝う。

 秀行の謝罪の言葉は、香織だけに向けて発せられたものでは無かった。

 

 彼に関わり、不幸になった多くの者達に対しての言葉。

 そして、愛していたにも関わらずこれから不幸になるであろう咲の事を想って出た言葉でもあった。

 

「ああああああ!!!」

 香織は怒りに任せ、何度も包丁を振り上げては秀行の腹に刺す。

 恨みの詰まった一撃が何回も繰り返された。

 胸、腹、腕……あらゆる箇所を滅多刺しにしていく。

 やがて我に返った時、香織の足元には既に動かぬ屍となった横田秀行の姿があった。

 

 血が飛び散り、地獄絵図と化した屋根裏部屋の中で香織は暫くの間動けなかった。

 様々な思いが交錯していた。

 過去の記憶が幻想の様に現れては消えていく。

 初めて自分が人と違う身体をしているのだと言う事を知り、震えが止まらなかった記憶。

 過度に怯え、人と上手く触れ合う事が出来なくなった。

 

 やがて他人を拒絶する様になった。

 横田秀行の存在に恐怖を感じ、自分の近くから追い払おうとした。

 だが全て逆効果に終わった。

 痛みと絶望の中で、反骨心が育まれていった。

 社会を見返してやりたいと言う思いが強くなった。

 

 だが再び自分の前に現れた横田秀行によって全てが無に帰したのだ。

 (もしも、ウチがふたなりとして生まれんかったら、運命は変わってたんやろうか……

 気持ちに余裕が生まれて、怯えたり人を遠ざけたくなる事も無かったんやな)

 香織はずっと思っていた。

 人と同じ身体に生まれたかったのだと。

 

 自分がまともな身体で生まれてくれば不幸な目に遭う事は無かったのでは無いかと。

「……でもこれで、みぃやんとの約束は果たせた。

 ウチは満足や」

 香織は己にそう言い聞かせた。

 そう思い込まなければ頭がおかしくなってしまいそうだった。

 

 努力を重ねて積み上げてきたものが一瞬で崩れ去ったのだ。

 勿論、妹もこの混乱に巻き込まれる。

 被害を最小限に食い止める為には、己が自害するしか方法が無かった。

 (咲、堪忍な……

 これしか無かったんや。これしか……)

 

 虚ろな瞳をしたまま涙を流し、香織は妹に懺悔した。

 逃げる道を選ぶ自分に嫌気が差したが、死ななければ妹が受ける苦痛はさらに多くなる。

 返り血を浴び血だらけになった身体を引き摺りながら、香織は風呂場へと向かった。

 

 血塗れの衣服を脱ぎ裸になった香織は、壁に両手をついた状態でシャワーを浴びる。

 肌に付着した血液が流れ落ち消えても、人を殺したと言う事実は覆らない。

「それにしても、こんな形で人生の幕を引く事になるとは思わんかったわ」

 様々な苦しみに耐えてきた彼女であったが、流石に耐え切れない程の苦痛を感じて身体も心も疲れ切っていた。

 秀行を刺し殺す際に用いた包丁が、石鹸やシャンプーを置く為の台に置かれている。

 

「何の為の人生だったのか、最後までウチにも解らんかったなぁ……

 きっとそれはウチも横田も、みぃやんも思っとる事かもしれへん」

 例え空虚な人生だったのだとしても、妹だけは幸せになってほしい。

 辛酸を舐めた自分達と同じ道は歩んでほしくない。

 香織はその事だけを願っていた。

 

「自分を苦しめてきたモンと、おさらばしよか」

 シャワーのお湯を出した状態のまま、その前に立った香織は、片手でクリトリスを刺激する。

 命を絶とうと思っている状況にも関わらず、クリトリスは何時もの様に肥大化していった。

「はは、こんな時でもチンポは正直やな……勃ったわ」

 硬さと熱さを持つクリトリスを扱くとクリトリスは完全に勃起し、男性器と同じ形状へと変化した。

 

 痛みすら感じる程に滾っている股間の肉棒に、香織はゆっくりと包丁を近付ける。

「もっと早くこうする事が出来れば、ウチは……」

 左手で肉棒の先端に触れ、握って狙いを定めると、右手に持った包丁を勢い良く振り下ろした。

 

 それは、根元から綺麗に切り落とされた。

 肉棒が風呂場の床に落ち、それと同時に凄まじい量の血が股間から噴き出す。

 

「咲……みぃやん……」

 包丁を床に落とした後、立つ事が出来ず香織はゆっくりと床に倒れ伏した。

 夥しい量の血も洗い流されていく。

 香織は急速に意識が遠くなっていくのを感じた。

「……幸せ、に……」

 

 うつ伏せに倒れ込んだ状態で流した涙も血と同じ様に流れていった。

 目を閉じ、やがて完全に動かなくなる香織。

 彼女は、ずっと幸せを探していた。

 人並みの幸せを手に入れたかった。

 

 だが最後までその幸せを手に入れる事は出来なかった。

 それ故に、彼女は死の間際まで幸せを求めた。

 和枝が望んだのは、愛する者の幸福。

 自分が幸せを手に入れられなかったからこそ、せめて妹や友には幸せになってほしいと思ったのだ。

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