「あ、美少年だ…」
なんて、思わず口から出てしまったのはモンスター娘のサガという奴なのだろうか
静かな森の湖畔。柔らかな木漏れ日と心地よい風が吹くこの場所は、二グリュのお気入りの場所の一つだった。暖かな陽気に包まれながら、優しい風に流される。例えばそう、タンポポの綿毛にみたいに ふわぁっとして、そのまま溶けるように消えてなくなれたなら、それは存外と幸せなことじゃないのかと…。そんな妄想を枕にしながら うたた寝をするにはもってこいの場所だったのだ、場所だったのに…
ご主人君? だったけ?
最近噂の美少年というやつだ。何が悲しくてそんなあだ名が広まったのか、しかし面白がるのも半々で、意外でもなんでもなく、そのあだ名はモンスター娘達の間には浸透しているように思う
「はぁ…どうしよう?」
けれど困った。二グリュが寄りかかろうとしていた木の根本。そこで足でも引っ掛けたのか、せっかくの美少年がうつ伏せになって転がっていた。また乱痴気騒ぎ(トラブル)にでも巻き込まれているのだろうか? 世間体に疎いニグリュの耳にすら届くほどの騒ぎ、その中心にはだいたい彼がいた。それはいい。モンスター娘のやることだ、別におかしい事はない。いや、おかしいんだけども、気にするほどの事もなかった。そうやって、お祭りの喧騒は遠くに聞きながら、ぼーっとして…そのまま、ふっと眠りにつく。それはとても心地が良いことで、二グリュの厭世感を少しは慰めてくれるものだった
結局、回れ右をした
起こすのは可哀想かなと思ってしまった。トラブルに事欠かない彼の貴重な睡眠時間を私なんかの我儘で奪ってしまうのは申し訳ない。いや、単純に現在進行系なんだろうというのは分かる。こんな森の中を男の子が一人って、よく見れば服も乱れて、息も上がり、流れた汗が首筋にまで浮かんで見える。よっぽど急いでいたんだろうな。このまま此処に居座って、見つかってしまったら私まで巻き込まれかねなかった。こんな時はさっさと退散するに限る。まったく、めんどくさいったらない。トラブルなんて遠くから眺めているくらいでちょうどいいんだから
ー
夢を見ているんだと思う。現実味がなかった。意識だけははっきりしているのに指先の一つも動かせず、ただふわふわと、波に流されているような、風に吹かれているようなそんな感覚だけが伝ってくる
でも、どうしてだろう?
なぜ、僕は泣いてるんだろう?
悲しかったわけじゃない、悲しいことなんて何もはなかったはずだ。そうだ、怖いんだ。ただ、怖かったんだ。彼女たちが悪かったわけじゃない。むしろ逆で、悪かったのは僕の方。彼女たちはただ、僕と仲良くなりたくて、僕を心配してくれて、困らせて。それなのに見知らぬ彼女たちを僕は怖いと思って泣いてしまった
でも、どうして僕は彼女たちだと思ってしまったんだろう?
だって、彼女たちの姿は御伽噺に出てくるような怪物みたいで、僕はそれが恐ろしくって泣いていたように思う
意識がぼやけてくる、考えがまとまらない。ああ、もう直ぐ目が覚めるのかと何となく感じていて、霧が晴れるように気怠い睡眠が薄れてくると、どうしてだか気が急いてくる
起きなきゃ、急いで、誰かを…
はっと視界が開けた途端、僕は顔上げていた。目の前に揺れていたのは細く、長い尻尾の先。その、流れるような紫色を見つけた瞬間に、僕は慌ててそれを掴んでしまっていた
ー
「うひゃぁっ!? な、なになに急にっ。ちょっ、掴んでないで放してってば…」
「嫌ですっ離しません。助けてください」
踵を返したニグリュの後を、遅れて付いてきた彼女の尻尾が通称ご主人くんに引っ掴まれていた。よほど余裕が無いのか、寝起きで力加減を間違えているのか。その力は意外と強く、思わず振り回してしまった尻尾に引きずられるまま のた打ち回る彼の姿は、さながら釣り上げられた魚みたいだった
「助けてって…どうせエッチなお願いでしょ? エロ同人みたいにさぁ…」
「しませんよっ!? 人を性欲魔神みたいに言わないでくださいっ」
「いや、そこまでは言ってないけど…」
言いはしないけど。基本的に彼の噂話には必ずと言っていいほど、その手の話がついて回るのが常だった。そりゃ、可愛いとは思う。だからって、美少年だエッチしよ…とはならんのよ。まあ、それも分かる。手間がないのは良いと思う。仲良くなってするのなら、仲良くなるためにしたって変ではないだろう…いや、変だけどさ。けどしかし、惰眠を貪りたかった私にとっては、手順よりも前に行為そのものが面倒というか
「いえ、似たような物でしょう。モンスター娘たちからすればご主人さまは垂涎の的ですので」
「え、そうなんですか? ヴィシソワーズ様。 ちょっとショックなんですけど」
「ヴィヴィヴァーチェですよ」
そこに、ひょっこり現れたのはビビ神ことヴィヴィヴァーチェ。一見、妖精サイズの見かけに、お腹丸出しのネコ耳メイドみたいなその容姿からは結びつかないが、この島の守り神的な筈の神様の一柱だった
「だったらさぁ、ビビ様が助けてあげれば? 神様パワーでちょちょいってさ」
「獣神の力はみだりに振るうものじゃありません。ギリギリまで頑張って、ギリギリまで踏ん張って、そんな時にこそ私の力は輝くのですよ」
「美味しいところを持っていきたいだけに聞こえるんだけど」
「ソンナコトハナイノデスヨ」
返ってきた返事は棒読みで、機械的に片言だった
「お願いしますっ…あの、えーっと…」
「ああ、二グリュだよ。カトブレパス娘の二グリュ」
「二グリュさんっ」
言葉に詰まった彼の意を汲んで名前を伝えると、ガバっと手を取られて、今にも泣きそうな瞳で見上げられてしまった。困ったな、めんどくさいなぁーって、それはまあ日課の口癖みたいなものだったとしても。こう、なんだろう? そんな顔で下から見上げられて、胸に走ったトキメキみたいな動揺が私の頬を染めていく
振り払うのは簡単だ。見下ろす位置にある頭、重ねた手は私よりも小さいくらい。すべすべの肌、細く流れる髪、華奢な体の線は、まるで異性を感じさせない。きっと女装も似合うだろう彼の手を振り払おうとして、それがどうにも心苦しい
美少年だ、エッチしよ…
とはならんけれど。それでもやっぱり私もモンスター娘なのか、それとも自分で思うよりも私はお人好しだったのか
「ちょっ…そんな急がないでって」
気づけば、渋々うなずいた私を一生懸命に引っ張り走る、彼に手を惹かれていたんだ