意識を取り戻すと、そこはシャンクスの私室だった。窓から差し込む光は、夜が明けたと報せるもの。
辺りを見ても、シャンクスは勿論ウタの姿も無い。見聞色の覇気を総動員させてウタを探しても、ウタが船にいない現実に涙が溢れた。
当たり前に隣にあった温もり。甘える声と、明るい笑顔。
「っ……う、た……。ウタ……ウタ……っ!」
守れなかった。私は、何もできなかったんだ。
叫ばなかったのはせめてもの矜恃。私に、慟哭する権利は無い。
そうと分かっているのに、溢れる涙を拭う事もできずにウタを呼ぶ情けない私。そんな私の両肩を強く掴む手があり、顔をあげれば滲む視界に黒髪が映る。
「ナミ、俺が見えるか」
「ベックマン、さん……」
「そうだ。……ナミは、ちゃんと命を守った。いつか、ウタが現実を知り壊れそうになった時、壊れずに済む未来を残したんだ」
「え?」
よく分からなくて目を瞬かせれば、瞳に張っていた涙が落ちる。そんな私の涙を拭う、無骨な男の指は少しざらついていて……何より大きい。
思わずその手を掴んでマジマジと見てしまう程に、違う。同じように剣を手にしているのに、こんなにも違うのね。
性別もある、年齢もある、体格もある。違う理由は沢山ある……けど、この手は優しい事を知ってるの。
自らの意思で船長と定めた男を守り、支える男の手であり、仲間を守るリーダーの手でもある。その手で、私やウタを優しく守り続けてくれて来た。
「大きい……」
「ん?……ああ、ナミはまだ、子供だからな」
優しい気遣い。でも、私が大人になってもこの手になる事は有り得ない。
性別の差はどうしたってあるし、私はこの世界においては小柄な方だから。どうしても小さいままだろう。
「こんな手に、なりたいわ」
「それは困る」
「え?」
「こんなにも可愛い手が、こんな傷だらけの汚らしい手になって貰っちゃ……守れてないってレベル超えてんだろ。……俺は、ナミが育つのは構わないと思ってるが、傷付くのは看過できねェ」
優しい声と言葉、眼差しに声も出せずに見つめてしまう。そんな私に笑ってから、ベックマンさんはヒョイッと私を抱き上げて歩き出す。
さっきまで私は泣いていた筈なのに、どうしてこんなにも簡単に思考を切り替えてしまったんだろう。そんな事を思いながら運ばれた先にいたのは、エレジアの人達。
その人達を見て、困った様子を見せていたシャンクスが振り向く。そして怒ってるような顔で、私とベックマンさんを睨んで来た。
「誰なんだ、こいつらは!」
「エレジアの人達よ」
「って事は、乗せたのはナミか」
「うん」
素直に頷けば、シャンクスは天を仰ぐ。でも言い訳が許されるなら、あの流れでは伝える隙が無かったわ。
それにしても、シャンクスが怒るとは思わなかったのよね。だから首を傾げてしまう。
そんな私を見て呆れを隠さないシャンクス。何となく船長っぽいわね。
「……誰の許可を得て乗せた?」
「ベックマンさん」
「ああ、俺が〝副船長〟として、許可した。ウタの将来への布石でもある。……助けたのは、ナミだ」
私の言葉を受けて、ベックマンさんが頷いて引き継いでくれる。その様子にシャンクスは項垂れると、何故か涙目で私とベックマンさんを交互に見て来た。
小首を傾げる私と、笑いを耐えてる様子のベックマンさん。そんな様子を、オロオロしながら見守るエレジアの人達。
「ナミ、お前の大好きな報連相はどうしたんだ!」
「あの状況で?」
「それは……ナミが、俺を……イヂメたからだろう!?違うなら弄んでたのねっナミ酷い!!」
妙なシナまで作ってオネエ言葉を使うシャンクスに冷たい視線を向ける。分かっているのだ、そうでもしなければ心が保てないくらいに、ウタを置いて来た事が精神的なダメージなのだと言う事は。
それでも、それを選択したのはシャンクスである。だからこそ、私は冷たい視線を容赦なくぶつけて、低い声で威嚇するように言う。
「気持ち悪い……」
「なっ……!?聞いたかベック!ナミはこうやって俺を苛めるんだ!叱れ!!」
「……ナミ、確かにこれはウザイな」
「でしょ」
ベックマンさんと頷き合えば、シャンクスがよろよろと船縁に移動して縋り付く。その様子に混乱をきたしているエレジアの人達をフォローする為におろしてもらうと、ベックマンさんに視線を向ける。
それだけで理解して頷いてくれるから、安心して言葉を告げる事ができた。このままでは、この人達も安全には過ごせないだろうから。
「この後、エレジアからそれほど離れていない島にご案内します。帰りたければ、落ち着いてからお帰りください。ただ、今すぐに帰っても、被災地では食料の確保も難しいかと思われます」
そこまで言ってから、言葉を切る。本当に伝えたいのはこの後だから。
でも、私が口を開くより早くシャンクスが船長みたいな顔と声で言う。こんな時だけ、妙にカッコイイとか……狡い。
「最低限の生活基盤が整えられるように、その島の住民には必要とあらば話も付ける。だが、その代わりに守って欲しい事がある。……ウタが魔王を喚んだ事は、胸に秘めておいてもらいたい」
断ればどうなるか……と、続くように思われたそれに、最初に声を上げたのは妊婦さんだった。その声は震えていたし、視線が集まった事で上擦っていたけれど、確かに返事をくれたのだ。
怖くない筈がない。相手は海賊なのだから。
「とう……ぜんです!……こちらが招待して、私達の管理が甘かったために起きた事っ……!それなのに、あの子を守る為にと、私達を必死に庇い、助け出してくれた少女に、一人の母親としてっ……裏切るような事はしませんっ……!!」
その言葉に頷き、自分もだと言ってくれる人達。ウタが悪くなかったと、認めてくれる声に泣きそうになる。
私は気付かなかったけど、ウタはあんな状況下でも人を傷つけまいとしてくれてたのね。なんて、優しい子なのかしら。
「ありがとうございます。ウタの事、そんなに想ってくださって……」
いつか、どう足掻いてでも必ず迎えに行く。今の私にはまだ、ウタを迎えに行って保護できる場所も力も無いけど、問題を解決したならきっと……ベルメールさんやノジコなら受け入れてくれると思える。
だから、力を付けなきゃ。
故郷に連れ帰れば、ウタまで奴隷にされてしまう。ならば、今は孤独と悲しみに沈むのだとして……それでも、迎えに行く事はできないもの。
「いいえ、貴女に……助けられました。そんな貴女が助けてくれた理由があの子ならば、私達は共に守る義務があります」
「ですからどうか、島に降ろすまでで後は何もしないでください。これ以上恩を受けては、お返しできません」
その言葉に顔を上げれば、確かに頷かれて戸惑う。それは私の中で衝撃で、あの時はウタが連れ去られて使われながらも頑張ったのだと認識していたから、目からウロコ状態でもある。
だからと言って、こう言って好意的に受け入れてくれた人達を突き放す必要も無い。そう思えば自然に笑う事ができた。
「感謝します。一日も早く生活が安静し、心が平穏を取り戻せますよう、祈っております」
「他に、私達ができる事はありませんか」
「お気持ちだけで……」
本当に、いつか帰りたいと思った時里帰りして貰えたら有難いとは思うけど、それだってトラウマがあるかも知れないから無理にとは言えない。そう思って笑えば、四十名位の人達から安堵の空気がもれる。
今回の災害には犯人も、加害者もいない。いるのはただ、被害者のみ。
その事をきっと誰もが分かっていて、だからこそ怒りと悲しみの矛先を求めたい筈なのに耐えてくれた。それ以上の事を、どうして望めるだろう。
けれどもそんな私の横から顔を覗かせたスネイクが告げる。淡々とした様子からは、感情を読み取れない。
「話しは纏まったな。なら、人の住む島に降ろす。ただし、人の住む所から一番遠い位置に着けて降ろすから、そこからは自力で行ってくれ。それと、俺達は助けたんじゃない。アンタ達は海賊が追ってきたから、必死で逃げてきたんだ。海賊は破壊しただけでは飽き足らずに、追い回して来たんだ……わかるな」
「……分かりました。そのように、島の人達には伝えます」
どう足掻いても悪人になろうとする赤髪海賊団に、それでも抵抗も反抗もしない。反論も、今は許されないと分かっているのだろう。
だからこそ、素直に頷く。それ以外に、道がないと知っているから。
陸は炎に包まれていて、逃げ場は水しか無いと言う時、泳げなくて溺れるのだとしても、飛び込む他無いのと理屈は同じ。他の選択肢が、残されていないのだ。
彼等が快諾した事で、船はエレジアの隣にある島へと向かう。そこで彼等を降ろした瞬間までは、人として成り立っていたメンバーも、その先は無言を貫く。
ルーが何かデザートを作り、見せに来ると二人分あってそのままお通夜状態。パンチとモンスターが演奏を始めれば、歌い手が居ないからとまたお通夜状態と言った具合だ。
情けない……なんて言えない。私だって何度、今からでも遅くないから迎えに行こうって腕を掴んで揺さぶったか分からないし、次の出版の為にとペンを手にしても横から幻聴が聴こえるのだ。
「ねェナミ、これってどんな歌なの?」
有り得ないと頭で分かってるのに、幻聴を聞いては振り向き居ない現実に打ちのめされている。なのに、幻さえ見せては貰えない。
ウタ……今、貴女はどうしているの。もう少しで完成だった、曲としては完成してたのに踊りがまだだからと披露してなかった歌を思い出す。
あれは確か……。そうだわ。
誰もいない、シャンクスの部屋。一人机に向い、ウタが完成させたそれを音にする。
「『世界のつづき』」
元々この歌は、ウタの悲鳴にも思えるものだった。でも、信じたい、信じてる……と歌ってもいると思っていたの。
伴奏は無い。だから、最初だけ笛で、その後はアカペラとなるのを分かっていて、開始した。
「ーーー」
どうして、共に遊んだ海の匂いは時と共に消えてしまうのだろう。どうして、私にはウタを守る事ができないのだろう。
また、ウタが作った歌を歌う度、ウタを求めるのでしょうね。あなたと共に、過ごしたかったと心が泣くから。
「ーーー」
信じられるかな。信じたいな……と、ウタが思いを乗せて作った歌。星明かりを頼りに進む船は、海の広さに対して随分と脆弱に思える。
それでも、信じられる?そう、己に問い掛けるウタの強さは弱さでもあるわね。
「ーーー」
朝を待っているのは、自由に飛び立つ為かな。追い風に乗って、誘われるままに自由に生きたいと願う歌詞に泣きたくなる。
ここで間奏に入るのは覚えていたから、笛を取り出し奏でる。その後また、笛を下ろして唇を開いた。
「ーーー」
どうして、変わる事がないと思えた笑顔が浜辺に描いた絵のように、隠されてしまうの。幾度でも歌いましょう、ウタが作ったこの歌を。
その度にきっと、何度でもウタを想えるから。愛しい娘に、想いが届くように歌い続けるわ。
「ーーー」
信じてみたい。信じていたい。
そう、歌ってる気がした。この路の果てで、手を振り愛しい人を呼び続けてるウタが。
信じてみる。信じているわ。
この歌は、私の歌とウタの歌をいつか出会わせる。
「ーーー」
この星明かりが海の広さを恐ろしい存在から、共に生きる相手へと変えてくれる。だから、信じてみる。
この海も空も怖い相手だけど、決して敵じゃない。味方じゃないけど、共存はできると知っているから……信じられる。
「ーーー」
夢の続きで、また会おうね。ウタが魅せてくれる優しい夢の世界が終わっても、ウタは存在して心に希望を宿してくれてる。
夢が覚めれば暁の輝く今日が始まる。だから、信じられるわ。
「ーーー」
あの星明かりと海の向こうで、ウタが歌い続けていると。信じているの。
夢の続きであるこの現実を、共に生きよう。暁の輝く今日は続くから。
歌い終えると笛を唇に当てて、残り僅かなところだけど吹く。これを一人で生み出し歌うウタは、間違いなく天才。
いつか、皆の前で歌いたいとダンスの練習してたのに……と思えば泣いてしまいそう。声はウタの方が地声が低いから、私の声だと意識して低くしないと違和感があるけど、それでも心を落ち着けるには歌うしかなかったのだ。
そうして私が心に折り合いをつけてから、また机に向かおうとした時、ドアが破壊されるんじゃないかって勢いで開かれた。そこには滂沱の涙を流す皆の姿。
「ど、うし、たの?」
あまりの光景に声が上擦る。こんなにも動揺した経験は、そんなに無い。
情けない顔をして、涙と鼻水まみれのその姿を惜しげも無く晒して、その中から苦笑したまま、瞳だけで泣く器用な男が前に出た。そっと膝を折り、私と視線を合わせてくれるおまけ付き。
だから、視線を外せないの。そんな男が躊躇いを隠さずに、けれども真剣な様子で問い掛けてきた。
「ナミ、今の歌は……新曲、か?」
「そうとも言えるし、違うとも言えるわ。ウタがね、完成させてたの。踊りが決まらないから披露できないって、ずっとそっちの練習してたわ」
貴方達が手放したから、もう聞けないわね……とは、言わなかったけど伝わったらしくベックマンさんでさえ泣きそうな顔で俯く。それでも私は小さいから、俯かれてもその顔が良く見えてしまうの。
甘やかしたくなる。仕方なかったのよねと、言いたくなるけど、同時にならウタの心はどうなるのと叫ぶ心もあるから動けない。
そんな私の手を掴んで、震えたまま動かなくなったのはシャンクスで、驚いて見上げたら強く抱きしめられた。それはまるで縋ってるようで、その震える巨体を私は振り払うなんてできなかった。
慰める事も、拒絶する事もできない私は、きっと優柔不断なのだろう。そんな私達を乗せて、船はフーシャ村に戻る。
だからこそ、誰一人声を出さない。出せないままだ。
それでも、何も知らないルフィはいつものように明るく出迎えてくれる。話を聞こうとウタを呼ぶ声が、余計に皆を黙らせてしまう。
船から降りる皆を捕まえては話を聞こうとするのに、誰も何も言わずに離れて行く。通り過ぎる彼等に、ルフィはそれでもめげない。
船に乗り込もうとするルフィをそっと捕まえて、シャンクスが何か言っているのをどこか遠い所で見聞きしていた。気持ちの切り替えなんて……簡単にできる訳もなかったのだ。
ウタが死んだのかと不安そうにするルフィに、シャンクスは静かに否定する。ただ〝歌手になる為に船を降りた〟のだと。
優しい嘘。そして、悲しい真実。
私はどうしたら良かったのかな。どれほど己に問い掛けても、答えは出ない。
あの時シャンクスの決定に表向きは逆らわずに、そっと船を抜け出して、ウタの元に残れば何か違っていただろうか。でも、それをできるだけの余裕なんてなかった。
連れて行きたかったのよ。ウタを、手放したくなんてなかったの。
そんな訳で廃人と化した面々は酒場に集まり、ヤケ酒を始めてしまうし、私は無心になりたくて船で一人舞い続ける。そんな時酔っ払いの巣窟にルフィが入るのを見て、嫌な予感がしてしまう。
慌てて店に入れば、大人気ないシャンクスがまとわりつくルフィに叫んだ。それは、本当に子供の喧嘩。
「五月蝿ェ!悲しいのは俺の方だ!バカヤロー!」
「なんだよ!その言い方!シャンクスなんか、シャンクスなんかっ……ゲッコーだっ!!」
それ、絶交じゃないかな?なんて、突っ込む間も無く酒場を飛び出すルフィを見送るしかなかった。大人気ないシャンクスを残して去るルフィは、嘘を付けない素直な少年。
残されたシャンクスは、やっちまった!って顔に書いてあって、なのに口では悪態をつく。大人になったから、素直にごめんなさいがいえなくなったのかな。
追いかける事もせずに、酒に逃げる。それでも耳とシッポがあるなら、間違いなくたれていると分かる背中に声をかけた。
「シャンクス、見てたわよ」
「……どうせ、俺を悪者にするんだろ!」
「私が悪者にしてるんじゃなくて、シャンクスが大人気ないのよ。恥を知りなさい」
大の男が、それも頭と呼ばれる男が、何してるのよ。私の師匠は、そんなに弱い男だったの?
……弱かったわ。それを、知ってるから許してしまいそうになるけど、ダメなものは駄目。
そう思って見ていたら、ボソボソとシャンクスは言う。それを聞いて余計に呆れてしまう。
「……ルフィに、俺の何がわかるってんだ……」
「分かる訳無いでしょ。子供な上に普通より鈍い子なんだから。……それにね、何も分からないのに、寄り添える訳ないじゃない。何も話さないで理解して貰おうなんて、傲慢よ」
「ナミ、お前……ババくせェ」
その瞬間、マキノさんから酒を奪い取りシャンクスの頭からかけてやる。目に入ったと騒ぐのを無視して二本目をかけ始めると、それを呑んでやるとばかりに上を向いて口を開ける始末。
呆れて見詰めれば、泣きそうな瞳が私に向けられる。それは、縋ってるようにしか見えない。
「少し、頭冷やしなさい。ベッドで寝たいなら、ちゃんとそのベタベタ落としてからにしてよね。汚い人にベッド使う権利無いから」
「ナミがやったんだろ!」
「お黙りっ!……いい大人が、自分の五分の一さえ生きてないような子供と本気で喧嘩して、それも正確には喧嘩じゃないのよ。あれは、八つ当たり!……息子を虐められれば、反撃位するわ」
ウガー!って勢いで言えばシャンクスが黙った。周りの喧騒までやんでしまう。
どうしたのかなと思って周りをみれば、シャンクスが大きな溜息を落とした。それにつられて視線を戻す。
「……そっか、ルフィも子供枠か。……なァ、ナミ」
「なによ」
「あいつ、どうしてるかな……」
「泣いてるに、決まってんじゃない」
「容赦ねェな、本当に……」
そのまま俯き、酒に雫に隠して泣く脆くて弱い男を見る。これ以上いじめるのも何か違う気がして、私は酒場を後にした。
その翌日、ルフィは本当にシャンクスに会いに来なくて、それを心配して交代で様子見に行く赤髪のメンバーに少し笑ってしまう。己の生命を預けている船長がクダ巻いて、暴れて泣いてると言うのに、それを無視してルフィばかり気にするのだから。
そんな日が三日も続けば、シャンクスの気持ちは大分落ち着いたみたいで、少しばかりルフィを気にしてソワソワし始める。いつもはいた、ウタも近くに居ないから余計にそうなるのだろう。
私の修行は、その間シャンクス以外の幹部が受け持ってくれたものの、ウタ無しの現実により隙だらけで……連戦連勝。これでは訓練になりはしない。
「これで無邪気に、勝てた!とか思えたら楽しい期間かもしれないけどね……」
「子供の発言じゃねェな」
「ベックマンさん……でも、この体たらくな人達に勝って、何が誇れるのよ」
「確かにな」
戦う前からフラついていて、いつもなら躱せる動きに着いて来れずにモロに受けて隙だらけになった時に、頭上を狙うフリして懐に入り込み股間に打撃を与えているのだから、勝てて当然と言えるのかも知れない。
でも、陸に打ち上げられた魚よろしくピクピクしてるのを見れば、どうしても嬉しさは消える。こんな惨状を見たとて、勝てたとは思えないのだから。
つい落とした溜息。それに対して無言のまま頭を軽く撫でて、静かに笑うベックマンさん。
その手にも口にも、煙草はない。結構なベビースモーカーなクセして。
「……遠慮しないで、煙草、吸ったら?」
「ナミが自動喫煙になるだろ」
「本当に、優しいわね」
私やルフィ、ウタの前では煙草を吸わないようにしてくれてる。風向きの関係で煙が行かない時は吸っても、近付く時には消してくれるだけの配慮をしてくれる思慮深い人。
そう思って笑ったら、ルフィの悲鳴のような雄叫びを感じ取る。顔を上げた私に、ベックマンさんが軽く手で制してかけて行く。
そのまま夜まで、ベックマンさんもルフィも、帰っては来なかった。静かな筈なのに、捗らない執筆。
やっと、一人になって何も気にせず書けると思ったのに、心がつらいと叫び続ける。そう、あの時ウタが歌わされていた曲のように、心は孤独を叫び絶望に打ち震えるばかり。
止まる手を、その度に叱責して書いていく。難産だった割には、内容が纏まってるか不安で、苦しくなるばかりの弱い自分。
その後漸く帰って来た二人に、肩から力が抜ける。それが良かったのか、その先は一睡もせず翌朝を迎える事となった。
そうして迎えたお昼。食事を作る事を放棄したルーが原因か、食事をしてないと気付いたライムジュースに抱えられて酒場へと運び込まれる。
そこでブスッとしていると、フルーツポンチが出されて思わず頬が緩む。手を合わせて元気よく頂きますと言った所で、それをひょいと奪われてしまう。
「ちょっと、返してよ!私のご飯!」
「これは飯じゃなくてデザートだ」
「酷い……マキノさんが折角作ってくれたのにっ!」
「マキノさん、ナミを甘やかさないでくれ」
「あら、いつも良い子に頑張って、皆さんをサポートしてるから労っただけですよ?」
優しく微笑むマキノさんに後光が差してる気がした。でも、そんな私を見て呆れを隠さないライムジュース。
なんでそんな、私を目の敵にするのよ。私はごく普通のか弱い村娘なのに……!!
「こいつほっとくと飯食わないから、果物は与えないでください」
「ちょっと、ライムジュース!?私ハトとかそういう系の野生動物じゃないんだけど!?」
「ならナミちゃん、先に食事しましょ。その後なら返してくれる筈よ」
「マキノさんが、そう言うなら……」
しょぼくれた私に出されたのはレタス炒飯で、ご飯より野菜の方が明らかに多いそれに喜んで食べ始めると何やら論争が起きる。兎か猫かと騒ぐそれを聞き流しつつ、ウタは兎だと内心で断言しておく。
……作注……余談ではあるが、本作ヒロインは映画知識がないので知らないところではあるけれど、ウタちゃんのイメージ動物はウサギです。苛立つと足を踏み鳴らすのは、ウサギのバンッという足の動きからであり、気分で動く髪の毛はウサギの耳がイメージとの事。
「マキノさん、食べたよー」
「スープも飲んでね」
見れば野菜たっぷりの卵スープが用意されていて、飲んで飲んでと言わんばかりに湯気を出しながら誘って来る。それにつられて手を出せば、優しい塩味のスープで頬が緩む。
野菜の甘さと程よい塩味が、身体に染み渡る気がした。そこではたと気付く。
「あれ?……食事いつ以来かな?」
「だから、連れてきたんだ。ど阿呆」
「ライムジュースってさ、私にだけ態度悪くない!?」
「アホにはコレで十分だ」
その言葉にカチンときた。だって、それならその手袋外しなさいよと思うから。
潔癖な訳でも無いのに、手袋を外さないのは、肌が弱いから。私やウタより弱いってなんなのよっ!
「何よ、肌が弱くて手袋外せない弱々なライムジュース君っ!」
「あ!?放置すると飯も食わずに、倒れるまで何か書き続けてる根暗女に言われたくねえな!」
「やる気!?」
「表出ろっ!!」
「望むところよっ!!」
売り言葉に買い言葉とはこれまさに。頭では分かってるのに、感情が抑えられない。
皆何処かで精神的なダメージを負っているのだ。だからこそ、大切な人を傷付けない為に無言で居たのだと、嫌でも分かってしまう。
些細な事が許せない。気に触る。
「倒して戻ったら食べるので、フルーツポンチ取っておいてくださいね」
「ちょっと、ライムさんっ!ナミちゃん!やめなさいっ!!」
マキノさんにそう言って出て行く私をオロオロしながら見てたのに、直後ハッとした様子で必死の様子で追いかけて来る。そんなマキノさんには悪いけど、ここで発散させないと……どちらも壊れてしまう。
優しさを受け止められないで、心配だと素直に言えない私も。それと分かっていて喧嘩にしか発展させられないライムジュースも、どちらも。
だから、武器を構える。どちらも得物は同じタイプ。
長い棒を手に戦うのだ。互いに手は知り尽くしていて、でも、どちらも正常じゃない。
同時に向き合い、睨み付ける。マキノさんが止めたくて足を踏み出した時に、落ちていた小枝を踏んだ音が合図となり、同時に地を蹴った。
向かって左側に来る攻撃を前屈みになって躱して、そのまま低姿勢でクリマタクトを突き出せば身長差もあり狙われるのは股間。それに慌てて避けようとして、バランスを崩した所へ足払いをかける。
それにより見事に地にズザザーッと滑るそれは、明らかにギャグ漫画。そのまま転がって行き、果物売りの商品棚に突っ込んで止まれば、店主が驚きの表情で慌てて飛び出してきた。
「なんだ!?どうしたっ!?」
「あ、いつもルフィがお世話になってます。今日も何かあげてくださったんですよね」
確証は無いが、いつもあげてるからそうだろうと確信して問かければ、私と果物まみれになってるライムジュースを交互に見て苦笑した。それからライムジュースに良い笑顔を向ける。
「弁償、よろしくな」
「いてて……俺の惨状をみて、それかよ。店主も酷いな」
「子供相手にその体たらくじゃ、余程酔ってたと見える」
「うるせえよ。ナミは強いんだぞ!」
ウンウンと言って頷き、ソロバンを弾く。この世界の作者の年齢がわかる気がする瞬間である。
そして大きく頷くと親指を立てた。笑顔と共に見える白い歯がキラリと光るのを確認して、逃げ道無しねと笑ってしまう。
「ははは!そうかそうか、ナミちゃんは将来有望だなっ!んで、18,750ベリーな。棚は組み直してくれよ」
「鬼かっ!?」
そのまま直さないなら、その分も加算するぞーなんて言われて慌てて直そうと動き出すのを眺めて、溜息一つ。……あらヤダ、最近溜息ばっかりだわ。
そのとき脳裏にウタの声が響く。明るく可愛い声で、溜息ついてると、幸せ逃げちゃうんだって!なんて。
「もう、手遅れかも」
「何がだ?」
独り言に帰って来た返事に驚いて振り向けば、何故か大怪我してるルフィがいる。何とか悲鳴を飲み込んで、どうしたのと問い掛けるけど何も答えてくれない。
そのまま酒場へと足を進めるルフィに続けば、振り向いたシャンクスがやはりどうしたんだと問い掛けるけれど、話せない事もあるんだと笑うルフィに言葉を失う。それから互いに笑い出して、絶交を取りやめると言う二人に胸を撫で下ろせばマキノさんが先程のフルーツポンチを出してくれた。
「ありがとう」
「本当に勝っちゃうんだもの、驚いたわ」
「酔ってたし、私小回りきくから。……でも、ルフィにはできない戦い方だから教えてもあげられない」
「良いのよ。これ以上、我が村きっての悪戯小僧が調子に乗ったら困るもの」
そんな事を言いつつ、優しくルフィの好みそうな物を無料で提供するマキノさんに、優しいお母さんだなと思う。それと同時にルフィの本当の母親は、誰なんだろうかと少し思いつつ、フルーツポンチに舌鼓を打つ。
華やかで美味しいフルーツポンチに心が癒される。そうしてまたスプーンを差し込んだ瞬間、じーっと見詰めてくる視線に耐えられなくなり声を出す。
「何かしら?」
「ナミが食うのは果物だけか。飯食え、飯!」
「さっき食べたわよ」
「ナミいいな、それ。俺も欲しい」
「良いわよ。いらっしゃい」
先のシャンクスには少し冷たく、後のルフィには笑顔で答えて手招く。トコトコと聞こえて来そうな足取りで近付くルフィの頭を撫でてから、椅子に座るように言って残りのフルーツポンチをあげるわと譲ってしまう。
それにより瞳を輝かせたルフィはありがとうっ!と元気に言うと即座に食べ始めた。そこに来て、漸く覚悟が決まる。
居ないものは、居ない。今の私ではウタを守れないのだから、守れるだけの力を得てから迎えに行こう。
この先、アーロンという脅威が待っている村に連れて行く事はできないし、この村では持て余してしまう。ならばこそ、今は離れて修行するしかないわ。
ウタはその才能を伸ばし、私はウタを安全に匿える場所と力を手に入れる。それ以外に道は無い。
覚悟が決まれば後は行動あるのみ。だからシャンクスに言う。
「そろそろ約束を再開して。そうしないと帰っちゃうわよ」
「それは困る。……そろそろクダまくのも終わらねェとな」
そうして私とシャンクスは、顔を見合せて笑う。ウタと離れてから、漸く迎えた雪解けと言えるのかも知れない。