今ある幸福を手離したくないと願い、離れたくないと叫ぶ幼くも我儘で残酷な願い。だからこそ、それを知られたくないとも思う。
叶う事なら、大切な人に順位なんてつけたくなくて、それでも生命を優先したいから。だから……優しく庇護してくれる腕の中で題名を口にした。
「『たからもの』」
私の声を聞いた瞬間、ベックは私から離れた。それは、私が歌いやすいようにという意味だとわかる。
これがただの呟きではないと即座に分かるくらいに、私達は時を共にしてきた。人生という長い時においては僅かな時間かもしれないけど、それでも、相手を知るという意味においては、それなりに長い時間。
最近は私が告げた後、笛を吹けばウタが歌ってくれた。でも今はもう、ウタは居ない。
あれから時は過ぎたというのに、どうしても傍にいて笑っていた愛しい存在を追ってしまう。今はもう、それぞれの道を進んでいるのに。
性懲りも無く。縋るように祈ってしまうの。
「ーーー」
微笑みを向けて、背に庇った。戦う事が怖いと怯える心を隠して、ウタを守りたいと足掻いた日々。
それは今後、家族と村の人に向けられるもの。だから、心を揺らしていい時は過ぎた。
「ーーー」
私を育ててくれた、家族と村人を見捨てる選択肢がある筈もないけど、強さを与えてくれた人達がウタを手離したその優しさが痛くて、傍から離れたくないと願ってしまう。共に過ごす今という時間が愛しくて、切ない。
どうか、そばにいさせてと、叫びたくなるのを抑えて笑う。それしかできないから、せめて歌おうと決めたの。
「ーーー」
ウタのように歌う事が楽しいからではなく、私にはそれしかできないから……だから、歌おう。風の音色や夕闇という何気ない日常の中で、懐かしくウタを思い出す。
赤髪の皆にいつまでも一緒だと、叶わないと分かっていて繰り返した。それでも今、私は旅立つしかないのだもの。
「ーーー」
巻き込みたくないし、傷付けたくないから。それでも、与えて貰ったぬくもりはこの手にある。
鮮やかなまま、翳りさえ見えないままに息づいている。だから、忘れたくないと足掻く前に、受け取った愛を未来に繋ぐわ。
「ーーー」
他に何を話せただろう。何を話せるだろう。
離れてしまうその前にも伝えたい事は沢山あるのに、伝えたら離れられなくなるとわかるの。なのに不思議ね、淋しさを感じる事は、孤独とはまた何処か違っている。
「ーーー」
ありがとう、共にいられた事が嬉しいの。大切な時間を過ごせたと思うわ。
永遠を求める事は不可能だけど、心の深いところに刻まれている。大切な人達。
「ーーー」
幸せの余韻を感じながら、この先へ進もう。彼らは背中を押してはくれても、妨害等しないと信じられるから。
旅立つと決めた私を照らすのは、皆の優しさ。二度と、会えないだろう日々が待ってる。
「ーーー」
さよならの代わりに、全員を抱き締める代わりに、歌で抱き締める。私を育ててくれた、皆への想いを伝えるためにも。
私にはそれしかできない。だからどうか聞いて欲しい。
「ーーー」
ぬくもりをこの手に取り戻す為に、失わない為に、笑顔を鮮やかに覚えている為にも。忘れないで、受け取った愛を胸に歩いて行くわ。
……歌い終えて、お辞儀をして、顔を上げる。そのまま背を向けて、皆の方を振り向かずに駆け出す。
そうして、自分の船に飛び移ると振り向いて手を振ったけど、その時は顔を上げない。だって、顔を見たら動けなくなるもの。
もう手の届かない所まで船を進めてから、私はちゃんと振り返り顔を上げた。それを確認したシャンクス達は困ったように笑ってから、船を出すから、私は海に佇んでそれを見送る。
「ナミー!忘れるな!何かあれば言え!必ず助ける!」
シャンクスの声が、海上に谺響するように響く。波間を抜けて彼らは進む。
━━━━━
ベックがナミからそっと離れるのを見て、別れは避けられないとわかる。同時に何かを歌ってくれるのだと分かるから、そっと目を伏せそれを受け入れるしかない。
笛を取り出して演奏を開始すると同時に、いつもなら躍り出てお辞儀をするうさぎ娘の姿が無い事に泣きたくなる。あの時、お頭とナミが戦っていたのを俺はただ見ているしかできなかったから。
同じ年頃の息子がいるんだと言う度に、ならたまには帰れと冷たく言い放つナミに、それができなかったのはまだ何も成し遂げられていないからだろうな。そう、思っているのに、何を成し遂げればならば帰れるのかと問われると口を閉ざしてしまう。
だからこそ、歌い出したそれが苦しさを呼び起こす。優しい声で、切なそうに……年齢にそぐわない表情で歌う。
「ーーー」
まるでナミの事を自身で歌ってるかのような歌い出しに、切なくなるのは俺だけじゃないだろう。なのに、こんな子供一人、俺達は守れないし救えない。
救われて来たのも、守られて来たのも、おそらくは俺達の方だ。その証拠に、俺は今不安に苛まれている。
「ーーー」
風の音に、いつまでも一緒だと繰り返したのはナミだけじゃない。なのに、今その対象は遠くで泣いていると知っていて、放置する他ないんだ。
俺は、息子も娘も、泣かせてばかりだ。恨まれて……いるだろうな。
「ーーー」
ぬくもりはこの手に、鮮やかなまま残っている。まるで今、この腕の中にいるかのように。
だが実際は、ウソップもウタも置いて来ちまった。ナミの事さえ、結局俺は何も出来ずに別れるのだろう。
忘れたいとは願わないが、純粋に愛してくれる存在の未来に希望を抱く。夢を見るように。
「ーーー」
離れてしまう前に、他には何を話せただろうか。淋しさと孤独はどこか違うと大人になってる俺は思えるけど、我が子達はどうだろう。
孤独と不安に包まれ、笑う事でそれを誤魔化すだけであるならば、それは俺の罪。残して来て、その後何もできていない俺の責任だ。
「ーーー」
出逢い、共に過ごしてくれてありがとう。大切な時間だった。
絆は永遠に消えないし、壊れないと信じられるところまで深く触れ合えたと自信を持って言える。だからこそ、罪悪感や後悔をそのままにしているんだがな。
「ーーー」
幸せは、長く続かない事を知ってしまっている。その余韻に背中を押されて、旅立つのはいつも俺の方だ。
このまま何も言わずに別れれば、きっと二度と会えない。分かっていて何も声を出さないつもりなのかと自問自答するばかり。
「ーーー」
サヨナラの言葉の代わりに、その心を抱きしめる言葉を残したい。愛しい息子と娘にできなかったそれを、せめてこの子にだけは。
そう願うのに、同時に言い訳を考えてしまう。今は歌っているから、今は海図を描いているから……と。
「ーーー」
温もりはこの手にあった筈だ。鮮やかなまま今、目の前で歌っている。
離れてもきっと、ナミとウタの声は届くから、忘れたりしない。どんな形であれ、受け取った愛の輝きと共に進んで行く。
歌と曲が終わり、静かに頭を下げたナミに誰も何も言えない。これが、別れの挨拶がわりなのは、嫌でもわかるから。
そんな俺達の感傷を利用するように、顔を上げると同時に背を向けて海へと飛び出すお転婆娘に手を伸ばしても、もう届かない。その速度は、お頭達でさえ時に見失う程なのだから。
船の上で、震える小さな身体。泣かないように、耐えているその姿が悲しくも愛しい。
慣れてるから分かるだけで、隠そうとしてるナミの演技力は、常人には見極められないだろう。そしていつも、ナミの演技は誰かの為だ。
それなのにブレない恐ろしいナミの操舵技術に、俺達も船を出すしかないと諦めの心境。それでも可能な限りその背を見ていると、くるりと向きを変えて俺達を見詰める大人びた表情の孤独な少女。
何故、手放さなければならないのか。何故、見送らなくてはならないのか。
これから死地へ向かうだろう愛しい娘に、俺は……いや、俺達は声を張り上げた。恥じる事無く、臆する事無く、今伝えなければ後悔すると知っているから。
━━━━━
「忘れるなよ!いつでも駆け付ける」
「泣いてもいいんだぞ!ナミが泣いたら、海の果てでも迎えに行くからな」
「お転婆も程々にしろよ」
「寂しいって素直に言えよ。ほら!」
重なり誰が何を言ったのか既に分からない。混ざった言葉は他にもあるけど、だからこそ聞き取りきれなくて、ただ、笑いながら泣く器用な彼等にこちらまで泣いてしまいそうになるのは確か。
言葉なんて返せなくて、ただ涙を抑え込む。彼等には笑顔の私を覚えていて欲しくて、でも、心配の尽きない彼等に普通の笑顔は向けられなくて切なく微笑む形になるのは許して欲しい。
遠くなる彼等の旅はまだ、始まったばかり。そして、私の旅もまだ、これからなのよ。
そう……まだ何も始まってない。全てはここからだ。
決意を新たに、私はベルメールさんとノジコの元へ向かう。いつまでも感傷に浸ってなんて居られない。
帰り着いた私を抱き締めてくれるベルメールさんは変わらないけど、ノジコはこれまでよりも更に美しくなっていて、家の姉は世界一の美女だと思う。ハンコック?何それオイシイの?家の姉に比べたら月とスッポンよと大声で叫びたい程の美しさ。
洗剤の売り上げを全額ベルメールさんに託して、私は本の売り上げをいつもの場所に隠しに行く。いつか来る戦いで勝てれば良し。
勝てなくて負けても、その時点で一億あれば良し。どちらにしても、皆が奴隷にされるなんて未来はいらない。
決意を新たに私は立ち上がる。目指すべき未来を決めてしまったから、私は立ち止まれないの。
シャンクス、ベック、ありがとう。私、必ず守り抜くから。
ルフィ、エース、サボ、いつかまた三人が揃って笑える未来の為に……。私は何一つ諦めない。
ウタ……必ず、会いに行くわ。貴女を守れる強さを手に入れて、必ず。
お金を隠し終えて、私は日常へと帰る。それから二年、一人で出来る限りの修行を続けて、月に一度行った事のない所へと航海して、その地域の海図と地図を描いていく。
その途中で出逢った人達との交流も、私にとってきっといつか力になる。経験は、何より尊い知識だから。
それにしても……譜面はまだまだ書けそうなものがあるけど、児童書はすでに底を尽きた気がするわ。何ならば他に書けるだろうか。
千夜一夜物語は全て揃って初めてあれになる。だけど、全ては流石に覚えていないなぁ。
好きなエピソードは沢山あるけど、それは確か追加で書かれた方の話の筈。千夜一夜物語は、アントワーヌ・ガランが翻訳に使用した『千一夜』のアラビア語の写本では、夜の数は282夜、結末はないのだ。
千の話があって始めて……なんて言う人も多いけど、そんなにあったのかがそもそも不明。見つかってるのは282だけであり、もしこの先見付かれば世界に衝撃が走る事は間違いない。
その初出版以降、題名の『千一夜』すべての物語を集めるべく、ガランを含む多くのヨーロッパ人によって次々と話が追加された為、アラジンと魔法のランプ、シンドバッドの冒険、アリババと40人の盗賊、空飛ぶ絨毯など、元々、そのアラビア語の写本にない話が、現代の千一夜では多くを占めている。そして、千一夜の結末は、いくつもの創作がなされて版により異なるのだ。
そうした事実の結果、私が好む話は大抵後から作られた物だと言う悲しい現実がある。そのせいで最初の話がうろ覚えなのよね。
こうなっては仕方ないから、ワンピースの世界で過去編として描かれていた人達の話を、少し変えて一般向けの……児童書ではない小説でも書こうかとペンを手にする。最初に書く事にしたのはロビンの話。
考古学者を研究者にして、世界を国へと変えて書いていく。流石にそのままにしたら、今度は私が世界に狙われてしまうもの。
それは困る。ベルメールさんとノジコを危険に晒せないわ。
内容としては、有り触れているかもしれない。それでもロビンの過去を元に書いた物を見て、涙してくれる人がいるのならば、怒りを感じてくれる人がいるのならば、それだけでも何かが変わるきっかけになるのではないかと思えるから。
『研究した結果、国にとって邪魔にしかならない物を作ってしまった女性を殺す為に、けれども彼女だけを殺すには目的があからさまだからと、村ごと地図から消滅させる事を決意した国。そんな国にとって邪魔な彼女には一人の娘がいた。
優秀な娘に未来を託して、その娘に生きていて欲しくて母は犠牲になる。娘の生きる未来は、誰にも奪わせはしないと心に決めて。
その戦乱の中で国の兵士の一人でありながら、母の友人でもあった男が後に娘の友となり、少女を生かそうとして捕えられる。罪人となったその男を捕らえたのは、彼の親友だった。
兵が親友を捕えられたその瞬間に彼の処刑は動かないものとなるが、その彼が大切に守ろうとしていた少女を見れば殺す事に躊躇いを覚える。そうして彼の親友は葛藤しながらも、少女を逃がす事を決めたのは、国に残れば殺されると分かっていたから。
逃がしてやりたくても、共に行く事はできない。やれる限りの事はしたものの、指名手配された彼女は幾度も裏切られ傷付けられる。
それでも少女は、一人で船に乗り国を飛び出す形で旅立つ。いつか出逢える大切な仲間を求めて』
と言う話に仕上げてしまうと、それをクーちゃんに託す。問題が無ければそのうち本になるだろうと思ってそれを見送り、受け取った新聞を見て固まる。
この時点で私は10歳、ノジコは12歳。もし負ける等を含め、計画が破綻してしまえばこれから……予定では8年間の奴隷生活が待っている。
だから必死になって隙間を埋めて行く。覇王色の覇気は持ち合わせてないし、武装色の覇気は苦手だから、見聞色の覇気を鍛えながら努力を続けるのに、焦りが消えない。
『海侠のジンベエ、王下七武海加入!』
その日の朝、ずっと恐れていた記事が、新聞の一面にデカデカと出ていた。受け入れたくない現実を目の当たりにして、私はけれども逃げる事ももう出来はしない。
助けたい、守りたい、傷付けたくない、苦しめたくない。だから、戦うのだと決意する。
それでも恐怖も不安もある。倒せるのか、いや、倒さなくてはいけない。
皆で笑える未来の為に、生き抜かなくてはいけない。時は流れ……満ちてしまった。
その日はいつもと変わらない日だった。ベルメールさんが洋服を作ってくれて、ノジコがナミの稼いだお金あるんだから洋服新しいの買えばいいのにと言う。
それに対して少しでも貯めておかないと、何か予定された未来にズレが起きた時困るでしょうと、困ったように笑いながら対応するベルメールさん。私はノジコの着てた服を着られるってなんか幸せかもと笑って、そして……完成した服を見て凍り付いた。
それは、アーロンが攻めてきた日に作られた向日葵ライオンのワンピース。私は氷結してる場合じゃないからと思い立ち上がると、本屋さんに行ってくると言って飛び出して行く。
ゲンさんとドクターに、隠れるように言わなくちゃと思ったから。駆け出した私にはこの島の人は誰も追い付けなくなっていて、本当にシャンクス達には感謝しかない。
ゲンさんの所に到着するとドクターも一緒にいて、二人は呑気にお茶していた。私はそれを見て声を掛けようとして……固まる。
だって、なんて言えばいいの?
怖い夢を見たから、それは正夢になるから逃げてって?
そんな馬鹿な話を、誰が信じるって言うのよ。それとも……私には未来が見える、ここは海賊に襲われるであろう!って言えとでも?そんな事……言える筈もない。
どうしよう、どうしたらいい。逃げてほしい、でも、理由が思い付かないよ。
勝手に溢れそうになる涙を堪える事しか出来なくて、怪訝そうな顔になる二人に何を言えば良いのか解らない。焦りばかりが募っていく。
「あー、もうっ!走るの早いよナミ!ちゃんと話をしたいから帰って来なさいって、ベルメールさん言ってたよ。美味しいご飯作っててくれるってさ!」
後ろから聞こえてきたその声に振り向けば、ノジコは一瞬声を詰まらせてから私の頭を抱き寄せた。……ノジコの、心臓の音が聞こえる。
優しい音。暖かなその心が、私の乱れた精神をつなぎ止めてくれた。
「ナミ、約束したでしょう。必ず守るから、大丈夫だから、ね。……今日、なんだね」
私はノジコの腕の中で小さく頷く。それにノジコはそっかと言ってから、ゲンさんとドクターに言う。
まるで予め決めていたかのようにスラスラと。ノジコは、脚本家とか、目指せるんじゃないかな。
「ナミがね、胸騒ぎがするんだって。ナミのそういうの当たるから、皆気を付けてって言いに来たみたい。これから今日は皆でご馳走食べるから、もう帰るね!」
「ナミの予報は外れないからな、気を付けておこう」
テレビの天気予報よりは、当たると自負してる自分の天気予報だけど、それが理由で信じてもらえる胸騒ぎって凄いなと思う。それを一瞬で考えつくなんて、ノジコはやはり天才だ。
私の姉は世界で一番尊い存在なんだ!とノジコの腕の中で考えていたらゲンコツが落とされた。本気で痛い。
「痛いよ!何するの!?」
「……今、変な事考えてたでしょ。ナミはそれが無ければパーフェクトなのに」
小さく勿体無いと呟いたノジコに私に首を傾げるけど、ノジコは溜息を落とすばかり。とりあえず帰ろうかと気持ちを切り替えたノジコについて走り出した時、彼等は姿を見せた。
村の周りにある木の所に隠れさせられた私達は、魚人の言い分を聞いて息を呑む。実際にその現場に居るのと、映像や情報として知っているのでは、全く異なるのだと痛感させられる。
私は戦えるようになったし、幾度も人間相手なら海賊とも渡り合ったのに、それでも震えそうになるのは、ベルメールさんが殺されるかもしれないと思ったからだろうか。……それとも、保身なのかな。
ノジコは小さく、夢がそのまま現実にと呟く。それから青ざめた顔で私を見て、震える体で抱き締めてくれる。
ノジコも怖い筈なのに。いやきっと……だからこそ……なんだろうけど。
「お金はあるから、見付かっても大丈夫。誰も死なないよ……」
私に言ってるのか、自分に言い聞かせているのか、ノジコは身体を震わせながらそう言うから、そうだねと頷く。でも、ベルメールさんが心配だから帰ろうと声をかければノジコは頷いてくれたのでノジコのペースに合わせて家に向かう。
もう少しで家に着くという時、ドクターに立ち塞がれたと思ったら、家に帰ってはいけないと言われて、立ち去るように言われる。私がいるから、ノジコと二人でも他の島に逃げ出せるだろうと。
それを聞いたノジコが、お金ならあるから大丈夫だとドクターに言って、ドクターは金がある?と不思議そうにしている。出版しているのは二人にしか話すつもりは無かったので、私は村の人達にも売ってる蜜柑洗剤の売り上げがあるからと説明すると、ドクターは気が抜けた様子で座り込んだ。
それでも危ないからここにいろと言われるけど、本人の姿を確認して貰わないと、言い掛かりつけられても嫌だと話してベルメールさんの元へと向かう。するとベルメールさんは既に大怪我をさせられていて、ゲンさんがそんなベルメールさんを抱えている。
そこへノジコが、泣きながらベルメールに抱き着きに行く。それは仲の良い家族のワンシーンにしか見えなくて、私はそこに入る事を戸惑ってしまう。
美し過ぎて、入れない。私は、異質物だわ。
だからこそ、声をかけて全員を振り向かせる。大切な家族をこれ以上……傷付けさせたりしない。
「……この村を解放して、二度と来ないで貰いたいと言ったら、いくら用意したらいいのかしら?」
近付きながら問い掛ける私に、アーロン達は視線を向けて来る。何処か楽しむようなその視線は、私の異質さを感じ取っているからだろうか。
ザワつく彼等は、けれども想定していた程の大所帯でもない。この人数なら、いけるわ。
「それは出来ねェ相談だな。お嬢ちゃん。と、言ったらどうする?」
「まぁ……いやね、そんなの決まってるじゃない。叩き出すわ」
私の言葉に目を見張り、笑い出す。その様子にイラッとしたのは勿論だけど、その程度では揺らがない。
頭の芯が冷えるのがわかる。怒りでのぼった血液が、怪我をしてるベルメールさんと泣いてるノジコによりおりていく。
冷静に、怒り狂う矛盾した自分の状態に気付きながら、微笑む。何だろう、前にもこんな感じの事があった気がするわ。
「お前のママは、あのザマだが?」
「……ゲンさん、ベルメールさんとノジコを家に避難させて。危ないから、出て来ないで」
「「「ナミ!?」」」
三人の声が重なる。私の発言に面白そうに笑い出した魚人達は、殺さない程度に遊んでやるのも難しいなんて言っているけど、ああ……ありがたいわね、油断してくれてるならやりやすいわ。
その直後、雑魚が数人前に出て来た。私はベックに貰った海楼石の短剣を構えると、一気に加速してその腕を切り落とす。
二人の魚人から肘から先の右腕が失われた事で、その場の雰囲気が一変する。返り血を浴びた私は血を滴らせながら、もう一度言葉を繰り返す。
返り血を浴びる事も、大切な人を庇いながら戦うのも、ウタのおかげで慣れてるの。きっと私は、この為にウタと出逢ったんだわ。
いつものように、ピンチになった時助けてくれる人がいない。それだけが違うけど、戦い方はちゃんと知ってるから……大丈夫。
「大人しくこの島から出て行くか、この村から手を引く金額を提示して貰いましょうか。……どちらも断るならば、叩き出すだけよ」
風だけが、私と魚人達の間を通り抜ける。私達と同じ、少し生臭い血液の臭いを乗せて。
海楼石の効果は能力者対策だけでは無くて、折れたりしない頑丈さが上げられる。だからこそ、骨ごと切断出来る良い武器になった。
あの日小舟で降りた海面で、小舟の中に箱が置かれているのに気付いた時には、赤髪海賊団の船は既に見えなくなっていた。箱を開けた時、中からは一本の短剣と手紙が出て来て、添えられている手紙を見て息を飲む。
手紙にはこう書かれていた。綺麗な、読みやすい文字で。
『ナミへ
この手紙をお前が読んでいるという事は、俺達はナミの決意を変える事が出来なかったんだな。自ら修羅の道を歩もうとしている幼い子供に、俺は何も出来なかった事が悔しい。
だが……それをナミが選んだからには何かしらの理由があるのだろうとは理解している。お前は馬鹿でも愚かでもない。もしそれが、恋人の為とかなら、俺達は幼い恋に振り回されて命を粗末にするなと、無理にでも連れ出しているだろうから、違う理由なんだろうな。
そんなナミへ友としての俺から、最後の餞別だ。貰って欲しい。
今のナミには少し大きいかも知れないが、一般的な女性が使いやすいサイズの短剣だ。足にでも装着しておくと良いだろう。
素材は海楼石だから、能力者にもある程度効果を発揮する筈だ。攻撃する事に躊躇いを持つナミが、これを使うとしたら余程の時だと考えられる為、必要にならない事を心から願っている。
それでもナミには、いつかこれが必ず必要になる。それが分かるから用意した。
滅多な事では壊れないから、剣での戦いになった時にも海楼石が勝てるだろう。妖刀に覇気を纏わせて来てるとかでも無ければ、海楼石を切るのは難しいからな。
シャンクスからは、クリマタクトとやらを貰ったのだから、もう一人の兄からも貰ってくれて良いだろう?
これから先過酷になるであろうナミの人生に、幸多からん事を……。
短剣と手紙を抱いて、私は泣き崩れた。それから先は一人での修行もこの短剣を使えるように、毎日短剣を振り回していたから、すでにこれは私の身体の一部と言っても過言では無いだろう。
温かく優しい思い出に浸りつつも、胸元からクリマタクトを取り出して、雷雲を生み出す。広範囲に一斉攻撃を仕掛けるには、やはりこちらの方が良い。
接近戦ではこの短剣を使わせて貰う……けれど。やはり直接相手を傷付けるような武器は、得意ではないから。
怒りに燃える魚人達は、私の提案を蹴り飛ばした。私はその言葉を合図に、サンダーボルトテンポを放つ。
ああ、愚かしい。勝手に攻め入って、反撃されたら怒るなんて……何様のつもりなのかしら。
電撃により雑魚達は沈み、幹部三人も膝をついた。けれども、アーロンは流石と言う他無くほぼ無傷。
私はクリマタクトを畳んで胸元に片付けると、短剣を構える。海王類が怒った時と同じような瞳で私を見るアーロンに、私は小さく笑う。
「……先に、手を出したのは貴方達なのに、反撃されたら怒るなんて……理不尽にも程があるわ!今ならば追撃しない。出て行きなさい!」
「ニュー……アーロンさん……」
不安そうな様子でハチがアーロンに話し掛けると、アーロンは任せておけと言って私を睨む。だけどね、私だって怒り心頭なのよ。
よくも……よくもっ!ベルメールさんに、あんな大怪我を……!土下座して謝られたって、本当は許したくなんかないレベルの、非道。
悲痛な顔で涙を落とした美しい姉のノジコと、見るも無残な姿を晒していた、最愛の母であるベルメールさんが脳裏にチラつく。
許さない……。許すもんですか。
その時僅かに、ルフィの血塗れの姿が脳裏にチラつく。知らない筈なのに、知ってる気がしたその姿。
冷静さを失わないようにと、私は細く息を吐き出す。でも、きっと冷静さを失った方が私は、強い。
そんな事を微かに考えながらも、アーロンと私はほぼ同時に地を蹴った。どちらのものとも解らない鮮血が、空に飛び散る。
私がアーロンを斬るのと同時に、私もアーロンに斬られる。アーロンの仲間達も、下手に手を出せば切り刻まれるのが自分だと分かっているのか、誰一人参戦しない。
……いや、寧ろ出来ない。してくれたなら、容赦無く切り刻んでやるのに。
下等で、弱くて、下劣で、卑劣で、脆弱な筈の人間。それも子供で、性別は女。
それが自分達の尊敬する、強い魚人相手に渡り合っていると言う事実が、彼等を打ちのめしているとも言えるのかも知れない。一進一退の攻防は、永遠にも感じられる程続く。
ナミの身体のサイズを考えれば、同じような勢いで出血している今、明らかにナミの方が分は悪い。それでも怒りに燃える二人は、そんな事はどうでも良かった。
負ける訳には行かなかった。どちらも譲れない想いがある。
どちらも守る者がある。倒れる事も退く事も許されない中で、アーロンのキリバチがナミに振り下ろされるがそれを受ける事は無い。
だからこそ、対等な戦いになる。体重の軽いナミには、勝てる可能性があるとするなら躱して隙を着いて切り刻む他ないのだ。
アーロンの攻撃がナミを掠めるも、ナミはその長い髪さえ斬らせはしない。まるで木の葉や花弁のように、ひらりひらりと舞うように躱す。
身長差を利用して、ナミが懐に入り込み右腕を斬り飛ばそうとした瞬間に村人達が武器を持って現れた。まだ動ける幹部が、殺さない程度に遊びに向かうと、流石のナミも気を取られてしまう。
それを見逃すアーロンでは無く、体重の軽いナミはアーロンに吹き飛ばされるとその身体は空を舞い、地に叩き付けられる。それにより血を吐いても、ナミはアーロンを睨み付けて戦う事をやめようとはしない。
それを見たアーロンは、背筋を悪寒とは違ったものが駆け抜けるのを感じた。強者だけが持つ孤独の中で、震えて慈悲を待つしか出来ない者を見続ける者達にとって、窮地にあってなお戦意を失わない気の強さや、堕ちない精神は甘美なものに感じられる事がある。
気高く誇り高い者を傅かせる事で、征服欲を満たそうとするのかも知れないが、そういう意味ではナミは最高の相手かも知れなかった。短剣を弾き飛ばしても攻撃を笛で抑えて抜け出し、村人達を守る為にとアーロンに背を向けるナミに、アーロンの心は魅了されていた。