時に残酷だと捉えられる事があります。
それが最適解であるとしてもです。
生半可な覚悟では到底出来ませんし、その後の精神の擦り減りも
相当なものでしょう。しかしこの覚悟を持って
戦い続ける人の姿は美しいと思っています。
【2010年 9月1日 午後5時 東京都豊島区池袋 カフェ北野大茶】
池袋駅のすぐ近くにある『サウスハウス』から歩いて数分。
都心の一等地に店を構える『カフェ北野大茶』は何時もと変わらぬ賑わいを見せていた。
朝から晩まで客の出入りが続く店内だが、この時間帯は学生やサラリーマンの姿が目立つ。
コーヒーも店の魅力の1つではあるが、客達は人との会話を楽しんでいた。
「ミア、キョロキョロしてると他の御客さんから不審に思われるよ」
「ゴメン。
玖留美さんが何時来るのか気になっちゃって……」
天武日本総合病院での諍いから約3ヶ月。
ミアは玖留美や拓巳とLAINでしかやり取りをしておらず漠然とした不安を抱えながら仕事を続けていた。
か細い蜘蛛の糸に縋り付いて何とか関係を保っている危うい状態。
この糸すら切れてしまうのではないかと言う恐怖はミアに精神的重圧を与えてしまう。
(こんなに、私の中で拓巳さんの存在が大きくなっていたなんて思わなかった。
最初は騙された様なものだったのに。
それでも、拓巳さんは優し過ぎて……)
家でタリスマンに暴力を振るわれ貶される毎日に疲れ果てていたミアが、やっと手に入れた安住の地。
身体の繋がりよりも、拓巳の笑顔と温かい言葉に救われ気付いた時には彼に依存していた。
そして今、彼女は父親の死よりも拓巳に会えないと言う現実を知り心の渇きを訴えている。
相手をこれ以上刺激しない様務めていたミアであったが、突然『会って話がしたい』と玖留美が言ってきたのだ。
彼女が『最終通告』の可能性を感じて怯えるのも無理も無い話であった。
「私達はどう足掻いたって拓巳さんにとっては赤の他人なんだから、玖留美さんから何を言われようとも受け入れるしかないよ。
拓巳さんがああいう状態になって、一番苦しんでいるのは玖留美さんだろうし」
泪は最悪の結果を迎える事になっても腹を括るつもりでいたが、ミアにはその覚悟は無い。
九龍拓巳と話も出来なくなったらと考えると、心が震え涙が出そうになった。
(泪にとっては『パトロンの1人』なのかもしれないけど、私にとってはそうじゃない。
拓巳さんの代わりなんていないし、今の私にとってあの人は私が生きていく為の希望なのよ)
様々な感情が頭の中で交錯し、自分の中でも全く考えがまとまらない。
玖留美との会話が怖かったし、そもそもこの場所に玖留美が来る事自体に意味が解らない怯えを感じている。
朋美に無理を言って仕事を早めに切り上げさせてもらったが、その選択自体が間違いだったのではないかとすら思った。
「来たよ」
耳元で囁く様な泪の声に反応して顔を上げた瞬間、自動ドアを通り抜ける玖留美の姿がミアの目に飛び込んでくる。
橙色のサングラスとポニーテールにまとめた金髪は前と変わらなかったが、服装は前よりも若干派手になっていた。
ZEROの全国大会で優勝した際に着用していた灰色のTシャツには『2007』の文字が描かれている。
玖留美はミア達が座っている席に近付くと軽く会釈をし、無言のまま向かい側の席に腰を下ろした。
お互いに何から話せばいいものかと迷い、沈黙が続く。
その無言の重圧に耐え切れず先に言葉を発したのはミアの方だった。
「玖留美さんが来てからにしようと思っていたのでまだ注文してなくて……」
「そう。
何も注文しないんじゃ店側も困ってしまうわよね。
私が店員に言うから何を飲みたいのか教えて頂戴」
クールで知的で、恰好良い。
ミアには玖留美がその様な人物に見える。
サングラスのせいで表情が見えず、何を考えているのか解らない為不安は増していく一方だった。
「本格焙煎珈琲2つに砂糖とミルクを1つずつ。
それとミルクティフロートをお願い」
「かしこまりました。
御席の方まで御運び致しますので腰を御掛けになって御待ちください」
徹頭徹尾低姿勢で客と対応している姿は見習うべきだ。
女性店員の後姿を見ながらそう思っていたミアであったが、玖留美の声で我に返る。
「今日はどうしても貴方達に会って話さなければならない事があるの。
私と兄さんの今後の為にもね」
拒絶されてしまったら、立ち直れる自信が無い。
自分の理性を保っていられるかどうかも解らない。
俯き口を真一文字に結んでいるミアの姿を見て、玖留美は彼女が何を考えているのか解る様な気がした。
「心配しないで。
多分貴方が想像している事とは全く逆の事だから。
私から話す前に、ハッキリさせておきたい事があるんだけど良いかしら」
相手を宥める様に話す玖留美を、捨てられた子犬の様な顔で見つめるミア。
泪は憔悴している彼女の肩に手をかけ、落ち着く様促す。
「どんな事でも、正直に答えさせてもらいます」
泪の発言に対して玖留美は目を瞑り頷くと、肩にかけていたバッグの中から携帯電話を取り出した。
「兄さんが私の前から姿を消したあの日、机の上にこの携帯電話が残されていた。
手がかりがあるかもしれないとロックを外す為のパスワードを入力したけど、それを突破する事は出来ず……
最近になってやっとパスワードが解って、中身を見る事が出来る様になったわ」
拓巳の所持していた携帯電話はごく一般的なもので、電話やメール以外の機能はあまり実用的なものでは無い。
玖留美は気に入った相手の電話番号を登録する事が出来る『電話帳』の画面を2人に見せた。
「電話番号をカテゴリ別で登録する事が出来るもので、携帯を所持している本人がそのカテゴリの名前を決められる。
妹とか友人とか色々書いてあるけれど、気になるカテゴリが2つあった。
この『SF』と『大切なSF』の2項目よ」
SFの項目には女性の名前と電話番号の羅列。
50以上はあるだろうか。
そして大切なSFと言うカテゴリには、発地ミアと来栖泪の名前と電話番号が記載されていた。
(拓巳さん、50人以上の女性の電話番号より私と泪の電話番号の方が重要だと思ってくれてたんだ。
嬉しいな……
拓巳さんの中で、私の存在は一番上とは言えなくても上位に来ていたなんて)
玖留美もまた泪と同じ様に覚悟を決めてこの場所に来ている。
大きなショックを受けたとしても真実が知りたい。
その真実を知ったうえで、自分の夢の為に他人を利用するつもりだった。
「おおよそ察しはついているけれど、貴方達の口から直接聞いておきたいの。
兄さんと、貴方達2人はどういう関係だったのかと言う事を」
今更誤魔化せるとは思えないし、誤魔化す意味も無い。
何より今ココで嘘をつくのは、拓巳に対しても嘘をついているのと同じだとミアは思った。
「拓巳さんとは、大人のお付き合いをさせてもらっていました。
5万円を貰う代わりにラブホテルへ出向き、そこで性行為を。
2005年の5月8日から、6月の終わり頃まで6回程そういう事があったと記憶しています」
結婚を前提にした付き合いをさせてくれと父親に言う男の様に、ミアは誠実な態度を見せつつそう言った。
何も包み隠さず、ありのままの全てを玖留美に伝える。
SFが『セックスフレンド』の略である事が、玖留美の中で確信へと変わった。
「……そう」
溜息と共に発された一言。
だがミアにはその一言に落胆と諦念、悲痛と言った様々な感情が込められている様に感じられる。
本当は、信じていたかった。
妹の心の中で、兄は人格者でありヒーローだったのだから。
玖留美の核を構成していたものが音を立てて崩れ落ちていく。
しかし胸が張り裂けそうな程の苦しみは、玖留美自身が味わう事を予期していたものだった。
「実際に言われると、結構応えるわね」
兄の後を引き継いで立派な格闘ゲームプレイヤーになって、家計を支える。
その一心で頂点まで辿り着いた。
兄の本性を知って心が揺らがなかったとは言えない。
だが拓巳の夢は玖留美の夢、つまり今では彼女自身の夢へと変化していた。
誰かの為では無く、自分の為にもっと上を目指したい。
兄すら辿り着く事が出来なかった高みへ行く為に、悪魔に魂を売り渡す。
玖留美はミアと泪に負担を押し付ける事で自分の時間を得ようとしていた。
「すみません」
「謝る必要なんか無いわ。
元々は兄さんが始めた事だろうから」
深々と頭を下げるミアに対して、玖留美は堂々としているべきだと彼女を諭す。
店員が運んできたミルクティフロートを一口分飲んだ後、玖留美は2人の顔を交互に見ながら話し始めた。
「ショックと失望。
その両方があったわ。
女に現を抜かす自堕落な日々を送りながら連覇を目指そうだなんて、主張と行動がまるで一致していない。
本当に一番を目指すのなら、全てを捨てて一心不乱に取り組まなければならないのよ。
合衆国で開催される世界大会で優勝したいのなら私も余計な仕事に足を引っ張られるワケにはいかないの」
兄が自分の理想とする人間で無いのなら、自分が理想を実現するしかない。
5年前の、兄の失踪にオロオロしていた九龍玖留美はそこにはいなかった。
弱さを克服した代償として、優しさと善良な心を失おうとしている。
彼女もそれが解っていたが、もう自分で自分を止める事は出来なかった。
「私は愚かなパンドラと一緒。
欲望に負けて箱を開け、多くの絶望に自ら身を委ねる。
箱の底に唯一残っていた『希望』だけを糧に生きていく事しか出来ない女よ」
ギリシャ神話では最初に生まれた人間の女性であるとされているパンドラ。
彼女が神々から託された箱には厄災が詰まっており、彼女は己の好奇心に唆されて箱を開けてしまう。
玖留美がパンドラと異なる点は、最初から箱の中身を把握していたと言う所だった。
「……本題に入りましょう。
貴方が兄さんに惚れている事は解っているわ。
兄さんが記憶を失う前の様に、もっと深い繋がりを持ちたいと思っている事も」
玖留美は携帯をバッグの中にしまうと、別のものを取り出して机の上に置く。
それは既に金額が描かれた小切手で、九龍玖留美の名義になっている事が確認出来た。
「薄情な女だと思うのは勝手だけれど、私も世界を獲る為なら何だってする。
兄さんの介護を続ける事に限界を感じていたし、私はコレで良いと納得しているわ……
10年間分の雇用金よ。
貴方達に兄さんの面倒を見てもらう為のね」
小切手に記された額は2000万円。
散財したと言ってもそこまで馬鹿な金の使い方はしなかった拓巳と、優勝経験から本は出せたものの兄の看護で講演会を行う事は出来なかった玖留美。
推定資産は恐らくトータルで2億。
その10分の1を彼女は2人に差し出した事になる。
「10年時間を貰えれば、私は世界大会で優勝出来る実力があると信じてる。
新しい本の執筆や講演会で最低限稼ぎはしつつ、生活の大半を格闘ゲームに捧げるわ。
私は常に誇り高いプレイヤーでいたい。
諦める事無く栄冠を掴み取った零さんの様に」
玖留美が拓巳を『汚れた男』だと軽蔑し、彼女の中での優先度を下げたのだと言う事は伝わってきた。
そういった態度に対して『待った』をかけたい気持ちもミアにはある。
確かに女性との性行為に生き甲斐を感じていた部分はあるだろうが、拓巳はあくまで本気だった。
どんな事に対しても真面目で一途だと思えた。
それこそセックスにおいても。
(でもそんな事を言って話が拗れる事に何のメリットも無い。
私はこのチャンスを利用するだけ。
私は拓巳さんと一緒にいたいから)
どんな弁解を試みたとしても、拓巳が100人もの女性と関係を持ったと言う事実は覆せない。
ミアは無言のまま小切手を受け取り、玖留美はそれを『了承』であると受け取った。
「この話に関しては貴方達の上司である朋美さんにも連絡済みよ。
朋美さんもかつては『天武日本一』を目指して戦っていたZEROプレイヤー。
世界を目指したいと言う私の理念に共感して、貴方達のシフトを見直す事に同意してくれたわ」
病院通いが常態化すれば、とてもこれまでの様には働けないだろう。
彼女はそれを見越して朋美とも話をしていたのだ。
(私の知らない所で、もうそこまで話が進んでいたなんて……
きっと店長は私が拒否するハズが無いと踏んでいるんだろう。
勿論その通りなんだけど)
ミアと泪で、拓巳を支えていく。
一時退院の際には、待ち望んでいた夢が叶うかもしれない。
彼女にはもうそれだけで充分だった。
拓巳の尊厳よりも大切な事がミアにはあった。
そしてそれを絶対に逃せないとも思っていたのだ。
「病院側の規則と私の要望を含めたガイドラインを用意したから目を通しておく様に。
基本的には貴方達2人のうちどちらかは兄さんと一緒にいて、寂しさを紛らわせる為の話し相手を務める事。
特に夜は消灯時間になり病院から出れない状態になるけど、その時にもいてもらうわ」
拓巳が希望する事は可能な限り叶える事、特に性的な欲望が膨れ上がった時の処理に関しては全面的に任せる。
玖留美は現在の拓巳がどの様な状態にあるのかを事細かに伝え、肉親である自分では面倒を見切れない状況にあると話した。
白旗を上げた事をミアと泪に告白するのは彼女にとって屈辱的であり、勇気が必要な行為でもある。
だがそれは、玖留美が精神的に擦り減り追い詰められている事の証とも言えた。
「特に一時退院の時には、実家では無くラブホテルに泊まらせて思う存分楽しんで良いわ。
きっと今の兄さんも、心の中ではそれを望んでいるでしょうから」
2人に払った金の他にも、病院側への根回しとしてそれ相応の金を渡しているであろう事は容易に想像出来る。
金がかかろうが手間がかかろうが、兄と距離を置いて格闘ゲームプレイヤーとしての活動を本格的に始めたい。
玖留美の決意は固く、またミアと泪にとっても破格の条件で拓巳の相手をする事が出来る為断る理由は無かった。
「私の事を『薄情な妹』だと思うなら、そう思ってもらっても構わないわ。
でも私は裏切られた。
私の前では模範的な兄を演じる一方、見えない所では遊び呆けて……
私にずっとそれを隠してきたのよ。
そう簡単に許せるワケが無いじゃないの」
信頼と尊敬の情が深ければ深い分、騙されたと感じた時の突き放し方が苛烈になる。
拓巳の相手を務めたミアと泪の事は許せても、身内の醜態だけはどうしても許せなかった。
「……勿論、腐っても妹と兄の関係である以上、兄さんを捨てるワケにはいかないしそれは出来ない。
兄さんに本当の意味での『弁解』をしてもらいたいけれど、それは無理だから」
言い訳も出来ない、そもそも何も覚えていないと言う『心神喪失』の状態にある拓巳に対して罪を問うのは不可能だった。
全てをぶちまけて相手に謝ってもらう事も出来ないと言う現実は玖留美の心に深い傷を残している。
兄をこれ以上追い詰めても意味が無いと思う気持ちと、鬱憤が溜まる自分を抑え切れないであろうと言う予感。
様々な問題を解決して自分の心を癒やす為にも、兄とは一旦距離を置くしか無い。
玖留美が出した最終結論は納得こそ出来るが、他者から見れば哀しい決断でもあった。
「明日から、交代で常駐してもらいたいんだけど……
構わないわよね?」
ミアは無言のまま頷いた後泪の方を見た。
彼女が賛同してくれるかどうか不安に駆られたのだ。
「面白いし、何より私の為にもなる事だと思うので引き受けさせてもらいます」
泪が笑顔でそう答えるのを見て、ミアは何の問題も無く『引き継ぎ業務』が終わりそうだと心の底から安堵した。
(コレでまた、拓巳さんに会う事が出来る。
拓巳さんと触れ合う事が出来る。
記憶を失っていても、人格が変わらない限り拓巳さんは拓巳さんよ。
一生側にいたって構わない)
思わず感激して涙を零すミアの姿を見て、玖留美は自嘲的な笑みを浮かべる。
「貴方は本当に兄さんの事が好きなのね……
それで良いのよ。
本当に兄さんを愛する人が兄さんの隣にいるべきでしょ。
兄さんに不信感を抱いてしまった私にはもう、隣にいる資格は無いし兄さんを幸せにしてあげられない」
玖留美はミルクティフロートを飲み終えた後立ち上がり、2人に対して頭を下げた。
「でも貴方達なら兄さんを幸せにしてあげられる。
そして私は離れた所から兄さんを助ける為に全力を尽くすし、私の夢を叶える為に戦うと誓うわ」
彼女なりに悩み抜き、出した答えなのだろう。
その決意を無駄にしない為にも、泪と協力して拓巳がいる『城』を守り抜く。
何の問題も起こらない『日常』を送る為には自分達の力が必要なのだとミアは思った。
「玖留美さんは、『強い人』なんだなと思いました。
コレが拓巳さんにとって正しい選択なのかどうかは私にも解りません。
でも玖留美さんは自身の夢と生活の為に非情であっても現実的な方法を採用した。
そうやって、何かを決断出来る人はとても強い。
私も決断を迫られた事があるから解るんです」
服従か、離反か。
片方にはリスクこそ無いが尊厳と自由を失い、もう片方は大きなリスクを伴うが『勝利』を手にする事が出来る。
ミアはそれを知っていたからこそ、迷う事無く茨の道を選んだ玖留美の心境が解る様な気がしていた。
「有難う。
貴方にそんな言葉をかけてもらえるなんて思っていなかったわ。
出会った時期や場所が違っていたら良いお友達になれたかもしれないわね、私達」
背筋を伸ばし、胸を張って歩き出す彼女の背中は、本当のサイズより大きく見える。
最後に何か言葉をかけるべきかと思ったが、ミアは何も出来ず玖留美を見送った。
「LAINでのやり取りはまだ生きてるし、これから幾らでも調整は出来るでしょ。
今私達が働いてる店のシフトの見直しとか、玖留美さんへの定期報告とか。
その辺りの事は私に任せて。
店長も了承済みなら柔軟に対応してくれると思うし」
コーヒーに口をつけながら当たり前の様にそう言う泪の存在が、とても頼もしく映る。
(クラスメイトだった頃から頭の回転が速くて雑務を簡単にこなしている姿が目立ったけど……
こうして隣で見ているとその対応力に助けられている事に気付かされるわ)
ミアは友の才覚に有難味を感じる一方で、『チャットツール』の進化が生活を大きく変えている事を知った。
その場所にいない相手とも気軽に連絡を取り合えるからこそ、与えられた役割をスムーズにこなす事が出来る。
色々な考えが頭の中に浮かぶが、ミアはまずどちらか一方が天武日本総合病院に出向かなければならないと感じていた。
【2010年 同日 午後7時 東京都 天武日本総合病院内 九龍拓巳の病室】
南屋朋美との話し合いを簡単に済ませ、ミアは拓巳の病室へと向かっていた。
『7日間では無く、8日間でローテーションを組みましょう。
1日ずつ交代で店の仕事を手伝ってもらって、3日ずつ働いてもらったら2日間は2人とも休み。
1日中病院に常駐していてもこの日程なら最低丸1日は休めるわ。
座っている事が多いとはいえ神経を使う仕事でしょうから、侮らずしっかり心と身体をケアする時間を取りましょうね』
突然の無理なお願いを聞き入れ、さらに健康まで気遣ってくれる上司の優しさに涙が出そうになる。
消灯時間の夜8時には余裕で間に合いそうだったが、彼女自身はなるべく空白の時間を作らぬ様急いでいた。
『かつては私も、一番を目指していましたからね……
天武日本の頂点に立つ事を誓って。
だから、玖留美さんの気持ちが解るんです。
世界一になる為に戦いたいと願う彼女の気持ちが。
その夢を実現させる為には、時間が幾らあっても足りない。
ミアさん、泪さん、貴方達は玖留美さんの挑戦を後押ししているんですよ。
自信と誇りを胸に、託された仕事をこなしてあげてください』
病室のドアに手をかけるミアの脳裏に、再び朋美からかけられた『激励の言葉』が浮かぶ。
(そんな崇高な気持ちで引き受けたワケじゃ無いんですよ……
店長。
私は九龍拓巳のファンとしてでは無く、1人の女性として彼と向き合いたかったんです)
彼の隣にいたい。
彼と共に歳をとっていきたい。
あの5年後の再会からこの日に至るまでの日々が、彼女にとってはとても長いものに感じられた。
「玖留美!!」
外に出てくると言って帰ってこない妹を待っていた拓巳は、ドアが開いたと同時に嬉しそうな声をあげる。
そして部屋の中に入ってきた人物が玖留美では無い事に気付くと、きょとんとした表情を見せた。
「あれ……
ミアお姉ちゃん?」
ミアは何も言わず静かにドアを閉めた後ベッドの横に置かれている椅子に座り、拓巳の顔をじっと見つめる。
理解が追い付いていない拓巳を興奮させない様、彼女は言葉を選びながら話し始めた。
「拓巳さん、落ち着いて聞いてくださいね。
これから暫くの間、玖留美さんはこの病院に来ません。
その代わり、拓巳さんの面倒は私と泪が責任を持って見させてもらいます」
拓巳の精神は小学校低学年の少年並み。
下手に刺激を与えれば爆発しかねない。
病院内で彼を泣かせるワケにはいかない為、ミアは話しかけるのも戦々恐々だった。
「玖留美がココに来ないって事……?
どうして、ねぇどうして?」
今まで頻繁とは言わずとも病院に足を運んでいた玖留美が突然来ないとなれば、拓巳がこういう反応を見せるのも頷ける。
ミアの腕を掴み揺さぶる拓巳に対して、彼女はあくまで冷静に説明を続けた。
「拓巳さん、貴方の妹さんにはどうしても時間が必要なんです。
貴方が昔、この病院で目覚める前にやっていた事……
格闘ゲームで一番になると言う夢を叶える為に。
拓巳さんは結局、色々あって日本一になる事は出来ませんでしたが玖留美さんは成し遂げた。
玖留美さんは、貴方があの時の情熱を抱いたままならば絶対に挑戦していたであろう壮大な目標……
格闘ゲームで世界一になると言う夢に向かって走り始めました。
中途半端な気持ちや実力で成し遂げられるものではありませんし、想像を絶する程の練習が必要になります。
拓巳さん、妹さんの『我儘』を聞き入れてあげてください。
お願いします」
ネガティブな情報は一切必要無い。
玖留美が、拓巳の夢の為に願っているのだと言う点を強調する。
無闇に反対して駄々をこねるのでは無く、彼女の夢を応援してほしい。
拓巳はそんな器の小さな人間では無いハズだ。
ミアはそう信じていた。
「世界一……
それは僕と離れ離れになってまで、ならなくちゃいけないものなの?」
「お金の問題もありますけど、本当に大事なのは『貴方の代わりに世界一になりたい』と言う玖留美さんの気持ちです。
拓巳さんが昔どうしても果たす事が出来なかった、人生を賭けてまで挑んだ夢。
遠くにいても、貴方と妹さんの思いは1つです。
応援してあげてください」
頭を何度も下げ、土下座をしかねない勢いでミアは拓巳に許してほしいと懇願する。
独りよがりな、軽はずみな行動では無い。
全ては貴方の為なのだからと。
拓巳は目に涙を滲ませていたが、袖で涙を拭った後ミアの顔を覗き込んだ。
「僕も大人にならなくちゃいけないと思ってたんだ。
玖留美に心配ばかりさせるワケにはいかないもんね。
でも、どうしてミアお姉ちゃんと泪お姉ちゃんが?」
赤の他人であるハズの彼女が何故?
拓巳が疑問に思うのも当たり前だろう。
ミアはこれに関しても答えをはぐらかす事無く、誠実に答える。
「それは……
私と泪が、昔拓巳さんととても仲の良い御友達だったからだと思います。
拓巳さんは覚えてないかもしれませんけど、色々な事をお話しさせてもらったんですよ。
あの時の拓巳さんは格闘ゲームの全国大会で絶対優勝するんだって、燃えてました」
過去の記憶を思い出しながら喋るミアの笑顔に、拓巳は言葉では説明出来ない魅力を感じた。
「そうなんだ。
僕とミアお姉ちゃんが……
実は僕、昔の僕の事を玖留美に教えてもらってないんだ。
格闘ゲームって言うのも、この間見て初めて知った位だし。
あの時の玖留美は凄く恰好良かったんだよ。
ミアお姉ちゃんにも見せたかったな」
一言で言うなれば、拓巳はまたミアに一目惚れしたのだ。
しかも今回は海野亜津子の事を覚えていない為、純粋な恋に落ちている。
拓巳は昔と違い初心(うぶ)である為自分の胸が高鳴っている理由が解らなかったが、普段よりも明らかに饒舌になっていた。
「私が知っている限りの事は、拓巳さんに教えてあげたいと思っています。
携帯機を買えば、ココでも格闘ゲームが出来ますからね。
対戦する時はお手柔らかにお願いしますよ?
私、そういうのはど素人ですから」
「僕もやった事が無いのと一緒だよ。
何も覚えてないもん」
会話が弾んでいると確信し、ミアは心の中で安堵の溜息をつく。
(拓巳さんに孤独だと思わせない様にしないと。
私が玖留美さんの代わりにならなきゃ……
無理かもしれないけど、玖留美さんがいなくても平気だって思ってもらえたら嬉しいな)
色々な事を話している内に消灯時間が訪れ、ミアと拓巳は深い眠りに落ちていった。
病院での夜明かしで一番肉体への負担になるのが、就寝である。
患者の寝ているベッドは1人用でもう1つベッドを置くスペースも無い為、必然的に付き添う人間は椅子に座って寝る必要があるからだ。
ミアも壁にもたれかかる形で寝ていたが、普段ベッドで眠っていた為夜中に目が覚めてしまった。
(あー、明日普通に仕事の約束があるんだよね。
明日は自分の家のベッドで眠れるけどコレはやばいかも……
拓巳さんには申し訳ないけど外の廊下に設置されてるソファで横になろう)
欠伸をしながら窓側に設置されていた机の上にある替えの毛布を掴み、病室の外へ出ようとするミア。
用も足しておこう等とぼんやりした頭で考えつつ寝ている拓巳の方へと視線を向ける。
(おッ、大きくなってる……)
拓巳の股間に該当する部分の毛布が盛り上がり、激しく己の存在を主張していた。
いやらしい夢でも見ているのか、拓巳の頬は少し赤くなり非常に小さな寝言を呟いている。
明日の為にもすぐに寝なければ。
そういった考えはその膨らみの前に消し飛んでしまった。
(そういえば、拓巳さんのアレを拝むのも5年振りかぁ……)
ミアはそう思いつつ、拓巳の身体にかけられている毛布を慎重にどかしていき『突っ張り』と対面する。
拓巳が寝ている事を確認しつつミアはズボンのチャックを下ろし、勃起した肉棒を引っ張り出した。
(そうそう、このオチンチンに何度泣かされた事か。
懐かしいわ~。
成長期みたいなものはとっくに過ぎてるんだし、流石に大きさは変わっていないわね)
雄々しく反り立ち、脈動している砲身をそっと手に取り思わず頬擦りをしてしまうミア。
口に咥えたら起きてしまうだろうか……
拓巳の様子を見ながらまだ寝ている事を確認する。
(どうしよう、こんなの見たら……
入れたくなっちゃったかも)
セックスフレンドとして、何度この勃起した陰茎を受け入れてきた事だろう。
その頃の痴態を思い出したミアは自身の股間が疼き、熱を帯びてきている事に気付いていた。
正直、この5年間ミアはずっと飢えていたのかもしれない。
他の男性とセックスを行う等考えられず、泪からの『誘い』も全て断ってきた。
自分と結ばれるべき相手は拓巳だけ。
そんな妄想を抱きながら何度自慰行為に耽った事だろう。
そして今、目の前に待ち望んでいたモノが差し出されている。
理性の糸はとっくに切れていた。
(大丈夫、入れるだけなら目を覚ます事は無いハズ。
激しく動きさえしなければ……
万が一起きたとしても拓巳さんの口を塞いで腰を振り、1回射精させてしまえば問題無いわ)
玖留美から渡されたガイドラインに従い、ミアは泪から避妊薬を分けてもらっている。
『一線は越えても構わない。
ただし、ミアと泪の『妊娠』だけは認めない』
出来るならば、拓巳さんとの間に子供が欲しい。
そう思っていたミアにとっては酷な命令であったが受け入れるしかなかった。
勿論、それは避妊さえすれば性行為自体は完全に黙認されていると言う事でもある。
(何をやってるんだろう私は……
でももう止められない。
どうしても拓巳さんのが欲しい!)
スカートを履いたままの状態でパンツだけを脱ぎ、膣の中に指を突っ込んで激しくまさぐるミア。
荒い息を吐きながら膣内を潤す事だけに神経を集中し、やがてベッドになるべく振動を与えぬ様慎重に乗った。
(ああ……
私はこうなる事を待ち望んでいたのね。
拓巳さんと再び結ばれる事を……
こうすれば入る。
こうすれ……ばッ)
股を開いた状態でスカートをたくしあげ、肌に触れる肉棒の感触から合体する為の位置を探り当てる。
はちきれんばかりに膨れ上がっていたモノを、先端から奥まで招き入れる事はそこまで難しい行為では無かった。
(久しぶり、拓巳さん……
また私の中に戻ってきてくれた。
この大きくて、硬いのぉ)
体内に潜り込んできた肉槍の力強さに圧倒され、声が出そうになってしまうミア。
ギリギリの所で口を片手で塞ぎ、必死で快感に耐えつつ自制しながら身体を動かしていく。
(やっぱり、精神は子供でも肉体は大人。
私の中でこんなにビクビクして、射精したいって悶えてる。
出していいのよ、拓巳さん。
思う存分貴方の欲望を解き放って頂戴)
拓巳も感じているのか喘ぎ声の様な吐息を発していたが、まだ目が覚めたと言うワケでは無さそうだった。
もっと腰を振りたいと言う悪魔の囁きを我慢しつつ、受け入れられる限界まで相手を受け入れまた腰を浮かせては沈む作業を繰り返す。
(こ、コレはある意味生殺し。
消化不良だわ。
本当は拓巳さんだって果てる為に動いてほしいハズ。
バレても私なら何とか出来るわよ。
誤魔化す方法なんて、後で考えれば……)
ミアの興奮は膣の締め付けや蠕動へと変化し、勃起した陰茎を思い切り刺激した。
剥けた亀頭を愛液塗れの柔らかな壁が包み込み、動きこそ遅いが確実に全体を扱いていく。
我慢出来ずにもっと速く動こうとミアが思い、先端近くまで腰を浮かせまた奥へと導いた瞬間拓巳の方が弾けた。
血流が集まり、ミアの中で存在感を放っていた肉棒が震え激しく痙攣する。
膨張と収縮を繰り返す様な動きを肌で感じ、彼女は拓巳が膣内に射精した事を悟った。
(暴発気味に出てるせいなのか、結構量が多そう……
全部拭き取って誤魔化し切れるかしら)
相手の剛直がその硬度を失い急速に萎えていくのと同時に、ミアは無理やり現実に引き戻される様な感覚に襲われる。
彼女自体は満足してはいなかったものの、これだけの量を放出して小さくなった陰茎を元に戻すのは流石に無謀過ぎた。
(た、拓巳さん……寝てる?
寝てるわよね。
とりあえずベッドから降りましょう)
ミアの身体の火照りはまだ治まっていないが、性行為を続けるのは難しいだろう。
そう判断した彼女はベッドの上で膣から萎えたモノを抜き、音を立てぬ様ゆっくりと足をつける。
床に着地した後バッグの中からティッシュを取り出し、拓巳の身体に付着している白濁液を丁寧に拭き取った。
(私の股間がとんでもない事になってるけど、そんなのは後回しで良い。
今は拓巳さんにショックを与えてしまわない様最善を尽くさなきゃ……)
膣内に充満している精液が、だらだらと漏れ膝へと伝ってきている。
スカートは履いている為すぐ不審に思われる心配は無いと踏んでいたが、ミアには自分の状態に気を配っている余裕は無かった。
拓巳が起きた場合、精液を放たれて興奮している身体の変化を隠し切れるだろうか。
そんな事を考えながら自分と拓巳の性行為の痕跡を消す為努力を続けていたミアであったが、言葉をかけられ一瞬動きが止まる。
「ミアお姉ちゃん、何してるの……?」
起きてしまった。
いや起きない方が不自然だろう。
寧ろ『行為』が終わった後に目を覚ましたのは幸運だったのでは?
考えがまとまらない中どう言い訳をすべきか彼女は悩んでいたが、余韻の如く鈴口から白い液体が零れ出てきた為拓巳は狼狽した。
「あ、うわッ。
僕、また出しちゃったの?白いの……
ごめんなさい。
僕は出したくないんだけど、寝ている間に勝手に出ちゃう事があるから」
ベッドから上体を起こし、まだ少しひくついている自身のペニスを眺めながら俯く拓巳。
どう足掻いても取り繕えないと思っていたミアであったが、その言葉を聞いた瞬間何とかなりそうだと思った。
(拓巳さん、夢精する事があるんだ。
じゃあ、それで充分誤魔化せるわね。
射精量が少なく見えるのは私が慌てて拭き取ったと言う事で……)
普段と同じ様に振舞おうと務め、呼吸を整えつつ笑顔を見せるミア。
「拓巳さん、気にする事は無いのよ。
男の子なら出ちゃうものなんだから」
何とか逃げ切れる。
夢精したと言う事で無理やり押し通す。
そう決心した彼女は綺麗に精液を拭き取った後、拓巳に就寝を促した。
拓巳が再び眠りについた後ミアは精液を掻き出し、不完全燃焼に終わった自分の身体を鎮める為トイレに向かう。
狸寝入りをしていた拓巳は彼女が避妊薬を飲みに行った事までは解らなかったが、何かが変だとは感じていた。
(今まで、寝ている時に白いのが出ちゃった時はパジャマのズボンもトランクスも汚れちゃってた。
でも、今回はどっちも汚れてない。
身体が凄くだるいから、出ちゃったのは確かだと思うけど……)
本当に、今の射精は『夢精』だったのだろうか。
その疑問とはまた別の疑問が浮かんでいた。
それは先程まで見ていた夢の話だった。
肉棒が完全に勃起する程の淫らな夢。
(知らない場所で、僕と女の人が変な事してた。
お互いに裸で、ハァハァ言い合ってて……
女の人の股の中に、僕のオチンチンが出たり入ったりしてたんだ。
何であんな夢を見たんだろう)
普段とは異なる、しっかり記憶に残っている妙な夢を何故見たのか拓巳には解らなかった。
結論から言えば、それは夢では無く5年前の記憶を断片的に思い出しただけに過ぎない。
そしてそれを頭の中で思い浮かべると、また肉棒が熱くなってくる事に彼は困惑していた。
(どうしよう、またオチンチンの形が変わっちゃった。
小さくしなきゃ……
ミアお姉ちゃんが戻ってくる前に、手で擦って白いの出しちゃおう)
少し前に玖留美から教わった通り、硬くなった肉棒を片手で握り上下に扱く拓巳。
夢で見た妄想が頭の中でさらにハッキリしたものへと変わっていく。
裸の女性、その女性と交わる自分。
瞼の裏にハッキリと浮かび上がる女性の顔。
(え、ミアお姉ちゃん……?)
舌を出して獣の様によがり狂い、情けない姿を晒しているミア。
そんな彼女を後ろから肉棒で何度も突き、我慢出来ずに果ててしまう自分。
リアルな映像が頭の中で再生され、手の動きがますます早くなる。
(どうして、僕とミアお姉ちゃんが……
それに、僕はお姉ちゃんと何をしてるの?)
理解してはいない。
性の知識は失われていたが本能的に興奮する事だけは忘れていなかった。
「ふあッ!!
あ、ああ……出てる。
また僕のオチンチンから白いのがぁ……」
セックスによって事前に射精していた肉棒が敏感になっていた為、普段よりも絶頂に至るまでの時間が早い。
亀頭の先端から白濁液が噴き出し、ベッドや床を汚していく。
この記憶は何なのか。
そして自分はそもそもミアと何をしているのか。
朦朧とした意識の中で、拓巳はそんな自問自答を悪戯に繰り返していた。