※この作品はR-18です。

ZERO ~格闘ゲームに翻弄される者達~   作:夜月光介

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姉と弟の哀しい心のすれ違いが、最終的に取り返せない破滅を生む。
命を救ってくれた相手が、雨宮健太郎に底無しの絶望を与えてくる。
世の無常と理不尽を感じてもらえたらと思います。


番外編 あねおとうと 中編

 漆黒の闇に、男の顔がハッキリと浮かび上がる。

 それはやがて裸の身体も姿を現して、何も言わずに睨み付けてきた。

 

 一言も喋らない。

 恨めしそうに見つめてくるだけだ。

 恐怖を感じた少年は相手を殴り倒し、手に入れたばかりの力を存分に行使したが相手は反撃もしてこない。

 男は暗闇の中で、底無しの闇の様な瞳を少年に見せ続けていた。

 

 鳥の鳴き声の様な悲鳴を上げ、雨宮健太郎は自宅で目を覚ます。

 荒い息を吐きながら自分のベッドにいる事を確認すると、健太郎は安堵の溜息をついた。

 

 (コレでこの悪夢を見るのは3回目だ。

 まだ俺の中で奴は消えていないのか……クソッ)

 吉良(きら)火悪翠(かおす)が夢の中で蘇り、健太郎を睨みつけてくる。

 その光景は健太郎の心に深い傷を与えていた。

 

 汗でべとついた身体を起こし、夢が夢であった事を確認するかの様に周囲を見渡したが部屋の隅の暗がりに人の姿は無い。

「畜生、死んでからも俺を苦しめ続けるつもりかよ。

 負けてたまるか……

 俺は虐げられてきた分だけの幸福を享受するんだ」

 

 並の人間ならばおかしくなってしまいそうな悪夢も、心身共に鍛えてきた健太郎ならば耐える事が出来る。

 とは言え、心の中の罪悪感だけは拭う事が出来ず潜在的な恐怖がこうして夢として姿を現してしまうのだった。

 

「健ちゃん、大丈夫?

 なんか凄い声を聞いたから心配になっちゃって」

 鍵をかけている扉を叩く音と姉である雨宮比呂子の声。

 

「大丈夫。

 最近ちょっと疲れちゃっててさ……

 悪い夢を見ただけだから心配無いよ」

 ベッドに近くにある目覚まし時計で時間を確認すると、時計の針が深夜の2時である事を教えている。

 

 (姉貴にまで迷惑かけやがって。

 救いようの無ぇ屑が)

 心の中で悪態をつくと、健太郎は再びベッドの中へと戻っていった。

 寝不足のまま学校へ行くのも癪であったし、何より絶対に寝不足の状態で行ってはいけない場所にも行くのだ。

 彼にとっての本当の安息が訪れるのは、相当先の話になりそうだった。

 

「聞いたか?

 吉良の所が火事になったって話」

「お悔やみを申し上げたい所だけど、正直言うとホッとしてるわ。

 もうあの人達の姿をこの学校で見る必要が無くなるって事でしょ」

 

「全焼だってよ。

 あいつの兄貴と妹、両親も皆逃げ出せずに死んだってさ」

「酷い事をしてきた罰が当たったんだ。

 あいつも行方不明らしいが、火事で一緒に死んだんだろ」

 

 中学校に『遊び』に来ては人から金をまきあげ、弱い者を虐げてきた男の死は生徒達にとって歓迎すべき事柄だった。

 血腥い暴力集団である『金剛仁王隊』の影響が消え、少しずつ校舎も輝きを取り戻し始めている。

 

「健太郎、良かったよな。

 俺もお前を助けてやりたかったんだけど、報復されるのが怖くてさ……」

「いや、いいよ。

 誰だって燃えている場所には近付きたくないって思うだろ。

 それは当然だ」

 

 椅子に座り机の上で頬杖をついていた健太郎は、今や逃れられない『上司』となった男の言葉を思い出していた。

『あいつの家を焼いておけ。

 あいつには兄と妹と両親がいたハズだ。

 全員が家にいるのを確認してから焼くんだぞ。

 逃げられない様に可燃性のロープで縛るんだ』

 

 羽生晃が指示して、部下がそれを実行した事は疑いようが無かった。

 彼に逆らう者は容赦なく殺される。

 誰であろうと例外は無い。

 勿論、健太郎も彼を怒らせてはいけないのだ。

 

 (昼寝でも何でもしておかなくちゃな……

 昼休みに暴力を振るわれる事も無いワケだし)

 正直、健太郎にとって学校は優先順位の外だった。

 大切なのは学校が終わってからすぐに行く君島。

 そこで身体を鍛え、羽生の命令を守り続ける。

 

 勉強の事など、彼には考えている暇は無かった。

「それにしてもお前、なんか前より体ががっしりしてきてないか?」

「気のせいだろ。

 何もしてねぇよ」

 

 クラスメイトも、健太郎の変化を感じていた。

 言葉遣いが乱暴になり、自信と強さが身体から溢れ出ている。

 まるで別人の様になってしまった健太郎に驚きながらも、生徒達は普段と変わらぬ対応をすべきだと思っていた。

 それは彼が虐めを受けている時に助ける事が出来なかった事で生まれた、負い目や償いと言った側面があったのかもしれない。

 

 二学期が始まっても、健太郎にとって大事なのは学校が終わってから家に帰るまでの時間だったので授業の内容は殆ど頭に入っていなかった。

 君島にあるボクシングジムに移動して、短い時間での練習。

 当然密度が濃くなった為身体が受ける負荷も多くなっていく。

 

「今は耐え時だ。

 お前の肉体はボクサーとして発展途上。

 鍛え上げて身体を自分の意志で使いこなせる様になるまで時間がかかる。

 慣れる為に身体を苛めるんだ。

 破壊と超回復を繰り返す事で、簡単には倒れない強靭な肉体を手に入れる事が出来る」

 

 人間、特に男性の身体は高校生の頃大きく成長する傾向にある。

 女性が小学生~中学生頃に成長するのとはまた違っているのだ。

 健太郎も成長の余地を残しており、蜂須賀は明らかな身体の成長が始まる前に筋肉を付けるべきだと考えていた。

 

「そう言えば、会長がお前に話があるとの事だ。

 今度の日曜日に本部に顔を出す様にと仰っていた」

「解りました。

 必ず行きます」

 

 健太郎は東京某所にある血生会の本部の位置も羽生に教えてもらっていた。

 何かあればすぐに向かえる様、電話番号も彼に教えている。

 健太郎は会長の忠実な犬同然だった。

 

「スパーリングを開始するぞ。

 自分で限界を決めるな。

 倒れそうになるまでやれ」

 リングの上でグローブでのパンチを受け止める為のミットをはめた蜂須賀が、構えを取り攻撃を促す。

 健太郎はただ悪戯に攻撃を行うのでは無く、相手を崩す為のバリエーションに富んだ殴り方を求められていた。

 

「そうだ。いいぞ。

 1つの箇所を攻めても相手はガードしてくる。

 ガードを見越してその脇を狙うんだ」

 眼前に腕を並べれば、その横側は隙だらけになる。

 相手の動きを想定して健太郎は動いていた。

 

 全力で5分間動き続ける驚異的なスタミナが身についていたが、そのパンチを全てミットで防ぐ蜂須賀の反射神経も常人を遥かに超えている。

「よし、今の動きをもう3セットだ。

 それが終わったら今日の練習は終わりにしよう」

 

 疲労困憊の身体に鞭を打ち、地獄とも思える練習を続ける健太郎。

 何かに集中し続ける事で、あの悪夢から解放されたかった。

 悪しき呪縛から逃れたかったのだ。

 

 君島のボクシングジムに到着して、練習を始めてから3時間。

 既に外は暗闇に包まれている。

「もう9時か……

 今日もよく頑張ったな、偉いぞ雨宮」

 

 自分の子供の様にタオルで健太郎の頭を撫で、笑顔を見せる蜂須賀。

 健太郎はずっと面倒を見てもらっている事で、蜂須賀に父親の様な厳しさと温かさを感じていた。

「蜂須賀さんは、どうしてこのジムに入ったんですか?」

 

「……そりゃ、チャンピオンになりたいからだよ。

 最新の設備、集中出来る空間。

 万全のサポート。おまけに俺は会長に気に入られている。

 12月には、ベルトを賭けたミドル級のタイトルマッチだ。

 絶対に勝って、羽生会長に喜んでもらいたいよ」

 

 蜂須賀大樹は羽生晃に恩義を感じており、健太郎を鍛えろと命じられた時も嫌な顔は一切しなかった。

 健太郎をこうして鍛えていると言う事は、自分が練習する時間が削られてしまうと言う事でもある。

 

 健太郎が学校に行っている昼の間にトレーニングをしており、本来ならばすぐに家に帰って休みたいのだろうが彼の面倒を見続けていた。

「俺、蜂須賀さんには御礼を言っても言い足りない位です。

 本当に感謝してます」

 

「ははは、止せよ……

 感謝は会長に言ってくれ。

 会長が俺に鍛えろって言ったから、俺がお前の面倒を見ているだけなんだからさ。

 御礼がしたいなら、会長の役に立ってくれ。

 会長に御奉公する事が、俺への感謝と同じ事になる」

 

 蜂須賀は健太郎の父親や、兄の様に接した。

 そうする事で健太郎が自分の言う事をしっかり聞くと思ったからだ。

 そして健太郎も、あまり自分に干渉してこない両親以上に、蜂須賀の事を尊敬していた。

「12月にタイトルマッチがあるって言いましたけど、誰と戦うんですか?」

 

「雨宮、ミドル級の世界チャンピオンの名前を知らないのか……?

 まぁお前はこの世界に入ってきたばかりだから当たり前か。

 今の世界チャンピオンは俺と同じ天武日本人だよ。

 俺との試合が2回目の防衛戦になる。

 土田(つちだ)守(まもる)と言う男だ。

 何度も試合の映像をチェックしてるけど、恐ろしく強い選手さ」

 

 その名前を聞いた瞬間、健太郎は驚愕し目を見開いた。

 子供の頃、彼のいた場所で世話になっていた。

 沢山の思い出を貰っていたのだ。

 

『土田さんって、何かやってる人なんですか?』

『え、俺?まぁな。

 オーナーに助けられた事があったからこの店で働いてるけど、ボクシングは続けてるよ。

 夢はでっかく、チャンピオンだな。

 格闘ゲームの話じゃないぜ。

 ボクサーとして天武日本一になるんだ』

 

 小学生の頃、虐めを受け心に傷を負っていた健太郎が、唯一心を休めていた場所。

 エターナルナイトには夢が溢れていた。

 優しい店員、人々の笑顔、大好きな格闘ゲーム。

 

 健太郎はこの場所が好きだった。

 彼にとってのオアシス。

 壊れそうになる心を支えている大切なもの。

 そして彼に格闘ゲームのイロハを教え、成長させてくれたのが土田守だった。

 

『お前も、何時かはでっかい男になれよ。

 お前の姉貴を心配させない様にな』

 満面の笑顔を見せながら優しく健太郎の頭を撫でる土田の姿は、今でも健太郎の脳裏に焼き付いている。

 

「どうしたんだ?雨宮」

「あ、いえ……ちょっと疲れてるんですかね俺。

 あそこに寄ってから帰ります」

「ああ。無理はするなよ。

 明日も練習が待ってるんだからな」

 

 健太郎は私服に着替えた後練習を行う部屋から外に出ると廊下を通り、奥の部屋に向かう。

 

 (俺の魂を救ってくれた人同士が、戦うのか……

 俺はどちらを応援するべきなんだ?

 蜂須賀さんには勿論感謝してる。

 でも土田さんは姉貴との関わりも深い。

 姉貴もきっと土田さんの方を応援するだろうし……

 俺が考えた所でどうしようも無い事だが)

 

 中学生になって虐めが本格的に酷くなってから、健太郎はエターナルナイトから離れていた。

 土田やエターナルナイトにいる優しい人々に心配されたくなかったのだ。

 姉に危険が及ぶ事も避けたかった。

 自分が誰かに救いを求めれば、他の人間に迷惑がかかる。

 

 自分を成長させてくれた沢山の人の顔が頭に浮かび、健太郎の瞳には涙が滲んでいた。

 (救われた様で、救われていないんだな。

 俺は……もう後戻りする事は出来ないんだ。

 突き進むだけ……あの頃の事は忘れろ。

 今は俺が成すべき事だけを考えるんだ)

 

 地下に沈んでいく部屋の中で、何度も自分にそう言い聞かせる健太郎。

 やがて部屋が完全に地下へと移動し、健太郎は地下フロアを移動すると扉の前に立った。

「彼女達、いますよね?」

「ああ、何時もの様にお前さんをお待ちかねだ。

 たっぷり可愛がってやれよ、雨宮」

 

 黒いスーツに黒いネクタイ、サングラスと言ういかにもな黒服の男性が扉の横で見張りを続けている。

 この扉の向こうにいる者達は自分で食べ物を買いに行く事など出来ない。

 食べ物は黒服が調達し、トイレに行く時やシャワーを浴びたい時も必ず監視役が側についていた。

 地下フロアは実質拷問部屋を備えた血生会の支部に等しい。

 黒服の数が多いのもその為だった。

 

 防音構造になっている部屋の扉を閉めると、何時もこの時間にこの部屋を訪れる事が解っている健太郎の気を引く為女達が甘える様な声を出した。

「お帰りなさいませ、御主人様」

 黒い首輪を付けた全裸の女3人が御辞儀を行い、健太郎の疲れを労おうとする。

 

「お疲れ様でした。

 練習も大変でしょう」

「肩でも揉みましょうか?

 こう見えても私、得意なんですよ」

 

 優しい声を出している反面、彼女達の身体は僅かに震えていた。

 健太郎の機嫌を損ねれば、死ぬかもしれないと言う事が解っていたからだ。

 健太郎に尽くして、彼を満足させなければ即座に殺される。

 健太郎がこの部屋に入ってきた瞬間から、彼女達は必死で御機嫌を取ろうとしていた。

 

「ごちゃごちゃ五月蠅ぇな。

 お前達の役目は俺の性欲を処理する事だけだろうが。

 誰が相手でもいい、さっさと尻を向けろ。

 俺は早く帰りたいんだ」

 

 彼女達が自分を金属バットで殴ろうとしていた事を健太郎は忘れていなかったし、そういう女である事はしっかり理解している。

 だからこそ、物の様に扱う事に対して良心の呵責は全く感じなかった。

「は、はい只今」

 

 怯えながらも、褐色肌の女がしゃがみこんで尻だけを上に向ける。

 尻の穴と膣が丸見えになっていた。

「どうぞ、私の身体を使ってください」

 健太郎はズボンのチャックを下ろすと疲労によって勃起したペニスだけを取り出し、膣の中に埋めていく。

 

「お前達はオナニーでもしてろ。

 俺をうんといやらしい気持ちにさせるんだ。

 解ったな」

 性行為ではあったが、健太郎は彼女達に対して何の感情も持っていなかった。

 

 彼女達を使った自慰行為と何も変わらない。

 オナホール代わりとして利用していただけだった為、今でも健太郎は彼女達の名前を聞いていなかった。

「解りました。

 どうぞ、私達の痴態を御覧くださいませ」

 

 彼女達も逆らえない為素直に膣を広げて自慰行為を始めたが、その目には涙が浮かんでいる。

「泣くんじゃねぇよ。

 萎えるだろ……

 お前達は会長の掌の上、俺の掌の上で生かされている事を忘れるな」

 

 ペニスを褐色肌の女性の中に出し入れしながら、健太郎はそう言って彼女達を睨み付けた。

 その言葉に恐れを感じ、彼女達は涙を拭って何とか泣くのを止めようとしたが逆に溢れて止まらなくなる。

 

「申し訳ございません、生理的なものでして……」

「チッ……しょうがねぇな。

 じゃあ顔を覆ってろ。

 泣き声だけは絶対に出すなよ」

 片方の手で目を隠し、もう片方の手で自慰行為を続ける2人の全裸の女。

 

 ある意味とてもシュールな光景だったが、健太郎はその光景に満足感を覚えていた。

 (俺を苦しめる存在だったハズの女どもが、俺に平伏している……

 死への恐怖と会長の御力のおかげとは言え、気分が良い事に変わりは無ぇな)

 暴力を振るわれるだけの毎日があったからこそ、女を一方的に蹂躙する事への喜びが加速していく。

 腰を振り、膣に扱かれる事で快感を感じつつ征服欲も満たされていくのが解った。

 

「出すぞ。

 避妊薬は飲んでるんだろ?

 子供なんか出来たら面倒だからな。

 お前達は俺の玩具だ。

 使えなくなるまで遊んでやるよ!」

 

 陰茎が漲り、射精の前兆が訪れた事が解る。

 膣の中で脈動する肉棒の先端から、白濁液が容赦なく放たれた。

「うッ……」

 彼女達もきっと、何故自分達がこんな目に遭っているのかと思っているに違いないと健太郎は思った。

 

 あの夜羽生晃が助けに来なかったら、恐らく健太郎は一生歩けない身体にされ意識不明の重体で病院に運ばれたに違いない。

 そして3人は何の変哲も無い穏やかな日常へと戻っていったのだろう。

 罪悪感など全く感じずに生きていったハズだ。

 

 (こいつ等はそういう人間なんだ。

 騙されるな……同情を引く様な行動を取ってきても無視しろ。

 この女達は他人の傷は一切気にしないタイプの人間。

 こうなった事は必然なんだ……)

 感情を怒りの方向に向ける事で、僅かな罪悪感を塗り潰そうとする健太郎。

 

 彼女達の涙を見て心が全く動かないワケでは無かったが、彼女達を許すつもりは無いしその権限は健太郎には無い。

「今度はお前だ、立て。

 立てって言ってんだろオイ!」

 すすり泣いている長い茶髪の女の髪を掴み、平手打ちを見舞う健太郎。

 

 疲れ、苦しみ、哀しみと言った負の感情を全て女に押し付け心の安息を得ようとしている。

 女も死の恐怖には抗えない為、一切の抵抗を行う事無く壁に手をついて尻を向けた。

 

「萎えるまでもう少し俺のチンポの面倒を見てもらおうか。

 たっぷり楽しませてもらうぜ」

 射精したばかりの陰茎が萎える事無くビクビクと痙攣し、欲望を吐き出し切っていない事を示している。

 毎夜行われている淫らな宴はこの日も同じ様に行われていった。

 

「1人1発。

 良かっただろ俺の欲望を受け止める事が出来て……

 今度時間が出来たら道具も持ってきてやるよ。

 電動マッサージ機とかな」

 

 ただ精液を吐き出したいが為に行われた性行為は、20分程度で終わった。

 床に倒れた女達は何の言葉も発する事無く涙だけを流している。

「お前達もココから逃げられるとは思っちゃいないだろ?

 恨むなら襲撃に加わった自分自身を恨むんだな。

 何の悪事も働く事無く日々を過ごしていれば、こんな事にはならなかったハズだ」

 

 荒い息を吐きながら、邪悪な考えが頭に浮かぶ健太郎。

 ズボンの中にしまいかけた陰茎を取り出すと、3人に溜まっていた小便をかけていく。

「マーキングって奴さ。

 後でシャワーでも浴びろ」

 

 彼女達に己が出来る最大限の屈辱を与えた事に満足した健太郎は、扉を開け部屋を後にした。

 扉が完全に閉まる前に一瞬だけ聞こえた泣き声は、最早泣いていると言うより喚いている声に近い。

 

「随分泣かせたもんだな」

「なぁに、大した事は無いですよ。

 俺は帰りますんで、後は宜しく頼みます」

 

「ああ。

 それと会長が『今度の日曜日にお前を本部に向かわせろ』と言っていたぞ」

「解ってます。

 蜂須賀さんから聞いてますよ」

 黒服に別れを告げると健太郎は自宅に向かう為、血生会の地下フロアから外に出ていった。

 

 数日後、健太郎は東京都の新宿・歌舞伎町へ向かった。

 日曜日の昼と言う事もあり街は『昼の賑わい』を見せている。

 裏の世界との関わりを持たない普通の人々の波をかき分けながら、彼は目的地である雑居ビルを目指した。

 

「ああ、あそこだ……

 『血生会』って書いてあるじゃないか。

 解り易い」

 大通りから裏通りに続く道を進み、少し狭い道を歩いていると看板が見えてくる。

 

 見た目は普通のビルと変わらなかったが、細かな点が『まともな者の住む場所では無い』を示していた。

 外から見られない様にする為か、外側のガラスが全てマジックミラーになっている。

 中にいる人の様子が外からでは全く解らない。

 それは自動ドアになっている入口も同じだった。

 

「誰に話せばいいのかな」

 健太郎はあっさり入口を通れた事に驚きながら部屋の中へと入っていく。

 中に入ると奥が受付になっており、普通の会社員かと思う様な受付嬢が立っていた。

 (暴力団の本拠地だと思われない様にする為のカモフラージュなのかな?)

 

 そう思いながら受付嬢に近付いていくと、彼女は御辞儀をした。

「どういった御用件でしょうか?」

 最初は普通の受付嬢に見えたが、舐め回す様に見つめてくるその鋭い視線がそうでは無い事を健太郎に教えている。

 恐らく、拳銃等の武器も所持しているのだろう。

 健太郎は不信感を持たれない様に努めた。

 

「羽生会長が俺と会いたいと仰ってまして、この場所に……」

 健太郎がそう言うと受付嬢は懐から携帯電話を取り出し、少しの間誰かと会話をしていたが通話を終えた後微笑んだ。

「雨宮健太郎様ですね。

 会長がお待ちです。

 そちらのエレベーターで5階に上がってくださいませ」

 

 行き止まりに見える場所にエレベーターが設置されており、健太郎はそのエレベーターで移動する。

 エレベーターから廊下に出ると黒服の男が待機しており、健太郎を呼んだ。

「久しぶりだな、雨宮」

「ああ、お久しぶりです大蛇さん。

 お元気でしたか?」

 

 頬に傷のある髭面の男はあの時と同じ様にサングラスをかけ、能面の様な表情を僅かに崩して笑う。

「元気じゃなかったらこんな所にいねぇだろうが。

 馬鹿だなお前は!

 俺と話す為に来たワケじゃ無ぇだろう。

 会長の部屋に案内してやる」

 

 大蛇の後ろについて歩いていると、廊下で出会う黒服の多くが彼に対して必ず頭を下げるのが解った。

「慕われているんですね」

「俺への御機嫌取りは必ずするべきだと思っているに過ぎん。

 俺は会長から全幅の信頼を寄せられているからな。

 自分で言うのもおかしな事かもしれんが、次期会長候補は俺だと皆が思っているよ」

 

 窓から様々な部屋を見ていると、暴力団の本拠地と言うよりも、近代的なオフィスの様に感じられる。

 派手な服を着た『いかにも』と言う構成員は1人もおらず、全員が落ち着いたスーツ姿だった。

「前の会長の頃まではココまで極端じゃ無かったんだが、羽生会長は『天武日本一の誇りを持て』と常々仰られていてな。

 支部の連中はともかく、本部は身だしなみが求められているよ。

 お前も成人するまでにはスーツを買っておいた方が良い」

 

 電話に応対している組員も恫喝を多用せず、あくまでインテリ然とした発言をする様に心がけている様に見受けられる。

 女性のオペレーターもおり、彼等が黒いサングラスをかけていなければ普通の企業と思っても不思議では無かった。

「ココに会長が居られる。

 俺は案内を命じられているだけなのでココまでだ。

 後は頑張れよ、雨宮」

 

 大蛇が去った後、雨宮は万が一にも相手の機嫌を損ねない様に最大限の注意を払いつつドアをノックする。

「雨宮か?」

「はい、そうです」

「ドアは開いてるから入ってこい。

 時間通りで嬉しいぜ」

 

 覚悟を決め、健太郎はドアを開けた。

 会長が座っている部屋の内装もオフィスの様だったが、様々なものが飾られている。

「よく来たな、雨宮」

 純白のスーツと帽子。

 マフラーの様な薄手の布が首にかけられており、羽生は暴力団の組長と言うよりマフィアのボスの様な格好をしていた。

 

「どうだ、ボクシングの練習の方は順調か?」

「自分ではどこまで強くなったのかよく解っておりませんが、より強くなる為に懸命な努力を続けています」

 もう少ししっかりとした恰好をしてくるべきだったと後悔しながら、雨宮は会長の質問に答える。

 

「ククク……緊張してるのか。

 場違いな服装をしてきてしまったと思ってるだろ?

 心配するな雨宮。

 本部の連中は常に本部にいるからこそ見た目を大事にさせている。

 少なくとも今日のお前はそのままでいい」

 

 高級そうなデスクの上で手を組み、ニヤリと笑う羽生。

 その瞳は嘘をついてもすぐに見透かされてしまうのではないかと思う程に鋭かった。

 

「立ち話もなんだから、そこに座れ。

 今日はお前に大事な話があってな」

 言葉をかけられる度に、雷が直撃したかの様な衝撃に襲われる。

 これが天武日本の裏社会を支配する男の貫禄なのか……

 雨宮は恐怖を表に出さぬ様努めながら椅子に座った。

 

「俺はお前に俺と同じ深い心の闇を見た。

 幼い頃、俺は信国人だと言う理由だけで不当な虐めを受けていたんだ。

 それは何年も続き、ある日感情が弾けてしまった。

 俺が初めて人殺しをした瞬間だった。

 血が飛び散った路地裏で狼狽している俺に当時の血生会会長が声をかけてきた。

 『お前、面白い奴だな。

 このまま逮捕されるには惜しい。

 俺の部下になれ』

 俺に断る選択肢など無かった。

 俺の才能は大いに評価され、俺は若くして1つのグループを束ねる若頭になった。

 実績を上げ続け、がむしゃらに走っていると本部へ招かれ48歳の時に血生会の会長の座を得た。

 他の派閥から反対されたが、前会長は俺がもっと血生会を強くする男だと確信していたらしい」

 

 羽生は当たり前の様に過去を振り返ったが、健太郎は会長が幼い頃から己の手を血に染めていたと言う話を聞いて驚きを隠せなかった。

「刃物で刺したんですか?」

 

「ああ、あの時は相手が3人ほどいてな。

 路地裏には廃材や鉄パイプが転がっていたんだ。

 相手が大ぶりのナイフを取り出して『子孫を残せない身体にしてやろう』と言ってきた。

 服を脱がされそうになったんで抵抗して、咄嗟に地面に置かれていた鉄パイプを闇雲に振り回した。

 それが運よく相手の顔に命中して、相手はナイフを落とした。

 俺はそれを拾った。

 ……その後の事はよく覚えていない。

 気付いたら3人とも腹から血を流して死んでいたよ」

 

 恐らく、その獣じみた凶暴性が血生会の興味を引いたのだろう。

 そして今度は健太郎の内に秘めた野蛮な力が期待されている。

 健太郎はその事実を理解していた。

 

「俺はお前を評価しているんだ。

 俺と似た日々を過ごしてきたからこそ、俺と同じ様に成長出来る男だと信じている。

 勿論、お前だけをすぐに特別扱いするワケにはいかねぇが……

 今はまだ、な。

 ボクシングで身体を鍛え続けろ。

 実戦での立ち回り方も大蛇に指導させるつもりだ。

 お前が高校を卒業した頃に、正式に血生会の一員に迎え入れる。

 俺のボディーガードとしてな」

 

 夏休み前の地獄が嘘の様な厚遇だった。

 だが、反社会的集団の一員となれば世間からは疎まれる。

 特に真面目で正直な生き方を求める姉には軽蔑されてしまうだろう。

 

 (姉貴の事が好きなのに、どんどん姉貴が遠くなっていく。

 姉貴が望まない道に進んでいる……

 そして、俺にはそれを止める術が無い)

 

「今俺のボディーガードは大蛇に兼任させているが、お前が俺の身辺警護をすれば奴は優秀な頭脳を存分に活かす事が出来る。

 財務にせよ交渉にせよ、奴はどんな時でも使える男だ。

 俺は80前には引退して、奴に会長職を譲ろうと思っているよ。

 そして、お前がその後も血生会の役に立ち続ければ……

 後は言わなくても解るな?」

 

 健太郎はごくりと唾を飲んだ。

 つまり、結果を出し続ければ血生会の会長になる事も可能だと言われているのだ。

 それだけ健太郎にかけられた期待は大きい。

 逆を言えば、その大き過ぎる期待に応えられなければ命すら危うい。

 そんな明日の確約すら無い世界に放り込まれてしまったと言う事実が健太郎を苦しめていた。

 

「正直、大蛇以外の幹部連中は自分の保身の事しか考えていない馬鹿ばかりだ。

 肩書にしがみつく事が精一杯で、全く組織の役に立っていない。

 お前の様な新しい風を入れる必要がある。

 天武日本人であるお前が会長になるとなれば反発もあるだろうが、全くあり得ない話でも無いだろう」

 

 羽生は雨宮健太郎と言う将来の有望株を発掘する事で、血生会をさらに飛躍させる事が出来ると信じていた。

 そして、天武日本で不当な扱いを受けている信国人を保護する為には天武日本人が率先して行動しなければならないとも思っていたのだ。

 

「お前の今後についてはまぁ、こんな所か。

 それとお前にもう1つ言っておく事がある」

 羽生はそう言うと椅子から立ち上がり、その机と椅子の背後にある扉に向かって2回ほど強く両手を合わせて音を出す。

 その音に呼応する様に扉が開き、中から形容し難い程の美女が姿を現した。

「この方は……?」

 

「彼女は俺の秘書兼性欲処理担当、『紅蠍(べにさそり)』だ。

 今は俺が完全な不能になっちまったから、普通に働いてもらっている。

 だがコイツは相当そっちの方が好きな女でなぁ……

 かと言って無能な幹部連中をあてがうのも癪だ。

 これからは定期的にお前が彼女の相手をするんだ。

 解ったな」

 

 肩まで伸びた黒い髪。

 コンタクトを入れているのか、見る者を畏怖させる真っ赤な目をしていた。

 スーツを着ていてもスタイルが抜群に良さそうなのが解る。

 

「お、俺が会長の愛人に手を出しても良いんですか?」

「俺が良いって言ってるんだから良いんだよ。

 それに『愛人』なんてそこまで良いモンじゃねぇ。

 気持ち良くさせてくれるから金を与えて飼ってるだけだ。

 俺が本当に愛している女は……他にいる」

 

 羽生は一瞬、哀しそうな表情を見せたがすぐに元の厳しい顔に戻った。

「それにお前がこの女と肌を合わせる事は単なる性行為で終わらねぇ。

 男って言うのは女を抱く事で度胸を付け、磨かれていくモンだ。

 お前が男として成長していく為にはそういう事も必要になってくる。

 お前も精神的な強さを身に付けろ」

 

 羽生はそう言った後彼女の方に顎を向けて無言で何かを促し、机の上にあった箱に手を触れる。

 

「今日の話は以上だ。

 紅蠍と楽しんでから帰ると良い。

 俺もそろそろ別の用件で人と会う約束をしているからな……

 忘れるな、思い切り楽しめよ。

 人生は輝いている間が華だ。

 与えられた幸せを喰らい尽くせ」

 

 羽生はそう言った後、箱の中にしまわれていた葉巻を1本取り出し高級そうな金属製のライターで火を付けた。

「行きましょうか」

 

 妖艶な美女が健太郎の手を握り、有無を言わさず奥の部屋へと引っ張っていく。

 その声に逆らう事も出来ずに彼はついていく事しか出来なかった。

 

「快楽に溺れろ。

 無心で餌を貪り、性欲を解き放つんだ。

 そうすればお前の中にある暴力装置が作動する。

 冷静に、まるで蟻を足で踏み潰す様に人を殺す人間になるんだ。

 雨宮……」

 

 健太郎が奥の部屋に消えた後、独り言を呟く羽生。

 机の上の電話が鳴り、彼は受話器を手に取った。

 

「はい、こちらは血生会本部です。

 御用件は?……いやいや、言ってみただけですよ。

 そちらが言いたい事は解っています。

 流石に庇いきれないって?御冗談を。

 証拠は何1つ残していませんし、証人が出てくる事も絶対にありません。

 10人とも暴力を振るう屑だったので駆除しました。

 善良な一般市民に刃を向ける事はありませんよ。

 適当な所で捜査を打ち切らせてください。

 行方不明になった理由?

 そっちで適当に考えてもらえれば……

 見返りは当然用意しますよ。

 1人1000万の計算で1億では?

 何時もの口座に送金しておきます。

 ええ、2020年の第2回東京五輪に向けた工事も順調に進んでいますからね。

 俺達がいなくなるのはそちらだって困るでしょう。

 無茶な事さえ言われなければ俺達は政府の為に働きますよ。

 はい、はい。解っています。

 もうすぐ客人が来るので今日はコレで。

 手間をかけさせてしまい申し訳ありません」

 

 頭を掻きながら通話を終えると、羽生はうんざりした様な顔を見せる。

「信虎の奴はまだ好意的だったってのに、信鷹の奴は噛み付いてきやがる。

 嫌な野郎だぜ。

 とは言っても俺達と革新党は切っても切れない仲だ。

 適当におだてながら様子を見るしかねぇか……」

 

 溜息をつきながら悪態をつく羽生。

 天武日本の闇を支配する男でも、邪険にする事が出来ない勢力が存在する。

 天武日本のトップと揉めるのは得策では無かった。

 それ故に持ちつ持たれつの関係を続けていたのだ。

 

 会長の部屋から奥へと進み、入った部屋の奥に頑丈そうな扉が見えている。

「ココが、所謂『ヤリ部屋』よ。

 私が高校生の時は毎週1回は利用していたけれど、今は殆ど使われていないわ」

 羽生から紅蠍と呼ばれた女はそう言うと、カードキーを胸ポケットから取り出しロックを解除した。

 

 ラブホテルの一室かと疑う様な部屋。

 ベッドが用意され、その隣の部屋はシャワー付きの浴室になっている。

 

「この部屋を解錠する事が出来るのは会長と私、そして専任の清掃員だけ。

 会長は綺麗好きだから、平日に2回掃除をさせているの。

 それ以外の人間がこの部屋に足を踏み入れる事はまず無いでしょうね」

 部屋に入った後、紅蠍は再びカードキーを使ってロックをかけた。

 

「防音構造の部屋だから、思う存分大きな声を出して頂戴。

 私もする時位は恥を忘れて思い切り喘ぎたいし……

 早速始めましょうか。

 抜いたりしてないわよね?」

 

 健太郎はその言葉に対して頷いた後、ベッドの脇にある棚に飾られた写真立てを指差した。

「この写真は?」

 今となっては珍しい白黒の写真だった。

 全裸の女が淫靡なポーズを強要されたのか、いやらしい表情をしながら股間を前に突き出している。

 

「会長の昔の愛人ですって。

 詳しい話は私も聞いていないけれど、会長曰く『最高の女』だったそうよ。

 今でも忘れられないと言っていたわ。

 きっとあの人は、私にこの女性の影を見ているんでしょう」

 

 写真の中の黒髪の女性の顔は、確かに紅蠍と雰囲気が似ていた。

 顔のパーツもどことなく似通っている。

 完全に理性を失った様な表情を見せている女性の顔を見ると、健太郎は妙に興奮している己を感じた。

 

「股間が膨らんできたわね。

 良い兆候よ……楽しませてくれないと私が困るもの。

 私も昔はそこまでこういう事が好きな女じゃ無かったけれど、会長に色々教えてもらったから……

 服を脱いで。

 まずは私に全てを委ねなさい。

 好きな様に動くのはその後よ」

 

 紅蠍は床に置かれている籠に服を入れ、全裸になる事を命じベッドに寝かせた。

「やっぱり若いわね。

 私とするのがそんなに待ちきれないの?」

 

 怒張した股間を眺めながら、スーツを脱いでいく紅蠍。

 彼女の名に相応しい紅蓮の下着が映える。

「大切なのは『焦らし』から始める事。

 貴方の中に眠っている獣性を引き出す為には貴方自身が動きたいと思わなきゃ」

 

 下着姿のままベッドに近付くと、紅蠍は既に剥けて薄桃色の亀頭を見せている肉棒を優しく握り締めた。

「我慢すれば我慢した分だけ、出す時が気持ちよくなるのよ」

 上目遣いで健太郎の顔を見つめながら、先端にキスをして砲身を扱き上げる。

 彼女が幼い頃から積み上げてきたテクニックは健太郎の陰茎をさらに膨らませるには充分な威力を誇っていた。

 

 彼女が初めて羽生に抱かれたのは、中学生になったばかりの頃だった。

 通名、赤崎(あかざき)紅子(べにこ)。

 信国人の母親と天武日本人の父親の間に生まれたハーフである。

 この天武日本と言う国において、天武日本人と信国人は『全く異なる人種』として認識されており、ハーフの存在を認めていない。

 

 彼女も生まれた時からその宿命を背負わされており、ハーフである事を隠しながら生きてきた。

 何時までも彼女を守り抜く事は出来そうに無いと思った両親は、信国人の保護組織でもある血生会に彼女を預ける事を決断する。

 血生会は政府に掛け合って彼女の存在を認めさせるが、その条件こそ彼女を羽生会長の性欲処理相手にすると言うものだった。

 彼女の出自を隠す為に金を使ってきた両親は金に困っており、大金を払うと言う血生会の誘惑に勝つ事が出来なかった。

 13歳の彼女は羽生の相手をする事で生き延び、裕福な生活を送ってきたのだ。

 

 (私も貴方も修羅の中にいる。

 でも私と貴方の違いは、貴方がまだその修羅場を体験していないと言う事。

 強くなってその修羅場を潜り抜ける為には相手が怯む程の獣性と圧倒的なオーラが必要になる。

 私は会長からその2つを開花させる様に命じられた。

 失敗する事は許されないわ……)

 

 紅蠍は与えられた役目を忠実にこなす為、手の中にある肉棒の先端を咥え、舌で激しく刺激する。

「クッ……!」

 強烈な快楽に酔いしれながら、健太郎は肉棒の根元から性欲の具現化した液体が噴き上がりそうになっているのを感じた。

「駄目よ、射精したいのなら私を悦ばせなさい」

 

 キュッと肉棒の根元が締め付けられる様な感覚に襲われる。

「こ、コレって……」

 自身のものをよく確認すると細い帯が竿の根元に巻かれており彼の射精を妨げていた。

 

「私を絶頂に導く程に突いてくれたら、それを外してあげるわ。

 早く始めないと大変よ?

 一度大きくなった欲望はそう簡単にしぼんだりしないもの」

 紅蠍から与えられた快楽が痛い程に膨れ上がり、きつく締められた帯によってさらに苦しい痛みが健太郎を襲う。

 

「上等だ。

 壁に手をついて尻をこっちに向けな」

 激痛に耐えながら健太郎は強がってみせたが、既に射精したいと言う欲望は巨大な風船の様に膨らんでいた。

 

「さぁ、欲望を解放したいのならば腰を振りなさい。

 貴方自身の為に」

 下着を取り去って生まれたままの姿となった紅蠍が、艶めかしいポーズをして健太郎を誘惑する。

 激しく脈動し続けている熱い肉の槍が、彼女の膣内を一気に貫いた。

 

 (うッ……ふざけるなよ。

 こんな……やめッ!!)

 天武日本の裏社会のドンに気に入られる女になる為に鍛え上げられた肉壁が、容赦なく射精を禁じられた肉棒を刺激してくる。

 その刺激により陰茎は何度も射精を望んだが、膨らんで激痛を与えるだけで欲望は全く解放されない。

 

「あら、どうしたの?

 私の中で動くんじゃなかったの?

 結構太いものを持っていたから期待したのに、てんで駄目ねぇ」

 あまりの痛みに白旗を上げたくなりそうだったが、健太郎は紅蠍の態度が許せず、泣きながら腰を突き出した。

 

「ちょ、ちょっとビックリしただけだ。

 すぐに俺ので満足させてやるぜ」

 そう言ってはみるものの、爆発しそうな程に膨らんだ肉棒は悲鳴を上げている。

 

 (根元からペニスがちぎれそうだ……!

 動かせば動かす程苦痛が増す。

 どうすれば勝てるってんだよ)

 紅蠍から見えないのを言い事に、大粒の涙を流しながら拙いピストン運動を開始する健太郎。

 今の彼にとっては、帯が擦れる事によって勝手に外れやしないかと言う淡い願望だけだった。

 

「言っておくけど、貴方の根元に巻いた帯はしっかり結んだからちょっとやそっとで外れたりしないわよ。

 激痛から逃れる方法はたった1つ。

 貴方の内に秘められた獣性を解放し、私を絶頂に導く事だけ」

 

 突く度に根元が締め付けられ、あまりの痛みに歯を食いしばる。

 3人の性奴隷としている時より陰茎が膨らみ、激しく痙攣していた。

 (畜生、気絶しそうだ……

 なんでこんな目に遭わなくちゃならねぇんだ。

 いつもいつも……)

 

 健太郎の脳裏に、理不尽な虐めを受け続けていた弱い自分の姿が浮かぶ。

 逃げていた。

 ただ暴力から逃れる為に懸命に逃げ続けた。

 だが逃げても何も変わらなかった。

 

 望んだ。

 この覚めない悪夢が終わる事を。

 どんなに願っても、神が願いを叶えてくれる事は無かった。

 

 (……自分の弱さのせいにして、挑戦する事無く現状を呪っていた。

 変わろうとしなかった馬鹿な俺……

 今こそ生まれ変わるんだ。

 俺自身で苦境を乗り越えなければ何も始まらない)

 

 痛みや苦しみが虐めを受けていた時のものと重なる。

 その苦しみは相手を殴った時、強烈な怒りとなっていた。

「性欲処理女の分際で、生意気にも俺を苦しめようとしやがって!

 お前が俺の足元にも及ばない安い女だって事を証明してやるぜ!!」

 

 昔の健太郎ならば絶対に出なかったであろう相手を嘲る台詞。

 怒りが全身から噴き出した瞬間、痛みが何処かに消えていた。

「え、どうだオイ!気持ちいいのか?

 気持ちいいのかって聞いてるんだよ」

 

 まるで別人の様に変貌した健太郎が、極悪な笑みを見せながら紅蠍の尻を何度も叩く。

 健太郎の心の奥底で眠っていた『怪物』が、痛みを与えられた事により目覚めたのだ。

 表に出てきたそれはまさに『野獣』だった。

 健太郎は痛みを気にする事無く奥へ奥へと肉棒を差し込んでいく。

 

「ああ――ッ!良い、良いわ!

 それが貴方なのよ。

 貴方の中に隠れていた本当の貴方。

 解き放ちなさい、全てを!

 痛みを忘れて、ひたすらに快楽を貪る獣になるの!」

 

 最早紅蠍がどんな極上の名器を持っていたとしても、覚醒した健太郎には無意味だった。

 人を屈服させたい。

 自分が上に立ちたいと言う秘められた欲望が溢れ出し、彼の全身に纏わりつく。

 

 (何だ、この暴力を振るいたいと言う凄まじい衝動は……!

 怒りや憎しみが止まらない。

 これが俺だと言うのか。

 俺の中に隠れていた本当の俺……

 はは、なんて良い気分なんだ!!)

 

 肉棒を使って彼女を絶頂に導いた後、健太郎は肉棒を彼女の膣から引き抜き当たり前の様に帯を解いた。

「お前の命令で苦しんでいるのが馬鹿らしくなってきたぜ。

 命令するのはこの俺だ。

 俺を満足させろ。

 お前のせいでちょっとやそっとじゃ萎えなくなったからな」

 

 そう言った後肉棒を深く彼女の膣内に入れ、後ろから彼女を抱きかかえた状態で欲望の塊を吐き出す。

「薬は飲んでるのか?

 飲んでなかったら、間違いなく妊娠するな」

「フフ……悪いけど、貴方の子供は産めないわ。

 その代わり、貴方の好きな様に動いてあげる」

 

 びゅるびゅると熱を帯びた白濁液を彼女の中に容赦なくぶちまけ、身体全身を震わせる健太郎。

 幼いあどけなさを残していた数ヶ月前とはまるで異なる、鬼の様な表情を浮かべていた。

 

 ベッドに寝そべった健太郎の上に、紅蠍が跨る。

 

「貴方も大分解ってきたみたいね。

 欲しいものが好きなら我慢しないの。

 男なら、力づくで手に入れてみなさい。

 人生は1度しか無いわ。

 我慢するなんて損でしょう?」

 

 激痛を感じた程焦らされた陰茎は、全く萎える事無く重力に逆らいながらビクビクと脈を打っている。

 己を絶頂に導いてくれた御褒美とばかりに紅蠍はその肉棒を膣の中におさめ、激しく上下に動いた。

 

「男の顔になってきたじゃない。

 その感情を忘れないで。

 この世は暴力と欲望によって成り立っている。

 それを忘れさえしなければどんな事だって出来るのよ」

 

 あの白黒の写真に写っていた少女と同じ様に淫靡なポーズを取り、肉棒を扱き上げてくる紅蠍。

 健太郎は上半身を起こすと彼女の胸を鷲掴みにしたまま下から腰を突き上げる。

 

「素敵、素敵よ!

 その猛ったモノが、私の花を悦ばせるの!

 虎の様に雄々しく叫んでいるのが解るわ。

 さぁ、遠慮する事無く全ての欲望を私にぶつけて!」

 

 無我夢中で肉棒を突き上げ、にゅるにゅると絡み付いてくる肉壁の最深部へと潜り込んでいく健太郎。

 今までに感じた事の無い快楽が全身を支配し、己を奮い立たせているのが解った。

 

「おおお、出すぞ……出すぞッ!!」

「きてぇ、全部出して!

 貴方の欲望を吐き出して!」

 もう我慢する必要は無い。

 根元から先端へと流れていく快楽の電流が、射精の直前である事を告げていた。

 

「うッ……グゥゥッ!!」

「あはぁ、出てる。

 私の中に出てるのぉ」

 全身を震わせながら紅蠍の身体を強く抱き締め、最後の一滴まで絞り出す様に注ぎ込む健太郎。

 肉棒が膨張と収縮を繰り返しながら痙攣し、彼女の膣の奥へと精液を流し込んでいく。

 

 やがて健太郎は荒い息を吐きながら玩具に飽きたかの様に彼女の身体を突き放した。

 勢いよく肉棒が抜け、彼女の膣からどろどろした液体が零れ落ちる。

 暴力を振るいたいと言う衝動がおさまらなかった健太郎は彼女の髪と肩を掴んで持ち上げると、思い切り彼女を蔑んだ。

 

「結局、お前は男を性的に満足させる事しか出来ねぇんだろ?

 惨めな女だ。

 姉貴みたいに誠実で清らかで、優しさと包容力に溢れてる女とはかけ離れてやがる」

「へぇ……貴方、随分お姉さんの事が好きなのね」

 その言葉が紅蠍の口から漏れた瞬間、健太郎は我に返り彼女の髪を離した。

 

 (な、何をしてるんだ俺は……

 何を言ったんだ俺は!?

 相手は会長の相手をしてる女だぞ。

 秘書も兼任してる。

 俺がこんな事をしたって告げ口されたら、終わりじゃねぇか)

 

 狼狽していた理由はそれだけでは無かった。

 姉である比呂子の笑顔が、健太郎の心に光を灯したからだ。

『健ちゃん、素直で優しい子になってね。

 私、綺麗な心を持っている健ちゃんが大好きよ』

 

 敬愛し、心から尊敬している姉の望む姿とはかけ離れた下品で醜悪な自分。

 鏡を見れば、その凶悪な面構えに自分が驚く事だろう。

 こんな人間になってはいけない。

 必死に自分で自分を叱咤する健太郎だったが、紅蠍は起き上がって彼の肩に手を乗せた。

 

「合格よ。

 貴方は己の心の闇を表に出して暴れた。

 その凄まじい凶暴性こそが会長の望んでいたもの。

 怯えなくてもいいのよ。

 それこそが貴方の本当の姿。

 貴方自身が望んでいた強い姿……」

 

 悪魔の微笑みを見せながら近付いてくる紅蠍。

 その瞳の奥は暗く、見つめていると吸い込まれそうになる。

「私が貴方の中に棲む獣を、貴方自身の力で制御出来る様にしてあげるわ。

 引き出しから欲しいものを取り出すのと同じ様に、必要な時にその怒りと憎しみを相手にぶつけられる様にね」

 

 歌う様にそう言い放つ紅蠍の言葉に、健太郎は最早抗う事が出来なかった。

 誠実で人を思いやる綺麗な心の少年は霧の様に消え去ったのだ。

 そして相手を屈服させる事に喜びを見出す魔物が残った。

 この日から健太郎は肉体だけでなく、精神まで変えられていく事になる。

 

 その変化はゆっくりとしたものだったが、健太郎に対する周囲の反応は確実に違ってきていた。

 悪事を企んでいるかの様な笑顔に、歯を剥き出しにした凶悪な面構え。

 自分の悪口を言った人間には隠れて暴力を振るい、恐怖でクラスメイトを支配していく。

 今まで自分が軽蔑してきた類の人間になりつつある事を自覚しながらも、健太郎はそれを止める事が出来なかった。

 

 (暴力がこれ程までに楽しいものだとは……

 相手を力づくで屈服させる事がこんなに面白い事だとは思わなかったぜ)

 やがてクラスメイトは恐怖から彼と距離を置く様になり、健太郎の周りには全く人が集まらなくなった。

 担任ですら授業を休みがちになった健太郎に何も言わなくなった程だ。

 

 触らぬ神に祟り無し。

 腫れ物の様に扱われ、学校で完全に孤立した。

 健太郎としてはそれで良かったのだ。

 (コレで、ボクシングの練習に心置きなく取り組める。

 高校なんざ行かなくても良い位だが、会長から『高校までは通っておけ』と言われてるからな)

 

 健太郎が変貌してしまったと言う噂は当然比呂子の耳にも届き、比呂子は健太郎に事情を聞こうとした。

「健ちゃん、何があったの?

 何が貴方をそんな酷い人間に変えてしまったの?」

 

「五月蠅ぇな。

 俺にだって色々あるんだよ。

 俺の事はほっておいてくれ。

 心配されても面倒くさいだけだ」

 

「そんな……昔の健ちゃんは何処へ行ってしまったの?

 昔の優しい健ちゃんに戻って……」

 涙を流し懇願する姉の姿に胸が締め付けられる様な苦しみを感じたが、健太郎は後戻り出来ない事を理解していた。

 

「俺は弱かった。

 だから虐められたんだ。

 俺は虐められない人間になると誓った。

 強い人間になるんだ。

 強い人間って言うのは奪う側の人間。

 俺は楽しい人生を思い切り謳歌してやるのさ」

 

 近付こうとする姉の手を振り払い、自室のドアを閉めて鍵をかける健太郎。

 ドアを叩く音を無視してベッドに潜り込んだ。

 だが、その瞳には涙が流れていた。

 

 (僕は……何処へ行こうとしているんだろう?

 何を成そうとしているんだろう?

 もう、お姉ちゃんに助けを求める事は出来ない。

 誰の助けも借りる事は出来ないんだ。

 大好きだよ、お姉ちゃん。

 その気持ちだけは変わらないから)

 

 健太郎の心は混乱していた。

 姉に褒めてもらいたいと思う昔の自分と、弱い自分に戻りたくないと願うもう1人の自分がお互いを傷付け合っている。

 頭がおかしくなりそうだった。

 それでも、強い自分のまま突き進むしか自分の生きる道は無い。

 健太郎はボクシングを続けながら、紅蠍と交わる事でさらに深い闇の中へと引き摺りこまれていった。

 

 壊れそうになる心を慰めてくれる唯一の拠り所が、ボクシングだった。

 一心不乱に練習をしている間だけ、無心になれる。

 全てを忘れる事が出来る。

 健太郎は今まで以上に練習を続け、己と真摯に向き合い技の精度を高めていった。

 

「あと1ヶ月位だな。

 ベルトを獲得する為の挑戦が始まる……

 勿論、練習自体は長く続けてるんだが、近付く度にワクワクするんだ」

 健太郎にボクシングの全てを叩き込んでくれた恩師、蜂須賀大樹の人生を賭けたタイトルマッチ。

 

 天武日本が誇るミドル級世界チャンピオン、土田守との戦いが迫っていた。

 12月5日、今回は土田守の要望もありZEROドームにリングを作る形で防衛戦が行われる。

 格闘ゲームの聖地として有名になったZEROドームは土田にとって思い出の場所。

 そこで試合をして土田を負かす事こそが蜂須賀の本懐だった。

 

「雨宮、俺はお前を鍛える事で己を見つめ直す事が出来たよ。

 俺自身も自分を虐め抜いた。

 奴の試合中の映像も何度も見て癖を学んだ。

 あとは本番で俺の方が強いと言う事を証明するだけだ」

 蜂須賀の顔は晴れ渡っていたが、健太郎は不安を抱いていた。

 

 (土田さんは強い。

 その拳は信じられない程に速い。

 エターナルナイトにいた頃、シャドーを少しだけ見せてもらった事がある。

 見えなかった。

 恐らくボクシングを学んだ今の俺でもあのパンチはもらってしまうだろう)

 

 そしてもう1つの不安は、恐らく会長が蜂須賀の試合を見に来ると言う事だ。

 自分も蜂須賀大樹を応援する為と言って呼ばれるだろう。

 そして、土田守の応援に駆け付けるのは間違いなくエターナルナイトのメンバーだ。

 火村あかり、柏糸涼介、九龍玖留美、氷室零……

 そして仲間の1人である、雨宮比呂子。

 

 (もし俺が敵側の応援に回っている事がばれたら、姉貴は俺を心から軽蔑するだろう。

 かつてエターナルナイトで共に頑張っていたのに恩を忘れたのかと思うハズだ。

 かと言って俺が応援を止めるワケにはいかない。

 会長を怒らせたらどうなるか、考えただけでも震えが止まらなくなる)

 

 自分が本当に応援すべき相手は誰なのか。

 蜂須賀なのか、土田なのか。

 健太郎にとって、どちらも彼を絶望から救い上げてくれた人物だった。

 

 (もし、土田さんに近付いて傷を負わせる事が出来れば……

 12月の試合、蜂須賀さんが勝つ確率が高まる。

 正直手負いの状態にでもしないと蜂須賀さんは勝てない。

 俺は土田さんの恐ろしさを間近で見て知っているんだ)

 健太郎は蜂須賀の勝利の為、悪魔に魂を売る道を選択した。

 

 吉良達の服が残っていた為、その1つを着て土田を待ち伏せする。

 フルフェイスのヘルメットと防弾・防刃チョッキ。

 万が一腹を打たれても数発は耐えられるだろう。

 

 何より顔を見られてはならない。

 相手は顔見知りだ。

 絶対に素性がばれてはいけないのだ。

 (卑怯で最低な人間になっちまったなぁ、俺も……

 姉貴がこの事を知ったら泡吹いてぶっ倒れそうだ)

 

 彼は早朝であろうが夜であろうが、本郷の近くにある土手で走り込みをしている。

 健太郎としてもエターナルナイトにいた頃土田から直接聞き出した情報が今ココで役に立つとは思ってもみなかった。

 

 (殴り合いでの勝ちは望めない。

 ナイフを死なない箇所に突き刺して怯んだ所で立ち去る。

 今回の試合は土田さんが日程を決めたもの。

 丁度いい傷にしておけば土田さんも延期は出来ない)

 夜の河原で張り込みを続け、ようやく腰に装着したライトを照らしながら走ってくる土田の姿を発見する。

 

 (よし、今だ!)

 いかにも怪しい恰好で飛び出してきた健太郎の姿を視界に捉えた土田は、凄まじい声で一喝した。

「もし俺に何かしようと言うのなら、お前に命を賭ける覚悟は出来ているんだろうな!?」

 その声は健太郎の全身に響き、一気に戦闘意欲を失わせてしまう程強烈なものだった。

 

 この1回のチャンスを逃せば次は無い。

 そう思ってはいたが下半身が震え、ナイフを上手く握る事も出来なかった。

 

「お前……若いな。

 悪い事は言わん、止めておけ。

 生死を賭けた戦いに身を投じた事が無いんだろう。

 血生会の刺客か?

 蜂須賀の所属しているジムが血生会の所有物である事は知っている」

 

 吉良がかつて大蛇に一喝されて力を失った様に、健太郎も土田に襲い掛かる気力が完全に消滅していた。

 咄嗟に後ろを向いて全力で逃げる健太郎。

 土田はそれを追いかける事無く見送る。

「……それで良い」

 健太郎は改めて自分の力が土田には到底及ばない事を悟った。

 

 WBL(世界ボクシング連盟)が正式に認定したミドル級の世界王者、土田守。

 2008年の夏に元世界王者のボクサー、合衆国出身のクレイドル・チャーチをTKOで倒しベルトを獲得。

 続く2009年の春、EU諸国連合出身のボクサー、ロナルド・フィッシャーをTKOで倒し王座防衛に成功。

 蜂須賀大樹もこの間にランクを世界5位にまで上げており、血生会の後押しも手伝って2度目の防衛戦が行われる事になった。

 

 反則は即座に敗北となる通常のボクシング。

 12Rで決着がつかなかった場合は判定に持ち込まれる。

 厳寒のZEROドームには何時もと違う熱気が溢れていた。

 

『御来場の皆様、間もなく行われる世界ミドル級王座防衛戦のルールについて御説明致します。

 1ラウンドの制限時間は3分。

 ラウンドとラウンドの間には1分間のインターバルがあり、その間のみ選手は休息を取る事が可能です。

 12ラウンドが終わっても決着がつかない場合は、3人の審判による判定を行ってどちらの選手が勝ったのか決定致します。

 それでも判定により両者引き分けとなった場合、チャンピオンの王座防衛となります。

 以上です』

 

 2009年12月5日、夜の7時。

 ボクシングを見る為に集まってきた客達とは異なる層の客達が比較的前の席に集まっている。

 

「いやぁ、土田さんが僕達を招待してくれて助かったよ。

 プラチナチケットの争奪戦だったみたいだからね」

「お世話になっていた時間がそこまで長くなかったのに……

 やっぱりあの人は義理堅い所があるのかしら」

 エターナルナイトの主要メンバー達が一堂に会していた。

 

 火村あかり、柏糸涼介、遠藤咲、氷室零、氷室瞳。

 ゲームセンターを臨時休業にして駆け付けた笹森冬司と笹森加奈の姿もあった。

 

「勝ってくれよ、守。

 お前はウチの店の誇りだ」

「彼にとって、最高の1日になればいいわね」

 土田守の関係者として土田自身が呼び寄せ、応援し易い特別席に座らせている。

 その丁度反対側にあたる席では、純白のスーツに身を包んだ羽生晃が部下達を従え椅子に座っていた。

 

「雨宮、蜂須賀の奴はきっとやってくれる。

 あいつの努力している姿を俺は間近で見てきたんだ。

 奴がチャンピオンになる瞬間を見てみたいぜ……

 おい、マスクなんか着けてどうしたんだ」

「すいません、風邪を引いてしまったみたいで……」

 

 わざとらしく咳をする健太郎であったが、本当は風邪などひいていなかった。

「蜂須賀の様に体調管理をしていないからそういう事になるんだ。

 お前も一応ボクサーなんだからしっかりしろ。

 今日は蜂須賀の動きを見て戦い方を学べ」

 

 丁度真向かいに懐かしいエターナルナイトの面々が見え、その中に姉の姿も見える。

 (少しでも何かが違っていたら……

 きっと俺はあっちの方で一緒に応援していたんだろうな)

 目立たぬ様に細心の注意を払いながら、健太郎は試合が始まるのを心待ちにしていた。

 

『土田守の最大の武器、それは視界の外から飛んでくる剃刀フックだ。

 防御をしていても守っている両腕の外側から殴られ、頬を掠める様にして命中し相手の脳を揺さぶる』

 数日前、蜂須賀は健太郎と共に土田守がチャンピオンになった時の試合映像を見ていた。

 

『これが積み重なると相手は満足に防御する事も出来なくなり、足もふらつく。

 そうなった時にパンチが当たればそのまま昏倒。

 こちらの負けだ』

 テレビの電源を落とした後、蜂須賀は椅子から立ち上がり横に素早く動いてみせる。

 

『だから俺は防御を固めると見せかけて相手のフックを避け、避けざまに腕を伸ばしたパンチを当てる。

 相手はフックを外し、俺の攻撃だけが命中。

 1発1発の威力は腕が伸びきっている事によりそこまで強くは無いが、剃刀フックと同じ様に積もればダメージは大きくなるだろう』

 蜂須賀はイメージトレーニングや同じ状況を想定したうえでの練習を続け、土田撃破の糸口を見出そうとしていたのだ。

 

『相手がやってくる事が解れば、対策は出来ると言う事ですね』

『……だがなぁ雨宮。

 向こうも俺が対策を立てる事は想定済みだろう。

 究極のいたちごっこになる。

 この戦いは相手に対して立てた対策をどちらが上回る事が出来るかによって勝敗が決まるハズだ』

 

 極限まで鍛え上げられた筋肉に、究極の頭脳戦。

 先手を取った方が勝利により近付く。

 相手を調べ尽くし相手に勝とうとするその決意は、土田に襲い掛かろうとした健太郎より遥かに固かった。

 

 ZEROドームに設置されたリングに、土田と蜂須賀が姿を現し公正な勝負を誓って握手を行う。

 

『赤いグローブ、赤いボクサーパンツに身を包んだチャンピオンの土田選手が、青いグローブ、青いボクサーパンツに身を包んだ蜂須賀選手と握手を交わしました。

 このリングの中ではいかなる不正も見逃されません。

 設置された8台のカメラの映像を3人の審判団がチェックしています。

 別所さん、この試合……

 どういった展開になると予想されますか』

 

『そうですね。

 両者が今まで戦ってきた試合の内容から考えると、お互いに長期戦は想定していないと思います。

 私の予想では5R……

 いや3Rで決着が付く事も充分有り得るのではないでしょうか』

 

『成程、お互いに短期決戦を見据えている可能性が高いと言う事ですか。

 レフェリーが両者の間に入り、試合開始の合図を待ちます』

 ゴングが鳴った瞬間から、2人は獣となり相手を倒す為の狩りが始まる。

 

 緊張を隠せない蜂須賀に対して、土田はどうステップを行うかと言う確認をする程余裕があった。

『今ゴングが鳴りました!

 最初に片手でグローブを合わせた後、両者が臨戦態勢に入ります。

 果敢に攻めるのは蜂須賀大樹。

 相手を一撃でKOした事もある左を持っているだけに土田も迂闊には動けません』

 

『やはり2人共ハードパンチャーであるだけに、リスクを極力避けようとしていますね。

 一発まともに喰らっただけで試合の流れが決まってしまう可能性が高い以上、無理はしないと』

 蜂須賀は闘争心を前面に押し出して気迫で相手を圧倒しようとしていたが、土田はあくまで冷静だった。

 ほんの少しのミスが敗北に直結する試合である以上、相手の動きを見逃さぬ様些細な変化にも気を配る。

 

『おっと蜂須賀コーナーの隅に追い込まれた。

 脱出出来るか?

 これは敢えて相手の懐に入ってダメージを受けない様にしたと言う事ですかね。

 両者が離れて仕切り直しです』

 

『徹底してますね。

 とにかく自分が攻撃を当てるんであって、絶対に余計な攻撃は受けないぞと。

 不格好でも全力で勝ちを狙っている。

 挑戦者からはそんな気持ちが見て取れます』

 

 コーナーから抜け出して一瞬気を抜いた蜂須賀。

 その一瞬の隙を王者である土田は見逃さなかった。

 蜂須賀の耳に聞こえた『チッ』と言う風を切る様な音。

 本当に音がしたのかも定かでは無いが、その瞬間蜂須賀の意識が揺らいだ。

 

 (待ってくれ。

 幾ら何でも速過ぎる。

 映像で見た時のスピードより速いんじゃないか)

 研ぎ澄まされた必殺の剃刀フックだった。

 

 防御をする暇も無く頬にグローブの先端が当たり、防御姿勢を取った時には相手が攻撃を終えている。

 (当たったか)

 当てた感触があった土田は、脳が揺れているであろう蜂須賀を仕留めにかかった。

『いやぁ、今のフックは完全に見えなかったでしょう。

 相手の死角から物凄い速度で打っていましたね』

 

『相手の盲点を正確に把握しているんですよね。

 だから相手にしてみれば、どうして防御したのに俺はダメージを受けているんだ?となる。

 そこで焦って攻撃をしてもカウンターの餌食になるだけです。

 この場合は落ち着いて呼吸を整える時間を稼ぐのが定石でしょう』

 

 攻撃する余裕が無くなった蜂須賀は、必死に防御を行い時間を稼ぐが次から次へとフックが飛んでくる。

 頭がボーッとしている為、横に逃げると言う策を実行する事が出来ない。

 何とか一歩後ろに下がった瞬間、同じタイミングで前に出てきた土田の剃刀フックが見事に命中した。

 

『おーっと、挑戦者1Rの最中にダウン!

 レフェリーがカウントを開始し始めましたが、すぐに立ち上がってファイティングポーズを取りました』

『脳が大きく揺れた事によって一瞬気絶したんでしょうね。

 今はそこまで重篤なダメージではありませんが、時間が経過すればする程相手からもらった1発が重くなってくるハズです』

 

 揺れた脳が気絶する事によって早期回復を促し、蜂須賀は試合に復帰する事が出来た。

 (どうなってるんだ……

 ダウンさせられた事もすぐには解らなかった。

 チャンピオン撃破の壁はそんなに高いと言うのか)

 

 蜂須賀は狼狽し、後ろ向きな感情に包まれそうになったがギリギリの所で踏ん張った。

 (負けられない。

 無様な負け方をすれば血生会から追放される。

 意地は見せないと)

 一旦仕切り直せたかの様に見えるが、蜂須賀が負ったダメージが完全に消えたワケでは無い。

 

 (まだ一気に攻めるタイミングでは無い。

 こういう時に無理な攻め方をすると窮鼠に噛まれる事がある。

 1Rで1回ダウンを取れたんだ。

 結果としては御の字だろう)

 必死の形相で襲い掛かってくる蜂須賀を適当にあしらっている所で1Rが終了した。

 

 1分間の間の応急措置が、試合の勝敗をも大きく左右する。

 冷えたタオルが蜂須賀の首元に巻かれ、頬や身体に氷を入れた袋が当てられた。

 

「あくまで勝負に出るのは3R以降だ。

 相手はお前が弱っている事を知っているから攻めに出る。

 それに付き合うな。

 お前が勝負出来る局面が来るまで待て」

 蜂須賀の近くにいたセコンドが蜂須賀に指示を出すが、蜂須賀の肩は僅かに震えていた。

 

 (俺の動きに合わせて移動し、完璧なタイミングで攻撃を……

 動きを完全に読まれていた。

 その攻撃も見えなかった。

 必死の思いでココまで這い上がってきたと言うのに、これ程差があるとは……)

 

 ボクシングを愚直に続けてきた蜂須賀が、生まれて初めて味わった明確な『恐怖』がそこにあった。

 どう動こうとも、防御したとしても当ててくる。

 その攻撃のどれもが的確で、自分が端から見ている立場ならば満点を付けるレベルだった。

 

「とにかく焦るな。

 焦って相手にも早くダメージを与えなければと思えば相手の思う壺。

 この2Rはお前自身の回復に努める3分間にしろ。

 逃げ切って活路を開くんだ」

 

 あっと言う間にインターバルの1分間が終了し、再び勝負の3分間が始まる。

『さぁ第2R。

 蜂須賀、ココは何としても粘りたい所です。

 先程の2発で足の方は大丈夫なんでしょうか?

 何とか、動けている様です』

 

『インターバルでの処置が適切だったと言う事でしょう。

 優秀なトレーナーやセコンドがついている証拠です。

 土田選手としては彼自身も仕切り直して、また最初から貪欲にダウンを狙っていく展開になるでしょう』

 

 蜂須賀は気合を入れ直すと、相手に攻めさせない為に攻めに出る。

 深く潜らず、相手が防御し易い様なパンチを打つ事で相手を牽制しつつ自身の体力の回復を図る。

 土田は相手が息を吹き返して積極的な攻勢に出てくる事態を阻止したい為、それをかいくぐろうとした。

 

『さぁ、上半身を右、左と振りながら相手の牙城を崩そうとする土田。

 相手の足がまだ満足に動かない事を利用してフットワークで優位に立とうとしています。

 おっとスイッチが入ったのか怒涛のラッシュ。

 しかし蜂須賀頭部へのダメージは許していない!』

『いやぁ、あの殺人的な切れ味のパンチをいなすのは相当難しいと思うんですが蜂須賀選手踏ん張っていますね。

 何とか打開していきたい所でしょうが、あのスピードではカウンターを狙う事も厳しいでしょう』

 

 (クソッ、頬や頭蓋に当たらない様にするだけで精一杯だ。

 反撃する余裕がまるで無い。

 だが身体を横に振って相手の頬を掠める様に打てれば勝機はある)

 

 土田も相手が勝負に出るまで待っていた。

 横から剃刀を打つ直前に逃げられて左を貰う。

 その最悪のシナリオだけは全力で回避しなければならないと思っていたからだ。

 

『さぁ、ダンベルを持った手で殴られる様な衝撃とも形容される蜂須賀の左は入るのか?

 おっと前からのパンチを防御しながら素早く攻撃に切り替えて相手がブロック。

 致命傷には至りませんが土田も蜂須賀の左の威力に驚きを隠せない様です』

 

 (コイツ……

 遅いが1発の破壊力は俺より遥かに上だ!

 防御していても腕に痺れが残る程の一撃。

 こんなものをまともに喰らったら試合の流れが向こうに行ってしまう)

 

 土田は相手の動きを自由にする事だけは避ける必要があると感じ、素早い連打で相手の反撃を許さない。

 右から左から飛んでくるフックを何とかブロックしていた蜂須賀であったが、何時までも防御出来る程甘くは無かった。

 

『頬を削ると表現される剃刀フック。

 力の蜂須賀に対して、技とスピードの土田と言った所でしょうか。

 防御の外、決まった!

 防御が緩んだ所ですかさず追撃します!

 膝から崩れ落ちる様な形で蜂須賀がダウン!

 これで通算2度目のダウンです。

 レフェリーがカウントを取ります。

 まだ起き上がれないか!』

 

 (お前は充分頑張った。

 そのまま安らかに寝ていろ)

 1回当たった所で相手の防御が手薄になり、2回目で相手のバランスが崩れ3回目で蜂須賀はダウンした。

 驚異的なスピードについていく事が出来ず、1つが当たると連鎖的に攻撃を受けてしまう。

 

『既に5カウント、6、7……

 おっと8カウントになるかならないかと言う所で立ち上がりました!

 レフェリーが試合続行の意思があるかどうか確認を取ります。

 今蜂須賀がファイティングポーズを取りました!』

 

『いや、これは凄い。

 普通あれだけのパンチをもらっていたら立ち上がれないと思うんですが。

 執念、気力と言うか……

 蜂須賀選手の底知れないパワーみたいなものを感じますね』

 

 土田は心の中で溜息をつきながら、蜂須賀に最後まで付き合う事を決めた。

 (立ち上がっても、もうまともに腕を上げる事は出来ないだろう。

 意地とプライドで気絶を免れただけだ。

 倒れるのが少し遅くなっただけ……

 引導を渡してやる)

 

 (もう、足は動かない。

 防御に関する反応も望み薄。

 こうなれば左に賭ける!

 防御を無視して一発を入れて、カウンターのリスクを考慮に入れずに殴り勝ちに行くしか無い)

 

 先程の様に近付いてくる土田の一歩に合わせて蜂須賀も前に進み、当たれば儲けものと言った感覚で左を打つ。

 一方相手の体力が限界に近付いていると思っていた土田は、そこまで強烈な反撃をする余力が蜂須賀に残っていると思っていなかった。

 

『入ったー!

 完全に防御を捨てて全ての力を左に込めた蜂須賀の強烈な一発が命中しました!

 相手の顔面がへこんでしまうのではないかと思える程の力。

 右頬に命中しますが土田は倒れません!』

 

「良いぞ、蜂須賀!

 そのままやっちまえ!」

 倒れこそしなかったが油断により強烈な左を喰らい、後退する土田。

 

『おっと反撃の狼煙を上げようかというこの瞬間に3分間が経過!

 インターバルです。

 別所さん、蜂須賀にしては最高のチャンスを逃してしまったと言う所でしょうか』

 

『ええ。

 もう少し時間があればコーナーに追い込んでさらに一発と言う展開もあったんでしょうけどね。

 土田選手にしてみれば救いのゴングでしょう。

 蜂須賀選手としてはとにかく回復出来るか否かと言う所です』

 

 コンクリートブロックを粉々に破壊するのではないかと思う程の一撃。

 土田はかなりのダメージを負ったが、幸運な事に擦る様な攻撃では無かった為倒れはしなかった。

 

 (危なかった。

 俺のフックのスピードで擦る様に命中していたら立ち上がれなかった。

 これが捨て身の反撃に出た相手の強さ……

 だがもう慢心は無い。必ず叩き潰す)

 

 土田はそう思いながら貰った一発分の回復に1分間を費やした。

 一方蜂須賀の方は1分間でどうにかなるダメージでは無い事を理解しており、先程の流れを継続しようとしている。

 

「当たって砕けろの精神でいけ。

 お前は細かい技術においては土田に劣るかもしれんが、破壊力では勝っている。

 とにかく左をもう1度当てる事だ。

 当たればこの不利な戦況を引っくり返す事が出来るぞ」

 

 蜂須賀のセコンドが発破をかけ、彼はその言葉に対して無言で頷く。

 土田ももう無駄なダメージは受けないと心に決めて再びリングの上に立った。

 

『どうやら、この3Rが試合の流れを決定付ける一戦になりそうです!

 スピードの土田が剃刀フックで相手の脳味噌を揺らして勝つのか。

 根性とパワーの蜂須賀が驚異の左で相手の意識を奪い取るのか。

 運命の3分間が幕を開けました!』

 

『いやぁ、蜂須賀選手も世界ランク5位の実力を十二分に発揮していますね。

 これで土田選手の持っている細かな技術と言う差を埋める事が出来れば、最強のボクサーになれると思いますよ』

 相手の攻撃に耐える余裕が無い事は解り切っていた為、殴り合って勝つ道を選択した蜂須賀。

 ノーガードの状態で相手に近付き再び強烈な左でのパンチを見舞う。

 

『土田、受けるのも危険と判断したのでしょうか。

 大きく後退!

 しかしコーナーに詰められると余計に苦しくなります!

 もう1度蜂須賀がパンチ、身体を真横に振って回避。

 大振りな一撃を最小限の動きで避けていく土田!』

 

 威力こそ高いがスピードの遅い左での攻撃。

 土田は研ぎ澄まされた感覚で繰り出される方向を見抜き回避していった。

 避ける事だけに全神経を集中させている土田と、打つ事だけに全神経を集中させている蜂須賀。

 いくらパワーのある攻撃とは言え、繰り出せば繰り出す程スタミナだけがどんどん消耗していく。

 

 (このパンチ、届かねぇのかよ……

 どれだけ強いって言うんだ。

 映像で確認した奴の動きと、実際の動きがまるで違う。

 計算した動きと肌で感じる動きが別物だと言うが、あまりにも違い過ぎるだろ)

 

『蜂須賀、やはり集中力を込めて打つパンチのスピードに陰りが見え始めています。

 身体全体も重くなっている模様。

 このまま何処かで相手のパンチをもらうと厳しいか?』

『土田選手にはそれ位の覚悟を見せないと勝てないと思ったんでしょうけどね。

 それでも、土田選手の立ち回りの方が1枚も2枚も上手である事は否めません』

 

 荒い息を吐き、明らかに体力が低下してきている蜂須賀に比べまだ余裕がある土田。

 相手に打たせて隙を作り仕留める。

 描いていた青写真が真実になる時が近付いてきていた。

 

 (お前はよく頑張った。

 俺相手によくぞここまで……

 だがお前には負けてもらう。

 天国にいるオーナーがZEROドームまで来て応援しているハズだ。

 絶対に負けられねぇんだよ)

 

 相手のパンチよりも早くパンチを打ち、軽い一撃で相手を怯ませてから剃刀フックを放つ。

 だが蜂須賀はその軽い一撃を気合だけで耐え、相手の攻撃に対して綺麗なカウンターを決めてみせた。

 

『両者、同時に相手の顔を狙ったか?

 一瞬遅れて土田の剃刀フックが当たる。

 蜂須賀も凄いがチャンピオンも凄い。

 左がまともに入ったのに全くダウンする兆しすら見せません!』

 

 再び膝から崩れ落ちる様に倒れた蜂須賀。

 土田は立つ事は出来たが足が僅かに震えていた。

 

 (立つな、立つなよ!

 今のパンチは何とか踏ん張って耐えたが、もう1発か2発受けてまともに耐える自信が無い。

 リスクを背負ってこのラウンドで終わらせようとしたんだ。

 今立たれれば俺も危ういんだぞ)

 

 ピクリとも動かない蜂須賀。

 レフェリーがカウントを始める中、土田は心の中で安堵の溜息をついていた。

 

『脳を揺らされ続けた蜂須賀、最早動く事は出来ないのか?

 5カウントが経過。

 8、9……おっと一瞬上体を起こそうとした様にも見えましたが立ち上がれず。

 土田のKO勝ちです!

 王座防衛!

 新たなチャンピオンが生まれる事はありませんでした!』

 

『驚異的なタフさですね。

 蜂須賀選手以上に土田選手が鍛えていたと言う事でしょう。

 あれだけ左を喰らって身体がぐらつきもしないと言うのは素晴らしい。

 おまけに彼自身の技の精度が全く落ちなかった。

 チャンピオンになるべくしてなった男と言う感じがします』

 

 土田は大観衆に向けて手を振ったが、心の中では冷や汗をかいていた。

 

 (立つのかと思って一瞬ヒヤリとさせられた……

 強かった。

 俺が思っている以上のパフォーマンスを見せてきた。

 もっと強くなって再戦と言う事になれば、今以上の死闘は避けられないだろう。

 だからこそ、この勝利がチャンピオン防衛の価値が高い事は間違いない)

 

 蜂須賀は意識が戻らず、担架で病院へと運ばれていく。

 健太郎は蜂須賀の敗北がどうしても受け入れられず、愕然としたまま思わず立ち上がってしまった。

 

 (蜂須賀さんが、見せ場らしい見せ場も作れずに負けるなんて……

 土田さんは想像以上の怪物だった。

 受けても受けても倒れない。

 こんなボクサーが天武日本に存在するとは)

 涙を流す健太郎の姿を、反対側にいた雨宮比呂子が見つめていた。

 

 (あれは……健ちゃん?

 マスクしてるけど私には解る。

 健ちゃんだ。

 どうして土田さんの応援をせずに敵の応援をしてるんだろう。

 私には解らない)

 

 比呂子は健太郎の通ってきた道を知らずにいた為、健太郎にとっても恩がある土田を応援しない事が理解出来なかった。

 白いスーツ姿の男と共に健太郎が会場から姿を消す。

 比呂子はそれを静かに見つめていた。

 

 病院に搬送された蜂須賀に同行し、待合室にいた健太郎は蜂須賀の意識が戻った事を知らされる。

 ベッドの上で目を覚ました蜂須賀は、朦朧とする意識の中で自分が敗北した事を悟った。

「俺は……負けたんですね」

 

 蜂須賀の頬に涙が伝う。

 今日と言う日を迎えるまでに行った数々の練習。

 ただひたすら人生をボクシングの為に捧げてきた蜂須賀だったが、勝利の女神が彼に微笑む事は無かった。

 

 (小手先のテクニックを用いる事が苦手だったワケじゃない。

 俺だって技術は磨いてきた。

 土田の技術が飛び抜けていたんだ。

 俺は負けるべくして負けてしまった……)

 

 己の傍らに羽生がいる事を確認した蜂須賀は、羽生の方に視線を向けた。

「覚悟は出来ています。

 俺は会長の期待に応える事が出来ませんでした。

 血生会からの追放も受け入れます。

 どんな罰が下ろうと俺は抗議するつもりはありません」

 

 蜂須賀はそう言ってゆっくりと手を伸ばし、伸ばしたその手を羽生がしっかりと握り締めた。

 

「馬鹿野郎。

 お前はベストを尽くしたんだ。

 お前がリングに上がるまでにどれだけ頑張ってきたかと言う事は俺が一番よく解っている。

 試合においても土田と対等以上に渡り合った。

 一時追い詰めた瞬間すらあった。

 もっと強くなれれば、必ず土田を倒せる。

 俺にはそう見えたぜ……また、一から出直しだな」

 

 羽生もまた涙を流していた。

 もう一方の手を伸ばし、蜂須賀は両手で会長の手を握り返す。

「俺を……許してくれるんですか?

 あんな無様な負け方をしたこの俺を」

 

「俺の方から頼む。

 辛いだろうがもう1回立ち上がって挑戦してくれ。

 うちのジムからチャンピオンが輩出されれば他の選手達のモチベーションも上がる。

 今はお前が血生会の希望なんだ。

 今はゆっくり休んで、体力を回復してくれよ」

 

 ホッとしたのか再び意識を失った蜂須賀の顔は、僅かに笑みを浮かべていた。

 

「雨宮。土田と言う男は強いな……

 お前も俺のボディーガードを務めるんだ。

 もっと強くなれよ。

 手段を選ばず強くなれ。

 出来るのであれば、土田から教えを乞うのも構いはしない」

 

 驚いて思わず羽生の顔を見つめた健太郎の顎に、羽生がそっと手を添える。

 

「常識に縛られていてはこの世を楽しく生きる事なんて出来ないんだぜ。

 強くなれ。

 そして恥を恥と思うな。

 泥を啜ってでも強くなる為の努力を続けるんだ。

 そうすれば、お前も土田と肩を並べられる程の力を手に入れる事が出来るかもしれねぇ」

 

 その爬虫類の様な瞳からは、健太郎に対する期待とそれ故にかける重圧が感じられた。

 蜂須賀の敗北は他人事では無い。

 捨てられない為には自分も強くならなければ。

 健太郎はさらに強くなり、血生会の為に貢献する事を誓った。

 

 自宅に戻った後、健太郎は比呂子との距離がますます遠ざかっている事を認識した。

 家庭の中での居場所が確保出来ず、両親も恐ろしいものを見る様な目で健太郎を見ている。

 明らかに避けられていた。

 身体から放たれる危険なオーラは既に隠す事が出来なくなっていたのだ。

 

 (ああ、俺は姉貴の事が好きなのに、時間が経てば経つ程どんどん嫌われていく……

 どうすれば昔の様に姉貴に褒めてもらえるんだろう。

 金か……金が必要だ。

 だが今の俺には金を稼ぐ能力が無い。

 女はいても給料とかは一切貰っていないからな。

 姉貴の夢を叶える為には大金が必要だって言うのに……

 どうすればいいんだ)

 

 自室に篭もり、頭を抱えていた健太郎の耳に、ノックの音が響く。

 

「健ちゃん、扉を開けなくてもいいから聞いてくれる?

 今日の夜、貴方はZEROドームにいたでしょう。

 マスクをしていてもすぐに健ちゃんだって解ったわ。

 どうしてあそこにいたの?」

「そ、それは……」

 

 健太郎も特定の暴力団に所属しているからその陣営を応援するしか無かった、とは言えなかった。

 

「土田さんにお世話になった事は健ちゃんだって忘れてはいないでしょう。

 その相手を応援するだなんて……

 健ちゃんはそんな子じゃ無かった」

 掠れた声で聞こえてくるその言葉に、健太郎の怒りが爆発する。

 

「俺には俺の都合ってモンがあるんだよ!

 ほっておいてくれ。

 俺は弱い自分が嫌いだった。

 あの人はそんな俺を強くしてくれたんだ。

 虐められている自分からさよならさせてくれたのはあの人だ。

 応援して何が悪い!!」

 

 強くドアを叩き、思いのたけをぶちまける健太郎。

 だがその直後にハッと我に返った。

「……ごめんなさい」

 

 すすり泣く様な声が遠ざかり、比呂子の気配が消えていく。

 健太郎は自分が大好きな姉を傷付けてしまった事を悟り、自分の情けなさを呪った。

 

「馬鹿、馬鹿!

 俺の大馬鹿野郎。

 何で相手に対して喧嘩腰で対応する事しか出来ないんだ。

 しかも相手は姉貴だぞ。

 暴力が大嫌いな姉貴にあんな事を言ったら逆効果だって事は解ってるのに!」

 

 崩れる様にベッドに倒れ込み、頭を抱える健太郎。

 姉に振り向いてもらいたかった。

 昔の様に褒めてもらいたかった。

 

 金が欲しかった。

 今の健太郎はどんな手を使ってでも金が欲しかったのだ。

 その時机の上に置いてあった携帯電話が鳴り、健太郎は通話ボタンを押す。

「もしもし」

『雨宮健太郎君、よね?』

 

 聞いた事の無い声だった。

 若い女の声に健太郎は戸惑う。

「あんたは誰だ」

 

『私の名前は黒沢美香。

 貴方に耳寄りな情報があるの。

 貴方もこれからの人生何かとお金が必要でしょう?

 貴方が格闘ゲームでそれなりの結果を出した事があるのは知っているわ。

 私に加勢して、私の望む結果を出してくれれば1000万の勝利給を払うわよ』

 

 渡りに船、願っても無い話だった。

 1000万もの大金があれば姉の夢が叶う。

 自前のファンシーショップを持って商売がしたいと言う姉の夢が。

「その話、詳しく聞かせてもらいたいな」

 

『ええ、構わないわよ。

 明日の昼、プラナスの本社ビルに来て頂戴。

 東京都の一等地に建っているビルだから、まさか場所が解らないと言う事は無いわよね?

 貴方が勝ってくれれば私も私の理想を実現する事が出来る。

 貴方の参加を心待ちにしているわ』

 

 通話を終えた健太郎の表情は晴れやかだった。

 姉との関係が修復出来るかもしれない。

 その判断が真逆の結果を生み出してしまうと言う事を、この時の健太郎は知りもしなかった。

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