実際の格闘ゲームでは流石にここまでの煽り合いはありません。
(北斗とかだと実況が煽ってくる事はありますが)
これも格闘ゲームの華なのかもしれませんねぇ。
【2010年 8月8日 午前10時 東京都 プラナス本社ビル内 青の部屋】
雨宮(あめみや)健太郎(けんたろう)は腕時計を見つめていたが、部屋内に音楽が流れ始めた事に気付き顔を上げた。
「10時か……時間ピッタリだな」
彼の真向かいに座っていた海野亜津子も、その音楽に少しの間耳を傾ける。
(試合開始の合図なんでしょうけど、とても荘厳な雰囲気を纏っていて……
何だか哀しい曲だわ)
亜津子は流れている曲のタイトルもこの曲を作った人物の事も知らなかったが、音楽に込められたメッセージは感じていた。
「葬送曲ってやつだろ?
氷室零の冥福を祈る為の……
俺にとっては奴の生死なんざどうでもいい事だ。
俺が気にしてるのは1000万の事だけ。
姉貴を幸せにする為の1000万を手に入れる為に、アンタを倒す」
雨宮健太郎は姉である雨宮比呂子の事を尊敬し、真剣に愛していたがそれ以外の人間に関する感情は薄くなってしまっていた。
5年前の全国大会に出場した時も、『優勝すれば姉に褒めてもらえる』と思ったから参加したに過ぎない。
姉に対する狂信的な愛情は、彼女以外の人間に対する感情を冷めたものへと変えてしまっていた。
さらにそれは独りよがりな愛情だった。
本来ならば比呂子が喜ばない事さえも、彼にとってはこれ以上無い愛だったのだ。
「私は貴方の暴走を止めなきゃいけない。
比呂子さんの弟である貴方に勝つ事で、自分の強さも証明するわ」
海野亜津子は沢山の仲間に恵まれ、人間性にも優れたリーダーと出会いその仲間やリーダーが苦しむ姿を目の当たりにしてきた。
(リーダーは引退試合で有終の美を飾る事が出来ず、拓巳さんと剛さんはZEROプレイヤーとして活躍する事も出来なくなってしまった。
もうこれ以上、誰も不幸になってほしくない!
私をこの5年間支え続けてくれたあかりさんの為にも勝たないと……)
海野亜津子は香川県から千葉県へと引っ越していた。
エターナルナイトにいる者達の近くに身を寄せたかったのだ。
プールの監視員のアルバイトを始め、豊が住んでいた部屋に住みながら日々を過ごしている。
大切な人を守る事が出来なかった悔しさを引き摺りながら、自分の力で人を助けられる時は助けたいと言う思いは強くなっていった。
「暴走だなんて、随分な言い方をしてくれるじゃねぇか。
俺は姉貴を助けてやりたいだけなんだ。
経済的に楽になれば、夢への扉も開く。
誰にも俺の邪魔はさせねぇ……」
健太郎を言葉で説得する事が不可能である事は亜津子にもよく解っていた。
説得が無理だと言うのならば、試合で勝って彼が1000万を得る事を阻止しなければならない。
様々な重圧が亜津子にのしかかっていたが、彼女はその全ての重圧をはねのけて勝つ覚悟を決めていた。
海野亜津子が雨宮健太郎と対戦するのは、今日が初めての事だった。
5年前の全国大会の予選で雨宮健太郎は御母洋子と共に出場したが、亜津子はその出場歴がある事位しか彼の事を知らない。
「アンタにとっちゃ、新たなトラウマになるかもしれねぇぜ?
フフ……」
意地悪な笑みを浮かべながら雨宮健太郎はキャラクター選択画面で『イリス・ウッドゴブリン』を選んだ。
全国大会の決勝トーナメントにおいて、亜津子は天邪鬼が操るイリスに敗れている。
「どうせなら、アンタにとって一番悔しい負け方をしてもらいたいからなぁ!
他にも色々いじくれるキャラクターはあるが、アンタとやるならこのキャラクターしか無ぇよな」
過去の傷を抉り出し、動揺を誘っているのは解っていた。
「私がリーダーに負けたのは5年も前の話です。
リーダーは一線を退き、狩谷優さんと結婚しました。
今更私がイリスと戦うからと言って過度に怯えたりする事はありません」
「それはどうかな?
トラウマってのは潜在的なモンだからな。
記憶の中に残っている以上、意識の中に現れる。
勿論、このキャラクターを操る技術を持った俺なら勝てると踏んでの事だ」
5年前、御母洋子を励ましていた頃の面影は既に消えている。
健太郎は姉への狂気に満ちた愛情の為に平気で人を貶せる人間になってしまっていた。
(大丈夫。
相手がイリスを使ってきたとしても、勝つだけ。
何も問題は無い)
自分にそう言い聞かせながらも、亜津子は自分の中に眠る恐怖と戦わなければならない様な気がしていた。
『REAL DEATHGAME START!』
2人しか部屋の中にいないと言う静寂の中、マリンとイリスの戦いも静かに始まった。
動きの遅いイリスと、遠距離攻撃と近距離の追い払い攻撃を持つマリン。
マリンの方が動きが早い為、一見すればマリンが有利な様に見えるがそうでは無い。
(1発受けただけでHPゲージの3分の1を削る程の威力を持つ棍棒攻撃。
近距離攻撃のみだけれどリーチが長いから下手な逃げ方をすると当たってしまう。
ここはセオリー通り、遠距離から泡を飛ばして相手を近付かせない様にするのが得策)
バックステップで後退すべきか、後ろにジャンプするべきか。
様々な逃げ方を模索しながら、イリスの攻撃を喰らわない事を前提にして動いていく。
「教科書通りの立ち回りじゃ勝てねぇって事をアンタに教えてやろうじゃねぇか」
健太郎は泡攻撃をガードで防ぎながら、バックステップで距離を取った。
動きが遅いキャラクターでもバックステップは前に出る時より早い。
(何を……!?)
いきなりダッシュして距離を詰めようとしてくるイリスに対して亜津子はマリンの電撃を放とうとしたが、バックステップで避けられた。
「アンタの攻撃なんざ読めてるんだよ。
決まりきった動きしかしねぇ奴の動きは解り易くて助かるぜ」
健太郎は相手を挑発し、冷静な判断力を奪いにかかる。
亜津子はあくまで平静さを保とうとした。
「私の事を馬鹿にしたからと言って試合に勝てるワケじゃありませんよ」
相手の安い挑発に乗っても得になる事は何も無い。
亜津子はマリンを画面左端に逃がした後、遠距離攻撃でHPを削りにかかる。
イリスも無駄なダメージを避けつつ、的確なガードを行いながらマリンの方へ近付いていった。
緩慢な動きしか出来ないイリスはダッシュのスピードも遅い。
その為イリスがダッシュしてきた時に技を当て易いハズなのだが、相手はバックステップで軽々と避ける。
(私が焦れて余計な動きをしようとした時を狙っている……
今、HP差が全く無い以上、無理をする必要が無い)
一旦バックステップで逃げてから改めてマリンに近付いても、通常の移動速度が遅いので、捕まえるのは非常に難しかった。
「自分が何かを成し遂げたいと思って参加した全国大会で、まさかのストレート負けだろ!
ざまぁねぇよな。
恥ずかし過ぎて、死にたくなったんじゃねぇのか?」
煽ってくる健太郎に対して、ダメージを与える事が出来ない亜津子。
イライラが蓄積していく。
実力で黙らせたいと思うが、相手と近距離で殴り合うのはあまりにもリスクが高い。
「下手糞の弱虫女!
結局泡飛ばした所で1回も俺に当てられてねぇじゃねぇか。
リスクを背負わない奴ってのは嫌だねぇ。
負けた理由は案外そこにあるのかもな」
怒りが沸き上がるが、もう1人の自分が必死で止めていた。
健太郎は密室で2人きりと言う状況を利用して『喧嘩』を仕掛けているのだ。
この部屋には審判員もゲームのシステム以外のルールも存在しない。
つまり、場外ならば何をしても構わないと言う無法地帯だった。
「貴方に私の何が解ると言うんですか」
「記録が物語ってるだろ。
5年前の惨敗からアンタの根本は何も変わっちゃいねぇ。
支えてくれる奴がいなきゃ何も出来ねぇヘタレ女が。
支えてる奴も支えてる奴だ。
2004年度の全国大会で負けたからって号泣。
良い大人が大観衆の目の前で泣いたんだぜ?
みっともねぇったらありゃしねぇ。
そんなのがギルドZEROのリーダーなんてちゃんちゃらおかしい……」
その瞬間、亜津子の理性が粉々に砕かれた。
(私の悪口はともかくとして、リーダーの悪口を言われる事だけは我慢がならない……!)
コイツの口を今すぐ塞がなければ。
そう思った亜津子は多少無理をしてでもイリスのHPを削りにかかろうとした。
近距離で殴り合うのは危険。
解っている事だった。
理性では解っていたが、今の彼女にはその理性が残っていない。
「馬鹿が……!」
近付いてきたマリンの動きを注視しつつ、出るべき所で一歩を踏み出し棍棒で相手の身体を突く。
亜津子は咄嗟にガードで対応しようとしたが間に合わず、その突き攻撃によって端に吹き飛ばされてしまった。
「はッは――ッ!
足掻いてくれるじゃねぇか。
攻撃の初速が僅かに早い突き攻撃を使わざるを得なかったぜ」
突き攻撃はそこまで深刻なダメージにはならなかったが、それでもHPの1割が消し飛ぶ。
攻撃を喰らってしまったと言う亜津子の動揺に付けこみ、健太郎は丁寧に間合いを詰めていく。
「泣き虫青鬼の無念を晴らしてぇんなら、俺を倒してみるんだな!
ま、教えた奴が弱いんだからアンタも結局弱い事には変わりねぇんだろうが……」
亜津子が活火山だったとしたら、既に1回噴火し再び最大級の噴火が起こる一歩手前と言って差し支えは無いのかもしれない。
(コイツだけは絶対に私が倒す!
私とリーダーを愚弄した奴には、地獄に落ちた方がマシだと思う程の痛みを与えてやる!)
歯を食いしばり、憤怒の表情を見せながら相手に近付いていく亜津子。
この対戦カードにおける鉄則など既に彼女の頭から抜けてしまっていた。
(本格的に乗ってきやがったぜ!
やっぱりコイツは煽られる事に耐性の無い奴だ。
楽勝楽勝)
相手を口汚く罵りながら的確なプレーを行う事が出来るのは1つの才能かもしれない。
健太郎は再び近寄ってきたマリンの攻撃を受け止め、さらに近付き投げようとした相手の動きを見越して攻撃を決めた。
「この局面はガードを固めてきた相手に対して投げたくなるよな。
御見通しなんだよ!」
バットのスイングの様な一撃が決まり、相手のHPを半分近くまで削る。
冷静さを取り戻さなければ亜津子の勝利は無い。
だが、落ち着けとアドバイスを送ってくれる者等この部屋には全くいないのだ。
「解った様な口ばかり……
私とリーダーがどれだけ苦しみ、全国大会で勝つ為に苦労してきたかも知らないで」
「逃げたんだろ?
お前が信頼を置いてる奴は。
2005年の全国大会でも勝てずに泣いて引退。
自分が恥を晒し続ける事に耐えられなくなったから安易な方法を採用しただけだ。
逃げれば苦労する事も無ぇからな」
亜津子の溜まりに溜まっていた怒りが最早抱えきれなくなり爆発した。
自分の内面だけに留めておけなくなった怒りを筐体にぶつける。
拳を握り締めた状態で操作ボタンのある台に叩き付けた。
「貴方だけは、絶対に倒す!」
残り30秒。
半分近くまで差を開けられてはいるが、しっかりとコンボが決まれば取り返せない開きでも無い。
一撃一撃が異様に強いイリスとは違い、しっかり攻撃を決めてダメージを稼ぐタイプであるマリンはダウン覚悟で殴り合わなければならなかった。
攻撃を受けてしまえば遠距離タイプのキャラクターも近距離戦を仕掛けるしか無い。
健太郎は全てを見越して彼女を貶し続けたのだ。
「アンタがダメージを取り返す為に近付いて来れば、それは俺の間合いでもある。
飛び込んでこいよ!
すぐに返り討ちにしてやるから」
今度はさらに厳しい状況に陥るかもしれないと言う不安を亜津子に植え付ける。
亜津子はそれでも突き進むしか無かった。
ノーダメージで第1ラウンドを終わらせるワケにはいかない。
その思いが彼女を突き動かす。
(健太郎さんは常に私をしっかりと見ている。
今までは素直にぶつかったから素直に返された。
だから今度は相手を幻惑させる様な立ち回りを取らないと……)
相手のバックステップにしっかりと合わせて泡を当て、相手を怯ませる。
その瞬間に飛び込めば相手の想像と同じ動きになってしまう為、僅かに時間を置いてから攻撃を行った。
「チッ!」
上からの飛び込みに反応する事が出来ず、イリスは攻撃を喰らってしまう。
1度コンボが決まってしまえば回避が遅いイリスをサンドバッグの様に扱う事も容易だった。
「私を舐め過ぎましたね。
右に逃げればカウンターを決め易いと判断したんでしょうけど、その間合いは私の間合いでもありますから」
起き攻めに耐えるのは難しいと判断した健太郎は衝撃波で一旦相手と距離を取る。
だがHPの差は殆ど無くなってきていた。
(不味い……
殴り合いなら負けるワケが無ぇと思っていたが、流石にそう簡単に勝たせちゃくれねぇか。
だが、これで奴は攻めれば勝てると思ったハズ。
奴に『攻めの意識』を植え付ける事が出来たのは大きいぜ)
残り10秒。
僅かに健太郎がリードしているが、1回のダメージで容易に引っくり返す事が出来る程の差でしかない。
大事を取るか、それともリスクを承知で挑むか。
亜津子は『逃げた負け犬』と呼ばれる事だけは我慢出来なかった。
(こんな奴に、負けた者の気持ちを解ってほしくは無い。
それでも、ココで負けてもらう!)
亜津子は健太郎の僅かなリードを奪う為、積極的な動きを取った。
画面中央で交錯した両者はお互いにガードをしつつ相手を懐に入れない様に立ち回る。
牽制を行いつつスピードで勝るマリンが相手をじりじりと追い込んでいった。
(ダメージさえ喰らわなきゃ、押し込まれようが問題無ぇぜ。
このままタイムアップでも構わねぇが……)
健太郎にしてみれば、亜津子の猛烈な追撃は『攻撃させている』様なものだった。
相手に『これならば勝てる』と思わせ、勝敗を決める様な一撃を放つ寸前に相手の息の根を止める。
「アンタは尻尾振って逃げてる方がお似合いだぜ!
それで勝てるんなら逃げれば良いんだよ。
徹底出来ねぇから俺の後塵を拝する羽目になるんだ」
マリンが電撃を放った所でガード。
攻撃を受けない様に動いた後すかさず膝蹴りで怯ませ、棍棒を横腹に命中させた。
HPが残り6割になったイリスと、先程の攻撃で3割程になったマリン。
流石に残り時間2秒で戦局を覆す事は出来ず、亜津子は第1ラウンドを取られてしまった。
「姉貴……もうすぐだぜ。
1000万を手に入れて、自前のファンシーショップを開くんだ。
そうしたら開店日の朝に駆け付けて全てを見届けてやる……
瞼の奥に浮かんできやがるな」
喧嘩腰とぶれない戦い方で最初のラウンドを制した健太郎。
亜津子は熱くなった心を最後まで冷ます事が出来なかった。
(完全に相手の術中に嵌ってしまっている……
今度はHPを温存させる為にも、ダメージを受けるワケにはいかない)
健太郎に生まれた余裕と亜津子に生まれた焦り。
健太郎は1勝しているアドバンテージをさらに盤石なものにする為に無茶な追い詰め方も平気で行える。
一方亜津子の方はこのラウンドでHPを減らされると最終ラウンドが不利になる為、絶対に無駄な攻撃を喰らう事は許されなかった。
「姉貴の夢の為に、アンタには俺の踏み台になってもらおうか!」
第2ラウンド開始と同時に露骨な押し込み方をしてくるイリス。
多少のダメージは喰らおうとも相手のHPを削ってやろうと言う、リスクのある大雑把な動きで近付いてくる。
(付き合えば負ける。
こっちも多少強引に動いて、相手の勢いを止めなければ)
試合の流れは確実にある。
負けてしまった事によって生まれた敗北に向かう流れを、何とかして変えなければならない。
そう思った亜津子は、どう侮辱されようとも構わないとばかりに遠距離攻撃で相手の進撃を防ぎながら、チャンスを伺う事にした。
「それがセオリーならしょうがねぇよなぁ。
だが、本当にアンタが尊敬している人間の為に勝ちたいと願うんなら、真っ向勝負するしか無ぇだろ。
違うか?」
「真っ向勝負してますよ。貴方とは違う形でね」
口汚く相手を罵り、相手の冷静さを奪って勝つ。
亜津子はそんな卑怯な勝ち方を否定し、まともな勝ち方で勝つ事を望んだ。
だが、卑怯上等であらゆる手段を使ってくる相手に正攻法で挑む事が正しいとは限らない。
卑怯とは言わずとも、戦略眼を研ぎ澄まして相手の力を削ぐ事は必要である。
亜津子は、純粋過ぎたのだ。
健太郎の方が年下だが、彼女は既に彼の領域の中に飲み込まれてしまっていた。
(一度芽生えた『攻めの意識』は無意識下でも現れる。
アンタは蟻地獄の中に足を踏み入れてるんだよ)
相手の足元に出現した幻の流砂。
前がかりになった相手を捕らえてそのまま敗北へと引き摺りこむ。
イリスの執拗な攻めに耐え切れず、マリンの方もだんだんと近距離でやり合おうとする事が増えてきていた。
開始から15秒程経過した所で大きな動きが生まれる。
遠距離攻撃を敢えて至近距離で受けたイリスに対して、マリンに欲が出た。
近付いて攻撃する絶好のチャンス。
ココでコンボが決まれば、相手を突き放して最終ラウンドに繋げられる。
咄嗟にそう判断してしまったマリンが近距離の電撃を放ったが、イリスはバックステップでそれを回避。
普段の亜津子ならば仕切り直しを図ろうとしただろうが、熱さが消えていなかった為追いかけてしまう。
ダッシュで距離を一気に詰めようとした瞬間、健太郎は迷う事無く必殺技を発動した。
「俺はこのラウンドに全てを賭けてやる。
コレでアンタに引っくり返される様なら俺が二流って事だ」
相手を柱に縛り付け、棍棒での滅多打ちを行う必殺技。
相手に当てるのが困難である為、ある程度HPが残っていても相手のHPを3割まで減らす程の威力を持っている。
完全に後が無くなった亜津子はなりふり構わず攻めるしか無い。
だがこの吹っ切れたかの様な動きが良い方向に作用したのか、イリスを追い詰めていくきっかけになった。
(相手のHPは1本丸々と半分程。
こっちは3割のみ。
遂に負けてもしょうがないと割り切れる程の差になってしまいました……
リーダー、これも私の実力不足が原因です。
ですが、勝つ可能性が残っている限り諦めないのが格闘ゲームですよ)
超必殺技を温存しているとも言えるマリンの猛攻撃は、健太郎も一瞬焦る程のものだった。
相手からのダメージをまるで無視した強引な跳躍からの攻めをガードしきれず、コンボを喰らってしまう。
画面端からの起き攻めは何とか衝撃波で防いだが、それでも体力で負けている状態になってしまった。
(駄目だ、相手に勢いを与えるな。
このまま攻め落とすんだ。
例え3割しか残っていないとは言え、最終ラウンドに持ち込まれたらどう転んでもおかしくねぇ。
最終ラウンドで万が一レッドゾーンでの超必殺技を喰らったりしたら逆転負けも充分起こり得る。
ココで何としても倒すべき……
俺がこんな所で負けてられるかよ)
残り20秒の時点で僅かだが体力で負けているイリス。
マリンも逃げずに立ち向かう。
もしココで亜津子が軽率な逃げを選択していれば、健太郎が相手を貶すパターンに持ち込めたのかもしれない。
だが完全に開き直ったマリンの動きを読む事は健太郎には困難な事だった。
元々マリンの方がスピードが速いのだから、近距離でも後手に回り易い。
「気高く、最後まで全力で戦う!
リーダーと同じ様に……そして貴方に勝つ」
「俺に勝てるだ?
臆病者が馬鹿な事言ってんじゃねぇよ。
こんなのはまぐれだ。
すぐに取り返してやる」
構図が逆転していた。
焦る健太郎と、追いすがる亜津子。
HPで勝っていても攻めの姿勢を崩さない亜津子の迫力に怯えを感じた健太郎が、消極的な動きを見せてしまう。
だが最後の精度で差が出た。
踏ん張ってガードで耐えるイリスの厚い壁をマリンは崩しきれない。
残り時間が僅かになった所で追撃を諦め、一旦距離を取ろうとした所でやっとイリスにチャンスが巡ってきた。
「無理やりにでも、ココで決めてやる!」
相手が端にいる事を見てから跳躍で近付き、相手の牽制を回避して懐に潜り込む。
マリンもココは譲れないとばかりに衝撃波で相手を吹き飛ばし、最終ラウンドに繋げた。
フルゲージのHPと、3割。
普通ならば雨宮健太郎の方が有利だと言えるだろう。
だが、超必殺技を使って勝負に出た策が裏目に出て、相手に必殺技を繰り出すチャンスを与えたまま最終ラウンドを迎えてしまった。
コレは健太郎にしてみれば絶対に阻止しなくてはならない局面だっただけに悔しさが滲む。
(畜生、試合の流れがだんだん向こうに傾き始めやがった……
このまま奴の猛攻を許していれば、濁流に流されて負けるだけだ。
そして、最も気を付けなければならないのが超必殺技。
レッドゲージの状態で当たればHP満タンの状態からでも一発KO。
当然、試合の中で奴は狙ってくる。
終わらせるんだ。
一発当てて終わりにする!)
健太郎の脳裏に『敗北』の二文字が浮かんだが、そのマイナスイメージを払拭しない限り勝利を掴む事は出来ない。
一方亜津子の方は絶対的に不利な状況を覆した事で自信と希望が生まれ始めていた。
「一見貴方の方が勝利に近い様に見えますが、それは第2ラウンドまでの話です。
こうして第3ラウンドに持ち込めた以上、私の勝利も現実味のあるものになってきましたよ」
動きで劣るイリスが消極的になれば当然相手からの攻撃を受け易くなる。
アグレッシブに動いて相手を押し込むべきか、カウンターを狙うべきか。
健太郎は大きな選択を迫られていた。
「雑魚がどれだけ粘ろうと、最後に勝つのはこの俺だ!
若い力が勝利を手にする。
魔の全国大会組は引っ込んでろ。
新しい世代が覇権を握る時代が訪れてきているんだからな」
「新しい世代の台頭は私も歓迎ですよ。
ただしそれは貴方では無く、新二さんの様な綺麗な心の持ち主に限った話ですが!」
最終ラウンド開始直後、やはり健太郎も亜津子もリスクを背負わない立ち回りが多くなった。
勝ちたいと言う思い以上に思考を支配するのは『負けたくない』と言う気持ちである。
それ故に動きが硬くなる。
(私も冒険したいですが、それでカウンターを喰らうのは嫌ですからね……
HPで上回られている以上、私が焦れる事を相手は狙っているんでしょうが)
健太郎はHPで有利に立っている為、タイムアップ狙いでも勝利する事が出来る。
だが劣勢の相手が死に物狂いの特攻を仕掛けてきた時に返り討ちに出来るかどうかは解らなかった。
(何処で仕掛けるべきなのか……
今不意を突いて襲い掛かるのもアリっちゃアリだ。
さっきの勢いから考えるに、奴を自由に動き回らせるのは危険だからな)
イリスの動きが若干リスクを背負ったものになった事は亜津子にもすぐに解った。
「もう勝負に出ますか。
望む所ですよ……ココで終わりにしましょう!」
超必殺技は衝撃波を無効化する特性を持っている為、起き上がりの際に安易な逃げは許されない。
健太郎にしてみれば、ダウンが許されないと言う事でもあった。
だが、超必殺技の発動時にガードしていれば防げる為、必殺技が万能と言うワケでも無い。
亜津子はダウンを狙い、健太郎はダウンだけはしない様に動く。
両者は共に攻めるタイミングを上手く掴めず、結局30秒が経過してしまった。
「ホラ、かかってこいよ!
必殺技さえ防げれば俺の勝利は盤石だ!」
「もう挑発には乗りませんよ。
当てるタイミングは私が決めます。
必ず当てますからね」
棍棒の振り回しと言う牽制攻撃を避けて、ダッシュする形でマリンが懐に潜り込んでくる。
ダッシュ攻撃の場合はまだ超必殺技は打てないが、ダウンだけは避けたいイリスが何とかガードでその場をしのいだ。
カウンターを狙えないままガードで相手の攻めを耐えるイリス。
相手の掴みに対して通常攻撃を当てたい所だったが、相手はそこまで貪欲には狙ってこなかった。
距離が離れた所で突き攻撃を行うがマリンもそこはキッチリ守りを固めてくる。
「見ろ、残り20秒だ。
アンタが攻められなければ俺の勝ち!
無理な動きをすれば俺が殺して俺の勝ち。
どう考えても俺が負ける未来は無くなったな」
「そうでしょうか……?」
衝撃波を打てないと言う足枷のせいで端での攻めが続く。
イリスは相手の中段・下段攻撃を的確にガードする事で崩れない様にしていたが、ガードし続けるのも限界があった。
「チッ!!」
相手が上からの蹴り攻撃を行った所で防ぎ、距離が1キャラ分離れたと判断した健太郎が跳躍する。
「見えてますよ、ココで決めます」
その着地直後の硬直に対して必殺技を放てば、マリンの勝利は間違いない。
だがイリスはゲームならではの『前を向いて飛んでいる最中に後ろに戻る』と言う現実ではあり得ない動きで着地点を少しだけ後ろにずらした。
そのずれに対応出来ず、前に一歩を踏み出したマリンがイリスの斜め下攻撃を喰らってしまう。
「うッ」
慌てて仰け反るモーションを見せるマリンを後方に逃がそうとするが、端での攻めを続けていた為にイリスが追いつくチャンスを与えてしまう。
上から勢い良く棍棒を振り下ろす攻撃を当てたイリスがマリンのHPをゼロにして勝利を掴んだ。
試合の決着が付いた瞬間、2人は対照的な動きを見せる。
「ははは、勝った。
勝ったぞ!!俺の勝ちだ!
1000万は貰った!俺はやったんだ!!」
立ち上がり、両方の拳を突き上げ勝利に酔いしれる健太郎。
一方放心状態のまま涙を流していた亜津子は何の言葉も発する事が出来なかった。
(あまりにも、攻め過ぎた……
流れが相手に傾いた時の安全策を全く用意していなかった。
もしあの時、自分も同じ様に後方に戻っていたらあの攻撃だけで何とかしのげたのに……
そうすればHPが残っている以上まだチャンスはあった。
いや、有利な時に決めきれなかった。
超必殺技に全てを託してしまった私の実力の無さが浮き彫りになってしまいましたね)
ターニングポイントがあるとするならば、やはり健太郎の挑発に亜津子が乗ってしまったあの一幕だろう。
あの時にあくまでも亜津子が冷静さを保っていれば、前がかりになるイリスとそれをあしらうマリンと言う構図が崩れる事は無かったハズだ。
だが、師匠まで侮辱されて亜津子は怒りを爆発させてしまった。
彼女は場外からの攻撃に足をすくわれる事になったのだ。
「ま、俺の実力を持ってすればギルドZEROのサブリーダーを倒す事位どうって事無ぇわな。
いや、今は泣き虫リーダーがいなくなったからリーダーを務めてるんだっけか?」
ここぞとばかりに亜津子を嘲笑う健太郎に対して亜津子は憎悪に満ちた表情で彼を睨み付ける。
涙を流しながら発する殺気とその眼光の鋭さに、健太郎も若干の怯えを感じて押し黙った。
「貴方は救われない方です。
卑怯な手段で1000万を得ても、貴方は決して幸せにはならない。
寧ろ周りの人間を不幸にしていくでしょう。
そうなれば、必ず貴方自身に手痛いしっぺ返しが来ますよ」
「俺が救われる必要なんか無ぇんだよ。
俺は姉貴を幸せにする為に戦ったんだ。
卑怯だなんだと罵られようが1000万は獲得した。
俺はその事実以外はどうでも良いと思ってる」
亜津子の忠告を、健太郎は涼しい顔で聞き流した。
彼にとって敗者の言葉は聞く必要も無い言葉だったからだ。
黒沢美香は確かに約束した。
雨宮健太郎が試合に勝てば勝利給を払うと。
それはどちらの陣営が勝とうが負けようが支払われる事になっている。
(そう、氷室零が死ぬか生きるかなんて事は俺には全く関係の無ぇ事だ。
他の試合の決着がどうなろうと、俺と姉貴には関わりが無ぇ事……
1000万を貰ってさっさと帰るぞ)
自分自身にそう言い聞かせ、健太郎は再び席に座る。
全ての試合が終わって結果が報告されるまで部屋から出る事は出来なかった。
(こんな……こんな悪党に負けてしまい、申し訳ありません。
これは私の敗北だけでなく、ギルド全体の敗北。
許してくださいリーダー。
そして、この敗北の責任は必ず取ります。
この少年を、必ず更生させてみせます)
亜津子は、目の前にいる邪悪な少年、雨宮健太郎の姉である比呂子と仲が良かった。
元々火村あかりと馬が合い、周りにいた者も優しかったので香川県から千葉県に引っ越してきたのだ。
楽しい毎日の中で、比呂子は健太郎がどんどん危ない道へ進んでいる事に対して怯えを感じていた。
(昔はあんな子じゃ無かったんですけど……
中学の頃に虐められて、暴力を受けた事で何かが弾けちゃったみたいなんですよね。
それで虐めていた相手に暴力を振るって、逆に虐めっ子みたいになっちゃって。
今ではあまり良くない人達との付き合いもあるみたいなんですけど、どう諭せばいいのか……)
優しくて、思いやりのある子だった。
比呂子は彼をそう評していた。
だが僅か5年間の間に彼は人の心を理解出来ない、冷たい心の持ち主に変わってしまっていたのだ。
彼の歪な心を治す事がこれから自分が為すべき事なのではないかと亜津子は思っていた。
現在プールの監視員として働いている亜津子は子供との交流も多い。
カウンセラーでは無いけれど、彼の邪悪な思想を変える事は出来るハズだ。
亜津子は自分に新たな目標を課した。
「その1000万円で、貴方のお姉さんが本当に喜ぶとでも?」
「しつけぇ女だな。
説教なんざ聞き飽きてるんだよ。
負けた奴は黙ってろ。
それとも、分け前でも寄越せってか。
ハイエナみたいに這いながら金を欲しがってるのか?」
哀しみと怒りが亜津子の全身を駆け巡り、亜津子は歯を食いしばりながら健太郎の胸を掴んだ。
「暴力かよ。
構わねぇけど……今の俺はリアルファイトでも負けるつもりは無ぇぜ。
姉貴を守る為にボクシングを習ってる。
より実戦向けのな」
そのボクシングは暴力団絡みの危険なジムで習っていたものだったが、比呂子は当然それを知らなかった。
「全国大会の予選の時にいた、綺麗な目をしていた貴方は何処へ行ってしまったんですか?」
「あの頃の俺は弱いガキだったんだよ。
姉貴の事も自分の事も守れねぇ弱くて救いようの無いガキだった。
そんなんじゃ圧倒的な暴力には対抗出来ねぇ。
この世の摂理だ。
暴力にはより強い暴力で返す。
そして相手を降参させ、屈服させる。
自分の部下にする。
そうする事が出来る様になってから俺は強くなった。
言ったろ?俺は姉貴の為なら何でもするって」
掴んだ胸を離し、亜津子は泣いた。
それは自分の弱さと、健太郎の心の弱さを嘆いたものだった。
(暴力により強い暴力を用いるのは頭の悪い者がする事です。
貴方は人を傷付けると言う快感に支配されてしまった。
もう、私でも容易には貴方を正しい道に進ませる事は出来ない)
比呂子や亜津子の見えない所で変貌してしまった健太郎。
彼の目指す場所は比呂子や亜津子の目指す場所とは食い違ってしまっていた。