※この作品はR-18です。

ZERO ~格闘ゲームに翻弄される者達~   作:夜月光介

57 / 125
物語はまだ続くけれど、『1つの終わり』は迎えたい。
そういう気持ちで書いたので、随分長いですし、物語上
重要な話になっています。

雨宮比呂子って臆病な小動物をイメージして作った
キャラクターだったんですが、内に秘める心の強さは
凄いものがあるんですよね。説得のシーンは恐らく
あかりにも他の女性キャラにも出来ない。彼女だからこそ
美香の心を開く事が出来た。自分はそう思っています。


朱夏 処暑 1つの答え

 意識を取り戻した時、俺の眼前には暗闇が広がっていた。

 凄まじい勢いで湖の中に投げ落とされた瞬間は気を失っていたが、どうやら気が付く事は出来たらしい。

 身体を動かす事が出来ないまま、深い闇へと吸い込まれる様に落ちていく。

 全身に伝わる冷たい水の感触が、永遠の苦しみが始まる事を教えている様だった。

 (トモコ……トモコは無事なのか!?)

 

 声を出そうとしても水の中では声が出せない。

 遥か下に見える水色の光が彼女ではないかと俺は思った。

 (助けないと……

 俺が助からなかったとしても、彼女だけは救いたい)

 

 クロンの怒りと哀しみを受け入れる覚悟は出来ていた。

 確かに俺は彼女の大切な存在を奪い、多くの仲間の命を見捨てたのだ。

 だがトモコは違う。

 彼女はクロンの復讐と全く関係が無い。

 

 己の命を犠牲にしてでも助けなければならないと思っていた。

 どんどんと深い湖の底へ身体が沈んでいく。

 水色の光がだんだんと大きくなり、俺を包み込んでいった。

 

『私は貴方を見守っていましたよ、ヴォルフ・ムーンリファード』

 白い光の中に、裸の女性が立っていた。

 見えない床があるのか、俺も着地して相手の方を見る。

『貴方の願いを叶えた後も、私は貴方の願いが未来永劫続く様にするつもりです』

 

 微笑みながら近付いてくる女性の顔が次々に変化した。

 サイファ、ユファール、イリス……

 顔が定まらない女に手を掴まれ、俺は少しだけ驚きたじろぐ。

 

『さぁ、行きましょうか。

 心配する必要はありませんよ……

 貴方の大切な人も助けます』

 温かい手が俺の手を強く握り締めた。

 

 白い光から再び景色が暗闇に戻る。

 空中に浮かぶクロンの姿と肌に伝わる蒸し暑さから、オアシスに戻ってきた事が解った。

「ど、どうして!?

 私は確かにアンタ達を湖の底に沈めたハズ……」

 

『契約違反ですからね。

 私はヴォルフ・ムーンリファードの願いを叶える責任があります。

 そうでしょう?クロン……

 私(わたくし)は確かにこの小憎らしい獣人に負けてしまったんですもの』

 神秘的な光を纏った裸の女性の顔が、ユファール・シャインスピリアのものへと変化している。

 

「嘘よ、アンタが姉様のハズが無い!

 こうなればこの女もろともまたヴォルフを湖の底へ……」

 クロンの手駒と化していた者達が動き出そうとした瞬間、裸の女性が指を鳴らし彼等を消し去ってしまった。

 大勢いた獣人達が黒い霧になって消えていく。

 狼狽するクロンの方に指を向けた『ZERO』は大きな声で叫んだ。

 

『ヴォルフの『願い』を妨げるものよ、私の一部となれ!!』

 彼女がそう言った直後、クロンは巨大な立方体の中に閉じ込められた。

 俺にもその立方体が徐々に縮んでいくのが見える。

「とッ、止まれ!止まれ!!」

 クロンは何度も指を鳴らしてこの窮地から逃れようとしたが、時間を止める事が出来ない。

 

『無駄です。

 私がこの地に降り立った瞬間から、貴方の時間を操る魔法は全て封じています。

 貴方はヴォルフの『願い』を無視したこの場にいてはならぬ存在。

 消えてもらいますよ』

 クロンは半狂乱の状態で泣き叫びながら立方体の壁を叩いたが、小さくなっていく立方体から出る事は出来なかった。

 

「いやァ――――ッ!!

 助けて姉様、姉様ァッ!!!」

 立方体はどんどん小さくなっていき、最終的には小さな粒程の大きさにまで縮んでしまう。

 開いた手の上にそれを乗せたZEROは、微かに声が聞こえるその立方体を口の中に入れて飲み込んでしまった。

 

 俺は荒い息を吐きながら口の中に溜まった水を腕で拭う。

 ZEROは俺の方を見ながら優しく語り掛けてきた。

『貴方と貴方の大切な人を苦しめる存在は消えました。

 姉様の仇が取れなかったのが残念だけど』

 ZEROの顔が唇を噛みながら涙を流すクロンのものへと変わったが、すぐに別の女の顔へと変化した。

 

『この世界で死んだ者達は、全て私の一部となります。

 貴方がトモコさんと生み出した新しい命……

 今回の騒動で犠牲となった者達の魂も。

 ですが貴方とトモコさんが永遠の存在であり続ける限り、どんな困難があろうとも乗り越える事が出来るでしょう』

「俺とトモコは、アンタの支配から解き放たれた唯一の存在と言う事か」

 

『貴方の『願い』は絶対ですからね。

 私が叶えた願いとは言え、その願いを破る事は私にも出来ません。

 これからも別の形で大きな試練が訪れる事があるでしょうが、出来れば私の助け無しで乗り越えていってくださいね』

 俺の問いに答える事無く、ZEROはその場から姿を消した。

 

 これは俺の想像だが、恐らく永遠の命を得ても俺とトモコはZEROの支配から逃れたワケでは無いのだろう。

 常に監視され、俺達が幸せに生きる事が出来る様に世界が変わっていく。

 そしてこの一連の事件で死んだ者達が生き返ってこない以上、また俺達で子供を作っていく必要がある事が解った。

 (そう言えば、トモコは何処にいるんだ?)

 

 ZEROはトモコも助けたと言っていた。

 俺の近くにいなくても、救い出されているハズだ。

 辺りを見回すと、遠くに水色の光が見えた。

 俺は暗闇の中、湖や木に注意を払いながらその光の方へと歩く。

 やがて裸の状態で倒れているトモコの姿がハッキリと捉えられる様になり、俺は彼女に近付くと身体を激しく揺さぶった。

 

「ガッ、ゲホ、ゲホッ……」

 苦しそうな声で数回水を吐き出した後、意識を取り戻したトモコは俺の顔を覗き込む。

「トモコ、無事だったか」

 

「ヴォルフさんこそ……

 クロンは、あの人はどうなったんですか」

「ZEROが彼女を倒した。

 蘇ってきた奴等も皆消えたよ。

 俺達は助かったんだ」

 

 俺は冷たい水の中にいた為かなり疲れていたが、トモコを気遣い出来るだけ疲労の色を見せない様に振舞った。

「良かった……!

 私、ヴォルフさんが消えてしまったんじゃないかと思って心配で心配で……」

 上半身を起こした状態でトモコは俺にしがみつき、涙を流す。

 

 いくら強力な魔法を使いこなすとは言え、彼女の容姿も精神年齢も10代半ばのままだ。

 恐怖を感じ、震えていたのだろう。

 俺はそんな彼女の姿が愛おしくなり、膝で立った姿勢になると彼女を強く抱き締めた。

 

「大丈夫だ。脅威は去った。

 犠牲になった息子達は戻ってこないが、また新しい命を育んでいけばいい」

 俺の目にも何時の間にか涙が滲んでいた。

 誰かに深く愛されると言う事がこれ程素晴らしい事だとは思っていなかった。

 

 考えてみればセックスこそサイファと一度行ったが命を削る戦いの連続で、トモコと出会うまで1人の女性を愛し続けた事など無かった。

 今でも妹に対して全く未練が無いワケでは無い。

 それでも、俺の安否をずっと気にしていたトモコへの愛が勝っていた。

 

「あ、ヴォルフさん……お腹に当たってますよ」

 悪戯っ子の様な笑みを浮かべるトモコ。

 そう言われて初めて、俺は自身の肉棒が股間から顔を出している事に気付く。

 相手を殺さなければならないと言う極度の興奮、全身を襲う疲労、そして全裸のトモコを眺めていた為に生じた欲情。

 

 様々な要素が蓄積していった結果、俺の肉棒は毛の中から飛び出し激しく脈を打っていた。

「どうしてでしょう、私も……

 ヴォルフさんといやらしい事がしたくてたまらなくなっているんですよ」

 俺の下腹部に視線を落としたトモコの肌は水に濡れていたが温かく、火照っている様に感じられる。

 その欲情を煽る様な艶めかしい姿が、俺の理性の糸を完全に断ち切った。

 

「トモコ!!」

 最早我慢の限界とばかりに俺は彼女をそのまま押し倒すと、爆発しそうな程に猛った剛直をトモコの膣の中に潜り込ませる。

「あ、いきなり……やあッ、激し過ぎます」

 トモコの肉壁も、あっさりと俺の侵入を受け入れた。

 彼女も興奮しているのか、何時もより柔らかい肉の温度が高い様に感じられる。

 

 その肉の包容力に頼り切る様に俺は何度も何度も肉棒を突き入れ、抜いては深く差し込む動作を繰り返した。

「ヴォルフさん……また作るんですね。

 私達の子供を。

 そして、その子達がまた街を作って……」

 

「そうだ、発展していくんだ。

 争いの無い平和な世界を作る為に。

 もう獣人も天界人も関係無い。

 いがみ合う事も、殺し合う事も無い。

 俺達が今愛し合っている様に、手を繋いで1つの目標の為に生きていく」

 

 トモコに言っていると言うより、自分に言い聞かせるかの様に俺は言葉を発していた。

 ただ、何も考えずに目の前の肉欲を貪っていたかった。

 俺達の姿を見られたとしても、それは息子達の誰かだろう。

 誰かに遠慮する必要も無い。

 

 こうして気兼ねなく繋がっていられる世界。

 それこそが俺が望んだ世界の姿だった。

 

「トモコ、トモコォッ!!」

「ヴォルフさん、大好きです。

 大好きですぅ!

 ずっと、ずっと側にいてください」

 

 欲望に突き動かされるままに肉の砲身を柔肉の中に埋め、そして腰を引いてはまた突き刺す行為を繰り返す。

 トモコが俺の背中を掴む様に両手を添え、俺も彼女の身体の両脇に手を添えるとさらに激しくピストン運動を行った。

 舌を出しだらしない顔を浮かべているであろう俺自身の恥ずかしい姿を思い、それを彼女に見られている事がまた恥ずかしく感じられる。

 だが彼女の頬が赤くなり、とろんとした表情を浮かべているのもハッキリと見える。

 人の姿を見る事だけは許されている俺の瞳に、感謝したい気持ちだった。

 

「うあああッ!!」

 膨れ上がった欲望が唐突に弾ける。

 いつ爆発してもおかしくなかった俺の肉棒が激しく脈を打ちながら白い粘液を吐き出していった。

 俺の漲りの先端から噴き出す精液の感覚……

 びゅるびゅると放たれる先端の快感が、今回はより一層強く感じられる。

 

「け、痙攣して……ます」

 己の身体を激しく震わせながら、俺は脈動する肉棒をもっと奥に入れていたいとばかりにトモコの身体を抱き締めた。

 繋がったまま俺達はお互いに荒い息を吐き合っていたが、根元の膨らみが緩和されたのを感じて俺は膣から陰茎を引き抜く。

 ずるりと音を立てたかの様に抜けた肉棒は精液塗れになっており、さらに膣口から粘液がどろっと零れた。

 

「思ってもいなかった量だな。

 確かに興奮はしていたが……」

 普段よりも大量に溢れ出す精液の量に驚きはしたが、俺の意識はまだ射精を求めて脈動を続けているペニスの方に向き始めていた。

「お前の中でもっと感じたい。もう一度してもいいか?」

 

 トモコは俺の要望に対して頷いたが、疲労が溜まっていた為暫く起き上がれそうに無い。

 どうせならば体位を変えて行いたかったが、彼女を立たせて木によりかからせるのも不可能だった。

 (うつ伏せにさせて、俺もうつ伏せの状態になって覆い被されば出来るかもしれない)

 動きたくても動けない彼女の身体をごろりと転がし、地面に這わせる様にさせた所で俺も彼女の上に寝そべる。

 

 射精したばかりだと言うのにまた硬さを取り戻している肉棒の先端を彼女の尻に添えると、菊穴に挿入しない様細心の注意を払いながら彼女の膣を探った。

 菊穴の下、俺の精液がまだ若干残っている穴に先端を添えて腰を斜め下に突き入れると最初から入っていたかの様にするりと奥まで潜り込んでいく。

「あ、ヴォルフさんのがまた……」

 だらしない顔を浮かべているであろうトモコが喘ぎ声と共にそう喋ると、彼女の中に入り込んだ俺のペニスが一回り大きくなった様な気がした。

 そう簡単には抜けない事を確認した後、俺は彼女の背中に自分の上半身を預けたまま下半身だけを動かす。

 

「凄いです……

 さっきよりヴォルフさんのが出たり入ったりしているのが解ります」

 にゅるにゅると絡み付いてくる肉壁の心地よさに、思わず叫んでしまいそうになった。

 (これ程の快楽を、俺の息子達も味わっているんだろうか。

 血の繋がった娘達と……より背徳的で興奮するかもしれないな)

 

 そんな事を考えながら、先程よりは少しだけ余裕のある肉棒を潜り込ませていく。

 腰を突き入れる度に敏感な部分が柔らかい肉の一部に引っかかる為、全く違う形の快感を得る事が出来た。

 

「そんな事をされたら……

 おかしくなっちゃいますよぉ」

「好きなだけおかしくなればいい。

 咎める者などココにはいない」

 

 トモコが与えてくれる快楽は、俺の股間から飛び出た欲望の象徴を絶頂へと導いていく。

 前後に動き、ただただ目の前の快楽を味わう事だけに集中していた俺はあっけなく己の欲望を外へと吐き出した。

「お、おおッ……」

「は、はぁぁ……いっぱい……

 いっぱい出てますよ」

 

 根元部分が膣の入口に締め付けられた瞬間、俺は白濁液を思う存分彼女の中にぶちまける。

 激しく脈動する俺自身の先端は子宮の入り口に密着しており、彼女の卵子が精液に包まれる程出ているであろう事が解った。

 

「私から……

 ずっと離れないでいてくださいね」

「ああ、約束するよ。

 お前とずっと一緒にいる。離れたりしない」

 

 まだ俺の体毛の中に戻る事を拒絶している肉棒をトモコの中に埋めたまま、俺は後ろから彼女の身体を抱き締める。

 愛おしかった。

 俺もトモコと離れたくなかった。

 彼女が与えてくれる愛情と快楽を絶対に失いたくない。

 

 また、子供を作る毎日……

 そんな『日常』に戻っていくのだろう。

 そんな事を考えながら、俺は彼女が与えてくれる快感と安らぎに身を委ねていた。

 

 

【2010年 8月8日 正午 東京都 プラナス本社ビル内 桜色の部屋】 

 

 桜色に塗られた壁。

 ピンク色のベッドと窓にかけられたカーテン。

 棚を埋め尽くすクマッタグッズ。

 プラナスの本社内に存在する秘密の部屋。

 プラナスの社長である黒沢美香と側近以外はその部屋が存在する事すら知らない。

 

 部屋はカードキーを用いてロックする事が出来、そのカードキーを所持しているのは美香だけだった。

「姉様ごめんなさい。

 ごめんなさいぃぃ」

 机の上に置かれた写真立てを眺めながら、美香は机にしがみつき涙を流している。

 

 この部屋は綾小路桜華の自室を完璧に再現したものだった。

 豪邸に残されている本当の部屋は常に清掃され、桜華が死んだ後も清潔さを保っている。

 そして美香が今いる部屋の中も綺麗で、埃1つ落ちていない。

 大金を払って、全てを再現した。

 

 家具も、絨毯も、天井の照明器具から沢山の人形に至るまで。

 だが桜華の温もりを再現しようとしてもそれは無理な話だった。

 部屋を完璧に再現しても彼女が生き返るワケでは無い事は美香が一番よく解っている。

「私は、姉様の仇を取る事が出来ませんでした。

 どれだけ謝ったとしても、許されない事です」

 

 それでも桜華に依存していた美香は、部屋を作らずにはいられなかった。

 彼女に固執し、まるで今でも生きているかの様にしなければ己の気持ちが満たされなかったのだ。

 どれだけ桜華を追い求めても彼女が死んでしまった以上愛情を貰う事は出来ない。

 彼女は5年間、その喪失感を消す努力を続けてきた。

 

 だが全ての企てが失敗に終わった今、彼女は子供の様に泣きじゃくる事しか出来なかった。

「どうすれば姉様が許してくれるか……

 私は姉様の望みが知りたい。

 答えてください」

 

 歯を食いしばり、溢れる涙を拭う事もせず美香は写真立てを手に取るとそれをぎゅっと抱き締める。

 桜華が生きていた頃に撮影した、たった1枚の笑顔の写真。

 それも、本心からでは無い作りものの笑顔。

 美香は桜華が心からの笑顔を自分に見せた事が無い事に負い目を感じていた。

 

 彼女を笑顔にしたい。

 褒めてもらいたい。

 彼女がこの世からいなくなった後もずっとそれを追い求めていた。

 復讐と言う目的を失った美香は壊れそうになる心を必死に守ろうとする。

 自分が狂ってしまえば桜華が哀しむと信じていたからだ。

 

「御嬢様の望み……

 その問いに対する答えは、私が所持しています」

 扉の向こうから聞こえてきた白鳥文彦の声に反応して、思わず美香は閉じている扉の方を凝視した。

 

「今更何の用よ、この裏切り者!

 私の命令を無視して、忠誠を誓ったなんてよく堂々と嘘がつけたものね!」

 涙を流しながら怒りをぶつける美香の声に対しても、扉の向こうから聞こえてくる声が変化する事は無い。

 

「私は嘘などついておりません。

 私は『美香様と黒沢グループ、織田政権に忠誠を誓う』と申し上げました。

 美香様が零を殺しても、また美香様が自殺しても黒沢グループの未来は無かったハズです。

 そうなれば織田政権にとっても大打撃。

 破滅の結末を防ぐ為に、私の独断で弾を抜く事を決定致しました」

 

 感情が全く無いかの様な冷たい声に、思わず美香は身震いした。

 (コイツは、感情を一切挟まない機械なんだわ。

 言いつけられた事だけを忠実にこなす機械……!)

 

 怒りや憎しみと言った感情を育んできた美香にとって、私情を入れない冷徹な白鳥の判断が恐怖に変わりつつある。

 涙すら止まり、呆然としている美香の耳に、白鳥の声が聞こえてきた。

 

「魔の全国大会の後、綾小路桜華御嬢様は自室で自らの命を絶ちました。

 これは覆せない事実。

 そして染井義政が井島豊を御嬢様が自殺に用いた拳銃で殺害した。

 これもまた間違いの無い事実です。

 しかし、美香様も知らぬ事実が残っていました。

 それは、御嬢様の遺した『遺書』の存在です」

 

「い、遺書……?」

 美香は座ったまま、その向こうに白鳥がいるであろう扉だけを見つめる。

「御嬢様は自殺する前、万年筆で上等な紙に自身の願いを書き残していたのです。

 その遺書は絵画の裏、金庫の中に隠されておりました。

 御嬢様の自殺に関して警察はおざなりな捜査しか行わなかった為、私が見つける事が出来たのです」

 

 白鳥が美香の補佐として正式に就任した数日後、彼は桜華が自殺した直後の部屋の様子に不自然な点があった事を黒沢輝から聞いていた。

 それは、机の上に万年筆が置かれていた事と、何かを書き残した様な痕跡が残っていた事。

 遺書の類が机の上に残されていない以上、遺書は彼女が書き終わった後何処かに移されたに違いない。

 そう考えた白鳥は警察よりも徹底的に部屋の中を調べ、金庫を見つける事が出来たのだ。

 

「金庫を発見した時、私はその金庫の中に遺書が入っているであろう事を確信致しました。

 美香様にその事実を告げる事無く、優秀な金庫破りのプロに依頼して金庫を開けてもらい遺書の内容を確認した時……

 私は己の行動が間違っていなかった事を悟ったのです」

 さらなる秘密と嘘。

 桜華の遺書の存在を知らなかった美香は両手で床を思い切り叩く。

 

「どうして!?

 何で私に話さない事が『間違っていない』事になるのよ!!

 姉様の遺書があったのならすぐに私に見せるべきでしょう!?」

 何処にもぶつけようが無い怒りと哀しみに打ちひしがれる美香。

 白鳥は全く動揺する事無く話を続けた。

 

「理由は2つ。

 1つは、魔の全国大会から時間が経過しておらず、遺書の存在が漏れればその存在自体が隠蔽される恐れがあったからです。

 織田政権は綾小路桜華の自殺に対してかなり神経質になっていました。

 もし美香様に遺書を見せれば、何かの拍子に情報が漏洩し政権がその遺書を無かった事にする為に動き出しかねません。

 美香様は、それが何故だか御解りになられますよね?」

 

 白鳥が不意に美香に対して投げかけた質問。

 美香は直接それに答える事は無かったが、理由は解っていた。

 

 (姉様が遺書で、『自分はクーデターの事は知らなかった。私は被害者だ』と書き残していたら……

 織田政権は危機的状況に陥る。

 何故なら、織田政権はニュースや討論番組で『綾小路桜華=悪の権化』と言う偽りの事実を国民に訴え続けていたから。

 織田政権にとって、あの『セーフティアタック』は信国を壊滅させると言う素晴らしい戦果を挙げた一方で、国民に不信感を植え付けていた。

 残虐非道な行為の『正当性』をアピールする為には、綾小路桜華が被害者だったと言う事実を告げるのは都合が悪い。

 財閥と紅虎明命こそが悪魔であったのだと言い続けなければ、今の政権は存続出来なかった。

 勿論、姉様が悪人にされる事は私も嫌で抗議はしたけれど……

 プラナスの社長でも織田政権の権力には逆らえなかった)

 

 桜華の遺書に政権の存続を揺るがす一文が書き記されている可能性がある以上、白鳥は遺書の存在を隠さなければならないと思った。

 それは織田政権に対する『裏切り行為』であったが白鳥は遺書の内容に目を通し、この遺書は絶対に美香に見せる必要があると判断したのだ。

 

「そしてもう1つの理由は、美香様に見せるまでの時間が必要であると私が判断したからです。

 この遺書に書かれている御嬢様の願いは、美香様が成そうとしている事とは完全に真逆。

 もし御嬢様が亡くなられた直後に美香様がこの遺書を読んでいたら、偽物だと断じてこの遺書を粉々に破り捨てていた事でしょう。

 美香様の気持ちに整理がつき、1つの決着が付くまでこの遺書は封印しよう。

 全ては私の独断でした」

 

 決着……

 それは美香が零を監禁し、殺そうとするも失敗に終わると言うまさに今日の一幕だった。

 5年間の間復讐の為に動いていた美香を自由にさせ、それでも最悪の結末だけは回避する為に白鳥はずっと暗躍していたのだ。

「真逆……」

 

 美香の頬に熱い涙が伝う。

 美香はずっと、その可能性を心の中で否定し続けていた。

 もし桜華の『願い』が違っていたとしたら、自分は姉と慕う人物の気持ちを裏切る事になる。

 そして零に全ての責任を負わせなければ、その責任の一端が己にある事を認める事になってしまうからだ。

 

 (私は恐れていた。

 その事を……私が姉様を追い込んでしまったのではないかと言う可能性を。

 私は姉様をずっと神の如く崇め、心から尊敬していた。

 御父様が私にそうさせた事だけれど、私は本気で姉様を愛していた。

 でもそれが、却って姉様の重荷になってしまっていたとしたら?

 姉様に気負わせ続けた事が、強く華麗な存在だと振舞い続けさせた事が決勝戦での敗北に繋がってしまったのだとしたら?

 姉様は……もっと自然な形で、氷室零と勝負したかったんじゃないかって。

 1人の人間として、何にも惑わされる事無く挑みたかったんじゃないかって……)

 

 自分で自分を騙し続けてきた。

 その可能性を全力で否定し続けた。

 だが美香は玖留美に敗れた事で、その可能性を認めるしかなくなっていた。

「美香様、扉を開けてください。

 今の美香様なら遺書を破る事無く、1つの真実に真正面から向き合う事が出来ると信じております」

 

 床に両手を置き、歯を食いしばりながら泣きじゃくっていた美香は白鳥の声に少しだけ気持ちがこもっている様に感じて再び扉の方に目を向けた。

 その少しだけ優しい声も、美香の気持ちを揺らす為の偽りの演技かもしれない。

 美香はそう思ったものの、縋るものがどうしても欲しくなり立ち上がった。

 壊れそうな己の気持ちを桜華に救ってもらいたかったのだ。

 

 (あぁ、姉様……私は駄目な人間です。

 姉様が死んでからもう5年も経ったと言うのに、姉様の言葉に希望を貰おうとしている。

 自立出来ない私を許してください。

 結局私は今でも、姉様に頼り切ってしまっているんです)

 

 何かが美香には必要だった。

 美香に対して、『貴方は悪くない』と言ってくれる何かが。

 そしてそれが遺書の中に書かれているかもしれないと思った以上、美香には扉を開けると言う選択肢しか残っていなかった。

 

 

 美香へ

 

 この手紙が貴方の手に渡り読まれている頃、私はもうこの世にいないでしょう。

 思えば、哀しい人生でした。

 5歳の頃から厳しい躾と勉強の嵐で、睡眠時間は5時間あるかないか。

 

 皆と楽しく遊ぶ時間は私の人生の中に存在せず、私の側に妖と貴方がいても孤独な心が癒される事はありませんでした。

 そしてそれを隠して、懸命に生きてきました。

 全ては綾小路財閥の底力を世間に知らしめる為。

 私がZEROの全国大会で優勝する事で、バイオリニストとしての価値を高める為。

 

 そう自分に言い聞かせて、ずっと頑張ってきたけれど……

 私の心はもう限界です。

 疲れてしまいました。

 美香、貴方が私を励まして持ち上げれば上げる程……

 私は貴方を落胆させまいと努力を続けてきましたわ。

 

 それは今までは出来た事。

 生きる為の夢や目標があったから。

 でも財閥が壊れ、全てを失った今私が努力する事は到底出来ない。

 

 眠らせてくださいまし。

 もうこの世に未練は全く無いのです。

 生きる事自体の未練は。

 

 心残りがあるとするならば、私があのゲームセンターで零や皆と仲良く遊べなかった事……

 美香、貴方に頼みがあります。

 零や彼の仲間達と和解して、楽しく平和に毎日を過ごしてくださいまし。

 それが私の心からの望みであり、私がやりたくてもやれなかった事。

 一緒に笑い、一緒に泣き、励まし合って……

 

 楽しい人生を過ごしてくださいましね。

 残ったプラナスの今後なんてどうでも良い事ですわ。

 自由や喜びの前では、経営や責任なんて無意味ですわよ。

 私の様に、縛られない人生を送ってもらいたいですわ。

 

 最後に1つ、別の頼みが貴方にあるんですの。

 それは、私の部屋に残された『クマッタグッズ』の処理について。

 貴方は全くファンシーグッズに興味が無いから、捨ててしまうのではないかと怖がっているんですわよ?

 冗談ですけれど。

 

 私にしてみれば、もう必要が無いもの。

 かと言って、部屋の中に飾ったまま置いておくのも嫌ですわ。

 何処かの大きな倉庫を借りて、そこに人形や他のグッズを並べて……

 雨宮比呂子に譲渡してほしいんですの。

 

 比呂子は、一番最初に私の手を握ってくれた最高のお友達ですわ。

 クマッタグッズが大好きで、とても優しくて……

 それにあの時のクマッタ人形の借りを返せていませんもの。

 比呂子に全部あげてくださいましね。

 勿論倉庫の購入費用と維持にかかる費用は美香、貴方が全て払い続けるんですわよ。

 

 追伸 美香、貴方はずっと私を支えてくれた素晴らしいパートナーでしたわ。

 妖も私の理解者なんですから、虐める事は許しませんわよ。

 妖と仲良く、皆と仲良くしてくださいましね。

 

 元綾小路財閥総帥 綾小路桜華

 

 

 美香の瞳から流れた涙が、遺書に滴り落ちていた。

「姉様の字だ……

 こんなに丁寧で綺麗な字、姉様以外で見た事無い」

 5年と言う月日が、この遺書を認められるだけの時間を与えていた。

 敗北が、彼女を立ち直らせるきっかけを提供していたのだ。

 

「美香様、貴方はまだ御嬢様の願いを叶える事が出来ます。

 氷室零が死んでおらず、美香様も死んでいないのですから。

 桜華御嬢様の願いを、本当の願いを今こそ実現すべきです。

 私はその為の準備を整えていました」

 

 部屋の中に入ってきた白鳥は美香に遺書を渡した後、懐から手帳を取り出しページを無造作にめくる。

「黒沢グループ、革新党、美香様、そして零を始めとするゲーマー達。

 その全てを幸せにし、解決に導く方法がございます。

 それは……美香様が氷室零と結婚する事です」

 やがてあるページでめくる手を止めた白鳥は、そう言いながら美香に手帳を差し出した。

 

「は、はぁ!?

 私が、零の奴と結婚!?

 どういう考えでそうなるのよ!

 話が飛躍し過ぎてるでしょ!!」

 

 美香は全く予想もしていなかった提案をされ、遺書を手にしたまま思わず立ち上がる。

 白鳥が見せていたページには零の履歴が書かれ、顔写真が貼られていた。

 

「いえ、飛躍などしておりません。

 コレが、全てにおいて最善の選択です。

 我々にとっても、そして向こうにとってもこの決着方法に異論は無いでしょう。

 考えてもみてください。

 美香様の跡継ぎは今後絶対に必要になります。

 私以外の幹部も美香様に結婚を促しておりますし」

 

 美香もその問題で頭を悩ませていた。

 黒沢グループを美香が1人で永遠に切り盛りしていく事は不可能だ。

 いずれは息子か娘に社長職を譲る必要がある。

 養子に自分の後任を託すのは不安なので己の子供を産む必要があった。

 

「色々写真を見せられたけれど……

 脂ぎった中年親父が笑顔を見せている写真の山。

 気持ち悪いったらありゃしない。

 あんなのと結婚する位なら死んだ方がマシって言う奴等ばかり。

 困ったものよね」

 

「そうです。

 このままでは美香様は金と権力だけは人並み以上に持っている中年男性と半強制的に結婚させられてしまうのです。

 親族経営を標榜してきた旧財閥と同じ様に、美香様には子供を産んでもらわなければならないのですから。

 ココで氷室零に注目してみましょう。

 彼は視力を失ったとは言え、現在でも一流のピアニストです。

 そしてZERO全国大会での優勝経験を持ち、両親は世界に名を知られた指揮者とピアニスト。

 彼の経歴と『格』は申し分無い。

 さらには若く容姿端麗。

 美しい妹を持ち多くの人間から慕われているではありませんか」

 

 薄く口元に笑みを浮かべながら喋る白鳥の言葉は詐欺師の様であったが、理屈は通っている。

 

「美香様と零が結婚すれば、両陣営の溝は完全に消滅。

 桜華御嬢様の『皆と仲良くしてほしい』と言う願いが容易に実現出来ます。

 そして、美香様の経営センスと零の『圧倒的な音楽の才能』と言う広告塔が合体すれば鬼に金棒、虎に翼。

 最早黒沢グループに匹敵する企業はそうそう出てきません。

 さらに美香様が結婚して氷室零を『婿養子』にしてしまえば、少々邪険に扱った所で零は美香様に逆らう事が出来ないのですよ」

 

 それは美香にとって悪魔の囁きだった。

 表向きは笑顔で零と結婚し、死ぬまで零をいびり倒す事が出来るのだ。

 (私には結局、アイツを殺す事が出来なかった。

 でも殺さずとも、苦しめる方法は幾らでもある。

 アイツを私の尻に敷いてこき使えるとすれば、私にとっても悪い話じゃないわ)

 

 今でも零に対する怒りや恨みは消えていない。

 殺す事無く自分の支配下に置く事が出来ると言う提案は美香にとって非常に魅力的だった。

 

「でも、問題が残ってる。

 私が零と結婚する事は承諾するとして、零が私と結婚する事をそう簡単に許すとは思えないわ。

 特に円満な形で結婚するとなれば尚更よ。

 零が認める形で私と結婚する必要があるじゃない」

 

「その問題を解決する為の下準備です。

 私は美香様には一切お伝えしない形で、この結婚が滞りなく行われる様に準備を整えてまいりました。

 心配せずとも、零は必ず美香様と結婚する事に応じる事でしょう。

 私がそう仕向けるのですから」

 白鳥は能面の様な無表情から、まるで感情が感じられない笑顔へと表情を変化させる。

 

 その不気味な笑顔の奥に垣間見える底の見えない恐怖を感じた美香は、自分が彼の操り人形となっていた事を悟った。

 

 (コイツは、5年前からこうなる事を予見していたんだわ。

 私の企てが失敗に終わり、零と結婚して手打ちにすると言う結末を……

 遺書を発見して隠した時から、その未来を想定して動いていた。

 私がコイツを意のままに動かしていたんじゃない。

 何時の間にか、コイツが私を思い通りに動かしていたのね。

 黒幕として……)

 

 白鳥は『結果』のみを追い求めていた。

 どうすれば織田政権が納得する『結果』を手に入れられるか、それだけを考えていたのだ。

 

 黒沢グループが飛躍すれば、その黒沢グループを裏から完全に統括している織田政権が潤う事になる。

 その莫大な利益は『真国計画』に活用され、天武日本国全体を金と幸福で満たす事だろう。

 黒沢グループの為には氷室零が必要不可欠である事を、白鳥文彦は知っていた。

 だからこそ表では美香に従いながらも火村あかりと連絡を取り、『氷室零も黒沢美香も死なない』と言う状況に持ち込んだのだ。

 美香も白鳥の背後に彼女ですら越えられない強大な力の存在を感じ、彼の提案を受け入れるしか無かった。

 

 数日後、黒沢グループの勢力下にあるホテルの一室に呼び出された零は氷室瞳と共に指定された部屋の前に立っていた。

「僕と会って、2人きりで話したい事があるそうだ」

「兄さん、本当に大丈夫なの?」

 零は他のメンバーが反対するであろう事を見抜き、妹以外に呼び出された事を話してはいない。

 

「白鳥文彦はあかりさんと結託し、拳銃の弾を事前に抜いていた。

 それが無かったら僕も死んでいたかもしれないんだ。

 美香も同じさ……

 彼女が僕を今更殺すと言う事は考えられない。

 どんな話かは解らないけれど、耳を傾ける価値はあると思う」

 

「でも……」

 九龍玖留美がかつて経験した出来事が、瞳の心を不安にさせていた。

 綾小路財閥を前身とする黒沢グループの幹部ならば、何をしてくるか解らない。

 

「話し合い自体を長くするつもりは向こうも無いそうだ。

 万が一異変を感じ取ったなら、すぐに警察に連絡してくれ」

「だから、ココに来る事そのものを止めれば良かったのに!」

 視力が失われている零が外出する際、常に彼を支えていた瞳。

 零は自分の視力が失われてさえいなければ、妹にも話す事無くこのホテルに来るつもりでいた。

 

「僕と美香……

 いや、僕と桜華の因縁に決着を付けなければいけないんだ。

 僕が全国大会の決勝で彼女に勝ち、彼女に立ち直れない程の精神的打撃を与えてしまった時から全ては始まっていた。

 そのせいで多くの人が不幸になってしまったんだ。

 僕にはこの一件を終わらせなければならない責任がある」

 

 豊の死から始まった不幸の連鎖を思い、零は顔を上げると涙を流した。

「兄さん、今ならまだ引き返せるわ」

「僕は逃げないと己に誓った。

 大丈夫だよ、すぐに話を終えて家に帰ろう」

 

 今生の別れになるかの様に兄の身体を抱き締め、嗚咽を漏らす瞳。

 零は妹の頭を愛おしそうに撫でた後、縋りつこうとする彼女を制し扉の前に立つ。

「じゃあ、行ってくるよ」

「兄さん……」

 

 瞳は兄の決意の強さを感じ、もう己には兄を止める事が出来ないと思った。

 昔からずっとそうだった。

 零は一度こうと決めたら絶対に逃げる事無く立ち向かう強さがあったのだ。

 

 零が足を踏み入れたホテルの一室は、豪華なスイートルームだった。

 高級な絨毯と壁紙、照明はシャンデリア、ジャグジー付きの風呂まで備わっている。

 

「この部屋は完全な防音構造です。

 私達の話が外に漏れ出る事はありません。

 まずは腰を落ち着けてゆっくり話し合う事にしましょう……

 鵺、零様をサポートする様に」

 

 当然、零の目には暗闇しか映っていない。

 扉を閉めた零の手に鵺の手が触れた。

「こちらでございます」

 そのまま鵺は零の手を握り、丁寧に引くと背もたれが付いた椅子に彼を座らせる。

 

 ガラスで出来た丸いテーブルを挟んで同じ椅子が用意されており、白鳥も椅子に座ると鵺を零の背後に立たせた。

「まずは、こちらの急な呼び出しに応じてくれた事に関して感謝を。

 1週間後に催される古都府での大規模な演奏会は私も聞きに行く予定です」

 白鳥がそう話している間に鵺はワイングラスを2つテーブルの上に置き、赤紫色のワインをグラスの中に注ぎ入れる。

 白鳥はワインを飲む様に薦めたが、零は首を横に振った。

 

「世間話はどうでもいい。

 本題に入ってもらえますか」

 

「せっかちですね。

 そこまで急いても良い事はありませんよ。

 まずはワインを一口飲んで、心を落ち着かせてください。

 恐らく、これから私が提案する事に対して貴方は驚くでしょうからね」

 

 白鳥は鵺からケースを受け取ると、ケースの中に入っている書類を取り出す。

 

「氷室零。

 天武日本音楽界の重鎮と呼ばれた天才指揮者氷室一誠。

 そしてピアノの技術と美貌により愛された氷室仁美の間に生まれた長男。

 長女である氷室瞳の助力もありピアニストとしての才能が開花。

 その悪魔じみた技術力の高さと端正な顔立ちから『リストの再来』と称される。

 2005年に視力を失うもピアニストとしての活動を再開。

 現在も多くのファンを持ち評価されている……」

 

 白鳥が彼の経歴を読み上がると、零は怪訝な顔をしつつ声が聞こえる方を向いた。

 

「何が言いたいんです?」

「貴方は素晴らしい逸材であると言う事ですよ。

 ピアニストとして世界から高い評価を受けながら、ZEROの全国大会で優勝。

 その結果には優勝賞金1億円以上の価値があります。

 5年が経過した今でも、貴方を慕うゲーマーは多いですからね」

 

 白鳥は手を口に近付けわざとらしく咳をした後、薄く口元に笑みを作りながら言葉を続ける。

 

「貴方には名声・人気・金の全てが揃っている。

 容姿端麗、おまけに年齢的にもまだ若い。

 美香様の伴侶としてこれ程適性のある人物は存在しません。

 是非とも、零様には美香様と結婚して頂きたいのです」

 

 零はその言葉を聞いた瞬間、呆気に取られたような表情を見せた。

「僕と、美香が……結婚?」

 

「よく考えてみてください。

 これ程効果があり誰もが幸せになる方法はありません。

 美香様と零様が結婚すれば両陣営の対立は綺麗に消滅。

 お互いに妥協して和解したと言う何よりの証になります。

 美香様も桜華御嬢様の遺言に従い、今後は皆様と仲良くする様務めるつもりだとの事。

 さらに零様が黒沢グループに御助力してくだされば我々の今後も安泰。

 跡継ぎ問題も解決。

 織田政権も黒沢グループの飛躍を歓迎する事でしょう。

 非の打ち所の無い完璧な一手ではありませんか」

 

 相手の反論を許さずにまくしたてた白鳥。

 零は暫く黙ったまま腕組みを続けていたが、やがて口を開いた。

「質問をしても宜しいですか」

「勿論です」

 

「まず1つ。

 その結婚は僕が婿養子になる形で行われると言う事ですよね」

 零の質問に対して、白鳥は手を腹の上で組みながら答える。

 

「そういう事になりますね。

 社長業は引き続き美香様が仕切る事になるでしょうが、零様には美香様のサポートを頼みたいと考えています。

 その鋭敏な頭脳を経営面でも活用して頂きたい。

 それが黒沢グループの利益拡大に繋がる事でしょう」

 

「もう1つ。

 その話は既に美香も知っているんですか?」

 白鳥は首を縦に振ったが、零には当然見る事が出来なかった。

 

「当然です。

 美香様も今回の話にはかなり乗り気ですから。

 ここだけの話ですが、美香様は零様と結婚した後貴方に責め苦を与えたくてうずうずしている様です」

 

「……成程。

 僕と結婚すれば、僕に首輪を付けて思い通りに操れると言うワケですか。

 最悪折檻される事も有り得ると。

 そんな条件で僕が結婚を承諾すると思うのなら、大きな間違いですよ」

 結婚と言う話の裏まで隠す事無く明かす白鳥の様子に不安を抱きながらも、零はその話を断ろうとする。

 

「私も嘘は嫌いですからね。

 隠し事をして結婚した後貴方に『話が違う』と言われるのは嫌ですから。

 ですが私は全てを隠す事無く貴方に事情を話しても、結婚を承諾してくれると確信しているんです」

 白鳥の自信に対して零は強い不信感を抱いた。

 

「何故です?

 この結婚が両陣営の溝を消す目的で行われると言うのなら、僕を無理やり拉致する事は不可能だ。

 強制せずに僕の首を縦に振らせるなんてそう簡単には出来ないでしょう」

 

「いえいえ、そんな事はありませんよ。

 貴方に結婚を承諾してもらうのは実に簡単です。

 鵺、例の音声を持ってきているでしょう。

 是非聞かせてあげてください」

 白鳥がそう言うと、零の背後に立っていた鵺は懐からICレコーダーを取り出し零の耳元で再生する。

 

『……ハァ……瞳……ひとみぃ……!

 ふうッ、ふうぅ……瞳……』

 荒い息を吐く自分の声。

 その音声を聞いた瞬間、零は血の気がすっと引いていくのを感じた。

 

「私は貴方の弱みを握る為ならば何でもする男ですよ。

 貴方は妹さんと2人で家を完全に空ける事が多い。

 監視カメラや盗聴器は仕掛け放題と言う事です。

 当然動画もしっかりとこちらで保存しています。

 しかし……その性欲を愛する人に向けられないと言うのは気の毒ですねぇ」

 

 その喘ぎ声は、盲目となってからも続いていた哀しき自慰行為だった。

 妹の下着の匂いを嗅ぎながらと言う変態的な行動。

 自分の中に潜む獣を宥める為の苦肉の策。

 当然音声や動画がネットの海にばら撒かれたり、メディアに持ち込まれたりすれば待っているのは確実な破滅だった。

 

「……僕にとって、断ると言う選択肢は無いも同然と言う事ですね」

 

「私自身はシスコンを咎めるつもりはありません。

 貴方が美香様を愛していなかったとしても構いませんよ。

 これは、贖罪であると思って頂けませんか?

 貴方の心の中には桜華御嬢様を死に追いやってしまったと言う負い目があるハズ。

 その罪を償うと言う意味で、全てを受け入れてもらいたい。

 悪い話では無いと思うのですがね」

 

 零は追い詰められていたが、寧ろそれが当たり前かもしれないと思い始めていた。

 

 (僕は、最低の人間だ。

 周りがそれに気付いていないだけで、愚かな部分を抱え続けている。

 人を傷付け、妹に欲情し結果的に多くの仲間を不幸にしてしまった。

 償わなければならないんだ。

 美香に虐げられる事も、自由が失われる事も甘んじて受け入れよう。

 そう、例え跡継ぎを生み出す為の種馬の様な扱いを受けようとも……)

 

 空っぽになった心を埋める事も出来ずに生きてきた5年間。

 ならば美香に対して償い生き続ける事こそが自分の人生の意味、生まれてきた意味なのかもしれない。

 そう考えた零は覚悟を決め、俯きながらも言葉を発した。

「……解りました。

 美香に、『宜しくお願いします』と伝えておいてください」

 

 零は屈した。

 美香と黒沢グループに対して頭を下げた。

 自分が納得したうえで認めた敗北だった。

 

 ホテルの一室から出てきた零の顔には乾いた笑顔が浮かぶ。

 苦悩から解放された様な、だが一方でこれから訪れるであろう困難を感じているかの様な表情だった。

「兄さん、話し合いはどうなったの?」

 怯える小動物の様な声を出して兄の手を握る瞳。

 その透き通った声が零の罪の意識をさらに増幅させる。

 

「美香と結婚する事になった。

 両陣営の溝を埋める為の最善の策……らしい。

 確かに僕もそう思うよ。

 これ以上完璧な『仲直り』の方法は無い。

 僕が耐えれば、皆が苦しむ事はもう二度と無いだろう」

 

 半ば自暴自棄になったかの様な零の言葉には、様々な精神的苦痛を味わい続けた末の疲労が感じられた。

「兄さん……自己犠牲だなんて、私は認められない!

 兄さんが不幸になっても良いだなんて……」

 扉を開けて抗議しようとする瞳の身体を、零はしっかりと抱き締める。

 

「僕は、周りの人間を嫌と言う程不幸にしてきた。

 それは桜華も、美香も、豊もだ。

 僕がのうのうと平穏を貪るワケにはいかない。

 その代償を払う事で、皆を苦痛から解き放つ事が出来るのなら……

 悔いる事は何も無いよ。

 豊が僕を庇って命を落とした様に、今度は僕が皆の盾になるんだ」

 

 恰好良く自分を正当化している事を、零は理解していた。

 心の奥底では妹と繋がりたいと思っている醜い自分。

 その正体を絶対に見破られたくないと願う自分勝手な自分……

 

 結局自分は美香と同じ身勝手な人間である事を零は感じていた。

 それでも、妹の未来を守らなければならないと思っていたのだ。

「兄さん、私……」

「愛しているよ」

 

 心の底から妹に向けて放つ言葉。

 勿論瞳はその『愛』の意味を違った形で受け止めただろう。

 零にとってはそれで良かった。

 彼女には、何時までも兄を尊敬する健気な妹でいてほしかったからだ。

 妹の頭を撫でながら、零は己が歩む道を少しでも明るいものにしたいと考えていた。

 

「け、けっこん!?

 結婚するってどういう事よ!」

 翌日、エターナルナイトに集まっていたメンバーは瞳から零と白鳥の会合の内容を聞き目を丸くしていた。

 

「兄さんは、私達の為に自分の人生を犠牲にする事を決断したんです。

 好きでも無い美香さんと結婚し、奴隷の様な扱いを受ける事になったとしても皆の平穏な生活を守る事が出来る。

 そう言って兄さんは私から離れていきました。

 こんな事って……」

 

 泣きじゃくる瞳の姿を見て、九龍玖留美は思わず目線を逸らす。

「……確かに、2人が結婚すれば諍いが起きる原因そのものが消滅するワケですからね。

 善悪を抜きにすれば有効な方法なんでしょうけど……

 俺は零さんの決断を尊重しますよ」

 

「決断?どうだか……

 綾小路財閥の時と同じで、零に脅しをかけたんだろ。

 絶対に断れない様な状況を作り出したって事だ。

 しかもその結婚は黒沢グループの利にしかならねぇしな」

 

 月山新二の前向きな意見に対して、中澤久緒は否定的な意見を述べた。

 誰もがその結婚に対して良い感情を持っていない。

 だが阻止しようとすればさらに悪い結果が起こるのは目に見えていた。

 

「零さんは、私達の為に人柱になる事を決意したのよ。

 零さん自身の心の中にある『償いたい』と言う感情も含めてね。

 私達はその決断を、納得出来なくても尊重する必要がある。

 良くは無いけど、最悪な選択じゃない」

 玖留美は自分が発している言葉を心の中で反芻し、自己嫌悪に包まれた。

 

 綺麗事を並べながらも結局は零を見捨てると言う宣言に他ならない。

 エターナルナイトのメンバーや兄である拓巳の命を守る為、零を犠牲にする道を選択したのだ。

 表だった反対を、誰も行う事が出来なかった。

 自分達が自己保身の集団であると言う事実に、皆心が押し潰されそうになっていたのだ。

「変えていくしか無いやろ」

 

 その重苦しい空気を変えたのは咲の一言だった。

「これからは美香はんがエターナルナイトに来るっちゅう話もあるんやし、その時に彼女の気持ちを変える必要があるって事や。

 本当の意味でウチ等と手を結んでもらいたい。

 その気持ちに嘘偽りは無いやろ。

 そうやないんか?」

 

 美香に対して皆良い印象を持っていなかった。

 嫌っていたからこそ、その言葉が重く感じられる。

 

「盛大にもてなそうじゃないか。

 ココがどれ程素晴らしいゲームセンターなのか、美香さんに理解してもらおう。

 僕達で美香さんの心の扉を開くんだ。

 真の意味で仲直りする事が、豊君の望みなんじゃないかと思う」

 

 エターナルナイトの現オーナーである笹森冬司が咲の言葉に同調すると、笹森加奈も夫の意見に賛同した。

「そうね、相手を嫌うのでは無く手を繋ぐ努力をするべきよ。

 勿論最初からすぐに上手くいくとは思っていないし、時間はかかるでしょう。

 でも私達は同じ国に住んでいる天武日本人じゃない。

 何時かきっと、解り合える時が来るわ」

 

 国と国同士の諍いは今なお続いている。

 国家間の大きな争いを止める術は彼等には無い。

 だが加奈は、1人の女性との和解ならば必ず実現出来ると信じていた。

 それこそが本当の平和だと全員に説いたのだ。

 

「……瞳ちゃん。

 皆で美香の事を底無しの闇から救ってあげましょう。

 そして『友達』になれば、零が虐げられる事も無くなる。

 かつて桜華が望んで叶わなかった夢を、私達が実現させるの」

 ただ哀しんでいた瞳にそう言い聞かせ、あかりが彼女の肩に手を置く。

 

 その隣にいた比呂子もあかりの言葉に対して頷いていた。

『私の、お友達になってくださいまし』

 桜華の言葉が比呂子の脳裏をよぎる。

 

 桜華はきっと、心の底から比呂子との友好を望んでいたのだろう。

 様々な障害が立ち塞がり、結局桜華を幸せにする事は出来なかった。

 だからこそ、美香を幸せにしてあげる事が桜華の供養になる。

 比呂子はそう思っていたのだ。

 

「不可能だと思っていた事を、全国大会での優勝を……

 零は成し遂げてみせた。

 同じ事が私達に出来ないなんて事は無いハズよ。

 信じて、戦いましょう」

 玖留美はそう言うと、やる気に満ち溢れている周囲の熱を感じて微笑んだ。

 

 善は急げとばかりに、氷室零と黒沢美香の結婚式の準備は急ピッチで進められた。

 黒沢美香と結婚する事で恩恵を受けたいと考えている大企業の社長は星の数ほどおり、彼等に結婚そのものを邪魔される可能性があったからである。

 だが、織田政権の思惑も絡んだ結婚話だった為表だってこの結婚を阻止しようとする者は1人もいなかった。

「結婚式は8月22日、東京ランドマークタワーの付近にあるプラチナプライダルホテルで催される予定です。

 つきましては氷室零に関わる全てのゲーマーの皆様に出席して頂きたい」

 

 エターナルナイトに足を踏み入れた白鳥が式場の住所が記載されている紙を差し出すと、火村あかりがそれを受け取る。

「早々に、退路を断ったと言うワケね」

「ありえないとは思いますが、氷室零様に心変わりされても困りますのでね。

 この結婚は我々にとっても、そして皆様にとっても絶対に良い形で成功させなければならない一大イベントでございます。

 それ故、出席者の皆様には是非とも積極的に協力して頂き2人の新しき門出を盛大に祝ってもらいたいと思っていますよ」

 

 白鳥もこの結婚が全てにおいてプラスに働く事を願っていた。

 氷室零の頭脳を活かす為には2人の結婚生活が『円満』に続いていかなければならない。

 美香には『零を好きなだけ自分の思い通りに出来る』と甘い言葉を囁いたが、実際にはその主従関係を消す必要があったのである。

「そういえば……雨宮比呂子様はいらっしゃいますか?

 美香様が是非会いたいと申しておられます」

 

 白鳥がそう声をかけた時、暗い顔をした比呂子が彼の前に歩み出た。

「美香さんが、私と話したいと仰っているんですか?」

「詳しい話は美香様から。

 外に車を用意しております……

 どうぞこちらへ」

 

 比呂子は火村あかりと目が合い、ぎゅっと口を結ぶと決意に満ちた表情で頷く。

 彼女に美香の心を変える最初のチャンスがやってきたのだ。

 比呂子はそれを逃すまいとしていた。

 美香には、闇に堕ちてほしくなかったのだ。

 雨宮比呂子の弟、健太郎の様には……

 

【2010年 8月14日 午後6時 東京都 カフェ北野大茶】

 

 白鳥の部下、鵺が運転する車から降りた比呂子は自分があの喫茶店に戻ってきた事を理解した。

 (あの時以来1度も足を踏み入れていない場所……

 桜華さんと出会った場所で待ち合わせだなんて)

 

「先輩、これからも辛い事はいっぱいあると思いますけど……

 挫けないでくださいね。

 西園先輩も立ち直る事が出来ました。

 誰にだってもう1回地面に立って歩き始めるチャンスがあるんですから」

 運転席の窓ガラスが空き、鵺は車から顔を出して比呂子を励ます。

 

「有難うございます、佳苗さん。

 私も美香さんも、絶望から這い上がらなくちゃいけないんですよね。

 私は桜華さんに、そしてあかり先輩に勇気を沢山貰いました。

 今度は私が美香さんに勇気をあげる番です」

 

 比呂子は数日前、自己が崩壊してしまいそうな程の絶望を味わった。

 それは自分が蒔いた種でもあり、弟が苦しんでいた時に救ってやれなかったと言う後悔もあった。

 立ち上がれなくなりそうな程の苦痛が彼女を襲ったが、比呂子は立ち上がるだけの勇気を多くの者から貰っていたのだ。

 

 (私が虐められていた時に何度も助けてくれたあかり先輩。

 嘘かもしれないけれど私を愛してくれた豊さん。

 私の手を握って笑顔を見せてくれた桜華さん……

 私は皆の為に美香さんを説得する責任がある)

 

 比呂子はもう、小動物の様に震える事しか出来ない弱い人間では無かった。

 誰かの為に強くなれる心を持った大人の女性へと変わっていたのだ。

 人は生まれ変わる事が出来る。

 比呂子自身がそれを体験しているからこそ、彼女は美香を救う事が出来ると信じていた。

 

 カフェ北野大茶の店内に足を踏み入れた比呂子は、すぐに美香の姿を見つける事が出来た。

 それもそのはず、店内には美香以外に客が1人もいなかったのだ。

「遅いわよ。早く座りなさい」

「はッはい。すいません」

 イライラしている美香の向かい側に比呂子が座ると、待ち構えていたかの様に店員が近くに寄ってくる。

 

「コーヒーフロート1つ、本格焙煎珈琲を1つ。

 それとショートケーキを2つ頂戴」

「かしこまりました」

 注文を受けた店員がカウンター内にいる店員に目配せすると、店員が急いでコーヒーを挽く準備を始めた。

 

「今日は貸し切りよ。

 余計な客に私達の会話を聞かれるのも嫌だし、混んでいるのも嫌いだから」

 美香はそう言いながら自分が座っていた椅子の横に置いているバッグを手に取り、1枚の紙を取り出す。

 

「まずは、アンタを今日この店に呼び出した理由から。

 桜華姉様がアンタに『クマッタグッズを全部譲りたい』って言う遺言を残していたのよ。

 そのグッズを管理する為の倉庫も既に購入しているわ。

 人形の状態を維持する為の費用は全部こっち持ちだから」

 

 テーブルに置かれた紙は契約書だった。

 桜華の遺品である人形のコレクションを受け取る事に同意する為のものだ。

「桜華さんが、私に全てのクマッタグッズを……?」

 

 比呂子は辛く苦しい思いをした後に、思ってもいなかった御褒美を貰った様な気持ちだった。

 桜華が揃えたクマッタグッズとなれば集める為にかかった費用は比呂子の比では無いだろう。

 勿論売り払うつもりなど全く無かったが、全ての高級クマッタグッズを網羅しているであろう桜華のコレクションの事を思い眩暈がしそうだった。

 

「契約書の内容を読んで、サインして頂戴。

 まぁアンタに不利な条件なんて全く無いんだけど。

 それがアンタをこの喫茶店に呼び出した1つ目の理由。

 もう1つは……」

 

 美香が不満そうな表情で何かを言いかけた瞬間、コーヒーフロートと珈琲、そしてショートケーキが運ばれてきた。

「本格焙煎珈琲とコーヒーフロート、ショートケーキ2個でございます。

 御注文は以上でお揃いでしょうか?」

「下がってよし!」

 

 言葉を遮られた美香が怒気を含んだ口調で店員を睨み付けると、女性店員はそそくさと退散する。

「届けるのに丁度良いタイミング位解るでしょうに……

 まぁ良いわ。

 もう1つの理由は、アンタと姉様の関係が知りたかったから。

 アンタ、姉様の何だって言うの?」

 

 相手を噛み殺さんばかりの勢いで睨み付ける美香。

 比呂子は黙ったまま言い返す事が出来なかった。

 

「姉様の遺書には、アンタが『最高のお友達』だったって書いてあった。

 どうして姉様がそんな事を?

 姉様の最大の理解者は私であって、絶対にアンタじゃない。

 私は姉様の全てで無くちゃいけないし、姉様にとっても私が全てじゃ無くちゃいけないのよ!」

 

 美香にとって、綾小路桜華は今でも彼女の世界の全てであった。

 彼女に褒めてもらえる事が全て。

 彼女に認めてもらう事が全て。

 そう思っていた美香にしてみれば、比呂子の存在は目障りな障害に見えたのだ。

 

「……桜華さんの全ては、あの狭い屋敷の中だった。

 貴方と、妖さんだけが桜華さんの心の支え。

 でも、桜華さんにとってそれは苦痛だったんじゃないですか?

 もっと広い外の世界に踏み出して沢山のお友達に囲まれる事が、桜華さんの夢であり理想であったんだと思うんです」

「アンタに姉様の何が解るって言うのよ!」

 

 染井の様に激昂し、机に手をつきながら立ち上がる美香。

 一触即発の雰囲気に店員も怖がりながら見ている事しか出来ない。

 

「解ります。

 だって、本当にその狭い屋敷の中だけで満足していたのなら、私と握手をして『友達になってほしい』なんて言わないですよ。

 ずっと桜華さんは救いを求めていた。

 そのSOSこそが私との会話であり、私と過ごした僅かな時間だったと思うんです」

 

 桜華が別れ際に見せた、憂いを含んだ笑顔。

 面白くも無いのに見せた作り笑顔が、比呂子の記憶に残っている。

 

「桜華さんは貴方と同じ様に、世間に認めてもらいたかったんですよ。

 もっと言えば、零さんに認めてもらいたかったんじゃないですか?

 一番の好敵手だと思っていた人間から認められ、周囲の人間から讃えられる。

 スポットライトを浴びて輝く存在。

 そしてそんな存在になれば、孤独から抜け出す事が出来る。

 桜華さんはそう考えていたんだと思います」

 

「そんな、戯言をッ……!!」

 そう言いながら、美香は反論する事が出来なかった。

 桜華が血の滲む様な努力を続けて、ZEROプレイヤーとして強くなっていく過程を全て美香は見ていた。

 

『姉様は凄いね。どうしてそんなに頑張れるの?』

『……夢の為、ですわ』

『夢?』

 

『美香。

 貴方も何時か、絶対に叶えたい夢が見つかりますわよ。

 人間は、実現させたい夢の為ならどんな苦労でも出来るもの。

 だから貴方も夢を持ちなさいな。

 素敵な夢を見つけてくださいましね』

 

 体力は限界に近付いていても、魂だけは死んでいなかった桜華。

 何が彼女を突き動かしていたのか、当時の美香は解らなかった。

 解らぬまま、ひたすらに彼女を応援していた。

「自由が欲しかった……

 姉様の遺書にはそう書かれていたわ」

 

 美香の目には涙が浮かんでいる。

 彼女は崩れ落ちる様に再び椅子に座ると、何かを思い出すかの様に天井を見上げた。

 

「今になってみれば、私が零を憎んでいただけ……

 それが姉様の望みじゃ無いかもしれないなんて事は薄々気付いていた。

 ずっと自分を誤魔化していた。

 私はもう少しで、姉様の気持ちを裏切ってしまう所だったのよね」

 

「今からならまだ間に合います。

 私と、そして零さんやあかり先輩……

 皆と手を繋いで友達になる事は不可能じゃない。

 握手するだけで良いんです。

 桜華さんと私がそうした様に」

 

 比呂子はそう言うと、美香の眼前にゆっくりと手を差し伸べる。

「私との握手が、皆との和解になります。

 桜華さんの願いを……叶えてあげてください」

 涙を流しながら微笑む比呂子。

 美香はその手に触れかけたが躊躇した。

 

「こんなの、私が……

 私が負けを認めたのと同じじゃない」

 相手の言い分を全面的に受け入れる完全敗北。

 美香には『握手』と言う行為が『屈服』の様に感じられたのだ。

 

「いがみ合えば、争い合えば、不幸になる人がどんどんと増えていくだけです。

 弟に犯された私の様に」

 握手に応じられずにいた美香は、比呂子が当たり前の様に発した言葉に驚き唖然とした表情で彼女の顔を見る。

 

「こうであれば、とか……

 こうなっていれば不幸を防げた、とか……

 たらればなんて幾らでもあります。

 それを誰かのせいにするのは簡単なんです。

 私だって、美香さんが健ちゃんを札束で誘わなければと思った時がありました。

 健ちゃんが誰かの命を軽んじてでもお金を得ようとする事は無かっただろうって……

 私と健ちゃんとの関係がおかしな所へ向かう事は無かっただろうって。

 でもそうじゃない。

 誰かのせいにしても失ったものは絶対に返ってこないし、取り戻せるものなんて何1つ無い。

 だったら、顔を上げて今出来る事をしよう。

 そう思ったんです」

 

 比呂子は手を差し出したまま、再び微笑んでみせた。

 今の比呂子には嬉しい感情も楽しい感情も無かったが、美香を自分の様にはしたくないと言う思いだけが彼女を支えている。

 

「美香さんも、私と同じ様に顔を上げて今最善だと思う事をする時が来たんです。

 零さんをどんなに憎んでも、殺したい程恨んだとしても桜華さんがこの世に帰ってくる事はありえない。

 バケツから溢れた水を元通りに戻す事は出来ないんです。

 だったら……

 桜華さんがしたかった事を美香さんが代わりにしてあげるべきなんじゃないですか。

 勝ち負けじゃない。

 損得じゃない。

 美香さんも、そして私も……

 皆が出来うる限り幸せになる為に。

 ハッピーエンドじゃないかもしれない。

 でも、これ以上悪くなる事を貴方自身も望んではいないと私は信じます」

 

 比呂子は自分の中に燻っていた感情を全て吐き出し、美香と和解する事を望んだ。

 そして美香は、比呂子の中にある『心の強さ』に気付き、その強さこそが桜華と比呂子の絆になったのかもしれないと感じていた。

 

 (姉様は、そこまで心が強くなかった……

 自分の未来に絶望した時、何も残っていない自分の未来を覚悟を持って掴み取る勇気が無かった。

 でもコイツにはその強さがあった。

 心が壊れてしまいそうになっても再び前を向けるだけの強さが。

 今解った。

 姉様はコイツに……雨宮比呂子に憧れたんだ。

 私が姉様に憧れを抱いた様に)

 

 自分が心から尊敬している人物が心を開き、そして自分とは違うからこそ羨望の眼差しで見つめていた女性。

 美香もまた、雨宮比呂子の様に強くなれない事を悟った。

 その負の感情を自分で消すだけの勇気が備わっていなかったのだ。

 

「私は……アンタだからこそ手を繋ぐんだからね。

 勘違いしないでよ。

 氷室零に対するわだかまりはまだ残ってる。

 それはそう簡単に消えはしない。

 それでも……姉様に認められたアンタが言うならしょうがない。

 私も兜を脱ぐわ、雨宮比呂子」

 

 美香は生まれて初めて赤の他人、それも自分が格下だと思っていた人物をフルネームで呼んだ。

 それは相手を認め、自分より優れた人物だと理解したと言う事でもある。

 彼女は比呂子の手をゆっくりと、確かめる様に強く握り締めた。

 

「人生、良い事ばかりじゃ無いですよ。

 それでも私達は生きていくんです。

 一緒に、生きていきましょうよ。

 1人じゃ立ち向かえない事があっても、2人なら、3人なら……

 沢山の人達の力があれば、乗り越える事が出来るんです。

 貴方を凌駕した様に」

 

 比呂子の言葉が、美香には今になって重く感じられた。

 負けた理由は、美香と比呂子の『差』にあったのだ。

「私は1人、比呂子には沢山の『仲間』って事でしょう?

 そうね……それじゃあ、勝てないわよね」

 

 もう片方の手も比呂子の手に添え、握り締めながら涙を流す美香。

 比呂子は同じ様に涙を流しながらも、彼女の顔をずっと見つめ続けていた。

 

 2010年8月22日、通常の結婚式とは全く異なる『異様』な結婚式が幕を開けた。

 花嫁と花婿が『漆黒のウエディングドレス』と『漆黒のタキシード』で現れた瞬間、会場は大きくどよめく。

 特に2人が結婚に至った経緯を知らない財界・政治関係の大物達は何故2人がそんな恰好をしているのかワケが解らなかった。

 だが、エターナルナイトのメンバーは2人の『真意』を受け止める。

 

「美香の中では、まだ喪に服す期間は続いているのよ。

 もしかしたら、一生黒い服で通すつもりなのかもしれないわね」

 

「零さんがそれに合わせたって言うのと……

 後は、零さん自身の思いが反映されているんでしょう。

 自分が愛していない相手と『償い』の為に結婚させられると言う、理不尽なれど抗えない思いが。

 私は結構、良いカップルになるんじゃないかと思ってるんですけどね」

 比呂子は小声でそう言うと、氷室零と黒沢美香には相似点がある事を心の中で思い返した。

 

 欠けたものが双方あまりにも大きく、助ける事が出来なかった己を責め続けている。

 プライドは高く、自分が『出来る人間』である事を信じて疑わない。

 だが自尊心が高い反面内向的であれ攻撃的であれ非常に自虐的な面が目立つ。

 そんな、一見真逆に見えて同じ様な部分を多く持つ2人ならば上手くやっていけるのではないか。

 他人事ではあるが、比呂子はそう考えていた。

 

「零さん、貴方はこの女性を健康な時も病の時も富める時も貧しい時も良い時も悪い時も、愛し合い敬い慰め助け、変わる事無く愛する事を誓いますか」

「誓います」

 神父が花婿と花嫁に永遠の愛を誓わせる場面だ。皆何かの形で一度は目にする事があるだろう。

「美香さん、貴方はこの男性を健康な時も病の時も富める時も貧しい時も良い時も悪い時も、愛し合い敬い慰め助け、変わる事無く愛する事を誓いますか」

「誓います」

 

 勿論、本来ならばその質問に対する答えは『ノー』だ。そこに愛など存在しない。

 美香にしてみれば黒沢グループをさらに強固な存在にする為の政略結婚。

 零にしてみれば美香の奴隷となり、彼女が新たな指導者を生み出す為の種馬になる事を宣言する事と同じだった。

「貴方がたは自分自身をお互いに捧げますか」

「捧げます」

 

 この質問に対しては零が『イエス』の立場だった。

 抜け殻と化していた人生に新たな理由を付ける事が出来るのならば、喜んで美香の奴隷になろう。

 諦念から来る境地だったが、ある意味心は晴れ渡っていた。

 これが償いになるのであれば、桜華や豊もきっと喜ぶだろうと思ったからだ。

 

「それでは、指輪の交換です。

 指輪は永遠の円環、つまり終わりなき愛を表現しており、貴金属である事から『価値あるもの』としての側面も持っています。

 零さん、貴方はこの指輪を愛の証として彼女に渡しますか?」

「はい」

 

 監獄へ向かう為の手錠の様だ、と零は思った。

 黒沢グループに逆らう手段等無い事は零がこれから『黒沢零』として生きていかなければならないと言う事実が証明している。

 

 これからはグループに忠誠を誓い、美香に忠誠を誓い、尽くし続けるのだ。

 妹である瞳が今までと同じ様に側にいたいと申し出てきたが零の方から断った。

 危険な目に遭わせたくないと言う理由と、自分が彼女から離れる事で未練を断ち切りたいと考えていたからだった。

 

「では、写真撮影を行います。

 新郎側、新婦側の関係者はこちらにお集まりください」

 美香が懇意にしている会社の重役や、織田政権に関わりを持つ議員達が集まってくる。

 

「流石に、織田信虎元総理や織田信鷹現総理の姿はありませんね」

「忙しいでしょうしね。

 信虎さんは合衆国とカダル連合王国の友好を確認する為……とか言って中東に向かってるみたいだし。

 現総理は真国の運営を始めるに至って問題が山積。

 まだまだ混迷の時期を乗り越えたワケじゃ無いって事でしょ」

 

 火村あかりはそう言うと、5年前のクーデターをかなり昔の様に感じている自分に対して心の中で笑みをこぼした。

 (結局、時が流れると全部『昔あった事』みたいになって風化していく。

 桜華が自殺した事も含めて。

 美香の中で桜華の死が風化していく事は無いでしょうけど、私達がその傷を少しでも癒やせれば良いわね)

 

「はい、オッケーです。

 次は新郎側の関係者の皆様で撮影を行います。

 後ろの方は立って、背の高い方が後ろでお願いします。

 前の方は座って。そうですそうです。

 それじゃあいきますよ、準備は宜しいですか?」

 

 この日の為に雇われたプロのカメラマンが少しでも皆を笑顔にさせようと場を盛り上げている。

 美香があまりにも滑稽さが目立つカメラマンの口調に対して思わず笑うと、横にいた零が小声で呟いた。

「君だって、ちゃんと笑えるじゃないか」

「アンタと結婚するって言う事自体は笑えないけどね」

 

 そこまで棘のある口調では無かった。

 美香の隣にいる比呂子が微笑みかけてくる。

「笑って笑って、今日一番の笑顔でお願いしまーす。

 じゃあ2枚撮りますよ。

 1枚目です。はい、チーズ!」

 

 火村あかり、雨宮比呂子、柏糸涼介、長尾遼子、遠藤咲、中澤久緒、月山新二、九龍玖留美、鏑木修吾……

 全員が吹っ切れた様な笑顔を浮かべていた。

 

 どんな困難がこの先に待ち受けていようとも、笑い飛ばす。

 そんな決意の発露が感じられる1枚の写真。

 その笑顔の集団の真ん中にいる零と美香は、満面の笑みとは言えないものの笑顔は浮かべていた。

 2人の人生を彩る『楽しい事』の始まりを告げるかの様な、優しい笑顔だった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。