格闘ゲームは『メンタルゲー』である事はよく知られています。
いえ、全てのスポーツやボードゲームにおいて
メンタルを強く持つ事が勝利に近付く為の必要な要素である事は
疑いようが無いでしょう。
2人の女性の決戦は、メンタルを最後まで崩さなかった方に
女神が微笑みました。
【2010年 8月8日 午前10時 東京都 プラナス本社ビル内 白の部屋】
試合開始時刻になった事を伝える様に、音楽が部屋内に流れ始めた。
「試合開始を告げる曲ですね。
それでは始める事に致しましょう」
長尾遼子は内心の動揺を悟られまいと平静を装っていたが、静香には彼女が苦しんでいるのが解った。
(この5年間で、私と貴方の立場は全く違うものになってしまった。
エターナルナイトの面々と全く縁が無かった私が氷室零を助ける側に回り、柏糸涼介と恋仲である貴方が火村あかりさん達の敵になる。
運命と言うのは本当に解らないもの……
でも、5年前の負けを取り戻したいと言う気持ちだけは変わらない)
5年前の10月、新潟県にあるゲームセンターで伊達静香は長尾遼子に痛恨の敗北を喫した。
その精神的ダメージから立ち直る事が出来ずその年の全国大会は予選で早々に敗退。
気持ちを切り替えこの5年間で1度優勝を果たしたが、あの時の傷は今も癒える事無く残っている。
「私は、この5年間の間に成長した。
貴方と張り合える位に強くなれた。
この試合は、それを証明する為の一戦。
貴方にどんな理由があろうとも、私は全力で勝ちに行く。
それが、氷室零さんの命を救う事にも繋がるから」
伊達家が戦国時代から乗り越える事が出来なかった長尾家の壁。
織田家と同盟を結んでいる大名家の中でも破格の待遇を受けていた長尾家と違い、伊達家は完全な外様として辛い日々を過ごしてきた。
舐められ、蔑まれ、見下され……
400年間と言う長い年月の間に生まれた格差は、そう簡単に覆るものでは無い。
それでも静香は、反骨の魂を胸に下剋上を果たしたいと思っていた。
長尾遼子にZEROで勝利したい。
何かが変わるワケでも無いけれど、自分の中で燻り続けている気持ちに答えを出したい。
彼女はそう考えていた。
「静香さん。私は貴方の事を心から尊敬しています。
私が果たす事が出来なかった全国大会の優勝を経験し、眩い輝きを放った。
でも、私にも負けられない理由があります。
例え私が心から愛している人に軽蔑されてしまったとしても……
危機的状況を変える為に、私にはする事があるんです。
世界が壊れてしまう前に食い止めると言う義務が」
5年前の『魔の全国大会』は、長尾遼子の人生に大きな影響をおよぼしていた。
織田信虎が紅虎明命のメンバーを全員殺害し、竹中醍醐官房長官の命を奪った。
信国にH2O爆弾を落とした合衆国と手を組み、信国にいる者達を皆殺しにしようとしている。
黒い噂が天武日本中を駆け巡った。
証拠も無い、ただの憶測。
インターネットに漂う不穏な空気。
だが織田信鷹が父親である信虎の後を継いで強権政治を始めると、その噂は憶測から真実へと歪な変化を遂げた。
『邪魔な奴等は皆殺しかよ。
アジアの覇者を気取りやがって。
世界大戦でも始めるつもりなのか?』
『織田政権の行きつく所は世界征服か天武日本の消滅だよ。
どちらに転んでも、国民には不幸の道しか無い』
インターネットは罵詈雑言の嵐だったが、表だって織田政権を批判出来る者等1人もいなかった。
一党独裁政治を貫く天武日本では、織田政権に対してハッキリものを言う事が出来る人間が殆どいない。
(私が……私が何とかしなければ)
織田政権に唯一苦言を呈する事が出来る存在、長尾財閥。
財閥の総帥の孫娘として生まれてきた遼子は、強い使命感に突き動かされていた。
滅びの道を回避する為には、信虎の心を変え信虎が信鷹を諌める事。
そして信鷹の心を変える事。
信虎に会う方法を模索していた時、黒沢美香が遼子に近付いてきた。
『私に味方してくれれば、貴方の望み位は叶えられると思うけど。
織田信虎との話し合い?
大丈夫。
皮肉な話だけれど、黒沢グループは織田政権と強い繋がりがある。
幾らでもセッティング出来るわ。
その代わり……』
黒沢美香に味方すると言う事は、柏糸涼介からの信頼を失うと言う事である。
遼子は涼介の事が好きだった。
全国大会の予選の時に涼介が遼子に一目惚れし、熱烈なアタックを開始。
遼子も涼介の誠実さ、超が付く程の真面目さに魅かれていった。
恋人関係にはなったが、まだ一線は越えていない。
(きっと涼君は、私の事を見ている。
氷室零さんの事を考えていない身勝手な女だと思うだろう。
軽蔑されるかもしれない。
最悪、破局する事もあり得る。
それでも……私自身の不幸より国民の不幸を食い止める方が大事なのよ)
今も遼子は自分自身にそう言い聞かせている状態だった。
胸が張り裂けそうな程に痛かった。
大好きで大好きで仕方が無い相手から拒絶されるかもしれないと言う事実が重くのしかかっている。
だが遼子は決断した。
氷室零の命より、天武日本の未来を守る為に信虎と会う事を優先したのだ。
「それに……私には一度、貴方に勝っていると言う事実があります。
戦績では負けてしまったけれど、貴方との直接対決で負ける事は許されない。
長尾財閥の誇りにかけて、貴方に勝ちます」
雑念は多々あったが、遼子はその雑念を振り払う努力をした。
負けられなかった。
こうしてこの場にいる以上、柏糸涼介からの信頼を失う事は避けられない。
これでもし負けてしまったら、遼子には何も残らないのだ。
裏切り者のレッテルを貼られたうえに負けると言う惨めな末路だけは迎えたくなかった。
遼子は悩んでいたが、静香の頭の中も様々な思いが渦巻いていた。
勝ちたいと言う気持ちは同じ。
後は試合を行って優劣を付けるしか方法は無い。
「結果に対して、恨むのはお互い無しにしましょう。
禍根を残さない事。それで良いよね?」
「はい、それは解っています」
静香は遼子が負けた場合、全てを失うかもしれないと言う事実を理解していた。
それでも、負けるワケにはいかない。
精一杯戦ってその結果負けるのは許せるが、中途半端な姿勢を見せる事だけは出来なかった。
両者がキャラクターを選び、試合が始まる。
エレーナ・オーロランドとD・QUEENの決戦。
あの時の勝利の記憶や敗北の苦しみをリセットし、目の前の試合に集中出来るか否か。
それは勝利に繋がるポイントになりそうだった。
『REAL DEATHGAME START!』
稲光が時折見える背景『古城の屋上』は、5年前の試合を彷彿とさせる。
SECONDにおいてもキャラクターの性能に大きな変化は無い。
変化があるとするならば互いの実力だった。
(果敢な攻めで相手の動きを制限していくのがセオリーだけど、攻め一辺倒になるのは避けたい。
特に『氷の吐息』を持っているエレーナ相手だと、カウンターを喰らいやすくなるわ)
スピードで上回るD・QUEENが場を制圧し、エレーナが劣勢からの逆転を狙う。
5年前の対決と主な構図に違いは無かったが、絶対に負けられないと言う思いもあって両者は慎重な立ち回りを見せていた。
「動きが硬いですね。
緊張しているんですか?」
「それは貴方も同じでしょ」
エレーナの氷の吐息をバックステップで回避し、攻撃が終わったのを見計らってD・QUEENが上から攻撃。
エレーナは防御が間に合い反撃に転じようとするも、危険を察知したD・QUEENが再び距離を取る。
少しでもタイミングがずれれば大ダメージに繋がると言うギリギリの攻防が続いていた。
(流石に静香さんも無茶な動きはしてきませんね……
お手本通りの動きで隙を見せない様にしている。
でも私の方から仕掛けるワケにはいかない。
ココは我慢比べになるでしょう)
一歩も引かない殴り合いをした5年前の試合と比べると、見ている方は退屈な試合。
だがお互いにダメージが無いと言う事は、両者のレベルがより高い所に達していると言う事実を如実に示していた。
牽制しつつ相手の出方を伺うD・QUEENだったが、エレーナも見えている罠には嵌らない。
膠着状態に変化が見えたのは、D・QUEENが1つのラウンドで1回しか使用する事が出来ない『スーパーアーマー状態』になってからだった。
(この数秒で試合の流れを変える。
ちょっと強引だけど、HPを削る為には無茶な動きも必要よ)
通常攻撃を受けた時の怯みを完全に無効化し、強引に殴りに行く為の手段。
相手にやられる可能性もある諸刃の剣だが、この流れを断ち切り自分の方へ持って行く為に必要だと思い静香は決断した。
(私の方が速ければ逃げられますけど、そうじゃないですからね……)
エレーナは防御を選択した。
攻撃をして少々ダメージが入ったとしても、それより大きなダメージを受けてしまう。
それならば相手の攻撃を全て防ぎ切る方が立ち回りとしては正しい。
遼子は強い決意でその道を選択した。
「私の執拗な攻めを、全部捌き切れるかしら?」
衝撃波もスーパーアーマー状態では無効化されてしまう為、相手の動きを見てボタン入力を行い耐えるしか方法は無い。
上からの攻撃、中段、足を使った下段攻撃。
それぞれに対応した防御を行わなければ攻撃を受けてしまう。
(ココが我慢するべき所。
この試合の流れを決めるターニングポイント。
1回でも攻撃を受けてしまえば相手に流れを譲り渡してしまう。
全部防ぐと言う気概を持って立ち向かわないと)
数秒間と言えど、端に追い詰められてから10回以上相手は攻撃を行っている。
(そんな……私の攻撃が単調過ぎるって事?
違いは出しているハズなのに)
攻撃を全て防ぎ切られていると言う事実が、静香に焦りを生む。
1度しか出せないスーパーアーマー状態が終われば、ラウンドにおけるアドバンテージが1つ消えてしまうと言う事だ。
必死になって相手にダメージを与えようとした結果、ノーダメージに終わってしまった事で静香の心が僅かに乱れる。
その『変化』を機敏に感じ取れるかどうかが、勝敗の分かれ目となっていた。
(後ろ向きになった。
今なら攻めても相手は受け身を取る!)
凄まじい攻撃の嵐の直後に繰り出すたった1発の反撃が、大きなダメージを生み出す。
遼子はそれが解っていたからこそ踏ん張ったのであり、静香も絶対にあってはならない事態だと思っていたので内心の動揺は大きかった。
(入力が遅れた!
コンマ数秒早ければ距離を取る事が出来たのに……
完全に相手の勢いに呑まれている)
「このワンチャンスを逃すワケにはいきませんよ!」
1度相手に攻撃が当たれば、連続でダメージを与える事が出来るのが格闘ゲームだ。
どんなに優れたプロであっても、完全にやられている間に立て直すのは非常に難しい。
相手のHPを3分の1程削り、氷の吐息で相手の動きを遅くした後容赦の無い起き攻めを行う。
衝撃波を出すタイミングも遅れる為、静香は相手のコンボをもう1度受ける羽目になった。
(駄目よ、落ち着かなきゃ)
バランスを失った静香はパニックになりそうな己の心を必死に支えようとしていた。
互角の勝負を演じていた時には感じなかった『敗北への恐怖』が、じわじわと彼女の精神を汚染していく。
(静香さんは私の防御を見て『こんな馬鹿な』と言う思いを抱いているハズ。
立て直される前に一気に畳みかければ、ノーダメージでの圧勝も夢じゃありませんね)
3分の2程体力を失っているD・QUEENに対して、エレーナは全くダメージを受けていない状態。
差が開きつつある事で静香が焦っているのは遼子にもよく解っていた。
(些細な躓きだわ、こんな事……何回だってあった。
全国大会の予選で何度も味わった事じゃない。
成長しなければ、明日は無いのよ!)
第1ラウンドの残り時間は30秒。
相手の攻めに対して防戦一方だったD・QUEENに、ようやく攻撃を行う心の余裕が生まれた。
それを察知してエレーナも守備を考慮した立ち回りに戻る。
(やはり、静香さんも優勝経験のある立派なプレイヤー。
崩れそうになるメンタルを気合で取り戻したみたいですね。
ならば、私の方は逃げ切りも意識した立ち回りをする必要がありそうです)
静香は遼子の守備固めを見抜き、守りを捨てた動きで果敢に相手を攻め立てた。
エレーナの氷の吐息を跳躍で回避し、そのまま蹴りで攻撃するがなかなか崩れない。
「奪ったリードを、簡単に取り返せると思いましたか?
流石にそれは甘いですよ」
寧ろ前がかりになった事でカウンターを喰らうリスクは高まっている。
だがそのカウンターにも一定のリスクが伴う為遼子はあくまで相手を追い払う為だけにダメージを与えていた。
(崩れた所でバックステップ……
リスク管理が徹底している。
本当にこのまま逃げるつもりね。
でも、逃げ続けていると言う事は私にチャンスを与え続けているのと同じ事だわ)
倒す程のダメージは与えていないが、それでもちまちまと攻撃を受けたせいでD・QUEENの体力は4分の1まで減っている。
エレーナは全くダメージを受けていない。
残り15秒の時点で静香はかなり差を広げられていた。
「このままじゃ終われない!」
静香はラウンドを無理やりにでも取る為に超必殺技の使用すら考えに入れていた。
相手をいなしてゴールインしようと思っているエレーナに何度も挑み、的確な攻めを行う。
しかし的確だからこそ、相手に防御を取られやすいと言う弱点を抱えていた。
(静香さんの攻めは本当に丁寧です。
洗練された無駄の無い動き。
そこに遊びの余地は無い。
逆に言えばどういう攻撃をしてくるのか判断が出来てしまう。
防御がし易いと言う事です)
意表を突く事で相手にダメージを与える。
遼子は5年間の間に、柔軟な発想が勝利を呼ぶ鍵となる事を理解していた。
そして静香もまた、この状況下で相手にダメージを与えるには今までの自分から飛び出した一手を打つしか無いと知っていたのだ。
(ここはもう時間稼ぎの為に吹き飛ばしてしまいましょう。
残り10秒の間は守る為の攻めです)
衝撃波で相手を吹き飛ばし、牽制する事によって相手の動きを封じて勝つ。
その考えには驕りがあったのかもしれない。
安直な作戦が裏目に出て、D・QUEENにチャンスを与えてしまう。
「退けない、一歩も退けない!」
ラウンド終了間際、多少のダメージを無視して懐に飛び込み超必殺技を放ってきた静香。
あまりの強引な攻めに遼子は面食らい、その攻撃をまともに受けてしまう。
その後静香が起き上がりに対して追い討ちをかけようとした所で第1ラウンドが終了した。
「まぁ、あそこまで喰らっていたらね……
しょうがないか」
超必殺技1回では届かなかった。
第1ラウンドは遼子の勝利。
遼子はHPを3分の1残してのスタートとなる。
(相手を追い払う為の少量のダメージの蓄積が無かったら、追い付かれていました……
余計なダメージを受けてしまったのは痛恨の極み。
ここからまたリードを広げていくしかありません)
パーフェクトを視野に入れていた遼子がラウンド終了直前に受けたダメージは、彼女の精神にも影響をおよぼしていた。
(遼子ちゃんは動揺してる。
相手が落ち着く前に攻め抜くわよ)
硬い岩の壁に生まれた、僅かな亀裂。
そこを撃ち抜く事で、彼女の精神にも打撃を与える事が出来る。
静香は第2ラウンド開始と同時にそう考え、再び相手に襲い掛かった。
(早い段階でのスーパーアーマーもありえますね……
とにかくココは落ち着くべきです。
私が有利である事に違いはありません。
超必殺技を保持したままと言うアドバンテージもある。
洗練された動きからのとんでもない動きに引っかかってしまっただけ。
大勢に影響は無いのですから)
遼子の壁には確かにヒビが入っていた。
その為彼女は戦っている間にも自分で自分を励まし続ける。
応援する人間がいない1対1の勝負において大事なのは、崩れそうになったメンタルをいかに早く回復出来るかだった。
「荒っぽい動きの方がお好きかしら?」
静香は相手がセオリー通りの攻撃を無効化する事に気付き、普段ならば行わない動きによって遼子を惑わそうと考えた。
余計な動きを混ぜつつ、相手に『攻めた方が得だ』と思わせる。
(勿論相手にダメージを与えなければこのアドバンテージも消滅してしまうワケですが……
今は駄目です。
落ち着く事に集中しましょう。
下手に動いてカウンターの餌食になるよりはマシです)
体力が少ないからと言ってすぐにやられてしまうより、60秒間相手に攻めさせて疲弊させる方が得だと考えている遼子。
静香も相手の岩の壁が修復されつつある事を把握し、頑強な城を作られる前に破壊してしまうべきだと思った。
「一気にいくわよ!」
勝負所と見極めれば迷う事無くスーパーアーマーを発動する。
早いか遅いか等関係無い。
試合の流れをリセットする為に静香はそのまま攻め込んでいった。
「それは……どうでしょうかね」
遼子はココで敢えて相手に自分の頬を差し出した。
飛び込んできた敵に躊躇する事無く攻撃を行ったのだ。
ハイパーアーマー状態のD・QUEENは怯まない為そのまま攻撃のモーションが終わった直後に殴られてしまうが、ダメージは入る。
(ッ……!!
やられる事を覚悟のうえで、私のHPを確実に削りにきた。
普通ならば少しのHPでも残しておきたいと思うのに……
彼女、大胆過ぎるわ!)
2発分のダメージなのでその量は決して大きいものでは無い。
だが後が無い状態の静香がダメージを負ったと言う事実は、遼子自身の精神を回復させる効果がある。
「勝負所でハイパーアーマーを使うのは良い判断です。
ですがそれを過信し過ぎれば、窮地に陥る事もあるんですよ?」
「そこまで大きな開きじゃ無いわ。
すぐに取り返してみせるんだから!」
静香がしっかりと決め切り、第2ラウンドは早々に終了した。
静香は最終ラウンド開始時点で僅かなビハインドを負い、さらに超必殺技は使用済み。
その差は僅かなものに見えるが実はとてつも無く大きなものだった。
(超必殺技の恐怖に怯えながら立ち回らなきゃならない。
遼子ちゃんにはその心配が無い。
ただし、さっきみたいなスーパーアーマー対策がもう出来ないのはプラスと考えて良いわ)
怯んだ相手にナイフを刺す様な戦術が通用しない以上、遼子は防御で対抗するしか無い。
スーパーアーマー状態のD・QUEENに超必殺技が効かないと言うのも大きなポイントだった。
「私が勝たせてもらいます」
遼子はアグレッシブな守備と言う戦術を採用した。
常に相手と一定の距離を保ち、氷の吐息で相手の接近を封じる。
無理に近付けば動きが鈍って攻撃を受けてしまい、離れれば相手にダメージを与えられない。
静香は相手の動きに苦戦を強いられ、飛び込む事が出来なかった。
(露骨な逃げ切り……!
望む所じゃないの。
最後の足掻き、見せてあげるわ)
最終ラウンドでの最後のスーパーアーマー状態。
氷の吐息も無効化される為簡単に懐に潜り込む事が出来る。
逆を言えば、ココで決めきれないとそのまま負けてしまう可能性が高かった。
「絶対に当てるわよ!」
スーパーアーマー状態を最大限に利用する為に右端地点で身体を硬化し、攻め立てるD・QUEEN。
遼子は相手の攻め急ぐ様な蹴りや乱打を必死に耐え、地獄の数秒間を乗り切った。
(か、かったい……
さっきもそうだったけど、遼子ちゃんには何が見えているの!?)
静香が驚愕するのも無理は無かった。
相手の攻めを完璧に防ぎ切るには、実力だけで無く運や相手の心理を読む能力も求められる。
5年前の試合以後、遼子は伊達静香を重要なライバルとして位置付けてひたすら彼女の動きを動画で確認していたのだ。
勿論それは静香だけに限った事では無く、決勝トーナメントに絡んでくるプレイヤー全てが彼女の調査対象だった。
(癖は、誰にだってあります。
そしてその癖は大一番の舞台でより出てくるもの。
怒涛の攻めには遊びを入れられない。
だって焦っているから。
数秒間の優位を活かそうと必死になるからです。
だから普段よりも、必死に攻めている相手を防御する事の方が簡単なんですよ)
攻め立てる相手はより機械的に動き、無駄の無い動きを追求しようとする。
遼子はそれが解っているからこそ、静香の攻めに対する完璧なボタン操作を行う事が出来たのだ。
(こんな事って……)
静香の心が音を立てて崩れる瞬間を、遼子は見逃さなかった。
完全に受け身になり、スーパーアーマーの効果が消えた後距離を取ろうとしたD・QUEEN。
それを読んでいたかの様にするっと懐に潜ってきたエレーナが超必殺技で相手のHPを残り2割まで削った。
張り詰めていた緊張の糸が切れた瞬間に、防御すら許さず決めきる。
遼子の土壇場での勝負強さが発揮され、静香はほぼ戦意を喪失していた。
「な、なんて強さなの……」
「貴方が弱いワケじゃありません。
そして私がとびきり強いワケでもありません。
ただ、状況を把握してその状況に見合った動きを取れるか否か。
それが勝負の分かれ目になったんです」
序盤の攻防で試合の流れが決まったとは言え、残り40秒。
まだD・QUEENの逆転の芽は残されている。
だが、静香にそれを行うだけの力が残されていなかった。
(私が自信を持って繰り出した技を全部防いで、やり返してきた……
5年前に戦った時よりも大きくなっているわ。
遼子ちゃんが化け物になって帰ってくるなんて)
丁寧に、相手の動きを見切り捌く。
静香に攻めるだけの精神力が残っておらず、遼子はそれ故により慎重になった。
(彼女が戦意を喪失しているとは言え、油断は禁物。
ココで倒せると思って前がかりになり、余計なダメージを負えば息を吹き返してしまいかねません)
互いに攻められず、そのまま時計の針が残酷に時を刻んでいく。
超必殺技が当たってから大きな動きは全く起こらず、タイムアップによって遼子の勝利が確定した。
超必殺技が当たる寸前、静香の心には気の緩みがあった。
彼女に揺るがぬ強靭なメンタルがあったならば、超必殺技をしっかり防御してカウンターと言う別の未来もあっただろう。
だがそこに至るまでの流れの中で、その気の緩みを生む力が遼子にあった事もまた事実である。
守ると決めたら絶対守ると言う堅牢な要塞を築き上げ、静香に全くチャンスを与えなかった。
そこで彼女の心を折り、超必殺技に繋げたのだ。
その諦めない心こそ讃えられるべきであろう。
「あーあ……疲れた」
自身の敗北が決まった瞬間、静香はそう言うと椅子に全体重を預け大きな溜息をついた。
「貴方と戦っている時、ずっと違和感を感じてた。
まるでぬかるみにパンチしてる様な気分だったわ。
何をやっても手応え無し。
暖簾に腕押し、糠に釘。
そんな感じでやってたら、負けちゃうわよね」
「静香さんは私が今まで戦ってきた相手の中では相当な上位に入るZEROプレイヤーでした。
あのスーパーアーマーからの怒涛の攻めは、私以外の凡庸なプレイヤーならあっと言う間に勝負がつく程の破壊力を持っているでしょう。
でもサンドバッグになっても耐え抜く覚悟が最後には勝利と言う形で実りました。
不格好でも、勝ちは勝ちです」
決して綺麗な勝利では無かったかもしれない。
観衆がいたら、つまらない試合だと文句を言うかもしれない。
そんな試合においても遼子は勝利に拘った。
守り切ったのだ。
静香はその素晴らしさを理解していた。
「不格好だなんて、そんな事無い。
素敵な勝負をさせてもらったわ、遼子ちゃん。
今年の全国大会も当然出るんでしょ?
期待しちゃうな」
「いえ……私は出ませんよ」
遼子は涼介への裏切り行為を悔いていた。
少なくとも今年度の出場は自粛するべきだと思っていた。
この後、遼子と涼介の関係がどうなってしまうのか、彼女自身にも解らない。
だが勝てなければ戦ってきた意味すらも失ってしまうと言う状況で、勝利する事が出来たのは大きな救いだった。
「会わせてください。
天武日本国元総理大臣、織田信虎さんに」
遼子がそう言って椅子から立ち上がった瞬間に、扉が開いて美香の部下である黒服の男が部屋に入ってくる。
「お見事な戦いでした。
長尾遼子様。どうぞこちらへ……
別室にて信虎様が貴方を待っておいでです」
黒服の男に対して頷くと、遼子は彼の後ろについて歩き、扉の向こうへと消えていった。
「あーあ……何で大事な所で勝てないのかしら。
自分が嫌になるわ」
遼子が部屋から退出した後、静香は椅子に座り込んだまま動く事が出来なかった。
静香にとってこの敗北は、自分が積み上げてきたものを否定されたのと同じ意味を持っている。
勝利の方程式。
自分が心から信じて実践してきた方法を全て試して負けた。
戦い方における引き出しが多くなかった事、静香自身のメンタルに脆い部分があった事、敗因は様々だ。
「遼子ちゃんはもう後戻りは出来ないと言う決死の思いで挑んできたのに、私はそれ以上のパワーでぶつかってあげる事が出来なかった。
色々なものが不足していた……
私もちょっと、今年の全国大会への出場は考えなくちゃいけなくなったわね」
感傷に浸っていた。
自分が見られている事は解っていたが、自然とこみあげてくる涙を止める事が出来ない。
「ちょっと、もう……何泣いてるのよ。
恥ずかしい。
泣いていい程の健闘をしたワケじゃないのに」
自分を叱咤して涙を止めようとしたが止められなかった。
1つの隙をきっかけに惨敗した事のショックを隠す事が出来なかった。
敗北が自分を強くする為の糧になる。
どんな敗北の仕方であろうとも、それは同じだ。
それでも今の静香にはそう思うだけの心の余裕が無かった。
ただ、ひたすらに悔しかった。己が情けなかった。
「順也……宏弥……ごめんね。
あかりさん、毎日遅くまで練習に付き合ってもらったのに、ごめんなさい」
自分だけの敗北では無かった。
人の思いも担ったうえでの敗北。
トップ争いから脱落してしまった者達の無念を晴らしたい。
自分が勝利する事で彼等は間違っていなかったと証明したかったのだ。
両手で顔を覆いながら泣き続ける静香。
たった1人の部屋に、彼女のすすり泣く声だけが響き渡っていた。