「はぁ…」と、次の瞬間に漏れたため息は、ユーシィの憂鬱そのものだった
森を抜け、草原を歩き、波打ち際で足を止める。ご主人様に近づくな等と、急に手持ち無沙汰になってしまったユーシィは、監視の名目の上、半ば強引にニャルタンのパトロールに付き合わされていた
「やっぱり、欲深い女は重たいのでしょうか?」
顧みるなどと、この娘にも未だ殊勝な心がけが残っていた事にニャルタンの瞳は大きく開く
「急に何ニャ? 気味の悪い…」
「気味が悪いって…。貴女が言い出したのでしょう?」
「それはそうニャ。一人で何も出来ない男の子にはなって欲しくないとは思ってるニャ。ユーシィだってそれは分かるはずだニャ」
ニャルタンに指摘され、バツが悪そうにユーシィは顔を逸した。言いたい事は分かる、理屈としては理解できる。しかし、胸に渦巻く欲望がそれを認めはしなかった。犬の性質か、モン娘の定めなのか、一目惚れとは言え、一度主と定めてしまったら尽くさずにいられない。今この瞬間にも、頭の中はご主人様の事で一杯で、回れ右をしそうになる足を押さえるのに苦労させられていた
「良いですよね、猫は気ままで」
「なんにゃ? ケンカなら買うにゃ?」
「嫌味ですぅ」
「そうかい。犬は正直でいいもんにゃ」
「なんですか? 嫌味ですか? 喧嘩なら買いますよ?」
「羨ましいってだけ、にゃっ」
砂に埋もれたつま先を、寄せてきた波と一緒に蹴り飛ばす。上がる水しぶきが、陽の光をキラキラと照り返し、ニャルタンの白い毛並みを飾り立てていた
「ボクだってご主人の事は好きニャ。ずっと一緒にいたいし、手放したくだってない」
けどニャ、だけどニャ。そう言って言葉を区切ったニャルタンの顔に影が落ちた。明朗快活、バカ猫を絵に描いたような娘にしては、その曖昧な表情は珍しいとユーシィは訝しむ
「何時かはご主人もこの島を出ていくかもしれない。記憶が戻れば立場だってあるはずだニャ。その時、ボクは、どうするかニャって。放ってはおけないし、着いて行きたいとも思う。だけど、この島を、皆のことを簡単に放り出してしまって良いもんかって…。にゃんてにゃ?」
はにかんだ笑顔、少し困ったような声音。潮に紛れて涙の匂いがしたのは気のせいだろうか? なにより、奥歯に物が挟まった様な言い回しが腹立たしかった
「そんなの、着いてけば良いじゃないですか。まだるっこしい事なんて言わずに、私はそうしますよ?」
「にゃはっ♪ 即答だにゃ。ユーシィのそういう所、やっぱり羨ましいにゃ」
「なんというか…意外と、欲張りなんですね貴女って」
「欲張り? ボクが?」
「そうでしょうよ。アレもコレも欲しいと思うから悩むんです。そういうの、なんていうかわかります?」
分からないと首を傾げて見せるニャルタンに、ユーシィは「はぁ…」と呆れてみせた
「いちいち優しいですよね、ニャルタンは」
「何ニャ、急に? 褒めたって何もは出ないし、気味が悪いにゃぁ」
「嫌味ですぅ。恋敵を褒めたりするもんですか」
「そうかい。それでも、ボクは好きだけどニャ。ユーシィの事」
冷たいとか怖いとかって、ユーシィの事をそういう娘だってきっと少なくはないだろう。彼女にだってそれは分かっている。だからこそ「優しい」だ、なんて皮肉っぽい言い方をしながらも、少し羨むような表情が目に焼き付いてしまったんだ
「私は嫌いですけどね。貴女といると、ご主人様が盗られそうで気が気じゃない」
「にゃはっ♪ そればっかりは譲れないニャぁ」
「でしょうよ」
ぱっと、お日様みたいに輝くニャルタンの笑顔に、ユーシィの表情が和いでいく。結局、同じ人を思うからこその剣呑は、腹を開いた所で縮まることもなかったけれど。再び波打ち際歩き出した二人の足跡は、同じ所には向かっていた