12年分の恋が溢れ出したので、愛で覆い尽くしてみた 作:暁英琉
「そういえば、ルフィその……」
「ん?」
「なんか……上手かったというか。その、キスが……」
ようやく呼吸が落ち着いた頃、ふと思い出した疑問をルフィに投げかける。
そもそも、ウタからすればルフィがディープキスという概念を知っていたことからして驚愕に値するのだ。彼の十二年間を知っているわけではないが、あのルフィが性欲だのなんだのに興味を示す姿が想像できない。
――いやけど、ルフィだって男の子だし、なんかすごい海賊になってるみたいだから実は経験豊富とか!? ひょ、ひょっとして彼女さんとかいたりして!? こ、これって浮気とかだったりする!?
少しだけ認識できたライブ会場の様子から、ルフィがひとかどの海賊になっていることは認識していた。海賊は嫌われ、恐れられることも当然あるが、一方でモテる部分もある。ルフィが女性を侍らせている姿はまるで想像できないが、そういう姿の方が有名海賊としては普通だ。
――シャンクスはそういうとこなかったけど、ベックの影響とか受けてるかもしれないし! ベック、新しい街に行く度にモテてたし、そういうのルフィに話し……話すかなぁ? いやけど、絶対ないってことはないし……。
暗に古巣の副船長を貶しながらウタの思考がどんどん悪い方向へと転がっていく。ルフィだってもう大人の男なのだと思いながら、記憶の中のルフィの幻想を壊したくないという思いがぶつかり合う。
内心ぐちゃぐちゃになっているウタに首を傾げながら、ルフィは特に気にした様子もなく質問に答えた。
「上手いってのは初めてだからよくわかんねえけど、こういうのってウタが喜ぶことすればいいんだろ? そういうのはこの二年でだいぶ得意になったんだ。エロいことはサンジとかウソップが話してるの聞いてるから、なんとなくわかるし」
ルフィの見聞色の覇気は生き物の感情を読み取る方向に寄っている。であれば、性知識が少ないなりにウタから感じ取れる感情を頼りに行為を行うのは当然とも言えた。
先程までのキスも、彼女の喜びの感情が途切れないように舌を動かし続けただけ。まあ、実際には“喜”ではなく“悦”なのだが、流石にそこまでの細かい感情分類はルフィの処理範囲外であった。
「そっか。初めて、なんだ……」
ルフィの言葉にぼそりと呟く。その声色には安堵が色濃く滲んでいた。
――ま、まあわかってたけどね。ルフィはやっぱりルフィだし、そういうことより絶対冒険の方が好きだし……そんなルフィの好きって相当なのでは?
内心赤面しながらベッドで転がり回りたいと思いながら、一つまみほど残っているお姉さんとしての自負でぐっとこらえるウタ。まあ、甘えるように抱きついている彼女にお姉さん要素など見当たらないし、見聞色でウタの嬉しい感情を読み取っているルフィにはあまりに無意味なのだが。
互いの想いが確認できた。普通であれば、もうなんの障害もないだろう。
しかし、ルフィには一つ、大きな問題が残っていた。
「けどウタ……俺でいいのか?」
「え?」
「俺……海賊だぞ?」
ライブに参加するためにエレジアへ向かう道すがら、UTAについてウソップから聞いていたことがある。
彼女が、大の海賊嫌いだということだ。
そんな歌手があの幼なじみだったと知って、ルフィの頭の片隅にはずっと疑問符が残されていた。あれだけ赤髪海賊団が好きだったウタが、なぜそのような歌手になっているのだろうか、と。
やはり、十二年前最後の航海でなにかがあったのだろうか。ウタを残してフーシャ村へ戻ってきたシャンクスの荒れ具合を考えれば、なにもない方がおかしかろう。ひょっとしたら、ここエレジアが滅んだ国だということと関係しているのかもしれない。
だが、今のルフィにとって重要なのはそこではない。
「俺、お前の夢の邪魔になるんじゃないか?」
『新時代』という中身の曖昧な夢。互いにその行き着く先が同じものだということは確信しているが、アプローチの仕方はまるで違う。そこに待ち受けている障害もまるで別物だ。
海賊、モンキー・D・ルフィという自分の存在がウタの足枷になってしまうのではないか。ルフィにとっての気がかりはそこだった。
「本当は、無理矢理にでもお前を連れ出してえ、俺のものにしてえって思ってる。絶対離したくねえって思ってる。けど、俺のせいでウタの夢が叶えられなくなるのは……嫌だ」
海賊らしく奪ってしまえればどんなに楽だろうか。しかし、そもそも海軍の英雄を祖父に持つルフィの価値観がそんなことを許さない。自由を求める自分が、好きな女に不自由を強いることを認められない。
「ぁ……」
そんなルフィの葛藤を知って、それまで熱に浮かされていたウタの思考が現実に戻ってくる。自分の置かれた状況を思い出すことになる。
「違う……違うよ、ルフィ」
必死に被りを振ってルフィの言葉を否定する。
ルフィという最愛の存在がウタの障害となることはあり得ない。いや、きっと二人の関係が公になれば、今いるファンの多くは離れてしまうだろう。けれど、それなら一からやり直せばいい。そもそもがいびつだったのだ。逃避の口実に過ぎなかったのだ。やり直せるならばきっとその方がいい。
しかし、そもそもやり直しすらできないとしたら?
「私……エレジアを滅ぼした魔王なんだ」
「ぇ……」
「あの日、エレジアからフーシャ村に戻る前の晩に私は魔王の楽譜を歌っちゃって、顕現したトットムジカがゴードン以外の人たちを殺しちゃったの。私が、ウタウタの実の力がたくさんの人たちの命を奪ったの!!」
十二年前に起こったエレジアの悲劇。一夜の悪夢。その元凶が彼女の歌声に惹かれて現れたトットムジカの楽譜であり、それを歌って封印を解いてしまったウタ自身なのだ。
彼女は、九つの美空で大量殺人の罪を背負っていた。消しさることなどできない大罪を抱えていた。
「それに、一年前にそのことを知るまで、ずっとシャンクスたちが私を利用してエレジアに潜入して、国を滅ぼしたって話を信じてた。置いていったシャンクスを恨んで、海賊そのものを恨んでた!!」
思い返せば、あの時既に海軍の戦艦が迫ってきていた。正面切っての海上戦は避けられないし、それを乗り越えても国を滅ぼした大悪党の一味としてそれまで以上に追われる立場になるのは明白。
そんな危険から遠ざけようという父の優しさに、辛い真実から、自分の罪から守ろうとしてくれた仲間たちの優しさに十一年も気づくことができなかった。あまつさえ、間抜けにも恨み続け、その恨みで名を上げまでした。
あの日、真実を知った時の自分への怒り、情けなさがぶり返してきて、ルフィを抱きしめていた両腕を離して自分を抱く。力のこもった爪が肌に食い込み、鈍い痛みが走るが、感情の奔流を抑えられない。
「真実を知って、私は向き合えなかった。逃げたくて逃げたくて仕方なかった。配信で禄に食べ物もない人の話を聞いて、辛い生活をしている人たちの話を聞いて――海賊に襲われた人たちの話を聞いて、せめて私にできることをって、『新世界モドキ』を作ろうとしてる」
「モドキ……?」
ルフィの呟くような疑問に答えるために、ウタは目の前に一つのキノコを作り上げる。桃色に黄色い斑模様が浮かんだ笠には突起が二つついていて、上から見るとまるでネズミのような造形をしていた。
「ネズキノコ、これを食べると眠れなくなって――最後には死んじゃう毒キノコ」
「!?」
「ウタウタの実で行けるこの夢の世界に取り込まれた人はね。取り込まれたまま能力者が死んじゃうと現実に帰れないんだって。この世界を不幸も暴力もない世界にすれば、私達の望んだ『新時代』の欠片くらいにはなると思わない?」
「おい、待てよ。じゃあ――」
突然出された毒キノコ、そしてウタウタの実の隠された効果。その二つがルフィに最悪の可能性を浮かび上がらせる。
「……うん。私はネズキノコを食べた。ルフィが私の夢の邪魔をするんじゃない。私が、ルフィの夢の邪魔をしちゃってるんだよ」
その最悪の可能性を、ウタは震える声で肯定した。
ルフィ自身、どこかおかしいとは思っていたことだった。ウタワールドは長時間維持することができない。能力者自身の体力を消耗する結果、すぐに能力者が眠ってしまい、悪魔の実の能力が切れるからだ。子供の頃は二、三曲がせいぜいだったし、普段の配信も短時間だったという話は聞いている。
それが、既にライブが始まってかなりの時間が経つというのに、現実に戻らない。子供の頃と比べて本人の体力があると考えても長すぎる。
それがまさか、そんな計画によるものだったとは思いもしなかった。
怒りなど湧くはずがない。ただただ悲しかった。こんなことをしなくてはいけないほど追い詰められていた幼なじみのことを思うとやるせなかった。何もできない自分が情けなかった。
「今、現実は海軍に囲まれててね。聞いたら、このままだと私が死ぬ前に世界の七割の人が夢の中に来ちゃうんだって」
皆が眠っている現実世界を力なく見ながら、ウタは自嘲する。ウタ自身、自分ではもうどうしようもない。映像電伝虫はなぜか止めることができなくてライブ映像を現実へ流し続けているし、自分から取り込んだ人々の意識を現実へ返す方法もわからない。
海軍に捕まってネズキノコの解毒を行うか――被害がこれ以上拡大する前に殺されるしか方法は残されていなかった。
少なくとも、ウタの中には。
「すうううううううううう、はあああぁぁぁぁ」
「ルフィ?」
突然盛大に深呼吸を始めたルフィに思わず伏せていた顔を上げる。目尻に溜まっていた涙が筋を作り、一瞬視界が滲んだ後、幼なじみの顔を映した。
きつく瞑っていたルフィの双眸がパチリと開く。まっすぐに真剣な視線を受けたウタはそこに強い意志が宿っているように感じて、見惚れてしまった。
「ん――」
そんなウタの唇をルフィが奪う。そっと触れ合うだけの接吻の後、そっと身体を抱き寄せられた。
温かい熱が伝わってくる。優しげな心音が伝播する。
「大丈夫だ、ウタ」
力強い声に、折れかけていた心が支えられる。
「海軍には渡さねえ。お前も死なせねえ」
「――――」
大海賊の宣言に、歌姫はもう一度涙を流した。
***
「これは……」
エレジアに先遣隊として上陸した海軍本部中将モモンガは愕然としていた。
おそらく海王類のものと思われる骨を基礎に作られたライブ会場。そこに無数の人々が横たわっていたからだ。
曇天の屋外で大人も子供も関係なしに倒れているという異常な光景。ウタウタの実の能力を知らなければ、死んでいるのではと錯覚してしまったかもしれない。
皆、眠らされているのだ。一人残らずウタウタの能力によってUTAの精神世界に取り込まれている。
「……恐ろしい力だ」
魔王と称される化け物を召喚できるとかという追加効果以前の問題。この芸当を一瞬歌を聴かせただけで成し遂げてしまう時点で、あまりに凶悪な能力と言えた。
その元凶。この世界転覆計画の主犯である歌姫は――ステージではなく、その前面に点在している小島の一つで腰を下ろしていた。
「UTAだな。……そいつは麦わら?」
月歩で宙を飛び小島に降り立つと歌姫が眠っている麦わらのルフィの頭を膝に乗せていた。周囲を見回すと、麦わら海賊団のクルー全員がこの小島で眠りについている。
麦わらとこの歌姫にどのような繋がりが、と一瞬考え込んでしまうモモンガであったが、すぐに思考を止める。今重要なのは目の前のウタウタの実の能力者だけだ。
「……海軍の人?」
「ああ、海軍本部中将、モモンガと申す。単刀直入に言おう。君が今行っている世界転覆計画を即刻取りやめていただきたい」
内心意味のない問答だと思いながらも、形式張った物言いで降伏を持ちかける。
このような大規模犯罪を起こす人間は最早無敵の人だ。覚悟を決めた者だ。やめろと言われて素直にやめるラインなど既に通り過ぎている。降伏勧告など無意味。
それでも正義を掲げる者の最低限の礼儀として勧告を行ったモモンガは、顔を上げたウタの表情に面食らった。
「世界転覆計画……やっぱり、そんな認識になるよね」
覚悟を決めた者の目ではない。狂気に満ちた目でもない。ただ、すべてを諦めたような目を、目の前の今まさに世界規模の大犯罪を実行している女性はしていた。
「あ、ああ。このまま君の計画が実行されれば、最終的に世界の七割の人間の意識が君の精神世界に取り残される。三割の人間では今の世界を維持することなど不可能だ。私達の文明は間違いなく衰退するだろう」
違和感にこめかみをチリつかせながら、モモンガは現状とこれから起こるであろう最悪の未来と伝える。
彼女がネズキノコを口にしたという報告は既に受けていた。となれば、彼女が実行しようとしているものはウタウタの能力で世界中の人々の精神を取り込んだまま死に、その精神を夢の世界に閉じ込めること。精神の抜けた身体はただ眠るだけの肉袋となる。単純に人手が足りなくなり、多くの国がその形を保つことができずに滅びてしまうことは容易に想像できた。
それだけのことを成そうとしている人間のする目ではない。そんな目をしていては、まるで後悔しているようではないか。
「――お嬢さん、ひょっとして、こんなことやめてぇんじゃないですかい?」
「イッショウさん!」
困惑するモモンガに近寄りながら、大将藤虎、イッショウがウタへ声をかける。見聞色に長けた彼は、彼女の内心をいち早く見抜いていた。
「……せっかく会えたのに、夢の邪魔をしたくないから……」
懺悔、後悔……諦観。返答の意味は理解できなかったが、敵対の意思を感じないのは明らかだった。藤虎やモモンガと含め、乗り込んだ海兵たちの表情に希望の色が浮かぶ。
しかし、それも長くは続かなかった。
「それじゃあ、眠っている人たちを起こしちゃくれませんか?」
「それは……ごめんなさい。できない」
「っ!! なぜ!?」
「私が眠る以外に皆を起こす方法がないの。電伝虫も暴走しちゃって止まらないみたいで……」
「……そいつぁ、困った事態ですな」
ウタの言葉にモモンガは大仰に天を仰ぎ、イッショウは仕込み刀の収まった杖がミシリときしむほど握りしめる。
ネズキノコという劇薬を服用した影響で、既に事態はウタの手を離れてしまっている。しかも、電伝虫の制御すら効かない状況。彼女一人では既に事態の収束も拡大阻止もできない状況なのだ。
そして、この状況で海軍にできることも少ない。沖で待機している黄猿率いる第二陣を含めて三〇隻の大軍勢で乗り込んだ彼らであるが、ウタがネズキノコを口にしたと知ったのは出立した後。解毒の手段は持ち合わせていない。一応事態を把握した元帥が解毒剤を積んだ軍艦をエレジアへ向かわせたそうだが、到底間に合うとは思えなかった。
「…………」
となれば、決断せねばならない。一縷の望みに賭けて拘束に留めるか、少しでも多くの民衆を助けるためにすぐに目の前の犯罪者の首を落とすか。
――やむなし、ですなぁ。
しばらくの沈黙の末、誰にも聞こえないように心の中で悪態を漏らし、決断した藤虎がウタに近づく。地を鳴らす三本分の音が周囲に虚しく響いた。
その不自然な音に、ウタが顔を上げた。釣られてモモンガもその視線の先、イッショウに目を向ける。二人が自分を見つめていることに彼は気づかない。うっすらを開いた白目が方向だけウタを見据える。
「盲目……ひょっとして、あなたが『賭博のおっさん』?」
「そいつぁ……」
ピタリと、藤虎の動きが止まった。世界徴兵で海軍大将に抜擢されるほどの実力を持っていたイッショウには複数の肩書、あだ名、二つ名がある。しかし、彼女の口にした呼び方をする人間は一人しかいなかった。
「麦わらの御仁が、近くに?」
「うん。……その、話があるって――」
「イッショウさん! 海賊の話なぞ聞く必要はありません!」
モモンガがウタの言葉を遮る。それは海軍として当然の反応と言えた。数多の海賊の中でも最悪の存在。あり得ないスピードで四皇へと成り上がった大海賊の言葉を聞く海兵など普通ではない。
「……いや、話を聞きましょう」
しかし、海軍大将藤虎という男は普通の海兵ではない。世界徴兵という異例の出来事で海軍の要席についた彼に海兵の常識は未だ馴染みの浅いものだから、というのもあるが、彼はドレスローザで麦わらのルフィという男を間近で目にした。話をした。少なからず人となりを知った。あの男に助けられた人々の声を聞いた。
モンキー・D・ルフィの言葉には耳を貸す価値がある。
ひょっとしたら、あの人形と糸に苦しめられていた国を解放したように、この最悪の状況をなんとかしてくれるかもしれないと思えて仕方がない。
「『全員助ける。だから“なにもするな”』って」
だから、その言葉への返答は一つしか存在しなかった。
「――あい分かった。あんたに賭けましょう」
危機的状況だというのに口端を緩めながら、藤虎は世界の運命を賭場へ差し出した。
唯一存在するかもしれない、“勝ち”を掴み取るために。