船の上は平和だわ。とりあえず、今の所。
折角ついている設備も使えなければ意味が無いと、大砲の練習をする少年達を眺めながら、積み込まれていた果物と水で果実水を作って飲んでいれば、穏やかな海を眺める余裕が出来る。ついでだからと少年達にもそれを差し入れてから少し、思考の渦に沈む。
この船には海水を利用したトイレの設備があり、海水を真水に変えてくれる装置が作用するシャワーとキッチンがあった。お風呂につかるのだって狭くて複数人だとキツイけど、不可能では無い。
その技術はまだ地球でも高額すぎる物なのに、普通にあるのがこの世界の不思議。まぁ、島国が多くて海賊だけでなく多くの人々が移動手段としても船を使う世界だから当然の進化なのかもしれないけど。
そう言えば白髭さんの所の息子さん……サッチは助かったのかしら?
助かったならば、エースも飛び出さないでしょうし、そうなればあの頂上戦争も起きない。あ、もしかして問題が起きた瞬間に上手くティーチを討ち取ってくれてたりするのかしら。
あんな強敵、無駄に増やさなくてもいいと思うのよね。でも、それは流石に無いだろうと言うのも分かっていて……少し苦しくなる。
彼が悪魔の実を食べる事が、物語の進行を左右する。そういうレベルの改変が可能なのか、それが私には分からなくて……だとするなら、どう足掻いてもサッチ隊長は救えない可能性も十分にあるのよね。
ベルメールさんは、正直生きていても死んでいてもストーリーに作用しないし、シャンクスの腕もあってもなくても大差ない。そう考えた時、サッチ隊長が助かるかで、私のできる事の範囲が決まるとも言えるのかも。
空は青い。だから、海も青い。
空が赤ければ、海も赤くなる。その色は、太陽と星の距離により、届けられる色が変わるから。
昼間は距離が近いから青く、朝晩は距離が遠いから赤い。それが当然なのになんだか不思議に思えるのは、景色を楽しむ心と論理的思考が合致しにくい物だからだろう。
「平和ね」
大砲の音に掻き消されて無かった事になった私の言葉は、これから起きる珍事をすっかり忘れている事を物語っている気がしてならない。どうかこの幸せな光景の中に、一秒でも長く居られますようにと祈るように願う。
少年達は笑う。楽しそうに。
つい先程まで壊滅的に下手なルフィの絵を馬鹿にしていたと思ったら、それをウソップが直して、気付けば海賊船のメリー号になっている。その勢いのままウソップとルフィはメリーの中を探検して、そして……大砲を打っ放す少年達。
ルフィの後で話があると言うのは、その後訪れてはいないけれど、それならそれで良いかなと思っていたりする。何とも言い難いけど、妙に助かったような気がしていたりもするから。
出航してすぐの今、宴だと騒がないルフィにそれを言うよりも先に
ふと気付けば、いつの間にかウソップは狙撃手とルフィに認められている。あれ、そう言えばウソップって戦闘員枠でいいのかしら?
確かにウソップの特技は狙撃だけど、戦闘員と呼ぶにはまだまだ弱過ぎる。今ならまだ仲間じゃないとはいえ、船医のチョッパーの方が恐らくは強いと思うわ。
それでも他に役職があるのかと問われたら微妙。この船には船員が少な過ぎるから、雑用や見習いを置く時間的余裕も人員的余裕もないもの。
ウソップには過酷な事になるだろうけど、それでも基礎はできてるのだから後は戦闘能力を高めれば良いだけだものね。ならば今は、成り行きに任せましょう。
本気で強くなりたいなら、きっと自分から言い出す。それまでは結局のところ、周りが何したって無駄なんだから。
戦う事も、何科を目指す事も、自分で覚悟を決めなきゃできない。ダイエットだって何かが無ければ、本気でやろうなんて思えないのと同じ。
誰かに妊婦に間違われて傷付いたとか、健康診断に引っかかり病気や死を覚悟したとか、着ようとした服が着られなくて困ったり恥をかいた時、人は奮起する。そういう何かがなければ、その人にとって細く健康的な肉体は努力や苦痛を経てまでは、欲しいと思えないものなのだから手に入れるのは難しい。
何を求めても、得る為にはそれなりの努力が必要で、それに伴う苦痛や金銭を妥当と思えなければ何もできやしない。ならば、金のない私達には苦痛などを超える強い意志が必要になるのは当然の事。
なんて、呑気に考えながら私はルフィとウソップが的にしていた岩に視線を向けて、はたと思い出す。今回は頭痛もなく戻った記憶だから、特に大きな役割がある訳じゃないけど、どうせやらなきゃならない事は変わらないのだから動くべきよね。
……何か果物探してこないと。そう思って探し出した果物を私が片手に甲板に戻ると、既に襲撃されたのをルフィが取り押さえたところだったようで、ゾロの反応から間違いないと判断出来た。
「壊血病よ」
話の区切りがついたところでそう言えば、全員の視線が集まる。とりあえず口に果物を押し込んでから、簡単に説明を開始した。
この世界でも既に過去のものとなっている壊血病は、前の世界ではこの大航海時代に原因不明の死病として大流行した。そこで生まれたのがピクルスやザワークラウトだ。
それらは、腐らずに持ち運べる野菜だからと、産み出された。それでも当時は予防策程度に考えられていて、何が壊血病に効果があるのかが分かるようになるのはずっと先。
ミカンやレモン等を毎日1/2個食べていたら、壊血病にはなり得ないのが実際のところで、でもそれこそ普通なら無理な話。でも、だからこそ果実水や、はちみつレモン等が作られるようになったのだ。
本来海賊が酒をよく飲むのもそう。水は腐るけどアルコールは腐らないから、水分を得る為に酒を運び込んでいたのだ。
そういう意味では果実酒を運び込んでおけば、壊血病と水分補給の両方が一緒にできるということになる。問題は、この世界ならともかく地球の過去では砂糖は高級品で果実酒なんて作れないってだけの事。
この世界においては、船にも水道やシャワーがついているし、冷蔵庫もあるからそんな心配いらないんだけどね。それでも予防策は多い方が良い、だってルフィは肉だけで生きようとするから。
だからこそ、積み込んであった果物。それがまさかのクルーより先に、初対面の男達に使用する事になるとは。
そうして果物を食べさせたところ、流石はこの世界の住人としか言えない速度で回復し、自己紹介をはじめた。一気に増えた人口にふと、早くロビン仲間にならないかなぁとか考える。
食料の事を考えればサンジ君は必要だけど、男が多すぎる。寧ろお馬鹿な男しかいないのだから思っても許される筈よ、ロビン……早く来て。
……女の苦労をわかる人、早く。そして、医学に明るい精神的にも癒しなチョッパーも、なる早で。
いや待て、私はそろそろ船を降りるから……とりあえずサンジくんとチョッパーだけ拾って来たいわ。医療と食事をルフィに。
そうして私が思考の海に沈んでいる間に、ルフィの中で次は料理人が欲しいと定まった。なので、とりあえずそれならばやはり人のいる所へと思い船を進めると、海の上に浮かぶ魚の形をした船を見付けてしまう。
私も料理はできるけど、結局は家庭料理の域をでないし、厳しいところはあるのよね。特に、ルフィは軽く10人分位は食事を必要としているから。
ルフィを含めてほぼ全員が歓喜に震える中、私だけはもう別れの時が近いのかと心が沈んでいく。どうにもならない事だけれども、ここで別れるしかない現実が少し……つらい。
まだ、医者もコックもいないのに、離れたらルフィは冒険なんて続けられないんじゃないかな。でも、連れては行けないから。
原作のナミちゃんは、彼等はアーロン達を倒せないだろだろうと考えて、皆を巻き込まない為に離れる。けれど私は、原作のナミちゃんではないから、だから助けてもらえる保証が無い。
それに、助けてくれようとして、他の誰かが代わりに犠牲になるかもしれない。助けようとした人が、傷付くかも知れないのに頼れる筈無いわ。
もう少しなのよ。後ほんの少しだけ頑張れば、皆も私も開放される。
だから、その時が来たら逃げ出そう。誰も傷付けたくはないし、巻き込みたくもないし……期待して傷つきたくも無い。
そうよ、もう少し、皆が我慢して私が頑張れば……原作のナミちゃんと違って宝の地図がある訳じゃないもの、お金を盗まれたりしないんだから、大丈夫。金額も違い過ぎて、集まった事だって流石にアーロンにも分かりはしないだろうから、大丈夫、自分で解決出来る。
そんな事を考えている間に、壊血病の二人が誰かと争い怪我をしている姿が見える。薬とか包帯も、タダじゃないんだから、もう少し考えて欲しいわ。
とりあえず私は包帯とかを取りに行き、戻った時にはルフィがレストランに砲弾を落とした後であった。それを見て、私は思わず頭を抱える。
「言ってから行けば良かった」
思わず呟いた言葉は、大騒ぎしているその声に掻き消されて、自分でも聞き取れない程だった。面倒な事になったと頭を抱えながら、私は二人の治療をはじめる事で、気を紛らわせた。
私が気がついた時には、ルフィは既に犯人として連行されていたので、どうにも出来ない。船長としては何だか情けないなぁと思いながらも、それがルフィか……とも思えるのだから不思議なものである。
でもそうよね。シャンクスも似たような感じだわ。
これでルフィとシャンクスは血の繋がりがないというのだから、不思議ね。親子という事になってるドラゴンより、シャンクスの方がルフィと似てるんだもの。
ルフィがいなくなって暫くは、全員大人しくしていたものの、食事時になれば船にある物を食べるよりプロの料理を食べたいとの話になり、バラティエに向かう。勿論冷やかしの意味も皆はある様子だけど、私はルフィがサンジ君に迷惑をかけてないかが心配だったりするのだ。
ここまでが順調すぎたけど、普通はこんな海賊団に誰も入ろうとは思わないのだから、サンジ君が仲間になるのに時間がかかるのは当然の事。でもどうか、問題を起こさず早目に仲間になって貰いたい。
バラティエの内装は思いのほかオシャレで、私はここが戦場になるのは惜しいなと少し思う。アニメや漫画で見ていたのより、ずっと素敵な店内に、ゼフさんの気合を感じられて少し嬉しくなる位。
これってもう、普通に高級レストランよね。船って意味ではタイタニックのレストランってこんなだったのかなと想像してしまう。
メニューを開いていたら出会い頭にサンジ君から口説かれて、得意の色気を含んだ視線を向ければゾロが冷めた視線を向けてくるのが分かった。けどサービスして貰えるならその方が助かるのは事実なのだから、仕方ないでしょと言う思いで視線を向ければ何故か顔を背けられてしまう。
ゾロの反応を不可解に思いながらも私は、サンジ君に甘えるように色々注文して食べ貯めておく。食べ終えると同時に、私は徐に立ち上がる。
思い出した、この後何が起きるのか。だとしたら時間が無いわ。
ゾロは待望の相手と会って瀕死になる。なら、私を助ける余力もない筈だし、その後ここが戦場になるなら私は残ったら戦ってしまって帰りが遅くなり過ぎるもの。
だめ、私はベルメールさんとノジコを喪えない。……もう、行かなくちゃ。
帰り際にルフィの元へ向かい、サンジ君に迷惑をかけないように言い含めた。それから一度だけ、未練を断ち切りたくてルフィを胸に抱き締める。
「また、ね……ルフィ」
ルフィはそれに一瞬不思議そうな顔をして、それから笑う。太陽のような明るい笑顔で「またな」と言って。
私は一人でメリーに戻るつもりだったけど、ゾロの後輩だという二人もまた、ついて戻ってきてしまう。これでは困ると思った私は、暫く二人の様子を見物する事にした。
どうやら二人は次に狙う賞金首を探している様子で、手配書を広げている。それの中に、アーロンの手配書を見付けてしまい、私は逃げる事の出来ない時が来たと気付かされてしまう。
このまま共にいれば、甘えてしまう。知られたら、ルフィを犠牲にしてしまうわ。
原作ではどうしても仲間にしたいと願った航海士を、手に入れる為に死闘を経て勝利した。でも私はただの幼馴染。
生命を賭けてまで戦う意味も理由もないわ。それに物語と現実は違うから、負けたら殺される戦いに巻き込める訳もない。
お願い、気付かないで。私は離れてる間に悪女になったのよ。
冷酷で残虐な魔女なんて忘れて、冒険を楽しんで欲しい。その為にも、別れなきゃ。
「ねぇ……私、着替えたいんだけど。少し、後ろ向いててくれない?」
ここは、発育が止まってる身体だけど、女である事を利用するしか手は思い付かない。心の中でゴメンと言いながら、二人を海に突き落とすと、追う気にならないように、明るく船と宝を持ち去る。
進路から行先がバレないように、私は宝を換金しに向かう事にする。確か原作では、進路から割り出されたのだから。
ウソップがいるから、そのうちメリーを追いかけて来るだろうけど、その時には船を返したいから、早く解決しないと。でもその前にと換金する為の島を目指しながら、巻き込んだメリーに小さく「ゴメンね」と呟く。
「ベルメールさん、ノジコ……叶うなら、もう少しだけ、皆と一緒にいたかったよ……」
いつか、チョッパーやロビンにも会いたかった。ブルックの骨は、赤いのかな、黒いのかな、それとも白いのかな。
見た目は怖いかもしれないけど、優しい彼の演奏を聞いたり、私の拙い演奏と合わせて貰ったりしてみたかった。もう、会う未来は訪れないだろう。
分かってる。アーロンは、海賊なんだって事を。
なのに信じたい。私のこれは、赤髪の皆に知られたら馬鹿にされるだろう甘さ。
不安しかないけど、引き返す事ももう出来ないから。ルフィの笑顔が、脳裏にチラつく。
誰もいない船の上で、私はメリーの船首にそっと触れる。溢れ出る感情を持て余し、涙となりそうなそれを根性で抑え込む。
私には涙を流す資格は無い。あの日、私にもっと力があれば良かっただけの事だから。
私の弱さが、幾人もの生命を奪った。私の甘さが、この現状を作ったのよ。
私の涙は遠い昔に枯れ果てたのだから、勝手に出ようとしないでくれと自分に言う。そして、波間を見詰めて遠い所で幽閉されている家族と、まだ見ぬ仲間を想った。
これからが正念場、立ちなさいナミ。泣き言なんて許される立場じゃないのよ。
自分に言い聞かせるようにして、私は意識を切り替える。そう……私は裏切りの魔女、ナミ。
気持ちを引き締めて目的の島に到着する。いつもと動き方は同じで、収穫も特に無い。
換金しに来た筈の島なのに特にめぼしい物も無くて、私の顔を見た瞬間支配人が奥から出てくるのもいつもの事。換金して表に出ると、日が少し傾き掛けているのが分かり、現金に変わったそれを手にメリー号へと戻る。
メリーにただいまと声を掛けてから、村を目指して船を進めていたら、途中で面倒臭い海流がありそれを超える。背後を確認するとその海流は渦となり始めていて、これは暫く渦が増えたり減ったりするなと溜息を落としてから、急いで離れないとと船を進めて行く。
海流が落ち着いてホッと息を着いた時、その海流の方角へ進む小舟を見付けて私は思わず声を上げた。まさかそれが、面倒な事の始まりになるとは思いもしなかったから。
「そこの小舟!駄目!その先の海は今渦を巻いてるから、その船だと沈むわよ!」
私の声に小舟が反応して動きを止めた。良かったと思ったのも束の間、乗っている人物を見て血の気が失せる。
教える必要なんて無かったと気付いたから。だって、この男なら海を斬り裂く事も、泳ぐ事も、好きに選べる筈だもの。
「娘、情報感謝する。そうなるとこの近くに、島は他に無いか?」
「……目的によって変わります。島へ向かう目的は?」
「酒と食事と休息」
その答えに少し考える。換金してきた島までも、ローグタウンまでも同じくらいの時間だわ。
そのふたつに大きな違いは無いけど、海賊なら先の島に本来案内すべき。何せローグタウンは海軍の駐屯してる島だから。
でも鷹の目の男は政府側。それなら別に、そこを気にする必要は無い。
民間人ならローグタウンのが治安がいいからそちらをすすめるけど、この男に治安など問題にならない。ならば、どんな海域を通るかどうかが決め手になるわね。
「それなら、ここからならローグタウンまで半日って所ですね。案内は必要ですか?」
ここで答えないなんて選択肢は無くて、でも、適当な返事も出来ないかと口を開けば、言葉はしっかりとキャッチボールになる。結局のところ、ローグタウンの方が変な海流もなくて安全だわ。
それにしても、今ここにこの人がいるならば、ゾロは既に斬られたのだろうか。満足したり、笑ったりしてる事は無いだろうけど。
……遠過ぎる世界との距離に、悔し涙を流しているのだろうか。そして、私の裏切りに、怒りを滲ませているのだろうか。
そんな思考を打ち消すように届く声。なんの感情も感じられない、無機質な声が空気を揺らして届けられる。
「……案内して貰えると助かる」
「では、船を繋いでください。その方が、早いと思うので」
「うむ。感謝する」
謝意を伝える様子にシャンクスの知り合いだものねと、少し警戒心を緩めて私は笑う。船をローグタウンに向けて動かし始めると、小舟とメリーを繋いだ鷹の目は、何故か当然のようにメリーに乗り込んできた。
私が操舵している間にも鷹の目はメリーを適当に見て回ったようで、暫く動いていたのに突然甲板に腰を下ろすと、不思議そうに私に視線を向けているのがわかった。勿論、鷹の目を私は見てもいないし、視線も向けない。
見てなくてもメリーの中の事はわかる程度に、見聞色を使ってるだけ。まぁ……疲れるからあまりやりたくはないけど、宝も置いてある訳だし、用心するに越した事はないわよね。
「娘、この船は一人で使っているのか?」
「……今はそうね。この船、盗んできたものだから」
嘘をつく必要も無いからと、突然の問い掛けに素直に答えれば不思議そうな顔をされる。イメージと違いちゃんと表情がコロコロ変わるのを見れば、なんだか生きてるって強く実感できた。
そうだ、この世界の人達は生きている。作り物なんかじゃない。
「盗んだ?」
「私、海賊専門の泥棒なの。だから、お宝と船を盗んできただけよ」
「海賊から、船を盗んだ?クッ……ハハハ!面白い事をする」
楽しそうに笑う鷹の目は、けれども海賊旗を見て、成程と笑った。それがなんだかザワザワする。
ああ、そうか。この男は麦藁の一味を認識しているのだ。
つまり、すでにゾロをあやして、ルフィに返したのだろう。生命は無事だとわかっているけど、心配ね。
「……裏切ったのかとロロノアが騒いでいたのは、貴様の事か」
「あら、騒いでたの?随分……小さい男ね」
内心の胸の痛み等無いものとして、クスクスと笑いながら船を動かす私に、鷹の目も何故か喉の奥でクツクツと笑う。それからは特に会話は無い。
けれどもそれに何かを思う事も無いわね。寧ろ話しかけないでほしいくらいよ。
そうこうしている内に日が大きく傾き、沈もうとしているのがわかる。だから私は鷹の目に問い掛けた。
「このままだと到着は夜になるけど構わない?それとも朝着くようにこの辺で停める?」
この海域は比較的海流も穏やかだから、停めるのならばここがいい。進めるなら進めてもいいけど。
どちらなのか決めてもらわないと、船頭が複数いると困るのよ。そう思って尋ねただけなのだけど、鷹の目は真面目に考えてくれる。
「……では、朝到着するように停めてもらおうか」
「到着希望時間は?それに合わせて動かすわ」
「そこまでして貰うのは悪い。到着時間に拘りは無い故、明日の朝まで気にせず休むと良い」
朝まで休めって事は、到着は昼になってしまう。それに気付けば、鷹の目の言葉はどうやら私を気遣って、ここで停めるように言ってるのだと分かり苦笑する。
それから私は頷くと、了解ですと返して船を停めると厨房に向かう。休むと決まれば食事とお風呂が必須だもの。
適当にパスタとワインを用意してから、鷹の目に声を掛ける。相変わらず甲板に座っていたので、食事でもしながら寝るのはどっちの船にするつもりか、確認しようと思ったのだ。
醤油やだしの素があれば、簡単に和風のパスタにできたけど、そんな物ある筈も無いので手間はかかったけど。それでも海の上なら素材には困らないし、鮮度は最高なので味に問題は無いと自信を持って言えるわ。
「……食事とお酒、いかがです?」
「貰おう」
頷いて立ち上がる鷹の目を見ながら、私はテーブルに食事をセッティングして行く。果物も一応並べて、チーズも切って出しておいた。
パスタをそれぞれの椅子の前に置いて、ワイングラスを置いた所で鷹の目が入って来る。その表情は硬直したように動かない。
「シーフードパスタよ。海だから魚介には事欠かないから」
「……そうか。頂こう」
ワイングラスは伏せてあるので、ワインボトルを鷹の目にそっと差し出す。これで毒はないと、理解してもらえるだろう。
私は頂きますと呟いて食事を一人先に始めたけれど、鷹の目は何故か私を凝視している。……そんなに毒とか心配なのかしら?
「……何も仕込んでないから、大丈夫よ。それとも野菜?流石に今は無いから果物で我慢して」
「いや……主が作ったのか」
「他に作る人居ないでしょ」
「そうだな」
それからは、特に何も言わずに鷹の目も食事を始めたので、私は後は気にせず食事をして行く。食事が終わり、ワインを楽しむだけになったのを見て、食器に手を伸ばして回収しようとしたら、その手首を突然掴まれる。
何事かと鷹の目に視線を向けると、ただ無言で凝視させる。襲うとでも思われたのだろうかと不安になるけど、小娘相手に警戒するとは思えない。
なんだろう。敵意や悪意も無いわ。
「……主の名を聞いていなかったな」
「そう言えば私も、聞いていなかったわ」
「ミホークだ」
「……ナミよ。ミホークさん手を離して」
私の言葉に頷いて、鷹の目は私の手首を解放する。私は食器を持ってその場を離れると、早々に洗ってしまう。
この世界は洗剤が差程発達してないし、私が作った物があるとは言え食器を洗い場に貯めておくと細菌の繁殖がね……。現代人であるが故の恐怖。
洗い終えてからテーブルを見ると、チーズの一種類だけが無くなりかけているのが見えて、それを追加で用意して戻る。どうやら、フルーツ入りのチーズがお気に召したようだ。
「どうぞ」
「うむ」
……なんだろう、餌付けしてる気分。私もワインボトルに手を伸ばそうとしたら、鷹の目がボトルを取り構えてくれるから、グラスを鷹の目に向ける。
手馴れたものねとそれを見て思うけど、とりあえず笑顔でお礼を告げてから、寝るのは自分の船でいいのかを確認すれば、小さく笑った。それに鷹の目はここに泊まっても?なんて聞くから、お好きにと答えて私はワインを傾ける。
まだ若いワインで少し苦い。確かにこれはチーズが欲しくなるわねと思っていたら、鷹の目が面白そうに私を見ている。
視線で何か?と問えば、いや何もと視線で返される。この感覚が何となくベックと近い気がして、少し笑いそうになる。
もう、ベックは白髪のいい男になってるのかしらね。でも、あの歳であれだけ白いとなると、確実にシャンクスが苦労掛けてるのよね。
色素が薄いというのは、黒髪だったし考えにくいから、今度会ったら、シャンクスを一発殴るくらいしても良いと思うのよ。なんて考えながら溜息を落とせば、窓から差し込む筈の太陽は消えて、代わりに月が登っているのが見えた。
半月より少し欠けた月が見えて、今は上弦だったかしらそれとも下弦だったかしら、と首を傾げたら鷹の目が喉の奥で笑う。何が楽しいのか分からないけど、不機嫌よりは良いかと放置する。
「警戒心は無いのか、娘」
「……貴方が何かするつもりなら、抵抗したところで無駄な足掻きだと判断してるだけよ。それに……」
「ん?」
「こんな小娘に手を出す程、飢えてるようには見えないもの」
小さく、モテるでしょ?と付け足せば、また喉の奥で笑う。馬鹿にされてるのかと思ったけど、様子を見ているとそうでも無さそうで、こちらこそ良く分からない。
ベックのような色気と、シャンクスのような強さ。そして、真面目な所はゲンさんっぽい。
そう考えたら、人は皆誰かとどこかは似ているんだろう。誰にも似てない人も、ただの善人も悪人もきっと居ないんだわ。
ワインボトルが空いたのを確認して、もっと飲むかと視線で問えば、首を横に振られたので頷いて片付けをする。片付けていると果物の香りがして来たので、最後に何か食べているのだろうと判断した。
片付けを終えて視線を向けると、鷹の目が恐らくゾロを弄んだであろう小刀で、器用に果物の皮を剥いていた。その果物の皮は剥くのが大変だと言う事で、一般には人気が無いから安く出回っているのだったなと思い出す。
硬いのよね、その皮。お前はカボチャかっ!て言いたくなる位に。
だから皮を剥いて切っただけのそれは、喫茶店や酒場で頼むと驚くくらいに値上がりする。自分で剥けるなら、大変お得な果物なんだけどね。
小さく笑ってから部屋を出ようと隣を通った時、腕を掴まれて引き寄せられる。咄嗟に受け身を取る私を気にした様子もなく、鷹の目が体勢を崩した私の唇に自らの唇を重ねて来た。
本能的に抵抗しようとした私の頭を押さえて、器用に私の唇を割ると、何かが口の中に押し込まれる。妙に甘いそれが、先程鷹の目が剥いていた果物だと分かるのと同時に解放されて、私はその場にへたり込む。
口に物が入っていて、それを出す訳にもいかず、でも平然と食べるのもどうかと口を押さえるから文句も言えない。なんて合理的なんだろうと、少し感心する。
「……食事の礼だ」
クツクツと笑いながら落とされた言葉に、果物を咀嚼して飲み込んでから、ハイハイと返事をする。多少ではないけど、イラついてしまう。
戦っても無駄だし、悲鳴上げても喜ばれる気がするわ。そう思ったら我慢するしか無かったのに、つい口にした言葉にトゲがあるのを自覚する。
「ご馳走様。でもね……おいたはしないで貰えると助かるわ」
言いながら立ち上がり今度こそ部屋を出ると、顔から火が出るような気分で風呂場に駆け込んだ。何してくれてんのよ、あの男っ!
頭からシャワーを浴びながら、怒りと羞恥に身悶えて、お風呂でその感情をお湯と共に流してしまう。そうしないと、眠れない気がしたのだ。
お風呂から上がると髪を拭きながら、今回渦と出会った辺りの海図を脳内に起こす。これは書き足しておいた方が良さそうねと、メモを書き込んで居たら足音が聞こえて視線を向ける。
何も言わないその視線が、何かを見定めるように感じられて不快感に眉を寄せる。それから徐に近付いてきた鷹の目が私からタオルを奪うと、突然頭を拭き始めるから何事かと慌ててしまう。
「大人しくしていろ。雫が落ちては仕事になるまい」
「……あ、ありがとう」
私が〝仕事〟をしてると何故気付いたのかは分からないけど、その心遣いは少し嬉しかった。何故か髪を拭いてもいつも上手くいかなくて、雫が落ちるので何年も前から諦めて放置気味だったりするから、余計に。
ベルメールさんとノジコは、そんな私の頭を拭くのが楽しいと前に言ってたけど。鷹の目は多分、食事かワインのお礼なんだろうなと思う。
そう言えばウタも私に「ママは髪の毛拭くのだけ下手よね。他は完璧なのに」と笑ってたわね。今頃、どうしてるんだろう。
ルフィにさえ「ヘッタクソー!」って何度も笑われて、グシャグシャにされて困る度に、ベックにやり直してもらったわね。ホンゴウはウタの髪の毛担当だったなぁ。
懐かしい記憶を思い出していたら、手が止まる。それと同時に声が降って来た。
「これで良かろう。……妙な所で不器用だな」
「……拭いてくれてありがとうございました」
少し棒読みになったけど、コレばかりは不可抗力だと思う。話は終わったと判断した私は、髪をとかしながらメモに視線を落とす。
この場所に渦ができるなんて、今まで聞いた事が無かった。でも、だとするなら海底で何か変化が?
東の海にも多少は海王類がいるのだから、何か海底で変化が起きる事は珍しくないけど、だとしたら大きめの岩石がズレてしまったのだろうかと判断する。この辺りはアーロン達の支配下に無いから、アーロン達がやったとは限らないものね。
書き終えたメモを見て、小さく頷くと私は寝室に向かおうとして、そばに立ったままに私を凝視している鷹の目に一瞬驚く。……まだ、ここにいたんだ。
「……お風呂なら、勝手に使って。私は寝るから。お休みなさい」
「あァ」
こうして私と鷹の目の奇妙な同船は、無事に夜を迎える事に成功した。残るは朝だけだと、肩を回しながら寝室へと向かい、早々に眠ってしまったのだった。