ゲーム大会と政治と言う普通ならば出会わないもの同士が
人の思惑によって重なり合い1つの運命に向かって突き進んでいきます。
午前11時 氷室瞳VS五十神妖
この場にいる者の中で最も実力的に劣ると思われるのは間違いなく氷室瞳であった。
数合わせの感は否めないが、火村あかりとの特訓の成果は間違いなく出てきている。
(兄さんの様になりたい。
どんな時でも慌てず騒がず、結果を出す事が出来れば……)
兄に不信の目を向ける妹の姿はもう無かった。
格闘ゲームに魅了され、仲間と共に勝利を目指すその精神に憧れた。
親善試合での勝利は兄や仲間に捧げるもの。
何としても勝って爪痕を残しておきたい。
しかし、対戦相手が認定ZEROゲーマーである事実は重いものだった。
「初めまして、氷室瞳さん。
愛知県認定ZEROゲーマーの五十神(いそがみ)妖(あや)です。宜しくお願いします」
「こちらこそ」
長い黒髪から覗く赤い瞳は駅で会った時から怖かったが、目の前に対峙していると尚更それを強く感じてしまう。
瞳は画面に目を向け、息を整える。
頭の中ではこれまでに得た様々な知識が次々に現れては消えていた。
(兄さんの様になれなかったとしても、無様な負け方だけはしたくない。
そんな負け方をしてしまったらあかりさんや涼介さんに申し訳が立たない。
何とかして食いついていかないと……)
ZEROの主人公であるヴォルフの妹、ヴィアージュ・ムーンリファード。
兄が使っているキャラクターと操作方法が似ている為、瞳はこのキャラクターを使う様になった。
対戦相手である五十神は全国大会の決勝トーナメント出場経験を持つ強豪プレイヤーであるが、実生活や交友関係に関しては謎が多い。
今回の親善試合でもチャットでエントリーを済ませ、当日の朝まで顔を見せる事が無かった。
「貴方の顔からは怯えや不安を強く感じます……
それを拭い去らない限り、私に勝つ事は出来ないでしょう」
カーミラ・クリムゾンを選択した彼女は、そう言って微笑んだがその笑い顔も相当不気味だった。
(カーミラの超必殺技は相手の体力と機動力を奪う『毒の血』……
至近距離で浴びれば致命傷は免れない)
カーミラ・クリムゾンとオーブ・クリムゾンの関係はヴォルフとヴィアージュの関係とよく似ている。
技は殆ど同じものだが、スピード、攻撃力、超必殺技に違いがあると言う点だ。
『REAL DEATHGAME START!』
エリア『古城の屋上』で試合が始まる。
スピードのあるインファイター、ヴィアージュは至近距離での攻撃が主だが、相手もそれは変わらない。
蝙蝠等の飛び道具も持っているが、基本的には長い爪を使った引っ掻き攻撃を多用する事になる。
「避けきれますか?」
数匹の蝙蝠を飛ばしつつ、走ってきてからの跳躍。
そこからの攻撃で相手に暴れる隙を与えない。
蝙蝠をガードしている最中にジャンプ斜め下攻撃が入るので、ただガードし続けている事しか出来ないのだ。
(ココが踏ん張り所。攻撃を喰らえば相手の優勢。
耐え切って反撃のチャンスを見出せれば……)
しかし瞳は技術を一通り習得したレベルである。
若葉マークの初心者がマークを外したプロのプレイヤーに勝てる程甘い世界では無い。
中段からの崩しでジャンプ蹴りからのコンボ、容赦の無い起き攻め、気絶からの最大溜め一撃が続く。
何とか衝撃波でその怒涛の攻めから逃れた時には、体力は殆ど残っていなかった。
(これが、プロとアマチュアの違い……!)
自分の力の差を痛感し、どうする事も出来ない自分に歯がゆさを感じる。
だがココで開き直らない限り勝利は絶対に掴めない。
何かを残さなければ。そう思い起き上がった相手に突っ込んでいく。
「居直りの攻撃では勝てませんよ」
妖は素早く態勢を立て直すと迎撃に備える。
だが格闘ゲームの世界に神がいるとするならば、その神が一時瞳にチャンスを与えたのだろう。
攻撃が外れ、コンボのチャンスが生まれる。
例え日が浅くとも、知力では兄に負けない妹は見事に攻撃を決めきった。
覚えた事を忠実に、確実にこなす事。
時にはそのセオリーを無視する事はあれど大切な要素の1つである事に変わりは無い。
下段からの蹴り上げ、蹴って地面に叩き落し、中段起き攻め。
暴れをバックステップで回避し、確定反撃。
(成程。流石に天才ゲーマーと同じ血を持つだけの事はある。
磨けば光る原石として要注意人物のリストに入れておきましょう)
五十神妖はそう思いつつも再び起き攻めを仕掛けてきたヴィアージュを迎撃し、ラウンドを取って安堵の表情を見せた。
午前11時2分 氷室零VS九龍拓巳 最終ラウンド
最終局面において、この2人の戦いはどちらが勝ってもおかしくない状況となっていた。
超必殺技を残し、どちらも体力はレッドゾーンに到達。
互いにラウンドを取っている為まさに最終決戦の様相を見せている。
この状況になると一撃が通った方の勝ちになる為、零も拓巳も迂闊には動けない。
(一撃で決める必要は無い。
勝つ為の最良の選択を状況に応じて決めるだけだ)
頭ではそう思っていても、額や頬を流れる汗は、ここまで追い詰められてしまったと言う拓巳の動揺を確実に示していた。
一方表情には出していないが、零もスリル満点のこの状況を心から楽しんでいる。
(近付いていくべきか、距離を取って迎撃すべきか……
1つでも選択を間違えれば敗北に直結する)
純粋なインファイターの為、飛び道具による牽制は出来ない。
零は真っ向勝負に全てを賭けた。
(近付いてきた!)
拓巳はバックステップで距離を取り相手の隙を狙う。
踏み込んできた零はバックステップのモーションが終わった瞬間に投げ、超必殺技に繋げようとする。
だがコマンドが入る前に拓巳は衝撃波で相手を飛ばし、今度は自分が攻めに向かった。
相手の攻撃をガードで耐え、今度は確定反撃で超必殺技に繋げ、ヴォルフが勝利の唸り声を上げる。
傍から見ればあっけない幕切れの様に見えたかもしれないが、高度な駆け引きの末に生まれた結果であった。
「ちょっと焦って大振りな攻撃をしてしまったな。
俺もまだまだ発展途上か」
「いえ、なかなか懐に潜らせてもらえなかったので苦労しました。また勝負しましょう」
しっかりと男同士の友情を感じ、握手を交わす零と拓巳。
拓巳も負けず嫌いな性格の為か、悔しそうな表情さえ心の奥に隠して、精一杯の笑顔を見せていた。
ハンカチで汗を拭きながら何気なく周囲を見渡した零は、他の筐体でも試合が終わっている事が解った。
氷室零○VS九龍拓巳×
井島豊○VS日向剛×
火村あかり○VS海野亜津子×
西園久緒×VS双葉沙織○
柏糸涼介○VS双葉香織×
雨宮比呂子×VS狩谷優○
氷室瞳×VS五十神妖○
終わってみれば、実に順当な結果だったのかもしれない。
しかし、氷室零と井島豊に関しては殆ど薄氷を踏む様な勝利であり、西園久緒や雨宮比呂子は結果を残したグッドルーザーだった。
双葉香織や氷室瞳は惨敗と言う結果ではあったが、この結果を次に繋げていける実力は確実に持っている。
単純な結果としては、零達の勝利となり、最後の大将戦に移行する事となった。
「ねぇあっちゃん。天邪鬼さんと零の戦いならどっちが勝つと思う?」
「勿論私は今回のチームの参謀なので、リーダーを応援しています。
それでも、厳しい戦いになるでしょうね」
バトルを終えて意気投合したのか、火村あかりは海野亜津子と楽しそうに話していた。
元々あかりは人の心に入って友達を作るのが抜群に上手いのだが、亜津子とは特に馬が合う様だ。
現在、氷室零と天邪鬼が向かい合って座っている筐体の前にメンバーが全員集まってきている。
「ッ……うう……畜生」
「ええよ。しっかり泣いとくんやで。悔い残さんようにな」
泣き喚きたい衝動を必死で堪え、歯を食いしばって涙を流す久緒の肩に沙織が手を乗せ、慰めていた。
絶対に負けないと誓った大一番で惜敗したショックはあまりにも大きい。
氷室瞳も兄に続こうと善戦したのだが及ばず、憂鬱な表情を浮かべていた。
(兄さんが何処まで行くのか……
私には見届ける義務がある様な気がする)
死んだ魚の様な目で事の成り行きを見守ろうとする瞳。
だが背後に人の気配を感じ振り向く。
「私も貴方も、これから、大きくなっていきましょう。
皆で頑張れば、必ず出来る事ですよ」
本当は比呂子も涙を流したかったのだろうが、晴れやかな表情を見せていた。
(師匠は本当に強かった。負けて悔い無しです。
これからは私が自分自身の足で歩いていかないと)
狩谷もまた、離れた所から2人の戦いを見届けようとしていた。
(今最も全国大会の優勝に近い男と言われていた九龍拓巳……
そして日向剛は、新世代の台頭と言われてきた。
だが、彼等と同じ様に種は撒かれ、育っていく。
氷室零が新世代の台風の目ならば、真紀はその対抗馬と言うべき存在。
どちらが勝つかで、このZEROの東西勢力図はガラリと変わってくるだろう)
しっかりと握手を交わし、互いの健闘を誓い合う天邪鬼と零。
「貴方がお強い方なのは目を見れば解ります。ベストを尽くしましょう」
「……正直、こうまで早く成長されているとは思いませんでした。
紅白戦の事は聞いていましたが、貴方の伸び率には驚異的なものを感じます。
ですが、上には上がいると言う事を教えて差し上げましょう」
天邪鬼はギルドZEROのリーダーであったが、実は全国大会ではベスト8までしか体験した事が無い。
実力だけならば九龍拓巳や日向剛に劣る。
そんな彼女がリーダーとなったのはひとえに人徳とカリスマ性によるものだった。
ギルドZEROを結成し、都道府県認定ZEROゲーマー同士の結束力を高めてきた。
神秘的な姿と優れた知性・判断力・リーダーシップをいかんなく発揮し、この地位を守ってきたのである。
その功績もあって、拓巳ですら彼女には一目置いている程だった。
席に座り、キャラクター選択画面でそれぞれのキャラクターを選択する。
画面が暗転し、フィールド画面に切り替わった。
「イリス・ウッドゴブリンか。
そういえば、2004年度の全国大会でベスト8に入ってた女性プレイヤーがいたなぁ」
「零さんは全国大会の経験が全く無いですからね。
俺の時と同じ様に苦戦すると思いますよ」
井島豊はこれまで編集者として、あるいは対戦相手として何度も拓巳や剛と関わっている。
年齢は同じなのでもっとくだけた話し方をしても良いのだが、拓巳は敬意を払って豊とは敬語で話す様にしていた。
フィールドは『神殿前』に決まった。
ゲーム中の設定ではこの場所が獣達が暮らす世界の心臓部とされている。
絶対に譲れない、守るべき場所。
それはこれから戦う2人の勝ちたいと言う感情と同じ様なものだった。
『REAL DEATHGAME START!』
イリス・ウッドゴブリンは巨大な棍棒を両手で持つパワーファイターでありながら、リーチの長さを持つ特殊なキャラクターとなっている。
棍棒は設定上鉄で出来ている為非常に重く、移動速度も攻撃のスピードもかなり鈍い。
だがその代わり一撃で与えるダメージが多く、上手く立ち回りさえすれば逆転も容易かった。
(スピードはこちらが遥かに優れている。
ガードの時間は同じだからそこに気を付ければ何とかなるだろう)
飛び道具が全く無い為、相手が近付く事を止める事が出来ない。
飛び道具に頼るキャラクターの場合自分から近付かなければならないのだが、相手はインファイターだ。
ヴォルフが地上から素早い蹴りを見舞い、地上で次々と技を繰り出す。
イリスは素早くガードして相手の攻撃を耐え抜いた。
「途中で攻撃を受けてしまう事もあるのに……しっかりガードしてますね」
「イリスを上手く使いこなす為には不利な状況に耐え抜く事が必須ですから。
あとリーダーは間合いを測るのが本当に上手です。私も何度負けたか解りません」
イリスはガードを固めつつチャンスを伺い、隙を見て投げを決める。
投げた直後に棍棒を真横に振り、ヴォルフを画面端に吹き飛ばした。
相手のHPを大きく削り取る。
「今の攻撃だけで3分の1が消し飛んだ。エグいキャラクターだね」
「こういうキャラクターにも勝てないと、全国大会の夢の舞台には立てませんよ、零さん」
端に吹き飛ばされたおかげで、相手の追撃は無い。
しかし迂闊に近付けば棍棒の餌食になってしまう。
ヴォルフはイリスの攻撃を誘い、攻撃が空振りした所で懐に潜り込む必要があった。
「振ってきても構わないよ」
「それでは、お言葉に甘えさせて貰います」
微笑みながら、天邪鬼はイリスを絶妙なタイミングで前に動かし、じりじりとヴォルフを追い詰めていく。
攻撃される間合いを完璧に熟知されている為、相手の懐に飛び込む事が出来ない。
「あれですよ、彼女の真骨頂は。
動きの遅いキャラクターが動きの速いキャラクターを威嚇しながら追い詰める。
余程の実力が無いとそんな事は出来ませんよ。
だからこそ俺は彼女がギルドZEROのリーダーである事に納得してるんです」
「確かにあれは厄介だな。
攻撃が大振りなのは零も承知の上だろうが、攻撃範囲の広さが足枷になっている。
弱気になればフィールドの端に追い込まれて連続で攻撃を喰らっちまうぞ」
フィールドの端でダメージを受け続ければ、無傷でラウンドを取られてしまう事はほぼ確実だった。
それが解っているからこそ、行かなければならない。
零はヴォルフを走らせ、イリスに近付こうとする。
イリスは完璧なタイミングで棍棒を振ったが、棍棒が触れるギリギリの所でヴォルフはバックステップを行い攻撃を回避した。
(嘘、私の攻撃を紙一重で見切った!?)
一度攻撃を行ってしまうと次の攻撃を行うまでに時間がかかる。
イリスの特徴が仇となり、ヴォルフの接近を許してしまった。
再びヴォルフの容赦無い攻めが始まる。
「兄さん、あんな攻撃を避けるだなんて……」
「目の良さと状況判断力の良さが光りますね。一流のゲーマーと呼ばれているだけの事はあります。
ここまで強いと、全国大会の決勝トーナメントに進む可能性も出てくるでしょうね」
五十神もまた一流と呼ばれるに相応しい腕を持つ認定ZEROゲーマーだったが、彼女が舌を巻く程零の実力は確実に上がっていた。
先程の投げを喰らわない様に、攻めている最中も決して気を緩めず、相手がどう出てくるかをじっと見ている。
(衝撃波で一度距離を取ろう。
ダメージを受けてしまうのが一番不味い)
天邪鬼はそう判断し、ガードを固めていたが衝撃波を放とうとした瞬間、遂にヴォルフの爪がイリスを捉えた。
「凄い。あれだけガードに定評がある彼女を追い詰めるなんて」
「零は成長のスピードが段違いだからな。
ちょっと前までは俺達と同じフィールドに立っていたハズなのに、今じゃ追い抜かれちまった感すらある」
紅白戦が終わってからの1ヶ月間、彼は次なる強敵との戦いに備えて爪を研ぎ続けていた。
その努力は決して無駄にはならない。
吸収力が高い彼がそれだけの時間をかけたのならば尚更だった。
(イリスの防御力は若干低めに設定されている。
相手を倒すのは容易く、また負けるのも容易い)
画面端で連続攻撃を喰らい、ダメージが蓄積していくイリス。
既に体力を半分程奪われている。
残り時間30秒。
若干だがヴォルフがリードしている状況の中、天邪鬼は挽回する為の方法を模索していた。
(真紀が気持ちで押されるとは……!
精神面でもタフなアイツを動揺させる程強いのか、氷室零と言う男は)
狩谷は天邪鬼が優勢になると信じて疑わなかった。
自分をここまで育ててくれた『師匠』が、僅か数ヶ月しかZEROを触った事が無い人間に押される等思ってもいなかったのだ。
天邪鬼が努力の末に多くのものを獲得してきた秀才タイプのプレイヤーだとするならば、零は感覚で多くの技術を掴んできた天才タイプのプレイヤーだと言えるだろう。
(駄目よ真紀。落ち着くの。
イリスの攻撃力の高さを考えれば、この程度の差はすぐに取り返せるわ)
追撃を免れる為、衝撃波で再び間合いの勝負に出る天邪鬼。
それでも先程の驚きがまだ消えてはいない。
「もう1回行きますよ」
今度は零が動揺している彼女をじりじりと端に追い詰める格好になった。
追い詰めているとは言え、イリスの攻撃範囲の広さを考えれば実際に攻撃を当てるまでが難しい。
「これでさらにダメージを与えられるなんて、自分を過信し過ぎているんじゃありませんか?」
僅かな差であった。だがその僅かな差は2人の戦いに確実に影響を及ぼしている。
少しだけ前へ出て、横に棍棒を振る。
後退している大きな事実の中に半歩出た小さな事実を隠しての攻撃。
零は確かに追撃を行おうとして焦っていたのかもしれない。
半歩分の小さな差が当たり判定を変えると言うのは周知の事実だ。
その事に気付き、再びバックステップで距離を取ろうと思った時には既に手遅れだった。
棍棒の先端がヴォルフの身体を捉え、再び相手を横に吹き飛ばす。
あっと言う間に体力が逆転し、今度は天邪鬼が追撃を行う為に近付いた。
(この起き攻めが通れば、真紀が1ラウンドを取る事が出来る。
拮抗した実力で優位に立つと言う事実は大きい)
相手が起き上がった瞬間に棍棒を振る。
余程の事が無い限りこれで勝てるハズだった。
だが零は後先の駆け引きより今この瞬間のラウンド奪取の方を優先し、超必殺技の発動による無敵時間で相手の攻撃を回避する。
(ど、どんな目をしているの!?)
天邪鬼は零の判断力の高さに唖然とする他無かった。
大振りの攻撃が外れた後、相手の引っ掻きにより連続でダメージを受けイリスは倒れてしまう。
零がラウンドを取った瞬間、ギャラリーとなっていた認定ZEROゲーマー達がどよめいた。
「凄ぇ……超必殺技の温存を全く考えずに目の前の勝利を優先しやがった。
しかも完璧な見切りが無かったら無敵時間で棍棒を避ける事も出来なかったハズだ。
空間認識能力の高い化け物だな」
「彼が、俺達の前に立ちはだかる壁になる事は間違いなさそうだ。
俺達が何年もかかって積み上げてきたものをあっと言う間に吸収して、それを凌駕していくとは」
全国大会の優勝者と準優勝者ですら、今起きた事実を疑いかける程、零は恐ろしく高い壁を乗り越えてみせた。
天邪鬼と言う一流のプレイヤー相手に一歩も引かず互角に渡り合っている。
豊やあかりは彼が仲間である事がとても誇らしかった。
彼の努力はメンバー全員が承知している。
『もっとコンボ精度を上げていかないと。
それと防ぐだけで無く、避けていく戦い方も習得していきたい』
エターナルナイトで遅くまで練習を行っている零の姿を、豊は何度も目撃していた。
努力は決して裏切らない。
格闘ゲームにおいては特にその傾向が顕著だ。
だが超必殺技を使ってしまったと言う事実もまた大きい。
イリスの超必殺技も大振りではあるが壊滅的なダメージを与える事が出来る為、その脅威とも戦わなければならなかった。
ヴォルフのHPは3分の1程しか残っていない。
この第2ラウンドで余計なダメージを受けてしまえば苦戦は必至だ。
必殺技に頼る様な戦い方をしていては勝てないと言う事は、零の実力からしても明らかである。
(彼の判断はどんな時でも間違っていない。
でも、私はこの試合で負けるワケにはいかないのよ!
ギルドZEROを背負うリーダーとしての威厳を守る為にも、絶対に勝ちに行かなければ)
苦戦を強いられている事は明らかであったが、天邪鬼はこんな所で折れる程脆い人間では無かった。
(零さんは勝利を決定的なものにする為に一気に勝負を決めようとしてくるはず)
攻めるのでは無く、迎撃する。
だがただ待つだけでは足の速いヴォルフに詰め寄られてしまうだけだ。
前後に移動しながら揺さぶりをかけ、天邪鬼は零の攻撃を誘おうとしていた。
「やっぱり天邪鬼はんは安定してるわ。ウチが戦ってもよう負けるしなぁ」
双葉沙織が彼女を讃え、その横にいた久緒が睨み付ける様な鋭い眼をしたまま試合の行方を見守っている。
(このレベルに到達しねぇと全国大会に出れねぇって言うんなら……
俺は徹底的にコイツのやり方を見て盗むしか無ぇ。
ベスト16経験者に圧勝する様な実力が欲しい。
自分の経験値を触って、学んで極限まで上げるんだ)
久緒はこの遠征を自分の実力強化の為のキャンプと考え、古都へ行く事に同意していた。
勿論、彼女以外にもそう考えている者は沢山いる。
強いプレイヤーと戦う事で得れるものは大きかった。
だが零は強くなると言うレベルで物事を考えてはいない。
勿論強くなる事も大事だが重要なのは大一番で負けない強靭な精神力を作る事。
それを安定して試合で発揮する事で、一発勝負のトーナメントである全国大会で結果を出したいと思っていた。
(彼女に勝つ事で、僕の強さを全員に証明したい)
零が積極的に攻めるべき場面である事は誰の目にも明らかであったが、零はあまり能動的に動かず、試合は膠着状態に陥った。
(私が焦れて攻めに行く事を狙っているんでしょうけど、そんなに甘くは無いわよ)
お互い勝機を見出せないまま、悪戯に時間だけが過ぎていく。
第2ラウンドの残り時間は20秒になっていた。
「零さんはどうやら、無理に攻めずにこのラウンドを捨てるつもりみたいですね」
九龍拓巳もまた、無理に攻める事のリスクを充分承知している。
攻撃を喰らった時のダメージが大きい相手ならば尚更だ。
その時、ヴォルフが中距離から一気に距離を詰め、空中から蹴りで攻撃をしてきた。
(仕掛けてきた!)
動きが鈍いイリスではヴォルフの攻撃を上手く捌く事は難しい。
しかし完璧なガードで猛攻に耐え、投げで相手のHPを削る。
倒れた相手に向かってイリスは全力で近付いていった。
(真紀、それは駄目だ!)
天邪鬼はつい自分が優位な立場であると錯覚して攻めに行ってしまった。
タイムアップで充分に倒せた相手であるにも関わらず、無駄なリスクを背負ってしまう。
だがこの判断を選択した彼女を責めるのは酷だろう。
相手を素早く倒す事もまたリスクを軽減する為の措置だからである。
(ココで倒して悪い流れを変える)
棍棒を振り下ろし、一気に決着を付けようとするイリス。
起き上がったヴォルフは何とか攻撃をガードし、何回かの攻撃に耐えた後、ダッシュで相手に近付き爪での攻撃を行う。
大振りな攻撃でガードが間に合わなかったイリスは余計なダメージを受けてしまったが、タイムアップで追撃は免れた。
「ああ、タイムアップじゃ無かったらもっと削れてたな。
上手くいけば瀕死近くまでいけたかも」
「でも優位な状況のままなんだから御の字でしょ。
天邪鬼さんとしてはもう無理に突っ込んでいくしか無いね」
涼介の言葉通り、零が操るヴォルフの体力は1本分フルゲージ。
対する天邪鬼のイリスは半分近くまでHPを減らされてしまっている。
動きが鈍いパワーキャラクターが追い詰められるのは避けるべき事態であった為に、天邪鬼も焦りを隠せない。
(スピードで負けている相手に追いすがっていくのは至難の業。
厳しい勝ち筋だけど、不利を承知で通すしか無い)
零としては最早攻めに行く必要は全く無かった。
後は60秒間、適当に相手をあしらいながら逃げる作業を続けるだけである。
「これはちょっと、零が勝つ方向に傾いちゃったわね。
天邪鬼さんが勝つ為には相当な頑張りを見せないと」
イリスは遠距離で様子を伺うヴォルフに近付いていく。
無闇に突っ込めば反撃を喰らうだけなので慎重にならざるを得ない。
(大丈夫。イリスの圧倒的な攻撃力なら3発で体力的に逆転出来る。
超必殺技が当たれば逆転勝利よ)
隙がさらに大きくなる超必殺技をどう当てるか。
ギャラリーは彼女に与えられた課題をどうクリアするのか気になっていた。
一方零の方はその万が一を防ぐ為に逃げ方を何パターンか考え、勝つ為の道を模索していた。
(勝てる試合でキッチリ勝つのが一流。
慢心すれば足元を掬われるだけ。非情になるべきだ)
ゲージの色が赤くなっているイリスの超必殺技を喰らえばその時点で天邪鬼の勝利が確定してしまう。
その為、安易に逃げるのでは無く、攻撃をしてその場をしのぐ必要もあった。
「両者共に実力が問われる一戦になったな」
「零さんが勝てば、私達の勝利です。
でも、全く油断出来ない状況ですね」
大きな動きが無いまま再び時間が経過していく。
ちょっとした牽制の場面こそあったがどちらもHPは削れない。
膠着した状況のまま最終ラウンドは残り30秒となった。
最後の1秒までこの試合の展開は解らない。
(落ち着くのよ。相手が油断していない事は解っている。
絶対に突破口を見つけないと)
反撃出来るかどうか解らないギリギリの位置関係で無駄に攻撃を繰り出し、零を揺さぶり続ける。
だが零は決して動じる事無く己がするべき事を完璧にこなしていた。
天邪鬼は覚悟を決め、リスクを背負って前に出る道を選択する。
「こんな所で立ち止まってしまうワケにはいきません」
負ける確率が高いのならば、代償を背負ってでも勝ちに行かなければならない。
形振り構わずのらりくらりと立ち回るヴォルフに対して近付いていく。
だが堅牢な城砦を崩す事がどうしても出来ない。
「逃げ方の上手さが際立っているわね。
零はガードするのが抜群に上手いけど、全てを防ぐのは相当厳しいハズよ」
攻撃があまりにも通らず、焦りが増幅していく。
苛立ちを隠す事が出来ない。
(私の動きを把握しているとしか思えない。
どうすればこんな動きが人間に出来ると言うの!?)
天邪鬼は唇を噛んだ。残り10秒。最早一刻の猶予も無い。
超必殺技が当たるか、当たらないかの世界に突入していく。
「私は最後まで絶対に諦めない!」
端に追い詰めていたヴォルフが、跳躍で左端からの脱出を試みる。
その着地の瞬間を見逃さずに天邪鬼は攻撃を仕掛けた。
回避不能な一撃である事を見抜いた零が衝撃波を使いその攻撃を回避する。
イリスは端に吹き飛ばされ、その隙に逆の端へとヴォルフが逃走した。
「今のを衝撃波で緊急回避?人間辞めてるね」
九龍も日向も零の実力の高さにただ茫然とする他無かった。
あまりのスーパープレーに声援が止み、静寂が場を支配する。
しかし天邪鬼も諦めず、ひたすらに相手を追いかけた。
相手が右端に行き、追い詰めようとした所でタイムアップを迎える。
最初のラウンドでの決定機を逃した事が敗因になったとは言え、あまりにも悔しい負け方であった。
「……私の負けです」
喉から絞り出す様に出てきた言葉だった。
天邪鬼の口からそれ以上の言葉は出ず、歯をくいしばり涙を流す。
この親善試合の為に準備をしていたハズだった。
勝てると思っていた試合で負けたと言う事実が重くのしかかってくる。
屈辱に耐え、涙を拭くと彼女は何とか席を立ち自力でギルドZEROの猛者達が集まっている所へ向かった。
一方気の休まらない戦いに何とか勝利した零は大きく息を吐くと手を伸ばし、軽くストレッチを行った後立ち上がる。
「神経を使う戦いだった……ちょっとでも気を抜いていたらこの結果にはならなかったと思うよ」
近くにいた豊にそう言うと、彼は黙ったまましっかりと頷いた。
勝負は実力と運に大きく左右される。
中堅プレイヤーが大物プレイヤーを倒す事も珍しい事では無い。
勝たなければならない試合の時に勝てるか否か。
それが全国大会で優勝する為のポイントなのだろう。
「貴方は本当に素晴らしいプレイヤーです。これからの成長を楽しみにしていますよ。
ただし、全国大会では敵同士。今度会った時は、必ず勝たせてもらいますからね」
天邪鬼が悔しがっているのは誰の目にも明らかだった。
それでも紳士的な振る舞いを変えず、握手を求める。
零もそれに応じ、しっかりと握手を交わした。
「元認定ZEROゲーマーだけで無く、認定ZEROゲーマーに勝っちゃうのかぁ……
しかも今一番勢いのある拓巳さんまで倒すだなんて。
今年の全国大会の台風の目になる可能性大ですよ」
エターナルナイトで共に戦っている涼介ではあるが、全国大会の決勝トーナメントは完全なる個人戦。
誰であろうと手強い敵になる。
零の成長に驚いてはいるが、それを追い抜いていかなければならない重圧も感じていた。
「この試合をもって、親善試合を終了致します。
なお、午後1時からこのゲームセンターは通常営業に戻りますので、別の客も大勢訪れる事でしょう。
遠征してきた方々は野試合を心行くまで楽しんで頂ければ幸いです」
室内にいた者達全員が彼女に対して拍手を送る。
この親善試合を組んでくれたお礼や、チームを率いてきた彼女の手腕を讃えるものだった。
その後零は拓巳、剛の両名と野試合を続け、豊とあかりはギルドZEROのサブリーダー、海野亜津子に連れられ旅館『斑鳩(いかるが)』へ到着した。
斑鳩は落ち着いた雰囲気の日本家屋で、古都府の旅館の中ではかなり高ランクの旅館と言う評価を得ている。
「しかし残念だったな、零は。
九龍拓巳も日向剛も用事があるから昼で帰っちまうなんてさ」
「東京の方で用事があるって言うんだからしょうがないでしょ。
他の人達は私達と同じ様にここで一泊していくみたいだけど」
ギルドZEROのメンバーもリーダーの天邪鬼以外は地方からやってきた者達ばかりだ。
翌日の夕方まで滞在予定の零達は、ここまでワザワザ来てくれた彼等に対する御礼の意味も兼ねて、古都府の観光地案内をしてもらう事になっていた。
「かなり広くて綺麗なフロントだな。
外観は味のある感じだったけど清潔さを大事にしてるって事か」
この旅館には3つの露天風呂が用意されており、全てがチェックアウトするまで好きな時間に入れる24時間対応の風呂になっている。
男性用、女性用、そして風情のある眺望が自慢の混浴露天風呂。
この混浴露天風呂が一番規模が大きく、客を集める要因だった。
主にカップルや熟年夫婦が利用する事が多く、人工では無い天然の温泉の為、様々な効能がある。
「すいません、宿泊の予約を入れていた海野と申します」
「海野様ですね。御予約は既に承っております。
人数分の部屋を御用意しておりますので、まずはそちらの御確認をなさってください」
天邪鬼が2週間前に予約を入れ、人数分の金額を払ってくれていたので豊とあかりはすぐに部屋に通された。
「零さんから皆さんの分の宿泊費は既に受け取っていますので、ゆっくりとくつろいでください。
先程御覧になったと思いますがフロントの売店には有名な老舗の土産が揃っています。
それと、露天風呂がありますので御自由に使用してくださいとの事です」
「露天風呂かぁ。いいねそれ。男女別なの?」
「大きな混浴の露天風呂があるみたいですよ。
私は男の人に肌を晒す度胸は無いので御一緒する事は出来ませんが……」
「入っちゃいましょうよ。
旅の疲れを癒すにはうってつけだわ」
自分達の部屋に荷物を置き、露天風呂へと向かった豊とあかりを見送った後海野亜津子はゲームセンターへと戻っていった。
午後2時 古都府老舗旅館『斑鳩(いかるが)』混浴露天風呂
脱衣所に服を置いた後、タオルと携帯用のシャンプー、ボディソープを持って2人は露天風呂へとやってきた。
旅館の裏手にある露天風呂は古都府の木々や山々が見渡せる絶景が自慢となっており、まず豊もそのスケールの大きさに度肝を抜かれる。
「男女別の露天風呂は屋内らしいから、この景色が拝めないってのは勿体無ぇな」
「でも、男女共に全裸でお風呂に入らなきゃいけないんだから敷居は高いでしょ。
私は別に構わないんだけど」
タオルを身体に巻きつけての入浴は禁止されていた為、2人は頭と身体を洗った後そのままの姿で湯に入った。
「そもそも、この旅館に12名も宿泊する事になってるんだ。
1部屋2名で6部屋使うだろ。
この旅館に用意されてるのは家族連れ用の部屋も含めると20部屋。
おまけに俺達以外の宿泊客は殆どいないときてる。
殆ど貸切みたいなモンなんだから、気軽に入っても良いんじゃねぇの」
「アンタねぇ……私とアンタの仲だから問題無いけど、比呂ちゃんだったら絶対躊躇するでしょ?」
そんなやり取りを横で聞いていた老夫婦が、2人に話しかけてきた。
「お若い方がこんな時間に露天風呂に入ってくるなんて珍しいですね。旅行ですか?」
「ええ。千葉の方から旅行でこっちに」
「そうですか。
私達は古都府の人間なんですが、老後の蓄えもある程度あったので、こうしてたまに泊まっているんですよ。
この風呂は天然温泉で腰痛や冷え症にも効く。
おまけにこの眺めが素晴らしいですからな」
老人はそう言うと微笑んだ。歳は還暦を越えているだろうか。
苦楽を共にしてきた間柄なのか、この2人には愛情や、信頼以上の深い関係が見える様な気がした。
(私も、豊とこうやって歳をとっていければいいな)
あかりはこの2人の関係を羨んだ。
豊とは何気ない毎日をこんな風に過ごしていきたいと心からそう思っていたのだ。
「旅行でこちらに来たのなら、茜祭(あかねまつり)に行ってみては如何ですかな?
今日の夜、古都の霊山に集まるとされている御霊(みたま)を天に帰す為の祭が行われるのですよ」
「へぇ、丁度そんな祭が催されるんですか」
「そこまで堅い祭でも無いんですよ。
大通りでは屋台が沢山並びますからね。
儀式が行われるのは湧水寺(わきみずでら)の奥(おく)の院(いん)本尊(ほんぞん)だけです。
古都の者達は祭を楽しむ事を第一に考えていますから」
元々古都は代々総理大臣を務めてきた織田一族と深い関係にある。
織田信長が足利義昭を京都から追放した後、この場所で相撲大会や華やかな祭を何度も催した。
信長が天下統一を果たした後もその風潮は変わらず、古都府となった現在もその伝統が残されている。
(折角だしその祭とやらに行ってみるか。
今だけはZEROの事を忘れて、日常では味わえない旅を思い切り楽しもう)
仕事から離れやってきた地で、2人はのんびりしようと心に決めていた。
「凄ぇ、あのプレイヤー、もう15連勝してるぜ!」
「あいつ氷室零だろ。闘戦興(とうせんきょう)で見た事がある。
でも何でこんな所に?」
ゲームセンター『西京(サイキョウ)』は、通常営業に戻った後やってきた客でごった返していた。
午後1時に九龍拓巳と日向剛が帰った後も零はプレイを続け、野試合をずっと続けている。
零にしてみれば、この遠征は自分の力量を試す為の場所。
時間がある時にゲームに触れておきたかった。
(古都府の事を知るのは明日の観光だけで充分だ。
今はとにかく実戦で腕を磨こう)
天邪鬼は用事があると言い残して店から去っていた。
狩谷優はまだ店に残って野試合を続けている。
直感で比呂子は2人の関係を怪しんでおり、遠くから見張る様に狩谷の事を見つめていた。
(師匠は私に何かを隠している。
それが何なのか、私の目で直接確かめないと)
殆どのメンバーがゲームセンターに残って野試合を続ける中、双葉姉妹は海野亜津子に連れられ、斑鳩へと向かった。
午後5時 古都府大通り 茜祭(あかねまつり)会場方面
「噂には聞いていましたけど、凄い人の数ですね。
香川ではこんな光景はなかなか見られませんよ」
海野亜津子と井島豊、火村あかりの3名は茜祭の会場へと足を運んでいた。
彼等は会場へ向かう前にゲームセンターへ足を運び、涼介や比呂子を誘ったのだが断られてしまった。
双葉姉妹にも声をかけたのだが旅の疲れが残っていると言い部屋から出なかった為、3人のみでこの場所へやってきたのだ。
「焼きそばもたこ焼きも、ホットドッグも唐揚げもしっかり揃ってるな。何か買うか?」
「わたあめとかき氷食べましょうよ。良ければあっちゃんも一緒に」
浴衣のカップルやベビーカーを押す家族連れ等、会場は大勢の人達で溢れていた。
「あッ、あったわ。あそこあそこ!」
あかりはかき氷屋を見つけ、はしゃぎながら駆けだす。
「おい、危ねぇぞ!」
豊は注意したが間に合わず、あかりは黒髪の少女と正面からぶつかってしまった。
「ご、ごめんなさい」
「全く、これだから下賤(げせん)の者は嫌なのよ。
私達の様な上級国民と違ってろくでもない事しかしないんだから」
歳は12か13といったところだろうか。
長いストレートの黒髪を持ち、紫色の瞳が映える美少女だった。
だが常に人を見下している様な態度を取っており、とても好感を持てる人間とは言い難い。
「私はアンタ達みたいな下々の人間とは生まれた世界が違うのよ。
私に迷惑をかけたら、姉様(ねえさま)や御父様(おとうさま)が黙ってないわよ」
「な、何よその言い方は。どういう教育を受けてるの!?」
流石に頭に来たあかりであったが、豊は少女の背後からやってきた男の顔を知っており、あかりを宥めにかかった。
「あかり、止めておいた方が良い。相手が悪過ぎる」
黒いスーツを着た大柄な男が少女の側へとやってきた。
髭を蓄え、冷徹そうな表情を浮かべている。
「何かあったのか、美香(みか)」
「この下賤の女が私にぶつかってきたのよ。
どういう教育を受けて育ってきたのか、私の方が聞きたい位だわ」
男は鋭い眼光であかりを睨み付け、視線を少女の方へと戻す。
「どうでもいい事だ。いちいち下々の者に構うな。行くぞ」
男は彼女を連れてその場から立ち去ろうとした。それを豊が呼び止める。
「黒沢(くろさわ)輝(あきら)さんですよね?」
彼に対して恐怖はあったが、雑誌編集者としての興味が恐怖心に勝っていた。
「……いかにも。私は黒沢だが、君は誰かね?」
「闘戦興編集部の井島豊と申します。
どうしてわざわざ古都へいらっしゃったんですか?」
「君に話す必要など無い。
ビジネスの相談事は何時でも、どんな場所でも発生する。それだけだ」
踵を返し、男は雑踏の中へと消えていく。
少女はその男の後ろをついていき、一度だけ振り返ると捨て台詞を吐いた。
「フンだ。姉様に報告して、アンタ達をこらしめてもらうんだから!」
豊が振り向くと、海野亜津子が安堵の表情を浮かべていた。
彼女も相手が誰であったのか知っていたらしい。
「良かったですね、大事にならずに済んで」
「全くだ。あかり、本当にあれは相手が悪い。
あんな奴から喧嘩を売られても買ったらこっちが絶対負けちまうぞ」
怯えた表情を浮かべている豊の姿を見て、あかりも事の重大さを認識した。
「あの人は誰なの?」
「あの女の子は娘さんでしょうけど……男性の方は解りますよ。
プラナスの社長、黒沢輝さんです」
「くッ、くろさわあきらぁ!?あの綾小路財閥の?」
天武日本には3つの財閥が存在している。
その天武日本三大財閥の中でも、一番の財力を誇っているのが綾小路財閥だ。
総資産はおよそ200兆円にも達し、関東地方を中心としてあらゆる産業に介入している。
「プラナスは綾小路(あやのこうじ)財閥(ざいばつ)の傘下、東京に本社を置く黒沢(くろさわ)グループが運営しているメガバンクだ。
綾小路財閥の資産運用を任されていると言う噂もあるから、財閥の心臓を担う企業である事は間違いない」
綾小路財閥に逆らう事は死にも等しい行為であると言われている。
産業だけでは無く、その桁外れの資産を使って天武日本の政治や法曹界にも影響を与えている為だ。
織田政権に対して反抗的な態度を取る綾小路財閥に対抗する為、織田政権は神谷(かみや)財閥(ざいばつ)を重用している。
「多分、パルテノン銀行の様子を見に来たんじゃねぇかな。
古都府に銀行の本店があるんだ」
「そうですね、ライバル銀行としては今やプラナスに匹敵する程の規模になってきましたから……」
綾小路財閥、神谷財閥、長尾(ながお)財閥(ざいばつ)。
この三大財閥の力無くして天武日本の発展は無かった。
だが、財閥は力を付け過ぎ、天武日本と言う国のシステムすら脅かそうとしている。
特にその傾向が顕著なのが綾小路財閥であり、総理大臣である織田(おだ)信虎(のぶとら)もこの状況に危機感を覚えているらしかった。
「あら、皆さんも茜祭の会場に来てたんですか」
張り詰めていた空気を和やかなものへと戻したのは氷室瞳の声だった。
後ろには西園久緒の姿も見える。
金魚すくいに挑戦したらしく片手に金魚の入った袋を持っていた。
「やっぱ俺は慎重さが求められるゲームは向いてねぇわ。
ポイが破れるまで金魚を取っていいって言われたがたった1匹しか取れなかったぜ」
一通り大通りを歩いた後、5人はそのまま茜祭の見所と言われる『送り火』を見る為に奥の院本尊へ向かった。
「零はまだゲームしてるの?
比呂ちゃんが来なかったのは意外だったわね」
「兄さんや涼介さん、比呂子さんにも声をかけたんですけどね……
でも、いずれは旅館の方に戻ってくると思います」
湧水寺は大通りから少し離れた場所、小高い丘の上にある。
送り火が行われる山々を見渡せる場所となっていた。
「そういえば皆さんにお会いする途中、凄い人を見かけましたよ」
瞳は豊とあかりに対してそう言った。
「大通りに向かう途中だったんですけど、黒いリムジンが道路の脇に止めてあったんです。
そこから1人の男の人が降りて、足早に大通りとは反対の方向へ歩いていきました」
「誰だったの?その凄い人って」
瞳と一緒に歩いていた久緒があかりの疑問に対して答えた。
「竹中(たけなか)醍醐(だいご)だよ。
サングラスをかけてたけどすぐに解る面してやがる」
竹中醍醐の名を天武日本国で知らない者等いない。
織田信虎が総裁(そうさい)を務めている革新党(かくしんとう)の幹事長(かんじちょう)兼(けん)内閣(ないかく)官房(かんぼう)長官(ちょうかん)だ。
若くして政治の世界で頭角を現し、30代半ばにして内閣官房長官にまで出世したエリート中のエリートである。
「すげぇ、アルティメットさんか。
俺も見てみたかったなぁ」
「私達はプラナスの社長さんに会ったのよ。
でも、あまり楽しく話が出来そうな人じゃ無かったわね」
民衆から究極(アルティメット)と言う渾名で呼ばれる程、彼は完璧に仕事をこなす人物として知られていた。
信虎の信任も厚く、織田家世襲のルールが撤廃されれば総理大臣の椅子に座る事も夢では無いと言われている。
「プラナスの社長とアルティメットさんか……
黒沢社長はビジネスの話とか言ってたから、関係があるのかもな」
「うーん……考え過ぎじゃない?単なる偶然でしょ。
革新党の方針としては綾小路財閥の力は一切借りないって言うんだから」
その話題はそこで打ち切られた。
5人は湧水寺の境内に到着し、そのまま奥の院本尊の方面へと移動する。
彼等が目にした2人の人物が、自分達の人生に大きな影響を及ぼす事になるとも知らずに……
黒沢輝は大通りから離れ、茜祭の会場方面とは真逆の方向に歩を進めていた。
「さっきの女、何度思い出しても腹が立つ!
桜華(おうか)姉様(ねえさま)に報告しなきゃ」
「下々の者にいちいち腹を立てていたらきりが無いぞ。
寄ってきた蝿だと思って早く忘れる事だ。
……お前は別の部屋で待っていなさい。なるべく早くに済ませるから」
小さな通りに入り、高級料亭の玄関に到着した2人は、靴を脱ぎ、姿を現した女将に対して軽く会釈をする。
「黒沢様、お待ちしておりました。
お連れの方は既にお部屋の方にお通ししております」
「女将、この子の面倒を見ていてくれ。
大事な話があるから桜の間には立ち寄らぬ様伝えてほしい」
「かしこまりました。美香お嬢様、どうぞこちらへ」
この料亭は政界・財界のVIP専用、隠れ家料亭として一部の者にしかその存在を知られていない場所だった。
黒沢社長と娘の美香はこの料亭を何度も商談の時に利用しており、女将とは顔なじみである。
「私ね、この前ZEROで10連勝したの!
でも姉様はもっと凄くて……」
別の部屋へと向かった美香を見送った後、黒沢は『桜の間』へ向かった。