彼女、彼女らが爪を隠すほど、自分は気まぐれに生かされていて、地を這う虫がごとき存在だからこそ赦されているということを、思い知らされる。
「あなた採用。よろしくね」
牢に収容されている人間の腹部大動脈と蛇口を連結する作業に躊躇いがなかったということで、紅魔館の給仕として採用された。
たまたまその場を通りかかって見ていたという主の妹・フランドールに自分は横取りされた。給仕ではなく彼女の執事にポストを変えることになった。
「……えっと、咲夜さん。執事ったって、補佐を執する仕事なんてあるんですか、ここに。ちょっと妹様痛いですって」
履きなれないスラックスをぐいぐい引っ張ったり、掌を小さく湿っぽい柔らかな手で握り締めたり。わがものとした執事を早く部屋に連れ込んで遊んでほしいようだった。
少なくともこの時点では、吸血鬼姉妹の無邪気さを、無邪気な性根からのものだと信じて疑わなかった。
「まあ…… 今のその状況が、あなたがすべきことを示してるわね。行ってさしあげて」
「はあ」
「はいね」
首ひとつ落ちずとも紅いこの廊下。十二くらいの童女に手を引かれて、影が差しゆく最奥に歩む。
「人を殺すのに躊躇ないのね」
「ええ。むしろ今の人間は人を傷つけることに躊躇しすぎています」
「……へえ」
突き当りを左に、扉が一枚。「フランの部屋」との手書きの看板が引っ掛けられている。
言うことを聞く人間が手に入ってご満悦のようで、腕にしがみついて、にんまり笑いながらこちらを見上げてくる。腕に伝わる質量の軽さから、少し乱暴すれば簡単に折れてしまいそうだと本気で思いもした。
「妹様。何して遊びましょうか」
「やーめーて。あいつの妹っていうふうにずっと見られてるの、嫌なの」
対外的なことでは常にレミリアが矢面に立ってきた。館の外の者から見ればフランは主のおまけでしかない。何かにつけレミリアの妹と呼ばれることを、彼女は内心ひどく嫌っていた。
「でしたらどうお呼びすれば」
「おじょーさまとか、フランとか、フランちゃんとか…… なんでもいいけど、二人のときはかしこまらないでね。遊びって、その場だけでも対等でいなきゃ楽しくないもの」
「二人のときだけと言いますと…… えー、言うと?」
「遊びをわかってくれる人なんて、いないもの。怒られちゃう」
幻想郷縁起を借りて館の住人について下調べしていた。それによればフランは人間の扱い方やコミュニケーションを少しも知らないクレイジーな吸血鬼だそうだが、実際に会ってみると、年に不相応な知性を感じる。お友達でもできたのだろうか。
「早速執事の名が倒れてしまう…… 何して遊ぼうか」
「あっえーっと…… 座ってて、ほしいの」
「?」
まるいカーペットの真ん中に正座させられた。フランはその後ろに立っているらしい。ずっとそのまま固まっているようで、少しも物音がしない。
「ど、どうしました」
「そっか、言ってなかった…… その、……男の人を部屋に入れるのって久しぶりで」
「最後はいつなのかな」
「ご、五百年前……」
五百年前。もうその人は生きてすらいない。どんなシチュエーションだったのかかなり気になる。
「差し支えなければ、どんな方だったか」
「嫌。思い出したくない」
後ろから腕をまわして肩に寄りかかる。
「思い出したら、あなたとそいつを重ねることになるでしょ」
小さな鼻から出る吐息が首筋をくすぐる。黄金色のサイドテールが仄かな体臭をこちらの髪に擦り付けた。生物から嗅いだことがないそれは、しかしその違和感を押し流すほど、緊張を一気に弛緩させていく。そんな不思議な…… アトモスフィア……?
首に腕をかけて横に倒れ込むように体重をかけてくる。それに従ってカーペットに倒れる。
ぎゅっと肩を抱いたまま動かない。外見年齢相応の高い体温が、彼女がいっぱいに広げた胸から伝わってくる。
「……」
彼女を子供として扱っていたことに気がついた。違う。フランドールは約五百年を生きている。童女ではない。童女の気でいる悪魔だ。
何を考えている? 何を思って今、肩を抱いている?
「もう。変なこと考えてる」
「どっ、どういうおつもりで? っ!!」
腕の力が一気に強まる。ほんの一瞬だった。呼吸の妨げにもならないほど短い間だけ、恐ろしい力で胸を締め上げた。
「考えないでって、言わなくてもわかったはずでしょう」
馬乗りされた。ふわふわの軽い尻が紅いスカートに包まれて腹の上に乗っている。
彼女の舌が首を一度だけ這い上がった。その跡が彼女の息でほんのり冷える。
「んへへ」
彫刻と見紛うほど見事な曲線を描く顔が赤みを帯びていくのを、わざわざ見せつけられていた。僅かに上がった口の端から白い八重歯が見え隠れしている。
幼い。
外見年齢も実年齢も完全に守備範囲外の歳のはずなのに、未だかつて感じたことがないほどの激しい情欲が、腹の底から湧いてくるのがわかる。
いかにも邪気がなさそうで、どこも鬱屈していないような彼女の姿や振る舞いに、完全にやられた。ある意味、気圧された。
ものすごい至近距離で目を合わされながら、バックルを片手で器用に外される。
「おっ、おじょーさま、遊びってそういう」
「これやってみたかったのよね」
両手で自分のスカートの裾を捲り上げる。溌剌とした瑞々しい肌の先に白の布地が垣間見えた。
「それ以上だめですって、ほんとに」
「なに、私にだけ恥ずかしいことさせておいて今更据え膳から手を離すつもりなの?」
勝手にやっておいてそれはない。ましてこちらは暴れ狂う本能を並々ならぬ精神力で鎮めようとしていたところだ。
「んなむちゃくちゃな…」
「いい、あなたの主は私なの。だめも何もないでしょう」
前に倒れ込んで、唇を占拠された。どこを見ているやらわからない開ききった両の瞳が焦点距離の内側に入り込んでくる。諦めて腕を彼女の背中にまわすと、まぶたを細めて微笑んだ。
軽く重ねて、その赤い唇は離れていった。頭を殴られたような衝撃と背徳感の余韻が抜ける前にフランは胴から降りて、すぐ隣ころんと横たわった。
「あげる。好きにして」
トランス状態とでも謂うべきか、判断力を完全に失い、彼女に従うままでいる。
頭が痛い。自分の拍動が耳にまで伝わってくる。脈拍に合わせて視界が歪み平衡感覚が若干狂う。理性を行使する理由はもうどこにもなかった。
「ぞくぞくするでしょう。崖から飛び降りるときとか、初めての殺人とか。……禁断の果実は、それ自体が美味しいわけじゃない」
赤いドレスの内側に腕を通して少し抱き上げる。シャツ越しに彼女の細い肉体がしなり、肌の裏で波打つ胸郭が掌を慎ましく押し返した。
「その果実って、禁忌と向き合う背徳感がその味を一層引き立てるのよ。初めて味わったその記憶によって、果実はあなたのことを二度と離さない。果実の味を知ったあなたの身体は、一生その禁忌を求め続けるわ」
氷のように冷たい手をドレスの内側で温めて、腿に這わせる。どこまでも艷やかで、幼いながらに蠱惑的で、やわっこい。
ショーツから片脚を抜かせると、眼前の童女は、ちろっと唇を濡らしながら、己の聖域を明け渡した。
左腕で彼女の身体を抱えて、右手の指先で優しく撫でつける。やがて奥の果実が蜜を洩らしはじめ、いよいよ堕落へ誘う支度を整えてしまう。
「そんなの入れたら、壊れちゃうかもしれないのよ」
「いろんなもの、散々壊してきたんでしょう。今度はあなたの番ですよ」
「あら。わかってるじゃない」
構わず腰を押し付けると、僅かな抵抗を残しつつ、彼女の身体は強靭な剣の鞘と成り代わった。入り込むものを暖かに締めつけ、彼女自身も快楽の渦中に身を預けるのみ。
「どう。味は」
全身のいたるところに彼女がいる。体を丸めたその内側で、顔を赤くして、満足げに劣情をその身いっぱいに受け止めている。
それからしばらく、互いの荒い吐息と、服の擦れる音に加えて微かに水の弾ける音が続く。
自分の背中に隠れてしまうほどの体格差がある相手に向けた、剥き出しのサディズム。そこにもうコミュニケーションはなかった。許されるまま、幼い肢体を、貪った。
フランがふっと視線を外す。そのときに見せた表情は、蜜月な関係を見失われたことへの寂寥を帯びている気がして、それに気づいて、我に返った。
こんなことのためにフランは自分の身体を明け渡したのではない。彼女は何百年忘れていた情景を取り戻そうとして、ようやくテリトリーに入ってきた人間の男と、関わりを持ちたいだけなのだ。
「お嬢様っ、どうして、こんな強引な手段を」
「えへへ…… またあとで」
はにかんでごまかされた。
「ちゃんと教えてくださいよ」
今すぐにやめたくもあった。眼の前の相手をほとんど見ていられない自分のことを、彼女にすっかり見透かされている気がしてならないのだ。これは上っ面だけじゃ隠し通せない。主に見捨てられるということは、ここでは死を意味するだろう。明日の朝食に自分の血が並んでいるかもしれない。
『郷に入っては郷に従え。うちに来たらもう里の人じゃないってこと、覚えておきなさい』
採用試験の前に咲夜が言った。里の住人であるということは、妖怪の捕食対象から外されるということだ。これを聞いた時点で怖気づき帰る者もいた。
せめて皿に乗せられないために、今どうすべきか。正直に引き抜いてモノをだらしなく垂らしたまま正直に言って土下座するか、このまま欺瞞を貫いて続けるか。
五百年生きる者の思考など想像のしようがない。なら自分としては、どう動いても生存率は五分五分と考えてしまったほうが楽かもしれない。
またこちらの目を見つめ直す。しかしその目を、自分は見られなかった。瞳の先にある稚拙で矮小な素顔を見られたくなかった。
「恥ずかしがり屋なのね」
「そりゃ何百年も生きてませんから」
薄い唇を引き伸ばして、にやと笑った。
「誰の面の皮が厚いって?」
「少なくとも薄いとは思えませんよ」
「言うじゃん」