※この作品はR-18です。

ZERO ~格闘ゲームに翻弄される者達~   作:夜月光介

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自分の子供を事情により愛せなくなると言う事例は
色々な所であると思いますが、冴子の場合は最後まで
面倒は見たので母親としての最低限の責務は果たしたと思います。
それ以上を望み過ぎと考えるかいやそれ以上を望むのは
当然と考えるかは読者の判断に委ねるとしましょう。


あの世の番外編 もう、離れない 後編

【1993年 千葉県宮本市 蕎麦・饂飩専門食堂『飛鳥軒』店内】

 

 霧原冴子が御母サエと言う新しい名前と自由を得てから行ったのは、手に職を持つ事だった。

 虐げられていた過去があるからこそ、今は自分の実力で稼げる様になりたい。

 その思いから2階建てとして作った自宅の1階部分で店を開いた。

 事前に蕎麦打ちの修行を敢行し、数年の間に習得した技術で客の心を掴む。

 彼女の店は評判になり、時折他県からも客が訪れる様になった。

 

 自分でも、千葉県に店を構えた事を疑問に思う。

 冴子自身にとってもおかしな話だった。

 何故羽生が東京を中心として関東一帯を己の縄張りとしているのに千葉県に住む道を選んだのか。

 遭遇する危険性を考えれば、もっと遠くへ引っ越すべきだった。

 息子が住み慣れた東京で働くと言い出した時も、強く反対すれば却下出来た事だったのに。

 

 それでも彼女がこの場所を選んだ理由の1つに、蔵崎源三の存在があった。

 会いたいと願うワケでも無い。

 実際会いに行こうと考えた事も無い。

 今更探すつもりも無い、ずっと昔に別れてしまった恋人。

 

 頭ではそう考えても、心では少しでも彼と繋がっていたい自分がいた。

 彼はもう、この辺りにいないかもしれない。

 もう遠くに行ってしまったのかもしれない。

 けれど、彼はまだ千葉県にいるのではないだろうか。

 彼と私が引き裂かれたこの地で、私の帰りを待ってくれてはいないだろうか。

 

 その気持ちが、彼女を千葉県に留めさせた。

 会う事は出来なくても、せめて近い所で見守る事が出来れば……

 彼女はそんな思いを抱きつつも、常に平静を装って仕事に励む毎日を送っていた。

 

「1日だけで良いんだ。

 娘を預かっていてくれないか?」

 

 息子の誠実からその話を持ち掛けられた時、冴子は困惑した。

 監禁に近い生活を続け心が荒み切っていた自分が、孫娘を愛する事が出来るのだろうか。

 例え1日でも、あの男の影がちらつき嫌悪感が勝ってしまうのではないか。

 そう思って一旦躊躇した冴子だったが、孫娘の顔を見た瞬間それは無いと確信した。

 あの男の血が薄まった存在と言うだけで無く、自分が『息子のみを避けている』事に気付いたからだ。

 

 冴子はあの男に似た顔つきを持つ息子だから、息子を愛する事が出来ないのだと思い込んでいた。

 だが実際は、あの男に虐げられて心がボロボロになっていた彼女が唯一八つ当たり出来る相手こそが誠実だったのだ。

 怒り、哀しみ、苦しみを吐き出す事が出来ずストレスが溜まっていた冴子が、その捌け口として利用した存在。

 自分にとって使い勝手の良い道具。

 そういった意味では、彼女は冷たい心の持ち主だったのだろう。

 

 そうする事でしか冴子は自分の心を保っている事が出来ず、息子もそれを何となく理解してくれていた。

 そして逆を言えば、彼女にとっての『生贄』は息子1人で充分だったのだ。

「……可愛い子だね」

 孫娘をそっと両手で掴み、目に涙を浮かべながら抱き締める冴子。

 息子の娘である洋子に愛を注ごうとする冴子の後姿を、誠実は複雑な気持ちで見つめていた。

 

 自分も本当は愛されたい。

 名前を呼ばれ、抱き締めてもらいたい。

 幼い頃から母親からの愛を渇望していた誠実にとって、自分の娘が愛されている瞬間を見るのは辛い事だった。

 

 勿論、それが悪い事だとは思っていない。

 洋子が嫌われるより、ずっと良い事だと言うのは解っている。

 自分が母親に愛してもらえない理由がしっかり解っているからこそ、誠実は洋子に羨望の眼差しを向けてしまう自分が情けなかった。

 

「母さん、1日だけだから……

 なるべく早く帰ってくるよ」

「孫娘の面倒を見る事位はするさ。

 楽しんでおいで」

 

 優しい言葉をかけられていても、決して目を合わせてはくれない母親。

 今生の別れとなる事等知る由も無い誠実は、そのまま店の外へ出て行った。

 

 3歳ともなれば、動き出したり泣く事が増えたりと面倒な仕事が増える年頃だが、洋子はとても大人しい子供だった。

 あまり泣かず、汚れを知らぬ純粋な瞳でじっと冴子の顔を見つめてくる。

 激しい自己主張をしない為おむつを取り替えるタイミングや食事を与える時間帯も解り難い程だった。

 

「誠実は、あんなに五月蠅い赤ん坊だったのに……

 こういうのは似るものでも無いんだね。

 それとも、母親に似たのかねぇ?」

 

 店を休んで洋子から目を離さない様にしていた冴子だったが、昔を思い出してまた憂鬱な気持ちになる。

 羽生は面倒な子育ては全部冴子に押し付け、父親として振舞う事を放棄していた。

 そんな羽生が暴力団の組長としての帝王学を教え込もうとしたところで、息子がそれを受け入れるハズが無い。

 自分の思い通りにならない事を極端に嫌う羽生が、自分達を捨てたのは必然だったのだろう。

 冴子は溜息をつきながらも、目の前にいる自分の孫娘には幸せになってもらいたいと思った。

 

「御遺体は原型を留めない程潰れてしまっていて、御本人かどうか確認する事が出来ませんでした。

 ですが、車内にあったバッグの中から運転免許証等の身分を証明する遺留品が出てきた為ほぼ間違いは無いかと……」

 洋子が眠りにつき、自分も布団の中に潜り込もうかと考えていた午後9時。

 彼女のもとに訪れた警察官が事故の一部始終を語る。

 

「睡眠を取らずぶっ続けで働いていたトラックの運転手が運転中にブラックアウトを起こし、車を弾き飛ばした様です。

 そのまま猛スピードでホテルの入口に突っ込み合計で11名の死者が出ています。

 運転手もその衝突によって死亡。

 御遺族への慰謝料についてはこれから話し合う事になるでしょうが……」

 

 冴子の時間は止まり、警察官の話もあまり耳に入ってこなかった。

 突然息子が死んだと聞かされても、現実として受け入れる事が出来ない。

 

 そんな彼女だったが、『哀しい』と言う感情はあまり湧いてこなかった。

「御母誠実さんと奥さんである愛さんには、子供がいる様ですね」

「2階で寝ています。

 事情があって、私が預かっていたんです」

 

 喉の奥から絞り出す様な声。

 冴子は自分が発しているにも関わらず、酷く掠れたその声が自分の声とは思えなかった。

 

「娘さんには、他に御親戚の方等はいらっしゃいますか?」

「いえ、特には……

 洋子は責任を持って私が育てます。

 亡くなった息子の分まで」

 

 疲労がどっと身体から溢れ出す様な感覚に襲われながらも、冴子は決意に満ちた声でそう告げる。

 事故なのが明白だった事もあって、夜中まであれこれ質問される事は無かった。

 

 警察との話し合いから解放され、店のカウンター席に座り込む冴子。

 店の入口から見える星や輝く月が、普段見ている時より綺麗だと思った。

 

 (いきなり、孫娘を育てる事になるなんて……

 私に出来るのだろうか)

 勿論、子育ての経験はある。

 誰の手伝いも無く1人で育てる事が出来たのだから今回も1人で出来るだろう。

 寧ろ形式的な『子育て』よりも、孫娘をどういった方向へ導きたいのか自分でも判然としない。

 

 (私と同じ道を歩んでほしい気持ちはある。

 私の背中を見て育って、私の意志を受け継いでもらえればそれ以上の幸せは無い。

 でも、アイツの様に無理強いだけはしない。

 『させよう』とするから相手は反発する。

 娘には、自由に育ってほしい。

 私と違う道を選んだとしても、その選択を尊重しよう)

 

 洋子の進路については今真剣に悩むべき事では無いと冴子は考えていた。

 親権に関しても、自分以外に洋子を育てたいと名乗り出る者が出てくるとは思えない。

 そんな事よりも、冴子は胸が苦しくなる思いを抱え込んでいた。

 (息子が死んだ事に対して、安堵してしまっている自分がいる)

 

 普通、息子が死んだとなれば嘆き悲しむのが通常の親としての反応だ。

 何故自分は誠実の死に対して喜んでしまっているのだろうか。

 冷酷な母親。

 そういった自分の姿に怯え自己嫌悪に陥りそうになる。

 そういった自分の感情を否定したかったが、自分自身に嘘をつく事は出来なかった。

 

 あの男の顔に似てしまった誠実。

 母親似なのかその顔を引き継がなかった洋子。

 結局、人間は顔なのだ。

 面影があるか無いかの違いでしか無い。

 

「解ってる……

 私が最低の母親だなんて事は充分過ぎる程。

 でも、この子だけは幸せにしてあげなくちゃいけない。

 絶対に」

 冴子は自分自身に言い聞かせる様にそんな言葉を呟いた。

 

【2011年2月 天国 蔵崎源三の家】

 

 約70年と言う長い時間の中で、人生の喜びを感じたのは果たして何回あっただろうか。

 洋子を育てている間も、成長していく孫娘を見ながら微笑む自分が仮面を被っている事を冴子は自覚していた。

 全ては贖罪と責任感だけだった。

 

 コレは息子を愛する事が出来なかった己への罰なのだ。

 そして、息子を産んだ自分がこなさなければならない義務なのだ。

 そんな思いを抱えて生きてきた。

 喜びも楽しみも無く淡々と仕事を続ける日々。

 

 高校の頃の一瞬の煌めきこそが自分の人生の核であり、それ以外は何の意味も無い。

 冴子はそうして自分を殺して生きてきたが、唯一涙が流れた時があった。

 

『お待ちどう様!

 きつね蕎麦です。

 そちらの御客様は?

 はい、天ぷら蕎麦一丁承りました!』

 

 冴子が死んだ後、洋子が自分の経営していた蕎麦屋を受け継ぎ、繁盛させている。

 最近ではスタッフを雇える程売り上げも増えてきており、ネットの外食評価サイトで高評価を得た事により遠方からも客が訪れていた。

 

 自分の力だけで生きていく為に始めた事を、孫娘が継承して次に繋げようとしている。

 2号店の出店計画の為若いスタッフに技術指導を行っている洋子の姿が眩しかった。

 (洋子、有難う。

 本当に有難う。

 私の我儘に付き合わせちゃってごめんね……)

 

 どうせなら、自分がしてきた事を無駄にはしたくない。

 漠然とそう思っていた冴子にとって、洋子が自分の店を継いでくれた事に感謝するしかなかった。

 だが、洋子への感謝と自分の人生を顧みて感じた辛さはまた別の話である。

 

『お願いだから、私には干渉しないで。

 貴方には奥さんがいるじゃない。

 私はずっと苦しんできた。

 だからもう、絶対に自分自身を偽りたくないって思ったの。

 私が貴方に対して抱いている思いを、知らないなんて事は無いでしょう?』

 

 我ながら、薄情な母親だと思う。

 心無い言葉で実の息子を追い返したのだから。

 

 誠実が冴子の事を心から愛しているのは解っているし、本当はその気持ちに応えてやりたい。

 だが、直に会った瞬間に『あの男』にされた事を嫌でも思い出してしまう。

 その思い出とも呼べない悪しき記憶を掘り起こされる事だけはどうしても我慢する事が出来なかった。

『母さんがそう言うのなら、俺は母さんの気持ちを尊重するよ。

 だって世界中で一番、母さんの事を愛しているから』

 

 良心に刃が突き刺さる様な痛みだった。

 彼の言葉は裏表の無い真実から放たれた言葉であり、冴子が息子を愛したいと思っている事もまた事実である。

 それでも、抱き締めてやる事が出来なかった。

 息子の顔をまともに見る事すら……

 現実逃避である事は解っていたが、冴子は己の姿を若い頃の自分に保つ事で心の安定を図っていた。

 

「ゲン君、早く帰ってこないかな」

 冴子にとって最も輝いていた時、その一瞬を切り取って永遠のものにしてしまいたい。

 それが彼女の願いであり、蔵崎源三が償いの為に付き合っている一連の行為であった。

 他には何も要らなかった。

 それ以前の、無理やり結婚相手を決められレールに沿った人生を歩まされそうになっていた事実は望んでいない。

 

 それ以後の、性奴隷として凌辱の限りを尽くされ望まぬ子供を産まされた事実も望んでいない。

 蔵崎源三の自宅で、激しく愛し合い明日の事など考えていなかったあの一晩こそが自分の全て。

 そのまま源三と共に見知らぬ土地に逃げて結婚する夢を生きている時に何度も見た。

「私はこんなになっているのに……

 こんなに焦らされたら我慢出来なくなっちゃう」

 

 艶めかしい笑みを浮かべ、火照った身体をさらに熱くさせようと膣に指を突っ込む冴子。

 全裸の状態で胸を揉みしだき、淫靡な音を立てて自慰行為を開始する。

「早く来て、ゲン君。

 私を満足させてぇ」

 

 セックスとピロートーク。

 何時でも冴子は蔵崎とそうする事を望み、蔵崎もそれを受け入れてきた。

 彼女は辛く苦しい事を忘れる為に酒に走るアルコール依存症の患者と同じだった。

 セックス依存症を患っていたのだ。

 それに気付いていても止める事は出来なかった。

 

「随分楽しそうな事をしていますわね」

 突然冴子の背後から声が聞こえ、彼女は慌てて近くにあった着物で下腹部と胸を隠す。

 振り向いた視線の先には自分と同じ程の長い金髪の少女の姿があった。

「だッ誰!?

 勝手に入ってこないでよ!!」

 

 誰でも壁をすり抜けて部屋の中に入ってこれるのだから不用心である事は間違いない。

 だが自分と蔵崎以外の人間がこの場所に足を踏み入れてくる事自体が初めてであった為冴子は激しく動揺する。

 

「忘れたい事があるのでしょう?

 自慰行為に耽るのも、性行為に溺れるのも全てはその為。

 でも満たされない。

 心の底から救われたいのに救われない。

 どうしてなのか、解りまして?」

 

 冴子を宥める様な優しい声、背こそ低いが整った顔立ち、人を小馬鹿にした様な笑顔。

 その瞳の奥にある哀しい絶望の影は、冴子が持つそれと同じものだった。

 

「貴方は、一体……」

 彼女を何処かで見た様な気がするが思い出せない。

 少なくとも自分が見知っている人間では無い。

 何故そんな相手が今この場所にいるのだろう。

 冴子がそんな事を考えている間に、少女は自分の目の前に移動していた。

 

「私も、同じだったから解りますわ……

 男に抱かれても、心の傷が全く癒えない。

 何故なのか。

 それは、どんな性行為であれ『受け身』であるからですわ」

 

 帯を解き、生まれたままの姿になった少女の左手に何かが握られている。

「性的暴行を受けていた、或いは暴力を受け虐げられていた人間は心の何処かで自分がその立場になる事を望んでいるんですの。

 それが例え疑似的なものであったとしても、その怒りと憎しみを解き放つ事が出来れば大分心が楽になりますわよ」

 

 彼女の手に握られていたもの、それは薄桃色をした太い肉棒だった。

 一瞬男根の形をしたバイブかと思ったが、それは雄々しく反り返り脈動している様に見える。

「私が貴方の怒りと憎しみ、そして哀しみの捌け口になって差し上げますわ」

 少女はそう言うと、肉棒の根元に該当する部分を冴子の股間に押し付けた。

 

「あッ、ああッ!?

 な、何コレ……痛いぃ」

 それは冴子のクリトリスと一体化して、身体の火照りをそのまま男性的な滾りへと変貌させる。

 股間に溜まった熱が具現化したかの様に、肉棒はひくつき透明な汁が鈴口から滴り落ちていた。

 

「とある方のモノを一時的に貴方のモノにしましたわ。

 元に戻る方法はとても簡単。

 自慰行為や性行為をして射精すれば良いんですわよ。

 簡単でしょう?」

 

 ニヤリと笑い、少女は全裸のままそっと冴子の男根に触れると指で軽く扱き上げる。

 握られただけで電流が流れたかの様な快感が全身を駆け巡り、刺激された瞬間勝手に甘い吐息が漏れた。

「あうッ、ああ……

 気持ちいい、もっと擦ってぇ」

 

 主導権を握られている事が少しだけ癇に障ったが、それどころでは無い程の快楽が冴子を支配する。

 まるで意識の全てが股間に集中しているかの様だった。

 

「フフ……

 どんなに上品な淑女であろうとも、この快楽と殿方の様な性的衝動には抗えませんわ。

 抗えないのであれば、そのまま自分の中の獣を解放すればいいだけ。

 私がそれで救われた様に、貴方も私の身体を貪ってくださいまし」

 

 ベッドの柱にしがみつき、少女が尻を振って冴子を誘惑してくる。

 この様な状態に陥っても尚、彼女の目的も正体もよく解っていない。

 確かなのは、股間の砲身が唸り声を上げて猛っている事。

 身体と心が彼女の中にその滾りを埋めて精液を注ぎ込んでしまいたいと訴えている事だけだった。

 

「手加減出来ないと思うけど、本当に良いの?」

「嫌だと思っていたら最初から貴方にそんなもの付けませんわよ。

 私はただ、両性具有だけが味わう事が出来る快楽を知ってほしいだけですわ」

 

 足を大きく開き、尻を上向きにしている少女の股間が冴子の眼前で甘い蜜を垂らしている。

 欲しているとばかりに晒されては、最早我慢する事など出来なかった。

 (私がアイツにされた事を、今度は私がする番に……

 そうする事でしか、私の前に漂っている黒い霧を晴らす方法は無いのかもしれない)

 

 男性的な衝動を体験する事で、自分の辛い過去を塗り潰す事が出来るとしたら。

 そんな一縷の望みを自分の一部となった男性器に託し、相手の腰に手を添えると腰を前に突き出す。

 彼女の身体が胸も無い未熟な身体であるせいなのか入れるのに少しだけ時間を要したが、何とか根元まで収まった。

 

「こんなに、温かいんだ……」

 自分の身体の一部として一体化している膣の内部の感覚は、快楽こそ感じてもその熱を感じるのは難しい。

 だが他人の身体に敏感な性器を挿入してみて解る事もある。

 脈打つ象徴が秘部に潜り込んでいる時の感触は、脳が蕩けてしまいそうな程心地よいものだった。

 

 (ぬるぬるした柔らかい肉の壁が、おちんちんに絡み付いてくるぅ……

 ゲン君も私としてる時、こういう感じで気持ち良くなってくれてたのかな)

 クリトリス自体がペニス程に巨大化している両性具有者の肉棒が感じる快感は、通常の男性器の数倍にも達する。

 何にも守られていない無防備で敏感な器官。

 自分の急所であるが故に膣の中で絞めつけられれば理性が飛ぶのは当然だと言えるだろう。

 

「動いても構わないんですわよ?」

 少女がそう言って腰を振る様にと要求してくるが、冴子はなかなか『次の一歩』を踏み出す事が出来なかった。

 (ぬ、抜き差しなんかしたら、飛んじゃいそう……

 入れただけでも凄いのに、このぬるぬるが擦ってきたりなんてしたら)

 刺激を受けて膨張した肉棒が、自身の性欲を爆発させろと命令している気さえする。

 

 (動く……

 引いて、突き出してッ!

 ひうううぅ)

 

 蔵崎がしていた様に、拙いながらも膣の中で反り立った欲望を奥へ動かした。

 たったそれだけの事で、言葉で言い表せない程の快感が股間から脳まで電気の様に走っていく。

「な、なにコレ、なにコレぇ……

 凄い、凄く気持ち良いぃ!!」

 

 一度味わってしまった未知の快楽は、記憶に刻み込まれて忘れる事等出来ない。

 冴子は荒い息を吐きながらピストン運動を繰り返す猛獣と化した。

 欲望が抑えられなくなった冴子は、もっと深く潜り込む為に少女をベッドに押し倒す。

 キングサイズのベッドの上で少女の上に覆い被さり、彼女の背中にしがみついたまま一心不乱に腰を振った。

 

「あはッ、良いよぉ……

 貴方の中で震えてるぅ、ビクンビクンってぇ」

 根元から先端までの全てが肉の壁に包み込まれ、触られただけで膨らむ性器が快感の限界を迎えて弾けそうになっている。

 髪をベッドの上で乱れさせ、淫らな姿を晒している少女が冴子の頬に手を添え、耳元で囁いた。

 

「当たり前ですけれど、今動かしている時の快感なんて射精の瞬間と比べたら可愛いものですわよ。

 私の中にぃ……

 はあッ、存分に注ぎ込んでくださいまし」

 

 現時点で理性はかなぐり捨てていた冴子だったが、その言葉を聞いて股間の漲りが一層強くなる。

 (どんどん熱くなっていく。

 身体が火照って、何も考えられなくなる……

 出したい。

 全部吐き出して、楽になってしまいたい)

 

 性器同士が擦れ合って立てる淫らな音、腰を打ち付ける時に発せられるパンパンと言う軽い音だけが真っ白な部屋に響いていた。

「あー、変になっちゃう。

 来る、来るぅッ」

「変になっても……良いんですわよ」

 

 自分がこうして人としての分別を失っていても、相手がそれを肯定してくれる事が嬉しい。

 冴子はさらに少女の身体を貪り、抜き差しするスピードを速くした。

 (上がってくる。

 何かが股間に集中してる……

 尿意とも全然違う、この感じぃ)

 

 だらしなく口を開け、舌を出してただひたすら擦れ合う快感に身を委ねる。

 少女を四つん這いにさせ、冴子は膝をついた状態で繋がっていた。

「そろそろ、出したくなってきたのでしょう?

 我慢する必要なんてありませんわ。

 自分がしたいままに、やりたい様にするだけ……」

 

 腰まで伸びた長い金髪を咄嗟に掴み、肉棒を奥へ突き入れる行為を継続する冴子。

 自分の吐息も、少女が発する喘ぎ声も彼女を興奮させ、絶頂へと導いていく。

「あ、ああッ!!

 あッ……はあッ……」

 そしてその絶頂は唐突に訪れた。

 

 冴子の身体と股間が激しく痙攣し、肥大化したクリトリスの先端から粘り気のある透明な液体が放出される。

 断続的に何度も吐き出される欲望を、少女は何も言わず黙って受け入れていた。

 射精している最中の凄まじい快感、そして高揚感から一転してスッと身体の熱が引いていく。

 身体のだるさと倦怠感に襲われる中少女の膣から抜けた肉棒がベッドの上に落ちた。

 

「えッ、取れ……」

「取れますわよ。

 それとも、ずっとくっついていた方が良かったとでも?」

 少女の膣から滴り落ちた粘液が、萎えかけた肉棒を汚していく。

 冴子は少女に覆い被さり、ベッドにうつ伏せの状態で倒れ込んだ。

 

「フフ……

 何時もとは違う、甘美な快感があったでしょう?

 束縛から解放された様な、『攻める』と言う感覚は自分が強くなったかの様な錯覚にすら陥る。

 私や貴方の様な『息が詰まりそうな人生』を送ってきた人間にとって、良い治療になりますわ。

 かなりの荒療治かもしれませんけれど」

 

 少女の言う通り、冴子は言葉では言い表せない満足感を覚えていた。

 相手を屈服させている、思い通りにしているかの様な感覚。

 それを『心地良い』と感じている時点で、『あの男』と同類である事には違いない。

 だが、独りよがりで自分の快楽を追求する事しか考えなかった羽生のセックスとか明らかに異なる。

 互いを尊重し、共に高みを目指すかの様な性行為だからこそ嬉しかった。

 

 (ゲン君としている時と似ていても違う。

 普段のセックスは『悦ばせる』為のものだった。

 私は今、この子を『悦ばす』事が出来たのかしら……?)

 獣の様に貪欲に突いて、唐突に果てた感は否めない。

 ベッドから床に降りて立ち上がった少女が、優しく微笑んでくれた事で冴子は救われた様な気がしていた。

 

「赤の他人である私との性行為は、お互いに気兼ねする事無く楽しめたのではなくて?

 ……私の名前は綾小路桜華。

 『井島豊の家』に来てもらえれば、何時でも御相手致しますわ」

 萎えて棒状の形から姿を変えつつあるペニスを手に取った後、少女は服を着てその場から去っていった。

 

 身体の疼きこそある程度収まったが、冴子は先程の奇妙な満足感の正体を知りたくなっていた。

 男性的な衝動、それによる暴れているかの様な乱暴な動き、今まで味わった事が無い程の快感を与えてくれた射精。

 そしてその快感の裏側にあったものこそ、自分が求めていた自由と渇望なのだと思った。

 

 (喉から手が出る程欲していた……

 私が今までやりたくても出来ずに押し殺していた感情。

 アイツに犯されていた時も、子育てに忙殺されていた時も私は私の思う通りに生きる事なんて出来なかった。

 でも、さっきのセックスは望んだ事を全部望みのままに実行する事が出来たのよ……)

 

 一時的に両性具有者となり、ただ絶頂を迎える為に動いた。

 何にも、誰にも縛られる事無く己の快楽を追い求める事が出来た。

 最高の気分だった。

 満たされたくても満たされなかった冴子が、ようやく見つけた『安息の地』は、こういう世界だったのかもしれない。

 彼女は全裸のままベッドに寝そべり、少女が別れ際に放った言葉を思い返していた。

 

 

 蔵崎が豊に語った哀しくも美しい物語は、激しく心を揺さぶり涙腺を滲ませるには充分過ぎるものだった。

「……俺が冴子さんの立場だったら、絶対育児放棄してますよ。

 息子さんの時も、御孫さんを引き取らなければならない時も。

 到底真似出来ないなぁ。

 どうしてそこまで頑張れたのか知りたい位です」

 

 彼女の行動が理解出来ないと訴える豊に対して、蔵崎は僅かに俯きながら言葉を返す。

 

「頑張った、では無いんだよ豊君。

 そうする事でしか冴子は自分の心を守る事が出来なかったんだ。

 人間はね、とても弱いんだ。

 1人では生きていけない脆い生き物なんだ。

 そして、生活環境が整っている事とは別に人間が望み続ける事がある」

 

 蔵崎も、井島豊も、綾小路桜華も人生において求め続けたもの。

 蔵崎も長い人生においてそれを追い求めていたからこそ、それが何なのか知っていた。

 

「承認欲求が、人間の根幹と言っても大袈裟では無い。

 それが真理だと言っても良い。

 人は、誰かに褒めてもらいたいと願い、必要な存在だと思われたいんだ。

 彼女にとって育児放棄すると言う事は、彼女を求める存在が羽生晃だけになってしまうと言う事。

 だから、彼以外の自分を求めてくれる『息子』を選んだ。

 そしてそれが『孫』に変わった。

 大変でも、冴子にとってその道しか無かったんだよ」

 

 豊も、編集者として不特定多数の人間に発信し続ける事を生き甲斐としてきた。

 桜華は、不特定多数の人間に自分が価値のある存在だと言ってもらいたかった。

 冴子もまた、そうしてきただけだったのだ。

 

「だけれどね……

 その愛が、変質していってしまった。

 殺したい程憎い相手の遺伝子を持つ息子に愛を注げなくなってしまった。

 何故か解るかい?豊君」

 

 肩を落としてその息子を憐れむ蔵崎。

 その目を真っ直ぐに見つめながら豊は質問に答える。

「冴子さんの目の前から、羽生晃がいなくなったからですね」

 

「そうだよ。

 人間は自分勝手な生き物でもあるんだ。

 復讐と憎悪の直接的な対象が自分の前に居る間は息子を庇っていられる。

 だがいなくなると、今度は間接的な憎悪の対象を求める様になる。

 冴子は怒る事を、恨む事をずっと抑え付けられてきた。

 その反動が一気に来たんだ。

 冴子も複雑な心境だと思うよ。

 愛したいのか、憎みたいのか……

 自分でもよく解らなくなっているんじゃないかな」

 

 そんな彼女を、蔵崎は愛した。

 蔵崎の記憶の中では、彼女はまだ汚れを知らない女子高生のままだったからだ。

 今彼女を愛する者がいないと、彼女は本当に駄目になってしまう。

 建前と本音の間で揺れ動き、葛藤しているのは蔵崎も同じであった。

「……桜華君とは、上手くやれているのかい」

 

「ええ、何とか。

 話していて思うんですけど、アイツ程心が綺麗で純粋な奴はいないですよ。

 俺が『火村あかりみたいな女性が好き』って言う事を知ったせいなのか、最近は性格や態度まであかりに似てきて……

 愛してもらいたい、好きになってもらいたいって意味なんでしょう。

 本当に健気な女です」

 

 豊は桜華が『研究熱心』である事を知っていた。

 

 子供の頃から人に好かれる事に対して異常な程の拘りを持ち、必要だと思えばどんな事でもする。

 幼少期にあかりと豊が遊んでいた頃の映像を見て、喋り方の癖まで学ぶ徹底ぶりだった。

 逆を言えば、豊に嫌われれば居場所が無くなると言う危機感を抱いているのかもしれない。

 豊にとっても桜華の優しさに救われている所があるだけに、そう思われているのが少し寂しかった。

 

「解らないものだね。

 実際に会って話してみないとその人間の本質を知る事は出来ない。

 今はネットが発達した世界になっているから、会った事も無い人間の悪口が飛び交っている。

 その人間がどういう考え方を持って行動しているのか知りもしないのに。

 桜華君も、もしかしたらそういう社会の犠牲者だったのかもしれないねぇ」

 

 蔵崎はそう言いながら、顔も見た事が無い羽生晃の事を考えた。

 勿論、やってきた事は極悪で、許す事の出来ない大罪人だろう。

 そんな彼と話をして変わる事があるのかどうか、自分でもよく解らないままだった。

 

 (そりゃ、話してみなければ何とも言えないさ……

 仮定を述べてもキリが無いのと同じで)

 全国大会で綾小路桜華が見せた眩しい笑顔が、愛する女性である冴子と重なる。

 もしかしたら、2人は似た者同士だったのかもしれないと蔵崎は思った。

 

「さてと、そろそろ冴子の所に戻ってやらないと」

 大きく伸びをしながらそう言った蔵崎の顔は、若い頃のものへと変化している。

「オーナー、たまには俺の所にも遊びに来てくださいよ。

 サエ……冴子さんにもZEROをやらせたら、意外と上達したりして」

 

「彼女はゲームをやる様な女じゃないよ。

 いや、ゲームみたいに人生もリセット出来たら、なんて思う事はあるかもしれないがね」

 昔の映画俳優の様な、凛々しい顔つきだ。

 豊は蔵崎の顔を見ながら改めてそう感じた。

 きっと、モテていただろうとも。

 

「そのうち冴子と一緒に御邪魔させてもらうかもしれないが、その時は宜しく。

 桜華君にも、何時か『皆』で遊ぼうと伝えておいてくれ」

 

 皆の死。

 いずれ誰にでも等しく訪れる死。

 そして集まる仲間達。

 毎日の様に、エターナルナイトで笑い合ったり哀しみを共有した者達。

 その日々が走馬灯の様に脳裏をよぎり、思わず豊の目から涙が零れ堕ちた。

 

「はい。

 勿論、その時が来る事は覚悟してますが……

 なるだけ、時間がかかってほしいですね。

 オーナーだって、同じ気持ちでいると信じています」

「当たり前じゃないか」

 

 名残惜しいとばかりに豊の肩に手を置き、微笑んだ後蔵崎は豊の前から去っていった。

 

「ただいま」

 何年も連れ添った夫婦の様な、ごく自然なやり取り。

 蔵崎の目の前にはそんな『普通』とはかけ離れた光景が広がっていたが、それも彼の中では当たり前の事だった。

「お帰りなさい、ゲン君。

 ずっと待ってたんだからね」

 

 他の女性とセックスをしていたと言う事実を覆い隠し、何時もと同じ様に振舞う冴子。

 全裸のまま抱き付いてきてそのまま彼をベッドに押し倒すのも、何回行ったのか解らない程常態化している。

「疲れてるんだけどな……」

 

「だったら余計良いでしょ。

 私、疲れマラって言葉があるの知ってるんだから」

 白い着物の下には何も身に付けていない為、あっと言う間に蔵崎は全裸になった。

「冴子……」

 

「私は世界で一番ゲン君の事を愛してるよ。

 それを証明したいの。

 あの男に汚された回数以上に、ゲン君に愛してもらいたい」

 記憶をセックスで塗り潰す事は出来なくても、これからの記憶を塗り替える事が大事。

 冴子はそう言いながら萎えている男根の先端を優しく剥き、舌を這わせる。

 

「ゲン君に気持ち良くなってほしいの。

 私と同じ位に。

 全部忘れさせて……

 私をあの日の夜に戻して頂戴」

 

 無意味である事は、お互いに解っていた。

 しかし止める事等出来ない。

 時間を逆回しする事は不可能であると知りながら、2人は愛欲に溺れていた。

 

「今度、井島豊の所に遊びに行こう。

 綾小路桜華も待ってるってさ」

 蔵崎の言葉に反応し、冴子の肩が僅かに震えたが彼女は平静を装う。

 

「ゲン君がそう言うなら……

 彼、私の店の常連さんだったのよ。

 洋子にも優しくしてくれていたみたいだし。

 それはともかく」

 完全に勃起した肉棒を自身の蜜壺の中に導き、冴子は上下に腰を振った。

 

「今は昔の、明日が来る事を拒んでいた頃に戻って楽しみましょう」

 完璧な肉体。

 乱れる黒髪。

 それを満喫する事が出来る自分は何と幸せな存在なのか。

 肉の砲身が柔らかな壁に扱かれる快楽に身を委ねながら、蔵崎はそう思った。

 

「凄いよ、冴子……

 飛ばし過ぎじゃないか?

 もう弾けてしまいそうだ」

「弾けちゃっても良いわよゲン君。

 その代わり、1回や2回で満足しないでね」

 

 流れる汗、絡み合う肉体……

 胸に両手が添えられ、大股を開いた冴子が抜き差しを繰り返している。

 もっと、ずっとこうしていたかった。

 あの時何度も願った事が現実になっていたが、蔵崎の心が満たされたワケでは無かった。

 

 (冴子。

 俺はずっと君の我儘に付き合うよ。

 俺は君を助ける事が出来なかった。

 お前の性欲を満たす為の人形になる事が君への償いになるのなら……)

 

「ゲン君の、大きい……

 私の中で暴れて、出したいって叫んでるのぉ!」

「冴子、コレ以上は本当に……

 ううッ」

 

 彼女の艶っぽい喘ぎ声、実際に与えられている快楽、そして彼女の生まれたままの姿。

 処理しきれない程の情報が脳へと届き、蔵崎は歯を食いしばりながら呆気なく果てた。

 

 

 愛されない自分。昔の恋人と性行為に溺れる母親……

 誠実は、この現実が続く事に対して疲れ果てていた。

 

「本当に、宜しいんですね?

 後戻りは決して出来ませんよ」

「構いません。

 俺と愛なら、きっと上手くやっていけます」

 何度も何度も悩み抜いて、愛とも話し合った末に選んだ道。

 

 自分の決断は間違っていない。

 そう思った。

 後悔が無い決断は無いのだから、今の己の気持ちに正直になるべきだ。

 そう思い、誠実は愛と共に『転生の間』へと足を踏み入れたのだった。

 

「天国での転生は、人間を含むあらゆる動物へと転生する事が可能となっております。

 さらに、そこまで無茶な注文でさえ無ければ転生後の人生も決められるんですよ」

 

 誠実のいる地域担当の天使とも話し合い、愛と一緒に転生を行う事で合意した。

 条件は人間として生まれ変わり、また愛と結ばれ結婚して幸せな家庭を築く事。

 下界に残してきた洋子の事が心残りではあったが、誠実は現状に耐え続ける事が出来なかった。

『私は、貴方の意思を尊重する。

 ついてこいと言うのなら、地獄の果てまでもついていくわ』

 

 今までの記憶と人格を失うと言う恐怖。

 誠実の妻はそれすらも乗り越えてその選択を受け入れてくれた。

 ある意味で真の、羽生誠実及び御母誠実としての死。

 そういう決断をしなければならない程彼は追い詰められていた。

 

『母さんの、猿になった様に振舞う姿を見ている事が苦痛なんだ。

 胸が張り裂けそうな位辛い。

 それに、もうすぐアイツがこっちにやってくるのも怖くて……

 決断するなら、今しか無い。

 僕についてきてくれるかい?』

 

 愛への感謝と、これからの愛との幸せな生活を夢見ながら、彼は大きな鏡の前へと立つ。

「貴方は人間の男として生まれ変わり、隣にいる貴方の大切な人ともう一度恋に落ちます。

 天武日本人であるかどうかも解りません。

 そしてそれが幸せな一生である保証はありません。

 止める事は、何時でも出来ますよ」

 

 天使としても、天国と言う満ち足りた場所にいながら現世への逃避を求める者がいる事は苦痛だった。

 罪を犯す事無く天国へ辿り着いた者が転生を行う確率は一割にも満たない。

 自分達は最良のサービスを提供出来ていると言う自信があるからこそ、彼の選択に心を痛めていた。

 

「俺のためだけじゃない。

 母さんの為にも、俺がいてはいけないんです。

 地獄に落ちるであろうアイツはともかく、俺が天国にいると母さんはアイツの事を嫌でも思い出してしまう。

 だから母さんは俺を避ける。

 母さんに愛される為には、俺がココからいなくなるしか無いんです」

 

 悲痛な叫びだった。

 そして、どう願ってもその事実が覆る事が無い事も解っていた。

 妻が注いでくれる愛は嬉しいし、感謝している。

 だがその愛情は決して母親の代わりにはならないし、自分の空っぽになった心を満たしてはくれなかった。

 

「あなた、必ずまた会えるのよ。

 さよならなんて言わないわ」

「僕達は一緒だ。

 ずっと一緒だ。

 この一歩も共に踏み出していこう」

 

 5メートルはあるであろう姿見の前に立ち、手を伸ばす誠実。

 鏡はそれを飲み込み、やがて2人の身体全体を受け入れた後何事も無かったかの様にキラキラと輝いていた。

 

 転生した魂は、現世へ戻り新しい物語を紡いでいく。

 その一方で、『辿ってきた道』を諦めきれない人間の方が沢山いる。

 自分の人生の幸せを求めて愛欲に溺れる冴子も、新しいスタートを切る誠実も本質的には同じなのだ。

 そして、邪悪な魂が地獄に落ちて裁きを受ける日も近付きつつあった。

 

「ゲン君、私達ずっと一緒よ。

 私達の仲を引き裂く事は誰にも出来ないわ」

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