※この作品はR-18です。

波間の向こうを目指して   作:夢枕 七変化

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契約

 ただ海図を描き続け、力量を確認すると言う目的の物はすべて揃った。私がそれを描いている間に、三隻の海軍船が海底に沈んだ。

 正義感のある一般海兵では魚人に適わず、悪徳海兵が一人いればすべてが揉み消される。救いなんて何処にも無い。

 それでも、いや、だからこそ私はアーロンとのビジネス契約に賭けるしかないのよ。私は描きあげた海図を手に、一度深呼吸してからドアを内側からノックする。

 それに対して待っていろとの指示があり、大人しく待っていればアーロンが直々に出向いてくれた。それを一瞥して海図を差し出せば幹部が続いて入って来て、仲良く海図を確認し始めたのでそれを確認して溜息を飲み込む。

 それを終えるまで私は窓の外をただ、眺めている。やれる事は無いし、今逃げても無駄。

 アーロン達を見ていても仕方ないので、選択肢が他に無いとも言える。流石に、ここで突然武器の手入れを始めたら不味いもんね。

 胸元にしまってあるクリマタクトを服の上から握り、小さく息を吐いたところでアーロンから声がかかり、私は多少の緊張を持って振り向く。すると当然のように合格だと言われた。

 そうなれば、私も浮かれてはいられない為にビジネスモードに入る。まぁ、そもそも論で浮かれる要素もないけど。

 だって考えても見てよ。アーロンの方から求めた能力を私は有しているのだから、この結果は当然以外の何物でもないわ。

 とりあえず今は、アーロンは契約先のお偉いさんだと思え、私!為せば成る成さねばならぬ何事も!

 

 「ナミ、契約といこうじゃねェか。ただなァ……あの村から月々稼げる額を考えれば、本来一生得られる筈のものを手放す訳だから……十年分の取立て金額は最低額だよな」

 

 約二百五十人の村人から毎月十万。そうなると月に二千五百万だから年間で三億、それの十倍なんて……支払える筈が無い。

 どうにか値切らなきゃ。原作だと一億だった筈なのに、どうして……!

 いいえ、寧ろ……どうして原作では一億だったの。確かに計算式だけ考えたら希望される金額がおかしいわ。

 待って……そうよ、アーロンはナミちゃんに給料払ってないわよね。つまり、奴隷契約の中でそれとは別に支払いを命じた……。

 それなら、一億でも元は十分だわ。取立てと幹部としての仕事の両立。

 勤務時間は労働基準法違反で……尚且つ未成年保護の観念からも許されはしない。そうして考えると、ここで頷く道理は無いわ。

 

 「……だが、お前が俺達の仲間となり一生尽くすと言うならば、話は変わる。どうする?」

 「変わるってのは?どう変わるのかを話してもらわない限り、判断出来ないわ」

 「……賢いな、ナミは……だから、手放したく無くなる」

 

 アーロンのその言葉に、その眼差しに、私は背筋が冷たくなるのを感じた。何が怪我をさせたくないだ。

 そんな事言ってたら、皆が一生苦しむ。それは、出来ない。

 退けない。ここで、負けたら、奴隷である今よりも死を望んでしまう。

 

 「話は簡単だ。お前にはいくつか選択肢をやるから、どれを選ぶか決めればいい」

 

 そう言ってアーロンが語ったのは、次のようなものだった。それを脳内で要約して纏めていく。

 

 1、アーロンの仲間となり一生アーロン達と共にいる。

※ この場合はココヤシ村は即時解放。ただし、背中に大きく刺青を入れて、それを常に見えるようにしておく事。

※2、一人での外出は不可能で、常に幹部の誰かと行動する。護衛も兼ねていると言ってるけど、ようは見張り。

 

 2、アーロンと仮契約して、契約完了時には私も自由になる。

※この場合は、ココヤシ村を先程よりは、安い額ではあるけど買い取る必要がある。でも、ココヤシ村と同時に、私も開放される。

※2、こちらは仮契約なので、一定期間に一度必ず顔を見せるならば、一人で行動してもいい。完全なる仲間で無ければ、護衛はつけないと言ってる。

 

 ……恐らくは、アーロンはこれを選ばせたいのだろう。明らかにこれが、他に比べたら甘くなっているもの。

 

 3、客人としてここで海図を定期的に描く。

※この場合は私と家族の命代金は支払い義務が無くなるけど、村を買い取る為に必要な額は先程提示されたものになる。定期的に海図を収めるなら、顔を見せなくても構わないというのがこれの利点。

 

 4、村の買取を断念して、今渡した海図を元に命を見逃してもらい二度とこの島に戻らない。

 

 5、すべて諦めてここで殺される。

 

 この中から選べと言われてしまった。そうなると、私が実際選べるのは、1か2だわ。

 流石に3では金額が高過ぎて話にならない。4と5は考慮に入れる価値さえないもの。

 

 「……1はゼロ、2はいくら?それが分からないと検討する事も出来ないわ」

 「いくらなら妥当だと思う?」

 「……そうね、3千万ベリーって所じゃない?それを私が用意するまでは村からお金も入る訳だし、老人や子供の人数を鑑みたら目減りしていくのは分かりきってるもの。かかった期間に応じてこちらが得られる物は目減りするのよ。不動産としても価値は下がるし、畑も痩せるから土地としての価値も下がる。そうしたら妥当でしょ」

 「そうだな。30億から減らすんだ、3の倍数でそんなもんかもな!……と、言いたいところだが、俺はすぐにでも集まりそうな額で、お前を手放すつもりはねェよ」

 

 殺気を向けられたところで、何ともない。ベルメールさんの殺気の方が、恐怖だと自信を持って言える。

 それに、ベックの怒りの方が危険。命以外すべて搾り取られるような気持ちにさせられる。

 慣れって、怖いわ。うん、気を付けなきゃ。

 てかさ、3千万円って普通結構な大金よ?相手は普通より可愛い事を除けば、少し頭の出来がいいだけで普通の10歳の女の子なんだから。

 まぁ、3千万円と言われたら即刻帰って金を取ってきて、アーロンに叩き付けて追い出すけどさ。それに、1億と言われるより30億と言われる方が、確かに理にはかなってる。

 当然そんな金額ならば支払える筈もないから、却下なんだけどさ。それでも、1億と言うのがナミちゃんに希望を与える為の嘘であると言うのが、こう考えると分かる。

 その点今回の契約話では、金額は妥当だから、約束は守られるのではないかと思える。そうでなければ、1億の筈が30億にはならないだろう。

 

 「なら、いくら?」

 「百歩譲って、20億だな」

 「お話にならないわ。アーロンの手配額が2千万なのに、高望みもいいところよ」

 

 本当は分かってる。確か……誰かを雇いたかったのに断られたから、戦力不足なのよね。

 それを可能とする金銭が欲しい……と、考えたのは恐らく私にやり込められそうになったから。それも、この先も何をされるか分からない恐怖があるからそう考えたんだろうと理解はできる。

 私の言葉にアーロンと幹部達が固まり、そして笑った。何事かと思ったら、2千万円の首と知っていて一人で挑んだのかと笑われる。

 そう、初回手配のルフィよりも安いアーロンが、私には不思議でならない。でも、買収されてる海兵が居るのが、これでハッキリしたわね。

 それから何とか1億にしようと奮闘したけど、20億から譲らないアーロンと私とで揉めてしまう。そのやり取りの途中で入室したクロオビはそれに憤って、文字通り天井から下ろされている鎖に手首を固定され、両手を上にした状態で吊し上げられる。

 純粋な力の差で、抵抗は完全に無意味。やれるのは覇気を纏いダメージを軽減する事だけ。

 それだけでも身体にかかる負担は相当なものだけど、それだけで生意気な子供を許せる筈も無かったらしい。幹部達に棒で打ち据えられた。

 そんな状態になっても折れずに言葉を続ける私に、諦めたのはアーロンの方で、10億と言われる。その表情には呆れが滲んでいるけど、打たれた痛みは武装色のおかげでほぼ無い。

 けれど、ぶら下げられて地に足の付いていない今、肩と手首の痛みは尋常では無いのだから不思議なもの。武装色の覇気は武装だから外的な物には効果があるのに、内側のものは効果が出にくいのかもね。

 

 「嫌なら、二番以外を選ぶんだな。少しそのまま考えてろ」

 

 そう言い残して姿を消すアーロンと幹部を見送り、それから三日、私は文字通り放置された。……水なしで人が生命維持できるのは三日と言われているから、このまま殺すつもりなのだろうかと内心で嗤う。

 手首と肩は既に痛みを感じる事もなく、腕や背中に感じていた痛みももう過去のもの。今はただ……すべての感覚が失われそうな状態で、ジワジワと薄れ行く意識を保つ事だけが私に出来る事。

 結果的に死ぬ直前に開放されたけど、もう少しで契約以前に死ぬところだった。そうなると、私は自動的に5を選んだと言う扱いになるのだろうか。

 弱りきっている私を見た幹部は、人間はこの程度で死ぬのかと言っているので、多分彼らにとってこれは軽いお仕置きだったのだろう。でも、脱水及び両手の壊死と筋肉硬直による死亡となるところだったのだから、気を付けて欲しいと思っても仕方ないと思われる。

 でも、両手を失えば私の価値も失われていたんだなぁと思えば、それも面白かったかもと思ってしまう。そんな私の態度をアーロンは忌々しそうに見ていて、気の強い女は好きじゃなかったのかしら?と少し考えるけど答えは出そうにない。

 それとも気が強いを超えて、生意気とか小賢しいとでも思われたかな。でも、今更だし、そんなの。

 ハチから果実水を渡されて、それを持てずに落としてしまえば、アーロンが吸い飲みで果実水を流し込んできた。恐らくは生かす為だろうけど、意外にも無理矢理流し込む様な事はしないので、病人の相手を慣れていたりするのだろうか。

 

 「……ナミ、お前が海図を描けなくなれば価値は無い。契約はお前からの破棄とみなし、村人全員始末する」

 「ちょっと待ってよ!今回の事はそっちのミスでしょ!そんなのは横暴過ぎるわ」

 

 果実水のおかげで多少声が出るようになっただけの状態にありながらも、私は思わず叫ぶ。その為に咳き込み、呼吸困難に陥る。

 無様な姿を見せる私にアーロンは何も言わない。笑い飛ばされるかと思ったけど、そうでも無いのね。

 それを見ていたアーロンは腕を一瞬持ち上げ、何事も無かったかのようにその腕を下ろす。腕を持ち上げた時は開かれていた掌が、下ろされた時には強く握られていた事を除けば、咳き込む前と後での変化は何一つ存在しない。

 なんと言っても、アーロン本人の他は腕を上げた事にすら、気が付いてはいないのだから。そしてアーロンの表情を確認できる者は、この時誰も居なかったのだ。

 

 「……そうだな。だが、何故叫ぶ事さえしなかった?」

 「放置されてると気付いた時には、叫ぶ体力も無かったわよ。それに」

 「……それに?」

 「アンタ達が殺そうとしてるなら叫ぶだけ無駄。むしろもっと酷い目に合うかもしれないじゃない。なんで、加害者を喜ばせてやんなきゃならないのよ」

 

 私の返事にアーロンは舌打ちすると、とりあえず点滴入れてやるから大人しくしていろと言われてしまう。アーロンは何が気に入らないというのか。

 実際叫んだとして、それが聞こえなければ無駄に消耗した体力で今生きてはいなかった。それに、騒げば皆を殺されるとなれば私に選択肢は無いもの。

 隠したいし、隠してるつもりだけど、村を焼かれたら終わる。ロッジ風の家々なのだもの、火には弱いわ。

 アーロンは暫く私を睨んでいたけど、突然背後に待機しているチューに怒鳴った。それは、珍しく本気で怒りの色を宿している。

 

 「お前、様子を定期的に見ていて問題ねェと報告していたな。どう始末付けるつもりだっ!」

 「ァ、アーロンさん、その……」

 「クロオビ、お前もだ。飯は与えろと言っただろう」

 「俺が来た時には、意識が、無かったんだ……だから、その……」

 

 どちらも謝罪さえしない。きっと彼等は怒られるとは思っていなかったのだ。

 もしかしたら、喜んだり褒めたりして貰えると思っていたのかもしれないわね。それなら、この動揺も分からなくは無いわ。

 アーロンは同胞には優しい。彼等を守る為に、怨みと憎しみを昇華する為にここにいるのだから、当然かも知れないけど。

 

 「嘘つきね。……私は、敵が来た時には必ず意識を取り戻すわ。つまり、アンタ達はこの部屋に立ち入ってない」

 「黙れっ!」

 「アーロンさん、俺達と小娘のどちらを信じるんだ!」

 

 慌てる二人に冷たい視線を向けた後、どうするのかとアーロンに無言で問う。それを認識した上で、私と幹部達に視線を動かして苛立ちを隠しもせずに言い放つ。

 

 「チューは俺を騙して、クロオビは仕事放棄だな?」

 「「アーロンさん!」」

 「……今回の件は、俺とこいつで話を付ける。全員出て行け」

 

 幹部が三人出て行ったのを確認してから、アーロンは私を睨み付けて来た。今彼は、非を認めたばかりの筈なのにである。

 即座に内側から鍵をかけたアーロンは、忌々しそうに私の首を締め上げて床に叩き付けた。それにカハッと息を吐いてしまったのは、私が油断していて覇気を纏い損ねていたからと言うのもあるけど、殆ど力加減無しで叩きつけられたからと言うのもある。

 その状態でアーロンは声高に宣言する。お前は俺の持ち物なんだ、逆らうなと。

 弱り切っている身体は上手く動かせなくて、受け身さえ取れないままにアーロンからの暴力をただ、甘受する。だから私はこの時アーロンがどんな表情でそれを行っていたのかを見てはいない。

 それでも見聞色の覇気で伝わる感情は、何故か哀しみと苛立ちで……何を考えているのは、サッパリ理解できない。苛立ちは分かるけど、悲しそうなのは……どうして……?

 暴行を続けていたアーロンが動きを止めたのは、部屋のドアの所にあった三人の気配が消えたのと同時。その直後、アーロンは動けない私を隣室のベッドへと何故か優しく移動させる。

 お前はDVの夫かと言いたくなるような変化に、内心驚きながらも何か理由があるのだろうとは感じていた。だから、アーロンの言葉を待つしかない。

 

 「……お前は、死にたいのか」

 「馬鹿な事、言わないでよね。なんで、私が死ななきゃならないのよ」

 

 そんな事したら、ベルメールさんとノジコが悲しむとわかってて、望める筈もない。二人の悲しむ姿なんて見たくないわ。

 死んだら見られないなんて話じゃなくて、悲しませる事が許されないのよ。もし二人を泣かせる相手がいるなら、何があっても存在を消し去ってやるわよ。

 そもそも今回の件だって、アーロンの管理不行き届きじゃないのよ。なのになんで、私が殺されなきゃならないのか理解できないわ。

 私は被害者よ。そこは、譲らない。

 私は声に出してないのに、アーロンには通じたのか諦めたような溜息をつかれる。その仕草が妙に様になってるのが、私の神経を逆撫でするのだけど。

 

 「なら、俺に逆らうな。少なくとも、他の奴らの目がある時は」

 「あら、二人の時は逆らっていいの?」

 

 少し馬鹿にしたような言い方になったのは、自分でもわかってる。でも……そう言いたくなってしまうような、少し気弱な感じの声音だったのだから仕方ない。

 すると、アーロンが頷いた。目を見開いて凝視してしまったのは当然と言えると思う。

 

 「あァ、構わねェよ。俺は気の強い女とすぐ泣く女ならば、気の強い女がいいと思っている。人間なんてのは……冷淡で薄情で、すぐに裏切るもんだって事はよくわかってるからな」

 「……可哀想な人。どんな理由があっても私は、自分で考えて違うと思う時は違うと、今回の事もアーロン達の行いは間違ってると何度でも言うわ。それでも、私を側に置きたいの?」

 

 アーロンは薄く笑うと、そうだな……と、静かな声で言う。アーロンのイメージは、ナミちゃんの事を苦しめる凶悪な奴でしかなかったけど、今対面して思うのは色々な感情を持っている一人の生命体であるという事だけ。

 哀しみが深過ぎて、何もかもを拒絶して、大切な僅かな存在を守る為にと大義名分振りかざして、自分達のやられた事をただ、力のない者達へ行う。いじめを受けた子供が、他の子供をいじめるリーダーになるように、アーロンはそれを行っているだけ。

 そうして考えると、地球も、この世界も、そういう意味では変わらないのかも知れない。傷付けられたら痛くて、その痛みを何処で昇華するかが人によって違う。

 私は勉強や仕事に逃げるタイプだったし、怒りのエネルギーで行う事は速度と効率を上げるから好きだった。それでも耐えられなくなると、歌っていたんだと思う。

 多分それは、今も変わらない。だからこそ、他にぶつける事でしか発散出来ない彼等もまた、ある意味で不幸な人達なのだろう。

 それでも、村の人達やベルメールさんを傷付けた事を許す理由にはならない。フィッシャー・タイガーを殺したのは、この村の人達では無いし、私達は海兵でも無ければ天竜人でも無いのだから。

 ……海兵?そうか、ベルメールさんは自ら元軍人と名乗ったから、だから余計にアーロン達の憎しみを一身に受けたのか……と、気付く。その軍人の娘であり、タイガーの死に深く関わった少女と、何処か似通った雰囲気を持つ子供がいたら……。

 理解してしまえば、わかりやすい。彼等は私やベルメールさんではなく、他の存在を私達に見て、憂さ晴らしをしているのだから。

 

 「10億用意しろ。それで村もお前も解放してやる。その代わり、刺青を入れて貰う。それを〝この島で隠す〟事は、許さない」

 

 アーロンからの突然の言葉に、私は逆らう事を諦めた。今彼に何を言ったところで無意味だろう事は、理解出来てしまったから。

 争っても、恐らく村の人達に利はない。なら、大人しく頷く方が得策ね。

 

 「……その代わり、俺以外の同胞がお前に何かをする事は、させない。その約束を破った時は……それに見合った見舞金を出してやる。だが今は他の奴らの手前もある、10億で手打ちにしろ」

 「わかったわ。ならそれが偽りでない証拠として、契約書を用意して。それと、私が買い取るんだから村には絶対手を出さないで」

 「それはできねェな。どうしてもと言うなら、お前の家までだ」

 

 正直、頷きたくない。けど、拒否できる内容でもないと分かってるの。

 なので瞬時に脳をフル回転させ、微笑みを浮かべる。余裕を見せなければ、必死に縋るのは悪手だわ。

 

 「なら……傷付けたらその分、買取価格下げてちょうだい」

 「何言ってやがる」

 「何言ってるは、こっちのセリフよ。価値を下げる方が悪いんじゃない。中古品の船だって、壊れ具合で金額下がるでしょ。それと同じ事よね」

 

 ふふんと笑う勢いで言えば、忌々しそうにこちらを見るアーロン。無言で互いに睨み合い、結局負けたのはアーロンだった。

 猫の喧嘩のように、視線を外した方が負け。なので視線を逸らしたアーロンの負けなのである。

 

 「分かった。それも含めた契約書にしてやる」

 「あら、話が早くて助かるわ。ならそうね、後は……私の家だけは手を出さないでよ。別荘として使うから」

 「……お前の持ち物だ。手は出さねェよ。今夜は大人しく寝てろ、明日刺青を入れるから、場所だけ決めろ。……柔らかい所は痛みが強いから、やめとけ」

 「……左肩に、入れて」

 

 ナミちゃんがそうしたように、私も同じ所に刻もう。例えば刺青を外で隠したいと思った時、自力で包帯とかを使って隠せる方がいい。

 太ももは柔らかいから痛みもあるし、それだとミニスカートしかはけなくなる。そんなのは嫌だった。

 アーロンは了承すると静かに部屋を後にした。早く、ベルメールさん達の安否を知りたいと、一人になった部屋で堪えられなくなった涙を流しながら、私は不甲斐なくも深い眠りに落ちて行った。

 アーロンに甲斐甲斐しく世話を焼かれるという、意味のわからない朝を迎えた後に、私は衰弱仕切った体が食べ物を受け付けなくなっている事を思い知らされる。それにアーロンも即座に気付いたようで、重湯に切り替えてくれたのだから、本当に殺すつもりは無いのだとわかって驚いてしまう。

 食事を終えて、いくつかの薬を飲まされた私は、刺青を左肩に入れられる事となった。それを無表情で受け入れて、身体が熱を持っている状態にあるのは分かっていても、そろそろ帰らないとと立ち上がる。

 守る為には、騙さなくては。身体と生命を守る為にも、心を殺さなくてはならない。

 私は臆病で我儘だから、失いたくないの。今なら、信じて貰えるわ、この、刺青が何よりの証拠になるわ。

 そんな私にアーロンは静かな声で言う。事務的にも思えるその声は、無駄に美声だ。

 

 「村のヤツらに〝一人でも逆らえば、全員の死が待つ〟と伝えろ。その条件は他の支配地域にもあるから、変更は不可能だ」

 

 契約書にも記載のあったそれを繰り返されて、私は頷く。後でゲンさんかベルメールさんに伝えよう。

 私が存在する理由が、彼等だから。私が死んでしまえば彼等も殺されるとわかってる今、逆らう選択肢なんてある訳もない。

 

 「これを、持って帰れ。契約前とは言え、やり過ぎだ」

 

 言葉と同時に投げ渡されたのは、恐らく2百万ベリー位だろう。遠過ぎる10億ベリーの壁を思い出しながら、それを握る手に力を込めてしまった。

 シワだらけになった札束。でも、だからこそ現実味があるというものよね。

 お金で皆を売って魂を捨てた。いいえ逆ね、皆を捨てて魂を売った女になりきるしかない。

 この現金が、アーロンと私を繋ぐもの。愛しい人達を生かす為に掴んだ、蜘蛛の糸。

 ……帰ろう、大切な人達を騙す為に。帰ろう……愛する人達を守る為に。

 私は本来居ない筈の、存在しない筈の私だから、せめてそれくらいはしないとバチが当たる。これ以上何も、誰も、奪われたくない。

 ふらりと歩き出した私に、魚人達は誰一人声をかける者は無かった。日は既に傾いていて、村の人達が広場に集まっているのが見える。

 あぁ帰ってきたんだ……と思うのと同時に、やりきらないとと心に誓って、感情を深呼吸して押し込める。……感情なんか、無くなってしまえばいいのに。

 私を心配する優しくも悲しい声が聞こえる。大怪我をしている人達が見えるのに、私は何もできない。

 泣き腫らした顔のノジコがいて、ベルメールさんの姿は無いから内心で首を傾げる。でも……ベルメールさんがいないのならば、なんとかなるかな。

 心配して目の前に来たゲンさんに告げる。張り上げた筈の声は、無様に震えていた。

 

 「アーロン一味に入る」

 「何だって?」

 

 それでも声を拾ってくれた。そんなゲンさんに私は嘘を付く。

 悪女になる。それしか、今は手段がないから。

 

 「私、アーロン一味に入って、測量士になって、海図描くの」

 「ナミ、何を言っているんだ?正気か?何か奴らに酷い事されたんだな?」

 

 縋るような、宥めるような、悲しい声。私の嘘でどこまで騙せるかと考えたけど、ベルメールさんとノジコ以外なら誰でも騙せる筈と思って笑う。

 ここで、退くワケにはいかない。私は、守り抜くものを、その相手を決めてしまった。

 

 「されて無いよ。私は何もされて無いし、何も失って無い」

 

 実際今ここに生きてるノジコとゲンさんがいるんだもの、後はベルメールさんが生きているならば、失ったものなんて無い筈。怪我をさせてしまった事、苦しめてしまう事だけが気掛かりだけど。

 それでも、生きていてくれた。私のせいで死んでしまっていたらどうしようと、あの部屋で何度枕を濡らしたか分からない。

 実際枕を使えなくなってからは、脱水もあって涙なんて出やしなかったけど……体調を崩すには十分過ぎた。それでも生き延びたのは、皆を守ると決めたからなのよ。

 だから、ゲンさんが怒り揺さぶっても、言葉は変えない。変えられる筈もないわ。

 

 「ナミ、言いなさい!」

 「ゲンさん、離して。もう、決めたの」

 

 そう言って左肩を見せれば入れたばかりの刺青が、存在を主張するようにドクリと脈打った気がした。息を飲む人達に、ごめんと心で謝る。

 優しい彼等は、知れば協力しようとするだろう。強い彼等は、知れば戦おうとするだろう。

 けれども脆弱な武力では殺されるだけ。生き残った場合の方が寧ろ悲劇とわかっている戦いに送り出すつもりなんてないわ。

 ならば、私は彼等に知らせる訳にはいかない。守るに為には、ただ一つのやり方しか思い付かないの。

 私は彼等に興味はないのだと、自分の物を取り戻そうとしているだけなのだと、そう見せ掛けるしかない。狐と狸ではなく、魚と猫の騙し合い。

 魚は大人しく、猫に齧られていればいいのに、魚が大き過ぎて猫には勝てる気がしない。それが現実。

 子猫と鮫の戦いなんて、同じ魚でも格が違い過ぎる。それでも、やるしか無いのよ。

 

 「真面目に生きて、皆みたいに怪我して、搾取されるだけなんて私は嫌。楽して優雅に楽しく生きたいの。今までの私は死んだと思って」

 「ナミ!!」

 

 ノジコが私に、怒りの声と眼差しを向けながら飛び掛ってくるのが見える。避けたらノジコが怪我をするし、何より身体が発熱で上手く動かない。

 地面に押し倒される私を、驚いた様子で見てる人達。ノジコが馬乗りで私を容赦なく殴るけど、身体の痛みより、ノジコの泣き顔の方がつらくて……私は息を吐き出してから、これ以上ノジコを傷付けない為にノジコを払い除ける。

 転がり落ちるノジコを見て、出来るだけ冷淡に言葉を紡ぐ。魚人達が様子を伺っているのを感じる。

 ここで大切なのだとバレたら終わると分かるから、冷たい笑みを浮かべるしかない。私に、しくじる事は許されない。

 

 「邪魔。……アーロンや魚人には手を出さない事ね、一人でも手を出したら、村は跡形もなく消しさられて皆殺しにされるわ。それが、ここの支配のやり方よ」

 「ナミ!」

 

 振り払った筈の私の手が、痛む。心が、悲鳴をあげるの。

 ノジコの悲鳴のような声が、頭痛を呼ぶ。でも、だからって退けないのよ。

 ノジコが私の名を叫ぶ。それに薄く笑って、私は言う。

 必ず守る。その為なら、傷付けるのも、傷付くのも恐れる訳にはいかないから。

 

 「名前を呼ぶのは許してあげるけど、立場の違いを忘れないでよね。私はアーロン一味の幹部。アンタ達は支配されてる奴隷……私の一言でこの村は、簡単に消しさられるのよ」

 

 そう言ってその場を去る。その時チラリと確認して見た限りにおいては、ノジコは怪我をしてない。

 それに内心ホッとしつつ、蜜柑畑を抜けた先にある小高い崖の上に登る。恐らくはここが、本来ベルメールさんの墓の置かれた場所。

 今は何も無い。つまり、ベルメールさんは……生きていると言う事。

 ならば、ノジコは孤独にならない。ゲンさんも絶望に苦しまないで済むわ。

 もう、それだけでいい。今は、それだけでいいの。

 勝手に溢れ出す涙を、止める事が出来ない。それでも構わないと言えるのは、私がノジコ達にしたそれを見て笑いながら帰って行ったアーロン一味のそれを感じ取ったから。

 それに、後5分もしたら雨が降ってくる。だから、だから……っ!

 もう、泣かないから、これで最後にするから、どうか皆がもう、これ以上苦しむ事が無いように。皆が苦しむ必要なんて、本当は何処にもないのだから。

 死なないで、傷付かないで、その為に必要ならその痛みはすべて私が引き受けるから。お願い、します……。

 降り始めた雨に涙を隠して、背後から少し怯えた様子でそっと私の様子を伺うノジコの気配を感じて、笑う。大丈夫よ、もう、私の涙は枯れ果てた。

 私に涙なんて、必要無い。大丈夫、心を隠して笑うのは日本人の得意分野だもの。

 

 「ナミ……」

 「ノジコ、ベルメールさんは?」

 「両足、動かないって。もう、歩けないって……」

 

 呼吸が、止まった気がした。だって、そんなの有り得ない。

 ……そんな未来は、結果は、知らない。だって原作ではベルメールさん最後の時に立ってたわ!

 でも、そうだ。私がイレギュラーで、金額も変わったのだから、何が起きたって不思議は無いの、かも。

 膝から力が抜けて座り込む私に駆け寄ったノジコは、心配そうにしている。さっき、私はあんなにも酷い事を言ったのに。

 

 「……ナミに触った時、熱があるの気付いたよ。それと、何か隠さなきゃいけなくて、嘘ついてるのも。ごめんね、酷い事言わせて」

 「ノジコ……?」

 

 違う……そんなの知らないわ。ノジコは、原作では泣いてるナミちゃんを見て、声を掛けて、心を開かせて……真実を知る。

 なのにどうして、泣いてない私をノジコは責めないの。どうして、そんな優しくも悲しい顔をしているのよ。

 ちゃんとすべて分かってる……と言わんばかりの様子で、少しだけ声を潜めながら、ノジコは言葉を続ける。私とは違い、見聞色の覇気を使えないから、精一杯の警戒をしているのだと、その仕草で分かってしまう。

 

 「居たんだよね、魚人。私には分からなかったけど、そうじゃなかったら、あんたが私にあんな事言える筈ない。……あんたは、私とベルメールさんの事、大好きだもの。愛されてる事が苦しくなるくらい、愛してくれてるもの」

 

 見聞色の覇気で、顔を見なくても表情がわかる。その心が、伝わってしまう。

 ノジコはそう言って私を支えるように、背後から抱き締めてくれる。これで、ノジコまだ12歳だなんて誰が信じるの?

 こんなに賢くて、美しくて、優しい人が姉なんだって、その幸福と引き換えにしたのが私の現状なら、私は喜んでそれを受け入れる。ノジコとベルメールさんがいて、他に何を望めというのか。

 

 「……皆には、ベルメールさんにもね、話さないで欲しいの。約束できる?」

 「うん、約束する。そうしないとナミ、一人で抱えちゃうでしょ。その代わり〝私には何でも話す〟って、約束して」

 

 これ以上泣かせたくない。傷付けたくない。

 だから、約するのだ。束縛のない、約束として。

 契約ではなく、約する。それを大切な貴女が望むのならば、その通りに。

 

 「ノジコがそれを、望むなら」

 「うん、約束だよ。一人で苦しまないって約束。ナミには私とベルメールさんがいるんだからね!」

 

 私が、約束から逃れようとしても、笑顔で約するのではなく、約束してと強請る姉に苦笑しそうになる。でも、そんなノジコだから私は守りたいのかも知れない。

 ノジコは優しく暖かい。だから私は、嘘偽りなく話そうと決めた。

 これ以上、優しい姉を傷付けたくないから。何も分からないまま取り残されるのは、暗闇の中で一人立ち尽くしているのと同じくらい怖くて、不安だと分かるもの。

 私はゆっくりと、今回の事を説明する。契約した内容と、その理由を。

 10億で村と私が開放される事、その為に幹部として生きるしかない事。弱味を知られればアーロンに何をされるか分からないから私は大切なものなんて、お金だけだと思わせるつもりな事。

 他にもいくつか話をして、ノジコはそれを正しく受け取った上で辛い選択だよと言う。でも、何も分からないで苦しむ皆よりは、ずっとマシだよと笑う。

 何より、私がその状態にある事を知っていて受け入れるしかないノジコが、一番つらいでしょうと言って抱き締めれば、ノジコが声を殺して泣き出した。

 愛しい姉、愛しい母、手の届く範囲にいる二人を守れるなら……私は他に、今は何も望まない。だからどうか、大切な家族を守り抜く力が働きますように。

 そう、私は静かに祈る。神様なんていないと分かっていて、もし居たとしても願いなんて叶えてくれる筈も無いという現実を無視して。

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