※この作品はR-18です。

ZERO ~格闘ゲームに翻弄される者達~   作:夜月光介

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普段書かない類の話なので、書くのに結構苦労しました。
どういう武器なら1人で多人数を蹂躙出来るかとか、
そんな強い人間がやられる状況ってどういうものかとか
考えながら話を作ってましたね。


番外編 1573 血戦の宴

【1573年 1月25日 午後9時 遠江国(とおとうみのくに)敷知郡(ふちぐん)三方(みかた)ヶ原 銭取森(ぜにとりもり)】

 

 この日の朝から降り続いていた雪は、夜になっても止む気配が全く無い。

 既に森の中も雪景色となり、歩く事すら困難になる程だった。

「恐らく、武田の兵は森の中での不意討ちを避け森の外に兵を置いているであろう。

 闇雲に逃げれば殺されるだけだ。

 洞穴を見つけて朝までやり過ごす事が出来れば良いのだが……」

 

 現代ならば長靴が必要になる程の雪を踏みしめ、黒装束を着た数名の男女が音を立てぬ様注意しながら歩いている。

 皮肉な事に、通常の闇夜ならば身を隠してくれる黒装束も雪化粧を纏った木々のせいで凄まじく目立っていた。

「仲間は生き残っているのでしょうか」

 背の高い髭面の中年男性に黒髪の女性がそう尋ねたが、男は少しの間だけ目を瞑り溜息をつく。

 

「解らぬ。

 武田の猛攻を受けて饗談は崩れてしまった。

 50名と言う大所帯で大戦に臨んだものの、最早それ程多く生きてはおるまい。

 最悪の場合、我々以外は全滅と言う事も充分考えられる」

 男は疲れた様な表情を浮かべ、閉じていた目を開けると天を仰いだ。

 

 徳川・織田連合軍壊滅。

 織田家を滅ぼす為に信玄が動員した兵数は3万。

 対して徳川の兵力は6000。

 信長は徳川が敗れれば自らの身も危ういと2万もの兵を援軍として送ったが、兵力を上手く分散させた武田軍によって各個撃破されていた。

 そして、徳川の本隊5000と織田の援軍5000は、浜松城に篭もり様子を伺っていたのである。

 

「既に二俣城(ふたまたじょう)も敵の手に渡った。

 二俣城に篭もっていた別動隊は降伏したらしい」

 徳川家康は味方からの報告を聞くと、厳しい表情を浮かべていた。

 作戦会議室と化した大広間には家康を筆頭に徳川四天王が居並び、その反対側に援軍として派遣された4名の有力武将が鎮座している。

 

 平手(ひらて)汎秀(ひろひで)・水野(みずの)信元(のぶもと)・林(はやし)秀貞(ひでさだ)・佐久間(さくま)信盛(のぶもり)の4名。

 平手汎秀は織田家の元重臣政秀の孫であり、この戦いで戦果を挙げ信長を助けようとしていた。

 

「城に篭もっている兵の数は合計1万。

 信玄は浜松城を落とし、我が軍を壊滅させようと向かってくるハズじゃ。

 浜松城にありったけの食料を備蓄し、城攻めに対する備えも済ませておいた。

 城攻めにて篭城している側を壊滅させる為には3倍の兵力が必要。

 しかし信玄が最大兵力をこの城に向かわせるとは考えにくい。

 武田が城攻めに苦戦している間に、道三殿と長政殿の援軍が到着する手筈となっておる。

 数日耐えれば数千の援軍であっても武田を挟み討ち。

 勝つ事も決して絵空事では無い」

 

 この世界では斎藤道三の部下と浅井長政の部下が合流し、第二次援軍として三方ヶ原に向かっていた。

 当然すぐに向かえば武田軍に潰されてしまうので、敢えて到着する日時をずらしたのである。

 

「二俣城は兵糧はおろか水まで断たれて数日で陥落した。

 同じ轍は踏まぬ。

 予め水を運び込み、全ての兵が飲んでも10日は持つ様に準備を整えた。

 全ては信玄に勝ち、徳川の領土を脅かされぬ様にする為じゃ」

 

 徳川が壊滅すれば、付近の領土は全て武田家の支配下に置かれてしまう。

 信長にしてみれば喉元に刃を突き付けられる様な事態。

 何としてもその最悪のシナリオだけは回避しなければならなかった。

 

 1月25日、午後2時50分。

 武田信玄率いる本体が、浜松城付近に兵を進めてきた。

「た、武田の本体が近付いております!」

「落ち着け、兵はどれ程おる」

 

 目の良い伝令兵はそっと顔を出し、武田軍の兵数を確認する。

「正確な数となると解りませぬが、およそ2万。

 2万より少し多いか少ないかと言う所かと」

 

 家康は立ち上がり、部下達に発破をかけた。

「よぉし!皆の者、今こそ三河(みかわ)武士(ぶし)の底力を見せる時ぞ!

 この城を落とす為に、信玄はありとあらゆる手を使い揺さぶりをかけてくるに相違無い。

 しかし、我等は城の中でひたすら耐えれば良いのだ。

 攻めより守りの方が優位であるのだからな」

 

 徳川軍が希望を見出す一方、織田軍の佐久間信盛はこの作戦に不満を感じていた。

 (天下の織田が徳川と組んでいると言うのに、籠城し徹底抗戦だと?

 これでは例え勝ったとしても諸大名に『織田も大した事は無い』と舐められてしまうではないか。

 敵を正面から斬って潰してこそ織田が世の覇者である事を世に示せると言うものぞ)

 そんな信盛の不満に応えるかの様に、信玄は浜松城を素通りしてしまう。

 

「良いのでございますか?

 城を素通りすれば、背後から奇襲を受けるやもしれませんぞ」

 重臣、山県昌景にそう進言された信玄は笑いを抑えようと懸命になっている様な表情を浮かべた。

 

「解り切っている奇襲を防ぐ事など造作も無い。

 我等がすべき事はたった1つ。

 全速力で第二の援軍を蹴散らし、信長の喉元に喰らい付く事じゃ。

 奴が城から出ぬのならそれも良し。

 織田が滅べば連鎖的に徳川も滅ぶ。

 選ぶのは当然城から出て我等を追う事のみ。

 のこのこ出てきた奴等を魚鱗の陣で迎え撃つ」

 

 信玄は部下に三方ヶ原方面へ向かう様命令し、浜松城から遠ざかっていく。

 あっと言う間に消えていく武田軍に対して、籠城は最早意味を成さなかった。

「これは我々に対する侮辱ですぞ。

 すぐに追いかけ、挟撃せねばなりますまい」

 信盛は背後からの強襲を提案し、家康の部下達の中にも同じ意見を言う者が多く出る。

 

「その通り。

 素通りされてそのままでいるのは我等三河武士の恥」

「信玄坊主は織田の本丸に向かっております。

 叩かねば京の街が火の海と化しますぞ」

 

 信玄が家康を軽んじ、怒涛の勢いで織田の本隊を撃破しようとしていた。

 病による身体の衰えを察知していた信玄には時間が残されていない。

 そんな電撃作戦の中でも、武田軍は盤石の勝利を目指していた。

 

 (篭もっていても負け、出ても負け。

 我等の勝ち筋は援軍との挟撃が成功する事だけ。

 だが、援軍の到着が何時になるか解らぬ状態では、どう転んでも勝てぬ)

 

 斎藤と浅井の援軍が本当に来るのかも判然としない状況下で、織田の滅亡を見届ける。

 座して死を待つ様な生き方だけは家康もするべきでは無いと思っていた。

「皆の者、出陣じゃ!

 三方ヶ原に向かっているであろう武田を背後から討つ!!」

 

 家康は檄を飛ばし、部下達は城内で鬨の声をあげる。

 その直後、連合軍1万は浜松城に僅かな兵を残し進軍した。

 

 2時間後、そこには地獄の様な光景が広がっていた。

 待ち構えていた武田軍の騎馬隊に連合軍は蹂躙され、成す術無く惨敗。

 平手汎秀は奮戦するも戦死。

 佐久間信盛はその間に逃亡する。

 

 優秀な家臣達は家康と徳川四天王を守る為盾となりことごとく死亡。

 家康は僅かな手勢だけで浜松城へと逃げ帰り、武田は堂々たる勝利を収めた。

「我等も随分と見くびられたものですな。

 後ろから叩けばどうとでもなるなどと」

 

「自棄(やけ)になっていた事は否めぬな。

 援軍も我等の勝利を耳にして逃げ帰ったらしい。

 儂には時が残されておらぬ。

 一刻も早く京へ向かい、上総守の骸の上に武田の御旗を立てねば……」

 

 信玄は家康にとどめを刺す時間も無いと判断し、引き返す事無く進軍を続ける判断を下す。

 だが不安材料が残っている事も事実であった。

「御館様。

 三方ヶ原で戦っていた時に饗談も織田の戦列に加わっておりました。

 武田の赤備により蹴散らしはしましたが、恐らく生き残りがいるかと」

 

 赤備の指揮を任されていた昌景がそう言うと、信玄は顎に手を添え考え込む。

 (織田の忍は家康の様に放置してはおけぬ。

 我等の脅威と成り得る存在は排除しておかねば……

 かと言って軍の中から人員を割くのも愚策じゃ。

 忍には忍をぶつけるべきぞ)

 

 信玄は病が進行していた為馬に乗る事が出来ず輿(こし)に乗っていたが、それでも幾分張った声で命令を下した。

「数名の足軽と共に月黄泉(つくよみ)を銭取森に送りこめ。

 饗談の生き残りを始末する任務には適任じゃ。

 他の歩き巫女は本隊に同行させる」

 

 山県昌景は納得したが、一部の者達からは不安に思う声も出る。

「手練の歩き巫女とは言え、たった1人とは無謀に過ぎるのではありませぬか?」

「饗談の息の根を完全に止めるのであれば、歩き巫女の数を増やすべきです」

 信玄はそういう意見が出る事は理解出来るとしたうえで、命令の内容を変えはしなかった。

 

「心配は無用ぞ。

 月黄泉は1人で10人分の働きが出来る女。

 織田との決戦に向け戦力を温存すべき時に、この女子(おなご)の力が役に立つ」

 信玄は味方からの吉報を確信しつつ、本隊を前へと進めていった。

 

 足軽や雑兵がどれだけ生き残っているかも怪しい状態だった。

 震えながら浜松城へと帰還した家康は、わざと城門を開け放つ『空城(くうじょう)の計』で生き残りを図る。

 三方ヶ原は織田・徳川連合軍の屍で血に染まり、饗談にも多数の死傷者が出ていた。

 味方の身体を張った行動で難を逃れた忍達は、浜松城に帰らず銭取森に身を潜める道を選ぶ。

 屈強な山賊達がいると言う銭取森ならば、敵も近付きにくいと判断したのだ。

 

「油断するな。

 十年以上に渡りこの森では山賊が幅を利かせてきた。

 男は金を巻き上げられた後殺され、女は身ぐるみ剥がされた後手籠めにされると言う。

 こちらが傷を負っている以上、奴等の方に分があると思うべきぞ」

 50名もの大所帯を率いていた忍頭、白鷹(はくたか)は周囲を見渡し、安全を確保しながら進んでいた。

 

「しかし雪の中では奴等もそこまで素早い動きは出来ますまい。

 鍛え上げられた体術と剣術があれば、山賊など恐れる必要はありませんよ。

 なぁ猫」

 へらへら笑いながらそう言う若い忍に対して、呼びかけられた女忍者は無言を貫く。

 

「何だよ。

 無視ってのは無ぇだろう。

 俺は少しでも場を和ませようと思ってるんだぜ。

 ただでさえ危機的状況にあるってんだからさ。

 元気を取り戻さなきゃ……

 生きて帰れたら温かい雑炊でも啜りましょうよ。

 芋とか入れると滅茶苦茶美味いですし」

 

 一般的に忍は口数が少ないと思われる事が多いが、お喋りな忍も存在する。

 この戦が織田の命運を賭けた総力戦と言う事もあって、普段戦の場に赴かない忍も参戦していた。

 舌禍(ぜっか)もその内の1人で、普段は旅芸人に扮して情報を得る役目を担っている。

「静かに」

 人の気配を感じた白鷹が木々の後ろに隠れる様命じると、彼等は素直に従った。

 

「へへッ、お頭も喜んでたな……

 あの兜と鎧の多い事多い事」

「ありゃあ高値で売れるぜ。

 きっと森にも隠れてる奴等がいるに違いねぇ」

 

 雪の降る夜の森の中を、3人の男が歩いてくる。

 その手には斧や鉈が握られていた。

 (くそッ、死肉を貪る蝿どもめ。

 連合軍の死体から鎧を剥ぎ取りに来たのだな)

 だが逆を言えば、寒い森の中で防寒対策を施している彼等の服を奪う事も可能と言う事である。

 

「あっちの方にいそうだな。

 隠れるならうってつけだ」

「女がいればいいんだがなぁ。

 もしいたら俺のでとことん可愛がってやるぜ」

 男達が白鷹達の隠れている方へと近付いてくる。

 

 (見つかってはいないのか……?

 ならば近付いてきた所で不意を突く形で倒すべきか)

 白鷹は存在が露見しない様に指で指令を出し、忍達は山賊が接近するまで待ち伏せた。

 

「おい、誰かいるみたいだぞ」

 木の背後に隠れている人間の気配を察知した山賊が鉈を手に持ったまま身構える。

 これまでと思って饗談の忍達が飛び出そうとした瞬間、山賊の1人が頭蓋を撃ち抜かれた。

「だ、誰だぁッ!」

 狼狽して辺りを見回す2人の山賊。

 

 その山賊2名もその1発目の銃撃から間を置かずに撃ち殺される。

 (み、味方か……?)

 白鷹は山賊を撃った者が敵か味方か解らず、どう動けばいいか迷った。

 

「山賊が落とした武器、持っておいた方がいいですかね」

「姿勢を低くしろ。

 相手が敵である可能性も充分残っている」

 舌禍は自分の所持している武器が壊れてしまっていた為、斧や鉈を持っておきたかった。

 狙われない様、姿勢を低くして山賊の死体に近付いていく。

 

 (こりゃ地獄で仏だな。

 ついでに上着も剥ぎ取っておくか?)

 死体から剥ぎ取る事を生業にしている山賊から服を剥ぎ取ろうとする舌禍。

 上着を剥ぎ取り、斧を手にした後『敵』に背中を向けた。

「駄目だ、立つな!」

 

 武器を手に入れたと言う安堵感から、舌禍は姿勢を少し高くしてしまう。

 相手はその気の緩みを見逃す事無く彼の頭を綺麗に撃ち抜いた。

「敵は間違いなく向こう側にいる。

 距離を取って逃げるんだ」

 

 山賊を撃った相手が敵である事が解れば、合流する必要など全く無い。

 白鷹は狙撃される事を恐れ、姿勢を低くして走る様部下に命じた。

「このまま集まっていると敵の的になるだけだ。

 散るしかあるまい。

 妖、万が一儂が戦場から消える様な事になった時はお前が生き残っている者達の指揮を取れ」

 

「了解致しました」

 夜霧の妖と言う名を持つ上忍は頷くと、相手を攪乱させる為煙玉を木の枝に突き刺す。

 噴き出す煙に紛れて、敵から逃げる作戦だった。

 その場にいた黒猫(くろねこ)、狼煙(のろし)、白鷹、妖の4人はバラバラの方向へと散っていく。

 しかし姿勢を低くしていたにも関わらず、黒猫がまたもや頭部を撃ち抜かれてしまった。

 

 (馬鹿な、常人の視力では考えられん。

 しかも何発も連続して撃っている。

 こんな神業の様な狙撃が可能なのか?

 悪い夢を見ている様だ)

 

 白鷹は敵の実態が掴めない事に対して思わず身体を震わせる。

 姿を捉えられぬまま、犠牲者だけがどんどん増えていった。

 

「まずは2人片付いたか。

 余計な奴等がいたが、あいつらは私の獲物だ。

 部外者には退場してもらう」

 漆黒の忍装束に身を包んだ女はそう言うと、味方である足軽から火縄銃を受け取った。

 

 短い黒髪に小麦色の肌。

 女性にしては非常に背が高く、引き締まった筋肉質の身体つきをしている。

 

「月黄泉(つくよみ)様、次の火縄の準備が出来ました」

「次は誰を狙ってやるかな?

 まだあそこに3人も残っていた。

 この森から生きては帰さんぞ」

 

 足軽から何時でも発射が可能な状態となった火縄銃を受け取り、月黄泉は目を凝らす。

「あそこに人影が見える。

 上手く私から隠れたつもりか。

 すぐに楽にしてやろう」

 

 この時代の女性としては珍しい六尺(約180cm)以上の高身長。

 開けた場所ならばすぐに彼女を目視出来るだろうが、雪の降る森の中では彼女の姿を肉眼で捉える事は難しい。

 しかし月黄泉の方は驚異的な視力と洞察力で相手の位置を把握していた。

 

「手応えあり」

 相手が倒れた事を確認すると、月黄泉は足軽から新たな武器を受け取った。

 

 菜種(なたね)と息吹(いぶき)、そして廓(くるわ)は狼煙が撃ち殺された瞬間を目撃していた。

「相手は火縄を連射している。

 音が続けて何発も聞こえたわ」

「敵が大勢いれば流石にいる場所が解るでしょうけど……

 少数精鋭と考えるべきかしら」

 

 狼煙の倒れ方からおおよその撃たれた方向を予想し、姿を晒さない様に隠れる。

 廓は目の前で仲間が撃ち殺されたと言う事もあり、すっかり震えあがっていた。

 

「気をしっかり持ちなさい廓。

 貴方に戦闘能力がまるきり無いのは解っているけど、今は緊急事態なのよ」

「俺なんかがココに駆り出されたのが間違いなんですよ。

 逃げる事しか出来ないのに」

 

 廓は陽動や密書運びに適した技量、即ち素早く走る力を備えている。

 敵の陣地に潜り込んで情報を収集して戻る為には、敵に捕まらない事が第一だった。

「菜種、武器はどれ位残ってる?」

 

「敵から逃げる為の煙玉、手裏剣は全て使い果たしたわ。

 持ってるのは小刀だけ」

 息吹も似た様な状況だった。

 寒さで体力を奪われ、戦うだけの力も残っていない。

 

「廓、貴方と私で敵を陽動して逃げる。

 相手を攪乱しなければ逃げられないわ」

 息吹には『声真似』の能力があった。

 様々な動物の声を真似る事で敵を油断させる為の能力だ。

 

「貴方が走るのと反対方向に向けて、私が狼の遠吠えの声を出す。

 その隙に菜種が敵の位置を割り出して。

 狙撃される前に接近戦に持ち込まないと」

 菜種は了承したが、廓は死を恐れてその場から動けない。

 

「勘弁してくださいよ。

 動いたら撃たれて終わりじゃないですか」

「ココで動かずにいても凍死するだけでしょ。

 いいから私の言う通りに動きなさい。

 どうしても敵の的になりたくないって言うのなら私が先に動くから」

 

 そう言うと息吹は敵がいると思われる方向に向かって思い切り吠える。

 菜種に睨まれた廓は渋々その声とは逆向きに走り出した。

 

 風を切る音。

 凄まじい速度で迫る謎の影。

 菜種がその物の姿を捉えようとした時には、息吹と廓の頭が地面に落ちていた。

 菜種は何故そんな事になったのか意味が解らず恐慌状態に陥ってしまう。

 

 (な、何なの!?

 突然何かが飛んできて息吹と廓の首を刈り取った。

 何が飛んできたと言うの!?)

 その切れ味の鋭さからして、鋭利な刃物で首を落とされたのは間違いない。

 

 しかし、それが何だったのか菜種には全く見えなかった。

 風を切る様なヒュンヒュンと言う音しか聞こえなかったのだ。

 この戦国の世において、当然ドローンの様な遠隔操作の機械があるワケが無い。

 菜種は必死に左右を見渡して安全かどうかを確認すると、この場を離れる為走り出した。

 

「ごッ」

 敵に背中を向けていた菜種は勢い良く飛んできた巨大な槍に身体を貫かれる。

 人間の力を超越したかの様な速度で飛んできた槍はそのまま菜種ごと樹木に突き刺さって動きを止めた。

 

 長い槍と持ち手の部分以外が刃物になっているブーメラン。

 月黄泉の最大の武器はその並外れた腕力だった。

 離れている敵に対してその武器を飛ばし、相手の首を刈り取る。

 

「わざわざ声を出して存在を教えるなんて間抜けな忍もいたものだ。

 私の『戻り刃(やいば)』の標的にしかならない。

 投げ槍で残りの1人も仕留める事が出来た」

 

 足軽達は火縄銃の他に多数の武器を所持しており、それを月黄泉に手渡している。

「月黄泉様だけは敵に回したくないものですな。

 どんな相手でも倒す事は出来ないでしょう」

 

「当たり前だ。

 私を誰だと思っている。

 御館様の信頼を受け、饗談の殲滅を任された。

 私が奴等を一方的に殺すだけだ。

 私達もそろそろ移動するぞ」

 

 さらに多くの敵を見つける為に、足軽を連れその場を離れようとする月黄泉。

 彼女の目の前に2人の女性が立っていた。

「やっと見つけたわ、武田の歩き巫女」

「仲間の仇を取らせてもらう」

 

 紫色の長髪を持つ若い女と、濃い藍色の短い髪を持つ若い女の2人。

 その手には短刀と日本刀の中間の長さ程の特殊な刀が握られていた。

 長い髪の女性はその刀を2本持ち、短い髪の女性は疑問符の様な形をした奇妙な形の刀を持っている。

 

「月黄泉様、如何致しましょう」

「お前達は下がっていろ。

 あの2人に殺されたくなければな」

 月黄泉は足軽達を自分の背後に回らせ、女性2人と対峙した。

「これから殺される者の名前に意味など無いが、一応お前達が何者であるか聞いておこう」

 

「饗談の忍、風雅(ふうが)」

「奏(かなで)。

 私達も同じ気持ちだ。

 お前に名を名乗っても問題は無い。

 お前達を殺すのだから」

 

 ジリジリと間合いを詰めようとする2人。

 月黄泉の手には何時の間にか両端に刃の付いた薙刀が握られていた。

 

「不知火(しらぬい)様、気をしっかり持ってください」

 森の中を彷徨う2つの影。

 若い女性が髭の生えた男を支えて歩いている。

 

 彼女の名前は凛(りん)。

 饗談の虹忍である妖の後輩にあたるくのいちで、妖を心から尊敬していた。

 戦場で傷を負った狙撃の名手である不知火を連れ、何とか森に逃げ込む事に成功する。

 だが時折聞こえる銃声が、この森も安全では無いと言う事実を告げていた。

 

「俺が腕に傷を負ってさえいなければ、火縄を撃っている奴を倒す事が出来るんだがな……」

 背中に傷を負い、腕も上手く動かない。

 愛用していた火縄銃も戦場から逃げる時に失ってしまった。

 出血が酷く、適切な治療を施さねば命が無い。

 

 凛は先輩である不知火を生かそうと懸命に歩いていた。

「不知火様は私に色々な事を教えてくださいました。

 何としても貴方を助けます。

 妖様も、きっと同じ事をしたでしょう」

 

「俺を置いていけ。

 今の俺は足手まといになるだけだ。

 お前の生存率が大幅に下がるぞ」

「嫌です。

 例えそうだとしても、仲間を見捨てる様な薄情な人間にはなれません」

 

 今回三方ヶ原に派遣された饗談の中では20歳と相当に若い凛。

 18歳の菜種が尊敬する程武芸に秀でており、妖と同じ二刀流を得意としていた。

 

「何としてでもココを脱出しましょう。

 不知火様と私の2人で……

 妖様は既に森を抜けているかもしれませんね。

 私よりずっと優れた御方ですから」

 

 敵の狙撃の的になる事を恐れながらも、時間が無い為なるべく急いで移動する。

 目の前で大切な人を死なせたくは無い。

 その思いだけが凛を支えていた。

 

 特殊な形状の刃物である誘蛾刀(ゆうがとう)は相手の肩や腕に引っ掛け、そのまま切り裂くと言う用途で使用される。

 だが奏は月黄泉の肩や腕に触れる事すら出来なかった。

「どうした、お前の力はそんなものか?」

 腕や肩に引っ掛ける事が出来ると言う事は、相手が武器によって引っ掛ける事も出来ると言う事。

 月黄泉は薙刀の先端を曲がっている刃に当てて勢いよく弾き飛ばし、一瞬の隙を突いて奏の胸を貫いた。

 

「奏の仇ッ!」

 その隙をさらに突く形で風雅が横から攻めるが、月黄泉は自分の武器をあっさり手放して後ろに飛んだ。

「よこせ」

 足軽が用意していた火縄銃を受け取ると、狙いを定め引き金を引く。

 だが、風雅も銃を撃たれる事が解っていながらむざむざやられはしない。

 

 相手が確実に息の根を止められる頭蓋を狙っている事を察知し、うつ伏せに倒れる形で回避を行う。

 風雅が起き上がった時には、月黄泉が再び薙刀を握り締めていた。

「少しは出来る様だな。

 私の狙撃を至近距離で避けたのはお前が初めてだ」

 あれ程激しく動いていたと言うのに、月黄泉は汗を殆どかいていない。

 

 (私や奏を赤子扱いするとは……

 刀が奴の身体に掠りもしなかった。

 本気で戦わなければ、勝てる相手では無い。

 持てる力の全てを発揮して奴を倒す)

 

 2本の刀を握り締め、風雅は息を整えると自分の目の前に刀を持ってきて構えると言う特殊な構え方をした。

「演舞殺法か。

 2本の刀を鞭の様に振り回し、敵を切り裂く必殺の剣法。

 だがその代償として、極限まで体力を消耗すると言う致命的な欠点がある」

 

 月黄泉の所持している薙刀は特殊な構造になっており、中央の部分が外れる様になっている。

「お前の『お遊び』に付き合ってやろう」

 2つに分かれた薙刀を両手に持ち、邪悪な笑みを浮かべる月黄泉。

 

 (まさか……この女も演舞殺法を!?

 本来は限られた忍にしか伝えられていない秘伝の剣法のハズ。

 私とこの女の『先祖』は同じである可能性があると言う事か……

 だが殺し合いに情けは無用!)

 風雅は叫びながら相手に向かって飛びかかっていった。

 

 火蛇(かだ)は、森の中で女性の叫び声を聞いた。

「あれは風雅か?」

「多分そうだろう。

 演舞殺法で敵と戦っているに違いない」

 

 山勢(やませ)はそう言うと、腕を組み考え込んだ。

 比較的妖と歳が近く、信長に仕え始めた時期も同じだった事から彼女とは親しい。

「今から彼女を助けに行こう。

 お前の火遁の術で奴を囲む事が出来れば……」

 

「無茶な事を言うなよ。

 確かにココは森の中だが、今は雪が降ってるんだぜ?

 こんな水分を含んだ木が燃えるかよ。

 燃えたとしてもすぐに消えちまうさ」

 

 火蛇の得意技は『火遁の術』であった。

 粘性の液体を常に瓶の中に詰めており、その液体には可燃性がある。

 普段はその液体を地面にまいて火をつけ、相手が動揺した所で倒したり逃げたりするのが常套手段だった。

 

「だが、指を咥えて期待するだけってワケにもいかんだろう。

 敵はかなり強そうだ。

 どうにかして戦っている奴の注意をそらせる事が出来ればいいんだが……」

 2人は手近な『燃えるもの』を探して付近をうろついていたが、やがてお目当てのものを見つける事が出来た。

 

「もう諦めて楽になったらどうだ?

 私とお前の力には蟻と熊程の差があると言うのに」

 月黄泉はそう言って風雅を嘲笑ったが、彼女には言い返すだけの体力が残っていなかった。

 

 (化け物め……

 私と同じだけ動いているのに、全く動きが鈍る気配が無い。

 このまま戦えば敗北は濃厚。

 かと言って逃げれば背中を撃たれる。

 私の取るべき道は……1つ!)

 

 傷を負い、ふらつく足を無理やり動かして月黄泉に近付いていく風雅。

「引導を渡してやろう」

 月黄泉は両手に持った薙刀を振るい、容赦無く襲い掛かる。

 その一撃を回避した風雅は彼女を素通りし、背後にいた足軽達に刃を向けた。

 

「く、来るなッ!ぐわッ」

「ぐふッ」

 足軽達は武器こそ持っていたが彼等自体に武芸の心得は無い為、あっけなくやられてしまう。

「畜生、私では無く足軽を狙ったか。

 迂闊だった……」

 

 近くにいた5人の足軽は抵抗したものの、全員風雅に斬り殺された。

「ハァ、ハァ……」

 最早身体が全く動かない。

 風雅は覚悟を決め、目を閉じる。

「ん?」

 

 月黄泉はとどめを刺そうと近付いたが、遠くに光を見つけて立ち止まった。

「陽動作戦か。

 まだ饗談の生き残りがいた様だな」

 その隙を見逃さず、風雅は逃げようとしたが足がもつれて地面に倒れてしまう。

 

「限界まで体力を消費し、動けない程に消耗した結果だ。

 永遠に眠っていろ」

 足軽達が地面に落とした武器の1つである投げ槍を拾い、背中に突き刺す月黄泉。

 ピクリとも動かない彼女を一瞥した後、月黄泉は『戻り刃』を握り締めた。

 

「よっしゃ、燃えろ燃えろ!」

 燃える山賊の死体から離れた場所で待ち構える火蛇と山勢。

 様子を伺いに来た所で不意を突くと言う作戦だった。

 

「木に隠れていても姿勢を低くしろよ。

 調子に乗ってると撃たれるぞ」

「ああ、気を付けなきゃな……」

 だが次の瞬間、山勢は信じられないものを見た。

 樹木ごと火蛇の首が素早く飛んできた謎の物体に切断されたのだ。

 

「おいおい、冗談だろ」

 立っていても座っていても助からないと判断した山勢は咄嗟にうつ伏せになって倒れ込む。

 その姿勢になるのが数秒遅れていたら旋回して戻ってきた刃の的になった事だろう。

 雪の降る地面に突き刺さった物体がどういったものなのか、山勢には全く解らなかった。

 

 元々ブーメランと言うのは遊ぶ為の玩具では無く、狩猟用の道具として開発された。

 凄まじいスピードで飛んでいって動物に命中し、その衝撃で相手を倒す。

 

 月黄泉はブーメランの存在を知らぬまま独自にブーメランを開発し、さらに刃にする事で殺傷能力を大幅に高めた。

 その高い知能だけで無く、使用する者の腕力が並外れていなければこの武器を有効に使う事は出来ない。

 相手に拾われても使われる心配が無いと言う理想的な武器。

 それが『戻り刃』だった。

 

「2人倒した。

 残りが何人いようが全て殺す。

 例外は無い」

 月黄泉がそう言って振り向いた時、そこに1人の女性が立っていた。

 

「お手合わせして頂けますね?」

 それは不知火を木陰に隠し、敢えて彼女の前に出てきた凛だった。

 (隠れていてもいずれ見つかって殺される。

 倒さなければ活路は開けない)

 

 彼女の両手に握られている短剣2本を見て、月黄泉は再び愉快だとでも言わんばかりに笑う。

「地獄に送ってやるよ」

 再び2つに分かれた薙刀を握った月黄泉の間合いに、凛は声を発する事無く近付いていった。

 

 (妖様から教えてもらった短刀での二刀流……

 狭い場所でも広い場所でも通用する剣法。

 多くの敵を相手にしても、相手が1人であっても柔軟に対応する事が出来ると言う利点がある。

 だから私は勝てる。

 私が学んできた全てをぶつけるんだ)

 

 凛は自分自身を心の中で鼓舞しつつ、化け物の様な女性と向き合った。

「……駄目だ。

 もう息をしていない」

 木陰に座った状態で死んでいた不知火の虚ろな瞳を、白鷹は唇を噛みながら指で閉じる。

 傍らには妖がおり、親しかった友人に対して手を合わせていた。

 

「このままでは50名もいた饗談の忍が全員死んでしまう。

 1人でも良い。

 この惨状を本陣に伝え、殿に危機感を持っていただかなければ……

 妖、お前が逃げて全てを一益様に伝えるのだ。

 儂は奴と戦って時間を稼ぐ」

 

 忍者にとって大切なのは戦の勝利では無い。

 情報を味方に届ける事こそが忍者の役目である。

 武田信玄は自分達の情報が敵方に渡る事を恐れた。

 それを防ぐ為に饗談を皆殺しにしようとしていたのだ。

 

「それにお前は饗談の中でも一、二を争う精鋭。

 虹忍の一員ではないか。

 お前が死んだとなれば饗談の者達が動揺する。

 お前には生きてもらわなければ困るのだ」

 

 どんな人間でも死を恐れる。

 白鷹の肩も僅かに震えていたがやがてしっかりと前を向いた。

「共に戦いましょう。

 2人がかりであれば倒せる可能性は増えます」

 妖は白鷹を死なせたくなかった為そう言ったが、白鷹は首を横に振る。

 

「万が一にもお前を失うわけにはいかぬ。

 お前自身が解っておろう。

 これからの饗談にはお前が必要だと言う事を……

 良いか、必ず逃げるのだぞ」

 

 白鷹は刃物同士が激しくぶつかり合う音を頼りに、戦っている仲間の救援に向かった。

 1人残された妖は命令を守らなければならないと言う忍の掟と、自分の気持ちとの間で苦しむ。

 だが最後は、忍であろうと自分の気持ちに添うべきだと彼女は思った。

 

「さっきの女よりは粘るな!

 すぐに終わってしまうものかと思っていたが」

 鬼神の如く立ち塞がる月黄泉の姿は、凛には見た目以上に大きく見える。

 

「私には、追い付きたい……

 追い越したい人がいるんです。

 その人の為にも負けられません」

 そう言って構えたが、凛の体力は既に限界を迎えていた。

 

「足掻いた褒美だ。

 苦しむ事無くあの世へ送ってやろう」

 大振りでありながらも速い一撃が凛に襲い掛かる。

 何とか後退しながらその攻撃を受け続けたものの、背後にあった樹木にぶつかり逃げられなくなった。

 

「終わりだ!」

 月黄泉はそう言ってとどめを刺そうとしたが、何かの気配に気付き獣の様な直感に従って横へと飛ぶ。

 後ろから刀で相手を刺そうとした白鷹は勢い余って凛へと突進してしまった。

「あッ……」

 

 足が震える程体力を失っていた凛はその攻撃を避けきれず、刀が胸に刺さってしまう。

 狼狽する白鷹の首を薙刀で斬り落とした月黄泉は大声で笑った。

 

「ハハハハ!

 馬鹿め、私を後ろから襲おうとして味方を殺してしまうとは!

 とんだ茶番劇を見せてくれたものだ。

 さぁ、今度こそ確実に息の根を止めてやるぞ」

 

 惨めとしか言いようの無い敵の失態。

 最早自らの勝利を確信しきっていた月黄泉は、大事な所で油断してしまった。

 薙刀を振り下ろそうとした刹那、気配を消して近付いていた男の毒針が首筋に刺さる。

「貴様ッ!?」

 月黄泉は素早く男のいる方向を向き相手の背中を斬ったが、次の瞬間全身がガタガタと震え出した。

 

「この私が……負けた?

 不意討ちで負けただと!?

 そんな、馬鹿な事が……」

 白目を剥き、泡を吹いて倒れる月黄泉。

 武田家最強の歩き巫女にしては、あまりにもあっけない最期だった。

 

 山勢が妖から受け取っていた『ある物』が、月黄泉を倒す為の鍵となった。

「私はこういう武器を扱うのが不得手なの。

 貴方に渡しておくわ」

 数秒で相手を殺す程の猛毒が塗られた針。

 蟲毒の鈴が作った特製の武器を妖は山勢に預ける。

 

 その気まぐれが饗談を救うきっかけとなった。

 妖の親切が彼女自身の命を救ったのだ。

「妖様、申し訳ございません……」

 妖が現場に駆け付けた時、凛は絶命寸前と言う状況だった。

 気力を振り絞って言葉を発した後動かなくなった凛に対して、妖は手を合わせる。

 

 (山勢は……

 深手を負っているけれどまだ生きているわ。

 とにかく傷の手当てをしないと)

 妖はうつ伏せの状態で倒れていた山勢を背負うと、落ち着ける場所を見つける為に歩き始めた。

 

 山勢が意識を取り戻した時、2人は洞穴の中にいた。

「熊には悪いけど、この洞穴を譲ってもらったわ。

 奴の槍を使ってね」

 地面から天井まではおよそ1m20cm。

 寝そべれば問題は無いが立てる様な場所では無い。

 

「火縄が使えたら良かったんだけど雪の中に落ちて全部駄目になっていたから……」

 外は相変わらず雪が降っており、かなり大きな熊の死体が半分雪に埋もれていた。

 その背中には何本もの『投げ槍』が刺さっている。

 

「お前、あんな大きい熊を倒したのか」

「考えもせず相手を殺す為に突っ込んでくると言う点では、歩き巫女より楽な相手でしょ」

 洞穴の中には『投げ槍』や『戻り刃』、そして月黄泉が来ていた忍装束が置かれていた。

「それは?」

 

「せめてもの仕返しよ。

 奴の服を引ん剥いて裸にした後その死体を木に吊るしておいた。

 これ以上無い辱めになる。

 それに、この忍装束はこれからの饗談にとって必要になると思って」

 

 服の生地とその下に着ていた鎖帷子(くさりかたびら)が非常に頑丈な素材で出来ており、妖は饗談の服にも採用出来ると考えていた。

 武田家は鎧や服にも拘りを持っており、これもまた敵が教えたくなかった『情報』だと言える。

「相変わらずお前は抜け目の無い女だな」

 

「滝川様が教えてくれたでしょ。

 使えるものは何でも使って、生き延びる為の行動を恥と思うなって。

 当然の事よ。

 正々堂々なんて侍がやっていれば良い。

 饗談は任務を遂行する為ならどんな卑怯な手でも使う」

 

 月黄泉に正面から挑んだ仲間は全員死んでしまった。

 だからこそ卑怯の極みとも言える毒針で敵を倒したとしても忍者にしてみればこれ以上無い『正義』だったのだ。

「そうだな。

 勝てばいいんだ。

 負けたら死ぬだけなんだから……」

 

 山勢はそう言った後、激しく咳き込む。

 地面に少量の血が撒かれた。

 

「大丈夫?

 体力の回復を待って、なるべく早くこの森を出ましょう。

 歩き巫女が何人も来たら面倒だわ。

 生き延びて、滝川様に報告を」

 慰め程度にしかならない軟膏を背中に塗り付け彼の回復を祈る妖だったが、山勢は自分の死が間近に迫っている事を悟っていた。

 

「いや、報告はお前1人で充分だ。

 俺は恐らく朝まで持たない。

 思えば、厳しい人生だった。

 戦で親を失い、饗談に拾われた後常に死と隣り合わせだったな」

 

 山勢の顔から徐々に生気が失せていく。

 同僚の死も冷静に受け止めてきたハズだった妖の目に涙が滲んでいた。

 

「信長様の天下統一の為、戦で親を失う子が現れない世の中を作る為と信じてやってきた。

 今でもそれは信じているし、戦った結果死ぬと言う事に異論は無い。

 だが……心残りはある。

 この世に何も残せぬまま死んでいくのは辛い。

 お前も、このままなら俺と同じ様に何も残せぬまま死ぬ事になるだろう」

 

 妖も薄々山勢と同じ思いを抱いていた。

 かつて燈に言った通り、影は任務を果たしただ消えていくだけ。

 後には屍も残らない。

 後の世に自分達の名が刻まれるなど絶対にありえない事だった。

 

「私達の名が後の世に刻まれない事は、最初から覚悟していた事でしょう」

「それに」

 山勢の目から涙が零れ落ちる。

 その表情からは無念さが感じられた。

 

「修行と殺し合いの日々の中、女子(おなご)とまぐわう事など一度も無かった。

 男として生まれてきて、女を抱かずに死んでいく事がどれ程辛い事かお前には解らないだろう。

 欲望を全て手淫で吐き出し続けた。

 お前の裸を想像しながらな」

 

 突然のカミングアウトに妖は面食らった。

 山勢は手を伸ばし、妖の乳房を鷲掴みにする。

 

「何度この胸を直に触ってみたいと思ったか。

 何度お前の中に魔羅を挿し入れて欲望を放ちたいと思った事か。

 情けない男だと軽蔑するならそれでも良い。

 俺は……お前との間に子供を作りたかったんだ」

 

 親の愛情を知らず、幼い頃から共に生きてきた妖に恋心を抱いた山勢。

 その感情は何時しか自分が親になりたいと言う願いへと変化していた。

 

「俺の子種がお前の中に注がれれば、子供が出来るかもしれん。

 子供が出来ると言う事は、俺の命が無駄に終わったワケでは無いと言う事だ。

 勿論、お前には拒む権利がある。

 それでも俺はお前を抱きたい。

 自分勝手な願いだろうが……」

 

 涙を流しながら懇願する山勢の口を、妖は手でそっと塞ぐ。

「それ以上言わなくても良いわ。

 貴方の気持ちは充分解ったから」

 穏やかな表情のまま忍装束を脱ぐ妖。

 山勢は彼女の姿を食い入る様に見つめていた。

 

「貴方が毒針で歩き巫女を殺してくれなかったら、白鷹様を追っていた私も彼女に殺されていた。

 貴方は私の命を救ってくれたのよ。

 私に恩を返す方法があるのなら、願いを聞くのは当たり前でしょう」

 生まれたままの姿となった妖は山勢の忍装束の下を脱がし、男性器を露わにする。

「これが男の魔羅なの?」

 

「……そうか。

 俺が女とした事が無いんだから、お前も未通女(おぼこ)なのは当たり前だよな。

 俺の方はその気にさせてくれれば勃つから、お前は女陰(ほと)をまさぐって準備を整えてくれ」

 山勢は女の裸こそ見た事が無かったものの、性知識は教えてもらったりして頭に叩き込んでいた。

 女性の何処を刺激すれば女性の側が興奮するのか、何処に陰茎が入るのかと言った諸々の情報である。

 

「私も、自分で自分を慰める方法は知ってるから……」

 妖には男性経験が無かったが、一緒に行動を共にする事が多い燈はその道の達人だった。

 フェラチオの方法、自慰行為の仕方、相手を悦ばす為のテクニック、その全てを教えてもらっていたのだ。

 

『敵に捕まって殺されるかもしれないと言う時、最後に役立つのは私達が女であると言う事実よ。

 房中術を極めていなくても、最低限の情報だけは知っておいた方が良いと思うの』

 燈に様々な事を教わり、立派な耳年増になった妖は今になってその情報を活かそうとしていた。

 

「貴方になら、身体を預けても構わない。

 そう思っていたわ」

「嬉しいね。

 お前みたいな美人にそう言われるのは男の誇りだよ」

 

 狭い洞穴の中で痴態を晒す妖の姿を見て、山勢の陰茎はどんどんと硬くなり完全に勃起する。

「これで、入れられる様になったの?」

 

「ああ。

 臨戦態勢が整ったって所だ。

 あとはお前がこれを口に含んだりして入れ易くすれば完璧。

 女陰が濡れていれば簡単に入るだろう。

 女の方は最初が痛いと言うが……」

 

 当時処女膜の存在が大衆に知られていたワケでは無く、女性・男性の身体的構造は江戸時代に入ってから広く知られる様になった。

 医学書の登場は性に対する知識も大いに広め、春画の発展にも貢献する事になったがその文化が花開くのはさらに後の時代だ。

 この世界においての日本は江戸時代を省略する形で現代的な都市国家を作り上げるのだが、今はまだその時期では無かった。

 

 人間、特に男は疲れが溜まっていると勃起し易くなると言われている。

 疲労の蓄積が身体に『生命の危機』を感じさせ精液の精製を促すのだと言うが、完全には立証されていない。

 山勢もまた命が尽きる前に剛直が天に向かってそびえ立ち、その姿はまるで消える寸前の蝋燭の炎が激しく燃え盛っている様だった。

 

「口に咥えればいいのね」

 燈に何度か教わった事がある拙いフェラチオ。

 専ら戦での斬り合いを生業としてきた妖にとっては慣れない作業である。

 だが好きな女性が自分のモノを口に含んでいると言う喜びが、山勢の陰茎をさらに漲らせていた。

 

「顎が疲れる……

 燈は何時もこんな事をしているの?

 尊敬しちゃうわ」

「慣れているか慣れていないかの違いだろ。

 コレで準備万端ってワケだ」

 

 咥えている間も自慰行為を続けていた妖の膣は、愛液が滴る程に濡れている。

 妖は上から覆い被さる形で山勢の上に跨り、鉄の芯が入っているかの様な硬い肉棒を手で握り締めた。

「これを……入れるんでしょう?」

 

「尿が出る所の下の穴だ。

 俺も燈に教えてもらった事がある。

 実際に見せてはくれなかったが……」

 

 薄暗い洞穴の中で自分の膣の位置と亀頭の位置を探り、その先端同士をくっつける事に梃子摺る妖。

 少しの間悪戦苦闘を続けていたが、やがて先端がぬるっと入ってくるのを感じた為そのまま腰を沈める。

「は……あッ……

 何なの、この下半身が引き千切れるかの様な痛みは」

 

「未通女がまぐわう時に感じる痛みだそうだ。

 あと、一月に一度、女は丸太で腹を突かれるかの様な痛みを感じるんだろう。

 どっちの方が痛いのか男である俺には解らんが」

「痛みの種類が全然違う。

 あれは身体の内側が軋む様な痛みだけれど、これは外から切り裂かれる様な……」

 

 あまりの痛みに泣き喚きたい衝動が妖を襲ったが、彼女はギリギリの所で耐えた。

 大声は絶対に出せない。

 敵がまだこの森を捜索している可能性が高い以上、自分達の居場所を相手に教える様な行動は慎まなければならなかった。

「貴方は気持ちいいの?

 そうだとしたらあまりにも不平等ね」

 

「男は身体がそうやって痛くなる事は無いからな……

 今も肉襞が魔羅にまとわりついて、至上の快楽を俺に与えてくれている。

 話に聞いてはいたが、まぐわいが男にとっての極楽と言うのは本当だったんだな」

 青白くなった顔に、性的な快楽に酔っている表情。

 山勢は現世と死の境を彷徨っているかの様だった。

 

「ここまでしたんだから、最後まで耐えて頂戴」

 大粒の涙を流しながら、妖は相手を絶頂に導く為に腰の上下運動を開始する。

 燈に始まりから終わりまでの全てを教わっていた。

 それを実際に実行する事になるとは思っていなかったのだが。

 

 狭い洞穴の中で山勢に覆い被さり、彼を抱き締めたまま腰を振る妖。

 学んだ事では無く、本能的に山勢とキスをして舌を絡める。

 山勢はそっと手を伸ばし、妖の未成熟な胸を揉んでいた。

 

「燈みたいにもっと大きい胸も揉んでみたかったな。

 やり残した事が山程ある……」

「どうせ私は『痩せ女』よ。

 饗談の仲間からもからかわれてたんだから。

 もう耳に蛸が出来る程聞いたから慣れたけど」

 

 女としての魅力が無いから房中術を教えてもらえず前線に駆り出されるのだと悪口を言われた事は一度や二度では無い。

 本当は剣術に優れていたからこそ男と同じ道に進んだのだが、妖はそう言って嘲笑される事を悔しがっていた。

 女として生まれてきたのに女性としての魅力に欠けていると言われるのは、妖にとって屈辱以外の何者でも無かったのだ。

「貴方も燈とまぐわってみたかったの?」

「いや、燈の胸を揉んでみたいとは思うがまぐわってみたいと思っていたのはお前1人だ」

 

 性的な告白を受け、思わず頬を赤らめる妖。

 彼女の中に収まっていた肉棒が、さらに膨らみ硬くなる。

「冗談でしょ?」

 

「冗談なものか。

 俺はずっとお前だけを見つめていた。

 仲良くなり任務に同行する事が多かったのも、お前にも俺と同じ感情を持ってほしかった為だ。

 仲間同士でのまぐわいは禁止されている。

 それでも……

 俺はお前と繋がる事だけを夢見ていた」

 

 真剣な表情で見つめられ、その雰囲気に耐えられなくなった妖は思わず視線を逸らす。

「そ、そんな事より早く果てなさいよ。

 時間がそれ程残っているワケでも無いんでしょ?」

「ああ、そうだな……」

 

 精が出るのが先か、命が果てるのが先か。

 そんな綱渡りの様なセックスを続けていた両者だったが、妖の努力が実を結ぶ時が訪れる。

 

「もっと上下に擦ってくれ。

 魔羅から精が出そうだ」

「出るの?

 出るんだったら出しちゃいなさい。

 私も限界が近いし……」

 

 破瓜の痛みはまだ続いており、妖はその激痛に耐えながらピストン運動を続けていたがその動きを行うのも相当辛くなっていた。

 腰を跳ね上げ振り下ろし、終われとばかりに激しく腰を動かす。

 抜けそうな程の出入りを繰り返していた肉棒が限界を迎え遂に弾けた。

「お……おおッ……」

 

 全身、特に下半身を激しく痙攣させ、妖の膣内に精液を放つ山勢。

 脈動しながら大量の精液をぶちまけ、妖は痛みに耐えられなくなり腰の動きを止める。

 血液の流れの様にどくどくと流れ込む精液は十数秒間出続けていたが、やがてそれも止まった。

 

 妖は涙を流したまま山勢を抱き締め、山勢もそれに応じる。

 2人は繋がったまま再び唇を重ねた。

 

「俺は果報者だな……

 好きな女とまぐわい、お互いがお互いを心から好いている。

 男としてこれ以上の喜びがあるとは思えない。

 死出の旅に赴く前に最高の思い出が出来た」

 

 山勢の顔は先程よりもさらに青白くなり、唇の色も紫色に変化している。

「馬鹿!

 私を抱いておいて死ぬなんて許さない。

 絶対に助ける」

 

 忍として感情を殺してきた妖が、久しぶりに表に出した剥き出しの思い。

 裸のまま強く山勢の胸に手を合わせ、擦る様に動かす。

「寒いのなら温めればいいじゃない」

 

「いや……

 多分そういう事じゃ無い。

 奴の薙刀の刃に毒が塗られていたんだと思う。

 相手を毒で殺した俺が毒で死ぬって言うのも皮肉な話だよな」

 萎えた肉棒がそのまま抜け、妖に触れていた山勢の腕が小刻みに震えていた。

 

「もし子供が出来たら……

 俺とお前の間の子供だ。

 男でも女でも良い。

 その子供は俺達と同じ道を歩ませないでほしい。

 血で血を洗う殺し合いをさせたくないんだ。

 俺みたいに不幸になるだけだ……

 頼む、それだけは約束してほしい」

 

「約束する!約束するから!

 お願い、死なないで!!」

 子供の様に泣きじゃくり、山勢をさらに強く抱き締める妖。

 敵に見つかると言う考えは頭の中から綺麗に消えていた。

 

「俺の為に……

 泣いてくれるのか……」

 

「当たり前でしょ!?

 何年一緒にやってきたと思ってるの。

 物心ついた時から私は貴方と一緒にいて、訓練に励んできた。

 大人になってからも同じ戦場で戦ってきた仲じゃない!」

 山勢の頬に自分の頬を擦り付け、嫌々と首を振る妖。

 

 山勢の声はどんどん小さくなり、風が吹いているかの様な音へと変わっていく。

「お前は……皆から命を貰ったんだ。

 だから生きろ……生きるんだ……

 皆がそれを望んでいる。

 そして、俺も……」

 

 最後の力を振り絞って山勢は腕を持ち上げ、混濁する意識の中妖の頭を愛おしそうに撫でた。

「お前の事を愛しているよ」

 

 それが山勢の発した最期の言葉となった。

 意識が無くなり、腕が倒れて身体全体がピクリとも動かなくなる。

 生きていた頃の温もりはまだ少しだけ残っていたが、その瞳に生気はまるで感じられなかった。

「私もよ。

 私も貴方の事を愛してる」

 

 生きている間にそう言い返せなかった後悔が妖の心を抉った。

 裸のまま山勢を抱き締め、魂を失った唇に再びキスをする。

「貴方に言われた通り、私は生きる。

 絶対に生き抜くと約束する。

 そしてもし、私が子供を産む事になったら、その時は……」

 

 膣からぽたぽたと精液が滴り落ちているのを感じながら、妖はぐいっと涙を拭った。

「この涙は貴方の為の涙にする。

 もう私は……泣いたりしない」

 その夜、雪は一晩中振り続け、明け方になってからようやく止む。

 少々霧が出ていた森の中を走る影を目にした者は誰もいなかった。

 

 信玄がまだ元気だった頃、彼はその少女と出会った。

「おい、こんな所に餓鬼がいやがるぜ」

「男なら売っ払って、女なら俺達で姦してやるとするか」

 戦場の傷跡が残る平原を彷徨っている子供に近付く悪漢。

 信玄が助けようとした時、想像もしていなかった事が起きた。

 

 10歳にもならないであろう子供が、体格の良い大人4人を短刀で刺し殺したのだ。

 鮮やかな動きで、相手はその子供に掠り傷1つ付ける事が出来なかった。

「お前の名は?」

 甲冑を着たまま馬から降り、子供を刺激しない様ゆっくりと近付く。

 

「……解らない。

 私の名前も親の名前も。

 相手を殺して、奪う事で生きてきた」

 信玄が敵意は無い事を示す為に刀を地面に落とすと、それを見てから子供は相手の持ち物を物色し始めた。

 

 (戦と言う狂気が生み出した鬼子(おにご)か……

 この子に違った生き方をさせなければ)

 金を手にした子供はその場から去ろうとしたが、信玄は声をかけて呼び止める。

「儂が、もっと良い暮らしをさせてやろう。

 儂の命に従ってくれれば、辛い暮らしは絶対にさせぬ」

 

 呼び止められた子供は何も言わず振り向き、信玄の顔を見る。

 人を何人も殺してきたからか、その瞳から獣の様な強烈な光が発されているかの様だった。

 

 その子供がすっかり日に焼けた肌となり、筋肉と言う名の鋼の鎧を纏う様になった頃信玄は彼女に『月黄泉』と言う名前を与えた。

 歩き巫女の一員となった彼女は諜報活動では無く戦場での働きを期待され、期待以上の活躍を見せる。

 特に暗殺においては他のくのいちが太刀打ち出来ない程の腕前を誇り、あっと言う間にナンバー1の地位を確立したのだ。

 

「あやつなら敵にやられる事は無い。

 まさに無類無敵。

 誰が相手であろうと恐れる事は無い」

 信玄は月黄泉を寵愛し、人に懐く事が無かった彼女も信玄にだけは笑顔を見せた。

 

 彼女にとって信玄こそが自分の『親』であり、親の命令は絶対。

 どんな汚れ仕事であろうと引き受けた。

 妖や山勢の様に自分の生き方に疑問を抱く事無く、まるで機械の様な存在となっていた。

 それ故に、不測の事態を超えた状況に対応出来なかったのかもしれない。

 

「月黄泉はまだ合流せぬのか。

 もうそろそろ戻ってきても良い頃だと思うが……」

 昼近くになっても彼女が姿を見せない事に対して焦る信玄。

 

「報告致します。

 銭取森に急行した所、月黄泉様が裸にされ木に縛り付けられておりました。

 既に息をしておらず……

 恐らく、織田の饗談に殺されたものかと」

 

 様子を見に行った別の歩き巫女がもたらした情報は、信玄に衝撃を与えた。

「し、信じられぬ。

 あの月黄泉がやられたのか!?」

「間違いなく、この目で確認して参りました」

 淡々と事実だけを告げる歩き巫女の胸を掴み、信玄は涙を流す。

 

「儂があれだけ目をかけ、日ノ本一の忍に育て上げようとしていたと言うに!

 天下統一を果たした暁には、誰もが血を見ずとも済む世にしようと思っていたのだぞ。

 何故あやつが死なねばならん!

 儂はあやつを愛していた。

 師として心から愛していたのだ……」

 

 歩き巫女が胸を掴まれ苦しそうに呻いているのを見て、側にいた部下が信玄に近付く。

「御館様、お気を確かに!」

「月黄泉が殺されたのは確かに我が軍にとって痛手ではございますが、全てが終わったワケではございませぬ。

 織田を滅ぼし、上洛を果たすまで戦う事が我等の務め。

 御館様にはその指揮を取ってもらいませぬと」

 

 主だった部下が歩き巫女を助けたが、その直後に信玄は血を吐いて倒れた。

「だ、誰ぞ!

 陣中にいる医者を呼んで参れ!」

「御館様、御館様!」

 

 病と懸命に戦っていた信玄だったが、愛弟子の死はあまりにもショックが大きく信玄の病状は悪化。

 この後、月黄泉の死をきっかけとして武田軍は勝っていたにも関わらず撤退。

 信玄の死後、武田家は滅亡の道を辿る事となる。

 

「信盛よ!

 戦に負けた事は百歩譲って良いとしよう。

 何故汎秀を見捨てて己だけがおめおめと戻ってきた!?」

 数ヶ月後、武田軍が信玄の病の悪化により戦場から離脱した頃信長は帰ってきた信盛を叱責していた。

 

「そ、それは……

 自分だけでも生きて帰らなければ織田家が危ういと思ったからでございます。

 私がいなければ軍にとって重大な損失。

 兵にも動揺が広がります故」

 

「お前は人である前に武士であろうが!

 仲間を身代わりにして逃げる等卑怯千万!

 それに汎秀はお前よりも優秀でより勇敢な兵であった。

 あやつの奮闘を目の前にして戦う事無く逃げ帰るなど言語道断よ。

 たわけが!」

 

 佐久間信盛が高野山へと追放された原因の1つが、この三方ヶ原での一件だったと言われている。

 信長は汎秀の武勇を絶賛していた。

 戦場においては獣の様に戦い、常に信長を満足させていたのだ。

 結果至上主義である信長は出来る者は評価し、出来ない者は決して許さない。

 そして日頃から織田家の重鎮である事を気取ってろくに仕事をしない信盛が汎秀を身代わりにした事が信長には許せなかった。

 

「お前が忍であるならばそれも許そう。

 忍は生きる為に仲間すら利用する。

 生きて帰る事こそが本懐だからだ。

 だがお前は武将であろう。

 武将は敵に背を向けて逃げる時も仲間を見捨てたりはせぬ。

 共に帰ろうと精一杯の努力を行うべきじゃ。

 お前はそれすらも怠った!」

 

 激昂した信長は信盛の腹を思い切り蹴り飛ばし、あまりの痛みに信盛は呻きながらその場に崩れ落ちる。

「今は許そう。

 我等の危機はまだ終わってはおらぬからな。

 じゃが、今度もし消極的な態度を続ける様な事があれば……

 容赦はせぬぞ」

 

「も、申し訳ございませぬ……」

 腹をおさえながら苦しそうに言葉を発する信盛の姿を、明智光秀は冷たい目で見つめていた。

 

 (少しのしくじりでその仕打ち。

 とても上に立つ者のやり方では無い。

 小さき男よ……

 いずれ私がお前を滅ぼし、日ノ本全てを掌握してくれる)

 

 大広間に居並ぶ部下達の眼前で暴力を振るわれた信盛。

 失態を晒した部下は死ぬ気で努力しなければ織田家を追い出される。

 誰もがそれを理解していた。

 

 妖は膨らんだ腹をそっとさすりながら、あてもなく野山を彷徨っていた。

 (山勢の願いを叶えるならば、今戻るワケにはいかない。

 私が孕んでいる事が判明すればこの子は饗談の一員となってしまう)

 銭取森を脱出した後、妖は饗談に戻らず行方不明となっていた。

 饗談も妖を含めた50名が全滅したと思っていた為、捜索すら行っていなかったのだ。

 

「この子を誰かに預けて、育ててもらおう。

 戦場で血を見る様な人生を送らない様に……

 その内きっと見つかるでしょう。

 子供が健やかに生きていける場所が」

 

 山勢の死に際に放った精は彼の望み通りこの世に自分の血を残す。

 妖がそれを受け取り、彼の言葉に従って自分達とは違う『別の人生』を歩ませようとしていた。

 

「白鷹様、凛……

 貴方達の死は、無駄では無かったわ。

 尊い犠牲が、新しい命を生んだ。

 そしてその新しい命が、別の命を作っていく。

 この子は果ての無い殺し合いと言う宿命から逃がしてあげたい。

 そう思うの」

 

 戦場で戦ったり、逃げたりしなくても良い場所。

 この時代にそんな場所は殆ど存在しない。

 だからこそ、妖は信長の天下統一を心から願っていた。

 

「日ノ本の民皆が幸せになれる世……

 私も、そしてこの子も、そんな世界になる事を望んでいる」

 お腹の中にいる子供にその言葉が理解出来ているかどうかは解らない。

 妖は子供に言い聞かせる様にそう言うと、前を向いて歩きだした。

 

 三方ヶ原の大敗の影にあった、たった1人の忍の死。

 この世界においてはその死が武田家の命運をも分ける事となる。

 妖はこの後出産し、赤子を子供が出来なかった農民の夫婦に預けると饗談に合流。

 妖に子供がいる事を知る者は誰もいなかった。

 親しかった虹忍のメンバーですら気付く者はいなかったのだ。

 

「よく戻ってきてくれた。

 他の者動揺、皆お前が死んだと思っておったのだぞ」

「申し訳ございません。

 戦場で受けた傷が思いの外酷く、癒えるまで身を潜めておりました故」

 滝川一益は妖が何処で何をしていたのか等と言う無粋な質問はせず、彼女の帰還を素直に喜ぶ。

 

「虹忍の者達もお前が生きていた事を喜んでおったぞ。

 次の任務があるまでゆっくり身体を休めておくが良い。

 我々は……

 いや、上様はお前の存在を必要としておる。

 お前は天下統一の為の鍵なのだからな」

 

「お褒め頂き恐縮でございます。

 一層励み、饗談の力に加わるべく全力を尽くす所存」

 頭を下げながら、妖の脳裏には自分の子供の顔が浮かんでいた。

 あの屈託の無い笑顔を守る為には、自分の力で世の中を変えていくしか無い。

 彼女はそう思った。

 

 (私が争いの無い世の中を作る為の鍵となる。

 私と山勢の子供を守る為にも)

 命を守る為の密かな誓い。

 その誓いは後に信長が天下統一を果たす事により実現したのだった。

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