※この作品はR-18です。

ZERO ~格闘ゲームに翻弄される者達~   作:夜月光介

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物語の山場である『全国大会』とは違い、
スケールこそ小さくなりましたがこの戦いでは
『何故彼等は勝ちたいのか』と言う部分に重点を置きました。
全国大会は大きな陰謀と言う流れの中で戦いましたが、
この試合ではそういうものでは無く、純粋に勝利を願う気持ち。
その気持ちが何故あるのかを描こうと思ったのです。


朱夏 立秋 決意と願い

 アスブの街は、完全に崩壊してしまった。

 数名の息子・娘をその場から逃がす事は出来たものの、サイファ達の破壊活動を防ぎ切る事が出来ず建物が根こそぎ滅茶苦茶にされたのだ。

 トモコの魔法でかつての仲間達を撃退する事は出来たが、彼女からその事実を聞かされた俺は砂だらけの地面に突っ伏した。

 

「俺達は非力だ……

 例え不死身であろうと、目の前の大切なものを守る事すら出来ない」

「貴方のせいじゃありませんよヴォルフさん。

 恐らく、この近くに災いの元凶がいるハズです。

 その元を断たなければ……行きましょう。

 戦いはまだ終わっていません」

 

 虚しさと苦しさで立ち上がる事が出来ない俺を、トモコは必死になって励ました。

「貴方が撒いた種なのよ、この事態は。

 少し考えれば解る事じゃない」

 

 不意に聞こえたトモコ以外の声。

 目線を上げると、見た事の無い女性が目の前に立っていた。

「貴方達は私の事を探していたんでしょう?

 初めまして、私の名前はゼクンドゥス・ミスティウス・クロン。

 『時と憎悪の神』と呼ばれているわ」

 

 鴉の様な漆黒の翼が背中から生えている。

 黒の衣装を身に付けた女は、俺を睨み付けた。

 

「私が操る事が出来るのは『時間』。

 世界の時間を巻き戻す事は出来ないけれど、死んだ人間の時間を巻き戻す事で何度も蘇らせる事が出来る。

 そして蘇った人間は私の命令ならば何でも聞く操り人形になる。

 そして……」

 

 彼女が指を鳴らした瞬間、その直後には彼女の持っている短剣が俺の胸を貫いていた。

「指を鳴らす事で時間を数秒間だけ止める事が出来る。

 巻き戻しは出来ないけれど……」

 

 その直後に彼女は驚異的なスピードで刃を振るい、俺の身体を切り刻む。

「私自身の時間を『早送り』する事で、目に見えない程のスピードで攻撃する事が出来るのよ。

 そんな能力を持っている私でさえも、貴方を殺す事は出来ない。

 本当に憎らしいわね」

 

 バラバラに切り刻まれても、粉々に吹き飛ばされても、俺はZEROから与えられた不死身の能力によって何度も『再生』する。

 彼女の言葉を借りるならば、傷を負う前の状態に『巻き戻る』様な感覚だろうか。

 

「ヴォルフさん!?」

 トモコは俺に駆け寄り俺の身を案じたが、俺は自分が死なない事を知っている為そこまで動揺する事は無かった。

 

「生きている人間の時間を巻き戻す事が出来れば、私の勝ちだったのに……

 私はZEROが世界を滅ぼす為の光の矢を放った時、時間を止めて矢を避ける事で何とか生き延びる事が出来た。

 だけど、ユファール姉様が死んでしまった後の世界に意味は無い。

 姉様を差し置いて、貴方が選ばれたと言うのが気に入らなかった。

 だから、貴方の作り上げた世界を壊してやろうと思ったのよ!」

 

 クロンと名乗った女性は怒りに満ちた表情で叫んだ後、指を高く掲げ頭上でクルクルと回す。

「貴方に私を殺す事は出来ない。

 確かに私は不死身では無いけれど、時止めの能力と早送りの能力で幾らでも攻撃を避けられる。

 そして私が貴方達を殺す事は出来ないけれど、貴方のかつての仲間達を使って……」

 

 クロンの真横に黒い煙が現れ、それが消えた時に再びサイファ達が立っていた。

「終わらない戦いを提供する事が出来るのよ!」

 

 クロンは指を鳴らし、音が聞こえた時には姿を消していた。

 恐らく、時間を止めた後逃げたのだろう。

 

「ヴォルフさん、私視力には自信があるんです。

 彼女はココから南東の方角に飛んでいきました。

 あそこには確か私達の子供が住んでいない砂漠のオアシスがあるハズ……

 そこが彼女の『拠点』でしょう」

「彼女を殺すしか、この争いを止める方法は無いのか……

 行こう。決着を付ける為に」

 

 トモコは魔導書を読み、彼等に炎の矢を落とす。

 その隙に横をすり抜けると、オアシスに向かって走り出した。

 

 トモコの強大な魔力をもってしても、次々に現れる死んだハズの者達を完全に消滅させる術は無い。

「ヴォルフさん、走って!

 もう、彼等と戦う事に意味はありません。彼女を見つけないと」

「解ってる。

 俺も奴等と戦うのは疲れるからな」

 

 魑魅魍魎の如く姿を現し、走る俺達に追いすがろうとする者達を俺とトモコは振り切ろうとしていた。

 巨大な石の壁で時間稼ぎをしたり強い光によって目を眩ませようとしたが、どれも根本的な解決には繋がらない。

 

『兄さん、兄さぁん!!』

 恐ろしい形相で駆け寄ってくるヴィアージュの腹を思いっきり蹴り飛ばしながら、ひたすら渇いた砂の上を走り続ける。

『逃がさぬぞ、拙者達が地の果てまでも追いかけてくれる』

『遊ぼうじゃないか。

 アタシとアンタの死亡遊戯をさ。ヴォルフ……!』

 

 赤い目を光らせながら、攻撃を繰り出してくるサイファ達。

 炎や弓矢の雨をかいくぐり、俺達はやっとの思いでオアシスへと辿り着いた。

「フフ……来ると思っていたわ。

 ココが貴方達の墓場になるとも知らないで」

 

 砂漠の真ん中に生い茂る草木、ヴァルーの密林を思わせる様な景観……

 そんな景色の中央に湖があり、その上でクロンが浮いている。

 トモコが俺に見えている光景を説明してくれた。

 

「この湖はとても深くてね。

 一見そうは見えないかもしれないけれど水深が数百メートルはあるのよ。

 死ななくても、貴方達をこの世から消す方法。

 それは……貴方達をこの湖の底に沈めてしまう事!」

 

 湖の近くに立つ俺とトモコを、サイファ達が取り囲む。

 オアシスの周りは完全に包囲されていた。

 

「私達が沈められるか、彼女を倒すか……と言う事でしょうか」

「油断するな。

 クロンは時を止める事が出来るんだ。

 奴等が襲い掛かる瞬間に時を止めてくるだろう」

 

 クロンは背中に生えた翼を使って空に舞い上がると、指を鳴らした。

 鳴らした瞬間から攻撃の初期動作に入らなければ間に合わない。

 俺達の眼前に飛び掛かっていた獣人達を、トモコの魔法が間一髪の所で止める。

 

「歪め、くうか……」

 敵を氷漬けにしたトモコが敵を吸い込む亜空間を作り出そうとした所でまたクロンが指を鳴らし、次の瞬間にはトモコが別の敵に捕まっていた。

「魔導書を奪い取った後、魔法力の源である衣服を全て剥ぎ取って湖に投げ込みなさい。

 私がこの女を直々に始末する」

 助けに向かおうとした俺はまた時を止められ、次の瞬間には数名の獣人に羽交い絞めにされてしまう。

 

「トモコ、トモコ――ッ!!」

 服を破られ全裸にされてしまったトモコは獣人達に担がれた後湖に向かって投げ落とされる。

 クロンが手を開いた後彼女に向かって拳を握り締めると、凄まじい勢いでトモコは湖の底へ沈んでいった。

 

「畜生、何て事を!」

「貴方もすぐに彼女と一緒になれるわ。

 さぁ、ヴォルフも同じ様に服を剥ぎ取って湖に突き落とすのよ!」

 

 俺の履いていたズボンが破られ、凄まじい力で腕を掴まれたまま担ぎ上げられる。

「死なないと言うのは時に辛い事。

 湖の底で苦しみながら永遠に生き続けなさい。

 この世の終わりが来るまで……

 姉様、今姉様の仇を討ちます!」

 

 全裸の状態でもがき続けたが、最早逃れる術が無い。

 俺は涙を流しながら歯を食いしばった。

 

 

【2010年 8月8日 午前2時 東京都 天武日本総合病院内】

 

 九龍拓巳は、夢を見ていた。

 パジャマ姿の少年、拓巳の前に彼と同じ様な顔をした青年が立っている。

 その顔はとても寂しそうで、触れたら消えてしまうのではないかと思う程だった。

「どうして、そんな哀しそうな顔をしているの?」

「理由は色々あるが、最初は俺の母親が死んだ時から始まった」

 

 拓巳の肩に優しく手を触れ、金髪の青年は僅かに微笑む。

「俺はお前と同じ様に、サッカーが好きだった。

 サッカーをしている自分も好きだった。

 ボールを追いかけて車道に飛び出し、轢かれそうになった俺を母親が助けて代わりに死んでしまうまでは」

 拓巳の肩に置かれた手が震え、青年の頬に涙が伝った。

 

「その時からサッカーをしていた自分を激しく憎んだ。

 ボールを追いかけていたあの瞬間を悔やんだ。

 父親が最愛の妻の死にショックを受けて酒に溺れ、交通事故で死亡した事によって俺の心の闇はさらに膨らんでいった」

 絶望を纏ったかの様な顔は、拓巳が怯んでしまう程強烈なものだった。

 

「だが、妹が……玖留美がまだ生きていた。

 妹の為に金を稼がなければならないと思った。

 俺は母親が俺の身代わりになった意味をそこに求めた。

 生き残った以上、責任を果たさなければならない。

 サッカーを捨てて、格闘ゲームを始めた。

 それが一番大金を得る為の近道だと思ったから」

 

 青年は拓巳の肩から手を離して立ち上がると、視線を上げて過去の記憶に思いを馳せる。

「妹の為、死んでしまった両親の為と思って懸命に努力を続け、全てを勝ち取った。

 これで妹に楽な暮らしをさせてやれる……本気でそう思った。

 だが、奴等に捕まった事で全てが狂ってしまった」

 

 金髪の青年の身体が歪む。

 まるで映像の様に彼の姿にノイズが入った。

 

「脳にダメージを受け過ぎて再起不能だ。

 意識を取り戻す為には、損傷していない記憶……

 過去の記憶だけで己を構成する必要があった。

 今の俺はたまに姿を現す事が出来るページの切れ端に過ぎない」

 砂嵐がかかり、鮮やかだった彼の姿が青一色になってぼやけていく。

 

「聞いてくれ、もう時間が無い。

 玖留美は今日、己の全てを賭けた勝負をする。

 お前も病室でその話を聞いていただろうが話の意味も試合が行われる場所もよく解っていないハズだ。

 俺は消える前にお前に『大きな使命』を与えようと思う。

 玖留美は、妹はお前の助けを必要としている。

 玖留美に救われた借りを、返す時が来たんだ」

 

 彼の顔も最早認識出来ない状態になり、拓巳は彼に尋ねた。

「僕は玖留美の力になりたい。

 どうすればいいの?」

 

「考える必要は無い。

 俺は最後の力を振り絞ってお前の記憶にその使命を刻み込む。

 目を覚ました時、お前はやるべき事を全て鮮明に思い出せるハズだ……

 頼んだぞ」

 ぼやけた青い炎の様になって掠れていく青年に対して、拓巳は言葉を投げかける。

 

「僕に……出来るのかな」

「出来るさ。

 お前は、俺なんだから」

 青い炎がだんだんと小さくなり、消えると拓巳の周りの世界も闇に包まれ彼は意識を失った。

 

 九龍拓巳が目を覚ましたのは、午前5時頃の事であった。

 何時もはなかなか眠気が消えなかった彼の意識は、妙にハッキリしている。

「行こう……僕が行かなきゃ駄目なんだ。

 玖留美の為に」

 

 パジャマ姿のまま、スリッパを履いて外に出る。

 廊下を見回っている看護師に注意しながら、拓巳は病院の外を目指した。

 無人のエレベーターに乗り込み1階へ。

 朝の5時とはいえ流石に病院のロビーには人が何名かいる。

 

「大丈夫。突っ切れば何とかなる。

 場所は、この病院の近くにあるプラナス本社ビルの裏門……

 8時まで捕まらずにいれるかな」

 今は柱の後ろに隠れているが走り出せば発見される事は免れない。

 徘徊患者として扱われ、病室に戻されてしまうだろう。

 

『ニシグチマコトさーん、ニシグチマコトさーん。

 受付の方にどうぞ』

 ニシグチマコトであろう老人がゆっくりと立ち上がり、少々危うい足取りで受付の方へ向かう。

 ロビーで座っている者達が老人に何となく視線を合わせた。

 受付にいた看護師は書類を探しているのか下を向いている。

 

 (今だ!)

 ロビーにいる者達は凄まじいスピードで飛び出し、自動ドアから外へと飛び出していく青年の姿を目撃する事は無かった。

 

『黒沢美香と言う人と、戦わなければいけないの』

 スリッパに黄色のパジャマ姿。

 人の姿こそ見えないが拓巳は見つからない様に気を付けながら駐車場を抜ける。

『場所はココ、プラナスの本社ビル正門前。

 その戦いを見守る人は午前8時に裏門前に集まる必要がある』

 

 駐車場を抜けると車が走る大通りに出た。

 一般人はともかく、警察官に出くわす事だけは避けたい。

 拓巳はそう思いながらひたすら走った。

 走る事は得意だった。

 

『私を応援してね。

 実際にその場所には来れないと思うけど遠くからでも構わない、見守っていてほしいから』

「嫌だよ。

 玖留美が助けを必要としている時に、近くにいる事が出来ないなんて」

 

 頭の中に浮かんでくる玖留美の声に対して、拓巳はそう呟いた。

 自分にとって姿が変わってしまったとしても、玖留美は玖留美だった。

 彼は妹がどんな勝負をするにしても、勝利する事を心から信じていたのだ。

 

 漆黒に塗り潰された巨大なビル。

 玖留美に見せてもらった地図の通りに走って辿り着いたその場所は、禍々しい気配が漂っている様に感じられる。

「あそこが正門だから、この建物の裏に回ればいいんだ……」

 もしかしたら、自分がいなくなった事で病院では騒ぎが起こっているかもしれないと言う考えが拓巳の脳裏に浮かんだ。

 

 人に迷惑をかけたかもしれない。

 それでも自分の気持ちは裏切れない。

 拓巳はどうしてもこの場所にいなければならないと思っていた。

 様々な企業の本社ビルが連なるビジネス街の大通りの為、会社員の姿も増えてきている。

 

 パジャマ姿にスリッパと言う拓巳の姿を不審そうに見る者達を振り切り、拓巳は裏門に向かう為に路地を通った。

「まだ全員は揃っていません。

 時間に余裕があるので後から来る……!?」

 路地を抜けた先に先程の正門よりも小さい黒い扉が見え、その周りに4名程の人間が集まっている。

 

 スーツ姿の青年は、拓巳が駆け寄ってきた為呆気に取られた様な表情を浮かべていた。

「今、何時ですか?」

「えッ……6時15分だけど拓巳さん、ですよね?

 何で……?」

 

「8時前には間に合った。

 良かった……!」

 安堵の溜息をつきながら地面に膝をつき、そこにいる者達を見回す拓巳。

 

「貴方は九龍拓巳さんですか?」

 能面の様な顔をした黒服の男が拓巳に近付きそう言った。

 

「はい、そうです」

「貴方はリストの中に入っていませんよ。

 見届け人は7名であると美香様にも伝えてあります。

 予定に入っていない人物がいると美香様が不審がりますので……

 申し訳ありませんが」

 

 拓巳をその場から追い払おうとした白鳥の前に立った鏑木修吾が、決意に満ちた表情で首を横に振る。

「俺が抜けます。

 見届け人が7名である事実は覆りません。

 それで良いでしょう」

 

「修吾君……」

 涼介は言葉をかけようとしたが、修吾の決意は固い事を悟り黙って白鳥の判断に任せる事にした。

 

「拓巳さんは、玖留美さんの側にいなければいけない。

 俺がいた所で大勢に影響は無いでしょう。

 俺こそ、遠くから玖留美さん達の勝利を祈っていても問題無い人間ですよ」

 

「……解りました。

 美香様には『見届け人は7名』である事しか伝えておりません。

 人数が変わらないのであれば、美香様も納得されるでしょう。

 それでは……」

 御帰りはあちらですと言わんばかりに指で大通りの方角を示す白鳥を横目に見ながら、修吾は去っていった。

 

「それにしても、どうしたんですか?拓巳さん。

 その恰好からすると、病院から抜け出してきたんですよね」

 涼介と共に早い時間から裏門前に来ていた瞳はそう言うと、心配そうな顔をして拓巳の方を見る。

 

「ごめんなさい。

 でも僕、玖留美の助けが必要な時に、応援しなきゃいけないって思ったんだ。

 場所も時間も玖留美が事前に教えてくれた。

 だから……」

 潤んだ目で瞳の方を見つめてくる拓巳に対して、彼女は『帰れ』と言う事が出来なかった。

 

「天武日本総合病院に連絡しよう。

 誘拐と勘違いされて、警察に連絡されたら厄介な事になりかねない」

 涼介はスマートフォンを取り出し、病院側に九龍拓巳が現在いる場所を伝え安全な場所にいると報告した。

 

「今日の夜には病院の方に……はい、はい。大丈夫です。

 九龍玖留美さんにも了承は得ています。

 僕の住所と電話番号をお伝えしておきますので、以降の連絡はそっちにかけて頂く形で……」

 涼介は内心の動揺を悟られない様にさらりと嘘をつくと、電話を切り大きく息を吐いた。

 

「何とか玖留美さんが連れ出したって言う方向に持っていけたよ。

 次は玖留美さんの携帯にかけなきゃ」

 病院側が玖留美に確認を取る前に、玖留美と口裏を合わせなければならない。

 涼介は急いで玖留美に電話をかけた。

 

「え、兄さんがそっちにいる!?

 それは確かなんですか?」

 既に目を覚まし、禊の様に冷水シャワーを浴びていた玖留美はバスタオル姿のまま電話をとっていた。

 玖留美の自宅には火村あかりが泊まっており、彼女もその声を聞いて近くにやってくる。

 

『玖留美さんが病室から無断で連れ出したって事にしてください。

 そうでないと拓巳さんは病院に連れ戻されてしまう。

 彼はどうしても、貴方の応援がしたいと言っているんです』

 

「……解りました。そういう事にしておきましょう。

 責任は後で私が取ります。

 兄さんには、有難うと伝えておいてください。

 病院側から電話がかかってきたらそう受け答えしますので」

 

 通話を終えた後、玖留美はあかりと顔を見合わせた。

「拓巳さんに、場所と集合時間を教えていたの?」

 

「今思えば、本心では来てほしいと思っていたんだと思います。

 意識して兄さんに教えていたワケでは無いんですけど……

 でも確かに私が兄さんに場所と時間を教えていました。

 ただ、病院を抜け出すとは思っていませんでしたが」

 

 玖留美はスマートフォンを棚の上に置くと、引き出しから服を取り出し着替え始める。

 九龍拓巳が自分の為にリスクを冒して来てくれた。

 そう思うだけで玖留美の目頭が熱くなった。

 

 (勝たなくちゃ……!

 絶対に勝つ。兄さんの為にも)

 昨日の夜まで玖留美は自宅であかりと共に練習を続けていた。

 最後の最後まで諦めなければ結果は必ず出ると信じていたのだ。

 

 午前7時50分。

 裏門前には7名の見届け人と白鳥が立っていた。

「柏糸涼介様、九龍拓巳様、雨宮比呂子様、遠藤咲様、中澤久緒様、堀北栞様、氷室瞳様。

 若干の変更があった様ですが、この7名がモニター室に入ると言う事で宜しいですね?」

 

 先頭に立っていた氷室瞳が真剣な表情のまま無言で首を縦に振ると、白鳥は仲間に連絡を入れた。

『予定通り、7名が到着した。

 モニター室のロックは解除しておく様に。

 今からそちらに向かう。

 担当者はすぐに持ち場につけ』

 

 耳に付けているインカムの様な装置は無線でスマートフォンに繋がっており、片手を用いる事無く相手との会話を行う事が出来る。

 白鳥は彼等を先導し、自動ドアを開けると中に入る様に促した。

 

「こちらの提示したルールに違反しない限り、我々が皆様に危害を加えたりする事はありません。

 どうぞ奥へ。

 モニター室がある地下2階へと御案内致します」

 無防備な状態で敵の本拠地に乗り込むと言う事がどれ程危険であるか、彼等はそれを理解していた。

 

 勿論使いたくは無かっただろうが、涼介や咲は万が一の事を考え懐に折り畳み式ナイフを忍ばせている。

 高校生だった時に脅迫を受けた事がある久緒は薄手のグローブをポシェットの中に入れ、防弾チョッキまで着込んでいた。

 (兄さん……私が今日出来る事は、祈る事だけ……

 それでも、助かるって信じてる)

 

 クーラーが設置されている涼しい廊下を通り、エレベーターに乗り地下2階へ。

 地下2階に降りるとおよそ銀行本店の地下とは思えない、黒く塗り潰された壁が姿を現した。

「なッ……!?」

 

「美香様の指示によるものです。

 本社の地下に立ち寄る事が出来るのは銀行の関係者だけ。

 取引先の人間や銀行に金を預けている客は、この場所には入れませんので」

 黒一色に塗られた壁や天井を、青白い光が照らしている。

 白鳥に連れられて暫く進んでいくと、黒一色の壁とは対照的な白い扉が目の前に現れた。

 

「ココがモニター室です。

 皆様に満足して頂けるかどうかは解りませんが、旧財閥が所有していたハンバーガーチェーン店である『さくらバーガー』のセットを御用意しております。

 この部屋にトイレもありますので、試合が全て終了するまでは部屋から出ない様に」

 部屋は白い大理石で覆われ、細長いテーブルと人数分の椅子が設置されている。

 そして部屋の奥には巨大なモニターが壁に埋め込まれる形で置かれていた。

 

「うわぁ、チェリーシェイクとチキンビーフサンド、ボックスポテトだ!」

 成人の男性がパジャマ姿で目を輝かせ、はしゃいでいる。

 病院を訪れた事が無い者達は初めてその『強烈な違和感』に触れた。

 

「精神が子供に戻ってしまったと言う話は、本当だったんですね……」

「ハンバーガーが目当てじゃないだろ拓巳君。

 僕達の役目は、玖留美さん達を応援する事だよ」

 喜んでテーブルの上の『御馳走』を眺めていた拓巳は、涼介に諭されると顔を背けながら俯いた。

 

「……ごめんなさい」

 その時、1人の女性が部屋の中に入ってきた。

 サングラスをかけ、黒いスーツを着た女性は白鳥に対してお辞儀を行う。

 

「彼女がこのモニター室の『見張り役』です。

 皆様にモニターの映像だけでは伝わりにくい情報をお伝えするだけで無く、ロックはされるとは言え皆様が部屋から出ない様にする役目を命じています」

「初めまして、本日皆様のお世話を任される事になった『鵺(ぬえ)』と申します。

 至らない所もあるかもしれませんが、どうぞ宜しくお願い致します」

 

 白鳥と同じ様に、彼女は抑揚の少ない機械の様な声を発した。

 恐らくサングラスを外せば能面の様な顔が現れるのだろう。

 彼等がそんな事を考えている間に白鳥は部屋から退出し、ドアにロックがかけられた。

 

 鵺と名乗った女性は7名全員の顔を確認する様に見つめた後、手に持っていたリモコンでモニターの電源を入れる。

「この部屋の他にも試合が行われる部屋があり、別の部屋の様子を確認したい場合はこのリモコンのボタンを押す事で映像を切り替える事が出来ます。

 試合はほぼ同時刻にまとめて行われる為、全ての試合を見る事は非常に難しくなっております。

 御了承ください」

 

 モニターに金色の部屋の中が映された瞬間、瞳はモニターに駆け寄り震える様な声で叫んだ。

「兄さん!!」

 黒い椅子に付いている拘束具で両腕と両足を封じられ、意味は無いがアイマスクで両目も塞がれている。

 そしてその横には意地悪い笑みを浮かべた美香が立っていた。

 

『応援団の皆様、本日はわざわざこの社屋まで来てくださり誠に有難うございます……

 なんて、丁寧に言ってる場合でも無いわね。

 御覧の通り氷室零の身柄はこちらで預かっているわ。

 今日の試合で貴方達が負ければ全てが終わる』

 黒一色のフードの縁は金色に彩られ、ドレスもハイヒールも黒でまとめられている。

 

 そんな黒色に染まった美香の胸元には、『涙』を表現するかの様な水滴型のダイヤモンドが輝いていた。

『この拳銃を覚えているかしら?

 染井が貴方達の仲間、井島豊を殺害する時に使った拳銃よ。

 もっとも私にとっては、私が心から敬愛する姉様が自殺する為に使った拳銃としての印象が強いけどね』

 美香は拳銃をポケットから取り出すと、銃口を零の頭に軽く押し付ける。

 

『勿論、まだ殺しはしないわ。

 あっさり殺してしまうなんてつまらない。

 この銃で零が死ぬのは、私達の陣営が勝利し貴方達が絶望を味わった時よ。

 私と姉様が味わった『敗北』の痛みと苦しみを、そっちにも体験させてあげなくちゃね……』

 邪悪な笑顔を浮かべながら歌う様に言葉を発する美香の声は、零の耳にも届いていた。

 

『美香、もう止めるんだ。

 僕の命だけで充分だろう。

 僕以外の人間を不幸にする様な無益な戦いは何の得にもならない』

 零の言葉に苛立ったのか、美香は発作的に零の頬に平手打ちを見舞う。

 

「止めて、兄さんに酷い事をしないで!」

 瞳はモニターにすがりついて涙を流したが、美香がいる部屋には瞳の声は聞こえていない。

 

『何が充分よ。

 アンタが涙を流して謝罪した所で姉様が帰ってくるワケじゃない事は私が一番よく知ってる。

 だからと言ってアンタを殺してハイ終わりじゃ私の気が済まない。

 アンタに絶望を与え、アンタが大事にしている者達の絆を壊してやる。

 私はその為にこの舞台を用意したんだから』

 

 般若の様な顔で全身から怒りのオーラを発する美香。

 美香の周囲にどす黒い霧の様なものが纏わりついている様に見えた。

 

『試合は10時から。

 それまでせいぜい、話し合いでもしている事ね。

 私は一旦失礼させてもらうわ』

 椅子に繋がれた零を残し、美香だけがその場を後にする。

 俯き、打ちひしがれた様な顔を見せる零だけが部屋の中に残された。

 

「このリモコンのボタンの色が、試合が行われる部屋の色と同じになっております」

 鵺はリモコンを涼介に渡した後、扉の真横に移動してその場から動かなくなった。

 何も言わなくなった鵺から視線を移した涼介は、リモコンを大画面のモニターに向けて適当にボタンを押す。

 画面が切り替わり、赤一色の部屋、青一色の部屋、白一色の部屋、黒一色の部屋、黄金の部屋が次々に映し出された。

 

「この金メッキみたいなのが使われている部屋が、零さんがいる部屋ですね。

 そして全ての部屋に椅子と筐体が用意されている。

 この5つの部屋で同じ時刻に試合を行うと言う事でしょう」

 比呂子の意見に対して涼介、咲、久緒が同意した。

 

「だろうな。

 んで、玖留美達が戦う相手は恐らく……

 考えたくはねぇが俺達の仲間の誰かって事だろ。

 だからアイツは『絆を壊す』なんて発言をしたんだ。

 札束で頬を叩いて寝返らせたんだろうよ」

 

 久緒は吐き捨てる様にそう言った後、椅子に座り不機嫌そうな顔をしたまま腕を組みモニターの画面を見つめた。

「許せない。

 人生を変える程の大金が貰えるからって人の命を奪う為に裏切るなんて……

 そう思いませんか?

 零さんが死んでも構わないって思っているって事でしょう?」

 

 比呂子はそう訴え、涼介も比呂子の言葉に賛同した。

「僕達は零さんの事を大事に思っているけれど、そうじゃない人もいるって事だと思うよ。

 人生が変わる程の大金を提示されたら、魔が差したって不思議じゃない。

 身内に裏切り者がいない事を祈るしか無いよ。

 敵の素性は今の所一切解らないんだから」

 

 重苦しい空気が漂う中、ねだる様な目つきで拓巳は涼介の方を見る。

「……毒は入ってないと思うし、食べてもいいんじゃない?

 お腹が空いてるんでしょ、きっと」

 溜息をつきながら涼介がそう言うと、拓巳は感謝しながらハンバーガーを口にした。

 

 病院ではこういった身体に悪いけれども美味しいものを食べる事は出来ない。

 病院食に辟易していた拓巳にとってはハンバーガーやポテトであっても立派な御馳走だった。

「それにしても、ホンマに子供そのものやな……

 会うた事が無くて解らんかったけど、驚くわ」

「玖留美さんが教えてくれていたので知ってはいましたけど、実際に見るのとではやっぱり違いますね」

 

 嬉しそうに食事を取る拓巳の姿を見ながら、小声で咲が涼介に耳打ちをし涼介はそれに同意した。

 昔の気さくであったがクールな雰囲気も漂わせていた拓巳と同一人物だとはとても思えない。

 比呂子は拓巳の側に出向き、保母さんの様に拓巳の頭を撫でていた。

 

 (ココは私が拓巳さんの保護者になる。

 玖留美さんと合流するまでは面倒を見てあげないと)

 そんな事を思いながら、比呂子は再びモニターに映し出された黄金の部屋を見つめていた。

 

 黒色だけで構成された巨大な建物は、銀行の本社と言うよりも禍々しい魔物の住処の様に見える。

 黒沢美香と言う心を『復讐』と言う負の感情に蝕まれた魔物は、この本拠地で己の闇を増幅させてきた。

 

「いよいよね……

 新二君、やり残した事は無い?」

「ありません。

 今日と言う日を迎えるまでにやれる事は全部やりました。

 後はやってきた事を本番で全て発揮するだけです」

 

 プラナス本社正門前に集まった5人の『勇者』は、勇気と覚悟を持ってこの建物の中に入ろうとしていた。

 

「約束の時間まで、あと10分です」

「胸が高鳴るわ……昨日順也と宏弥にメールを貰ったの。

 『そっちには行けないけど頑張れ』って。

 嬉しかった。

 全国大会で結果を残せていない順也の分まで戦って、東北勢が勝てるって事を証明したい」

 

 緊張している海野亜津子と、重要な一戦に対して胸を躍らせる伊達静香。

 元々亜津子は香川県、静香は宮城県の出身だがこの5年の間に2人とも千葉県に引っ越してきていた。

 『電脳皇帝』と『エターナルナイト』に通いやすくなると言う利点だけでなく、亜津子はあかりと仲良くなり彼女の近くにいたいと言う理由もあって千葉県へとやってきたのだ。

 静香は己の腕が上がらない事に苛立ち生活が荒れてしまった登坂順也と一定の距離を置く為に関東への引っ越しを決断した。

 

 順也の事を忘れたワケでは無いが、今は東京のゲーム会社『アークラインズ』で働く小島宏弥と一緒に暮らしている。

 (人の運命なんて解らないもの。

 順也を心から愛していた私と、遼子ちゃんに恋心を抱いていた宏弥が今では同棲している。

 美香さんもきっと破滅へと向かう運命を変える事が出来るハズよ。

 その為には私達が勝たないと)

 

 静香は『零を救いたい』と言う気持ちを持っていたがそれ以上に『美香を救いたい』とも思っていた。

 順也と出会う前の劣等感に苛まれていた頃の自分。

 順也が荒れた事で心が押し潰されそうになっていた自分……

 2人の男性が自分の壊れそうな心を救ってくれた。

 

 周囲の人間が手を差し伸べれば、人の心を救う事が出来るのだ。

 自分がかつてそうやって2度も救われたからこそ、静香は美香を助けてあげたいと思っていた。

 

「皆様、プラナスへようこそいらっしゃいました。

 九龍玖留美様、火村あかり様、海野亜津子様、伊達静香様、月山新二様。

 以上5名の方が揃ったと言う事で間違いありませんね?」

 本社前の正門を通り玖留美達の前に現れた白鳥がそう言うと、玖留美はしっかりと頷いた。

 

「はい、間違いありません」

「それでは皆様を対戦の為の部屋へと御案内致します。

 どうぞこちらへ」

 白鳥の後について玖留美達は本社内へと入っていく。

 新二は引き返せない事に若干の不安を覚えたが、すぐに考えを改めた。

 

 (弱気になるな。

 あかりさんから教えてもらった事を思い出すんだ。

 大切なのは怯えずに立ち向かう事……)

 巨大な化け物の体内へと潜り込んでいく。

 新二はそんな想像を頭の中に浮かべ、怖気を感じていた。

 

 先程の応援組と同じ様に玖留美達はエレベーターで地下2階に降りると、廊下を歩き広間の様な部屋に到着した。

 黒い壁に青白い光が照らされた部屋の奥に、5つの扉が横一列に並んでいるのが見える。

 その上には巨大なモニターが設置されており、既に黄金の部屋の中が映し出されていた。

「それでは少しの間こちらに待機していてください。

 美香様から今回行われる試合の内容に関する説明がございます」

 

 黒い広間の隅にはサングラスをかけた屈強な男達が無言で立っている。

 スキンヘッドの男と角刈りの男はどちらも黒いスーツに身を包み、ただそこにいるだけで異様な存在感を放っていた。

「彼等を無闇に刺激しないほうがいいわ。

 拳銃を所持している可能性が高いもの」

 

 玖留美は新二の耳元でそう囁き、従うべき事には素直に従っておいた方が良いと言う事を伝える。

 白鳥は5つの扉の中央にある金色の扉を開けて中に入ると、美香の前に立ってお辞儀をした。

 

『美香様。

 対戦相手となる5名を連れて参りました。

 拳銃の最終調整を行いますので少しの間御預かり致します』

 白鳥は美香から拳銃を受け取ると部屋の隅へ移動し、その間に美香がカメラの前に立って話し始める。

 

『久しぶりね、火村あかり。

 アンタもそこにいるんでしょ?

 あの時私とぶつかったアンタが私の邪魔をしようとしている。

 因縁を感じるわね……

 姉様に勝つ事が出来なかった九龍玖留美、決勝トーナメント1回戦で散った海野亜津子。

 魔の全国大会と関わりのある者達が氷室零を救おうとしている。

 面白い展開じゃないの』

 

 当時13歳だった黒沢美香が古都であかりと出会った時から、こうなる事は決まっていたのかもしれない。

 だがあかりは運命を全て受け入れるつもりは全く無かった。

 自分達の力で破滅の運命を変え、氷室零を救う。

 その為に自分は今この場所にいるのだとあかりは己に言い聞かせる。

 そして他の4名もあかりと同じ様に零を救えると信じていた。

 

『今回の試合のルールは単純明快。

 私を含めた5名とアンタ達5名が『ZERO SECOND』で1対1の対戦を行う。

 3試合以上勝利した陣営の勝ち。

 私達が勝てばここにいる氷室零が死に、アンタ達が勝てば助かる。

 簡単でしょ?』

 

 この形式は柔道の団体戦のルールに似ている。

 相違点は柔道の場合は1試合ずつ行われるが、今回は5試合がそれぞれ別の部屋で同時に行われる事だ。

 

『そして対戦の組み合わせだけど、それはアンタ達に決めてもらうわ。

 今から色分けされた扉の前に立って頂戴。

 私は『金色の扉の部屋』で対戦相手を待っているけれど、他の部屋にいる対戦相手の情報は一切教えない。

 誰がアンタ達の前に出てくるのかはお楽しみって事よ。

 試合は午前10時から一斉に開始。

 全ての対戦が終了するまで試合結果は私にも金色の扉の部屋に入った人間にも解らない。

 何か質問はあるかしら?』

 

 亜津子が手を挙げた。

 金色の部屋にもモニターがあり、広間にいる者達の様子が解る様になっている。

 

「あ、あの……質問じゃ無いんですけど、10時前だったらトイレに行ってもいいですよね」

『ああ、用足しね。

 緊張感の欠片も無い……暢気なものね。

 それで私達と戦おうと言うのだからお笑いだわ。

 それぞれの部屋に入る前に、白鳥に案内してもらいなさい。

 そっちの準備は出来たの?』

 

 肩をすくめて笑った後、美香は白鳥の方を見た。

 白鳥は部屋の壁に設置された人型の的に向かって引き金を引く。

『ぶれが発生しない様に調整致しました。

 頭蓋を狙うのは難しいので、心臓を狙った方が宜しいかと』

 

 人型の的の脳部分を綺麗に撃ち抜いた白鳥はそう言うと美香に拳銃を渡した。

 外装は金を基調としたもので引き金の横にあるグリップは圧縮された木材で出来ている。

 6発の弾丸を発射する事が出来る回転式拳銃で、1発が不発に終わってもすぐに次の弾が撃てると言う利点があった。

 

『この銃で氷室零の命を奪う為にも、絶対に負けられないわ。

 貴方は広間に一旦戻りなさい。

 待っているわよ。

 誰が相手だろうと私は絶対に勝つ。

 姉様の恨みを晴らす為に敗北は許されない』

 

 モニターの映像が消えた後、金色の扉から白鳥が現れ再び玖留美達の前に立つ。

「公平性を保つ為に、全員が部屋の中に入るまで『誰がどの部屋に入ったのか』と言う情報は美香様にも解らない様にしております。

 手洗いの場所でしたら私が御案内致しますが……

 海野様の他に行くと言う方はおられますか?」

 

「私も行っておくわ。

 試合前万が一にも行きたくなったら試合に集中出来ないでしょうし」

 結局大事な試合の前に緊張感をほぐすと言う意味合いもあり5名全員がトイレに向かう事になった。

 広間から廊下に戻り少し歩くと通路から見て右側に男性用、左側に女性用を示すマークのついた扉がある。

 

「私はここでお待ちしております」

 扉をくぐり中に入っていく参加者達。

 そして4名がトイレに入った所ですかさず白鳥が火村あかりに何かを手渡した。

 

「くれぐれも他の方には御内密に」

「ええ、解っているわ」

 あかりは受け取ったものをポケットの中に入れ、すぐに扉を開けて中に入る。

 白鳥は思案している様な顔つきのまま、玖留美達が戻ってくるのを待っていた。

 

 数分後、玖留美を含めた5名は再び扉の前に立っていた。

「金色の部屋には私が入るわ。

 他の人達は相談してどの部屋に入るか決めて頂戴」

 

 玖留美がそう宣言した為、新二はじゃんけんを行った後順番に扉を選んでそれぞれの扉の前に立つ。

「麒麟の部屋が九龍玖留美様、玄武の部屋が火村あかり様、朱雀の部屋が月山新二様、青龍の部屋が海野亜津子様、白虎の部屋が伊達静香様。

 決定後の変更は出来ませんが、これで宜しいですか?」

 玖留美が頷くと、白鳥は無線で美香に連絡を入れた後5名の後ろに立った。

 

「それでは全員扉を開けて中へと御入りください。

 皆様が合流出来るのは全ての試合が終了した後になります」

 玖留美は横にいる仲間の顔を見た後、試合前にかける最後の言葉を探した。

 

「……全力を尽くしましょう。

 余計な事は考えないで、勝利だけを目指す事。

 もう、言わなくても皆解っているでしょうけど」

 全員が自分の前にある扉を開けて中に入ると、広間は静寂に包まれた。

 

 玖留美は嫌でもその事実を受け入れなければならなかった。

 これから試合が終わるまで、殆ど味方がいない状態が続くと言う事。

 玖留美が入った部屋には氷室零がいた為まだ1人では無かったが、他の4名は対戦相手しかいない部屋に座り続ける事になる。

 孤独と負けられない事に対するプレッシャーとの戦い。

 様々な思いが頭の中に浮かんでは消えていった。

 

「私は2005年の全国大会で、九龍玖留美……アンタの事を見ていた。

 姉様はアンタを倒して己の強さを証明した。

 姉様の妹分である私がアンタに負ける事は許されない。

 私は姉様と出来るだけ同じ高さにいたいから」

 

 被っているフードから黒髪と怪しい光を放つ瞳が見える。

 心から慕っていた者を失った哀しみと一種の狂気がその目から垣間見えた。

「玖留美ちゃん、君が来たのか……すまない。

 君に余計なものを背負わせてしまった」

 

「良いんですよ零さん。

 貴方がそれに対して謝る必要なんて無いんですから。

 だって、ココに来たのは私自身の意思です。

 誰かに強制されたワケじゃない。

 私が貴方を救いたいと思った。

 救いきれなかった兄さんの分まで……それだけです」

 

 玖留美はそう言った後、試合開始まで時間がある事を知っていた為部屋の中を見回した。

 壁も床も天井も金色に輝き、部屋の隅には監視カメラが設置されている。

 筐体の横には黒い長机と2つの黒い椅子が置かれており、その1つに氷室零が縛り付けられていた。

 筐体の前に置かれている別の椅子に座った美香は、今まで何度も見てきたデモ画面を見つめている。

 

「この5年間、この戦いの舞台を用意する事、ZERO SECONDにおいて誰にも負けない力を得る事だけを考えて生きてきた。

 全ては姉様の命を奪った氷室零への復讐の為。

 姉様の仇を取る為……姉様の喜びこそが、私の喜びだから」

 

 その狂気の笑顔に涙が加わり、美香の顔が余計に不気味に映った。

 彼女は己の半分を構成していた『生き甲斐』を失ったのだ。

 自分の視力と親友を失った零よりも喪失感は大きかった。

 

「私は勝つ……この日の為に、アンタ達の仲間も含めた戦力を集めてきた。

 金を使えるだけ使って私の陣営に組み込んだ。

 卑怯と罵られたって構わない。

 私にはお金がある。

 姉様が遺してくれた莫大な資金が。

 その金を使って勝つ事に意義がある」

 

 美香は目の前にいる玖留美や椅子に座っている零に話しかけている様に見えたが、自分自身に言い聞かせている様にも感じられた。

 

「あと40分。

 10時になった所で一斉に試合が始まるわ。

 私以外の者達の勝敗も大事だけれど、一番大事なのは私と九龍玖留美の試合……

 アンタに勝たなきゃ勝利は掴めない」

 

「私にだって勝つ理由がある。

 貴方のお父さんが所属していた綾小路財閥に兄を拉致され、兄は記憶を失ってしまった。

 綾小路財閥のせいで多くの人間の人生が狂ってしまった。

 兄さんだけじゃない。

 紅虎明命によって視力を失った零さん、染井に殺された豊さん、豊さんの死と今でも戦い続けているあかりさん……

 私だって貴方と同じ様に失ってきたからこそ、他の人達の思いを背負って勝つ必要があるの」

 

 子供の頃の美香ならば、『下賤の民であるアンタと私の重みは違う』と一蹴していただろう。

「……そうね、アンタにだって勝たなきゃいけない理由がある。

 私と同じ様に。

 私はそれを認めたうえでアンタを叩き潰さなきゃいけない。

 アンタの思いを理解する事で、もっと大きな絶望を与える事が出来るから」

 

 5年の月日は、美香を成長させていた。

 下賤の民と蔑んできた者達に姉である桜華は追い詰められ、自殺に追い込まれたのだ。

 自分達より下だと思っていても、人が集まり力を増していけば驚異となる。

 美香は考えを少しだけ改め、玖留美を『同格』だと認めていた。

 

 

 黄金に輝く部屋とは対照的な漆黒の部屋。

 先程の広間と同じ様に青白い照明だけが部屋の中を照らしている。

 火村あかりが部屋の中に入った時には既に先客がいた。

 筐体の前に座った人物は黒いフードを被って顔を隠している。

 

「貴方が私の対戦相手と言う事ね。正々堂々と勝負しましょう」

 そう言ってあかりが手を差し出すと、黒いフードの人物は袖から手を伸ばし握手に応じた。

「……もっと早く、この手を握る事が出来ればどれだけ良かったか。

 今、私自身はそう思っています」

 

 そう言った後、フードを被った人物は自分でフードを取り顔を露わにする。

 黒い髪、悪魔の様な真っ赤な瞳、黒真珠のイヤリング……

 目にうっすらと涙を滲ませているその女性の顔は、あかりもよく知っていた。

 

「最初は、私に課せられた単なる任務でした。

 『ギルドZERO』の一員となって彼等の弱点を掴め。

 井島豊、火村あかり、氷室零達の実力を調べろ……

 私は言われた事をただ忠実にこなしているだけ。

 そう思っていました」

 

 頬に涙が伝う。

 火村あかりの目をしっかりと見つめながら、ハッキリとした口調で彼女は語り続けた。

 

「でも何時の間にか仕事と思って付き合っていた人達の優しさが、私の冷たくなっていた心を温めてくれていた事に気付いたんです。

 子供の頃から草として綾小路財閥に尽くす事だけがお前の使命。

 そう言われてスパイ活動ばかりしていた私は、孤独でした。

 拓巳さんや、リーダーである天邪鬼さんは何時も私に親切にしてくれた。

 常に私を励ましてくれていました」

 

 五十神妖。

 玄武の正体は彼女だった。

 美香への忠誠心と『ギルドZERO』のメンバー達への憧れとで心は揺れたが、彼女は最終的にこの道を選んだ。

 美香と共に、九龍玖留美達と戦うと言う道を。

 その気持ちに迷いが生じている事はあかりにもよく解った。

 

「距離を置こうとすればする程近付いてきました。

 あかりさんも、零さんも、豊さんも……

 あの親善試合の後、私はずっと悩んでいました。

 今でもずっと悩んでいるんです。

 本当の自分に嘘をついているんじゃないかって。

 私の本当の望みは違う所にあるんじゃないかって」

 

 妖は本心ではエターナルナイトに、電脳皇帝に、そしてギルドZEROに戻りたかった。

 満面の笑みを浮かべながら楽しく格闘ゲームをしていた人々の輪に加わって、自分も笑顔を取り戻したかった。

 だが自分の立場は枷となって妖を苦しめた。

 美香は妖の願いを許しはしなかったのだ。

 

「……これから、どんな結末が待っていようとも私はそれを受け入れます。

 私はあかりさん達の事が好きです。

 でも、桜華御嬢様と美香様への恩も忘れられない。

 だから、この試合に他の気持ちは絶対入れないと心に誓っています。

 ただあかりさんに勝てるのか否か、それだけを考えて勝負がしたいんです」

 

「貴方の気持ちはよく解ったわ。

 私も負けられない。

 私は零を救いたいから。

 それと同時に、貴方の心も救ってあげたい。

 妖さんがエターナルナイトで皆と笑い合える仲になれる様にする為には……

 私が勝つ必要があるのよ」

 

 互いの事を尊敬していた。

 妖は優勝経験こそ無いものの、2004年度のZERO全国大会では3位。

 2009年度の全国大会では準優勝と言う立派な成績を残している。

 

 火村あかりはその成績には及ばないものの豊と共に得てきた膨大な知識と場数を武器に、多くの勝利を掴んできた。

 アークラインズの編集部員となった後に参加したイベントでの勝利は妖も一目置く程の圧倒的な勝利を手にしている。

 

「戦績では私が上。

 培ってきた技術や経験はあかりさんの方が上。

 私は今回の試合、かなりもつれると思っています。

 私は勝ってみたい。

 あかりさんの様な立派なZEROプレイヤーに勝てれば、何処でだって胸を張る事が出来ますから」

 

 火村あかりと五十神妖。

 5年前の夏に出会った2人が己の腕を証明する為の試合に挑もうとしていた。

 

 

 真っ黒だった広間から真っ白な部屋に入った伊達静香は、その神秘的な雰囲気に息を呑んだ。

 純白の大理石が壁や天井を覆っている。

 壁には窪んでいる箇所があり、そこには青白く光るランプが置かれていた。

 部屋の真ん中に置かれた筐体の前に2つ椅子が置かれており、奥の椅子には白いフードを被った人物が座っていた。

「貴方も、美香に札束で頬を叩かれてこの試合に参加してるの?」

 

 静香がそう言うと、その人物は首を横に振った後自分の手でフードを外す。

「……いいえ、お金が目当てではありません」

 その声は伊達静香がよく知っている人物の声だった。

 

「そ、そんな……」

 モニター室で白い部屋の様子を見た柏糸涼介は、膝に乗せていた拳をきつく握り締めた。

「遼子さん……だったんですね」

 俯きながら口を結んだ比呂子は悔しそうな表情を浮かべている。

 

「馬鹿な、どうして。

 遼子の実家は資産家だ。

 天武日本三大財閥だぞ!?

 それに旧綾小路財閥とは敵対関係にあったハズだ。

 僕と言う恋人がいながら、僕達の敵になる道を選択するだなんて……信じられない」

 

 涼介は目から大粒の涙を流しながらそう言った。

 5年前の全国大会の後本格的に付き合いだし、2人は結婚も視野に入れていた。

 例え結婚出来なかったとしてもずっと一緒にいよう。

 共にそう誓い合った相手が敵になると言う展開が涼介を打ちのめしていた。

 

「金が目当てやないちゅう事は、多分美香はんの顔の広さと関係があるんやろうな……

 天武日本を代表するメガバンクの社長や。

 交友関係は多岐に渡るハズ……

 自分の力では会えない相手と接触したいと思うてるかもしれんなぁ」

 遠藤咲がそう言うと、堀北栞は手を顎の下に添えた後考え込む様な仕草を見せる。

 

「もしそういった目的があるとすれば、余程の大物と会いたいと言う事でしょう。

 何せ本丸から遠のいているとは言え、遼子さんは長尾財閥の関係者です。

 財界の人達と会うのは困難では無いと考えるべきでしょうね。

 そうなるとその上……

 天武日本の政治を担っている人物との接触を図ろうとしているのかもしれません」

 

 涼介は栞の言葉を聞いた瞬間、遼子が悩みを自分に打ち明けてきた時の事を思い出した。

『手に手を取る平和的な解決法を無視して、織田政権は相手を一方的に滅ぼす事しか考えていない。

 このままではこの国はおかしくなってしまう。

 誰かが彼の暴走を止める必要があると思うの』

 

 遼子は博愛主義だった為涼介も遼子がそう思う事自体は不思議でも何でも無かったが、何度も繰り返したその言葉に裏の意味が隠されていたのかもしれないと思った。

「……現在の総理大臣、織田信鷹は物凄い数のSPが脇を固め誰かと会う事も稀だと聞いている。

 誰かと会う事そのものをリスクと捉えている様な男が美香の顔を立てて遼子に会おうとするとは考えられない。

 遼子もそれは諦めているハズだ。

 だとすれば……先代の総理大臣、織田信虎との面会を望んだ可能性が高いな」

 

 涼介はそう言うと、肩を落としてうなだれた。

 (解っているんだ。

 美香に頼まなければ信虎には会えないと言う事は……

 だけど、僕に相談する事も無く裏切ってしまうなんて。

 自分の望みの為に零さんが死ぬかもしれないと言う事実を承知の上でこの戦いに挑むなんて許されない事だぞ)

 

 遼子は、自分が成し遂げようと決めた事はどんな手を使ってでも成就させようと言う芯の強さを持っていた。

 だが今回はその強い気持ちが裏目に出た。

 恋人である涼介の気持ちよりも自身の願いを優先させたのだ。

 

「僕には、遼子の気持ちが痛い程に解る。

 多分、僕に対して負い目を感じてはいるだろう。

 僕だって同じ立場だったら同じ様に悩んでいたハズだ。

 それでも……僕達を裏切ったと言う事実はあまりにも重い」

 

 涼介の耳に美香の笑い声が聞こえてくる様な気がした。

 美香は玖留美達の団結力を削ぐ為に金で仲間を次々に懐柔していったのだ。

 理由が何であれ、遼子は間違った道を選択してしまった。

 涼介にとってはそれが最も辛く、哀しい事だった。

 

「私は、どうしても信虎さんにお会いしたいんです。

 そして、彼の心を変える事で信鷹さんの強権政治を変えたい。

 今、信鷹さんは信国の国民を皆殺しにしようとしています。

 総理大臣を殺して天武日本を滅ぼそうとクーデターを起こした国。

 H2O爆弾を主要都市に投下して信国の国民を殺戮してもまだ彼等は足りないと言う。

 天武日本国民への復讐を企む信国民をそのままにはしておけない等と言う難癖を付けて、信鷹さんは民族浄化計画に乗り出しました。

 このままではそんな事を考えた事すら無い国民まで殺されてしまう。

 信国が滅亡すれば、天武日本国の進む道は破滅しかありません。

 私の手でその破滅を回避したいんです」

 

 遼子は悲壮な決意を胸に秘めていた。

 涼介に裏切り者の烙印を押され、破局する覚悟さえ決めていたのだ。

 愛する人と別れる可能性が高くても、天武日本を救う道が優先順位。

 遼子は信虎と会う為に美香と手を結んでいた。

 

「私には政治の難しい話は解らないけど、要はこういう事でしょ?

 私が勝てば零さんが生還する可能性が高くなって、私が負ければ可能性が低くなる。

 貴方が勝てば貴方の望みが叶い、負ければ夢が潰える。

 お互いに成し遂げたい事があるんだから、勝負で決着を付けましょう」

 

 伊達静香にとっては、5年前のリベンジ戦でもあった。

 新潟県にあるゲームセンター『五百万石』で彼女と戦い彼女は敗北した。

 登坂順也もこの敗戦によって躓き、全国大会への切符を逃した事でどんどんと腕が落ちていく。

 あの時の何気ない1つの野試合が、5年後の運命まで変えてしまったのだ。

 それを静香は嫌と言う程理解していた。

 

 (たらればに意味が無い事なんて重々承知しているけれど、それでもあの時に勝っていたら順也の才能が潰れる事は無かったのかもしれない。

 私は素直に自分の未熟さを受け止める事が出来たけど、順也は立ち直れなかった。

 遼子ちゃんが悪いワケじゃ無いけど、私は彼女に対して思う所がある。

 この試合に勝って、私が成長した事を確かめたい)

 

 5年越しの再戦。

 背負っているものに違いこそあれど、勝ちたい気持ちの強さは2人共同じだった。

 

 

 海野亜津子が足を踏み入れたのは、自分がかつて暮らしていた故郷の海を思い出させる様な青の空間だった。

 サファイアのブルーと言うべき美しい青色が壁と天井に広がっており、周囲の照明が海の『波』を形作っている。

「綺麗……」

 自分がこの部屋に入ってきた目的を忘れてしまいそうな程の美しさに亜津子は息を呑んだ。

 その部屋の中心に筐体と椅子が設置されており、青いフードを被った人物が既に部屋の奥側の椅子に座っている。

 

「宜しくお願いします」

 相手が誰なのか解らぬまま、亜津子は一礼した後手前側の椅子に座った。

 フードを被った人物の身長は亜津子とそう変わらない。

 袖から見える手が、相手がかなり若いと言う事を示していた。

 

「姉貴の為に金が欲しいんだ。

 黒沢美香が勝利給1000万円を払ってくれるって言うんでね」

 口元だけが見えている状態で亜津子は相手の声を聞いた。

 

 (誰?)

 かつて電脳皇帝に通い、今ではエターナルナイトの常連となっている亜津子にも聞き覚えの無い声だった。

 その声はやや高く少しだけ女の様にも聞こえるが、男である事が亜津子には解った。

 (少なくとも成人はしていない。

 この子、未成年だ)

 

「1000万円は大金だ。

 この大金が手に入れば、姉貴が自前のファンシーショップをオープンさせる時の初期費用になる。

 ちょっと気弱だけど接客は丁寧で上手な姉貴の事、開店すれば取り返せるどころかプラスになると俺は信じてるよ」

 

 顔を見せないまま笑う少年。

 亜津子は彼の台詞に引っかかるものを感じた。

 (あれ、ファンシーショップの店長になりたいって言う夢を持ってた人がいたんじゃなかったっけ……?)

 

「健ちゃんッ!!」

 モニターの映像をザッピングしている最中に相手の声を耳にした比呂子は、椅子から立ち上がるとそう叫んだ。

 比呂子の顔は蒼白になり、驚きのあまり顔がひきつっている。

「遼子だけで無く健太郎君まで『敵』に回ったか……」

 涼介はそう言うと、苦虫を噛み潰した様な顔をしたまま机の上に突っ伏した。

 

「どうして、どうしてぇ!!」

 比呂子は涙を流しながらモニターにしがみつき、狂った様に叫び続ける。

「比呂子、落ち着け!」

 比呂子の精神状態を心配した久緒と栞が両脇から彼女を掴み、落ち着かせようとした。

 

「健ちゃん、どうして……

 人の命を奪ってまで手に入れたお金なんて何の価値も無い。

 それが解る子だと思っていたのに、思っていたのに!」

 

 歯を食いしばり、涙を流し続ける比呂子を完全に落ち着かせる事が出来る者はその場にいなかった。

「比呂子さん、落ち着いてください。

 貴方が騒いでもこの事実が覆るワケではありません。

 今はただ、貴方の弟が敗北する事を祈るだけでしょう」

 

 栞がそう言うと比呂子は暴れていたのが嘘の様にその場に崩れ落ちる。

「ああぁ……あううぅ……」

 両手で顔を覆い、声にならない声を発しながら涙を流す比呂子に誰も声をかける事が出来なかった。

 

「これが、『絆を壊す』と言う事ですか……酷い、酷過ぎる!」

 瞳は涙を流しながら拳を強く握り締める。

「誘った方にも責任はあると思うんやけど、その誘いに乗った健太郎はんも大概やわ。

 確かに1000万が大金なんは事実。

 せやかてなんぼなんでも零はんの命を無視してまで……」

 

「お前、比呂子の目の前でそう言う言い方は無ぇだろ!」

 咲の発言に対して久緒が詰め寄ったが、栞が2人を引き剥がした。

 

「それでは美香さんの思う壺です。

 私達の絆を分断させる為に美香さんは健太郎さんの心を金で誘惑した。

 今私達の心が1つにならなければ応援も出来ずに皆負けてしまう。

 それが美香さんの狙いなんですよ」

 そう言って2人が諍いを起こさない様にした栞だったが、比呂子は咲の言葉を素直に受け止めた。

 

「……咲さんの言う通りです。

 命は金で買えない。

 どんな大金持ちであっても不老不死にはなれません。

 零さんの命を見過ごす事で健ちゃんは1000万円を得ようとしている。

 私の為だろうが何だろうが、どんな目的があっても許される事では無いんですよ、これは」

 

 比呂子の言葉に対して、口を開く者はいなかった。

 どんな言葉を返したとしても意見が平行線を辿るであろう事は全員が理解していた。

 

「貴方は、雨宮健太郎さんですね?」

 海野亜津子がそう言うと、少年はフードを外し顔を露わにする。

 髪をマリンブルーに染め上げ、瞳にも青色のコンタクトレンズ。

 それはまるで彼が着ている青い服と同化しているかの様にも感じられた。

 

「亜津子さん、貴方と話した事はあまり無かったな。

 全国大会でも結果を残してる凄腕のZEROプレイヤーだ。

 正直戦える事に興奮してるよ。

 1000万を手に入れて、姉貴に喜んでもらう為にも負けられない」

 

 顔は比呂子に比較的似ているが、目つきや口元は大きく異なっている。

 基本的におっとりしていて温和な比呂子の雰囲気とは真逆の、近付く者を敵意で切り裂く様な危険な雰囲気を纏っていた。

 

「2つほど、質問させてください。

 貴方は氷室零さんの命を犠牲にする事で大金を得ようとしている。

 心は痛まないんですか?

 そして、そんな手段で手に入れた1000万をあの比呂子さんが喜んで受け取るとでも思っているんですか?」

 

 亜津子は、雨宮比呂子の性格を把握している。

 比呂子は誰かの為に本気で怒り、本気で泣く事が出来る人物。

 亜津子はそんな人間が汚れた金を素直に貰うとは考えられなかった。

 

「大金を得る行為にはリスクがつきものでしょ。

 そのリスクを赤の他人が背負ってくれるんだからこっちとしては至れり尽くせりだ。

 1000万って言う金を高校生の俺がまともに働いて稼ぐのはまず不可能。

 いや、可能だとしても何とか稼いだ頃に姉貴が何歳になってると思う?

 結局姉貴の夢は実現出来ない。

 目の前にチャンスがあるんだから俺はリスクを承知で勝ちに行くよ。

 罪悪感なんか感じていられない。それに……」

 

 健太郎は自己陶酔に浸っているかの様な表情を見せながら言葉を続ける。

 

「姉貴はああいう性格だから最初は嫌がるかもしれないけど、姉貴だって充分解ってるハズさ。

 姉貴にしても俺にしても、普通の方法じゃ絶対に自前のファンシーショップは開けない。

 姉貴の給料はファンシーショップの店員で月16万。

 16万だぜ?たったの16万。

 服・食費・生活費……

 そりゃ今は俺と同じ様に実家住まいしてるから頑張れば2万か3万は貯金出来るかもしれないけど、1000万貯蓄するのに何年かかる?

 親父と御袋だってずっと健康でいられる保証は無い。

 現実的に考えて、こんな棚ボタクラスの話が舞い込んでこない限り姉貴の夢は実現出来ないんだ。

 それが解るまで何度でも繰り返し説得する。

 俺だって、目の前の相手に勝つ為に必死で努力を続けてきたんだ。

 最終的には俺の事を褒めてくれるって信じてる。

 俺の為じゃない。俺自身が欲しい1000万じゃ無いんだから」

 

 熱に浮かされた様に喋り続ける健太郎の姿は、黒沢美香とよく似ていた。

 (健太郎君は、美香と同じ様に『これが正しい』と叫ぶ病にかかっている。

 これが正しいのか自分の中で迷っていたとしても止められない。

 一心不乱に破滅に向かって突き進むしか無い。

 彼自身では止められないのだから……私が止めるしか無い)

 

 海野亜津子は、救うべき人間が増えたと思った。

 救わなければならないのは、氷室零・黒沢美香・雨宮健太郎の3人だ。

「私が勝てば貴方の野望は潰える。

 絶対に貴方に1000万円を獲得させるワケにはいきません」

 

「金で転ぶ様な人間なんて弱いって、たかをくくってるでしょ?亜津子さん。

 逆だよ。

 金に貪欲な人間だからこそ、その金を得る為に必死になる。

 俺はこの日の為に寝る間も惜しんで野試合を続けてきたんだ。

 指が痛くなっても練習を続けた。

 愚直に、何度も。この晴れ舞台の為だけにね」

 

 そう語る健太郎の指には確かに練習を重ねてきた事を物語る痕跡が残っていた。

「私も貴方と同じですよ。

 どちらが積み重ねてきたものを無駄にせずに終われるのか……決めましょう」

 姉を慕う者と、雨宮比呂子を尊敬する者。

 海野亜津子はギルドZEROの元サブリーダーとして、この試合に勝利する事を誓った。

 

 

 部屋全体が血に染まったかの様な赤い部屋。

 その赤い部屋の中央にある筐体前の椅子に座っていた赤いフードの人物は、月山新二の顔を見て驚いた。

「シン……君?」

 

 新二にとって、その声は絶対に忘れまいと心に誓っていた人物の声だった。

 透き通る様な美声は若干掠れていたが、それでも彼女である事は間違いない。

 新二はそう思った。

 

「師匠、ですか?……

 まさか、本当に師匠が!?」

 新二はこの事実を素直には受け止められなかった。

 子供の頃、彼女に淡い恋心を抱き心から尊敬していた人物が人が死ぬかもしれない試合に関わる等信じられなかったのだ。

 

「貴方にだけは、今の私を見てほしくなかったわ……

 心の中で、会いたい気持ちと会いたくない気持ちがずっとぶつかっていたから」

 フードを外した彼女の顔は初めて新二が彼女と会った時とかけ離れていた。

「し、師匠……!」

 

「無様でしょ、こんな姿になっちゃって。

 私の体重、今100キロ位あるのよ?

 ストレスでのやけ食いで激太り。

 借金を返す為に身体も心もボロボロになってしまった……

 こんな負け犬人生をやり直す為には、何としても1000万円を手に入れなきゃならない。

 解るでしょう?」

 

 身体も顔も、あの頃の美貌は失われている。

 真っ赤に染められた髪だけが、彼女の面影をかろうじて残していた。

「借金?師匠、一体何があったんですか?

 俺と別れた後に何が……」

 

「父さんが私達に内緒で借金を抱えて死んだの。

 黒服の男達が現れて『相続放棄をした場合君達の命がどうなるか保証は出来ない』って脅された。

 警察に駆け込もうとしても同じ事になるってね。

 全国大会の優勝賞金を差し出しても800万円の借金が残った。

 借金まみれの父親がいたと言う情報はすぐに伝わり、北海道にいる事も難しくなってしまったわ」

 

 自分の悲惨な人生を振り返り、桃子は涙を流した。

 時折呻く様な声を発しながら言葉を発する桃子の変わり果てた姿を見て、新二も思わず胸に手を当てる。

 

「シン君……貴方に会うなんて思っていなかった。

 貴方と戦う可能性なんてゼロに近いと思っていたのに。

 運命は皮肉なものね……

 でも、貴方が相手でも私は勝たなければならない。

 私だけじゃない。

 母さんの為にも、風俗嬢にまで転落した私を励まし続けてくれた人達の為にも絶対に負ける事は許されないのよ!」

 

 茶色の紙袋の中の肉まんを美味しそうにほおばる樽酒桃子の綺麗な顔。

 どんな勝負の時にも涼しい顔をして勝っていた美しい姿。

 月山新二は彼女に恋をしていた。

 子供の頃は伝える事が出来なかった言葉を、今なら伝えられる。

 新二はそう思った。

 

「俺も負けられません。

 火村あかりさんや九龍玖留美さんと出会って、あの人達の思いと覚悟を受け取りました。

 氷室零さんを助けたい。

 そして、俺は師匠の事も助けたい。

 欲張りかもしれません。

 でも俺はそういう生き方しか出来ないんです。

 正直に言います。

 師匠、貴方の事が大好きです。愛しています」

 

 桃子は涙を流しながら、呆然とした表情で新二の顔を見つめる。

 

「俺が勝ったら、俺と付き合ってくれませんか?

 借金返済、俺も手伝います。

 1人だけじゃ潰されそうな程の圧力だって、2人なら一緒に乗り越えていけるハズです。

 俺は諦めてない。

 全国大会の優勝賞金、俺が狙います。

 それが無理でも800万完済を目指します。

 俺と一緒に歩いてもらえませんか?

 あの時と同じ様に!」

 

 決意と覚悟。

 新二は嬉しかった。

 もう会えないのではないかと思っていた愛する人に再会する事が出来た喜びを彼は感じていた。

 そして彼女さえ許してくれるのならば離れずに生きていきたい。

 全てを受け止めると決めて新二は叫んだ。

 

「本当に、私なんかで良いの……?

 私みたいな汚れた女で」

 桃子は自分が聞いた言葉が理解出来ない様な顔をしていた。

 新二の言葉を信用する事が出来なかった。

 

「何を言っているんですか師匠。

 師匠は俺にZEROを教えてくれたじゃないですか。

 俺の人生の恩人である師匠に恩返しするチャンスなんだ。

 俺は今がその時だと思っています」

 

 新二の言葉は桃子の冷たい心に光を灯した。

 人間不信に陥っていた桃子の目頭を熱くさせた。

 

「シン君……有難う。

 本当に嬉しい。

 貴方にそう言ってもらえる事が本当に嬉しいのよ?

 でも、勝負は別。

 前に貴方が言ったでしょ?

 もっともっと強くなって私に会いたいって。

 私に勝つ事でそれを証明してほしいの。

 私も全力でやるから」

 

 桃子も譲れなかった。

 かつて全国制覇を成し遂げた彼女のプライドが、安易に敗北する事を拒否していた。

 1000万円だけで無く、弟子よりも師匠の方がまだ実力が上である事を示す為の戦い。

 桃子にとってこの試合に『負けられない理由』が1つ加わったのだ。

 

「そうですよね。

 師匠は強い人だった。

 簡単に説得出来る様な人じゃありませんでした。

 だったら、とことんやりましょう。

 今までの思いを全部ぶつけて、戦うだけです!」

 

 月山新二にとっても、樽酒桃子にとっても、忘れられない試合になるであろうこの一戦。

 2人共、勝ちたい気持ちは同じ。

 そして試合の勝敗が今後の2人の人生すら決めてしまう。

 どちらもそれはよく解っていた。

 

 

 集まった者達の気持ちは揺れ動いていた。

 勝つのは殺したいと願う力か、救いたいと願う力か。

 金が欲しいと言う欲望か、ただ勝ちたいと願う無欲か。

 天武日本を救いたいと言う悲壮な決意か、昔の無念を晴らしたいと思う矜持か。

 10人全員に勝ちたい理由があり、勝利を願うからこそ今日に至るまで血の滲む様な練習を続けてきた。

 

 勿論、モニター室に集まっていた応援する者達にも、同じ事が言える。

 零を救ってほしいと願い続けてきた。

 自分が力になれなくても、応援する事で何かの力になれる可能性があるのではないか。

 彼等はそう思って試合を見守る事になった。

 

 勝負の結末がどういったものになるのかは、一部の人間を除き解らない。

 結末が解っている人間ですら、それぞれの試合の勝者を予想する事は困難に近かった。

「そろそろ始めましょうか」

 午前10時、一斉に5試合が開始される。

 その結果によって氷室零の生死が決まろうとしていた。

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