『生き方を選べなかった』哀しい人間だと思っています。
洗脳に近い狂信を強制され、傲慢になる様教育され……
モンスター少女が爆誕してしまったワケですが、
単なる『極悪』とは違う、悲哀を含んだ人物になりました。
【2010年 8月8日 午前10時 東京都 プラナス本社ビル内 金の部屋】
床、壁、天井の全てが金色に輝く部屋。
部屋を照らす照明にも豪華さと気品が感じられる。
壁の一部は正方形の形に窪んでおり、そこにはピラミッドの様に金の延べ棒が置かれていた。
「私が選曲した『鎮魂歌(レクイエム)』をよく聞いておきなさい。
どうせこの世で聴く最後の音楽になるんだから……
さぁ、始めるわよ。
姉様に勝てなかったアンタに、今すぐ引導を渡してあげるわ」
黒沢美香は椅子に縛り付けられ身動きが取れない氷室零を見た後、目線を自分の向かい側にいる九龍玖留美に移す。
美香にしてみれば、負けるハズの無い相手。
桜華が勝利した相手に敗北する事は絶対に許されない。
一方玖留美にとっては、ある意味リベンジの様な試合だった。
(あの時、私がもし桜華(おうか)に勝っていたら最悪の結末を防ぐ事が出来たかもしれない。
財閥のモチベーションは著しく低下し、兄さんが必要以上に酷使される事も無かった。
そして、桜華が自殺して豊さんが死ぬと言うシナリオを変更する事が出来たかも……
この5年間、そんな『たられば』をずっと考え、悩んできた。
だけど、やっぱり過去は変えられない。
私が今すべき事は、零さんを救う事。
せめてその目標だけは達成したい。
今までやってきた努力を無駄にしない為にも!)
玖留美の『たられば』と同じ様に美香もまた『たられば』を考え、苦しんできた人間の1人だった。
自分にもっと力があれば姉を救う事が出来た……
そう考え、権力や金に固執してきたのだ。
「私は確かに、貴方の『御姉さん』には勝てなかった。
それは厳然たる事実。
でも、私は貴方には勝てると信じている。
恨みや怒りに囚われた貴方に負けるワケにはいかない!」
「言ってくれるじゃないの。
アンタだって、哀しみや悔恨に囚われている。
少なくとも、私の目にはそう映っているわ。
どちらもマイナスのパワーだけれど、最後に勝つのはこの私よ」
2人が実力を示す時がやってきた。
5年間愚直に積み重ねてきた努力の日々が報われるのは1人だけ。
そして見る事は出来ないが、この部屋にいた零が『見届け人』の役目を果たそうとしていた。
(僕がこの戦いに割って入る事は出来ない。
それでも、僕がココにいる意味は確かにあるのだろう。
一瞬だけ王者になった僕の横で、新しい『日本一』を決める戦いが幕を開けようとしているんだ。
美香と玖留美さん、どちらが真摯にZEROと向き合ってきたのかを決める大事な試合が……)
彼の生死は傍らにいる2人の女性の手に委ねられた。
美香が勝てば零が死ぬ可能性が高くなり、玖留美が勝てば生還する可能性が高くなる。
この1試合が5試合の中で最も重要な試合になる事は美香も玖留美も充分理解していた。
「今私達がいる部屋が全国大会の会場なら話は別だけど、そうじゃない。
この試合が公式戦と言うワケでも無い。
私は迷う事無く隠しキャラクターの『クロン』を選ばせてもらうわ。
勝利に対して貪欲にならないとね」
キャラクター画面で隠しコマンドを入力すると出現する『ゼクンドゥス・ミスティウス・クロン』はSECONDで初めて登場したキャラクターだった。
相手の動きを数秒間止める『時間停止』と言う反則級の超必殺技を持っており、苦戦は免れない。
(確かに時間停止は強力な必殺技だけれど、固定ダメージが入るワケじゃ無い。
常に有利な立場に立って相手を焦らせれば、勝機は必ずあるハズ……)
玖留美は美香が躊躇せずに隠しキャラクターを使用してくるだろうと思っていた。
卑怯だろうが何だろうが勝利に拘る。
それが美香と言う人間なのだと。
「私は貴方が隠しキャラクターを使ってきたとしても、最初からサラギクルミを使って勝つと心に決めていました。
それが、5年前の私……
私自身との決着を付ける為の唯一の手段だと思っていますから」
美香は口の端を少し歪ませただけで何も言わなかった。
恐らく玖留美の覚悟を鼻で笑っているのだろう。
圧倒的に有利な立場にいる美香には油断と驕りがあった。
玖留美はそこを利用して勝つ必要があったのだ。
サラギクルミ対ゼクンドゥス・ミスティウス・クロンの試合が始まる。
試合を行う背景、つまりフィールドは『ゴッドヤード 天空神殿前』に決まった。
『REAL DEATHGAME START!』
クロンは隠しキャラクターだけあって、超必殺技以外にも特殊な能力を持っている。
(クイック&スロー……
自分の時間を操作して、動きを早くする事が出来る能力。
超スピードで相手に近付いたり逃げたりする事が出来るけれど、『使った秒数分だけ動きが遅くなる』と言う欠点がある。
逃げた後の立ち回りが困難になったり、近付いて攻撃しようとした時に動きが鈍ったりするから、プレイヤーの力量が問われるわね)
動きを早くする事によって小回りがきかなくなり壁に引っかかると言う事故も起こり易くなる為、常に有利になる能力とは限らない。
だが玖留美にしてみれば、即座に自分の真横に相手が来るかもしれないと言う恐怖と向き合う様なものだった。
「姉様とアンタがかつて戦ったフィールドに決まったと言うのも、妙な因縁を感じるじゃない」
クロンとクルミの相性で言えば、少なくともヴォルフの様な飛び道具無しの近接格闘タイプよりは良いと言える。
(クロンの強みとも言えるクイック&スローは、障害物があればある程そこに引っかかって動けなくなる事が多い。
当たり判定のある石盤を飛ばす事が出来るクルミは、クロンに超スピードでの接近を躊躇わせるハズよ)
玖留美は石盤を複数フィールド内に出現させておき、相手が近付いてきそうな時に跳躍する事を心掛けた。
尋常では無い速度で動けるとは言え、地面を這う様に駆けるのと跳躍するのとでは操作の難易度が大きく異なってくる。
相手が反則級の能力を持っているからこそ、玖留美はその対策もしっかり考えていた。
「イライラさせてくれるじゃないの。
でも、クイック&スローを使わなくったって勝てるわ」
美香もいきなり反則技に頼るつもりは毛頭無かった。
奥の手であるカードは一番大切な局面で場に出すべきなのだ。
クロンは黒い光を発する刀を用いる為、他のキャラクターと比較すると若干リーチが長い。
リーチの長さと言う利点が仇となってクルミよりも移動スピードは劣るが、勝負にならない程の差では無かった。
「どうやって追い詰めてやろうかしら」
クルミが作り出した石盤は、横の部分に当たりさえしなければ相手キャラクターも乗る事が出来る。
クロンは時に石盤に乗り、時にしゃがんで避けながらじりじりと距離を詰めていった。
その丁寧で隙の無い立ち回りに圧倒されながらも、玖留美は自分が近付くチャンスを伺う。
(受け身に徹していると潰される。
私の方から仕掛けていかないと……
逃げる方のクイック&スローを使わせれば、相手の動きが鈍っている間に主導権を握る事だって夢じゃないわ)
圧力をかけられたとしても、端から一気に距離を詰めて相手に防御をさせる。
刀を鞘から一瞬で抜いて一瞬のうちに斬り付ける居合の様な立ち回り方が求められていた。
(ここッ!)
勝負を制する為の飛び出しは1秒早くても、1秒遅くても成立しない。
エターナルナイトの仲間と何度も練習したタイミングの見極め。
玖留美は最高とも言えるタイミングで飛び出した。
「甘いのよ」
通常ならば当たる攻撃を、美香はクイック&スローで避け、避けざまにまた距離を詰めて攻撃を行う。
速くなるのは移動速度のみなのでギリギリの所で防御する事が出来たが、玖留美は端に追い詰められた状態で攻撃を受け続けた。
(常識が通用しない……
これがクロンと言うキャラクターの恐ろしさ。
私が一歩一歩確実に積み上げてきたセオリーが、いとも簡単に覆ってしまう)
玖留美も美香が隠しキャラクターを平気で使用してきた場合の事を想定して、トレーニングを行ってきた。
SECONDから登場した隠しキャラクターは5名。
その5名全てが信じられない程の壊れ性能を誇っている。
「アンタも対策はしてきたんでしょうけど、『考え得る全て』を想定して動かなきゃいけないアンタと違って私は最初からそっちがクルミを使ってくる事が解っていた。
隠しキャラクターと戦う必要が無かった私と違って、アンタの対人トレーニングは濃度が薄まってるのよ」
耐え切れずにダメージを受けてしまうクルミの姿を見ながら、美香は勝ちを確信したとでも言わんばかりの笑い声をあげた。
「……密告でしょうね」
モニター室で玖留美と美香の試合を見ていた者達は、栞が俯きながらそう言った後静まり返った。
「誰かが、私達の練習風景を盗み見してその都度報告を行っていたんでしょう。
特にエターナルナイトでの練習となると私達も一定の警戒はしていました」
「それでも、練習の内容を逐一把握出来る程近くで見ていられたんや。
密告者は身内。
それも、相当親しいメンバーに限られるやろ」
血の気が引く様な事実を突き付けられ、モニター室にいたメンバーが全員顔を見合わせた。
この部屋にいる者の中に密告者がいるかもしれない。
そう考えただけで多くのメンバーが震えている。
「……健ちゃん、でしょう」
そのピリピリした空気を変えるかの様に比呂子が発した言葉は、哀しみに溢れていた。
「健ちゃんがエターナルナイトに来ているのを、私は何度か目撃した事があります。
何も言わずに私達の練習を食い入る様に見つめていました。
今考えれば、必死に情報収集をしていたんでしょう」
「健太郎君は正直、全く警戒していなかったからね。
エターナルナイトで全国大会へ向けた練習をしていた事もあるし、何より比呂子さんの身内だ。
裏切るなんて誰も思っちゃいなかった。
僕が遼子に絶対の信頼を置いていた様に」
部屋の中にいたメンバーの殆どが美香の手段を選ばぬ狡猾な方法に戦慄していた。
自分達の仲間を裏切らせ、疑心暗鬼に陥らせる。
そうなれば団結する事が出来なくなり、勝利はおぼつかない。
絶望的な空気に包まれる中、拓巳の放った一言が場の空気を一変させた。
「勝てばいいんだよ。
この試合、玖留美が絶対に勝ってくれる。
僕の妹だもの。
僕は玖留美を信じるよ。
玖留美を信じなくて、誰を信じればいいって言うのさ」
その純粋で真っ直ぐな言葉が、比呂子の目頭をさらに熱くさせる。
「……そうですよね。
健ちゃんを信じる事は出来なくても、今必死になって戦っている玖留美さんを信じる事は出来ます。
信じましょう。
そして心から応援しましょう。
私達に出来る事は、もうそれしか無いんですから」
その熱は全員に伝わり、届かなくとも声をあげようと言う姿勢に変化していった。
「玖留美さん、頑張って!
何とか勝ちをもぎ取ってくれ!」
「玖留美、根性出せよ!
俺は選考に漏れたんだ。俺の分まで頑張れ!」
「頑張ってください、玖留美さん。
私達の思いを受け取って、勝ってくれるって信じています!」
応援する事しか出来ない。
馬鹿げた話だった。
彼女達の部屋に向かって叫んでも、その声は玖留美に届かない。
それでも、彼等がするべき事は応援。
その応援を貫く事で何かが変わる事を期待していた。
全員が、玖留美の勝利を祈っていたのだ。
第1ラウンド終了まで残り25秒。
心が折れる事無く玖留美は踏みとどまる事が出来た。
3分の1程ダメージは負ったものの起き攻めを行おうとしたクロンに暴れでダメージを与え、距離を取らせる事に成功したのだ。
「玖留美ちゃん、まだ負けたワケじゃない。
落ち着くんだ!
クロンが優れた技を持っていたとしても巻き返すチャンスは充分ある!」
零の応援、そして兄である拓巳が自分を応援してくれていると言う事実が彼女の心を支えていた。
「真剣勝負に口を挟まないでくれる?
アンタの口も塞いでおくべきだったわね」
美香は吐き捨てる様にそう言うと、早くも逃げ切りの態勢に入った。
ZEROはなるべく多くのHPを持った状態で相手に勝利する必要がある。
少ししかダメージを受けていない状態で勝てば、圧倒的に有利な状態で第2ラウンドに移行する事が出来るのだ。
「大丈夫ですよ零さん、諦めてなんかいません。
諦めれば、兄さんの思いを無駄にする事になる。
絶対に勝ってみせます。
今負けていても、最後に立っていれば私が勝った事になりますし」
受け身になる一方だった先程とは違い、少しずつ攻める局面も生まれ始めている。
「無駄よ!
アンタが足掻いた所で、『四神(しじん)』を束ねる『麒麟(きりん)』に下民が勝つ事なんてありえないわ。
黄金に彩られた麒麟は金の力でこの世の全てを操る。
その驚異的なスピードでもね」
玄武・白虎・青龍・朱雀。
五行説に則れば、『金』の象徴が麒麟であるとも言える。
土・木・水・火の象徴である四神の中央にいて神々を統率するのが麒麟。
五行には様々な解釈があるが、麒麟が中央にいるケースも珍しい事では無い。
伝説上の生き物であり、人間の目には見えない速度で走ると言われている麒麟。
時間を操るクロンを使用する美香が『麒麟』を名乗るのも理解出来る事だった。
何時でも一気に距離を詰めて勝負を決める事が出来ると言わんばかりに圧力をかけてくるクロンを相手に、針に糸を通す様な感覚で突破口を探ろうとするクルミ。
その構図に変化が生じたのは残り10秒、美香が勝利に向けて兜の緒を締め直そうとした時だった。
上からの打開を目指して石盤の上に乗り、右方向に動きながら近付くクルミ。
超スピードでの跳躍を行うにはリスクが高いと判断したクロンはフィールドの端に追い詰められる。
しゃがみながら移動する事は出来ないので石盤にぶつかる様なダッシュは出来ない。
「地の利があれば勝てるとでも思っているの?
甘いのよ!」
美香はリスクの高い跳躍しながらのクイック&スローを選択。
だが選択肢が制限された事で玖留美も相手の動きを予想し易くなる。
左に向かってジャンプした瞬間、驚異的な反応でクルミはクロンを捉え攻撃を行った。
攻撃を受けている間は速度変更が出来ない。
倒れた所で相手を端まで運び、起き攻めを行う。
(防御している間にクイック&スローを行うにはリスクが高過ぎる。
今のHP差はほんの僅か。
もう1度でもダメージを受けようものなら次のラウンドで大幅不利になってしまうわ!)
美香はこの第1ラウンドで何としても勝っておきたかった。
すかさず彼女は超必殺技である『時間停止』を発動する。
端で攻めていたハズのクルミの動きが完全に止まり、その隙にありったけの攻撃を行うクロン。
結局HPを3分の2近く残していたクロンが勝ち、クルミは残りのHPを全て失う事となった。
「美香さんも、今のは苦渋の決断だったでしょう。
『使ってしまった』と言う気持ちが強いのではないでしょうか」
「玖留美さんも良い目をしてるよホント。
僕だったらあんな速度で突っ込んでくるクロンにダメージを与える事なんか出来ないね」
玖留美が第1ラウンドで敗北したと言う事実こそあったが、モニター室の面々は玖留美を称賛していた。
「いやぁ、コレは解らなくなってきたわ。
最終ラウンドまでもつれれば勝つ可能性は相当あるで」
「勝てるよ。玖留美は絶対勝てる。
あんな奴に負けちゃ駄目だよ」
HP差を一気に引っくり返す事が出来る『時間停止』。
勝利が確定したと思う程の試合を壊す可能性すらある超必殺技がもう使えないと言うのは非常に大きい。
だが、相手にクイック&スローがある以上、玖留美に残された超必殺技を当てる事が出来るかどうかと言う点は微妙な所だった。
「クロン相手に次のラウンドで無傷の逃げ切りは無理だと思った方が良いね。
殴り勝ちするしかないよ」
先程の様に相手の動きを制限する様な立ち回り方を徹底する事が出来れば、勝利に近付く。
後が無い状況ではあったが、誰もが玖留美の勝利を信じていた。
彼女に賭けるしかなかったのだ。
「やってくれたわね。
早々に私の切り札を使わせるだなんて……
アンタの事を少々見くびっていたわ。
でももう奇跡なんて起きはしない。
第1ラウンドも取ったんだし、第2ラウンドも取ってゲームセットよ」
美香は内心の苛立ちを隠す事が出来なかった。
自分の中では圧倒的な勝利で終わらせるハズだったが、蓋を開けてみれば辛勝。
さらに超必殺技を使わなければ負けていたと言う事実が彼女の怒りを増幅させている。
一方玖留美は最初のラウンドこそ取られたものの、一定の手応えを感じていた。
(これは、私が勝ったとしても不思議じゃない。
隠しキャラクターと通常キャラクターの対決で通常キャラクターが勝つと言う究極の下剋上。
奇跡を起こしてみせる!
そうなれば、零さんに届ける勝利としては最高のものになるわ)
クロンは確かに強いキャラクターではあったが、『最強』のキャラクターとは言い難い。
癖のある超スピード、強力な反則技である時間停止も使えるのは1回きり、そして攻撃力は普通のキャラクター並……
戦い方によっては充分クルミでも勝つ事が出来る。
それでも美香はクロンを使用する事に拘っていた。
このクロンと言うキャラクター自体が、美香の復讐を成就させる為に作り出したものだったからだ。
(アークラインズに資金提供を行う代わりに、隠しキャラクターとしてこのクロンを作らせた。
時間停止能力を使える最強の『ユファールの妹』……
桜華姉様が使っていたユファールに関わるキャラクターで、勝利する!)
ユファール・シャインスピリアを使って華麗に勝つ桜華の姿に美香は見惚れた。
彼女に憧れていたからこそ、ユファールに関係しているキャラクターを強引に作らせデータとして捻じ込ませたのだ。
「チート級の強さを求めたのに、『ゲームバランスが崩壊するから』と維康(これやす)の奴は……
小心者はてんで役に立たなかったわ。
まぁ、アンタにしてみればそれが希望に繋がるんでしょうけど」
そう言いながら美香はクロンを操り、いきなりクイック&スローを用い突撃してきた。
「希望なんて、私が木っ端微塵に砕いてあげる」
常にクロンの動きを警戒していたクルミは石盤を飛び越えて斜め下の蹴り攻撃を行ってきた相手を何とかいなした。
反撃しようとした瞬間にまた驚異的なスピードで逃げるクロン。
3秒程動きが鈍くなる瞬間を見逃す手は無い。
(相手は完全に波に乗っている。
今無理に攻めても体力を失うだけ。
深追いはしない)
玖留美は攻めるチャンスを放棄して耐える道を選択した。
事実上、クルミのHPは残り2ラウンドで1本分しか無い。
少しのHPでも無くなれば致命傷になる。
余計なダメージを負う事が敗北に直結していた。
(挑発に乗らない、か……
私に挑んでくるだけの知性はあるみたいね。
かと言って私も無理に攻めれば体力を失うだけ。
ココは様子を見るとしましょう)
当然、アドバンテージがある美香の方が攻め易いのは間違い無い。
このまま60秒が経過すれば最終ラウンドに持ち込まれて勝負がもつれてしまう。
それは避けたい美香だったが、相手に余計な勢いを与えてしまう事も避けたかった。
(熱は最終ラウンドにも持ち越される。
『勝てる』と言う意識を相手に持たれない事が肝要。
どう攻めるべきか……
緩急をつけていく必要がありそうね)
心理合戦だった。
両者の高度な読み合いが続く。
玖留美にとって痛恨なのは、玖留美の癖は美香が密告者から聞いているが、玖留美は美香の癖を全く把握していないと言う事だ。
だが玖留美はこのぶっつけ本番である1試合の中で、美香の動きの癖を理解し始めていた。
(美香さんは出来るならリスクを冒したくないタイプ。
そして自分が優勢に立っていないと不安になるタイプね。
圧倒的に有利だと思っているからこそそういう態度に出られるんでしょうけど……
私には弱者の立場から這い上がってきた雑草魂がある。
敗北濃厚でも、焦りはしないわ)
美香が攻め時を見出せないまま40秒が経過し、玖留美の読み通り美香の動きに焦りが出てきた。
「大人しくやられなさいよ!
アンタは惨めに負けるのが運命(さだめ)なの!」
「そういうのは自分で切り拓いていくもの、でしょう?」
玖留美は驚異的な反応速度と相手に隙を与えない牽制で、普通では考えられないノーダメージを継続していた。
一方クロンは3分の1近く喰らったダメージがまだ残っている為、このままでは相手が超必殺技を残していると言う不安を抱えたまま最終ラウンドに突入してしまう。
(それだけは、絶対に駄目!
無謀でも、突っ込んでいかないと……)
石盤を次から次へと出現させ、クイック&スローを防ぐクルミ。
地の利を得てからの跳躍と言うクルミが取った方法と同じやり方で勝ちに行くのは屈辱的ではあったが、美香は迷わずその方法を選択した。
上から飛んで超スピードを使えば、石盤の何処かに引っかかる可能性は低い。
「上からの見切りなんて、アンタに出来るのかしら?」
だが跳躍した直後、美香は最悪の未来を本能的に予測した。
真横につけた瞬間に超必殺技を撃たれるかもしれない。
その一瞬の迷いがスティックの傾ける角度を変えてしまう。
そのほんの少しの変化のせいで、クロンは丁度クルミが真正面に配置したばかりの石盤の横に突撃してダメージを受けた。
(この動揺は、攻め時!)
玖留美は相手目掛けて積極的に攻めかかり、思ってもいないミスをした美香は完全に恐慌状態に陥る。
(嘘でしょ、こんな馬鹿みたいなミスを!
ねぇ、嘘だと言って!!)
絶対に負けられない試合でのプレッシャーは半端なものでは無い。
事前の情報収集では美香の方が勝っていた。
だが、美香はこの5年間手の内を誰にも明かさぬ様にと一度も全国大会に挑んでいない。
大舞台で感じる圧力に耐えるだけの精神力を美香は養えていなかった。
重要な局面でその差が露わになってしまったのだ。
「逃がしませんよ!」
「ふ、ふざけないで!
私がアンタみたいな雑魚に負ける事はありえない!」
必死にメンタルの立て直しを行おうとした美香であったが、一度崩れた心を元に戻すのは相当に難しい。
経験の差が1つの試合の明暗を分ける事となった。
最終ラウンド。
美香は最終的に半分以下までHPを減らされ、あわやKO負けと言う所でタイムアップに救われる形となった。
だが崩れる様にHPを失っていく最中に少量のダメージを与えた為、最終ラウンドの開始時点では美香が優位に立っている。
それでもメンタルが立て直せない美香と、超必殺技を残したまま最後の戦いに突入した玖留美ではどちらの方が有利かは火を見るより明らかであった。
「こ、こんな……こんな事あるワケ無い。
私がアンタみたいな奴に……」
「正々堂々、最後のラウンドを戦いましょう。
勝っても負けても、私はその全てを受け入れます」
玖留美は零達と出会う前、勝負弱い自分を克服したいと思っていた。
全国大会を含めた幾多の試合で精神面を鍛えられ、気が付けば仲間内でトップクラスのメンタルを誇る様になった。
そのメンタルに傷を付けそうになった月山新二を率いて、彼女は敵の本拠地に乗り込んだ。
今の彼女に怖いものは無い。
自分でそう信じていた。
その思いは最終ラウンドにおいて確信に変わった。
(耐えれば私の勝ち!
今の私では積極的に攻められない。
攻めたら負ける!
60秒が経った時に私の方がHPで上回っていればいいのよ。
とにかく、とにかく落ち着く事!)
美香はそう自分に言い聞かせ、動揺しながらも隙を見せない立ち回りで相手の攻めを封じる。
玖留美も全く焦りが無いワケでは無かった。
元々強いキャラクターであるクロンに自分と同じ事……
堅守をされればそれを打ち破るのは容易では無い。
飛び道具を持たないクロン相手に石盤を飛ばしながら近付くチャンスを伺うが、時間だけが残酷に過ぎていった。
最終ラウンド開始から30秒。
そこで試合に動きがあった。
石盤から飛び降りる事無くダッシュで駆け下りたクルミが、端近くに待機していたクロンの隙を突いたのだ。
クロンは咄嗟に衝撃波で相手を飛ばし、焦ってクイック&スローを使い後ろに下がる。
衝撃波によってクルミの身体をすり抜けた石盤の横部分が綺麗に命中し、少量とは言えダメージを受けた。
(落ち着くのよ私。
大丈夫、まだHP差で玖留美に勝っている。
問題は無い!)
相手の操作に『ぶれ』が生じている事は明白だった。
どんなに練習を積んでも、ノープレッシャーの環境で積み上げた練習は大舞台で役に立たない。
端で相手がダメージを受けた事を確認した時には、玖留美の指は勝手に動いて相手の近くへと動いていた。
『玖留美なら、きっと勝てるよ!
僕は信じてる』
兄である拓巳が病室で玖留美に言った言葉は、玖留美の心に今でも残っている。
その言葉を信じてここまでやってきた。
未踏の境地に到達する為に力を尽くしてきたのだ。
そしてその努力は、この試合において遂に実を結ぼうとしていた。
「勝たせてください!」
「絶対に嫌!」
クロンがムキになって突撃してくる事を見越した正面での石盤守り。
相手の真正面に石盤の壁を作る技。
彼女は敢えてこの時までこの技を使わなかった。
美香の意識の外にこの技を持って行く為に。
超スピードで相手に接近しようとした所でクロンがこの石盤の壁に引っかかり、クルミがその自ら作った壁を飛び越えてコンボを行う。
怒涛の連続攻撃によってダメージを受けている最中はクロンと言えども何も出来ない。
最後はダメージを喰らって焦ったクロンが慌てて起き上がった瞬間にクルミの超必殺技が決まった。
それは、考えてからの行動では無かった。
勝てると思った瞬間に指が勝手に動いていたのだ。
無意識下での攻防があったからこそ美香を慌てさせる事が出来た。
対人の心理を読む事に自信を持っていた美香の心を砕いたのだ。
玖留美は最後の最後に試合の主導権を握り勝つ事が出来た。
その小さな穴に糸を通す事が出来なければ負けていたのは玖留美の方だったろう。
「兄さん……私、勝ったよ。
兄さんがいてくれたから、兄さんが励ましてくれたから勝てたんだよ」
相手の心の乱れを見逃す事無く美香をノックアウトした玖留美は、勝利した事が解った瞬間サングラスを外し涙を流した。
美香は未熟であったが故に敗れたが、玖留美もまた凄まじい重圧と戦っていたのだ。
その重圧から解放されたと言う喜びと、試合に勝利したと言う喜びの両方が彼女の感情を激しく揺さぶっていた。
「嘘よ……こんな事ありえない。
隠しキャラクターを使って、青龍を使って情報収集させて、対策バッチリ立てて……
それでも負けるだなんておかしいでしょ!?
認められない、こんな結末!」
玖留美が勝利の涙を流す一方で、美香は怒りと哀しみを爆発させていた。
そんな美香の金切り声に反応して、零は美香に対して諭す様に語りかける。
「美香……君は孤独だったんだよ。
君は金の力で全てを手に入れたと勘違いしていたんだろうけど、実際は違う。
君は仲間にまるで信頼されていなかったんだ。
金の切れ目が縁の切れ目。
皆君の事を金づるとしか思っていなかった。
だから君の事を本気で強くしてやろうなんて考えを持つメンバーがいなかった。
桜華が負けた理由と同じさ。
君は不幸せだったから負けた。
そこまで不思議な事じゃ無い」
「黙れェ――――ッ!!!」
染井がかつて咆哮した様に美香は癇癪を起こし力の限り叫んだ。
「人参を鼻先に突き付けられた馬が、絆の力と言う不確実なものに負ける事はありえない!!
私が負けたとしても、5試合中3試合で勝利していれば私の勝ち。
私の陣営の勝利は揺るがない!!」
美香は負の感情に支配されていた。
大切な人を奪われた恨み、自分が勝つ事が出来なかったと言う怒りと悲哀。
その溢れ出るどす黒い感情を最早美香は自分自身で制御する事が出来なくなっていた。
そんな美香の激情に呼応するかの様に、白鳥文彦が扉を開けて黄金の部屋の中に入ってくる。
「白鳥ィ!!
結果は、結果はどうなの!
5試合中、私達は何勝したの!?」
狂った様に喚く美香を軽蔑するかの様な表情で見つめながら、白鳥は無線で得た情報を美香に伝えた。
「たった今、各部屋の勝敗が全て決まりました。
火村あかりの勝ち、青龍の勝ち、月山新二の勝ち、白虎の勝ち。
この部屋の勝者が九龍玖留美様なので勝利した陣営は玖留美様の側、と言う事になります」
「……はッ?
ちょっと待って、それはどういう意味?」
呆気に取られて身動きする事が出来ない美香は、追い討ちをかける様な白鳥の言葉を耳にする。
「意味も何も、言葉通りです。
我々は負けました。
他に申し上げる事は一切ございません」
白鳥がハッキリとした口調でそう言った瞬間、美香は気力を失って床に崩れ落ちた。
「う……嘘でしょ?
そ、そんな……私が勝っていれば、私が……
私が勝てば姉様の仇を取る事が出来たのに、姉様……
姉様――――ッ!!!」
大粒の涙を流しながら美香は懐から回転式の拳銃を取り出し、零の方へ向ける。
「美香、それは約束が違う!
勝ったのは私達の方よ。
早く零さんを解放して!」
「五月蠅い五月蠅い五月蠅い!!
黙れ、ゴミ屑如きがッ!!」
玖留美の言葉を無視して、美香は拳銃の引き金に指をかけた。
「アンタのせいで、姉様は死んだ……
アンタが姉様に辛辣な言葉を投げかけたって事は解ってるのよ!
姉様はそのせいで自殺した。
姉様は天武日本の転覆を狙った企みに参加してなかったのに!!
アンタのその目だって、紅虎(ホンフゥ)の馬鹿が勝手にやった事でしょ。
それを逆恨みしてアンタは……
氷室零、アンタだけは絶対に許せない。
天国に召された姉様に、地獄で謝罪しろ!」
震える手で美香が拳銃の引き金を引こうとした瞬間、美香の指が止まった。
「殺してくれ」
光を失った零の目から涙が零れ落ちる。
玖留美は一瞬零の言っている事が理解出来ず、呆然とした。
「この5年間、ずっと後悔してきた……
桜華を死に追いやってしまった事に。
いかなる理由があろうとも、殺人は絶対にしてはいけない事だ。
だが僕は、殺人と同等の事をしてしまった。
彼女を自殺に追い込んでしまったんだ。
本当に後を追いたかったが、豊との約束が枷になった。
豊は僕に『自殺だけはするな』と言った。
だから自殺は出来なかった。
生きる意味の無い日々が続いた」
零は歯を食いしばり、その苦悩の表情からは彼が罪の重さに苦しんできた事が伺えた。
「君に殺されるのなら、本望だ……
この5年間、生きる意味を見出す事も出来ずに生きてきた。
亡霊の様な人生だった。
他人に殺されるのならば、豊との約束を破る事にはならないだろう。
僕をこの消えない苦痛から解放してくれ。
眠りたいんだ。頼む」
懇願する彼の涙が怒りと哀しみで己を失いそうになっていた美香の心を揺さぶり、取り戻させる。
「殺してくれ!!」
悲痛な叫びだった。
美香と同じ様に、零もこの5年間苦しみ続けていたのだ。
大切な人を喪ったと言う絶望感。
自分が助けてやれたのではないかと言う後悔の念。
自責の念に押し潰されそうになりながら己を支えてきた。
片方は相手を恨む事で。もう片方は相手との約束を守る事で……
「止めて!
美香さん、もうこんな不毛な争いは終わりにして!
こんな事を続けて、誰が喜ぶって言うの?
死んだ桜華さんが、豊さんが、本気で喜ぶと思ってるの?
もし零さんを殺してしまったら、貴方自身が絶対に後悔する事になるわ」
玖留美は何とか美香の凶行を止めようと説得を試みる。
だが美香は拳銃の引き金に指をかけ……
自分の頭蓋に銃口を向けた。
「姉様、ごめんなさい……
私は、姉様の復讐を果たす事が出来ませんでした。
今から、謝りに行きます。
氷室零を殺す度胸すら無い愚かな私を許してください」
「駄目、それだけは駄目!!」
「美香、駄目だ!
死ぬのなら、僕が死ぬべきなんだ!!」
玖留美は決死の覚悟で美香から拳銃を取り上げようと走り出したが、美香が引き金を引く方が遥かに早い。
だが、銃弾は発射されなかった。
「え……?」
かちゃかちゃと狂った様に何度も引き金を引く美香。
だが、銃弾は全く発射されない。
「こうなるだろうと、私は思っておりました」
白鳥の顔が能面の様な表情から憂いに満ちた様な表情へと変化し、玖留美は驚いたまま彼の方を見た。
「染井様の癇癪を受け継いだかの様な美香様の性格からして、負けても撃ちかねない。
もしくは、人を殺すと言う重圧に耐え切れなくなり自殺と言う道を選ぶかもしれないと言う事を。
私は事前にその可能性を強く感じていたのです。
ですから」
部屋の中に入ってきた火村あかりの掌から、ポロポロと拳銃の弾が落ちて床の上に落ちた。
「事前に弾を、全て抜き取らせて頂きました」
白鳥は『拳銃の最終調整を行う』と言って少しの間だけ美香から拳銃を受け取り、信じられない程のスピードで6発分の弾を全て抜き取ったのだ。
そして万が一にもそれを悟られない様に敵側の陣営の女性、火村あかりに全ての弾を渡していた。
「この計画自体は、結構前から白鳥さんから伝えられていたのよ。
彼が『美香様が殺人犯になる事だけは避けねばならない』って言うからね……
勿論私達にとっても有難い話だったから承諾したわ」
唖然とした表情で白鳥を見つめる美香。
やがて彼女は恨みを込めた口調で言葉を発する。
「白鳥……
アンタ、私を騙したのね!?」
「私は以前に申し上げました。
黒沢グループと革新党の発展の為ならば何でもすると。
その言葉に嘘偽りは全くございません。
美香様がもし殺人犯になる様な事があれば、その事実が外に漏れなかったとしても大変な損失になります。
人を平気で殺せる様な人間が経営者として人々をまとめ、グループを盛り立てていけるとはとても思えません。
だからこそ、私は美香様の気持ちに背いたのです。
美香様と黒沢グループをお守りする為に」
諭す様な口調で語り掛ける白鳥。
美香は腹心だと思っていた白鳥にも裏切られ、自分が本当に孤独だった事を悟った。
「あああああああ、えううううう――――ッ!!」
言葉にならない声を発して泣き叫びながら黄金の部屋の外へと飛び出していく美香。
玖留美はそれを呆けた様な表情で見つめていた。
「いや、ちょっと……
あかりさん、何で教えてくれなかったんですか?
そんな大事な事」
「教えたら貴方が安心するでしょう。
その安心している態度は絶対美香に見破られる。
そんな事になったら意味が無いから、秘密にしていたの。
隠していた事は謝るわ」
あかりがばつの悪そうな表情でそう言った後、玖留美は感極まりあかりに抱き付くと号泣した。
「怖かった。
怖かったんですからね……本当に」
「思い切り泣いておきなさい。
今はとにかく、勝った事を喜んで……
白鳥さん、良いのよね?私達皆で帰っても」
子供の様に泣きじゃくる玖留美の頭を撫でながら、あかりは白鳥の方を向き彼に確認を行う。
「ええ、氷室零様もお帰りください。
出口まで私共が御案内致します」
白鳥がそう言うと、あかりと玖留美は顔を見合わせ安堵の表情を浮かべた。
モニター室は祭りの様に騒がしかった。
誰もが玖留美の勝利を喜び、零の生還を望んでいたからだ。
「やりましたよ!
私達の陣営の勝利です!!」
「いやぁ、一時はどうなるか解らんと思うてヒヤヒヤさせられたけど何とか勝てて良かったわ」
「やっぱ凄ぇよ師匠は……
俺も負けてられねぇな」
比呂子は飛び跳ねんばかりの勢いで瞳と勝利を喜び合い、咲はハンカチで冷や汗を拭う。
堀北栞は両方の拳を握って笑っている久緒の方を見ながら、感慨深そうな表情を浮かべていた。
(リーダーがかつて挫折を味わい、そこから飛躍した様に……
月山新二も九龍玖留美も、一歩ずつ前に進んでいった。
決して優雅にして華麗と言うワケでは無いけれど、勝利に対する貪欲さを持って筐体と向き合い続けて勝利を手にしている。
私が彼等の様に羽ばたく為には、そういう真摯な姿勢と最後まで諦めない往生際の悪さが必要なのかもしれない)
本当ならば、栞があの舞台に立ちたかった。
自分の力で零を救って、朋美の側近である自分の強さを証明したかった。
だが、彼女は選ばれなかった。
比呂子も、久緒も。
絶対に負けられない戦いの場に立つには値しないとみなされたのだ。
それが悔しかった。
自分の実力不足を認め、変わる事を望んでいた。
全てのZEROプレイヤーが煌めく舞台で歓喜の涙を流す事を夢見ている。
その争いはZEROがある限り続くのだろう。
「さて、帰ろうか……
僕は遼子を、比呂子さんは健太郎君を引き取らないといけないけどね」
地の底から這い出てきた悪魔の様な声を発した涼介の言葉に、勝利のムードが一気に消し飛ぶ。
「許されない事をしたんだ。
遼子は……僕達の気持ちを裏切り、美香の陣営についた。
生まれてしまった深い亀裂を修復する為にはまず僕と彼女、比呂子さんと健太郎君との間で話し合わなければならない。
仲直りする事が出来るかどうか解るのはその後だ。
僕は遼子を連れて帰らせてもらうよ」
一刻も早くこの場から去り、怒りとやりきれない哀しみに震えている自分を見せたくない。
そんな気持ちが涼介から他の皆に伝わっていた。
そして怒りと哀しみを抱えているのは彼だけでは無かった。
「姉貴、やったぜ!1000万ゲットだ。
コレで姉貴の夢が実現出来る。
姉貴が店長になってファンシーショップを運営すると言う姉貴の夢が。
頑張ったんだよ俺!」
比呂子に褒めてもらえると信じて疑わない健太郎と、唇を噛んだまま黙っている遼子。
モニター室に入ってきた2人の態度は対照的だったが、その2人に対する涼介と比呂子の反応は似た様なものだった。
「……健ちゃん。
その1000万を、私に渡してもらえますか」
怒りを殺し、静かにそう言葉を発した比呂子の言葉の意味をその通りに捉えた健太郎が大喜びで札束が入った袋を彼女に渡す。
「そうだよな。
姉貴だって、欲してたよな。
この金で、姉貴の夢が実現出来るんだ。
今から目に浮かぶ様だぜ。
満員の客、店長になった姉貴の笑顔。
俺、勝てて本当に良かッ……」
柏糸涼介と雨宮比呂子が、ほぼ同時に相手の頬に平手打ちを行った。
比呂子は健太郎に、そして涼介は遼子に。
栞は比呂子が人に対して手をあげる姿を生まれて初めて目撃した。
「健ちゃん……
何故私の気持ちを理解してくれないんですか。
私達を裏切って、零さんが死んでも構わないと思って……
そんな薄汚れたお金を、私が喜んで受け取るとでも思ったんですか?
貴方は間違っています。
自分の夢は、自分の力で実現するもの。
人から与えられた夢なんてそれは夢じゃありません。
この1000万円は絶対に受け取りません。
今からこのお金を必要としている人に渡してきます」
ただ、哀しかった。
自分の弟が闇に身を染め、平気で人間の死を見過ごせる類の愚者になってしまった事が切なかった。
比呂子は大粒の涙を流しながら何とかそう話すと、今健太郎が入ってきたドアを睨み付ける。
「赤の部屋に入らせてください。
借金を抱えて苦しんでいる桃子さんにこのお金を渡します」
「ちょっと待ってくれよ姉貴!
俺がこの1000万円を手に入れる為にどれだけ苦労したのか解ってるのか。
日々練習に明け暮れ、情報収集なんて言う下っ端みたいな仕事も屈辱的だが受け入れた。
全ては姉貴に喜んでもらう為だ。
この1000万円で、姉貴に幸せになってもらいたいと思って俺は頑張ったのに」
「健ちゃん!
まだ解らないんですか。
その努力は、私にとって全部無意味な努力なんです。
私が望んでいたのは、貴方が優しく誠実な心で美香さんとの戦いに挑み私達の仲間として勝利する事。
美香さんは私と貴方の仲を引き裂こうとして貴方を勧誘した。
自分の思いだけを一方的に押し付けて……」
扉の近くにいた鵺が慌てて横にどく程、鬼気迫る顔をしていた比呂子は扉を開け外に出ていく。
健太郎はそれを追いかけ、ドアが閉まった。
涼介は2人がいなくなった後で言葉を発する。
「僕達を裏切ったと言う事実は、認識してるね?」
「……本当にごめんなさい。
涼君……私も迷ったの。
貴方の気持ちを踏みにじる事になってしまうから。
でも私は、天武日本の未来を憂いていた。
織田信虎元総理大臣と話し合う事で、この国を変えたかった。
2つを天秤にかけた時、そちらの方が大事だと思ってしまったの。
償う為なら、何でもするわ」
「君の気持ちは解らなくも無い。
国を憂う事は、この国で生活する僕達の将来を心配する事と同じだからね。
でも君が取るべき道は、この道じゃなかった。
君は間違った道を選んでしまったんだ。
だから今君自身が口にした様に、君は僕達に償わなければならない。
また一緒に笑い合える様に」
涼介の目にも、遼子の目にも涙が滲んでいた。
そして涼介は遼子の手を取り、俯いた後一言だけ呟く。
「帰ろう」
怒りを爆発させ、喚き散らす事は出来た。
雨宮比呂子がそうした様に。
だが涼介は喜びのムードに包まれているこの部屋の雰囲気を壊したくなかったのだ。
「涼君……」
背中から涼介にしがみついて嗚咽を漏らす遼子の手を引っ張りつつ、涼介は扉を開け外へと出て行った。
一方、赤の部屋で待機していた月山新二と樽酒桃子の前に姿を現した比呂子は、桃子に1000万円を渡していた。
「私がこのお金を受け取る事は絶対に出来ません。
受け取ったら、私も心の汚れた人間に成り下がってしまう。
でも、捨ててしまう事もまた悪だと思いました。
このお金を本当に必要としている人間に渡す必要があると思ったんです。
この1000万円で借金を返済して、新二さんと幸せに暮らしてください。
私はそれしか望みません」
揺るがぬ意志でそう話し、札束が入った袋を彼女に渡す。
桃子は驚いた顔で袋を見つめていたが、それに手を伸ばした。
「待った待った待った!!
俺は、確かに美香の為に協力した。
でもそれは結果的にそうなってしまっただけで、実際は姉貴の為にやった事だ。
俺は姉貴が幸せになってくれさえすればそれで良かったんだ!
姉貴が俺の全てだ。
小さい頃に俺が虐められている時、庇ってくれたのが姉貴だった。
姉貴もその時虐められていたと言うのに……
その時に俺は誓ったんだ。
姉貴の力になろうって」
「じゃあどうして、私が『零さんを助ける為に全力を尽くしましょう』と言った時に手を貸してくれなかったんですか?
健ちゃん、貴方は嘘つきです。
自分の都合の事しか考えていない。
お金で全てを解決しようとする美香さんの様な人間に変貌してしまった。
私は、貴方がそんな人間になってしまった事が心から哀しい。
失望しましたよ」
健太郎は、比呂子の言葉に対して言い返す事が出来なかった。
彼は自分の姉が心からしてほしかった事を無視したと言う事実を知ったのだ。
それでも、血の滲む様な思いでレバーを握り、ボタンを必死で押していた数々の苦労が脳裏をよぎる。
(俺は、姉貴が望む様な人間になれなかったんだな……)
心の何処かではとっくに理解していたのかもしれない。
道を踏み外してしまった事は健太郎が一番良く理解していた。
傷だらけの心と身体を抱えたまま公園のベンチに座っていた時から彼の人生の歯車が狂い出していたのだ。
そして、引き返す事は出来なかった。
美香からの甘い誘いを断る事も……
「ほ、本当に私にくれるって言うの?
私は負けたのに……」
「汚れた手で獲得したお金だとしても、桃子さんが立ち直る為に使えばきっとそのお金の価値が変わると思います。
私には、濡れ手で粟のお金なんて要りません。
いつか必ず、自分の力だけでファンシーショップの店長になってみせますから」
桃子は震える手で1000万円が入った袋を受け取ると、その袋を抱き締めたまま号泣した。
「有難う……本当に有難う。
御礼を何度してもし足りないわ」
「新二さん。
これから2人で、素敵な道を歩いてくださいね。
決して歪む事無く」
比呂子の言葉が健太郎の心を抉る。
健太郎は心から愛していた姉に自分の全てを否定された事を悟った。
「悪かったよ、姉貴」
両手で顔を覆いながら何とか言葉を発すると、健太郎は逃げる様にその場を後にした。
比呂子は彼の事を追いかけず、桃子や新二と握手を交わし2人の幸運を願う。
「でも、健ちゃんは芯の強い子です。
私は何時か必ず、健ちゃんが更生してくれると信じています。
元々健ちゃんは優しい子でした。
それが変わってしまっても、元に戻らないなんて事は無いと思うんです。
家に帰ったら、まずはゆっくり健ちゃんと話し合う事から始めないといけませんね……」
何度も礼を言いながら比呂子を抱き締める桃子の身体の温もりを感じながら、比呂子は健太郎を正しい道へ引き戻す事を誓った。
こうして、長い長い1日が終わりを告げた。
とは言っても彼等がプラナスの本社を後にしたのは午前11時。
まだ半日以上も8月8日と言う『1日』が残っていたが、玖留美はもう今日が終わったかの様な感覚だった。
(零さんが助かって本当に良かった。
後は兄さんを病院に戻すだけ。
なんて濃厚な1時間だったんだろう……
この1時間だけで寿命が大きく削れた様な気さえする。
精神的に辛かった。
泣き叫びそうになった時もあった。
でも報われた。これ以上の事は無い)
玖留美は自らにそう言い聞かせた。
少なくとも『最悪』を回避する事が出来たのだ。
5年前、玖留美は兄である拓巳を救う事が出来なかった。
精神退行は不可逆的なもので、医者からは一生元には戻らないと言われている。
だからこそ、再び訪れた1つの『危機』に対して懸命に抗った。
それは、助ける事が出来なかった兄への償いだったのかもしれない。
「兄さん、病院に帰りましょう。
皆が心配しているわ」
「玖留美……僕、病院に帰りたくないよ」
拓巳は潤んだ瞳で玖留美を見つめ、彼女は何も言い返す事が出来なかった。
「僕は1人で歩く事だって出来る。
1人で病院を抜け出してココまで来た。
自分の家から出て行こうなんて考えは持ってないよ。
僕は玖留美とずっと一緒にいたいんだ」
拓巳は正常では無いが、決して異常では無い。
家に連れ帰ったとしても問題を起こす事は無いだろう。
だが、拓巳の精神状態とは別の問題があった。
隣の病室で今も意識を取り戻していない日向剛の問題だ。
「……兄さん。
兄さんの高校時代の大親友が今も苦しんでいる。
御両親もずっと泣いてばかり。
そんな時に兄さんが病院から離れたら、もう剛さんは絶対に戻ってこないと思うの」
今の拓巳には日向剛の記憶は全く残っていない。
名前すらも聞いた事が無いと言うレベルだった。
だが『大親友が苦しんでいる』と言う言葉が、拓巳の心を強く揺さぶる。
「その剛っていう人、僕の大親友で……
今も起きてこないの?」
「ええ」
「今度、花を持ってお見舞いに行こうかな。
僕の部屋の隣にいるんだから」
拓巳のその言葉を聞いて、玖留美は思わず俯き涙を流した。
「兄さん、馬鹿な私を許して」
全ては世間体だった。
彼が退院するとなれば、日向剛の両親は強く反発してくる事だろう。
最悪の場合、関係が悪化し剛の両親が『人でなし』とメディアに向けて抗議を始めてくるかもしれない。
ZERO全国大会優勝者と言う肩書が裏目に出る事だろう。
だからこそ玖留美は彼を病院から外に出す事が出来なかったのだ。
「玖留美が哀しい顔をしてちゃ、僕も哀しくなっちゃう。
我慢するから笑ってよ」
そして幼い精神年齢の拓巳も、その『事情』の全てを察したワケでは無いが玖留美の思いを汲み取った。
幸せに生きていくと言うのは難しい事だった。
誰もが辛い道を懸命に歩き続けていたのだ。
氷室零は火村あかりと氷室瞳に両脇を抱えられながら、自宅への道を歩いていた。
「もう、陽の光を浴びる事は無いと思っていたんだ。
美香は例え負けたとしても僕を撃つ様な人間だと思っていたから」
火村あかりは何も言わず共に歩き、瞳は言葉を返す事が出来ず涙を流す。
「でも、僕もまた愚かだったよ。
5年間の間に僕は苦しみ続けて、こんなに苦しいのは自分だけだと思っていた。
だけどそうじゃ無かった。
美香もこの5年間、失ったものを取り戻せず涙を流していたんだ」
怒りに満ちた言葉だけを聞いていた零の耳に届いたのは、美香の悲痛な心の叫びだった。
自分と同じ様に失ったものがあまりにも大きく、人生が狂っていく。
零は全てを諦めていたが、美香は諦める事が出来なかった。
零は自分と美香が本質的に同じである事を今になって理解したのだ。
「本音を言うと、美香と和解したいと思ってる」
火村あかりは何も言わずに頷き、瞳は驚きのあまり目を見開いて兄の顔を見つめる。
「このまま不毛な争いが続いて、誰が得するんだい?
終わりにしなくちゃいけない。
その為に必要なのは僕と美香が公の場でお互いを認め合い和解する事だ。
僕は彼女に謝罪するよ」
「でも兄さん、そんな事が本当に出来るの?
美香さんは復讐心の塊じゃない」
瞳は『不可能だ』と和解案を一蹴したが、あかりはそれを否定しなかった。
「何とかなるでしょ。
美香は最後の最後、零を撃つ事が出来なかった。
弾が入っていなかったとしてももし引き金を引いていたら、もう関係を修復する事は出来なかったでしょう。
でも美香は引かなかった。
最後の最後で踏みとどまれた。
だから私は、零と美香が握手出来るって信じてる」
あかりは弾丸を手渡されていたが、別の意味でずっと恐怖と戦っていた。
もし美香が空撃ちでも零に向けて引き金を引いていたら、精神を削り合う地獄の争いが続いてしまうからだ。
結果として、美香は撃たなかった。
あかりはその事実に希望を見出していた。
「ま、和解出来るかどうかは今後の話として……
まずは家に帰ってゆっくり休みましょう。
私も疲れたわ。
皆神経を擦り減らしたでしょうね。
もうあんな戦いはしたくない。
全国大会の時より辛かったもの」
時折溜息をつきながら話すあかりの顔に、その疲れと苦労が見て取れる。
零もまた、2人が無事である事を喜んでいた。
これから新しいスタートを切れると信じていたのだ。
それぞれの思いを背負った戦いは幕を閉じた。
そして、戦いを終えた者達は1人1人違う道を歩む事になる。
手を繋ごうとする者、絆が断ち切れてしまった者、己の道を信じてさらなる高みを目指す者……
彼等の『人生』と言う名の戦いはまだ始まったばかりだった。