※この作品はR-18です。

ZERO ~格闘ゲームに翻弄される者達~   作:夜月光介

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哀しい純愛がこの話のテーマの1つでもあります。
両想いなのに決して結ばれない愛。
身体は許しても心は決して渡さない。本当に愛している人に
全てを捧げる。そんな愛が存在すると良いんですがね。


番外編 1955 崩れ落ちた橋 中編

【1955年 7月23日 東京都千代田区秋葉原 東京都立(とうきょうとりつ)倫橋(りんばし)高等学校】

 

 夏休みを目前に控え、少々うかれている生徒達もこの日ばかりは真剣な表情で問題と向き合う。

 午前中のみ行われた5教科分の期末試験は難易度の高い問題の連続だった。

 (今まで学んできた事の総決算……

 日々の勉強をしっかりこなしていれば解ける問題ばかりだ)

 

 蔵崎源三は手強い問題を次々突破していく。

 学年でもトップクラスの成績を誇る蔵崎は余裕を持って問題を解き終えた。

 

 (簡単よ。こんな問題……

 自分自身の力で解決出来ない問題は他にある)

 霧原冴子は平静を装いながら期末試験に挑んでいたが、時間が経過する度に『熱』がじわじわと忍び寄ってくる。

 彼女にとって、誰からも怪しまれない様に振舞う事は一種の義務だった。

 昨晩帰宅した時も涙の跡を母親から指摘されたが、適当な嘘をついて誤魔化している。

 

 (助けを求めて誰かに縋りつけば、私の淫らな姿を写した写真がばら撒かれてしまう。

 そんなものが世間に出回ったら私の家は崩壊。

 古橋産業に与える損失も計り知れない。

 何より、私自身が日の当たる世界で生きていく事さえ出来なくなる。

 私が我慢すれば済む話なのよ)

 

 冴子は必死にそう言い聞かせた。

 心が滅茶苦茶になってしまいそうな自分を叱咤し続けた。

 

 親に決められたレールの上を歩き続けてきた彼女には、諦念と自己犠牲と言う『負の意識』が根付いてしまっていたのだ。

 親の言いつけに背いてゴーゴー喫茶に足を踏み入れた己への神罰。

 そう思い込もうとしながら問題用紙と向き合い、必死で解き続ける。

 その間にも服の下に隠れた彼女の肌が、妙な熱を発し始めていた。

 

「試験の結果は月曜日に発表する。

 その翌日から夏休みだが成績が振るわなかった生徒には補習が待っているからな。

 日々の努力が結果に反映されるんだ。

 赤点を取った者は自分が何故点を取れなかったのか自分を見つめ直す様に」

 

 昼休憩を挟まずに放課後を迎え、慌ただしくなる教室内。

 頭の中に白い靄がかかった様になっている冴子の側に、鯛良鮎美が近付いてくる。

「今日も行くでしょ?」

「……ええ」

 

 冴子に『行かない』と言う選択肢など残されてはいなかった。

 行かなければ写真が世に出回って社会的に死亡。

 さらには禁断症状によって火照った身体を抑える事が出来ずに人前で全裸になってしまうかもしれない。

 だが今の冴子にはそういった冷静な考えでゴーゴー喫茶に出向こうと言う思考は無かった。

 

 (吸いたい……

 どうしようも無く、あの香りを欲している私がいる)

 鼻腔をくすぐる柑橘系の独特な匂いが恋しかった。

 あの匂いを欲しているからこそ身体が熱いのではないか。

 そう思わせる程強烈な欲求が彼女の脳と肉体を支配していた。

 

「じゃ、私は先に行ってるから。

 後で会いましょう」

 鮎美はそう言うと鞄を持ち、制服姿のまま教室を後にした。

 

 呼吸する犬の様に舌を出しながら息を吐き、頬には汗が滲んでいる。

 今思えば、鮎美の見た目には不自然な所があった。

 いくら夏とは言え、彼女は汗をかき過ぎていた。

 冴子はそう思いながら、昨日の時点でその不自然さに気付けなかった自分を呪った。

 

「試験の結果、どうだった?

 俺は何とかなったけど」

 鮎美と入れ替わる様に蔵崎源三が彼女に近付いてくる。

 

 決して彼に伝えられない思いを抱えている冴子にしてみれば、彼と話すのは非常に辛い事だった。

「ええ、楽勝よ。私なら……」

 源三にそう言って笑顔を作ろうとした瞬間、突然心臓が早鐘を打つ様に鳴り始めた。

 汗がサウナの中にいるかの様に流れ落ち、喉が渇く。

 一瞬、景色がぐらりと揺れたかの様に感じられた。

 

「ごめんなさい。

 用事があるからまた今度落ち着ける時に話しましょう」

 己の身体がおかしくなりそうだと言う危機感。

 冴子は逃げる様にその場を後にする。

 

「ゲン、冴子の奴何かあったのか?

 目が虚ろだったし、変な汗すげぇかいてたぞ」

「……俺も帰るわ。

 夏休みの話は月曜日にしよう」

 走り去っていった彼女を追う様に、源三は教室から外に出ていった。

 

 秋葉原の遊歩道。

 土曜日ともなれば人だかりが出来る。

 活気に溢れた人々の波の中をすり抜ける様に、冴子は逸る心を抑えながら歩いた。

 人で歩道が埋まっている以上、走り抜ける事は出来ない。

 

 下手に人を押しのけて走ろうとすれば不審に思われる。

 自分が警察に駆け込まなくても、別の人間が警察に駆け込めば同じ結果が待っている事は冴子にも充分解っていた。

 風邪の諸症状の様に熱で朦朧とする頭を片手で抑えながら、歩を進めていく。

 そしてその数メートル後ろに、蔵崎源三の姿があった。

 

 (何かがおかしい。

 何時もの冴子ちゃんじゃ無かった。

 彼女に何かあったんだ。

 勿論、それが何なのかは全然解らないけれど……

 このままにしてはおけない)

 

 途中で彼女を見失いそうになった源三だったが、歩道が人で埋まっていた為再び彼女を尾行する事が出来た。

 そして冴子は大通りから横道に入り、さらに寂れた通りへと入っていく。

 (おいおい……

 ココは信国人が多くて治安が悪いから立ち寄っちゃいけないって言われている場所だぞ)

 

 その寂れた通りからさらに薄暗い路地裏へと消えていった冴子。

 源三は彼女をこのまま追うべきか迷った。

 (クソッ、どんな名前の施設に入ったのか解るまで尾行を続けるべきなのか?)

 だが源三はその路地裏の暗がりに底の知れない恐怖を感じ、追う事が出来ない。

 

「駄目だ。凄く危険な匂いがする……

 追うのは諦めよう」

 源三は秋葉原の駐在所に向かう為に走り出した。

 

 もし彼がそのまま路地裏に足を踏み入れていたら、悲惨な運命が待ち受けていた事だろう。

 血生会の者達に捕まり拷問を受け、ブリッジを嗅がされていたハズだ。

 だが源三は自分の嗅覚を信じた為、最悪の結末からは逃れる事が出来た。

 

「誰かに尾行されたりしなかったでしょうね?」

 ゴーゴー喫茶『テトロドトキシン』に足を踏み入れた冴子に対して、店の主人である河豚田はそう言った。

 

「そんなの解りませんよ。

 こっちはもうギリギリの状態だったんですから。

 早くブリッジを吸わせてください。

 限界なんです」

 ダンスフロアで踊る女性達を目にしながら冴子は薬をせがんだ。

 

 既に踊っている女性の何名かは上の服を脱ぎ捨ててブラジャーだけの状態になっている。

「実は新しい客が来るのでね……

 もう少しだけ待って頂けますか。

 お、来た来た……

 あそこで踊っている子の紹介らしいですよ」

 

 髪を栗色に染め、狂った様に踊り続けている女性を見ながら河豚田が2人の女性を招き入れる。

「ようこそ、テトロドトキシンへ。

 歌に合わせて踊る楽しいクラブですよ。

 楽しんでいってください。

 はい、御代は後で請求致しますので……」

 

 1955年と言う戦後直後の時代。

 だがゴーゴー喫茶に足を踏み入れるのは大抵先進的な服装の者達ばかりだった。

 合衆国の影響を受けサングラスやジーンズ、ハイヒールが彼女達にとって当たり前のものに変わりつつある。

「羽生さんのお言いつけもありますのでタダで良いですが、その代わり貴方が彼女の『担当』になってくださいね」

 

 友人らしき女性と合流し、踊り始めた女性に指をさしながら河豚田が冴子の耳元でそう呟く。

 隣には既に鮎美が待機しており、ブリッジの入った容器とハンカチを所持していた。

「後ろからハンカチで鼻を覆うだけ。

 簡単よ!冴子にだって出来るわ」

 鮎美はギリギリ制服姿を保っていたが、汗をかいており今すぐに服を脱ぎたいと言わんばかりの状態だった。

 

 (そうか、コイツは私に『共犯者になれ』と言っているんだ。

 私達を共犯者にする事でさらに警察に言い難くする作戦……

 私はもう警察に駆け込むつもりは無いけれど、鮎美はこうやって騙されて私を地獄に引き摺りこんだのね)

 

 冴子は鮎美に恨みをぶつけるつもりは全く無かった。

 彼女も河豚田に騙された被害者なのだ。

 恐らく、今このフロアにいる女性の1人に誘われてブリッジを嗅がされたのだろう。

「さぁ、今度は貴方がこの薬の素晴らしさをあの人に教えてあげる番です」

 スプレー容器とハンカチを河豚田から渡された冴子は、覚悟を決めて背後からゆっくりと女性客に近付いていった。

 

 (もう、逃げられない……

 私が拒否したとしても他の誰かがやるに決まっている。

 断ってブリッジが吸えなかったから私が困るだけなんだし……

 私が地獄送りにするしかないのよ)

 

 諦めと言い訳。

 人生の中で何度そう自分自身に言い聞かせてきた事だろう。

 妥協ばかりの人生だった。

 自分で人生を切り開いてきた事など一度も無い。

 親の言うままに勉強し、親が決めた学校に進学し、親が決めた相手と結婚する予定が決まっている。

 

「貴方に恨みは全く無いけれど……」

 激しく踊る女性は冴子の接近にまるで気付いてはいない。

 彼女の真後ろまで到達した冴子はすかさず彼女の胸に手を回し、もう片方のハンカチを持った手で彼女の鼻を塞いだ。

 

「許して頂戴」

 熱が最高潮に達しつつある。

 彼女は涙を流しながらも、この後に待ち構えている地獄を思い薄笑いを浮かべていた。

 

 一方、秋葉原の大通りに戻ってきた源三は近くにあった駐在所に駆け込んだ。

「すいません、同級生が怪しい路地裏に入っていってしまって……

 今日の体調も変でしたし、調べてもらえないでしょうか」

 1人の巡査が源三の訴えに対して応じたが、その返答はそっけないものだった。

 

「あのねぇ君。

 君の同級生が何処に行こうとそれはその人の自由だし、体調が悪いってのも風邪か何かって事だろ?

 我々天武日本の国民を守る警察官がそんな事でいちいち対応なんか出来ないんだよ。

 帰った帰った」

 椅子に座りながらぶすっとした顔をしている警官の肩を、源三は掴んで懇願する。

 

「昨日は何とも無かったんです。

 今日の午前中から明らかに変でした。

 確かに今季節は夏ですが他の人よりも多く汗をかいていて、ぼんやりしている感じで……

 あんな信国人ばかりいる路地裏に踏み込んでいく様な人間じゃないんです。

 信じてください」

 

 真剣な顔で訴える源三の顔を見ながら、巡査は心の中でせせら笑っていた。

 

 (そうだろうよ。

 お前の言っている事は正しい。

 だが俺はお前の言う通りに調べたりなんかするものか。

 お前を追い返した後、すぐに血生会に報告してやろう。

 貴方達の周りをうろちょろしている不快な蝿がいるとな)

 

 この男……草間(くさま)清吉(せいきち)は巡査と言う身分でありながら血生会から金を貰っている悪徳警官だった。

 賄賂を貰う見返りとして血生会の邪魔になる者達を排除したり密告したりする役割を担当していたのだ。

 

「忙しいんだ。

 君の戯言に付き合う暇は無い。

 帰ってくれ」

「お願いします。

 俺じゃ彼女を助ける事が出来ないんです。

 助けてください」

 

 源三はなおも草間に救いを求めたが、草間はその腕を強引に振り払った。

「さっさと帰れ!

 帰らんと公務執行妨害で……」

 猛犬の様な表情で怒鳴りつけようとした草間は、入口に立っている男を見た瞬間愛想笑いを振りまく。

 

「こ、これはこれは剣(つるぎ)長官。

 こんな所に何の御用です?」

「見回りのついでに立ち寄っただけだ。

 それでこの少年は?」

 

「助けてください、俺の同級生が変なんです。

 調べてください!」

 真っ赤な帽子に軍服を着込んだ男は、源三の訴えを時折頷きながら聞き始めた。

 

 赤帽隊(あかぼうたい)長官、剣(つるぎ)貫太郎(かんたろう)。

 信国人から憎まれ、最も敵視されている男が彼であると言い切って差支えは無い。

 1955年、憲兵隊の残滓が残っている時期に結成されていたのがこの赤帽隊だった。

 

 赤帽隊の任務は信国人に対する弾圧をより一層強める事。

 信国人による犯罪を撲滅する事。

 特に当時から存在していた紅虎明命とは睨み合いを続けており、一触即発の状態にまで達していた。

 

「成程、君の同級生が入っていったと言う裏路地はまず女学生が足を踏み入れる場所では無いな。

 さらに発汗していたと言うのが気になる。

 他に挙動不審な同級生はいなかったかね?」

「そう言われれば……

 彼女と仲が良い鯛良さんの様子が変でした。

 時折荒い呼吸をしていたり、他の人から呼ばれてもすぐに返事をしなかったり……」

 

 剣は源三の言葉を聞き終わった後、草間の方を向いて強い口調で彼を叱責した。

「こんな、いかにも怪しい訴えを耳にしておいて、君は彼を追い返そうとしたのかね?

 あまりにも不自然極まりない行為だ。

 この事は上にしっかりと報告しておく」

 

 草間は何も言い返せず俯きながら、心の中で冷や汗をかいていた。

 (畜生、何て俺は運が悪いんだ。

 普通こんな時に剣の奴が来たりするか?

 このままだと俺の立場も危うい。

 何とか誤魔化して、後ですぐに報告しないと)

 

 草間としては剣と源三を撃ち殺して自身の身を守りたかったが、流石にそんな暴挙に及ぶ事は出来なかった。

「君は先に家に帰りたまえ。

 我々に任せれば安心だ。さぁ」

 源三もココでさらに食い下がるのは得策では無いと思い、駐在所を後にする。

 

 この判断も彼の運命を大きく左右した。

 彼はこの事件に関して危険な橋を何度も渡っていたのだ。

 勿論、この時の源三がその事を理解しているワケが無かった。

「電話を借りるぞ」

 剣は黒電話の受話器を取り、彼の『上』と連絡を取る。

 

「はい、はい。そうです。

 恐らく信国人が天武日本国民の生命を脅かしているのは間違いないでしょう。

 霧原冴子と言う女学生が入っていったと言う裏路地を徹底的に調査して頂きたい。

 勿論、我々赤帽も事態の解決に全力を尽くします。

 ええ、国民の安全が第一ですからな」

 

 下を向き、悔しそうに歯を食いしばっている草間。

 だが突如窓から投げ入れられた物体に気付き顔色が変わった。

「げッ」

 即座にそれを拾って窓の外に投げ捨てようとする草間。

 だが既に手遅れだった。

 

 その物体は、駐在所を木っ端微塵にする程の破壊力を保有していた。

 天武日本内で密かに製造されていた『ダイナマイト』。

 紅虎明命のメンバーが剣をこの世から葬り去る為に窓から投げ入れたのだ。

 当然至近距離にいた草間と剣は殉職。

 源三も駐在所を離れるのが少しでも遅れていたら命は無かった。

 

「剣との通話が爆音と共に途絶えました。

 口封じの可能性が高いと思われます」

 国会議事堂にある電話で剣と連絡を取っていた柴田防衛大臣は織田(おだ)真継(さねつぐ)総理大臣にそう進言した。

 

「随分と物騒な事になってきたな。

 恐らく、その路地裏の一件には血生会が関わっているだろう。

 あの辺りは奴等の縄張りだ。

 すぐに調査したまえ。

 最悪、私が直接毒蝮に会って話をつける」

 

 深く御辞儀をする柴田の隣で同じ様に頭を下げた竹中官房長官は、心の中でにんまりと笑った。

 

 (クックック……食いついた食いついた。

 どう転んでも良いのだ。

 この事件は解決されようがされまいがどちらでも構わなかった。

 解決されなければ天武日本が大いに混乱し、解決されれば真の計画を覆う隠れ蓑になる。

 本命の計画は別にあるのだ。

 お前がそうやって対応に追われている間に、着々と計画は進行しているぞ)

 

 ブリッジ騒動の発端となったのは間違いなくこの男……竹中尚人だ。

 だが彼は『そんな事が起きているのか』と驚愕し、狼狽する男を演じ切る。

 織田政権は異変を知ってからの対応が異常に素早い。

 僅かな異変と言う小火を放置すればあっと言う間に燃え広がる大火になる事が解っていたからだった。

 

 霧原冴子は傷付いた心と身体を引き摺りながら、夜の街を歩いていた。

『フハハハハハハ、俺の蛇で感じているのだろう?

 また一番奥にくれてやるぞ、熱い精を』

『くッくださいぃぃ。

 は、早く射精して。私の中に注ぎ込んでぇぇ』

 

 羽生とのやり取りを思い出して身体が震える。

 夏だと言うのに寒気がした。

 

 (またあんな非道な男と交わってしまった。

 何度も何度も。この世から消えてしまいたい。

 いっそ消えてしまえば……

 駄目よ、奴は死んだら絶対に写真をばら撒く。

 そういう男なんだから)

 

 生き続けても地獄、死んでも家族が地獄を見る事になる。

 冴子にしてみれば万事休すと言った状況だった。

 家族の平穏な生活を守る為には好きでも無い暴力団の青年に抱かれ続けるしか方法が無い。

 自分を失った状態で相手を求める無様な姿を覚えているからこそ、冴子は余計に心が痛かった。

 

『解っているだろうな。

 他の誰にも怪しまれるな。

 お前の変化を感じ取った奴が警察に駆け込めば、お前とお前の家族が不幸になるだけだぞ。

 俺は容赦などしない。

 やると言ったらやる男だ。

 最悪の結末を迎えたくないのなら、黙って俺の言いなりになれ』

 

 脅す様に、諭す様に冴子にそう言った羽生の不気味な笑顔が脳裏に浮かぶ。

 これから始まる1ヶ月半の夏休みは、本来ならば友達と遊園地に行ったり旅行に行ったりする楽しい思い出になるハズだった。

 

 既に冴子は友達との予定を全てキャンセルしている。

 体調不良や、親の締め付けが厳しくなったと言い訳をして……

 (どうして、私がこんな目に遭わなければならないの。

 誰か教えて……)

 

 助けを求めていた。

 求めていても、本当に助けを求めれば救いの無い暗闇に落ちていく事も解っていた。

 逃げ場の無い状態に絶望し、冴子は思わず顔を覆って子供の様に嗚咽を漏らす。

 

「……涙を拭いて」

 不意に眼前で聞こえた優しい言葉に反応し、冴子が顔を上げるとそこには彼女を心配そうに見つめている蔵崎(くらさき)源三(げんぞう)の姿があった。

 

「今日の君は、何かがおかしかった。

 確かに教室の中は暑かったけれど、妙な汗をかき過ぎていた。

 電気街の大通りから裏路地の方に入っていったね。

 それ以上君を追う事は出来なかったけれど、君が窮地に陥っている事が解った」

 

 ポケットからハンカチを出して冴子に渡そうとする源三。

 心の中にしまいこんで我慢していた様々な思いが弾け、冴子はハンカチを受け取った後発作的に源三に抱き付く。

 

「うわあああああ……

 ゲン君、ゲンくぅぅん……」

 親に縋りついて泣く子供の様に分別を忘れて源三にしがみつき、大声で泣きじゃくる冴子。

 源三は暫く彼女の頭を優しく撫でていたが、真剣な表情のまま話を続けた。

 

「駐在所に行ったんだ。

 赤帽隊の人が調べてくれるって……

 きっと助けてもらえるよ」

 泣き続けていた冴子は『駐在所』と言う単語が耳に入った瞬間、源三の肩に手を置き激しく揺さぶる。

 

「だ、駄目!警察に訴えるのは駄目よッ!!

 奴は私の弱みを握ってる。

 警察が何かしらの動きを見せれば、奴は絶対に写真をばら撒くわ。

 何でそんな事をしたの!」

 

「何でって……俺は君を助けたかったんだ。

 それ以外に理由なんて無い」

 彼女の反応に驚きながらも誠意を見せようとする源三。

 冴子は源三の腕を握り締めながら肩を落とした。

 

「警察でも私を助ける事なんか出来ない。

 貴方が私を助ける為に戦わなければならない敵は、血生会なのよ?

 天武日本の裏社会を牛耳る巨悪。

 この国の総理大臣ですら正面から衝突する事を避ける程の相手。

 血生会に喧嘩を売るって事は、この国に隠れ住んでいる信国人全てを敵に回す事と同じなんだから」

 

 源三は血生会と言う単語が聞こえた瞬間顔色が変わった。

 必要とあらば警察を抱き込み、法律を捻じ曲げる事すら躊躇しない悪の組織。

 その組織を構成しているのは殆どが在日信国人であり、トップも信国人。

 つまり、天武日本人を食い物にしても全く心の痛まない怪物達の集団が冴子を不幸にしている。

 

「ゲン君が私を助けようとしてくれている事、それ自体は凄く嬉しいの。

 本当よ。

 でも、貴方がこの件に首を突っ込めば貴方の家族、親類縁者皆が標的になってしまう。

 既に私の家族に何かあったらお前も嫌だろうと私自身が脅されているわ」

 

 源三は冴子の訴えに対して、言葉を返す事が出来ない自分の弱さを恥じていた。

 それでも君を助けると声を大にして叫びたかったが、それを彼女が望んでいない事はよく解っている。

 冴子は全ての重荷を背負い続けるつもりだった。

 その覚悟が彼女の声や姿を通して伝わってきていた。

 

「……俺の家に来てくれないか?

 明日の昼過ぎまで親父と御袋は帰ってこないんだ」

 やっと絞り出す様に放った源三の『提案』に対して、冴子は何も言わずに頷く事で受け入れた。

 

「友達の家に泊まっていく事になったから。

 帰るのは……きっと明日の夜になると思う。

 許さない、帰ってこいですって?

 何よ、私は貴方の人形じゃないんだから。

 生きている人間なのよ。

 それ位の自由も認めてくれないって言うの?

 我儘を言ってるのは私だって解ってる。

 とにかく、そういう事だから。じゃあ」

 

 蔵崎源三の自宅に設置されていた黒電話で母親と通話していた冴子は、喧嘩腰のまま唐突に通話を終えた。

「御母(おかあ)さん、許してくれるって?」

 

「ううん、全然。

 物凄い剣幕で怒ってた。

 貴方が夜遊びしている事が向こうに知れたら、見合い話がオジャンになるかもしれないでしょうって。

 ヤクザの恫喝に比べたら全然怖くないわ。

 それに、結局母さんは私の事なんて何も心配していないのよ。

 私の両親にとって大事なのは娘の安否よりも面子。

 帰ったら雷でしょうけど、そんなの、私が受けた苦しみに比べたら……」

 

 絶望を無理やり笑い飛ばそうとした冴子だったが、負の感情に覆われ思わず涙を流す。

「俺に出来る事があったら、何でも言ってほしい。

 君の力になりたいんだ」

 

 源三もまた、心が掻き毟られる様な苦しみを味わっていた。

 最愛の人を絶望から救いたいのに、その術を持っていない。

 自分が一生かかっても手に入れられない程の強さが無ければ、彼女を助ける事が出来ないと言う現実に彼は打ちのめされていた。

 

「まずは私の話を聞いて。

 ゲン君は、誰にも話さないだろうって信じてるから」

 源三の自宅はこの時代ではごく一般的な二階建ての一軒家だった。

 合衆国の文化が浸透してきた頃で、彼の自室には近代的な勉強机とシングルベッドが置かれている。

 

 だが部屋の入口や押し入れの扉は襖で、床は畳。

 違和感を感じるインテリアもまた当時一般的なものだった。

 冴子はベッドに腰掛け、源三は床に腰を下ろして彼女の話を聞く。

 

 鮎美に誘われた怪しいゴーゴー喫茶、そこで起きた事件、暴力団の若頭に脅迫された事……

 全てを赤裸々に語った。

 薬のせいで己を失っていた時の話まで語り尽くした。

 

「禁断症状が起きても、私にそれを止める事は出来ない。

 最悪、街中で服を脱ぎ出して相手を求めてしまうかもしれないと思うと怖いの。

 縛られているから、従うしか道は無い。

 アイツに全裸の写真まで握られてしまった。

 逃げる事なんて出来ないし、下手に訴えれば解毒薬を注射してもらう事も出来なくなる。

 八方塞がり、打つ手無し。

 今の私に出来る事は、私が心から愛している人に愚痴を零す事だけよ」

 

 顔を合わせて話を聞く事が正解かどうか解らなかった源三は俯きながら彼女の話に耳を傾けていたが、最後に聞こえた『告白』に驚き顔を上げた。

 

「さっきも言ったけれど、私には半ば結婚を強制されている相手がいる。

 両親が無理やり決めた相手が。

 そこには、愛なんて全く存在しない。

 あるのは打算と、両親の成功したいと言う思惑だけ。

 この政略結婚が成功すれば取締役である父さんはもっと上に行ける。

 結局、私はただの道具としか思われていないのよ」

 

 高校生活の中で、己の弱さを誰にも見せる事無く振舞っていた冴子が、源三の前で全てを曝け出している。

 彼女は源三に信頼以上のものを感じていた。

 だがその愛情を表だって伝える事すら許されなかった。

 

「貴方と出会った時、真面目で優しくて誰とでも打ち解けられる明るい性格、皆を引っ張っていけるリーダーシップに魅了された。

 顔も性格も良くて、非の打ちどころが無い人。

 そんな印象を持ったのがゲン君、貴方だったの。

 でもずっと片思いだった。

 貴方に告白する事すらも私の人生においては許されなかった。

 ずっと気持ちを押し殺してきた」

 

 半ば自暴自棄になったかの様に言葉を紡ぐ冴子の目を、しっかりと見つめ返しながら源三が言葉を返す。

 

「俺も君の事がずっと好きだった。

 教室で微笑みながらクラスメイトと話をする君の顔がとても綺麗で……

 でも、告白する勇気が出なかった。

 君と俺とじゃ住む世界が違う。

 君は古橋産業の取締役の御令嬢。

 こっちはこれと言った取り柄も無い一般人だ。

 釣り合わないなんて事、嫌でも解ってた」

 

 冴子も源三もこの時初めて片思いでは無く、お互いが相手の事を愛していたと言う事実を知った。

 どちらもその事実がとても嬉しかった。

 相思相愛である事に安堵し、心からそれを喜び合った。

 

「そんな事無いわ。

 ゲン君には人を魅了する力がある。

 皆に慕われて、お前にならついていくって言われる程優秀な人。

 貴方はこれからどんな人間にだってなれるわ。

 私はもう、陽の光を受けて歩く事が出来ないかもしれないけれど、貴方には幸せになってほしい」

 

 冴子は幸せに生きると言うささやかな夢さえ、もう叶わないと言う事実を受け止めていた。

 諦めの中、源三に全てを話す事で少しだけ心が晴れた。

 そして、もっと深く愛し合いたいと思っていた。

 

「ゲン君、力になりたいって言ってくれた事……

 本当に嬉しいの。それは確かよ。

 だから、1つだけ私の願いを叶えて。

 貴方と肌を重ね合わせたい……

 貴方の温もりを感じさせて」

 

 明るい部屋の中で躊躇する事無く服を脱ぎ始めた冴子。

 源三は何も言う事が出来ず彼女の身体だけを見つめていた。

 

 全ての衣服を自分の身体から取り去り、生まれたままの姿を源三の前に晒した冴子。

 羽生晃に同じ事をした時とは全く違う感情が彼女の中に生まれつつある。

 

「アイツに汚されても、見た目だけは綺麗に見えるでしょう?

 ごめんねゲン君。

 初めては貴方にあげたかった。

 私にはどうしようも無かったから……」

 

 胸の位置まで伸びた艶やかな黒髪、雪の様な白い肌、均整の取れた長身……

 服を纏っていた時から彼女は美しかったが、一糸纏わぬ裸体は神々しささえ感じられた。

 決して主張し過ぎない乳房の大きさ、薄桃色の乳首、整えられた陰毛……

 その全てが完璧で、触るのが躊躇われる程儚げに映る。

 卑猥さが微塵も無い女神像の様だった。

 

「そんな事無い。

 君は綺麗だよ。とっても綺麗だ」

 触れる事すら躊躇われる程の美しい女性。

 求めていたものが目の前にある。

 

 源三は思いが溢れ、次の瞬間彼女を抱き締めていた。

「君と1つになりたい。

 その肌の重ね合いが最初で最後のものだったとしても、俺は後悔しない」

 

「ゲン君……私だって同じ気持ちよ。

 貴方の温もりを絶対に忘れたりしない。

 私は貴方の事が好き。

 貴方を愛する気持ちだけは、世界中の誰にも邪魔させないわ」

 

 裸体から感じ取れる温かみ。

 頬に触れる吐息。目の前に見える冴子の顔。

 

 その全てを源三は瞼の裏に刻み付けたいと思った。

 この一瞬は2人にとって永遠のもの。

 忘れてはならない神聖な時間。

 源三にとっても冴子にとっても、思いの全てを吐き出す時が訪れようとしていた。

 

 白熱電球の光が、生まれたままの姿でお互いの性器を弄る2人を綺麗に照らし出す。

 敢えて2人は何も言わずに、性欲を貪り合った。

 言葉を交わさなくても思いはしっかりと伝わっていた。

 

 (綺麗だよ、冴子の身体に汚い所なんて何1つ無い。

 美しくて……とても淫らだ)

 (ゲン君の、凄く硬くなってる。

 熱を持って、脈動してる……私が気持ち良くしてあげるからね)

 

 上に冴子が覆い被さり勃起した陰茎を咥え込んでいたが、源三は怯む事無く膣の中に舌を入れ彼女を感じさせようとする。

 (なるべく痛くならない様にする為には、相手を性的に興奮させる事……

 女性器に刺激を与えないと)

 (今にも、白いのを出しそうな程に漲ってる……

 ゲン君になら、私の全てをあげられるわ)

 

 既に皮が剥け、剥き出しになっている亀頭部分の周辺を舌で舐め続けていると、少々粘り気のある透明な液体が零れ落ちてきた。

「冴子……」

「うん、解ってる……始めましょうか」

 源三の上にいた冴子は身体の向きを変えると、片方の手で屹立した剛直を握りその先端を膣の入口にあてがう。

 そのまま腰を沈めていくと、最初から繋がり合っていたかの様に肉棒が肉壁の奥へと潜り込んでいった。

 

 (これが、冴子の中……

 温かくて、俺のを包み込んでる。

 蕩けそうな程気持ち良い)

 (ゲン君の、私の中に入ってきてる……

 手で握ったり、口でしていた時よりも脈動を強く感じる)

 

 ほぼ垂直にそそり立っていた肉棒が、冴子の膣内で快感を感じさらに膨れ、熱く滾る。

 

「ゲン君を、気持ち良くしてあげたいの。

 淫乱な女だなんて思わないでね」

「そんな事思うもんか。

 俺を愛してくれているからこそ、努力してくれてるんだろ?

 凄く嬉しいよ」

 

 冴子は源三の引き締まった腹筋の辺りに両手を添えると、上下運動を開始した。

 漲っているからこそ、膣壁が源三の股間の滾りを扱いてくる快感がハッキリ伝わる。

 (駄目だ、気持ち良過ぎてとても我慢なんか出来ない。

 出る……)

 

「無理しないで、出したいなら出して。

 私がゲン君の欲望を全部受け止めてあげるから」

 女性経験が今まで無かった源三にとって、未知の快感に耐え続ける事は不可能だった。

 冴子は不本意とは言え源三よりは男性経験がある為、源三を優しくリードする事が出来る。

 

「あ、ごめんッ……」

 我慢の限界は唐突に訪れた。

 快感が弾け、肉棒の先端部分から白濁液が放たれる。

 冴子がその熱を感じる事は無かったが、ビクビクと震える様に脈打つ漲りの変化によって相手が射精した事を察した。

 

「ゲン君、気持ち良かった?」

 聖母の様に微笑む冴子。

 その瞳に涙が滲んでいるのを見た源三は、彼女を満足させられない己の情けなさを恥じた。

 

「俺だけ気持ち良くなっちゃって……

 すまない」

「じゃあ、攻守交替ね。

 今度はゲン君に動いてもらうわよ」

 

 童貞だったのだから仕方ないと言わんばかりに冴子は源三の頭を愛おしそうに撫でる。

 前に進んだ事で萎えた肉棒がぬるりと抜け、膣からたらたらと精液が流れ落ちてきた。

 

「今度は、なるべく保てる様に努力するから」

「駄目よゲン君。

 そうやって自分を追い込んだりすると、勃つものも勃たなくなっちゃうんだから」

 気負わず、自然体でいればまた興奮により相手の陰茎が勃起する。

 そう思った冴子は源三を励ましながら床に座り、両手で膣を広げてみせた。

 

「まだ出来るんでしょ?」

 強い光源に照らされた冴子の髪は乱れ、小悪魔の様な笑みを見せる姿はさながらホラー映画に出て来る悪霊の様だ。

 心に深い傷を負い、何処かが壊れている冴子。

 狂気に近い瞳は見る者を怯えさせる。

 

 だが源三はそんな冴子にこそ淫靡な魅力を感じた。

 興奮した事により萎えていた陰茎が再び熱さを取り戻す。

「ああ、出来るよ……

 冴子が凄く、いやらしくて綺麗だから」

 普段なら口にする事すら憚られる淫猥な台詞が、自然に源三の口から発されていた。

 

 指で広がっている膣の入口に肉棒の先端を合わせ、挿入を試みるが滑ってしまいなかなか入らない。

「ココで腰を前に出して……

 ホラ、入ったでしょう」

 あらゆる卑猥な行為を羽生に強要されていた為、冴子は源三よりも『大人』になっていた。

 

 滑る肉棒に片手で触れ、照準を合わせてあげる事で挿入を容易にさせる。

 射精直後で敏感になっていた剛直が熱を持った壁の中に潜り込むと、源三はあまりの快感に妙な声を発した。

 

「凄い、本当に凄い……

 冴子の中、おかしくなりそうな程気持ちいいよ」

「おかしくなっていいのよ。

 私も今だけは、貴方に全部見せてあげるわ」

 

 畳の上に寝そべり、源三の肩に手を伸ばす冴子。

 源三は冴子に覆い被さると、快楽を貪る様に腰を振り続ける。

 

 (溶ける、全部溶けていく……

 頭の中が空っぽになりそうだ。

 セックスって言うのは……

 冴子とこういう事をするって言うのは、こんなに気持ちいい事だったのか)

 

 (ゲン君、私を愛して……

 アイツにされている時とは全然違うの。

 貴方を気持ちよくしてあげたい。

 貴方になら、私の全てをあげられる)

 

 この瞬間だけは、誰であろうと2人を引き裂く事は出来なかった。

 誰も2人のあられもない姿を目にしてはいない。

 2人にとって、この夜は永遠だった。

 

「いくよ……出すよッ……」

 快楽の終点に辿り着く為に腰の振り方がどんどん激しくなっていく。

 冴子は己の中で欲望の象徴が膨らんでいっているのが解った。

「ゲン君、ゲン君!

 好き、貴方の事が大好き!」

 

「俺もだよ、愛しているよ冴子、冴子ぉッ!!」

 残像が見えるのではないかと思う位に抜き差しするスピードが速くなり、その動きが唐突に止まる。

「さ、冴子……」

 彼女の一番奥に突き刺した肉棒の先端から白濁液がどろどろと流れ出ていった。

 

「ゲン君、私の中で痙攣してるよ……

 気持ち良かったの?」

「気持ち良いなんてもんじゃない。

 どう言えばいいのか解らないけど……宇宙まで飛んでいきそうだった」

 

 大袈裟な比喩表現に対して冴子は思わず笑った。

「ねえ、今日はずっとこうしていて……貴方を感じたい。

 繋がったまま寝てもいい?」

「良いよ、冴子が望むなら。

 してあげられる事は、何だってするさ」

 

 源三は慈しむ様に目の前にあった冴子の唇に自身の唇を合わせる。

 嬉しさと愛しさが抑えられなくなり、冴子はキスをしたまま源三の身体を強く抱き締めた。

 

「今だけは、誰にも邪魔はさせない。

 貴方の事を愛してる。

 この思いだけは絶対に変えられないの」

「俺も……君の事を愛している。

 何処にいたって、君の事を想わない時なんて無かった」

 

 愛情なのか欲情なのか源三にも最早知る術は無かったが、弾けて萎えていくハズの陰茎が再び硬さを取り戻していく。

 彼女に対する思いが膣を押し広げ、彼女の奥で繋がっていたいと思う彼の願いを叶えていた。

「これなら、寝ている間に抜ける心配はしなくても良さそうね」

「ああ、そうだな」

 

 言葉は要らない。

 そう思っていても、冴子は言葉で彼に愛情を伝えずにはいられなかった。

 そして源三も同じ様に愛情を言葉で、時には肉体で示す。

 2人の決して忘れられない夜が終わろうとしていた。

 

 獣の様に、互いを求め合う。

 言葉も無く、ただ2人の身体だけが動いて濃密な『会話』をしている様だった。

「くッ……!」

 

 日曜日の朝。

 目が覚めた瞬間から2人の恋の炎は激しく燃え上がり、肉欲を貪る事しか出来なくなる。

 一晩寝て身体の中に欲望を溜め込んだ源三の射精量は夜の時よりも遥かに多い。

 

「あ、あは……凄い。

 ゲン君のが、こんなにいっぱい……」

 昨晩からずっと生まれたままの姿で繋がっていた冴子は、肉棒が抜けた瞬間に溢れ出す白濁液の量に驚いた。

「俺もこんなに出るとは思ってなかった」

 

 1回の射精では萎えない程興奮していた源三は、立ち上がり彼女の頬に滾りの先端を当てる。

「うん、口でしてあげるね」

 そうするのが当然とでも言う様に、冴子は射精したばかりの陰茎を口の中に導いた。

 自分が気持ち良くしてあげられると思う最大限の誠意とテクニックで、竿の部分や亀頭を刺激する。

 

「凄ぇ、ビクビクしちまうよ……

 滅茶苦茶気持ち良い」

 強烈な快感に立っている事さえ困難になった源三は、咄嗟に両手を彼女の頭に添えた。

 (ゲン君、もっと出していいのよ……

 悔いを残さない様に、空っぽにしちゃって)

 

 夜にも朝にも激しく身体を動かしていると言うのに、冴子は身体の疲れを殆ど感じていなかった。

 ブリッジのせいではないかと言う疑惑が脳裏に浮かぶが、彼女はそういった負の感情を追い出す努力をする。

 (この一瞬だけは、嫌な事なんて全部忘れたい。

 ただ、ゲン君とする事だけを考えたい)

 

 舌でめくれた皮、亀頭のすぐ下にある敏感な部分を刺激していると、全体が大きく膨れ上がる。

「ああああッ!!」

 全ての理性をかなぐり捨て、獣の様な声を発しながら源三は彼女の喉の奥に己の欲望を解き放った。

 口の中で何度も膨張と収縮を繰り返し、その度に先端から欲望を遠慮する事無く射出していく。

 

「悪い、中に……」

 それが愛情表現なのだと言わんばかりに冴子は躊躇する事無く放たれた精液を飲み込んだ。

「それだけ私の身体で気持ち良くなってくれたって事でしょう?

 それだけで私、凄く嬉しいの」

 

 膝立ちの状態でそう言った冴子は、愛しい思いをぶつけるかの様に硬さを失った陰茎に頬擦りをする。

「……行かないでくれ。

 ずっとココにいてくれよ」

 

 それが無理な注文である事は源三にもよく解っていた。

 崩れ落ちる様に自身も膝立ちの状態になると、泣きながら彼女を抱き締める。

「君を失いたくない」

 

「私だって同じ気持ちよ。

 出来る事なら貴方と逃げ出して、2人で生きていたい。

 でも、そんな事をすれば私とゲン君も……

 周りにいる人々が不幸になってしまう。

 どんなに苦しくても、屈辱的でも……

 アイツの所に戻らないといけないわ」

 

 冴子も頬に涙を浮かべながら、自分と源三に言い聞かせる様に言葉を発した。

 自分がそうする事を望んでいないのは承知の上だ。

 それでも彼女は苦しい道を選択しなければならなかった。

 

「ゲン君、私ね……

 もうゲン君に会えなくなるかもしれない。

 そんな気がずっとしているの。

 アイツは蛇の様に残忍で嫉妬深い男。

 私が貴方を愛している事を知ったら、何をするか解らない。

 私は貴方に生きていてほしいし、私の分まで幸せな生活を送ってほしいから……」

 

「俺にもっと力があったら……」

 源三は自身の無力を呪った。

 何処にでもいる平凡な青年に、天武日本を代表する暴力団に立ち向かう力などあるワケが無い。

 冴子も源三にそんな力があるとは思っていなかったし、寧ろ何もしないでもらいたかった。

 

 彼が何かする事で不幸が訪れたら、悔やんでも悔やみきれない。

 そう思っていたからだ。

「ゲン君、そろそろ行かなきゃ……水を貸して頂戴。

 綺麗にしていかないと、怪しまれてしまうもの」

 立ち上がり風呂場の方へと向かう冴子を、源三はただ見つめている事しか出来なかった。

 

 (去っていく……

 あんなに近くにいたハズの冴子が、俺の視界から遠ざかっていく。

 何で、俺は何もしてやる事が出来ないんだ。

 俺は、どうして彼女を守る事が出来ない……)

 畳の上に突っ伏して子供の様に泣きじゃくる源三の声が、彼女の背後から聞こえていた。

 

 (ごめんね、貴方を苦しませてしまって……

 貴方の心を掻き乱したくは無かった。

 でも、有難う。

 私は貴方と触れ合った一時の記憶を絶対に忘れない。

 一生の宝物よ)

 

 冴子もまた、苦しむ源三に言葉をかける事が出来ない自分の弱さを悔いていた。

 全てを洗い流して痕跡を綺麗に消したとしても、記憶だけは絶対に消えない。

 塗り潰したくなる様な陰惨な記憶も、哀しい愛の記憶も。

 彼女はただ漠然と、そんな事を考えていた。

 

 東京都の夜を一手に引き受ける街、新宿歌舞伎町。

 キャバレークラブや覗き部屋、ストリップ小屋が軒を連ね、欲望が街全体を支配している。

 だが日曜日と言えども真昼間には人の動きも鈍る。

 それなりの活気は見せていたがまだ本番では無かった。

 

「それにしても、俺と直接会って話そうなんて随分肝が据わった男じゃねぇか。

 なぁお前等」

 街の一角にある雑居ビルの3階、血生会本部の会長室。

 

 部屋の隅に陣取る数名の男に声をかけた男は、悪趣味な銀色のスーツに身を包んでいた。

 金色のネクタイ、小粒のダイヤモンドがあしらわれた腕時計、ベルトのバックルにも宝石が散りばめられている。

 白髪交じりのオールバックに黒いサングラスをかけ葉巻を咥えた男はそう言うと大袈裟に両手を広げた。

 

「毒蝮(どくまむし)さん、貴方に会いに来た用件は1つ。

 そちらで撒いている禁止薬物『ブリッジ』を即刻処分して頂きたい。

 なるべく早急に」

 机を挟んで反対側の椅子に座っている髭面の男は、後ろにいる部下の方に目を向ける。

 アタッシュケースを持った部下は真継(さねつぐ)と視線が合うと真剣な表情で頷いた。

 

「何処でそんな話を聞いてきたか知らねぇが、勘違いじゃねぇのか?

 俺達は真面目な商売をしてるんだぜ。

 クスリをシノギにしてるなんて証拠があるのか」

 

「とぼけないでもらいたい。

 既に調べはついている。

 秋葉原にあるゴーゴー喫茶で『ブリッジ』を若い女性に嗅がせ、手籠めにして金を奪っている事は解っているんだ」

 

 天武日本の政治を牛耳る織田(おだ)真継(さねつぐ)と、天武日本の裏社会を牛耳る毒蝮(どくまむし)斉昭(なりあき)。

 対話の結果次第では天武日本を揺るがす一大戦争に発展する可能性すらある。

 それだけに部屋全体に張り詰めた空気が漂っていた。

「さらにその事実を知った赤帽の剣(つるぎ)が爆弾で殺されると言う事件も発生している。

 身内から犠牲者が出た以上、我々もこの『ブリッジ』の件は早急に決着をつける必要があってね」

 

「ヘッ、そっちの都合だけで考えるんじゃねぇ。

 その爆発事件とウチは無関係だ。

 赤帽の剣は紅虎(ホンフゥ)の奴から恨みを買っていた。

 それで報復を受けただけの話だろ。

 こっちだって金を握らせていた汚職警官の草間(くさま)を失ったんだ。

 俺達がワザワザそんな事をする必要が無ぇ」

 

 両者は睨み合いを続けていたが、やがて真継の方が斉昭に対して質問をした。

「では単刀直入に聞こう。

 その件とは関係が無くとも君はブリッジを撒いている。

 それは事実かな?」

「……もし本当だってんなら、テメェはどうしようってんだ」

 

 凶悪な面構えがさらに恐ろしい表情へと変化する。

 部屋の隅にいた組員がポケットに片手を突っ込んだ。

 

「ああ白状してやるぜ。

 その通りよ。

 ブリッジを撒いている事は認めてやるさ。

 紅虎の奴から『無償で渡す。全て捌いてくれ』って頼まれてな。

 若い衆が女も抱けるし金も稼げるで一石二鳥ってワケだ。

 良い事尽くめだろうが」

 

 醜悪な笑みを浮かべる斉昭。

 総理大臣の背後にいた部下の頬に冷や汗が伝う。

 

「結構ウチとしては助かってるんだぜ。

 効率的なシノギだからな。

 客が必ず金を払ってくれる。

 こっちはタダで貰った薬を使ってるんだから丸儲け。

 紅虎様々ってワケよ。

 そう簡単に手放せるかってんだ」

 

 斉昭はまるで生きている暴力装置の様な存在だった。

 猛犬の様に相手を威嚇し、自分が交渉において優位に立とうとする。

 

「そっちの都合なんか知った事か。

 止めさせたいのなら、それ相応の被害は覚悟してもらうぜ。

 アンタは天武日本の王様かもしれんが、俺にも同程度の力がある。

 俺が一声かければ在日信国人が全員俺達の味方になるって事位は解ってるんだろ?」

 

 有無を言わせぬ恫喝だった。

 彼は相手が総理大臣であろうと自分達が有利に戦いを進められると確信していたのだ。

 真継は暫く何も言わず斉昭の顔を見つめていたが、やがて顔を上げると部下に命令した。

 

「丹羽君、アタッシュケースを開けて例の文書を私に渡してくれたまえ」

 丹羽と呼ばれた若い男が慌ててアタッシュケースを開けようとすると、部屋の隅にいた男達が一斉に拳銃を向けた。

「下手な真似はするんじゃねぇぞ」

「心配いらない。

 我々は武器など所持してはいない」

 

「敵地に堂々と乗り込んできた奴の言葉を鵜呑みに出来るかよ。

 おいお前、開けるならゆっくりと開けろ」

 斉昭の言葉に対して怯えた表情を浮かべながらも、男は何とかアタッシュケースを開き数枚の紙を真継に渡した。

「……これから君に話す事は、国家の極秘事項だ。

 黙っていてくれると約束してくれないか」

 

「俺の利益になるならな」

 不遜な態度で斉昭がそう言うと、真継はそれに憤慨するでも無く1枚の紙を斉昭に見せた。

「我々は合衆国と協議を重ね、1964年に開催される五輪の開催権を獲得した。

 既に専用の競技場を全国各地に作る事が決まっている。

 その競技場の建設を、君の所に頼みたい」

 

 斉昭は一瞬呆然とした様な表情を見せた後、急いで紙に目を通す。

「確か君は『結制(けっせい)建設(けんせつ)』と言う会社を保有していたね。

 君の所の建設会社、しっかりした仕事をすると言う評判らしいがそうなのかな?」

 

「ああ、そりゃ仕事だからな。

 手抜きなんかするもんか。

 本当にくれるってのかこの仕事を。

 国家の一大プロジェクトだぞ」

 

「そうとも。

 この仕事を手掛ける事によって君の名声も上がる事だろう。

 億単位の金が君の懐に流れ込んでくる。

 仕事の全権は君に任せるから、ブリッジを処分してくれないか」

 

 真継は机に両手をつけて頭を下げる。

 プライドを捨てた様な行動に対して部下も驚いた様な表情を浮かべていた。

 

「……しゃあねぇな」

 降参と言わんばかりに両手を上げた後、斉昭は真継に手を差し出す。

 真継も斉昭との握手に応じ、交渉が成立した事が確定した。

 

「各地の店に分けたブリッジを処分する様に言うんだ。

 これは会長命令だともな。

 全てのブリッジを持っていって海に流せ。

 今日中に行えと伝えろ」

 

「女性達も全員解放する様に」

「解ったよ。

 女には解毒薬を注射してすぐに解放しろ。

 俺の命令だ。これでいいか?」

 

 真継がにこやかな笑みを浮かべて頷くと、斉昭は部下を事務所に向かわせる。

「俺の部下が電話で各支部に連絡するだろう。

 それにしても、アンタ凄いな。

 一国の総理大臣が堂々と裏取引を行うとは。

 思ってもいなかったウルトラCの作戦だぜ」

 

 肩をすくめながら斉昭がそう言うと、真継は平然とした態度で腕を組んだ。

 

「私にとっては当たり前の事だよ。

 天武日本の国民を助ける為ならどんな手だって使うさ。

 国民が平穏無事に暮らせる事こそが第一。

 そして私は君が金で動く男だと言う事を一番良く知っている。

 君は信国人だが、君が大切だと思っているのは信国人の誇りより金だ。

 そうだろう」

 

「当たり前だろ。誇りで飯が食えるか。

 紅虎の奴は本国で苦しんでる奴等の為に立ち上がれだのぬかしてるが、俺に関わりのある事か?

 俺がやらなきゃいけねぇ事は俺達が豊かになり、良い暮らしをする事だ。

 在日信国人の肩身が狭くならねぇ様にちょっかいを出す程度の事はするが……」

 大袈裟に手を広げて演説の様に語り始めた斉昭だったが、真継は立ち上がり頭を下げる。

 

「すまないが、時は金なりだ。

 私にはやらなければならない事が山ほど残っている。

 これで失礼させてもらうよ」

 

「フン、随分と忙しいんだな。

 人の話を聞いてる余裕も無えってか。

 茶でも出そうと思ってたんだが」

「本当に申し訳ない。

 先程の件、宜しく頼むよ。

 君が約束を守れば、我々も約束をしっかり守る」

 

 部下を連れて足早に事務所を後にする真継を見送りながら、斉昭は再度書類に目を通し笑いが止まらないと言った表情を見せた。

 

「それにしても、こいつぁ凄ぇや。

 五輪の裏方を引き受ける事になるとはな。

 最高の仕事で信頼に応えればもっと仕事が貰えるかもしれねぇ。

 そうすりゃ俺は億万長者だ」

 

 嬉しい気持ちが抑えられなくなったのか、斉昭は金をばらまくかの様に数枚の書類を宙に投げ気が狂ったかの様に笑い続ける。

 天武日本を裏で牛耳る男は、無から特大の有を生み出したのだ。

 笑うのも当然の事だった。

 

 丁度その頃、ゴーゴー喫茶『テトロドトキシン』の奥にある別室では情事が済み、羽生が煙草を吸っていた。

 股間にタオルを敷いただけと言う恰好のままガラス製の灰皿にちびた煙草を押し当てると、灰色の煙を吐き出しながら冴子の方を見る。

「お前は本当に美しいな。

 そこらの宝石よりも、絵画よりも、澄み切った海よりも美しい」

 ベッドにうつ伏せのまま倒れ込んでいた冴子は、枕を抱き締めながら涙を流していた。

 

「俺はお前を俺だけのものにしたいんだ。

 解るか?

 他の奴が手をつけるなんて事を許したりはしねぇ。

 誤魔化せるなんて思うなよ。

 お前が俺の蛇を受け入れていた時、お前の肌から僅かに他の男の匂いがした」

 

 冴子はその言葉を聞いた瞬間、歯を食いしばりながら羽生の方を見つめる。

「昨晩、お前に手をつけた奴がいる。

 まぁ、お前ほど美しい女が俺以外の男と寝ても不思議じゃ無ぇんだが。

 その事実が判明した以上、俺の我儘の邪魔をする奴は誰であっても生かしちゃおけねぇんだ。

 解るよな?」

 

 羽生がそう言って彼女を睨み付けた瞬間、冴子は弾かれた様に立ち上がり縋りつく様に羽生の背中を抱き締めた。

「そ、それだけは……それだけは駄目!!

 お願いです、それだけは止めてください!!」

 祈る様な懇願の口調。

 上目遣いに羽生を見る冴子の表情には鬼気迫るものがある。

 

「クックック……お前は嘘がつけない女だな。

 匂いの話は嘘だが、お前に男がいるだろうと言う事は解っていた。

 実際に昨日その男と寝たか?

 正直に答えろ。

 答え方によっては、お前の望まない結果になるかもしれんぞ」

 

「……はい」

 か細い声で冴子は他の男性……

 つまり蔵崎源三とセックスをした事を認めた。

 

「まぁ大方、同い年のクラスメイトだろう。

 調べればお前の交友関係はすぐに解る。

 そいつを殺されたくないだろう?

 お前が大切に思っている者を失いたくないのなら、俺に忠誠を誓ってもらわんとな」

 

「私は、あの日から毎日毎日この店に来ているじゃないですか!

 ブリッジで縛られているとは言え……

 もう充分貴方に忠誠を誓っています!

 それなのに……」

 泣きながら訴える冴子の唇に、羽生は指を当てると首を横に振った。

 

「そいつは嘘だな。

 お前は俺に完全な忠誠を誓ってはいない。

 その証拠にお前は他の男と寝ているじゃねぇか。

 お前を俺だけのものにしたいと前から言っているだろう?

 お前を何処かの部屋に監禁する」

 

 冴子は羽生の狂気に耐えられず、膝から崩れ落ちると絶望に満ちた表情を見せる。

「お前の両親にも手紙を送ろう。

 ココじゃ不味いから、遠くへ行った方がいいな。

 お前が外に出る時は必ず見張りをつける。

 逃げれば、お前の親類縁者及び恋人はあの世行きだ」

 

 平然と恐ろしい事を口にする羽生。

 そしてそれが冗談では無い事は明白だった。

 彼は実際、躊躇する事無く人を殺すだろう。

 それが出来る人間である事は冴子もよく解っている。

 

「けだものぉぉぉ!!

 アンタは、人間の皮を被った化け物よッ!!」

 興奮し、遠慮する事無く思いのたけをぶちまける冴子。

 だがその怒りも羽生の顔を見た瞬間吹き飛んだ。

 

「……今、何か言ったか?」

 能面の様な表情を浮かべ、鋭い平手打ちを見舞う羽生。

 あまりの痛みに冴子は気を失いそうになる。

 

「何か言ったかと聞いているんだ」

「いいえ、何も」

 再び手を振り上げた羽生に抱き付き、嗚咽を漏らしながら先程の発言を否定する冴子。

 

「よろしい。気のせいだった様だな。

 いいか、言っていないとは思うが俺は悪口を言われるのが大嫌いでな。

 お前で無ければすぐに殺している所だ。

 お前は何にも逆らわず俺に尽くし続けろ。

 解ったか?」

 

「はい、逆らいません。

 貴方に生涯尽くし続けます。

 だから……」

 圧倒的な恐怖と暴力、脅迫により冴子は完全に抵抗する気力を失っていた。

 

「よし、じゃあ……

 怒りによって滾ってしまった俺の蛇を舐めろ。

 優しくするんだぞ」

 何時の間にかタオルによって隠されていた股間が膨れ上がり、凶悪な姿を晒そうとしている。

 冴子は涙を流しながらタオルを取り、重力に逆らっている『蛇』に舌を這わせた。

 

 その時、部屋に備え付けられていた電話が鳴る。

 羽生はフェラチオされている状態のまま電話を取った。

 

「おい、こっちは取り込み中だ……

 何、ブリッジのばら撒きを止めろだと?

 廃棄処分!?

 女性も全て解毒薬を注射して解放しろ?

 ふざけるな、誰の命令だ!

 ……会長命令だと……馬鹿な事を仰る。

 ここまでやらせておいて掌を返す様な真似を……」

 

 怒りを抑えられないと言った状態で暫く会話を続けていた羽生だったが、やがて受話器を置くと冴子の頭を撫でた。

「お前だけは何としても俺のものにしてやる。

 解毒薬を注射してはやるがな……

 ブリッジの廃棄処分、他の女性達の解放は百歩譲って良いとしてもこれだけは譲れねぇ」

 

 冴子はあの時の自分の行動を激しく悔やんだ。

 もしもあの時、鮎美の誘いを断っていたら……

 その選択を間違いさえしなければ、地獄に落ちる事は無かったのだ。

 だがもうこの地獄から逃れる事は出来ない。

 冴子はいっそ壊れてしまった方が楽なのかもしれないと思い始めていた。

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