横田の悲哀から発生した暴走も描きたかったものの1つですが、
和枝とみゆるの歪な愛情もこの話の見所です。
同じ状況に置かれ同じ苦しみを共有しながらも、
みゆるは和枝に対して多少思う所があり、和枝もそれを承知している。
だから、彼女は横田を殺すしか選択肢が無かった。
負い目を解消して『同じ立場』になる為に。
彼女の決意はそういう所にもあったのでしょう。
沙織が目覚めたのは、翌日の午前10時頃だった。
「何や……頭がズキズキする」
後頭部の痛みで目を覚ました沙織は、頭の後ろに手を当てながら身を起こした。
「もうこんな時間になっとるんか。
何時もやったら姉やんが起こしに来るんやけどなぁ」
香織は朝早く起きる事は無いが、それでもこの時間まで沙織を寝かせておきはしない。
沙織は訝しがりながらも、眠い目を擦りながらベッドから離れ自室のドアを開けた。
「姉やん?」
静まり返った廊下の奥で、シャワーの音だけが響いてくる。
この時間に香織がシャワーを浴びる事はまず無い。
沙織は不安に思いながらも音のする方へと向かった。
「姉やん、入っとるんか?」
洗面台のある脱衣所に足を踏み入れた瞬間、沙織は驚愕のあまりその場で凍り付いた。
それは血だった。
無造作に床に置かれていた衣服に血が付着している。
その量も常軌を逸していた。
暫く目を見開いたまま固まっていた沙織であったが、やがて言葉にもならぬ声をあげるとその場にへたり込む。
「な、何で……」
風呂場からシャワーの音だけが聞こえる状況の中、沙織は半ば這う様な格好でドアノブに手を掛け風呂場のドアを開けた。
「ヒ、ヒィィィッ!?」
湯気の中に、目を閉じたまま口をだらしなく開けて倒れている香織の姿があった。
その見た目からは生気が全く感じられない。
床には勃起した状態で根元から切り落とされたクリトリスが転がっていた。
「な、なッ……」
恐怖で身動きが全く取れず、放心状態になっていた沙織は、やがて弾かれた様に立ち上がると居間へと向かう。
机の上に置いていた自身の携帯を手に取ると、彼女は救急車と警察に連絡を入れた。
「しかし、酷かったな……あれは」
「ええ、包丁で滅多刺しにされていましたからね。
被害者に対して相当な恨みがあったんでしょう。
一撃一撃の傷の深さからもそれが感じられます」
殺害現場となった双葉姉妹の家に刑事達が到着する。
双葉沙織はこの現場に居させたままでは不味いと言う理由と、事情聴取を受ける為に警察署へ移送された。
「犯人である双葉香織はその後、風呂場で自殺したと考えられます。
双葉沙織が犯人である可能性は低いでしょう。
もし彼女が犯人だった場合、返り血を全く浴びていないのは不自然です」
「一卵性双生児の双子だからな。
一応嘘発見器にはかけるつもりだ。
彼女が着ていたパジャマから血痕が一切出てこなければ無罪を裏付ける証拠にもなる。
双葉香織の遺体に被害者の血痕が付いていれば殆ど決まりだ。
洗い流しても完全に落ちるものでは無いからな」
鑑識は二手に分かれ、屋根裏部屋と風呂場を調査する。
やがて香織の身体から本人以外の血液反応が出た事が解り、刑事達は犯人を香織であると断定した。
「被害者の身元は解ったのか」
「双葉沙織……
本名、遠藤咲の証言によりますと、被害者の名前は『横田秀行』と言うそうです」
「横田秀行……」
中年の刑事はその名前に聞き覚えがある様な気がした。
やがて、数年前に起こった殺人事件の事を彼は思い出す。
「そういえば、横田秀行と言う名の少年がクラスメイトを殺害した事件があったな。
数年間更生施設に入っていた様だが……
それも今回の事件の動機に関わってくるのかもしれん」
「横田秀行と加害者である遠藤和枝の接点は、小学生の時に同級生だった事のみだそうで……
遠藤咲も何故姉がこの様な殺人事件を起こしたのか思い当たる節が何も無く、困惑している様です」
横田秀樹。
刑事の頭の中に浮かんだもう1つの事件。
警察の上層部によって公に隠蔽された事件で、今でも警察内でその名前を出すのはタブーとされている。
「横田秀行は恐らく横田秀樹の息子だろう」
「えッ!?それは不味いですよ。
この事件も闇に葬られる可能性が高いって事じゃないですか」
「ああ。大方殺人事件の『表』……
動機等の事実は公表されるだろうが、『裏』の人間関係については待ったがかかるだろう。
天武日本はそういう国家なのだから致し方ない。
我々は制限された中で出来る事をやるだけだ」
横田秀行のDNA鑑定の結果に対して戒厳令が敷かれ、『関係者全員がその事実を外に漏らしてはならない』と言う命令が下された。
その後『横田秀行は純粋な天武日本人である』とする偽りの真実以外の『動機の追求』に関しては許可が下り、刑事達はそれだけは明らかにしようと躍起になる。
やがて双葉香織が横田秀行を刺し殺し自殺したと言う一報が全国のニュース番組で流れ、大きな波紋を呼んだ。
『次のニュースです。
大阪府法王寺区の北里ニュータウン内で起きた殺人事件は、大阪府のみならず天武日本全土で人気を集めていた現役ゲーマーアイドルが犯人であった事から波紋を広げています。
殺害されたのは、21歳無職の横田秀行と言う男性。
事件の最有力容疑者であった女性の双葉香織、本名遠藤和枝は風呂場で死亡している所を妹の双葉沙織、本名遠藤咲さんに発見されました。
事件が起こったのは一昨日の深夜1~2時頃で、被害者は犯人が持っていた包丁で十数か所を刺され死亡。
その後犯人は風呂場で自殺したとされています。
今後警察は今回の事件の犯行動機を探ると共に――』
遠藤咲はテレビを消し、閉め切ったカーテンの向こうに集まっているであろう報道陣の事を思い身震いした。
インターホンを取る事は出来なかった。
自宅の場所を嗅ぎ付けて集まってきたハイエナ達が咲から事情を訊く為に群がっていたのだ。
「何で、こないな事に……」
咲は幸福の絶頂から突如絶望の底へと叩き落とされた気分だった。
双葉沙織として全国に名を売るハズだった自分が、殺人者の妹としてまるで犯罪者の様に扱われている。
しかも姉が横田秀行を殺した動機が咲にとっても不明と言う状態だった為、彼女はどうしていいのか解らなかった。
昼も夜も外出が許される状況では無かった。
丁度買い物を済ませていた為すぐに冷蔵庫の中身が空になる事は無いが、自宅に篭城した所で1週間が限界だと思われた。
そうなれば嬉々として傷を抉ってくる報道陣の罠に向かって足を踏み入れなければならない。
「嫌や、そんなん!
ウチが見世物にされるのだけは絶対に嫌や!!」
その光景を思うと恐怖で吐き気がした。
警察はまだ咲と和枝が両性具有であった事を発表してはいないが、まるで圧迫面接の様に囲まれれば白状してしまうかもしれない。
自分が人を殺したワケでも無いのに、晒し者にされる事には強い抵抗があった。
だが、今の所その状況を打破するアイディアがあるとも言えない。
咲は精神的に追い詰められていた。
一方警察の方も動機の解明に関しては手詰まりと言った状況にあった。
「遠藤咲の事情聴取において嘘発見器を使用しましたが、全ての質問に対して何の反応もありませんでした。
彼女は人を殺してもいないし、何も知らないと言った所です。
彼女から聞く事はもう何も無いと言って良いですね」
「そうか……こっちは遠藤和枝の元同級生達に色々聞いてみたんだが、何も話したくないの一点張りだった。
事件に関与しているワケでも無いのでそれ以上追及出来ない。
ただ、横田秀行と遠藤和枝の仲はやはり相当悪かった様だ。
当時の担当教諭がそう証言してくれた」
「上からの通達で、『横田秀樹、菊池賢雄、横田秀行、菊池貴弘の四名のDNA鑑定の結果は秘中の秘とせよ』と言われている。
警察としての威信にかけて、今回の事件の動機だけは明らかにしなければならん」
捜査本部は殺害事件そのものに関しての捜査は片付いたとして、動機の解明に全力を尽くしていた。
警察は当時の事を知っているであろう者達に聞き込みを行ったが、全て空振りに終わっていたのだ。
刑事達は焦りを感じていた。
『何も解らなかった』では国民の不信を招き、政府からも睨まれかねない。
「全てを詳らかにする必要は無いが、何も解りませんでしたでは国民は納得しない。
とにかく、捜査員の力を合わせてこの事件の動機を探るんだ。
失敗は許されんぞ」
諦めと苛立ちの雰囲気が漂い始めた中、1人の女性が警察署に足を踏み入れた。
その女性は『任意の事情聴取』と言う名目で部屋の中に通され、刑事と対面した。
「ニュースを見てココへやってきました。
私は今回の事件の発端を全て知っています」
犯人と同じ小学校に通っていた同級生。
動機の解明において、彼女が鍵を握る存在である事は明白だった。
「それは有難い。
我々も、この事件の動機に関してどうしても知らなければならないと思っていたのです。
解決すれば我々の顔も立つ。
不安を抱えている国民としても、貴方の証言が救いとなる事でしょう」
刑事は彼女の証言によって全てが解決するだろうと考え、安堵の溜息をついた。
「ただし」
女性は早速話を聞こうとする刑事の言葉を遮った後、こう続ける。
「私がこれから行う証言は、私にとって著しく不利益を被るものです。
特に私と遠藤咲の今後の人生にとって大きな損失となる事は確実でしょう。
貴方達が証言の全てをマスコミに伝え、それが報道されるのであれば尚更です」
彼女は警察に対しても一歩も引かないと言う態度を貫いていた。
「私は取引がしたいのです。
私が証言を行うその見返りとして、遠藤咲の身の安全を保障してもらいたい。
警察の方々に協力してもらって、咲を安全な場所へ避難させてやりたいのです」
「それはつまり、遠藤咲を別の所に移送する手助けをしろと言う事ですか?
行き先を報道関係者に告げず、貴方が指示する場所に彼女の身柄を移せと」
「そうです。
彼女は犯罪者でも無いのにマスコミに狙われています。
このままでは咲にとっても私にとっても良い結果にはなりません。
咲と和枝が両性具有者である事実を隠してもらっている事は感謝していますが、あと一度だけ助けて頂きたいのです」
頭を下げ、必死に懇願する彼女に対して、刑事達2人は困惑の表情を浮かべた。
「どうします?
我々に決定権はありませんよ」
「上に相談するしか無いが、恐らく許可が下りるだろう。
彼女には全部喋ってもらわなければならないんだ。
遠藤咲が犯罪者で無い以上、移送を手助けする事に対して目くじらを立てる様な事にはならんだろう。
それに我々が遠藤咲から聞きたい事はもう無い。
つまり、彼女を警察の監視下に置いておく必要も無いと言う事だ」
年上の刑事が携帯で電話をかける。
彼女は要望が満たされない限り何も喋らないとでも言う様に、口を真一文字に結んでいた。
それから数日後、遠藤咲は自宅から一歩も外に出れない状況の中救いを求めていた。
(このまま何時までも耐えられる程食料は残ってへん。
あと2日か3日が限度っちゅう所や。
それでも事態が好転しない場合、外に出ていくしか……)
カーテンを少しだけめくり外を見ると、まだ報道陣が大挙して押しかけている光景が見えた。
ニュースリポーター、カメラマン、その他大勢の報道関係者が彼女の自宅の周辺を囲んでいる。
ゲーマーアイドルとしての人気が高かった分、事件が起これば報道がそれだけ加熱するであろう事は解っていた。
自分に何の非も無いのにこうして追い詰められている事が許せない。
かと言って、咲はこの圧力に耐えられるだけの精神力を持っているワケでも無かった。
「もう、どうすればええんや……」
何も出来ない自分が情けなかった。
頭を抱え、涙を流す事しか出来ない。
その場にしゃがみ込み、嗚咽を漏らす咲の耳にインターホンの音が鳴り響いた。
咲はゆっくりと立ち上がり、虚ろな瞳でインターホンを鳴らした相手を確認した。
カメラがインターホンに内蔵されており、液晶画面で相手の姿を視認する事が出来る。
報道関係者なら無視する所だったが、扉の前に立っていたのは警察関係者だった。
「遠藤咲さん、貴方に再度事情を伺わなければならなくなりました。
出てきて頂けますか」
刑事の声に逆らう事は出来ないと咲は思った。
逆らえば事態がもっと悪くなるのは解り切っている。
扉を開け、刑事2人に誘導されながら外に出た咲は、報道陣のフラッシュの洗礼を浴びた。
「遠藤さん、一言お願いします!」
「お姉さんから何か聞いている事はありませんか?」
「被害者との関係は良好では無かったと言う話がありますが、それについて……」
容赦の無い質問攻め。
言葉の暴力に対して咲は耳を塞ぎ、刑事達が彼女を庇う様にパトカーに乗せる。
なおも追いかけようとする報道陣を振り切って、パトカーはその場から発車した。
報道陣から一旦逃れる事が出来た安堵感こそあったが、咲の表情はまだ暗いままだった。
「大丈夫よ、咲。
私が助けてあげるから」
俯いていた咲はその声を聞いて思わず顔を上げる。
パトカーの助手席に座っていたのは、かつての親友である大出みゆるだった。
「み、みぃやん!?」
「貴重品の回収は進んでるのかしら」
「金庫に入っているものはありませんでした。
我々が全て責任を持って預かり、そちらに届ける手筈が整っています」
無線連絡で報告を受けた刑事がそう言うと、みゆるはほっとした様な表情を見せる。
「こ、これはどういう事なんや?」
「貴方を助ける為の措置よ。
咲には悪かったけど、マスコミの連中を欺くにはゲリラ的に行うしか方法が無かったの。
今、家宅捜査の名目で刑事さん達が最低限必要な貴重品を回収してるから、後で確認してね」
遠藤和枝は自宅に現金を殆ど置かなかった為、預金通帳とクレジットカード、印鑑と少数の書類を届けるだけだった。
「夜逃げ同然の方法だからかさばるものは持って行けないけど、私が責任を持って補填するから心配しないで。
これからは私の家で生活してもらうわ。
それが貴方のお姉さんとの約束だったから」
「姉やんとの、約束……?」
疑問符ばかりが頭の中に浮かぶ状態のままパトカーは高速道路に入り、サービスエリア内に入るとそこで停車した。
「報道関係者の車は追いかけてきてないわよね?」
「安心してください。
我々の仲間がシャットアウトしています。
事前にこのパトカーにGPS装置が付けられていないかどうか入念に調べていますが、下車してからもう一度調べておきましょう」
大きめの帽子と茶色のサングラス、マスクを渡された咲はそれらを全て着用した後車から降りた。
「今から別の車に乗り換えよ。
今ダミーのパトカーが警察署に向かっているわ。
その後貴方は行方をくらましたと警察が発表し、おざなりな捜査で有耶無耶にする予定だから」
「こちらの車にお乗りください」
サービスエリア内の駐車場に、何の変哲も無い青い車が停車していた。
みゆるは刑事に礼を言うとその車の助手席に咲を乗せ、自分は運転席に座ると車を発進させる。
「これからは赤の他人に自分の名前を告げる様な事は控えて頂戴。
数ヶ月も経てば色々な事件が別に起きてこの事件も風化するでしょうけど……」
みゆると二人きりになった事で、咲は遠慮せずに質問を行う事が出来る様になった。
「これから、ウチはどうすればええんや?みぃやん」
「そうね。
私の自宅兼仕事場は東京にあるんだけど、寝泊りはそこでしてもらうわ。
貴方も何もしないで過ごすって言うのは退屈でしょうから、私のアシスタントになってもらうって言うのはどう?
私、頑張ってプロのイラストレーターになれたのよ。
RUMIって言う名義でね」
その名前は咲も聞いた事があった。
新進気鋭のイラストレーター、RUMI(ルミ)。
写実的な絵からファンタジー色の強い絵まで何でもこなす凄腕のアーティストとして有名であった。
「ウチ、雑誌でみぃやんの絵見た事あるわ。
RUMIってみぃやんの事やったんか……」
「私もアイドルの『双葉沙織』が咲だとは思ってなかったわ。
これから話したい事が沢山ある……
貴方が知らなかった事実も含めてね。
貴方を守るって言う約束は絶対守らなくちゃ」
大阪から東京へと車はひた走る。
咲は一抹の不安を抱えながらも、みゆると行動を共にする覚悟を決めていた。
咲はもう、自分があの場所にいれない事は充分承知していた。
殺人事件が発生し、マスコミが取り囲む自宅に戻る事は出来ない。
みゆるが助けてくれなければ、咲は悲痛と絶望に苛まれ壊れてしまったかもしれなかった。
だが彼女はその直前にみゆるによって救出された。
咲は感謝してもしきれない思いでいっぱいだった。
「着いたわ。ココが私の家よ。
色々話すのはある程度時間を置いてからにしましょう」
みゆるは寝ずに車を走らせ、朝方到着した為身体が疲れ切っていた。
途中尾行されていないか神経を尖らせていた為精神的にも疲労がピークに達している。
「ちゃんと届けてくれているみたい……
このダンボールの中身は後で咲が確認してね」
「解ったわ。
それにしても、最低限必要なものを揃えてもこんなモンなんやな」
高層マンションの玄関を抜けロビーを通り抜けた後、保管ボックスから荷物を回収するとみゆるはダンボール箱を咲に預けた。
流石に片手で持てる大きさの箱では無かったが、驚く程軽い。
人間が生活の為に最低限持っていなければならない貴重品の量はこれ程少ないものなのか……
咲はこの世の儚さの一端を覗いた様な気がしていた。
エレベーターを使い最上階近くまで上がると、みゆるは咲を自分の部屋に案内し、ドアを開ける。
「マンションの一室って言っても、結構広いでしょ。
そういう部屋だから当たり前なんだけど」
そこは、咲が目を見張る程の広さを誇っていた。
部屋全体で見れば学校の多目的教室程度の広さがある。
綺麗なフローリングの床を持つリビング、清潔なキッチン、そして細長い机を置くスペースがある仕事用の部屋。
大金を持っていなければ住めないであろう部屋を見て、咲は驚いたまま暫く身動きする事が出来なかった。
「この部屋、相当高かったんと違うんか?」
「稼いでるから大した事無いわよ。
購入した時は5000万円かかったけど、この部屋の価値自体はどんどん下がっていくでしょうしね」
東京の一等地の高層マンションともなれば、とにかく金がかかる。
咲はみゆるが夢を叶え、それと同時に大金持ちになった事を悟り彼女の成功を素直に喜んだ。
「みぃやん……頑張ったんやな」
「まぁね。とりあえず鍵を閉めておいて。
私は仮眠するから……
ダンボール箱の中身をちゃんと確認しておいてね。
冷蔵庫の中のものは適当につまんじゃって良いし、風呂も入りたければどうぞ。
今頃は、偽の貴方が大阪の警察署から姿を消しているハズよ。
皆、貴方がココにいるなんて思いもよらないわ」
欠伸をしながら寝室に向かうみゆるの姿を見送った後咲は机の上にダンボール箱を置き、開けて中身を取り出した。
預金通帳及びクレジットカードは和枝名義と咲名義の2種類が入っており、姉の遺した金が全て自分のものになるかどうか定かでは無い。
咲の両親は既に2人とも亡くなっており、親戚も2人と関わる様な事はあまり無かった。
(今までの活動でかなり稼いでたけど、折半やったからなぁ……
それでもギリギリ億いっとるわ)
妹の方が若干記載されていた額が多く、1億と200万程の貯蓄が残っている。
その他に姉が『妹名義で購入した土地』等もあり、自分1人で生きていけるだけの金がある事が確認出来た。
だが、咲自身に1人で暮らしたいと言う願望があるワケでも無かった。
みゆると一緒に住む事で庇護されると言う安心感は欲しいと思っていたし、だからこそ彼女に出来るだけ迷惑はかけたくないと言う思いがあった。
金銭面でみゆるに負担をかける事は無いと解った後、咲は溜息をつき脱力したまま椅子にもたれかかる。
「何とか助かったんやな。ウチは……」
自分に言い聞かせる様に咲はそう呟いた。
マスコミの手を逃れ、事件が風化するまで匿ってもらえる。
大出みゆるに対して感謝しかなかった。
そして彼女は守られるだけではなく、みゆるの力になりたいと思っていた。
『ゲーマーアイドルとして抜群の知名度を誇っていた『ふたば』の双葉香織、本名遠藤和枝がどうして横田秀行を殺したのか……
警察では彼女の動機を解明する為に聞き込みを行っていたが、その理由を把握する事が出来ずにいた。
しかしある人物の証言によって、その謎がようやく判明したのだ。
謎を解く手がかりとなったのは彼女が小学生だった頃の同級生、Mさんの証言だった』
『私と和枝は、横田秀行から性的暴行を受けていました。
その回数は数十回以上にも及びました。
私達は最初無理やり拉致され、性的暴行を受けました。
その後、その一部始終を撮影していた動画をばらまくと脅されたんです。
裸の状態でロープの付いた首輪をはめられ、四つん這いで公園を歩かされた事も一度や二度ではありません。
和枝は私と同じ様に消えない傷を負いました。
勿論、横田秀行に対して殺意と言える程の強い憎しみを抱いたでしょう』
『Mさんは小学校卒業後、横田秀行から逃げる様に引っ越した為彼のその後の足取りは殆ど掴めていなかったと言う。
遠藤和枝は、自殺すら考えたくなる程の屈辱を味わい復讐を決意した。
そして復讐を果たしたのだ。
被害者となった横田秀行が何度も何度も刺されたと言う事実が恨みの深さを物語っている。
この事実が明らかになった事で、世間では遠藤和枝に対して同情の声も出始めており……』
夜のニュース番組を見ながら愕然とする咲。
みゆるはリモコンの電源ボタンを押してテレビの映像を消すと、机を挟んで咲と向き合った。
「……正直、辛かったわ。
こんな事を話すのは本当に嫌だったけれど、貴方を救う為だと思って我慢したの。
自分がレイプされたなんて話を人にするって言うのは誰だって出来ればしたくない事でしょ?」
「そ、そないな事があったんか」
咲は姉から何も聞かされていなかった。
何も知らずに生きてきたからこそ、横田秀行を助けたのだ。
それが仇となり姉は死んでしまった。
だが彼を助けなければこうして大出みゆると再会する事は無かっただろう。
咲は運命とは常に残酷なものであると言う事実を突き付けられた様な気持ちでいた。
「でもこれで、マスコミが必要以上に騒ぐ事も無くなったでしょう。
国民が和枝に同情すれば、一般人である咲を尾行したり悪人の様に叩いたりする事もしにくくなるでしょうし」
みゆるは犠牲を払って咲を助けた。
和枝が自分との約束を果たしたのだから、自分も約束を守らなければならないと言う強い決意を持っていた。
「姉やんが横田を殺して、ウチがみぃやんに助けられて……
これで良かったんやろうか」
「私としては有難かったし、これで良かったと思ってる。
私があいつと相対していたら私が殺したでしょうし……
貴方のお姉さんが私を救ってくれたのよ。
だから、私が咲を助けなければいけないと思った。
暫くの間は外に出ないで頂戴。
事態が収束するまではまだ時間がかかるかもしれないわ」
カーテンが閉め切られた部屋の中で、暫くの間静寂がその場を支配していたがみゆるが再び口を開いた。
「私と貴方のお姉さんは、同じ気持ちを抱いていたのかもしれない……
それは虐げられていたからこそ、世間をあっと言わせてやりたいと言う欲望だった。
イラストレーターになるんだったら、日本で知らない者はいない程の腕を手に入れて金持ちになってみせる。
その一心で中学生の時、有名なイラストレーターに弟子入りを志願した。
最初は幼過ぎるって言われて門前払いされたんだけどね」
机の上に両手を乗せ、姿勢を正している咲の目を見つめながら、みゆるは話を続ける。
「でも何度もくらいついて、やっと修行する事が出来た。
最初は林檎を立体的に模写する事から始まったわ。
1日に50枚、多い時は100枚は描いた。
手にまめが出来て痛くなってもそれを続けたの。
そして師匠であるイラストレーターの枠から脱して、『自分の形』を見つけるまで何年もかかった」
みゆるの指には描き続けた者の証でもあるペンダコがハッキリと残っていた。
「今じゃ大手雑誌、イベント会社からもお呼びがかかる程の『天才イラストレーター』よ。
RUMIの正体を秘密にする事で世間の興味をさらに引き、依頼を貰う。
そうやってわざと謎めいた部分を作る事によって不動の地位を得たと言っても良いでしょうね」
感慨深げにそう言いながら、みゆるは自分の指をじっと見つめた後ぎゅっと手を握り締める。
「私も和枝も、そうやって血の滲む努力を続けてきたと思うの。
でも、私達は互いに約束を交わしていた。
横田を探し出して、もし見つけ出したのなら必ず殺すと。
どんな事情があっても絶対に守るってね……
私が殺す可能性もあった。
その場合はきっと貴方のお姉さんがその後始末に奔走したでしょう」
みゆるは椅子から立ち上がり、咲の手を取ると真剣な表情をしたまま彼女と向き合った。
「貴方のお姉さんは全てを捨てる覚悟で私との約束を守ってくれた。
だから私も死ぬ気で貴方を守ってみせる。
心配しないで、この場所に人が来る事は殆ど無いから。
描いた絵は宅配便で送るか、別の場所で担当者に手渡すと決まってるからこの家は安全そのものよ。
外に出る時だけサングラスと帽子を着用すれば素性がばれる事も無いわ」
みゆるの目には涙が滲んでいた。
感情が抑えられなくなり、そのまま咲を強く抱き締める。
「貴方に会いたかった。
和枝が、貴方と会わせてくれたのよ」
咲の目にも涙が溢れていた。
様々な感情が交錯し、喜ぶべきなのか哀しむべきなのか解らなくなっていた。
(姉やん……ウチは……姉やんの分まで生きるで。
生きて、全てを見届けるんや)
自殺まで考えていた時に命を救われた。
咲はそう考えていたからこそ、もう死ねないと思ったのだ。
彼女以外にも哀しみを背負った者は大勢いる。
その哀しみを自分が少しでも癒やす事が出来れば、これから自分が生きていく意味があると思っていた。
【2010年 4月 東京都新宿区 天武日本(てんむにほん)福留(ふくどめ)公園内】
春が訪れた。
広い公園には桜が咲き乱れ、公園では数名の小学生が元気に走り回っている。
平日の朝方と言う時間帯であった為園内に人の姿はあまり無かったが、それでも遠くから都会特有の喧騒が聞こえていた。
この街は、あまりにも賑やかで肌に合わない。
遠藤咲は公園のベンチに腰を下ろした後、そう思って溜息をつく。
彼女にとって、ニュータウンに流れていたゆるやかな時間は懐かしいものだった。
目まぐるしい突風の様に流れていく時間。
東京の一等地に住むと言う事はその狂った様に早い時間と付き合わなければならないと言う事だ。
(あっと言う間やったなぁ。
新しくやらなアカン事を覚えてこなしとっただけで、もう半年以上経つんやから……)
この公園から一歩外に出れば、人や車で埋め尽くされた大都会。
人々は常に忙しく動き回り、休む暇が無い。
咲もまた、この半年の間仕事に時間を費やした事でかなり精神的に参ってしまう。
やっとそれが落ち着き、こうしてただのんびりと座っている時間が取れる様になっていた。
(年末はかなりハードやったわ。
ウチとみぃやんを入れても4人しかおらんのに絵をどんどん描かんと仕事が終わらんかった……
それにこうして外に出るのも久しぶりや。
あかりはんに連絡せんと)
数ヶ月の間、部屋の外に出る事も出来ず、ただ愚直にイラストを描く手伝いをした。
辛かったがその苦労も報われたのかもしれない。
半年の間に次々と血腥い別の事件が発生し、マスコミはそれを追いかける様になったからだ。
遠藤咲を追いかけていた報道陣も、今は彼女の事など気にもしていない。
一般人に戻れた事が嬉しかった半面、アイドルとして脚光を浴びていた頃が懐かしかった。
(自由な時間が取れる様になったら、エターナルナイトに顔を出してもええかな……
きっと、今のウチにとってあそこが1つの居場所なんや。
アイドルを卒業しても、ゲームから卒業するのは嫌やし)
咲にとってZEROは自分の力を試せる場所であり、現実逃避をする為の避難所でもある。
そしてエターナルナイトに集った仲間達は咲を温かく迎えてくれるだろう。
リーダー格となった火村(ひむら)あかりは咲にとってかけがえの無い親友であり、また会いたいと常に思っていた。
咲はジャンパーのポケットの中から温かいペットボトルの飲料を取り出し、それを飲むと背もたれによりかかった。
風も気温も丁度良く、まどろみたくなる程に心地良い空間がそこにある。
「あ、すいません。
取ってもらっていいですか?」
少年の声を聞いて目を開けた咲は、目の前の地面に野球ボールが転がってきた事を把握した。
「朝から随分頑張ってるわね。
人に当てない様に気を付けなさいよ」
「はい!有難うございます」
ボールを拾って小学生の方に投げ返す咲。
都内で赤の他人に話しかける時は標準語で話す。
大出みゆるが決めたルールだった。
今も彼女はそのルールに従い、帽子とサングラスを着用している。
(ちょっと位ルールで縛られとった方がええわ。
今の世の中、何がきっかけで大変な事になるか解らんのやから)
咲が人に見つかり、声をかけられる事はもう無い。
世間はもう彼女の事を忘れてしまっている様だった。
そして咲がいた場所を奪う様に新しいゲーマーアイドルが登場し、ZERO SECONDを盛り上げている。
寧ろそうであった方が彼女にとって都合が良かった。
世間が彼女を忘れたとしても、咲にとって大切な人々が自分を覚えてくれていればそれで良い。
新しい一歩を踏み出すにあたって、咲はそう考えていた。
咲の脳裏に、様々な人の顔が浮かんでは消えていく。
涙を流しながら咲の手を握り締めていた横田の顔、夢を語った姉と大出みゆるの顔。
咲の身体の秘密を知った後でも仲良くしてくれている火村あかりや、彼女を慕う者達の顔。
死んでしまった井島豊と綾小路桜華の顔。
『私に力を貸してほしい』と懇願してきた九龍玖留美の顔……
(そうや。
ウチ1人だけが苦しんどるワケや無い。
皆、苦しみながらも懸命に生きようとしとるんや。
あかりはんも同じ様に寂しさを堪えて前を向こうとしとる。
互いに寄り添って生きていけばええ)
失ったものを取り戻す事は出来ない。
だからこそ、新しい何かを掴まなければならない。
大出みゆると共に、火村あかりと共に。
咲は、今までの自分と向き合ったうえで、新しい自分に生まれ変わろうとしていた。
(まずは、目の前にあるモンを片付ける事からやな)
椅子から立ち上がり、確かな足取りで『家』に向かう咲。
仕事は沢山あった。
大出みゆるのアシスタントとして出来る事をする。
そうして日々を過ごす事で、咲は自分が生きている意味を確かめていたのかもしれない。
その歩き方に迷いは無かった。
姉に頼り切っていた頃の自分とは違う自分になる為に……
咲は歩き出した。
その歩みはこれからも続いていくだろう。